2009-11-20 特集〜ローマ帝国に重ねる宮崎駿盛衰史〜
■[宮崎駿に関する諸問題][アニメ歴史学]特集〜ローマ帝国に重ねる宮崎駿盛衰史〜

さて、いよいよ『東のエデン』劇場版第1作公開まで後わずかに迫った昨今、読者諸兄はいかがお過ごしだろうか。丁度今日(09.11.20)、例によって金曜ロードショーで宮崎駿監督の不朽の名作『天空の城ラピュタ』が放送されていたのは読者諸兄も承知のとおりであろう。放送、というよりも金曜ロードショーで同作が放送されるのはわが国民にとってはもはや恒例行事であると言っても過言ではあるまい。金曜ロードショーで放送されるスタジオジブリの代表格は、まず『天空の城ラピュタ』・『となりのトトロ』・『風の谷のナウシカ』・『魔女の宅急便』そして『ルパン3世カリオストロの城』(若しくは『紅の豚』)、この5作ないし6作が定番と相場が決まっている。この「5強+1」が金曜ロードショーにおける宮崎駿監督作品の、いやわが国に於ける長編アニメーション作品の定番放送作品と言っても過言ではあるまい。詳細資料⇒こちら
とりわけ、『ラピュタ』はその放送回数もさることながら、その名シーン・名台詞など毎回「実況」と称してネット上で盛り上がりを見せるのは周知のとおりである。では何故、『ラピュタ』はこれほどまでにわが国国民に愛される存在であるのか。更には、何故同じ監督作の『ハウルの動く城』や『千と千尋』はこの様に金曜ロードショーの常連とならないし、巷間「実況」などと銘打って盛り上がることが無いのだろうか。答えは簡単である。『ラピュタ』は作品の完成度がきわめて高く、『ハウル』以下は単純に視聴に耐えないクオリティだからである。
しかも、この傾向は同じ宮崎駿監督作品の中でも歴史年表のごとく明らかに作品別に顕著である。つまり、宮崎駿監督は、はっきりとその製作タイムライン(時系列)に沿ってクオリティの高低とその性質をカテゴライズすることができると言う珍しいタイプのアニメーターであると私は勝手に思っている。それはまるで帝国の、そう例えばローマ帝国の栄枯盛衰の歴史に酷似している。最初勃興期があり、やがて黄金期・絶頂の爛熟期、そして衰退・滅亡へと向かっていく大帝国の歴史そのものに例えることができるのではないだろうか。

まず上の年表をご覧頂きたい。宮崎駿監督が東映動画に入社し、「パンダコパンダ」「名探偵ホームズ」「未来少年コナン」「ルパン三世(TVシリーズ)」の演出などで徐々にアニメーターとして頭角を現し、遂に氏の初監督作品となる「ルパン三世カリオストロの城」が公開され、1982年に漫画版「風の谷のナウシカ」の連載がアニメージュ誌でスタートし、同作が劇場公開された1984年前後までを『勃興期』と定義し”天才の目覚め時代”と呼ぶ。カリオストロの城で見せた無駄なカット(贅肉)を削いだスタイリッシュで劇的、且つ緻密に演出的効果を計算して成される作品構成の確立は、この『勃興期』に於いて全ての基礎が固められ、その後の宮崎駿監督作品の構造的土台となることは言うまでもない。丁度、イタリア半島の一部分を有する都市国家に過ぎなかったローマが、次第に拡張し(動乱・波乱はありながらも)徐々に後世の繁栄の基礎となる帝国の土台を築き上げていった初期ローマ帝国に例えることが出来よう。
そして84年『風の谷のナウシカ』から、86年『天空の城ラピュタ』、88年『となりのトトロ』、89年『魔女の宅急便』、92年『紅の豚』と正に宮崎駿監督の黄金期が続く。この84年〜92年までに公開された上記劇場アニメ5作品を、私はローマ帝国の『五賢帝』になぞらえて『五傑作』と呼び、この時代を『五賢帝時代』ならぬ『五傑作時代』と定義したい。もうお分かりだろうが、最初に指摘した金曜ロードショーの常連5作品は全てこの黄金期に制作された作品である。上記5作品のどれをとっても、いずれ劣らぬ大傑作・アニメ映画の金字塔なのは疑いようも無い。緻密に練りこまれた世界設定(ナウシカ・ラピュタ)、劇的で効果的な演出と決め台詞(ラピュタ・紅の豚)、安定した重厚長大型でいてエンターテインメント性にも傾斜したバランス作品(トトロ、魔女の宅急便)と、具体的にこれら作品の傑作の所以を述べるときりが無いが(詳細は当方のラジオ企画・ニコニコアニメ夜話をご視聴いただきたい笑)、正しくローマ帝国で言うところのネルウァ・トラヤヌス・ハドリアヌス・アントニヌス=ピウス・マルクス=アウレリウス=アントニウスの五賢帝により都合約90年の繁栄と平和の時代、すなわちローマ帝国絶頂の時代を髣髴とさせる。この時代、ローマ帝国はトラヤヌス帝に於いて最大版図を迎え、民衆文化は爛熟し、数々の偉大な芸術家や哲学者が輩出された。
続く爛熟期であるが、97年と若干「豚」からブランクがあるが『もののけ姫』の公開である。管理人は個人的にこの作品が、宮崎駿監督としての絶頂であると思っている。この『もののけ姫』の作品批評の詳細はいずれニコニコアニメ夜話で行うとして、やはり史実を基にした緻密な世界設定と深いテーマ性が秘められているが、やはり黄金時代の五傑作時代にある軽快で斬新なストーリー構成が若干後退している。この作品の致命的な弱点は、テーマ性とエンターテインメント性を意識的に両立させようとしたばかりに、物語のサビ(ラピュタで言うところのバルス!前後)が色褪せてしまっている所であるが、言い換えると何か宮崎駿監督の「いぶし銀」の様な完成された才能を見ることが出来る。兎にも角にもここが絶頂で、ローマ帝国で例えるなら五賢帝時代の末期前後と言ったところだろうか。財政悪化やゲルマン人の侵入という不安要素はあれど、まだ帝国は空前の繁栄を謳歌している。(実際、もののけ姫は97年公開時、それまで「南極物語」が最大だった日本映画における観客動員数及び収入の最高記録を楽々と追い抜いた事は読者諸兄もご存知のとおり)
続いて01年の『千と千尋の神隠し』である。上記年表ではここを「爛熟期」と「衰退期」の境目としたが、明らかにここから宮崎駿監督の作品のクオリティ、及び才能の凋落を感じさせる節目となった作品である。本作自体の興行収入は98年の「タイタニック」を上回る堂々の1位(未だに塗り替えられていない)であったし、私自身そこまで詰まらないとは思わないが、明らかに千尋とハクに関する伏線が不十分かつ説明不足であり、入れなくても良いギャグ、必要の無いカット、無駄な移動風景など黄金期の宮崎駿監督なら挿入しないであろうと言う「贅肉」のような場面が散見され始める。丁度、五賢帝の時代が終わった17代皇帝コモドゥス以降のローマ帝国で、辺境で反乱が続発し始め、皇帝の継承等を巡る帝国内部での内乱、ゲルマン人の絶え間ない侵入による国境線の動揺が繰り返されるようになった時代に似ている。とは言え、本作は「新しい世代による物質文明との決別」という明確なテーマ性が設定されており、ストーリー性を重視した長編アニメーションとしての完成度はそれでもまだ十分に高いと言える。
そして04年『ハウルの動く城』であるが、ここで明らかに宮崎駿監督の才能は劣化を始めている。この作品の前後を『衰退期』と定義する。まず、この作品はストーリー構成を放棄してしいる。『ハウルの動く城』のあらすじを400字で箇条書きせよと言われても私には出来ない。なぜならこの作品には秩序だったストーリーが無いからである。印象に残るカット、耳に残る台詞、斬新で劇的な演出、絶妙な劇音楽の挿入…「五傑作」で見せたあの輝かしい才能があらかた見事に吹き飛んでしまって、何やら宮崎駿監督が個人的に好きな魔法だの妖精だのが主人公の周りをぞろぞろぞろぞろと付いて回るだけの意味不明且つ不自然なストーリーにひたすら苦笑する。そして唐突に趣味の軍艦やら戦闘機だのが出てくる。魔法人間が空を飛んだり変身したりする。そこに合理的な説明は無い。カットがぶつ切れになり、何の伏線もないまま主人公が勝手に納得したり周囲が勝手に理解したりして観客には意味不明のまま話だけが先行する。全てに理由が無く全てに意味合いが無い。ただ宮崎駿監督という個人が好きな描写を勝手に詰め込んだ「期待ハズレの福袋」の様な内容。あれだけストーリー展開の合理性を重視し、あれだけ緻密に世界観を設定し、最小の説明で最大限の劇的演出を心掛けた「五傑作」時代の宮崎駿監督の面影は一切無い。これが同じ人なのかと思うほどの劣化ぶりは正直ひいてしまう。丁度、2年や3年で次々と何十人も皇帝が入れ替わり、各地で反乱と蜂起が繰り返され、帝国の領土がどんどん縮小していく軍人皇帝時代のローマに例えることができる。この時代のローマは正しく内憂外患であり、多少の持ち直しはあるものの滅亡に向けての坂道を着実に転がり落ちていく。
08年『崖の上のポニョ』によって宮崎駿という、わが国アニメーション界の巨人、いわば帝国は終末期を迎えたと言っていい。この2年前、06年には宮崎五浪だか六浪だかの(すいません、わざと間違えました)監督の子息が『ゲド戦記』という中学生の学芸会レベルの作品(?)を堂々と劇場公開するという愚挙にでたが、これは丁度テオドシウス1世(統一ローマ帝国の最後の皇帝)の息子2人がそれぞれ西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を分割統治したという故事に何となく似ていると思うのは管理人だけだろうか。国家も個人も、行き詰まってくると禄でもない血縁者に最後の望みを託して既得権を継承しようと画策するのだが、その結末はほぼ100%上手くいった試しが無い。西ローマ帝国は分割継承の後、100年を待たずして滅亡、ここに世界史的な意味での正当なローマ帝国は消え果るのである。
さて、わざわざ『終末期』とした08年の『ポニョ』であるが、副題を「和製版デヴィッド・リンチの時代」とした。これは伊集院光氏が、TBSラジオ「伊集院光深夜の馬鹿力」に於けるポニョ評でこう仰っていたのをそのまま拝借した。デヴィッド・リンチ監督は、「イレイザーヘッド」「ツインピークス」「マルホランド・ドライブ」等で著名な大監督であるが、一般的には「奇才」「B級映画の大家」と目される。それは、氏の作品では中盤までは正統的なストーリー展開が続くが、途中から小人が歌いだしたり、タバコの中から灰色の妖精が囁き掛けたり、非日常的出来事がさも当然のように身近で起こるようになったりする、とにかく終盤にかけてシュールで前衛的な展開がこれでもかと続く摩訶不思議な作風の監督なのであるのは読者諸兄も知っていられよう。伊集院光氏は『崖の上のポニョ』を鑑賞してまず『和製版デヴィッド・リンチ』の感想を持ったのだと言う。これは古今東西最も的確なポニョ批評であると言わざるを得ない。この『ポニョ』では、宮崎駿監督がもはや意図的にストーリーを構成しないのではなく、「出来ない」のだと我々に認識させるのに十分な作品であった。そして、宮崎駿帝国の終焉を決定的に物語る作品として記憶されるであろう。意味不明の作品世界、意味不明の台詞、意味不明の世界設定、意味不明の構図、意味不明の演出、数えればきりが無いが、伊集院光氏曰く、宮崎駿が和製版デヴィッド・リンチを目指しているのだとすれば説明が付く。
伊集院氏はこうも言っておられた。あれだけ「ポ〜ニョ♪ポーニョポニョ魚の子〜♪」とはしゃいでいた子供たちが、上映終了後は一様に無言になった事。「もし自分が子供で、人生最初に観るアニメ映画がポニョだったら凄く嫌だな」という率直な感想。このふたつがこの作品の全てを物語っているのだが、とにかくわが国が誇るストーリーアニメーションの大家・宮崎駿監督という名の帝国は09年に滅んだと言うことだけは確かだ。ローマ帝国は、五賢帝の時代を過ぎ、短命皇帝が乱立され内部でも抗争が起こるようになってくると、辺境の土豪や奴隷階級が帝国に蜂起し、勝手に「ローマ皇帝」と自称して自分の顔を打刻した貨幣まで鋳造した。私は、このようなローマ帝国末期の姿が現在の宮崎駿監督(スタジオジブリ)と細田守監督(マッドハウス)の関係に重なって見えてしょうがない。もはやストーリーすらまともに構成できなくなった老人を見限って、アニメファンは今や明らかに細田守監督(マッドハウス)をスタジオジブリの正統なるファミリー向けストーリーアニメの後継者として位置づけているように思える。誤解をされない為に注意して書くと、別に細田守監督(マッドハウス)が自らを「私はスタジオジブリの正統なる後継者である」と自称したことなど一度も無いが、もはや世間一般のアニメファンの中には、上記の様な宮崎駿監督の凋落振りを横目に細田守監督こそが新しい次代を担う日本のメインアニメの中核であると見る向きが少なからずあるのは確かであろうと思う。今年(09)夏公開の「サマーウォーズ」に、管理人の様なコアなアニオタではなく、家族連れやカップルが大挙して押しかけ連日大好評を博したのが何よりの証拠であろう。
過去の偉人は「盛者必衰」と言った。確かに普遍的な真理であるかもしれない。しかし、宮崎駿監督の「盛者必衰」は余りにもそのスピードが速く、また余りにも「衰」の度合いが大きすぎるのは気のせいだろうか。過去数十年、特に90年代以降、スタジオジブリと宮崎駿監督は正しくわが国の「メインアニメーション」としてその座に君臨してきた。その評価は過大評価ではなく、宮崎駿監督のほとばしる才能をしての正統なる評価であったと思う。しかし今、そのメインアニメ、アニメ界のローマ帝国が滅びようとしている。いやもう滅びている。メインアニメが廃れるのは由々しき事態である。『ハウルの動く城』と『イノセンス』が同時にベルリン国際映画祭に出品された時のこと、押井守監督は「ハウル」の陰に隠れてイノセンスの注目が薄まることに不安はあるか?という趣旨の記者団の質問に対し、「むしろ宮崎駿先生の様なメインアニメがしっかりしなければ、われわれサブアニメは輝くことが出来ない。メインあってのサブだ」と切り返した。宮崎駿監督の凋落は、すなわちわが国アニメ界全体の衰退につながる大問題である。メインの凋落は、同心円状に広がり、やがてはアニメ界の末端、ひいてはわが国民のアニメリテラシーの水準低下という問題にまで深刻な影響を及ぼすであろう。幸いなところ、細田守監督と言う新しい「メインアニメ」の旗手が出てきたので首の皮一枚でつながっていると言える。
もう、宮崎駿監督には「五傑作」時代の才能は一滴も残されていない。再び我々があの完璧に計算された技術を見ることはないと断言しよう。であるならば、宮崎駿監督には難しいだろうが後継の育成に全力を注ぎ、潔く退場されるのが有終の美であろうと思うがいかがであろうか。(ちなみに御年85歳を過ぎた米映画界の巨匠シドニー・ルメット監督や、90歳を過ぎて近年亡くなられたわが国映画界の巨匠・市川崑監督は老いても尚精力的できっちり磨き上げられた作品を作って居られたのだが…)
*関連ブログ
飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守 <リアリティコントロールの話>
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私も今日の『ラピュタ』を観ていたのですが、既に何回も観ているのにもかかわらず、「
面白い」と感じるんですなぁ、これが。不思議なんですよね。そのあたりが「黄金期」の作品たる所以なのでしょうか。
これは何事においても言えると思うのですが、「経験を積めば積むほど技術力は大きくなるが、同時に経験が豊富である故に直感的感覚(とでも言うべきもの)が鈍ってしまう」という話があります。
これは歳を重ねる事による体力の衰えとは別で、スポーツ選手でも作家でもサラリーマンでも、少なからずそれは生じるそうです。
宮崎監督も例外ではない、という事なのかも知れませんね。
やはり経験を生かすという点では後進の育成というようなものには打って付けですよね(私がそのような事を言える立場の人間ではありませんが)。
さて、本日はマッドハウス制作の新作映画・『マイマイ新子と千年の魔法』の公開日であります(ついでに言うと、『劇場版マクロスF』の公開日でもあります)。
どのような出来になっているのか、とても楽しみです(笑)。
最近、宮崎駿が養老猛司との対談を本にしたものが新潮文庫から出版されていました。
今のあなたがアニメを語れるのですか?と思うんですけど。
>再び我々があの完璧に計算された技術を見ることはないと断言しよう
確かにそうなのかもしれません。いや、たぶんそうでしょう。
しかし、それどももう一度、あの素晴らしいアニメ(愛)をもう一度・・・。
どうもおはようございます。
ラピュタは、宮崎駿黄金期の中でもひときわ光彩を放つ傑作中の傑作だと思います。ハウルやポニョで思い浮かぶ台詞がひとつも無いのは、ひとえに宮崎駿氏の才能が枯渇し、脚本に鋭さが失われたからでしょう。最後のところに加筆しましたが、80才を過ぎてもまるで20代の様な映画を撮る監督も世の中には居るのに、宮崎さんは…
例えばリュック=ベッソンとか当たり外れのムラがある巨匠監督は多いですが、宮崎氏の場合は綺麗に時系列で退化していくのが分かる。ちょっと珍しいタイプのアニメ監督です。「才能を使い切っている」感が否めませんな…『マイマイ』はぜひとも劇場に足を運んでみたいです。
どうもおはようございます。
宮崎氏・養老氏ともどちらも老人・老大家というところが共通しておりますが、養老氏は東大教授を息子に世襲させようとしない所が最大の違いですね(不可能ですが笑)
宮崎氏は禄でもない吾朗と、三鷹の森でいたいけな子供と一生遊んでいるのがお似合いです。もうこの人は無理です。復活は無いと考えます。唯一の希望といえば、近年ほとんど沈黙を守っている高畑先生にここで一発、すご〜く渋いのをかまして欲しいと思います。高畑先生ならまだ何とかやってくれそうな感じがします。高畑先生ならきっと…
管理人に是非とも夜話で「もののけ」をと、奏上しようとログインしたので、今回の記事はタイムリーで驚いています。
彼の作品の(もののけ以前です)の特徴は無駄のなさだというのは、どなたの同意も得られますね。かなり初期の作品であるのであまり期待していなかった「コナン」ですら、その舞台設定の細かさとそれを感じさせないさりげないセリフ回し、効果的かつ濃縮された演出に圧倒されました。と同時に「これを作ったクリエーターとポニョやらかしたおじいさんが一緒?」と思わずにはいられませんね、管理人の言う通り。
コナンは観たばかりだし、もののけに関しては惚れ込んでいるので、「もう少し」とは思いますがまた今度にします。(ここに書くなら短いコメントを旨とすべきだと感じます。)
長々と失礼しました。次回の記事も楽しみです。
宮崎駿は『もののけ姫』で才能を使いきっちゃたんでしょうね。押井監督は命を削って作りあげた『イノセンス』という大作以後も、『スカイ・クロラ』のような傑作を生み出しているというのに。
「奏上」だなんて畏れ多いです(笑)
さて、未来少年コナンのラストで科学者が三角等のエネルギーを復活させるところがありますね。そこで、彼ら旧世界の老人たちは未来を新しい世代に託す、と称して沖田艦長宜しく(本当は脳死は誤診で復活と言うオチですが)、老人たちが沈み行くインダスとリアと共に運命を共にしますね。
今の宮崎駿氏には、自らが若いころ皮肉にも「老人は去る」とコナンで延べた高尚な理想を是非とも具現化して欲しいものです。いつのまにか宮崎氏自身がコナンの科学者の歳になりましたが、もし彼が「もののけ」で引退していたら、それはすばらしいアニメ監督として100年後も崇敬の対象になっていたでしょうね。本当に残念です。「もののけ」は次回以降早い段階でやる予定です。いずれやらねばならんと思いますので。宜しくお願いします。
正に「もののけ」の時、引退の噂がしきりとありましたが、結局一番のタイミングを逸してしまいましたね。残念で仕方ありません。高畑先生は近年、『伴大納言絵巻』関連の番組でNHK教育に出てたの観ましたし、韓国で『火垂るの墓』が公開された時に云々というので記事を観て以来、動静が伝わってきません。と思いましたが、最新情報によると2010年『竹取物語』題材のアニメを予定との事。本当だとしたら期待に胸が高鳴りますね。
ソースhttp://eiga.com/buzz/20091001/2/
私は、むしろ、ラピュタ、魔女の宅急便、紅の豚の3作は、ややおとなしくまとまり過ぎて物足りなさを感じます。
当時、今後、宮崎監督がこんな感じでやっていくのかと思うと、不満でした。
シャーロックホームズをやっと観ることができたときも、映像の質はきちんと素晴らしく高いとは思いましたが、もっと魂のこもった作品を手がけるべきだと思っていました。
それが、もののけ姫から、皮がむけたというか、やっと本当の道に戻って来られたと感じました。
もののけ姫〜ポニョの4作は、もう、観るたびにいちいち感動します。
そして、新しい作品ほど、魅力が増していると思います。
ご拝読頂戴し光栄です。
確かに、あなたの仰る通りもののけ以降、宮崎氏の本領発揮がなされたと思います。それは、ストーリーアニメではなく感覚アニメ、つまりは宮崎氏の本当に描きたいことをなんの遠慮もなくやった。というのが千と〜・ハウル〜・ポニョの最近3作でありましょう。この3作は、仰る通り豚やラピュタと比べて宮崎氏の「爆発」ぶりが目立ちます。遠慮しない感じです。
しかし、本文にも書きましたように、「自分がやりたい演出をやる」事と「作品の全体的完成度」は別物です。昔の宮崎氏は前者を絶妙に出しつつも後者を優先してバランスを取っていた。ただ、もはや彼に意見具申する人が居らず宮崎氏が押しも押されぬ我が国アニメ界の大家となったために、前者のみに傾斜したのが最近の作品でしょう。
そして、哀しいかな宮崎駿という人は、おかしな演出・奇抜な演出・破綻したストーリーの妙味でここまでの名声を手にしたわけではなく、重厚なストーリーアニメの天才として評価されてここまで来た、というのが現実です。
当ブログではあくまでも「作品の全体的完成度」をアニメ作品の善し悪しの尺度として用いております都合上、年表にあるように最近の作品ほど評価が低くなっておりますが、仰るとおり「好きな演出をとことん追求する変わった老人」としての評価はむしろ最近の方が高いと申せましょう。(こんな奇妙な演出ができるアニメ監督は我が国では宮崎氏のみでしょう)しかしそれは、作品の質的評価とは全く別ではあります。恐らく最初から宮崎氏がポニョのようなデヴィッド・リンチ的作風の人だったら、彼自身もそしてスタジオジブリもここまで評価されなかった事は言うまでもありません。
ローマの年表と比較すると何か感慨深いものがありますねぇ。
不躾ながら各作品の発表時の宮崎さんの年齢も明記したほうがよりわかりやすいかなぁ思ったり。
たぶん5傑作時代というのは 宮崎さんがアニメーターとして一番油の乗った時期だったんでしょうね。
ハウル以降の作品はご自身がご高齢になられたこともあり「老い」が裏テーマにあるような気がします。
なので若い自分が見たら「なんじゃこりゃ?」ですが自分が高齢者になったときに
改めてもう一度見返してみたら「すげー!こんなこと言ってたんだ!」と思うかも知れないので
評価は保留しています。
はじめまして、ご訪問ありがとうございます。
>不躾ながら各作品の発表時の宮崎さんの年齢も明記したほうが
すみません、そこまで気が回りませんでした。パンダコパンダの時が丁度三十路過ぎ、ナウシカで40過ぎ、豚で50、千と千尋が丁度60歳です。こうしてみると、40代の時が彼の黄金期だったことが伺えますね。
逆説的に、歳を取ってポニョのような電波作品を作れるのは流石だと思います。ポニョは20代くらいの若手の監督が作った、と言われても違和感はありません。脳汁出まくってますから(笑)
それならいっそのこと宮崎駿のひとりジーニアスパーティが見たいな(笑)
拝読しまして,「おっしゃるとおり」「我が意を得たり」という感がいたしました。
端的に,加齢による衰えによって,
脚本を用意せずに,イメージボード(絵コンテ)から映画作りをする,
という独自の制作手法が,もう体力的に無理になった,
ということが大きいのだろうなあ,と感じています。
以前,NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも,
「ポニョ」のイメージボードの制作が大幅に遅れ,
苦悩する監督の姿が流されていましたが,
あの様子を見る限り,このような手法によって,
ストーリー全体をバランス良くまとめることなど,
到底できないであろう,と思いました。
また,「ジブリ汗まみれ」で,
押井守氏から,「ポニョ」について,
「鈴木敏夫が何にもしてない」「指一本触れさせてもらえなかった」
「100% 宮さんの映画」「だから映画になってない」
「(鈴木敏夫の理屈」や「高畑勲の能書き」のような)映画として監修する装置がなかった」
「妄想の羅列」「願望炸裂映画」「居直り映画でしょ,あれ」
「ああいう女房と息子だったらよかった」
(←ここで鈴木氏が慌てて押井氏の発言を封じているのが興味深いです(笑)
宮崎監督の奥様と吾郎君というのは,
ジブリにとって踏んではいけない地雷なのでしょうか(笑))
とズバリ指摘された際に,
鈴木敏夫プロデューサーが,
「宮さんの心境」として,
「(亡霊のようにつきまとった)高畑勲の呪縛」から「遠いところへ行く」ために,
「自分が思いついたことをどんどん絵にしていく,そういう映画を作ってみたかった」
「構造(=高畑さん)のない映画を作ろうと思ったのはたしか」だった
と語っていましたが,
ある時期から,宮崎監督のそういう心境が強く働くようになったのも,事実なのでしょうね。
ただ,「心境」うんぬんという以前に,現実的・物理的な問題として,
イメージボードの制作が遅くなれば,
当然,その後の制作過程にも影響が生じ,
スケジュール的に,他の人が後からバランスを取るために修正を入れることなど
不可能になってしまいますから,
これら勘案すると,結局は,体力的な問題に行き着くのだろうと思います。
ともかくも,68歳の老人が,一本の映画をゼロから作りきる,
というのは,もう無理,ということですよね。
ただ,この老監督が,他人に仕事を任せられない性質の持ち主であるという事実,
そして,この老監督が,ジブリの唯一の稼ぎ手であるという事実が,
問題の解決(?)を事実上不可能にさせている,というのが,
なんとも言えないところです。
ただ,歳を取ったとはいえ,あの妄想力は,他の誰にも真似できない,比類なきもの。
(こういう映画を発表しても許されるのは,巨匠でなければ無理。他の監督なら,干されますよね)
ということで,一鑑賞者としては,遠くから,腕組みしつつ,にやにやしながら,
老人の暴れっぷりを有り難く拝見する,
というのが,衰退期以降の宮崎映画の正しい楽しみ方なのかも知れませんね。
ありがとうございます。
私は、宮崎監督の近作の筋書き、演出は、千と千尋に少し不満があることを除き、むしろよくできていると思っています。
出来んのでしょうねぇ…ポニョは本当にびっくりしましたけどね。あまりの「アレ」さ加減に。最初40分は普通にストーリー展開が出来ていたのに、記事にも書いた通り正に和製版デヴィッド・リンチです。「マルホランド・ドライブ」という映画に似ていますね、ポニョの構成は。
はじめまして。コメント頂戴しありがとうございます。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(茂木氏の脱税の件で終了するとかしないとか)ですが、私はどうせ「アレ」な宮崎氏の姿を観てもなぁ…と思い見ませんでした。
>「ジブリ汗まみれ」で,押井守氏から,「ポニョ」について〜「構造(=高畑さん)のない映画を作ろうと思ったのはたしか」
までですが、非常に興味深いです。これ文化放送かなんかのラジオですよね。(あ、すみません今調べたらTOKYO=FMですね)と言うことは、寧ろ鈴木Pは制御装置として今まで上手く機能していて、今回その装置が全く働かなかったと。つまり、本当は鈴木Pは真摯で優秀だが意図せず結果としてヒール役になってしまっていると。鈴木Pも宮崎氏のある種の暴走を苦々しくも看過するしかなかった、というニュアンスにも取ることができますね。
>ともかくも,68歳の老人が,一本の映画をゼロから作りきる,というのは,もう無理
我が国も高齢化社会を迎え、アニメ監督・作家として68歳と言うのが年齢的に限界なのかそうでないのかは諸説あると思いますが、記事にも書きましたが例えば実写の監督でシドニー・ルメット監督(米)が一昨年(日本公開は09年)、「その土曜、7時58分」と言う作品を撮りました。御年83歳です。20代の監督が撮ったかのようにスタイリッシュでムダの無い緻密な演出です。実車とアニメは勿論違いますが、なんでしょうね、「絵コンテから構築」という従前の手法の部分で才能を全て放出してしまったのでしょうか。なんか「枯れ」「老い」が画面から滲みでています。仰る通り、彼の体力はもう限界なのでしょうか。
>ただ,この老監督が,他人に仕事を任せられない性質の持ち主であるという事実
「借りぐらしのアリエッティ」ですか、来年新人監督でやると聞いて遂に遅すぎる世代交代か、と思いましたが直ぐに失望に変わりました。「宮崎駿監督が企画、脚本を担当」とのことですので、つくづく仰る通りの(非常に質の悪い)性質を感じます。またぞろ魔法使いと妖精と小動物がぞろぞろと主人公につきまといながら歩く話だと思います。私も腕組しつつニヤニヤしながら来年劇場に行くことにします(笑
他の方のコメントにありますように、逆説的に言いますと千と千尋以降、「ハウル」「ポニョ」で、宮崎氏の妄想がフルスロットルで開放されていますから、「欲望に忠実」と言う意味では良く出来ていると言えば良く出来ております。ただ、まぁちょっとそのまま解放していっても厳しいでしょうね…
ありがとうございます。
たしかに,単純に年齢の問題ということではないのでしょうね。
シドニー・ルメット監督の作品,興味深いです。
ちなみに,「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」は,
podcastで無料で聞くことができます。
2008/08/12付「崖の上のポニョvsスカイクロラ」というタイトルで,
鈴木敏夫氏と押井守監督との対談が公開されていますので,
ぜひ,お聞き下さい。
追伸です。
「ジブリ汗まみれ」の2009/12/17付の回で新作について
触れられていました。
なんでも,米林監督はまだ若い(!)ので,
宮崎さんのような,イメージボードから映画を作る,
という手法をとってはダメだ,ということで,
宮崎さんが脚本を作って,きっちりとストーリーを固めてから
制作させる,という形になったようです。
ところが,その脚本はまだ完成していないとのこと。
スケジュール感からすると,
米林監督は,おそらく脚本の完成前から見切り発車をさせられ,
脚本の完成後も,しつこく宮崎さんから,口を出されるのでしょうね。。。
別な意味で見所満載という感じになりそうです。。。
ルメット監督の「その土曜、7時58分」は『老巨匠の復活』と米国でも賞賛されいるそうです。
>podcastで無料で聞くことができます。
ありがとうございます。ぜひ年末年始に聞いてみようと思います。
米林宏昌氏は企画も脚本も宮崎駿から上位下達され、一体どこに独自性を出せばよいのでしょうね。結局、ここをこうしろこう修正せよとダメ出しの連呼、米林宏昌監督作品等と言っておきながら、事実上は「宮崎駿最新作」となるに違いないと思います。多分、来年の宣伝の時期になると宮崎駿と米林氏の名前が同じフォントサイズで並び、宮崎駿氏の楽しい妄想を他の人が実行しました、というだけの作品になるのだろうと邪推してしまいます。絶対に「魔法使い」「小動物」「妖精」「老婆」この4要素が登場し、登場人物の周辺を意味もなくぞろぞろとついてまわります。杞憂に終わればよいのですが(笑