小布施の安市

三回目の見物で、ようやく「安市」は皇大神宮の「飴市」あるいは「だるま市」だけではないことが分かった。
猿田彦を先頭に御岳山の山伏の護摩法要を皇大神宮の境内で行う、神仏習合の春を呼ぶ祭りなのでした。

 ぶっかき飴・かるめ焼き等 500円均一

        だるま

 名物栗菓子三店の振る舞い 
 小布施堂の当日限定「福蒸し」

      こんな感じ

    お汁粉の振る舞い

 御岳山の山伏 埼玉や栃木方面から出張
 これがお祭りの本質

 猿田彦のしめ縄切り これで結界が開く

  お稚児さんも装束の下はダウン

ミカンや餅をまく 舟形なのに神馬と書かれている

消防団も出動 この前には町旗と商工会旗、そして町長が正装で行進

護摩壇の前でも結界を切り、いよいよ、護摩に点火

般若心経を唱える向こうには神官が

山本ぶどう園

今は上越市になってしまった(?)浦川原区の山本ぶとう園は、何軒くらいあるのでしょうか、たぶん戦後入植して苦労して作り上げたのではないかと思います。それなのに、どうも後継者がいなくなっているのでは?。 今日は、その山本ぶとう園のなかの長谷川農園でブドウを買ってきました。昨年、このぶどう農家と全く不思議な「ご縁」をいただいたのです。どの店も休みで、ここの「おばちゃん」だけ「いわね」といって売ってくれたのですが、発送伝票をみて「わだしも、そこから嫁にきたんだー」と言いつつ、発送元(私たち)の住所を見て、「娘が嫁にいってるとこだー」というのだ。よく聞けば、よく知っている人の姑さんだった。なんという「ご縁」でしょうか。というわけで、今年も、お元気かなと思いつつ行ってみたのです。ご主人が体調を悪くして、一人でやっているので、止めようかなと思いつつ、やっているのだそうな。山本ぶどう園の名産は「山本特産」というあまりにもありきたりなネーミングの品種。ところが、これが、 日本のワインの父、川上善兵衛が岩の原ぶどう園で開発したマスカットべーりーAの種なし。この品種はワイン品種なのに食べてもうまいという珍しい品種。
来年も、おいしいブドウを。


直江津祇園祭

いまさら直江津祇園でもない? なるほど、もう直江津は、し〜んとしています。また来年ね。という感じ。年々、見物が減っているために、あおるような雰囲気がなくなって、のどかな「いなかぶり」が感じられて、私としては、いい祭りになっている。民謡流しもちょっと薄暗い直江津の夜の雰囲気がいい。民謡流しの休憩時間に、待機していた屋台が一斉に帰って行くのも新しい景色。御饌米納めものどかになった。見物のための、TV撮影のための、祭りから脱却。

 
   民謡流しの合間に屋台が    

     紙吹雪も控え目

イーナちゃんバスが走る福祉?のまち

福祉というか、こういう買い物をする人しかいないというか。それでも若いお母さんが循環バスに乗り込む姿を見ると、いいまちなんでしょうね。イーナちゃんバスだって。






杖突き街道のとある蕎麦や。明治初期のお蚕さんをやっていた民家。名前の由来は、裏山の「七面さん」という石仏(?)から付けたとか。お味は、これはこれで、好み、というべきでしょうかね。

大籠キリシタン殉教の地

岩手県藤沢町登米の帰りに寄ったら岩手県だった。江戸初期にタタラ製法の製鉄を伝えた人がキリシタンで……、悲しい物語が始まる。300人を超える人たちが殉教。首が転がって川が赤くなったとか。記念館と、転げ落ちそうなな階段が300段も続いて(あまりの階段に写真を撮り忘れる)、記念堂があった。船越保武作の十字架のキリスト像が安置。



埋葬されたところにのちに「南無阿弥陀仏」の石を立てる

山の麓の記念館の踏み絵

処刑のジオラマ

登米とよま

長い旅でした。どうしても行かなければならない「用」で、はるばる登米(とめ)市の旧登米(とよま)町まで。
伊達藩直系の家柄の町で、小藩ながら立派、最近は「東北の明治村」言われるように、近代のいい建物がぎっしり残っている。一人なら、もう一日くらい、いたいところ。「あぶらふ」もいいけど田邉菓子店の水飴は昔ながらの米と麦芽で発酵させている。わが地の水飴と製法は同じながら、微妙な味わいの違い。太白飴は季節限定で買えず。

土蔵造りの醤油屋 ちょっと私にはしょっぱい

近代の街並み

尋常高等小学校 明治21年 立派

登米警察署 留置所も残る

えびたけ旅館 相当な人気 正面の上に泊る 左は旅館経営の牛タン屋


中はこんな感じ

まあ、内部が内部だけに この料理で信じられない宿代 裏が北上川で天然のウナギ その気になれば 旅気分満喫

突然 窓から見えた夕日


東京駅の屋根も葺いた「玄昌石」つまりスレートの産地。武家屋敷の塀の屋根も、案内看板の屋根も。