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ダダステーション

2013-10-17

生産性を上げないと給与が上がらないって本当ですか?

ちきりんさんがブログに書きました。

「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻

生産性を上げる以外に、給与を上げる方法はありません。」

生産性を上げる以外に、国が、企業が、家計が、より豊かになる方法もありません。」


ちきりんさん、違う。何かちょっと違うよ。

だってね。ここに普通のエアコンがあるとするでしょ。このエアコンの生産性を上げるために、省エネエアコンに替えたとするでしょ。どうなるでしょう?当然、同じ時間の利用なら電気代が安くなりますよね。「電気代=給与(人件費)」と考えると、あれあれ?上がるどころか下がってしまうんですよ・・。

えっ、意味がわからない?何を馬鹿なことを言っているのだという顔をしていますねw。

ぼくが言いたいのは生産性を上げるということは給与を上げるってことじゃなくて、コストを下げるってことじゃないか」ということです。

お前コストを下げれば、利益が上がり、結果として給与が上がるじゃないか。すぐそう反論されそうですね。うん、もっともな考え方ですね。でもね。ビジネスの世界って、そうはうまくいかないんですよ。

だって、市場があるし、ライバルがいるし。いくらコストを下げても売上を上げる方法が間違っていたら利益は上がらないんです。つまり給与も上がらないということになりますね。

じゃあ、結局のところ何が給与を上げるのでしょうかね?それは生産性ではなくて創造性じゃないかと思います。ぼくが外国で働いていたころ(働いたことないけど言ってみたかったw)、よく「クリエイティブ」とかイノベーションとか言われていたものです。

何か新しい付加価値を生み出す。わかりやすく言うとスマホがない時代にiPhoneのようなものを生み出すことですかね。それが「国が、企業が、家計が、より豊かになる方法」繋がるんじゃないかと思います。あっ、もちろんそんな新しいマーケットを作るような大きな話じゃなくても、仕事や生活の中の小さなクリエイティブでもいいと思いますよ。

ところが、ここでもう一つ面白い考察があります。この創造性というのは別に「革新的で今まで世の中になかったものを生み出さなければいけないのか?」というとそうでもないということです。

例えば、バカ暑い夏にはエアコンがなければ生活できないと人々が考えていたとします。当然、電気メーカーや電力会社はここに市場を持つわけです。けれども、このとき「暑い夏はエアコンよりステテコの方が涼しい」という考え方が生まれて、この考え方をみんなが支持したとします。「そうだよな。ステテコを履いているとエアコンいらないじゃん」ってね。そうすると、まったく新しいステテコ市場が立ち上がり、ステテコメーカーが儲かるわけです。ここでの創造性は「みんなをステテコすごいと思わせる」ということになります。つまり創造性とは別に古くてもいいわけです。見方を変えさせるということですね。

じゃあ、この創造性ってのはどうすれば生まれやすくなるのか。ぼくは生産性とまったく対極にある概念「無駄」が重要なんじゃないかと思っています。

「無駄」っていうとちょっと乱暴ですかね。違う言葉でいうと「余裕」ですね。何かをするためにいっぱいいっぱいになっていてはダメな何かですね。

ぼくも何度か経験があるんですが、効率を考えて時間やお金をギリギリで使っているときって(アイディアは生まれることはあるんですが)なかなか創造的なことを実現することは難しいんです。

やはり新しいことや新しいものの見方が自分の中で生まれ、定着して、育つためにはそれ相応な無駄な時間、だらだらとした時間が必要なじゃないかと思います。

あっ、別にちきりんさんの考え方を全て否定しているわけじゃなくて、各論ではもちろん賛成です。生産性を意識しないおっさんもいるでしょうし、それが企業の足手まといになってみんなの給与を下げているかもしれないけど、結論で言われているような「それが全て」になっちゃうと違和感があるわけです。ちきりんさんの言うところの生産性も大切だと思います。作業の効率が上がれば、残業時間は減るし、余った時間で趣味とかできるし、余った時間からクリエイティブが生まれるのかもしれませんしね。企業としてはすくなこともコストは減るわけですからハッピーですね。トヨタカンバン方式なんていうのは良い例ですから。(ちなみにうちの会社も残業時間の削減に頭を悩ましていますw)

けれども、給与が上がったり、幸せになるかはまた別の話ですね。

生物学的には「予測不可能性」という言葉があるそうです。当たり前ですけど、すべてが思い通りにいくのではなく突然予想外のことが起きるということです。例えば、アリの仲間は、この「予測不可能性」に対応するために普段からその群れの何割かは働かないそうです。つまり組織として必ず「無駄な集団」を内包しているということですね。

このことがダイレクトに僕の言うところの「創造性を生み出すための無駄」とつながるとも思いませんが、無駄を持つことの重要性を自然も意識していると考えると、ぼくらもあまり生産性ばかり追求しないほうがいいのではないかという考えも湧いてきます。

よく人生の時間を「良い時間」と「悪い時間(無駄な時間」と二元論的に語る方がいらっしゃいますが、ぼくは少なくとも人生のあらゆる時間に無駄な時間はないと思っています。
1日中くだらないスマホゲームをやって過ごしてしまっても、だらだらTwitterしてしまっても、その時間は必ず次の創造性を生み出す何かになっているはずだと思います。大切なのは新しい何かを生み出そうとする前向きな意思です。残念ながら、この意思はそこらへんにころがっているものではさそうです。じゃあこの意思はどうすれば手に入るのか、この辺りは今度書いてみたいと思います。

@ankeiy

どつぴどつぴ 2013/10/17 08:58 創造性も生産性のインプットに含まれるから生産性で問題ないんじゃないか、と考えます。

ankeiyankeiy 2013/10/17 10:39 たぶん「生産性のインプットに創造性が含まれる」というは、生産性を高めるために工夫することを指しているのですね。このエッセイではそうした生産性を高める行為を優先しすぎると、創造性によるステージの飛躍ができないのではというところを指摘しているつもりです。

demodemodattedemodemodatte 2013/10/17 17:34 ちきりんの何が社会(日本)の生産性に寄与してるんだろうと思います。そんじゃーね。

379379 2013/10/17 22:49 生産性だけではないですよね。
給与と結びつくのは、「成果」と「その成果を出すためのプロセス」だと思います。生産性はその中の一つの項目だと感じます。

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