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ダダステーション

2016-12-31

ぼくの病気と自分のために生きていることについて。

今年も残すところあと数時間あまりになりました。みなさん本年もお疲れ様でした。「さて2017年の準備でも始めましょうか」と言いたいところですが、本年中に書いておかなければならないことがありました。それは私の病気の話です。このブログも1年間ほとんど更新できなかった理由も、ややそこにありますが、そもそもブログなど書いている余裕がなかったのでありますw

ぼくも50歳を超え、病気の一つや二つは付き合いがあります。大切な友人も若くして何人か病気で失っていますし、そのたびに乾いたぞうきんを絞るような嫌な思いをしてきました。古い友人に久しぶりに会うと、自分や家族の病気や治療の話に花が咲いたりしますwそのくらい病気ってのは身近なものでありますが、元気なときはだいたい自分ごとになっていないません。自分だけは大丈夫、病気にならないと心のどこかでいつも思っているわけです。ぼくもまったくそういう人間であります。しかし、著名人の突然死のニュースじゃないですけど、ある日、突然、それは自分ごととなって自分の前に現れる。それは決して他人事ではないわけです。

まあ、病気の話なんて縁起でもないのでブログに書くようなことではないかもしれませんが、病院のベッドで寝ているときに、ネットで検索して自分の症状に近い人や治療をした人の話などを読んでいました。ネットの医療情報の信頼性がどうのこうのというニュースが話題になっていますが、いざ病気になると、治療方法とかこれからどうなるのかなんてことは医者に聞くしかないんですけど、実際に病気を体験した人の話はその人しか感じえなかった不安や希望を感じ取ることができるので大変心強いものがあります。病気ってのは心の問題がすごく大きいわけです。心の支えになるっていうのはある意味、西洋医学知識や薬なんかより元気をもらえたりするわけです。
ということで、ぼくもこれからぼくが体験した病気をこれから体験するであろういくばくかの人々のために、記録としてブログを残しておかないといけないなあと思った次第です。記録的な意味もあるので事実の記載に文字数をさいたのでいつもよりとんでもなく長文ですw

2016年ぼくの病気」事件は、どうも体調がよくないので2016年4月9日に近所のかかりつけの内科で受けた血液検査から始まります。結果を聞きに病院を訪れると、いつもニコニコしている先生が真顔で「柳澤さん、どこ行っていたんですか?」「電話しても全然つながらないから心配していたんですよ」と。「え、電話したんですか、、、」その病院に登録してあった電話番号はもう使ってない電話だったんでそもそもつながるはずないですけど、これはただ事じゃないないと思いました。案の定、検査結果は肝臓の数値が軒並み高く、先生は肝臓の異常を心配してできるだけ早く再検査を受けたほうがいいということをとにかくぼくに伝えたかったようです。

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<4月9日の肝臓の数値>

特に医者が気にしたいたのはCPKという筋肉の破壊を示す数値が高いところです。この筋肉の破壊の数値が高い理由は2つです。ひとつは筋トレなどの激しい運動で筋肉が破壊される場合ですが、もうひとつは筋トレ以外の何らかの理由で筋肉が破壊されているということです。筋トレの直後だとこの数値は当然高くなるわけですが、ぼくが最後に運動をしたのはもう1週間も前。体調が悪くて血液検査を受けているわけですし、他の数値も正常値を超えていることを考えると、筋肉でなんらかの異常が起きていることを疑いたくなるわけです。そもそも、ここ何週間か体調が優れない理由に「手の指がこわばり」というのがありました。あと、身体がぎくしゃくして柔軟性がなく、それがなんとなくしんどいんわけです。この症状を改善するために3月はトレーナーについてストレッチをしたりしたんですが、まったく効果なく逆に身体のますますぎくしゃくするようになっているという説明を先生にはしているわけです。

この身体のこわばりとダルさは5年ほど前に一時期もあり、その時はリュウマチも疑い検査をしたんですが、特に問題なく、パソコンとスマホをやりすぎると疲労がたまってこんなことになるのかなあ、自律神経がおかしいのかなあくらいに思っていました。

肝臓の数値が悪いことで、かかりつけの医者がまず疑ったのは「膠原病」でした。膠原病、いまこの瞬間もこの病気で苦しまれている方が多数いらっしゃると思いますが、膠原病そのものは病名というよりも自己免疫疾患の難病全体を示すような病態で、難治性の症状も多く、病気との付き合いに相当苦労するような病気です。そこで、ぼくはかかりつけの医者に駒沢公園横にある東京医療センターへの紹介状を書いてもらい、まずは膠原病の詳しい検査を受けることにしました。

4月の中旬、新緑がまぶしい春の日差しがいっぱいの中、重くてだるい身体をひきずってやっとのおもいでタクシーで東京医療センターまでたどり着き検査や診察を待っていたんですが、その時すでに椅子に座っていることが辛くてできず、長椅子に横になるような状態でした。春先ですから気温もさほど高くなく病院内はまだ暖房が入ったりしているんですが、とにかく寒くて仕方がなくて、体調がどんどん悪くなっているような気がして、すごく恐ろしい気持ちに取り囲まれ始めていました。

検査の結果は、幸いにも膠原病ではなさそうだというものでした。内臓の検査も血液、エコーなどで見る限り、特に腫瘍とか肝炎とか緊急性の高い病巣はないという結論でした。内科の医者は、しばらく休めば数値は改善するんじゃないかというような見立てでした。

結果を聞いて安心すると同時に「じゃあこの具合悪さはなんなんだああ」という不安がめりめりと頭をもたげてきました。そしてその晩あたりから次第に夜もよく眠れなくなります。眠りに落ちそうになると身体全体がこわばり、そう、疲れて足がつるような状態になり、痛くて目が覚めてしまうのです。こうなると夜が怖いです。夜も眠れないばかりか、次第に昼寝もできないようになってきます。寝ることが怖いというのは恐ろしいもので、このままじゃ死ぬんじゃないかという恐怖すら頭をもたげてきます。

こんな中で、ネットを検索しながら自分の症状と同じ病気を調べていくと、これは筋肉の病気ではないかというように思うようになりました。筋ジストロフィーとかで知られるミオパチーではないかと疑い始めたわけです。

不幸中の幸いで友人に筋肉系の難病と戦っている男がいまして、その友人に電話をして状況を説明し、脳神経内科の先生を紹介をしてもらうことにしました。国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター (NCNP)のO先生です。

自宅から車で2時間近くかかる場所にあるんですが、ここは藁をもすがるつもりでタクシーに乗り込み、紹介してもらったO先生のところをたずねます。待合室で寒さと痛さとだるさに耐えながら長椅子に横たわってまっていると、O先生のもとには、筋肉の難病の患者さんが次々に訪れます。そういう人々を見ながら「ああ俺もこういう病気なのかもしれないなあ」と考えると絶望感に打ちのめされるのですが、具合悪さがそうした感情より勝っているので、なんとかこの苦痛を止めてくれ、そのあとのことはそのあとで考えようというくらいつらい時間をすごすわけです。

血液検査をしたり、肺活量の検査をしたり、やっと診察の時間になります。O先生の見立てでは、症状は確かに近いものあるけど、筋肉系の病気にも思えないという感じでした。うーん。これは単に疲労から肝臓が疲れて、身体全体が調子悪くなっているのかなあ、と都合よく考えて帰宅するのですが、その日からも体調は下り坂を転がるように悪くなります。そして目の前にはゴールデンウィークが迫ってくるわけです。気温が上がり頬にあたる風がやさしくなればなるほど、ぼくの皮膚の裏側は苦痛を蓄積していくような感じでした。

そこでゴールデンウィーク直前に一縷の望みをかけて、もういちど精神・神経医療研究センターのO先生を訪ねます。もし数値が改善傾向なら、辛さも我慢すればいつの日か元にもどるわけですから。そうした淡い期待をもって血液検査をします。しかし、結果はよくなるどころか、さらに悪化しているわけです。かれこれ20日間くらい苦しんでいます。これは間違いなく原因不明の難病です。とにかく先生ともっと話したい、何んでもいいから原因の糸口をつかみたい。O先生も翌日からゴールデンウィークで病院が機能しなくなるので、ネットを使っていろいろ一緒に調べてくれます。病院の診察時間はもうとっくに過ぎているというのにです。そんなとき、ぼくがぽろっと言います。

「先生、私、下垂体腺腫があるんですよ」

先生の目の色が変わります。「うーん、何でもっとはやく言わないの」「それが原因かもしれないよ」と。ということで、下垂体腺腫と肝臓の数値についての他の医療機関のデータとかをネットで調べてくれたりするのです。

下垂体腺腫とは、脳の中心付近にある下垂体という部位に良性の腫瘍ができる病気で、まあ、わかりやすく言ちゃえば脳腫瘍一種なんですが、この下垂体というほんとに小さな小さな「のどチンコ」(失礼w)のようなものが、身体中のホルモンをコントロールするという極めて重要な仕事をしていて、車で例えるならオイル系統の司令塔のようなもので、ここの調整がうまくいかないと、いずれ部品がぶつかり合い、摩耗して動かなくなってしまうような。そんな機能をつかさどっているわけです。

下垂体下垂体そのものが個体として仕事をしているわけではなく、下垂体にある細胞が個々にそれぞれの細胞が持つ固有の能力を発揮しているという複雑さで、その腫瘍のできる部位によって、それぞれ症状が違うわけです。って意味わかりますか?w。例えば成長ホルモンをつかさどる細胞部分が腫瘍とともに肥大すると、成長ホルモンの分泌が多すぎて、手や足が巨大になってしまう。末端肥大がおきたりするわけです。ジャイアント馬場さんはこの病気だったといわれています。逆に腫瘍に圧迫されて思うように成長ホルモンが出なければ、身体が小さく成長できなくなります。男性ホルモン細胞がやられていれば、当然男性機能がダメになるというような具合です。

この下垂体腺腫は、この「2016年ぼくの病気」事件から、さらにさかのぼること1年2か月前、2015年2月に偶然発見されました。土曜日の朝、ソファーで新聞を読んでいると突然ぐるぐると目の前が回り始めて、横になって目を閉じてもぐるぐるが止まらず、これはおかしいということで近所の脳神経外科を訪ねたわけです。MRI撮影をして、診察室に入ると「柳澤さん、めまいは耳からきているから大したことないけど、目の調子おかしくない?上の方が見づらいとか?」と先生が言います。「はあ?特に」「あなた、脳のここんとこに腫瘍ができているのよ」といってMRIの画像を先生がさします。「がーん、脳腫瘍かあ」。ぼくらの世代といえば「脳腫瘍=死」これは赤い糸シリーズで築き上げられたステレオタイプなわけです。「・・・・・・」とぼくが動揺していると、先生が「まあ、ここはまずほとんど良性だから、死ぬことないから心配しなくていいよ。ただ、あなたの腫瘍はかなり大きくて視神経にくついているから、視覚障害がおきていても不思議はないんだよな」「最近、脳ドックで発見される人多いんだよね」とか言われたわけです。心配するなと言われても心配しますよ、なんてったって山口百恵世代なんですからw


そこでこの脳神経外科の先生から下垂体腺腫では日本で一番症例を持っているという虎ノ門病院の間脳下垂体科に紹介状を書いてもらいすぐに診察に行きました。またMRI撮影をし、ホルモンなどの検査をしました。虎ノ門病院の先生の所見はこういうものでした。

下垂体に17ミリほどの腫瘍があり、視神経に接触しそう、もしくはしている。ホルモン検査の結果は、成長ホルモンが通常の3割ほどしか出ていない。しかし、他のホルモンは正常値にあると思われる。

ぼくの選択肢は2つありました。

1.思い切ってこの腫瘍を外科手術でとってしまう。
2.目に不調が出るとか、体調不良がない限り経過観察

1を選ぶこともできますが、手術は手術そのもののリスクがありますし、手術で腫瘍を切除したことで、現在特に問題がない状態を逆に悪くしていまうリスクもあるわけですし、そもそも腫瘍がどんなスピードで成長してきたのかわからないわけですから、これ以上大きくならないかもしれないし、逆に小さくなる可能性だってゼロじゃないのでぼくは迷わず経過観察を選びました。問題がない限り半年から1年に1回MRIで撮影をし腫瘍のサイズを確認し、成長ホルモンの数値をチェックするという道を選んだのでした。

ということで再び話を2016年4月28日に戻します。うーん長いw。精神・神経医療研究センターのO先生は、この下垂体腺腫が肝臓の数値を悪化させている可能性があるというのです。しかし、ここまでぼくがなぜ下垂体腺腫を原因として疑わなかったかというには理由があります。というのも下垂体腺腫が発見されてから8か月後くらいに、再びめまいがまたしたことがあり、同じ近所の脳神経外科を訪ねてMRI撮影をしたのですが、そのときの所見では腫瘍はまったく大きくなっていなかったわけです。そのとき「これ以上、腫瘍は大きくならないかもしれない。ラッキー!」と思ったわけです。それにぼくの腫瘍は視神経に接触するようなサイズです、仮に腫瘍が大きくなればまず目に症状がでるはずだと思い込んでいました。つまり肝臓の数値が悪化したこと=具合悪いこと=下垂体腺腫が悪さをしているという発想には、目に症状が出ていないためまったく至らなかったのです。後から考えてみれば、下垂体ホルモンをコントロールしているわけですからホルモン調整がおかしくなれば身体がおかしくなるって当たり前のことなんですが、目がおかしくなる方が先だという先入感から下垂体との関係を疑うことをやめてしまっていたんですね。それにこの話は東京医療センターの膠原病科の先生には説明していたんですが、その関連性について特に言及されなかったので、すっかり下垂体は今回の病気の蚊帳の外においてしまったたわけです。今から考えると馬鹿な話ですが病気の時とはこんなものかもしれませんね。

というわけで下垂体腺腫が原因かもしれないと確信したのが4月28日の夜なんですが、翌日からGWが始まってしまいます。しかも翌29日はとにか今までにないくらい具合が悪くなり、すでにじっとしていられないような状態に陥ります。そこでタクシーで虎ノ門病院の救急に行くのですが、血液を採取して、問診しただけで、急患担当の医者は「今日は我々では何もできません」の一点張りです。「GW明けにもう一度来てください」なんて悠長なことを言われるんですが、こっちはとにかく苦しいわけですから、「何とかこの苦しみに効く薬とか何か打ってください!」という感じなんですが、この人たちは役に立たないということ絶望のまま帰宅します。

家で苦しさのためのたうち回りながら、そうだ最初に下垂体腺腫を見つけてくれた近所の病院に行ってみよう思いつきます。(もっと早く思いつけよですけどねwそれが病気です)タクシーでやっとのおもいで病院にたどり着いて、最後の力を振り絞ってMRIに入り、診察を受けると、先生は「ああ、腫瘍が一回り大きくなってるね。これが辛さの原因だと思うよ」って軽くおっしゃるわけです。「ホルモン異常だよ。これは。よく今まで我慢してたね。これ辛いんだよなあ」って。「つらいです」早く教えてくださいよw先生ー!先生のところにまず来ればよかったwと後の祭りですね。そして「とりあえず入院してください。GW明けに虎ノ門に転院すればいいから」ということになりました。

近所の脳神経外科に入院してまずはステロイド(副腎皮質ホルモン)の点滴してもらったら、やっと身体の痛みがとれて楽になって一息ついたんですが、MRIの画像にはもう一つの懸念があって、それは抗利尿ホルモンにも異常があるんじゃないかという点でした。おしっこの回数なんかを管理しているホルモンなんですが、これも下垂体にあるんですよね。ここがダメージを受けていると尿崩症といっておしっこダダ漏れで脱水症状になる危険もあるということで、その日から尿量を図るようになりました。トイレに行くたびにしびんにおしっこして、軽量瓶に入れるわけです。これが案外精神的にも大変で、脱水症になるといけないからたくさん水分をとると、尿が余計にでるということの繰り返しで。まあ、とにかく点滴と薬でなんとかGWを乗り切ることができたわけです。治療機能が低下する連休というのは病人にとっては本当に大変です。

GWが終わると、さっそく虎の病院に行って、入院の手続きです。入院先は内分泌代謝科です。ここでどんなホルモン異常が発生しているのかを正確に把握して、その後の対処を決めるということになります。検査の結果は副腎皮質刺激ホルモンがほとんど出ていないとか甲状腺刺激ホルモンが半分くらいになっているとか、成長ホルモン、男性ホルモンもかなり数値が下がっているとか散散の結果でした。特に副腎皮質刺激ホルモンは副腎ホルモンをコントロールしていて、この機能を失うとショック状態に耐性がなくなり、場合によっては死に至るという恐ろしい状況です。尿崩症の可能性もあるので相変わらず尿の量も図り続けます。ということでついた病名が「下垂体前葉機能低下症」です。この病気は特定医療費支給が受けられる難病指定を受けていて、要はこの病気になる人はあまりいないということです。下垂体外科の先生たちも下垂体の上部にある視神経を圧迫することで問題が発覚するケースは多いが、前葉の機能が低下することは少ないし、あなたの画像から機能が低下しているようには見えないというお話しをされていて、とはいえ、実際ホルモン分泌の数値が悪いわけですから10万人に何人という難病なわけです。


ここで私にはまた選択肢が発生します。

1.薬を服用しながら下垂体腺腫としばらく付き合う。
2.手術で切除する。

これだけ具合悪くなったわけですから1の選択肢はないような気もするんですが、この病気はしっかりと薬があるんですよね。副腎皮質ホルモンステロイドという有名な薬で補えますし、甲状腺ホルモンも良い薬があります。つまり薬を飲んで生活するということも十分考えられるわけです。実際、副腎機能不全や甲状腺の機能を失ってしまっている方も、この薬でほぼ支障なく日常生活を営んでおられる多数おられます。しかも、仮に手術をした場合も、必ず機能が回復するいうことではなく、機能が戻らないケースも多いわけです。つまり下垂体細胞腫瘍に押しつぶされてすでに死んでしまっている細胞回復しようがないということもありうるわけです。でも、ぼくとしてはあの苦しさを体験しているわけで。できることならもう腫瘍と生活を共にするのは御免だという気持ちに当然なっています。それにわずは数か月の間に腫瘍が大きくなったわけですから、放置するとまたいつ腫瘍が大きくなって、いまはまだ無事な機能すら奪われる可能性も否定できないわけです。

「1日でも早く手術で切除してください!」

というのがぼくの最終結論です。ところがです。虎ノ門病院の脳間下垂体外科は全国でも1,2を争う下垂体腺腫の手術を抱えている機関なわけですから、手術のスケジュールはすでにびっちり埋まっているわけです。順番待ちなんですよね。いつ手術してもらえるかわからないわけです。そこでぼくは「急激に症状が悪化したということは、腫瘍が急激に成長しているということなので、1日も早く切除しないとどんどん悪くなる緊急性があるはず」というロジックで、内分泌科の先生方にとにかく外科の先生に1日でも早い手術をお願いしてもらうという作戦で、とにかくお願いしましたwそのがんばりあってか、運が良かったのか、入院から2週間後の5月23日に手術ということなりました。


下垂体腺腫の手術というのは、昔は開頭手術が一般的だったようですが、ここ数十年は鼻の穴から内視鏡を入れて切除するという方法が中心になっているようです。もちろん部位や状況によっていろいろなアプローチがあるわけですが、ぼくの場合はこの鼻孔からの手術が選択されました。といっても、鼻の中を切り開き下垂体につながる間にある頭の骨を砕き、その先の下垂体にある腫瘍を切除するわけですから大変な手術です。下垂体の周辺には大きな動脈や視神経があるわけですから間違ってそこを傷つけてしまうと大変なことになります。それからこれはよくあるケースなのですが、視神経や血管を傷つけないために腫瘍を取り残すしてしまうと、再びその腫瘍が成長をはじめ何度も手術をしなければいけくなるというケースもあります。

余談ですが、先日のドクターXでまったく同じアプローチで手術しているシーンがあって「ああこれは神の手が必要な手術なんだよね」とあらためて思いました。

(うー。ちょっとこのコラム長すぎますね。かれこれ2時間くらい入力してます。クラウドソーシングなら相当稼げてるんじゃないでしょうかw)

虎ノ門病院に入院中にある別の事件が起きます。それが名付けて「トラトラ事件」です。自宅の隣の家との境の部分に野良猫が子猫を産み落としたのです。なんとその数5匹。しかも5匹ともキジ「トラ」、ぼくがトラの門病院に入院している最中にトラ猫が突然現れたのです。なんだか不思議な話ですよね。まずは母親を確保して去勢をしようという獣医さんのアドバイスで家族がトラップを仕掛けたんですが、残念ながら、子猫がかかってしまい、警戒した母親が子供たちを連れて行ってしまい、結局2匹しか確保できませんでした。もし、ぼくが入院中じゃなければ5匹確保できたのにと悔やまれる出来事でしたが、その2匹はいまも我が家で元気に暮らしています。
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<トラトラ事件の子猫たち>

手術の前は、とにかくいろいろ検査したり、いざという時の輸血用の血液を自採血したり、リスクを免責する様々な書類にサインしたりと、病人なんですが、具合が悪くなるようなことを次々にこなさなければなりません。けれど、ぼくが入院していた内分泌科では、ぼくよりはるかに重い症状の患者さんがたくさん入院していて、そういう人たち比べれば、手術をすれば治る可能性がある病気なのだからと、前向きに考えられるほどには精神状態は安定していました。病院では検査以外はとくにやることないですから、昼間はTVを見たりして気を紛らわすわけです。ちょうどそのとき舛添知事問題で大騒ぎしてましたから、ちょっとした舛添さんのことなら何でも僕に聞いてください詳しいよ状態になっていましたw

まあ、そんな感じで手術当日を迎えるわけですが、全身麻酔で手術を受けるなんてのは初めての体験で、もちろん、緊張感あるんですが、印象はTVドラマで見る感じそのもので、室内はとても寒くて、ただ手術台には暖房が入っていて、背中からあたたくて、そのまま麻酔ですーと寝りに落ちます。手術時間は3時間半くらいでしょうか。といっても、本人は寝ているのですからまったく記憶がありません。意識がしっかりするのは、そのあとICUに運ばれてからです。何か緊急事態がないとも限らないのでICUで過ごすわけですが、意識がはっきりすると、とにかく息苦しい。鼻に詰め物がされているわけです。看護師さんが口で呼吸してくださいというのだけれど、口だけで呼吸しようと意識すればするほど苦しい。そう、水泳していて溺れそうになるような苦しさなんですよね。
ぼくはジョギングが生活の一部になってしているし、マラソンなんかも出たことあるんで、どちらかというと鼻呼吸を意識して口で呼吸をしないように生きてきたような男なので、口だけで息をしろと言われると余計に苦しいわけです。麻酔が切れてくると鼻から頭のあたりがじわじわと痛くなってくるし、鼻から血が出てきそうになるので、ときどき看護師さんに鼻につけた脱脂綿変えてもらうんですけどね。最初担当してくれた太っちょの看護師さんはすごく優し人で天使のように思いましたが、深夜に担当した看護師さんはなんか冷たい感じで、ああ、ぼくはやっぱり太った人がすきだなあとか思ったりしたものです。ICUはいろんな機材をつけた緊急性の高い患者さんばかりいるわけですから、一晩中騒がしくほとんど眠れないまま過ごしました。

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<ぼくの下垂体腺腫:上部が術前、下部が術後のMRI画像、腫瘍がきれいなくなった>

翌朝には車椅子に乗せられて自分の病室に戻ることができました。相変わらずの口呼吸ですが、手術が無事終わったという安心感で、ちゃんと生きていることを実感しながら、ただただこの鼻の痛みと息苦しさが去ってくれるのをベッドで身体を丸めながら待ちました。術後3日目くらいに突然執刀医の先生が病室来られて、調子はどう?と聞くなりに鼻の詰め物を一気にピンセットで抜いていきました。この詰め物がいつとられるのか、きっと痛いだろうなとか想像していたので、あまりにもあっけなくてびっくりしました。詰め物を取ってもまだまだ鼻は詰まっているんですが、それからは鼻洗浄液でただただ毎日、鼻の中を何回も洗いました。次第に膿が取れて空気が通るようになってきて。少しずつですが、それはうれしいですね。一方で相変わらず尿の量を計測し続けるていたんですが、やっぱり量が多くて、刺激を与えるので術後一時的に量が増えるという説明は受けているんですが、やっぱり尿崩症になっちゃうとこれはまた抗利尿ホルモンの薬を飲まなきゃいけないのでいろいろと面倒な心配も残っていたわけです。


手術後の経過も順調だったので、1週間後くらいにはいよいよホルモンの状態がどう変化しているかの検査を受けることになります。ところがそのころにはホルモンの数値が改善していることをなぜか確信していました。というのも、ベッドで明け方、目が覚める直前にこんな夢をみました。ぼくはタクシーに乗っているんですが、運転手さんが「お客さんつきましたよ」とぼくに言った瞬間、フロントガラスの向こうから黄色い暖かい光がぼくに向けてパーっと差し込んできて、思わず「うおおおお」と声をあげるような夢なんですが、この夢から目覚めた瞬間「ああぼくは回復している」となぜか実感できました。その予想どおり、検査の結果は数値が大幅に改善していて、成長ホルモン以外は正常値に戻っていました。おかげでその翌日から薬を全部やめることができました。

こうして2016年6月上旬、1か月と10日あまりにわたる入院生活に終止符をうつことができて、無事退院することができました。しかも、一時は一生薬を飲む生活もやむなしだった可能性も高かったのに、まったく薬が必要のない身体に戻っていて非常に運がよかったと思います。執刀していただいた先生によると腫瘍もきれいに取れたとのことで、その後の腫瘍そのものの病理検査でも特に悪いものはなく普通の腫瘍だったとのことで安心しました。肝臓の数値もみるみる元に戻り、またお酒が飲める状態に戻りました。しかし約2か月の禁酒はぼくの飲酒史上最大の空白であり、ぼくはお酒なしでも生きていけるのだという自信が持てましたw


しかし、病気というのは、恐ろしいもので、それまで何もなく明日も今日も延長線上にあるのだろうという考え方を、わずかな時間で覆してしまいます。ぼくの脳腫瘍が良性じゃなくて悪性だったらもうぼくはこの世に存在していないかもしれないですしね。もしぼくが筋ジストロフィーだったら今ごろ運動する喜びを失っていたかもしれません。自分は健康だと思いたい気持ちは自分でもよくわかるんですが、こんなのほんのわずかな確率の問題でどっちにころぶかなんてほんと神様しかわからないです。それが証拠に何万人に一人という難病に簡単にかかってしまったぼくがいるわけですから。

病気になるとあらゆる思考がマイナスに回転します。ブログなんて書こうなんて気持ちにまったくなれないし、ツイッターなんてもってのほかです。元気な人と話をすることもいやなりますし、元気な人たちの姿を見るのも湯鬱なものです。将来の目標や希望のようなものが一気に見えづらくなるわけですね。1日1日をどう生きるかということで精いっぱいですし、痛みがあればそれすらも考えられないわけです。しかし、悪いことばかりではありません。普段はまったく気にも留めなかった病気側にいる人たちの気持ちが痛いほどわかるようになります。どうやってこの苦しみから抜け出すかということを必死に考えると自分がいまやらなきゃいけないことの順番も次第に明確になってきます。もし平穏な暮らしの中にいたらそんなこと考えないであろう思考状態にたどり着くわけです。周りの反応にもいろいろ発見があります。普段はぼくのことになんかまったく関心を示さない息子たちが、すごく心配してくれて、いろいろ手伝ってくれたりして、家族のありがたみというの痛いほど感じることができました。


この年末に、今もこの瞬間も病気で苦しんでいる人が世の中にたくさんいると思います。ぼくたち健康な人間がそういう人たちに思いを寄せるというのはすごく大切なことだと思いますが、そういう人たちの気持ちを感じとろう、共感しようということより、自分が病気になったことで、もっともっと大切なことがあると感じるようになりました。それは「自分の残りの人生をしっかりと自分のために生きること」という感覚です。

人間はいつか必ず絶対死にます。今日の延長線上に明日があるわけではなく明日はたまたま運よくやってくるんだと思います。だからこそ今日をしっかりと自分のために生きることがかけがえもなく大切なのだと思います。少しくらい傲慢な奴だと思われてもいいと思います。わがままな奴でも自分のためにがんばっていたらいいんじゃないでしょうか。「自分のために今日を生きた」といえるような生き方の奴にはどんな優しい人もかなわない気がします。

病気の記録といいますか、同じ病気で悩む人が年間で1000人くらいはいそうなので、その人たちの少しでも気持ちの上で参考になればと思い、長文を年末にまとめました。そろそろ年が変わってしまいそうなのでこれで終わりにします。「いま病気で苦しむ人にも来年は希望の光が差しますように!」「2017年も自分のためにしっかり生きられますように!」という願いをこめて。


@ankeiy

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