性ホルモンと性同一性障害

針間克己:性ホルモンと性同一性障害.
専門医のための精神科臨床リュミエール 16 脳科学エッセンシャル−精神疾患の生物学的理解のために,
P239-240 中山書店 2010


性ホルモンと性同一性障害
1. 性ホルモンとジェンダーアイデンティティ
性同一性障害とは、自己の性自認であるジェンダーアイデンティティと、身体的性別が一致しないために苦痛や障害を引き起こしている疾患である。ジェンダーアイデンティティがいかに形成されるかについては、「natureかnurtureか」、すなわち生物学的要因論と心理・社会的要因論の間で論争されてきた。かつては養育環境によるとする心理・社会的要因論が主たるものであったが、症例や知見の積み重ねにより、近年では性ホルモンの性差などの生物学的要因も、ジェンダーアイデンティティ形成に一定の役割を果たすと考えられている。例えば、Moneyが心理・社会的要因論の根拠とした代表的症例に対して行った追跡調査がある。これは、ジョンという男児が生後7ヶ月でペニスを事故で失い、女性としての外性器手術を受け、女児ジョアンとして育てられ、Moneyが「ジョアンは自己の性別を女性として認知し、女性として育った」と報告した症例を、Diamondら1)が追跡調査を行ったものである。それによると、ジョアンは自分が女性であることに違和感を持ち、男性としての性同一性を確立し、ペニスの再建手術を受け、男性として結婚し、妻と性交をし、父親として養子を育て、生きていたという。また、性染色体はXYだが男性ホルモン異常である5α還元酵素欠損によって、誕生時よりその外見から、女性として育てられたインターセックス児18名のうち16名が思春期以降にジェンダーアイデンティティが女性から男性に変わったという報告をImperato-Mcginley2)がしており、7名中4名という同様の報告をMendez3)がしている。
2. 性ホルモンと性同一性障害
性同一性障害は、身体的性別とは反対のジェンダーアイデンティティを持つため、そのジェンダーアイデンティティ形成には、何らかの生物学的異常が基盤にあるのではないかと推測され研究がおこなわれてきた。その中で1995年Zhouら4)が、MTF(身体的性別が男性でジェンダーアイデンティティが女性の性同一性障害者)の死後脳を調査し分界条床核の体積について報告した。分界条床核は性行動に関係が深いとされる神経細胞群であり、男性のものは、女性のものに対して優位に大きい。研究は男性、女性、同性愛男性、MTFの分界条床核の体積を測定し、比較したものだが、MTFでは男性より優位に小さく、女性とほぼ等しいものであった。
性ホルモンに関しては、特定の性ホルモンの過剰や欠如といった量的異常はこれまでに明確には示されはいないが、近年、性ホルモンに関する遺伝子の研究がなされている。すなわち、遺伝子配列の塩基ポリモルフィズム(SNP)に着眼しての研究である。Hareら5)によれば、男性の性同一性生障害者では、対照群の男性と比較して、アンドロゲン受容体遺伝子における塩基ポリモルフィズムが長いことが示された。塩基ポリモルフィズムの長さは、アンドロゲン受容体の感受性に関連していると考えられるため、この研究において、男性性同一性障害者ではアンドロゲンへの感受性が低い可能性が示唆された。
3. 治療薬としての性ホルモン
性同一性障害におけるホルモン治療においては、ジェンダーアイデンティティに一致する、望みの性別の身体に近づくために性ホルモンが投与される。
女性から男性へと性別移行を望む者には男性ホルモンが投与される。具体的にはデポ剤であるエナント酸テストステロン125mgないしは250mgの筋注が2~4週ごとに行われる。効果としては、ひげや体毛の増加、体型の筋肉質化、声の低音化、月経の停止、陰核の肥大などが起こる。
男性から女性への性別移行を望む者には、エストロゲン剤の投与が行われる。さらに、抗アンドロゲン剤の投与も追加される場合もある。また、プロゲステロン剤の使用の是非には議論があるが、性同一性障害者自らが望み、投与されることもある。エストロゲン剤には、経口薬、貼付薬、塗布剤、注射薬という多様な選択がある。経口薬は、最近の海外文献6)では17βエストラジオールの使用が推奨されているが、日本では結合型エストロゲンや、エチニルエストラジオールが使用されることも多い。エストロゲン剤の効果としては、乳房の発育、女性的な体型化、皮膚の変化、性欲低下、勃起の減少などがある。我が国ではホルモン療法には保険適用はされない一方で、インターネットの個人輸入で容易にエストロゲン経口薬が入手できることもあり、血栓症のリスクが高いと指摘されている、エチニルエストラジオールを自己判断で多量に服用するケースなどもあり、安全性が危惧される現状がある。

引用文献
1)Diamond M..Sex Reassignment at Birth:Long term Review and Clinical Implications, Archives of Pedeatrics and Adolescence Medicine1997;151:298-304.
2)Imperato-Mcginley J..Androgens and the evolution of male gender identity among male pseudohermaphrodites with 5 alpha-reductase deficiency, New England Journal of Medicine1979;300:1233-1237.
3)Mendez JP. Male pseudohermaphrodites due to primary 5 alpha-reductase deficiency: variation in gender identity reversal in seven Mexican patients from five different pedigrees, Journal of Endocrinological Investigations 1995;18:205-213.
4)Zhou JN. A sex difference in the human brain and its relation to transsexuality, Nature 1995;378:68-71.
5)Hare L. Androgen Receptor Repeat Length Polymorphism Associated with Male-to-Female Transsexualism, Biol Psychiatry 2009; 65(1):93-96
6)Hembree WC et al. Endocrine treatment of transsexual persons: an Endocrine Society clinical practice guideline, J Clin Endocrinol Metab 2009 ;94(9):3132-3154.

脳科学エッセンシャル 精神疾患の生物学的理解のために (専門医のための精神科臨床リュミエール)

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