夢:二人の女性によるリストのピアノ連弾演奏:太母・大地母神・女神

夢:二人の女性によるリストのピアノ連弾演奏:太母・大地母神・女神崇拝・秘儀・コスモス・イデア


テーマ:神話学・不思議学・フォークロアケルト


睡眠不足で、少し数時間眠ってしまったが、はっきりした夢を見たので、備忘のため記しておきたい。

思えば前段があったと思うが、それは憶えていない。なにかのきっかけで、ピアノの演奏会、それも、プロの演奏会ではなく、学校の余興のような演奏会であった。

二人の女性が連弾で、リストの曲を引いた。一人は、同僚であり、一人は、ほっそりとした、知り合いのような女性である。

演奏の最初は、すこし遠慮がちであったが、興にのっていき、私は、ピアノの鍵盤が見える斜め右後ろから二人の演奏を見ていた。彼らの反対側に聴き手の学生がいて、演奏者のパフォーマンスの活き活きとした姿が目に見えないのが、残念であると思った。

私は、そのすばらしさに堪能して、演奏後、二人に感動したことを伝えた。リストは、ハンガリー人で、やはり、そのすばらしさには、アジアの血があるのだというように考えようとする自分がいた。

そう、忘れていたが、二人の演奏の前に、ただ、ペダルを踏むだけで、ベートーヴェンの『熱情』(p.s. 考えれば、これは、血=太陽を意味しよう。)を演奏できるようになっていて、それを、男性(私が好きではない男性である)が弾いたが、ややぎこちないが、ちゃんとした演奏になった。(p.s. ペダルだけで演奏するというのは、パイプ・オルガンを連想させる。私にとってパイプ・オルガンはバッハ音楽以外の何ものでもない。バッハは、やはり、ハンガリーの血と関係があるのである。)

また、その後で、二人の演奏の前に、同僚の人が、一人が女性であり、奈良(伊賀出身であるというので三重県出身であるし、また、大阪に実家があるようなことを言っていたと思う。伊賀は芭蕉と関係する。芭蕉はノマッドである。)の人で、教育関係の人ともう一人の人が、それなりにうまく演奏した。何の曲かわからなかった。

わたしは自分が演奏できないのを残念に思った。

先のリストの演奏の後、通知の手紙の紙を誰か知り合いの女性がもっていて、それは、中国語と日本語の混淆で書かれていたように思う。その文字を私も見る。

連取銀とか書かれていた(二朱銀のことなのか? それとも丹=水銀のことなのか。そう、正確に言えば、不連取銀というような漢字で、不の文字があったように思う。)。それは、外国の女性で、以前、この学校に非常勤で勤めていた人であるが、私は全然記憶がなかった。

同僚の男性(彼には、これまで伝えたかったが直接言えなかったことを、つい最近メールで伝えた)が、その人は、数年前崖から投身自殺した女性で、彼がその現場に行ったことを述べた。

私はぼんやりとした記憶しかなかったが、そういえば、そんなことがあったと、口を合わせた。

その手紙には、「私の国は、一時景気はよかったが、その後、不景気になった」というようなことが、中国語のような漢字だけの文で書かれていた。

(思えば、夕方テレビで相撲を見て、今更ながら、モンゴル出身の力士が多いことに驚いたのであった[モンゴル人は遊牧民・ノマッドである]。考えて見ると、矛盾していて、同僚の男性は、それが女性であると言いながら、文面の本人は、外国の男性ということになったのである。そうすると、この手紙を書いた本人は、両性具有を意味しそうである。すると、これは、老賢者-太母のシンボルかもしれない。)

今、思うと、この夢の前に、知り合いの女性のことを想起したように思う。彼女は、以前、非常勤でここに勤めていたのである。思えば、彼女と私の先輩に当たる女性が数年前に亡くなったのである。この逝去と投身自殺の女性が結びつくのかもしれない。これは、夢というよりは、目覚めつつあった意識の中で感じたことかもしれない。
 
とまれ、はっきりしているのは、以上で述べたリストのピアノ連弾の二人の女性の名演奏であった。演奏とともに、その演奏する姿がダイナミックであり、とてもすばらしかったことである。

p.s. 考えてみると、二人の女性とは、英語のwikipediaのエレウシスの秘儀の図像の母デーメーテールデメテル)と娘のコレーのことを意味しているのかもしれない。前者は、大地母神であり、娘は死んではよみがえる魂を意味しているだろう。つまり、霊魂である。

そうすると、リストというのは、アジアの関係で、古代ギリシアと古代日本のこととそのつながりのことを意味しているのかもしれない。そして、連弾のすばらしい演奏とは、弁財天の妙音を意味するのかもしれない。これは、また、西洋文化では、コスモスの調和する音楽のことではないだろうか。そう、ロレンス関係で言えば、太陽と月との調和するコスモスの妙音のことになるだろう。そう、また、聖霊を意味するとも言えよう。(p.s. 弁財天の妙音とは、『法華経』の観自在菩薩即ち、観音菩薩を想起する。)

二人の女性であること、連弾ということ、すばらしいダイナミックな、しかし優美さのある演奏であること、リストの曲であること等に注意すべきだろう。

これは、先に述べた、対極のバランスとも関係しそうである。

二人の女性は弁財天で、天女なのだろうか。音楽関係で言えば、やはり、天河の弁財天と関係すると思う。また、空海関係で言えば、金銀と関係しそうである。金銀を日月とすれば、正に、コスモスの調和音楽である。Kaisetsu氏の老婆に当たるのかもしれない。太母のシンボルである。(p.s. Kaisetsu氏の記事で、サラスヴァティー[弁財天に当たる]の紹介で「4本の腕を持ち、2本の腕には、数珠とヴェーダ、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち」とある。ピアノ連弾とは、正に、「4本の腕」!である。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=529103

そう、端的に言えば、イデア界である。イデア界の音楽cosmic harmonyを聞いていたことになるのではないだろうか。

p.p.s. 二人の女性の演奏する姿が、グランド・ピアノの鍵盤のある側のちょうど反対側に聴衆の学生が居て、見えないのが残念であると思ったことから見ると、やはり、不可視のイデア界ということかもしれない。学生とは一般人、「衆生」のことではないか。(p.s.  学生は美大生である。ピアノを演奏することが、イデア界本体であり、ディオニュソス=アポロではないだろうか。しかし、聴衆の美大生は、このディオニュソス=アポロを見ることができないというのは、単なる物質的現象界に囚われていることを意味するのではないだろうか。表面的なアポロ、物質的なアポロを見ているのではないだろうか。本来のアポロ〔美術〕はディオニュソス〔音楽〕と一体なのであろう。というか、イデア界と一体なのであろう。
p.s. 学校の美術館には、特製の彫りのある木造りのピアノが置いてある。)

3p.s. 二人の女性のリストの曲の連弾による名演奏とは、i*(-i)⇒+1のことを意味しているのではないのか。あるいは、差異共振シナジー様相のことではないのか。(p.s. 水瓶座宝瓶宮]のシンボルは、♒であり、差異共振、即非様相、あるいは、平明に言えば、対立の調和[concordia discors]を意味しよう。)

4p.s. これは、さすがに寒気がした。デーメーテールは、普通、乗り物chariot(馬車であろうが、天馬・ペガススの引く馬車かもしれない。戦闘用二輪馬車もchariotである。)に乗っている姿で表象されると書いてあるし、ときどき、ペルセポネといっしょに描写されるとある。先の夢で、車に乗った(というよりは、正確に言えば、運転していたのであるから、図像に正に適合すると言えよう)赤いバッグ(p.s. 赤という色は、日本人にとって太陽の色である。太陽を赤く描くというのは、世界的に珍しいのである。当然、生命・血の色であり、神社の朱色とも関係しよう。緋・日・火・秘・霊色である。p.p.s. バッグは、当然、女性性を意味しよう。子宮・女性性器等であるが、しかし、神話的には、天の岩戸や琉球神話の天の穴を想起する。どちらも同じことを意味しているように思う。)をもった女性とは、正に、デーメーテールに相当するのではないか。"Demeter was usually portrayed on a chariot, and frequently associated with images of the harvest, including flowers, fruit, and grain. She was also sometimes pictured with Persephone."
http://en.wikipedia.org/wiki/Demeter
馬車の図像
http://www.bsw.org/project/biblica/bibl79/Comm10f.htm
そう、そうすると、渋谷は、冥界であり、同時に、イデア界・浄土ではないのか。Kaisetsu氏は、その時の夢にあった「一路」を太陽の道と示唆されている。デーメーテールは、確かに大地母神ではあるが、女神はもともと、コスモスを意味しているので、太陽神と見ることも可能である。

飛躍するが、D.H.ロレンスは、アメリカ・インディアンの文化と遭遇して、「赤い狐」red wolfという詩で、亡霊のアメリカ・インディアンから「星の道」を示唆されたようなことを表現している。「星」とは、コスモスのことであるから、「星の道」も太陽の道である。

また、ペルセポネは、冥界の女神であり、娘のコレーと一体化されるのである。そうすると、投身自殺した女性は、デーメーテール/コレー(ペルセポネ)と関係するだろう。

5p.s. アナトリア神話の大地母神は、キュベレーであり、以下は、キュベレーが馬車に乗っている図像である。因みに、アナトリアとは、小アジアであり、今日のトルコである。(p.s. 因みに、語源的に、キュベレーは、クべべであり、古代シュメールと関係する『ギルガメシュ叙事詩』において退治される森の怪獣フンババ[女神のことである。宮崎駿氏の『ものの怪姫』である。]に通ずる。)

キュベレーとアッティスは、よく知られた女神と夭折し復活する美青年の神のペアである。そして、アッティスはキリストの原型とも言われる。神話から言うと、アッティスは、コレー/ペルセポネに相当するだろう。また、さらに推測すると、アッティスはディオニュソスと等価であろう。すると、神話学者ジョセフ・キャンベルの説く女神の神話のパターンと一致する。

デメテルとコレー(ペルセポネ)
イシスとオシリス
キュベレーとアッティス
ヴィーナスとアドニス
聖母マリアとイエス
天照大神と日御子
弁財天と牛頭天王素盞鳴尊
ラーダ(ラクシュミー)とクリシュナ(ヴィシュヌ)
http://cornucopia.blog17.fc2.com/blog-category-19.html
アリアドネアフロディーテ(大女神だろう)とディオニュソス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B


Plate depicting Cybele pulled by lions, a votive sacrifice and the Sun God. Ai Khanoum, Bactria (Afghanistan), 2nd century BCE.
Plate depicting Cybele pulled by lions, a votive sacrifice and the Sun God . Ai Khanoum , Bactria (Afghanistan ), 2nd century BCE.
http://en.wikipedia.org/wiki/Cybele

6p.s. ついでながら、今日、テレビで団塊の世代の定年退職に当たり、マーケッティングとして、母娘(「ははこ」と読むということである)をターゲットにしているという番組があったことを述べておこう。これも、私の無意識を刺激して、デーメーテールとコレー(ペルセポネ)の母と娘の神話としての二人の女性の連弾のピアノ演奏を生んだのかもしれない。

7p.s. 二人の女神であるが、これは、デーメーテール・コレー・ペルセポネとすれば、三人の女神になるのである。この三女神が、古代神話等では典型的である。比較参照:美の三女神、等々。
(p.s. 訂正:三女神は、デーメーテール/コレー[ペルセポネ]/ヘカテーである。もっとも、コレーとヘカテーは近いだろう。ヘカテーは月の女神である。『神話学入門』カール・ケレーニイとカール・グスタフユング共著 p. 152
p.p.s. なんと! ケレーニイもハンガリー人である!何か怖くなってきた。
3p.s. 因みに、ユングは、物理学者のパウリと共に、共時性の仮説を提唱した。シンクロニシティsynchronicityとも呼ばれ、因果律を超える事象の仮説である。思えば、共時性シンクロニシティとは、 九鬼周造の『偶然性の問題』の主題と通じる。)

参照:

三柱の女神

「緊密な関係をもつ一組、はっきりそれとわかる個性をもった神々の三位一体、これこそ、この三柱の女神たち---母と娘と月の女神ヘカテー---が讃歌の中で形づくっているものにほかならない。祭儀上の遺物を見ると、確かに三女神は混同されやすい。というのも、どうやら炬火がかれらのそれぞれに共通する持物であるらしいからだ。このような特徴は、一再ならずヘカテーにつけられる通称ポースポロスPhosphorosと一致する。そういうわけで彼女は、ずばり「光をもたらす者」(ポースポロス)と呼ばれる。彼女の手にする炬火は、ホメーロス風讃歌ではセラスσέλας (「光」)として描かれる。だがそれは、近代人がこの手近かな象徴をどう考えたがろうが、清めの手段としての意味などではない。「光をもたらす」とは、疑いもなく女神の本質の一部である。しかし炬火は、ヘカテーの特質を示すだけではなく、デーメーテールとペルセポネーの祭礼で重要かつ独特の役割を演ずるのである。一本の炬火、同一女神が手にする二本の炬火、互いに並びあった三本の炬火、十字に組み合わされた棒の先に四つの明りをともした炬火(十字炬火)- --これらすべての炬火がデーメーテールとペルセポネー両女神の象徴的な属性として現われる。・・・厳密にホメーロス的なゼウス世界の領域外をさらに研究すれば、ヘカテーはいわば第二のデーメーテールであるという、われわれの推察が間違ってはいないということが確証される。」pp. 152~153 『神話学入門』 カール・ケレーニイ&カール・グスタフユング著 晶文社 
http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%82%A4/dp/4794923368/ref=sr_1_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=books&qid=1174169348&sr=8-1


参考1:
Athena
Athenaは Zeus の娘である。 彼女に彼の額からの装甲で十分に成長したはねなかったり、従って母がある。彼女は戦争だけがへの外の敵からの州そして家を定義した、戦いで激しく、勇敢であるが。 彼女は都市、手仕事および農業の女神である。彼女は人が馬、トランペット、フルート、鍋、熊手、すき、ヨーク、船およびchariotを飼いならすことを可能にした添え金を発明した。彼女は知恵、理由および純度の具体化である。 彼女はZeusの好みの子供、彼の落雷を含む彼の武器を使用するために割り当てられた。彼女の好みの都市はアテネである。 彼女の木はオリーブである。 フクロウは彼女の鳥である。 彼女は新しい女神である。

アポロ
アポロは Zeus およびLeto の息子である。 彼の対の姉妹はArtemis である。 彼は金リラを演奏している音楽の神である。 射手、銀製の弓が付いている遠い射撃。 人の薬を教えたかだれが治療の神。 ライトの神。 うそを話すことができない真実の神。

アポロのより多くのimportaintの毎日仕事の1つはドライブ空を渡る日曜日4頭の馬が付いている彼のchariotを利用することである。

彼はデルファイで彼の神託のために有名である。

彼の木は月桂樹だった。 カラス彼の鳥。 イルカ彼の動物。

http://www.mediterraneancultures.com/olympian.htm


参考2:
キュベレー崇拝の歴史

[編集 ] 概説:アナトリアギリシア、ローマ

プリュギアのペッシヌースにおいては、遥かな古代より、キュベレーの原型としてアグディスティス 女神の信仰が存在した。紀元前203年 、ペッシヌースの大いなる母を具現した聖崇拝物(神像ではなかった)が厳かにも恭しくローマに移された。

キュベレー崇拝は、すでに紀元前5世紀 のギリシアで行われており、その地においては女神はしばしば、名を直接に使わず、婉曲語法によって、「メーテール・テオーン・イーダイア(Μητηρ Θεων Ιδαια、イーデーの「神々の母」)」と呼ばれた。キュベレー崇拝への言及は、とりわけピンダロス やエウリピデース に顕著である。しかし古典ギリシア著作家たちは、アッティス の去勢の神話はよく知っていたにもかかわらず、性転換した「ガッリー(galli)」については知識がなかったか、または言及を行っていない。

ギリシアにおけるキュベレーの崇拝は、明らかに類似性が認められるディニューソス の崇拝と密接に関連付けられた。キュベレーは、ディニュソースよりイニシエーションを受けたとも言われている。ギリシア人たちはまた、キュベレーを「神々の母レアー 」と同一視した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%99%E3%83%AC


参考3:
死と再生の神

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E3%81%A8%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%A5%9E

古ヨーロッパの神々
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/old_europe.html


参考4:
リストの『超絶技巧練習曲』はTranscendental Etudesであり、『超越的練習曲』である。

超絶技巧練習曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

超絶技巧練習曲(ちょうぜつぎこうれんしゅうきょく)は、ハンガリーのピアニスト、フランツ・リスト の作曲した、ピアノ のための12の練習曲 である。

名前の通り、非常に高度な演奏技巧を要するが、決して何から何まで超絶技巧の会得を目的としたわけではない。transcendanteという言葉には宗教的な意味があり、普通「超越」と訳されるが、肉体、精神、魂、これらの全てを超越するというのが最も近い訳である。つまりこの曲集は、肉体、精神、魂を超越した練習曲なのである。超絶技巧という訳も決しておかしな訳ではないが、どうにもリストが定義したこの曲集の意味からは少し遠のいてしまっているようである。

2度にわたる改訂が行われているが、改訂後はショパンの練習曲の影響がちらほらとうかがえる。

* 原題:Études d'exécution transcendante(仏 )

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E7%B5%B6%E6%8A%80%E5%B7%A7%E7%B7%B4%E7%BF%92%E6%9B%B2


Transcendental Etude No. 4 in D minor (Liszt)
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Franz Liszt 's Transcendental Etude No. 4 in D minor, "Mazeppa", is the fourth Transcendental Etude , inspired by Victor Hugo 's dramatically morbid poem Mazeppa , in which a Ukrainian page named Mazeppa is strapped onto a horse and the horse is set free to gallop, resulting in the critical condition of both the horse and the Mazeppa. At the end, Mazeppa is crowned king.
http://en.wikipedia.org/wiki/Transcendental_Etude_No._4_in_D_minor_%28Liszt%29


p.s. ここには、馬の動きの比喩が書かれている。馬車と関係する。