RADIX『ダイバージェンス・イヴ』『みさきクロニクル』

ダイバージェンス・イヴ』および『みさきクロニクル 〜ダイバージェンス・イヴ〜』。まあ話として連続しているので一つの作品として考える。班目のいうように本来半年の作品を二つに分けて制作進行にゆとりを持たせるということなのか。ウィキペディアによるとジャンル的にはホラーとかSFとかに分類されるらしいが一応ロボットもでてくるのでロボットアニメということに。じじつこの作品を初めて知ったのはニコニコの「ロボゲ板住人が感動したロボットアニメ」とかいう動画だった。

全体を見た感想はといえば、イミフ、ということにつきる。SFに詳しい人とかなら問題ないのだろうが、そういう知識がないのと、そもそもどのアニメを見ても見落としとかが多くてあんまり理解してないのでかなりきつかった。強引にまとめると、この物語では平行宇宙というものが存在しているらしい。どうやらその平行宇宙というやつは時間の多様性ということらしくて、それを行き来する通路がインフレーションホール。で、そのインフレーションホールと通じてグールと呼ばれるモンスターがでてきて人間を襲うと、で主人公たちは戦いならが様々な謎を明かしてゆくと。ということはここでは時間は主体とかその意識とかとは独立した形式というか環境だということになるのだろうか。つまり主体は時間に対して外在的だと。まあそう考えないと最後にライアー(主人公みさきの上官で物語は大筋この人の視点から語られる)だけがみさきの記憶を保持していてほかの人たちはみんな忘れている、というかいなかったことになっていることが説明つかないだろう。
まあでもそういったシステムとか設定といったものは(おそらく厳密に決まっているのだろうが)あまり前景にでることはなく、むしろ登場人物たちの感情により焦点が当てられていると思う。前期終盤の戦いでグールに囚われつつも、おそらくグールと同じ原理(スペキュラー、実体ではなくて異なる平行宇宙から投影された影のようなもの?)としてみさきは平行宇宙に偏在するわけだが、それは「大切な人々が失われていく現実に耐えられず、時間軸に干渉して、そういった悲しい出来事を改変」(ウィキペディア「ダイバージェンス・イヴの登場人物」)するためである。こういう説明であってるのだろうか? いまいち自信がないのだが、もしその通りだとすると、このことは僕がここで考えてきたことと関連する。要はみさきが試みたことはいかに喪失を回避するかということだ。上の引用にあるように、喪失を回避するために彼女は「出来事を改変」しようとするのだが、もしそれが異なる平行宇宙への移行を示すのであれば、たぶんある問題が生じる。それはそういった改変が行われた世界に生きる他者たちが改変前の世界における同一人物と同一性を共有できているのかということだ。なんか表現がおかしいが、まあそういうことだ。たしか「あり得た世界」といった表現が使われていたようだが、それはタイトル通り元の世界から分岐した世界なのか、あるいはもっと(みさきにとって)恣意的にアレンジされた世界なのかよくわからないのだが、もし前者だとしたら、「悲しい出来事」だけを改変できるかどうか疑わしいのではないだろうか。つまりほかの出来事、あるいは個々人の性格とかその他諸々も改変されてしまうのではないか。出来事は他の出来事と重層的に関係づけられているだろうから、そういうことになると思う。その意味では「出来事の改変」というのは非常にリスクが高く、またみさきの望むようにはならないのではないだろうか。あるいは後者、つまりみさきはもっと恣意的に出来事を取捨選択できるのだとしたら、それは元の世界と全く共通性を持たない可能性がある。だとすると改変後の世界にいるみさき以外の人たちは改変前の世界の彼ら/彼女らと同一ではない。どちらにしても同一性が保たれるのはみさきだけで、ある意味で「改変」の名のもとにみさきはすべてを破壊しようとしていると捉えられなくもない。その意味では『みさきクロニクル』第06話でみさきの分身がみさき自身にいう次の言葉は正しい。

あなたは忘れようとしているだけ。自分が苦しみたくないから。

おそらく改変とは真の意味で改変であって、本来改変を免れることのできる者はいない。その意味で初めて平行宇宙が認められるのではないだろうか。つまり他の世界には絶対に移行できない。正確にいえば他の世界に移行するということは、自らの同一性を捨てることであるから、他の世界に移行する前の記憶なり経験なりは失われているはずだ(もちろんこの表現は二つの異なる平行世界に共通する時間なるものがあったと仮定してのことだが)。そう考えて初めて平行世界なるものはリアルなものであり得る。つまり本来的にいうならば平行世界はつねに仮説でなければならないものである。
だがみさきを除いて(というのは彼女は研究者たちの材料として管理された、グールが残した遺伝子を継ぐ「デザイナーズ・チルドレン」、それゆえに通常の人間とは違って「交差する宇宙をつなぐ特異点」なので)ライアーだけが異なる平行宇宙を同一性を保持したまま横断できる。これはどうなんだろうと思っていたら、最後で彼女もグールの残した遺伝子を継ぐものである、ということになっていた。ううむ、どうなんだろう、だけど一般人である上官とかが時間障壁の突破をライアーに命じたりしているから、こんな問いはもともと存在しないのだろうか。よくわかんなくなってきた。
ま、いずれにしてもいえることは、この世界においても、いわゆる過去にいくことはできない。つまり自分が経験してきたある時点に戻ることはできない。そうではなくて、ちょっと遅れて(という言い方も変なのだが)展開している別の世界に移行するだけだ。したがって本質的には二つの世界の間には共通性、同一性の共有はある必要はないのではないか。それが端的に意味するところは喪失は回避できないということだ。そこでライアーは次のような解決を見出す。これまた『みさきクロニクル』の第06話だ。

過去を変えても悲しみは消えない。でも、わたしたちは作り出すことができる。新しい未来を。

物語の終盤においてみさき自身もこのような認識にたどり着く。じゃあ最後のハッピーエンドはなんだ、そのあたりがよくわからん。やっぱりライアーって人が特別なんだろうなとか思う。

結局これだけ書いても要はよくわからん、ということなのだが、それでちょっとロボットについて。この作品に登場するロボットはランパート・アーマーと呼ばれているが、ランパートというだけあって、攻撃するというよりも防御することに重点が置かれているのかな。ウィキペディアによると一応探査とグールとの戦闘用の二つの用途があるようだが、実質上グールとの戦闘にはほとんど役に立っていなかった。後期シリーズにおいては時間障壁に囲まれた地球にやってきたグール、というかそのスペキュラーを次々に倒してゆくが、それはランパート・アーマーというよりも地球外にある人工衛星のようなものから照射されるビームみたいなものによってしとめられる。ロボットはそのビームの的にするためにグールを足止めする役にしか立っていない。つまり強大な敵が現れたときにロボットはそれを倒すためのものではなく、むしろ搭乗者を守りながらほかの手段を適用するための手段の手段に成り下がっているようだ。この辺りがこの作品をロボットアニメっぽくなくしているポイントだと思う。ロボットに搭乗するにあたって、搭乗者は何らかの精神的なショックを受けるようだが、それが問題になるのは物語の比較的初期に限られ、それ以降はあまり問題にならない。このショックというものは探査のために搭乗者の知覚能力を向上させるというロボットが持っている性能に付随した副作用のようなものであり、例えば『ギガンティック・フォーミュラ』のように搭乗者の精神や身体に取り返しのつかない後遺症をもたらすということではない。たぶん乗り物酔い程度のことだろう。そもそもがあらかじめ適性があると判断された者だけが搭乗しており、そのへんは搭乗者にとってあまり問題になっていない(一人脱落するけど)。

最後にこれだけはいっておかなければいけないのだが、前期のエンディングテーマ曲と後期のオープニングテーマ曲はなんなんだ。なんというか全然内容にあっていない。まあたぶんわざとやっているのだろうが、あれはどういう意図なのだろう。