サンライズ『∀ガンダム』

この『∀ガンダム』で復活後の三部作と呼ばれているものを全部見たことになる。ところで僕の∀ガンダム初体験といえばなんといってもこれだ。多分ニコニコで一番長い動画だと思う。このおかげで次回予告をとばせなくなった。
まあそんなことはいいのだが、よく考えたらガンダムシリーズでTV版を通してみたのは実はこれが初めてだった。ストーリー的にそれまでの富野ガンダムとつながりはないかなと思ってみたが、モビルスーツとかはそれまでのシリーズにでてきたものらしく、それらを見ていたらもっと楽しめたかもしれない。特にカプルの原型は『機動戦士ガンダムZZ』にでていたらしい。カプルの体育座りはすばらしかった。カプルにはもっと活躍してほしかった。もちろん敵をたくさんやっつけるという意味ではなく。ところでローラだからOPは西城秀樹だったのだろうか。
これまたどうでもいいことだった。とはいえ作品の中身についてそんなにいう言葉を持っていなかったりする。まあ面白かった。演説のシーンではさすがに泣いた。ニコニコとかアニメ関係のブログとかを見ても結構評判が良さそうで、富野作品の中でも人気が高い方なのかなとか思った。ただ例のひげのガンダムだけはいい評価を与えている人は少ないように見えるが。まあいいと思おうがそうでなかろうが、語る言葉がないときはしょうがないと思うのだが、一つだけ引っかかることがあった。
最初は地球原住民と月の住民、ムーンレイスとの後者の地球入植に関する対立を軸に話が進んでゆく。両方の陣営には和平を望む者もいれば徹底抗戦しようとする者もいる。おそらく他の富野作品と同じように、地球の側にも月の側にも一定の正しさはあるだろう。地球の側からしたら領土をいきなりよそ者に奪われたら面白くないだろうし、月の人にしてみたら元々地球人だしその権利はあると思っている、と。
しかし最後には、なんというか、目的を共有するもの同士でかたまった感がある。つまり、地球人、ムーンレイスの区別なく、和平を望むもの、破壊を望むもので別れたというような。まあかなり記憶が定かでないのではっきりとはいえないが、ラスボス的な扱いだったギム・ギンガナムはなんか完全な悪役のようになってしまって、戦うことに対する義のようなものが見いだせないように感じた。そうすることで地球対月という点に関してはハッピーエンドを迎えることができたということは看過できないような気がする。もちろん別の観点からはハッピーエンドではないのだろうが。
まあギンガナムが完全な悪役であるかどうかという点に関しては多分異論もあるのだろう。僕の疑わしい理解力でそう見えたということにすぎないので。しかしより重要なことは、人間の生存を条件づけるものの強さだ。この場合は地球と月という所属。月と地球、仲良くしましょうというのは、第三者からしてみたらいいことかもしれないが、当事者にとってみたら、短期的な不利益を被る場合が多い。だから抵抗がある。単に感情的に嫌だといっているわけではない(感情的な不安定も短期的な不利益の一部だろうから、単純に排除するわけにはいかないが)。いずれにしてもこういったことが人を所属なり自分が与する集団なりに縛り付けることになるのだ。こういった桎梏から自由になることは容易ではない。所属の桎梏を逃れて自由にそこから逃れることのできるものは限られたものにすぎない。しかし共通の敵が現れた場合はその限りではない。つまり両陣営にともに不利益をもたらす存在が現れた場合だ。この作品はこの道を辿ったように思う。問題はハッピーエンドであるかないかということよりも、それをもたらす前提だ。たとえば『伝説巨神イデオン』におけるある種のディスコミュニケーションも、そういった所属による桎梏の問題を無視することはできないだろう。なんとうか、復活後の三作品(まあ『リーンの翼』もそうなのだろうか)を見てみて、そういった「生存を条件づけるもの」の強大さ、あるいは不可避性という問題が看過されてしまっているのではないかと思う。以前からこのブログで書いているように、僕はこういった自我とその外部といった問題により興味を持っているので、どうしてもそのように見てしまう。というわけでそろそろ富野作品は『機動戦士ガンダム』かなと思う。