anti-monosの新メディア論 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-09-22

[][] メディア既得権を崩す方法

民主党が政権を取った途端に、会見を記者クラブ以外にも開放するという「公約」を反故にしたと話題だ。この記者クラブ制度、実は取材する側(=記者クラブ加盟社)とされる側、双方からメリットがある。

取材する側のメリットは言うまでもなく、情報へのアクセスの独占だ。例えば国会の記者クラブで言うと、クラブ加盟社の記者は胸に付けるバッジがもらえる。よくテレビに出てくる政治のコメンテーターで、政治部記者とか、政治部長を名乗る人が現れる。胸にはほぼ、この記者クラブ加盟のバッジをつけている。正方形のなかに、万年筆ペン先を象った模様があるバッジだ。

記者クラブ加盟の特典はもちろんバッジがもらえるというだけではない。このバッジ、実は強力で、バッジと記者クラブ加盟の身分証を併せて持っていると、国会や議員のいる記者クラブ、それに中央官庁に自由に出入りできる。守衛に職務質問され、受付で面倒くさい手続きなど、一切不要。自分の会社に入るがごとく、出入りできてしまう。出入りすれば官僚にアポを取って話を聞いたり、政治家の事務所を訪ねて取材するのも、かなり自由なのだ。

さらに、出入りの自由以外に大きいのが「懇談」という制度だ。これは記者クラブ加盟社の記者が各社1人参加して、政治家などの話を聞けるという仕組み。いわゆる「番記者(=バンキシャ)」だ。例えば官房長官懇談というのがある。記者会見のあと、週2回ほど行われるのが定例だ。記者会見では言えなかった話、公には言えない話が語られたりもする。懇談の種類によって、メディアに掲載できる懇談か、オフレコ前提の懇談か、あるいはその中間か、細かく設定されている。

官房長官懇談で言うと、オンとオフの中間的色彩だろうか。懇談での話は主に新聞紙面で「政府首脳によると…」と書かれている。政府高官=官房長官というのは、メディアの人間なら常識だ。だから、官房長官の会見では「政府首脳が…と言っているとのことですが、政府としての見解をお聞かせください」という人を馬鹿にしたかのようなやりとりが、本当に行われている。ちなみに他の隠語は「党首脳=幹事長」、その他の官房副長官や総理秘書官などの高官は「政府筋」と書かれたりする。

オフレコ前提の懇談で問題発言が出た場合、「約束」を破ることができない既存メディアの記者は、週刊誌に情報を流して、それが明るみに出たりすることもよくある。

記者会見のオープン化は象徴的だが、記者会見自体は取材する側から言うと、実はそれほど意味がない。全社の記者が聞いているし、今では質疑応答を除けば、ネットで公開もされている。既得権記者会見への出席権ではなく、情報への半ば独占的なアクセスという広範な問題だろう。それが記者個人の実力や努力ではなく、記者クラブ加盟社の社員記者ということで保障されているところに問題がある。感覚的だが、既存メディア報道している内容の9割は政府や官庁(警察、検察も含む)が情報源だと思う。

取材させる側のメリットというのも、実は大きい。記者を囲い込めるからだ。自分の気に入らない取材をする記者を懇談から締め出す。あるいは、記者クラブと取材される側が、出入りも自由の、渾然一体となった運営がされているので身内意識もある。渡邊恒夫とか海老沢勝次なんていう政治記者出身のメディア企業社長はまさに取材対象の身内となって、その力を盾に出世した典型だと言われている。慣れ合いと言われても仕方のないような話も多い。

取材される側から「このように報道しろ」という指示などあるはずもない。ただ、何となく「書きづらい」空気が記者クラブ全体を覆ってしまうのだ。普段から記者クラブを通して付き合いのある政治家などに、よほどのことでもない限り、厳しい突っ込みなど入れづらい。あるいは、普段から記者クラブという閉鎖空間で接している官僚政治家の論理に染まりやすくなってしまう。

特に顕著なのはテレビ記者への影響だ。テレビの記者は、かなり若い。記者としても社会人としても経験不足な場合が多い。総理大臣が立ち話をしている「総理ぶら下がり」の映像を見れば、ほとんどが20代だとわかるだろう。しっかりとしたものを求めるのも、厳しいものがある。その政治家の論理、官庁の論理にすっかり取り込まれてしまっているのは、珍しいことではない。若い女性記者が「官公庁用語」で話しているのを聞いて、唖然としたこともあった。

あるいは「あの有力政治家は美女に弱い」なんて噂がたつと、その政治家番記者の大多数が女性になるということもある。かなり以前に週刊誌にも書かれた話だが、郵政民営化大反対の政治家が、全盛期に高級ホテルのプールに、女性記者「だけ」を集めて「懇談」したことが何度かあった。当然、全員水着姿だ。毅然と「参加しない」と言い切ってしまってもいいものだが、有力政治家が「重要情報」をプールでの懇談で話すかもしれない。だから、渋々参加せざるをえない。取材する側とされる側、微妙な関係というのが実態だ。

思いつくまま書いたので、まとまりがない文章になってしまった。いずれにしても、取材される側の「囲い込み」、取材する側の「当局情報へのアクセス独占」。この2つの思惑が重なりあって存続しているのが、「記者クラブ制度」だと思う。

ネットのいいところは、こういう議論が公になってきたことだ。記者クラブのオープン化問題も、新・総務大臣が民放とズブズブな関係なのも。新聞やテレビが書けるはずもない問題だ。ちなみに、テレビのコメンテーターが本業の政治家が要職に就く場合は要注意だ。大臣ともなれば、メディアの社員だって気楽に会うこともできないが、元コメンテーターなら番組のプロデューサークラス(=普通の会社だと課長クラス)でも親しい関係にある。携帯に電話一本で「意見」できるのだ。政治家の側にも大臣になれるまで有名にしてくれたという「義理」がある。

かつては、何をしているか分からないけど、どこか怪しくて、うまい汁を吸っているに違いないと思われていた「悪の帝国」というのは、政治家だった。それが、2ちゃんねるやネットの話題をみると、政治家官僚よりも「マスコミ」自体になってきたのだとわかる。マスコミはマス「ゴ」ミと揶揄されるがごとく、権力を監視している正義の味方ではなく、政治家以上に怪しい、既得権層になっているのだ。

数々の汚職事件や情けない事件の数々、誰が見ても頼りない世襲政治家の氾濫で政治の権威は失墜し、もはや叩く権威にすらなれていない。マスコミが叩くべき利権は、もはや失墜し、気がつけばマスコミ自体が叩かれるべき最後の既得権になってしまっている。しかも、記者クラブの問題、新聞社の押し紙、テレビ局の電波の独占など、その指摘は間違ってはいない。そのことにマスコミ自身はあまりに無自覚なようにも見える。

では、政治にしろ、既存メディアにしろ、ネット空間で問題が指摘されまくっているにもかかわらず、いまだに彼らの論理がまかり通ってしまうのはなぜだろうか。理由は単純で、ネットの影響力がまだまだ小さいからだ。

はてな」を新宿で聞いて回ったところで、1%の知名度があるかどうか。「アルファブロガー」なんて、道を歩いていても、振り返られもしないはずだ。言論だけではなく経済面でも、そうだ。ネットの広告費で圧倒的なシェアを誇るヤフーですら、売り上げは3000億弱。キー局中堅のテレ朝と変わらない。相対的に影響力の強い集団の論理が勝ってしまうのは当たり前だ。

では、ネット空間で文句を言っているだけで仕方がないのかというと、そうは思わない。民主主義、資本主義を生きる人間には、2つの「杖」がある。ひとつは投票権、そしてもうひとつは「おカネ」だ。

投票権は言うまでもなく、既得権保護の政治家や政党に投票しないということ。「おカネ」というのは、所得に個人差があるにせよ、ほとんど毎日、コンビニで、スーパーで、量販店で、誰しもおカネを使っている。既存メディアの生命線は「広告費」。既存メディアへ広告費を大量に使っている商品は(できるだけ)買わないと決めてしまうことだってできる。テレビや新聞の広告費におカネを使っていない、コストパフォーマンスの良い商品を中心に、消費生活を過ごす。問題意識を持った人間が電凸以外にもできることはあるはずだと思う。

追記:
つい誤って勢いで「政府高官=官房長官」と書きましたが、正しくは「政府首脳=官房長官」でした。修正しておきました。

wiliwiliwiliwili 2009/09/24 23:41 業界事情にお詳しいようなので、もう少し教えてください。

民主党が会見を記者クラブ以外にも公開すると公約を掲げたとき、既得権メディアを敵に回してもやっていけると思っていたのでしょうか。

この公約を守った場合、どうなると思いますか。

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