anti-monosの新メディア論 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-09-24

[][] 総理大臣の外遊に見る、記者クラブの生態

鳩山総理がニューヨークに行っている。今回がどうかはしらないけれど、これまでだと総理大臣が海外に行く際、記者クラブではこんな光景が繰り返されている…。


記者クラブの室内には張り紙が。「○×総理 国連総会出席 同行記者募集」。総理の大まかな日程が書かれていて、記者クラブの加盟社につき1名が参加申込枠に名前を書くことができる。名前を書けば、官僚がホテルの手配、現地での移動まですべて手配してくれるのだから、まさに至れり尽くせり。

申し込みが終わると、数日後には同行記者を対象に官僚による事前の記者レクチャーというのがある。国際会議での議題だけではなく、会議の前なのに既にほとんど決まっている(!)という共同宣言の文案まで教えてくれる。

政治記者の99%は「政局」という名の権力闘争の取材のプロであって、実は政策には詳しくはない。なので、官僚による記者レクの内容が、ほとんどそのまま記事になることが多い。実際には記者レクの他にも、ちゃんとした記者は専門家に話を聞いたり周辺取材をするのだが、そもそも政治記者の本業は政局取材なので、一夜漬け官僚の書いた報道させたいシナリオを崩せるはずもなく、記事の基本線は官僚の記者レクに引っ張られることが多い。記者レクが出発直前までずれ込むと、「記事が書けないだろ!」と騒いで抗議する記者まで実在するのだ!役人のレクを待たずに自分で取材するなり、勉強するという気にはならないらしい…。

そして、いざ出発の日。羽田空港近くのホテルの一室に同行記者ご一同が集まる。ホテルの会議室が取ってあって、コーヒーなどの飲み物や軽食まで置いてある。記者はもちろん1円も払わない。部屋代もホテルのコーヒー代や軽食代もすべて税金だ。

集合時間が来て、飛行機に乗り込む。だが飛行機といっても、JALだのANAではない! 政・府・専・用・機。つまり、総理大臣と同じなのだ。機内では、同行記者向けに総理の記者会見もあったりする。

現地に着けば、入国審査も何もない。そのまま政府が手配してくれたバスに同行記者ご一同で乗り込んで、滞在先のホテルに向かう。ホテルではご一同のために、大きな部屋が抑えられていて、記者クラブ加盟社ごとに記事を書いたりするためのブースが既に設置されている。各社ごとに専用の電話やFAXまで引かれている。費用は各社一応払うのだが、実費以下の、気持ち程度。もちろん、これらの手配もすべて政府があらかじめやってくれている。まさに完璧、JTB以上じゃないか…。

現地では同行記者が総理大臣を囲んでの「懇談」。さらに懇談とは別に総理、あるいは総理と同行の官房副長官あたりが記者を一堂に集めてのお食事会だ。その国を代表する高級ホテルでの食事。ここでも費用はもちろん、税金だ!

そして、2泊3日くらいの滞在が終わり、同行記者ご一同は政府専用機で帰路に。ところが、まだ終わらない!

旅のクライマックス(?)は最後に待っている。最後は何と政府専用機内で記者と総理の記念撮影だ。しかも記念写真は後日「200×年 国連総会」とかの名称までしっかりと彫りこまれたフォトフレームに入って、海外の同行取材の思い出にと、ひとりひとりに配られる。もちろん、最後まで税金だ…。


ここまで政府に面倒見てもらっても、ちょっと辛口のコメントも言わないと「ジャーナリスト」としてかっこつかないからなのか。現地からの中継や「政治取材歴○年」のテレビコメンテーターが、政府に「庶民の声」として意見を言ってくれる。

産経新聞出身の歴戦の政治記者が言われるように、記者クラブを解放すれば、素晴らしい記事がどんどん世に出るわけではないというのは、その通りでしょう。記事を書いたり取材したりという行為は、ある程度の職業訓練が必要なので、読むに耐える記事を書ける人だって、それほど多くはないはず。ただ記者クラブの問題は、産経出身の方が言われるように、個々の記者が、頑張っているとか、工夫しているとか、そういう次元ではないのでは。

取材現場の構造として、新規参入が常にありうるかどうか、出入りが自由かどうか、これこそ記者クラブ制度の論点ではないかと思う。

記者クラブという制度で、取材するプレーヤーが固定化される。そのことで、取材する側とされる側の慣れ合いが生まれる。記者個人と取材される側の間でも緊張関係は失われる。海外同行取材で当時の中川財務大臣と女性記者が酒を飲んで、そのまま大臣がもうろう会見に挑んだというのは、記憶に新しいはず。大臣も問題だけれど、緊張関係のなさは、こんなところにも表れる。

さらに、取材する記者が所属する会社との慣れ合いを生んでしまう。何しろ記者といってもサラリーマン。会社ごと押さえておくほうが話も早い。新聞の再販制度であったり、電波行政がその典型だ。こうして、事業会社としてのマスコミもまた、政府によって守られる。名目は文化の維持だの、適当に何でもつけられる。かくして、新聞社は大手町にある本社ビルの敷地を国から安く払い下げられ、テレビ局のサラリーマンとしての、記者やコメンテーターの年収は平均で1500万を超えることになる。

ところが、記者クラブがなくなって、いつでも新規参入があるようになったら、もはや報道される側も限られた個人や事業会社だけを抱え込んでいても仕方がない。

野党の記者会見というのは言い方は悪いけど、ただの「遠吠え」。与党を批判したところで、何かの政策が実現されたりするわけでもない。発言したところで、何もないのだ。だからこそ野党は目立ってナンボなので、報じてくれる人は千客万来になる。ところが、扱ってもらうのが当然という与党になったら、急に態度を変える。政権維持のためにマスコミという既得権を取り込もうとしていると同時に、またマスコミに取り込まれているということなのだろうか。

この相互依存の関係、意識的にどちらかが言葉に出して形作られるものではなく、慣例として暗黙のうちに成り立っているのだから、また始末が悪いのだけれど。

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