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2004年10月10日Sun 今日はちょっと音楽な気分?!

[][] 「宇多田ヒカル」いや「UTADA」のニューアルバムEXODUS」を聴いた

 9月8日発売のこのアルバムを早速アマゾンで取り寄せて聴いてみた。

 

EXODUS

EXODUS

 前評判はあまり芳しくなかったので、それほど期待せずに聴いてみたのだが、正直できは良くないように思う。まあ、これについては個人的な好み等非常に感覚的なものなので人によりけりなのだが、最後まで頑張って聴いてみて、なぜ頑張らなければ聞き続けられなかったのかについて考えてみた。

 そう、このアルバム、とても不自然なのである。とても違和感を感じるのである。こんな感覚は少なくとも「宇多田ヒカル」名義のアルバムでは感じることがなかったし、逆にある意味鳥肌の立つようなある種の興奮があった。それが今回は「なんか変?」と感じてしまった訳であるからなにか明確な理由があるはずだと思って探してみた。

 まず、彼女英語がおかしい、いや、英語の発音や歌詞がおかしいのではない。これが不自然なのだ。もし彼女が情感を込めて唄うタイプ歌手でなければ、例えば「double」だとか「倖田來未」のようなタイプであれば問題はなかったのかもしれないが、彼女は怖いまでもその感情を唄に乗せるタイプであるが、どうも彼女のその感情が英語詞には乗らないようなのである。やはり彼女mother tongueは日本語であり、英語では彼女自身nativeとしての感情が表現できないのではないだろうか。そして、さらには、あまりに英語詞を丁寧に唄いすぎている感じがするのも、おそらく「宇多田英語完璧でないといけない」という変なプレッシャーがかかってしまったのではないだろうか。そのため、丁寧ではあるものの唄に余裕や遊びが感じられず、それが聴き手にも変なプレッシャーとして伝わってくるようである。これではブリトニースピアーズらと同じ土俵で戦うことは非常に難しいように思われる。

 次に、バックの演奏が変なのだ。そのほとんどがコンピュータの打ち込みによるもので、はっきりいってつまらない。これは宇多田父の責任だろう。打ち込みではせっかくの彼女のグルーブ感が発揮出来ない。米国ではラップアーチストでは主に打ち込みを中心とする傾向があるが、ディーバと言われる連中は打ち込み処理だけには頼っておらず、しっかりとしたリズム隊サポートを受けているものである。心の通じる演奏家捜しからじっくりと始めるべきだったのではないだろうか。

 結果、このアルバムではバックの演奏と宇多田の唄とが見事なまでに微妙にズレてしまい(少しずつ宇多田の唄のタイミングが遅れるのである)、それが聴き手(少なくとも私には)に不快感を与えてしまっているように感じる。

 日本で信頼して使っているバックバンドを使って作り直したらどうだろうか。

 そういえば、宇多田父はかつて爽健美茶コンサートでTLCらと競演した際も、バックバンドの選択やイヤーレシーバーを使わなかったりしてせっかくのデビューコンサートを台無しにしていたような記憶が残っている。どうも海外を意識したときにあせりがあるように感じる。

 Native language と second languageについてはまたの機会に。