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あんとに庵◆備忘録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-06-13

[]守護聖人 14:15 守護聖人を含むブックマーク 守護聖人のブックマークコメント

カトリックの信者は皆洗礼名というものを持っている。どんなガキんちょでも親父でもおばさんでも、持っている。聖人はたいてい他所の国の方だからカタカナだ。アンドレイ山田とかカテリーナ鈴木とか、吉本の芸名みたいでちょっと胡散臭い。こういうのは幼児洗礼者なら親が付けるし、成人洗礼者なら自分で付けたり神父につけて貰ったりする。カトリックの暦では毎日、聖人の祝日がある。だから誕生日の守護聖人を付けたりする人もいるし、尊敬する聖人の名を貰う人もいる。

うちの師匠などは見るからにおっさんだけど「フィリッポ」とかいう名前がついている。可愛い名前である。でも一応十二使徒の一人。しかしエピソードはあまりない。

どうしてそんな名前を付けたの?と聞いたら

「僕の誕生日の聖人はフランシスコなんだよね。」そっちの方がメジャーじゃん・・・

「なんでフランシスコにしなかったの?」

まだ、若造だった当時の師匠、濱ちゃんはこのすごくメジャーな聖人を知らなかった

「ん〜、調べたら乞食の親玉みたいな人でしょ、なんか嫌じゃない?」・・・・。

「・・・で、聖人辞典をぱっと開いて、指さしたところにあったのがフィリッポだったわけ」

・・という感じで、何も考えずに付ける人もいる。師匠はこの時、聖フランシスコ馬鹿にしたせいで、その後、その聖フランシスコの作った乞食・・いや、托鉢修道会に入る羽目になってしまった。自分の誕生日の守護聖人を侮ってはいけないのかもしれない。

私の誕生日の守護の聖人は、聖ペテロと聖パウロ。一応すごく偉い人だと思うが、じじいのコンビネーションは嫌だ。だからイタリアで人気のハンサムな聖人アントニオにした。こいつはイタリアとか南仏とかスペインの教会に行くと必ず聖堂にいる。下っ端のくせに人気がある。他の偉そうなベネディクトとかヤコブとかフランシスコとかドミニコとかの前に蝋燭が灯っていない時でも、このフランシスコ会の若造の下っ端聖人には誰かしら蝋燭を上げている。日本宗教用語で言うところの「霊験あらたか」な印象だ。

事実、この聖人にまつわる奇跡のエピソードは多く、下っ端だからどうも天国サービス残業をしまくるほど働かされているようだ。怠け者なのでそういう働きものの下っ端ぶりにあやかりたいという殊勝な気持ちはまったく持たずに、単に聖堂の像がハンサムなので気に入ったから、名前をいただいた。

・・・・・というわけで、今日はそのパドヴァの聖アントニオの祭日である。

パドヴァの聖アントニオの守護の範囲は、失せ物とか縁結びとか、神社のアレみたいなもので、彼に祈ると失せ物がでるらしい。私の場合、この霊名をいただいてからは傘をなくさなくなった。忘れても必ず見付かる。その見付かりぶりはすごい。数日間をおいても必ず見付かる。昔は買って2日目で無くしたとかすごい沢山傘を無くす人だったので、この霊験は本物のようだ。でも、財布は(生まれてはじめて、しかも東京で)掏られたのでそういう方面は守護してくれないようです。

霊名を貰った守護の聖人にあやかって、自分自身の信仰なども変化することがある。・・などと言う人がいるが、私の場合そういうあやかりはなにもないようだ。働き者のこの聖人にあやかりたいものだが、この島にいて、教会すらいかず、しかも神父やシスターが家まで来てくれるという、トンでもない状態である。怠け者が更に増長しているとしか思えない。しかも日常もなにもない島なので、家からほとんど出ない。困ったものだ。

尚、パドヴァの聖アントニオに関しては今どきISBNも付けないような光明社から以下の本がでている。

「パドヴァの聖アントニオー伝記と説教」伊能哲大訳 小高毅監修 光明社刊

たぶん絶版だけど、復刊ドットコムとかで「出せ」とかいうといいかも。

(たぶん誰も気にしてくれないと思うけど・・。)

madrigallmadrigall 2005/06/13 10:34 ふと思いましたが、きっとこの方が私の在住地に来たら大変なことになるだろうな、と。豪雪地帯で、並の結束で生きられない土地柄ゆえ起こってしまうことなんですが、他の土地からきた方でこれが原因してノイローゼになる方もあります。平たく言えば「うわさ」なんですが、その広まり方が徹底してうわさされている本人に分からない。その本人は一番最後に知る羽目になります。関東から戻ったときは私も散々苦しみました。良く言えば「喧嘩の花を咲かせられないからそうしている」、悪く言えばただの「陰険」ですね。徹底的にコミュニティ維持のために人の心が動く、という土地柄なので、そのために人の独自性や個性が潰れやすい。(災害のときはその結束力がものをいったのですが)そのため、専門学校卒以上くらいの人たちは公務員になる人以外は地元を去ることが多いです。
もし彼女が地元に来たら、すごい伝説と作品が出来てしまう予感がしながら、それはお互いのために止した方が良かろう、こういう方は都会で暮らすのが良かろう、と考えてしまいました。地元にくらすクリエイターは里山暮らしで民家の移築などを引き受ける人とか、おとなしい人が多いと思います。

antonianantonian 2005/06/13 15:12 この場合、仮定の話をしてもフェアではないとは思いますが、たぶん彼女はどこにいてもあのペースを崩さすに生きる人なので、どこでも暮らせると思いますが、周りは大変でしょうね(^^;
でも、東京も村社会だとは思います。所属する共同体などで村化するといいますか。周り回って「あの人がこんなことをいっていた」という話を聞くと「アホか?」などと思う事もよくあります。これは社会共同体の宿命でしょうね。噂や人の悪口、陰口が糧になるというのは健全ではないですが、マスコミが率先してそうなわけで。

ぐりおぐりお 2005/06/13 17:53 近代社会になってから、みんなが同じ価値を共有することが前提になっているような気がする。その場合、そこから外れる人間は疎外されていく。そういう点で、芸術家は大変だろうとは思うが、芸術家の場合作品があってなんぼのもんだと思う。芸術家に対する評価は人間に対する評価でなくて、作品に対する評価だろう。その意味では、現代の社会は芸術家自身のプライバシーをあからさまにしてくるから、よくないかも。わたしゃ、耽美だから、芸術家の個人の生活には興味ない。

しゃるろとっかしゃるろとっか 2005/06/13 19:52 今日は聖アントニオの日でしたね。(忘れてた)
 おばあちゃんが生きていた頃、この日は教会の門の前で白百合売りをしていたものです。ばあちゃんチの白百合はい、なぜかいつも早く咲いてましたっけ。ある年から売らなくなったと思ったら、寒い冬だったので、球根が凍って枯れてしまったらしい。

antonianantonian 2005/06/13 20:30 ぐりちゃん>そう思いますね。近代以降の文化が面白くなくなっていくのは、その辺りだと思います。芸術家を常識で切り捨ててはいけない。芸術家はその作品において評価されるものだと思います。とはいえ非常識な芸術家を野放しにすると大変なこともおきますので、適宜に応答しなければならない側面もあるでしょうが。
まぁ、特に現代のような情報化社会は芸術家は生き辛いでしょうね。<他人事

antonianantonian 2005/06/13 20:32 しゃるろとっか様>そうなのよ。アントニオ様の日なのよ。
百合はこの島では野生に生えています。永良部百合という白百合が野放しで生えていたりしますがこの時期はもう枯れています。あとグラジオラスも生えていますが、もうお終いですね。

antonianantonian 2005/06/13 21:03 ぐりちゃん>この問題は、たとえば身体に障害のある方への差別とか、国籍の違う人への差別にも繋がっていく気がする。自分のなかの常識のあわない人間を、あるがままに受け入れるのは大切なのだと日頃思っているです。かくいう私も非常識の固まりだしなぁ、人の事、言えんわけです。

ぐりおぐりお 2005/06/13 21:04 しゃるろとっか様>アントニオというと白百合を持っていますね。聖書持ったり、幼子イエスを抱いたりしているのもありますけど、アントニオには白百合が似合います。

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