医療崩壊と少子化

我々の世代はなんだか小梨が多い。子供が欲しくても持てない人。それは例えば腹にイツモツがある為になかなか妊娠できないとか、殿方の種がないとか色々。不妊治療をしたとして子宮に問題があったらそれすら出来ない人もいる。だから代理母にすがる人もでてくる。しかしこういったことは親と子の関係性が明快でないということで日本では法律上腹を痛めた人が母とかそういうことになっているらしい。個人的な倫理的には代理母なんてしてまで欲しいと思わんのだけど、欲しいと思う切実な人もいる。そういう思いは単純に批判できない。ただ日本のシステムでは不妊治療にはまだ壁があるようだ。
或いは雅子妃に子供が出来ないとそこはかとなく責められるような社会。女は子供産んでりゃいい的な。いまだ女性側に非があるかのようにみる社会。こうしたことの精神的負担に取り囲まれた中で結婚が億劫になってしまう。「子供を作る」ということに対し、緩慢に精神的負担とストレスになる社会。
或いは母となった女性の孤立。地域社会の崩壊と共に、より顕著になった。子供に問題があるとなると母を責める社会。その孤立が母子を異常な密着へと追い詰めていくのかもしれない。そして虐待にまで走る人がいる。ただの無責任から来る虐待でない、重圧に耐えかねた虐待も多いのではないか。
或いは子供をめぐるあらゆる環境の崩壊。ロリコン犯罪者。変質者。そのような危険が日常に出現し始めた。もしかしたら数的には「いたずら」は昔からあったかもしれない。ただ殺人にいたるケースが増えているように感じる。どうなんだろう?だから子育てが怖い。
そして先日取り上げた医療現場の崩壊。産婦人科や小児科の医療が崩壊しつつある。母と子を取り巻く環境は急速に悪化し始めている。

これら全てが少子化へと加速度つけて向かっているわけで、なんでこんな社会になったんだろうねと思う。広告なんかじゃ「××に優しい」というフレーズが飛び交っているのに、現実の社会はどんどん優しくない方向に来ている。母と子、或いは父と子にすごく優しくない、家族という単位にすごく優しくない社会。

この社会の現実は北の軍国独裁主義国家なんかより怖い。

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昨日のニュースで色々なブログを見た。マスコミの発表を鵜呑みにして医者への批判を行う人も結構いた。特に妊婦は、育児をしている人は病院に批判的だ。「マスコミのいうことを鵜呑みにしてほんと馬鹿だね。」と言いたいところだが、彼女らを取り巻く上記のような不安があるなら無理もない。不安がナニか形になると安心するということもある。漠とした不安が彼女らの医者批判に繋がっているのかもしれない。それは単純化しすぎて間違ってはいるんだが、つまり彼女達の抱える不安は直接医者不足という現実を背景に成り立ってもいるわけで。しかし妊婦さんたちが事件に不安を覚えるのは無理もない。明日はわが身かもしれない。或いは患者の死に遺族達が怒りをぶつける先を求めることも非難できない。彼らは充分に傷ついている。

昨日も少し書いたが、医者は現場で手一杯で、システムの問題まで考える余裕などないだろう。彼らは職人だ。熟練労働者だ。目前の仕事に対し知りうる限りの術を施す。それ以上のことは手一杯だろう。体制を考えるのは厚生労働省やら医局の機構を作り責任を持つものや、或いは社会に生きる我々である。

三者がこれらの事件を前に感情的に誰が悪いなどと判断するのは愚かである。「医療事故」(もしくはどうしようも逃れることのなかった死)という現実があり、それらを招いた要因はナニか?それは善悪を超えて判断し、問題がある部分を改善していくという考えをするだけである。そこに感情的な要素を入れては物事は進まない。感情的になるのは遺族の特権である。或いは現場の医師たちの喪失感というものも含めれば携わった人々のそうした思いだけである。現場に関われなかったものは現実をどう打破するか?を考えるしかないではないか。

かつて妊娠とはものすごくリスキーなものであり、出産は命をかけるような危険な行為であった時代があった。「産褥熱での死」「子供の命を引き換えに死んだ母」という昔話は多かった。この一世紀。飛躍的にお産の安全性は延びたと思う。我々はお産は安全だとハナから思いこんでいる。それは先人の医師たち、助産婦達、学者さん達の努力によってなされたもので、今も医療の現場で働くものの努力によって確保されている。安全は空気ではない。無尽蔵に与えてくれるものでなく、そのような人がいて成り立っていることを忘れてはいけない。

そこに携わる人々を無力化するような風潮は避けたい。トンでも馬鹿は批判してもいいが、努力した結果なら、なにか失敗があったとき、その失敗をプラスに向けるにゃどうしたらいいか皆で考えるべきことだよね。

○ブログ時評
http://dando.exblog.jp/5093994
医療崩壊が産科から始まってしまった [ブログ時評59]

ずいぶん前の記事らしいんだけど、医療問題を考えておられるマスコミの方のブログ。一読に値するので読んでくださいです。

で、こんな2ちゃんねるの書き込みがコメント欄に。
匿名なのでほんとかどうかはわからないけど、そう考えているお医者さんもいるかも。

Commented by 日本における文明の衰退を生暖か at 2006-08-20 07:00 x
507 :卵の名無し :2006/08/17(木) 21:41:43 id:HH1SUG7C0
2ちゃんねるに書くようなことでは無いかもしれないが、匿名なので
昨日、死産に当たった。(福○県内ではないが)
警察に届けるか迷ったが、一応、届けた。
結果は、「業務上過失致死の疑い」となった。正当な医療行為の上でのこと
と思ったので、「医療上の適応、根拠」を自分なりに説明した。
しかし、警察は「自分たちは、医学のことはわかりませんが。被害者と加害者があることだけは確か
なので・・・」とのことだった。
20年以上、産婦人科医をやっていたが、これでやめる決断がついた。明日、辞表出します。
しばらくゆっり考えます。もしも逮捕されなかったとしても産婦人科はやめることになるでしょう。
日本の産科医療は、いや医療は、もうダメだと痛感した。

○女医の愚痴
http://d.hatena.ne.jp/natsuki821/20061021
2006-10-21 もはや誤報、捏造といってもいいと思う。

女医さんの正直な思い。

次第に事実が明らかになってきている。6時間放置(この間の関係者の死に物狂いの行為はどこに消えたのか?)、たらい回し(回っていない、電話連絡の上でのことだ)、検査をしなかったのは誤診(もう少し、勉強してほしい)・・・いいかげんな、思い込みの報道、患者の側に立ちすぎて、本当のことが見えなくなったメディアの恐ろしさを改めて感じている。

この恐怖は切実だと感じる。
警察の介入にショックを受けておられる。治せれば当然。駄目だったらお縄。をいをい『チャングムの誓い』なんぞみて医女チャングムがしょっちゅう牢屋に入れられたり死罪になっていて「王権の絶対下における異常」なんて思っていたけど、我々の社会も同じではないか。

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

eireneさんに興味深いローマ帝国の本を紹介されたのでそれも読みたいんだけどこれも読みたい。ああ。一ヶ月一冊って決めてるんでどっちにしよう。とりあえず本屋に並んでいたらそれを買う。

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わたくしは年のほとんどを島で過ごすので、過疎医療の問題は深刻。現に産婦人科なんか一ヶ月に一回ぐらいしか来ないんじゃないか?それすらも来なくなったら島の人はどうするんだろう。もっとも他の専門医も全部そんな頻度でしか来ないけどね。過疎だから。そういうお医者さんが月一回来てくれるだけでも有難いとは思っている。診療所の先生も頑張っているし。
で、例えば島の妊婦さんは鹿児島とか沖縄とか親戚のいる人はそこに逗留して医者に行く。もしくは医者にかかる為のアパート借りてる人もいるらしい。過疎だから諦めている。離島なんで仕方ないんだけど、それすら出来ない人にとってどうしたらいいんだろうね。