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あんとに庵◆備忘録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-01-20

[]ローマ大学教皇が嫌われた件について 01:20 ローマの大学で教皇が嫌われた件についてを含むブックマーク ローマの大学で教皇が嫌われた件についてのブックマークコメント

昨日の続きね。

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20080119/1200727578

どうも、その後、イタリア事情に詳しい友人に聞いたら、この光景微妙に違って見える。

イタリアというのは政教分離を謳いながら、その実全然そうでもない。

国公立大学に何故教皇が来るのかということと、キリスト教民主党との関係、つまり政治問題がかなり絡んでいるようだ。イタリアにおいてはカトリックは右より、つまり保守の立場の政治にかなり加担しているので、左派よりの人々からするなら目の上のたんこぶの親玉が教皇という按配ですな。

政教分離を標榜しながら、その実なってないという不満が一部の教授たちの根底にあるようで。

まぁ、よくある政治デモ、政治問題が、何故かガリレオ問題と絡むんでややこしくなってるが、実は案外単純な政治的な話かもしれない。

にしても、ローマも政治に色気がある聖職者どもが多いようだにょ。

右も左もうんざりである。

社会問題に敏感なのはいいんだが、信者馬鹿なので啓蒙しなきゃいかんなどと思っているのか、党派政治色つよく、その実、中味のない発言するのはやめて欲しいよ。日本の場合はイタリアと違い、どーも聖職者に超軽な左というスタンスの人々が多く、しかもマジな共産主義ですらない、社会主義ですらない、「なんとなくひだり」な、ちょっと前の学校の優等生なのが多くてつまらないです。朝日新聞天声人語社説みたいな説教聴いても寝るだけです。

すごい過激に左とか、すごく過激に右とかいうのがいたら面白いけど。

(某ナリー神父はその点では面白かったなぁ・・・)

でも、自分とこの主任司祭だとちょっと困るかも。

まぁ、もちょっと違うスタンス(よーするにカトリックという個性)で世界を語って欲しいななどと思う。しかし「カトリック」に対し勉強が足りなさそうである。神学を馬鹿にしすぎて、実学ばかりにかまけていると語るべき言葉がなくなってしまうんではないか。日本のカトリック教会はちょい前の時代の日本の偉大な神学者達をないがしろにしすぎていると友人が怒っていたが、その辺りがどうも弱い原因ではないだろうか。他者に語るには先ず持って内実を充実させないといけないと思う。

その点でうちの島の主任司祭は常に学んでいるのがすごいなと思う。あんなクソど田舎の辺境の島でも、現代の神学の本を取り寄せては読んでいてすごい。私のする馬鹿な質問にも色々答えてくださるのだが、その答えは明らかに深くて、広い神学の学びに裏付けられたものだと素人にもよく判る。尊敬してしまうのである。

ま・ここっとま・ここっと 2008/01/21 03:13
神聖フランス帝國皇帝サルコぢ一世は昨年12月20日午前、20分も遅刻してようやく教皇さまに平服で謁見(指輪にちゅーしなかったけれど)、午後はラテラノ教会でアンリ4世以降、代々フランスの国家元首がいただく勲章授与式をかねたごミサにあずかったぞなも。(以上の文章、イヤミをまぶしておりますヾ(`◇´)第五共和制においてはこの勲章をいただかなかった国家元首はポンピドとミッテランの二人だそうです。ただし、ミッテラン氏は社会主義者ですが大統領時代はマドレーヌのミサに通っていたと漏れ聞いたことがござる。
パリのヴァントワ大司教が枢機卿任命された昨年11月も内務大臣をヴァチカンに派遣しています。
フランスでさえ政教分離してもこんな感じなのでイタリアやエスパーニュはねっとりこってりべっとりの政府−ヴァチカン関係なのでは。

ところでこちら日曜夜7時ですが地方ニュースのトップが某教区内で今日はじめて1962ミサが行われたという・・・・なんと87歳の引退司祭が司教さまに求められて現役復活、司式ですと。映像では祭服は現在のものでしたよ。こういうニュースが政教分離していてもトップになるんですわ。

夢之介夢之介 2008/01/21 14:28 元来左嫌いから右を装っていたが、いかに抵抗しようと
彼ら自信が自分は左と思っていないところがあって、
右を装うことがアホらしくなってきた。
大阪のシナピス幹部は元中核派の幹部だったと聞くし
胡散臭いのが多すぎる。

rice_showerrice_shower 2008/01/22 12:54 一旦は瓦解に瀕した理論が、ある閃きにより劇的に再構築され、遂に『フェルマーの最終定理』が解かれた時のことを、アンドリュー・ワイルズは、
「言葉にしようの無い、美しい瞬間でした。 とてもシンプルで、とてもエレガントで...」と目に涙をためて語りますね。
美しい瞬間(とき)は普遍的に人々の心を潤す、という事なのでしょう。

antonianantonian 2008/01/24 23:26 ま・ここっと様>
おサルさんのニュースを聞くとベルルスコーニを思い出してしまうのである。んで、イタリア人てのは政教分離を都合よく使い分ける器用さも持ってたりもするかもです。まぁほんというとグレゴリオ改革の時代から政教は分離していたからにょぉ。ただ、学の分野は「教」の側にあったのだったり。
で、イタリアはローマの枢機卿が音頭をとった保守派の対抗集会もあったらしいですよ。あてくしがイタリアに住んでたら、そういう保守政治家枢機卿にムカついてたと思う。日本だとお左政治活動家司教にムカつくけど。

日本もお祭りのニュースなんかがトップになることもあるから、ところ変れば古典的ミサ復活も地域固有文化ニュースなんでしょうねぇ。なんとなくそれが正しい社会でもある気がする。マイノリティからみると、うーんとか思うかもしれないことはあるにしても、目くじら立てるより同居していくほうが自然かも。

夢之介様>
私の回りには筋金入りの「左」が大量にいて、彼らはそういうなんとなく左さんたちとは違うです。話が通じやすいし、よく判る。
今、右なスタンスの人たちから批判食らっているような司教や司祭たちは、学生運動時代でいえばノンポリの立場。「なんとなく左っぽい」思考を疑いもなく持っているんでしょうね。だから自分が左っぽいとか判ってないというか。そもそもその思考の根源を疑ってかかってない。つまり客観的思考、哲学的な推論訓練が出来てないから無防備な言葉を発してダメダメという感じ。
知識階級であったはずのカトリックも、世俗世界同様、現代的に「知識」への侮蔑が蔓延してますね。右左どっちの政治思想でもいいけど、とにかく感性が酷い。言語、典礼芸術、なんでもそうだけど。ロゴスに幼稚。この点では田舎司祭であり40年以上も日本の田舎にいる我が主任司祭(ドイツ人)の方が優れているかも。うちにおいてある芸術本にも敏感に反応します。田舎司祭をきちんとこなしながら知識への鍛錬も忘れてない。今、引退に入っている世代を含めた昔の日本人司祭もそんな感じだったですね。

ロゴスの宗教がそんな状態では衰退していくのもしゃぁないでしょうな。んで、日本管区というのはいずれなくなり、韓国管区かベトナム管区等に収斂されてくと思う。先ず修道会からはじまるかもです。

rice_shower様>
そういう瞬間を「啓示」などとギョーカイではいうんですが、芸術の喜びも、数学者の喜びも、宗教者の喜びも、真摯に向かい合って探求していく結果得たものを「美しい」と感じる、それを知っているなと。それは崇高なものだなと思いますね。

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