島の家には謎の存在がいる気がする

島の我が家ではタマにモノが無くなる。どんなに探してもない。もともと片づけが苦手なので色々なものが四次元に行くことはあるのだが、概ねはどこからか出てくる。そうではなく完全になくなるものがある。
アマンのNさんさんのところでは鍋敷きと銀のスプーンとフォークが無くなったそうだ。お慶さんは「泥棒にしてはその選択は変よね。もっとマシなものがあるんだから。だから謎なのよ」と話していた。私の家でははさみとお盆と何故か野菜の皮むきが無くなった。みんな銀色のものだというのが共通。誰かに貸した覚えもなく、持っていくにはどうよ?なシロモノである。

どうもなんか「ケンムン」のごときいたずらな妖怪がいるのかもしれない。
お慶さんとそんな結論に達した。

喜山さんがそのケンムンについてブログに書いていた。
与論島クオリア
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2008/03/post_ec35.html
■イシャトゥ

 イシャトゥは想像上の妖怪だが、イシャトゥの体験談は与論でいろいろ語られている。岩やウシクの大木に棲んでいて、夜、海に行く。

我が島にはこういうお化けがいて、主に海にいるそうで、そういえば私もイシャトゥの話は島人から聞いたことがある。海で出くわしたらおっかねぇんだよ。と話していたのを覚えている。かなり本気だった。

我が家にいる存在と違っておっかないようだ。

イシャトゥは人に悪さをする。与論の人はイシャトゥを恐れ、海で襲われて命からがらに逃げ帰る経験をしている人も多い。座敷童士のようなおどけた感じはない。もっぱら海にいるのかと思ったので、「岩やウシクの大木に棲んでいて、夜、海に行く」という生態は新鮮な知見です。与論にケンムンはキジムナーはいないと思うのですが、大木に住んでいるなら、イシャトゥは海イグアナのように海上に適応したケンムン(キジムナー)なのでしょうか。

 けれど、「イシャトゥは想像上の妖怪」と言って済ませないほうがいい。それは、海上でリアルな体験を与論の人が共有している限りにおいて、存在しているわけです。イシャトゥ話が尽きない限り、与論の自然は大丈夫だとも言えるのです。

島海は身近だから気安い存在になりがちだけど実は怖い。大丈夫と思っていて簡単に命を落とす。昨年も潜りに慣れた島人が、こんなところで?というところで命を落とした。海は怪異を見せるというのは、日本のどこにでもある話で、熊谷達也の短編にもそういう話があった。で、我が島ではイシャトゥという妖怪が跋扈しているらしい。要注意だな。

我が家に悪さする妖怪はそれと違って可愛いヤツかもしれない。
庭の一角に植えたガジュマルにいるのかもしれない。声をかけて育てていたんだがそやつが来てからはじまった怪異である。だからなんとなく留守がちな家を守ってくれる存在だと思うんでモノが無くなったことに目くじらを立てても仕方がない。好きに遊んでいて欲しいなどと思う。

そんな気持ちになるような島の生活である。
ガジュマルの周りには雑草が生えてかわいそうなことになっていた。早く綺麗にしてやらないといけないですよ。