真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

06-12-06

anutpanna2006-12-06

[]『デス・サイト』 ホラー映画は老いても

こないだ、やっとダリオ・アルジェント『デス・サイト』観たのです(遅すぎですね、すいません・・・)。殺人鬼が次々と誘拐をし、人質の解放か死を賭けて警察にネットのポーカーゲームを挑んで、警察が負けるたびに人質を殺していく、という異常な快楽殺人を描いた作品です。前置きがなく、そもそも舞台が警察ともわからないうちに突然話が始まるのでちょっと困惑。

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結構好きでしたよ。イヤ、助走の無さとか、キャラの性格の無さなど普通ならダメかとは思うんですが、実はアルジェントのアーシアが出てくる作品はどれも個人的にダメだったので、それらに比べたら昔のデタラメさが戻ってて大変好ましかったです。犯人が蚊みたいにどっからでも室内に侵入してくる、どうしようもなく逃げ場のない展開が(嗚呼、アルジェントならではだなあ)って。とにかく狙われたら一瞬の隙を見せた途端ひたすら殺されていく、「ホラー映画で、お客様に提供される娯楽の真髄とは人が殺されることである」とただただ教えてくれる、理屈や筋道など知ったこっちゃない感覚が懐かしくて嬉しかったです。

音楽もアルジェントらしい!というかクラウディオ・シモネッティらしい!エイベックスのコンピにでもまぎれてそうな、日本人向けに作った一昔前のイタロディスコみたいな癇に障る微妙さで、音楽が耳につくというのはアルジェントの特色だからこれでいいんです。『オペラ座/血の喝采』でもわざわざブライアン・イーノと一緒に、殺人シーンになると決まってメタルをかけるという選択をしたセンスと、いまだに近しいものを感じます。

犯人とヒロインの、命を賭けたレール上でのかけ引きとかほんとに幼稚で、アルジェントに斟酌のない人が観たら「レンタル代ドブに捨てたよバカ野郎!」と言われかねないし、確かにこのショボさこそ加齢による才気の喪失や低予算による低迷なのかもしれません。
でも、歳をとってきて発想が単純化されても、その豪快に気を張った簡略性の異様さって、どこの国の監督でも一緒で、実際オリヴェイラとかもっとすごいことになってますよね。なんか、『デス・サイト』にはちょっとそれに似た円滑化と無縁な、必要事項以外は捨象しているような潔さがあって、アルジェントはオリヴェイラみたいになっていくんじゃないかという気がフッとしました。まだまだアルジェントなんて若いから、これからもっと必要事項しか綴らないようなスゴイことになってく可能性はあると思う。それって、わたしにとっては面白い映画なのです。

あとやっぱり、ホラー映画のマエストロは今も稀有な発想があって、列車で轢死する人が車輪に引き込まれてグルグル回転してる姿を同じ視点(車両の下)で見せるカットとか、頑張ってて偉い。でも、そんなアルジェント作品でもいざ殺戮のシーンになると、フレームアウトさせたりカットを暗転させていました。安置室での生々しい遺体は見せるのに、殺害の実行シーンに関しては配慮がなされている自主規制は虚しい。斬首されたばかりの頭の表情から、力が抜けて口が歪んでいく、まさに滅する瞬間を眼前にしたような神秘的な死の姿や、頬に刺した刃物の先が口腔に覗く、あの色々な意味で突き抜けた表現が、そのカタルシスでわたしを浄化してくれた日はいっそう遠のいていくばかりなのでしょうか・・・。こういった角を矯められた作品に出会うたび、現実と想像の境目の区別もつかない病んだ人間の巻き沿いを食らうのはゴメンだと、ほとほと痛感します。

最後、唐突に妊娠が意味を持つのは今までアルジェントにそういった要素は観られなかったので、ちょっと意外でした。こういった女性性の特有さに拘泥のあったアーシアの『スカーレット・ディーバ』とか、どう思って観てたんでしょうね。この終わり方など、不思議な余韻のある映画だと思います。アーシア主演で撮ってた時より、乱暴だけど醒めてる気配がしました。手馴れた監督は予算の無さや才気が失われたことも、何をすれば非凡に見えるかという経験則で、凡庸さをねじ伏せることが出来るのです。まさにそういったラストカット、ヒロインがカメラ前からはけるヘンなタイミングが凝っていて、気が利いてました。

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