真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ このページをアンテナに追加 RSSフィード

08-08-10

anutpanna2008-08-10

[]風をやり過ごす 『ハプニング』

わたしはシャマラニアンなので、『ハプニング』も面白く鑑賞しました。ただ、シャマランの中ではまあまあ程度の出来だとは思います。どんな監督でも、成瀬でもジョン・ウォーターズでも、一定テンションのフィルモグラフィーはありえないし、P.T.A.ですら(これが一番好きという人も周りにいるが)『パンチドランク・ラブ』は30年後にP.T.A.評論が書かれる際、筆頭にあげられる作品ではないことはファンの人にもわかるわけで、『ハプニング』もシャマラン史の中では目立たない作品にはなっていくと思う。

 本作のオチが明瞭じゃないというのも、確かに鑑賞前の高まりすぎた期待に応えきれないものだけれど、予想外のサスペンスというのを毎回作るうちの、オチのつけかたに関するおそらく試行錯誤の一環であったと思うし、今回のチャレンジングを(ンー・・・)と顧みたりするなら、作り手も次は違うパターンを狙ってくるでしょう。だから、これは決定的な変化だとは思わないです。(『サイン』の異様な静謐さという変貌ぶりの方が、振幅としては大きかったはず)。

なんにせよ、シャマランが特異な才能や発想を持った監督であるのは、今回も明らかです。突拍子のない、まさかという物語が映画という虚構の中でもっともらしく、目にも鮮やかに作り上げられていくのはいつだって驚異。『レディ・イン・ザ・ウォーター』でも顕著だけれど、想像=創造とは着想の一瞬ネタや一本の筋ではなく、そこに枝葉末節を凝らしていき、骨に魅力的な肉をつけるように隅々まで埋め尽くすことです。そして現場に入れば、リズムやまとう雰囲気をいかに作り出すかという、別の能力である「演出」がそれを実現に導く重要要素となっていきます。本当の創造とは線ではなく、縦横の糸を交錯させるタペストリーであり、または奥行きも与えた飾り箱を作ること。その根気こそがじつは重要なんであって、シャマランが魅力的なのはそれを見せる演出や構成力も非常に大きい。

わたしはシャマラン作品に限らず、「オチがすぐわかったから面白くなかった」「オチがたいしたことなくてつまらない」という人は、オチだけを確認するために2時間も映画館に毎回毎回通ってるのかと不思議でしょうがありません。そういう見方をする方にとっては、2時間の撮影、演出、特殊効果、美術、脚本の小粋な会話、音楽、そういったものは映画に含まれていなくて、「オチ」の5分こそが映画なの?オチを高めるための演出の妙すら、それがたとえ見事であってもオチに納得いかなければ帳消しにされるとしたら、「オチバレあり、注意」という粗筋だけ読めばいいのでは・・・?これはイヤミではなく、わたしの印象としてオチですべてを評価されるって、本当に不思議なのです。たとえばオチと関係ない、『ヴィレッジ』のエイドリアン・ブロディの行く末に涙ぐんだりはしないんだろうか。

ただ、シャマランの創造する世界に相性が悪いという人も、生まれつき当然いると思うので、それはしょうがない。そういった方に無理強いはできないし、単純な波長の合う合わないや共鳴の有無なので、(オチの問題ではなく)創作スタイル全般や世界観に馴染まない方を、「理解できないんだ」というふうには捉えはしません。大げさな表現だけど、歩いてる道が違うだけのことだと思うので。
レディ・イン・ザ・ウォーター』で、アパートひとつで完結した宇宙が語られることが、そもそも受容できない人も存在するだろうと思うのですが、わたしが思うに、宇宙を作るというのは広かろうが狭かろうが比率の問題であり構造は同じです。アパートひとつで完結したドメスティック宇宙を魅力的に見せる手腕と、そのアパート宇宙に縮小された中に、散りばめられた要素が各々素晴らしく意味を担っているのなら、それを平然とやる独創性と熱意を買いたい。一人の頭の中で練り上げられた現代を舞台とする御伽噺が、小さな宇宙として完璧で、熱くて魅力的だから肯定できるという人間にとっては、『レディ・イン・ザ・ウォーター』は絶対に愛したい映画です。

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また『ハプニング』でもやはりシャマランらしいサスペンスを見せる絶妙の間合い、演出が素晴らしくて、特に今回はそのサスペンスフルな状況に笑いをひそませるという高等なことをやってのけているのが驚嘆しました。都市が自殺のウィルスに汚染されているらしい中で、逃亡中のマーク・ウォールバーグがある一軒家に立ち寄ろうとし、たてこもる人に「ボクは感染してません!(突然歌いだす)♪ミシシッピーのなんとかが〜・・・・、ね、正気でしょ?」という場面。ハラハラしているシーンで、シームレスにバカげたことを始めるウォールバーグに対し、思わず声をあげて笑ってしまうと、直後に惨劇が起こり笑顔が凍りつくというこの流れは、一体なんでしょう?咳止め薬を買う話をするウォールバーグのニヤつく表情とか、「エッ?!今の何?!」と周りの観客に尋ねたい意味不明な笑いがいくつもあって、現場でウォールバーグは「これは真剣なシーンです!」と言われて演じてるのか、不思議でしょうがないです。他にも「・・・ビニールだ」のシーンでサイダー噴きそうになった。というか嚥下した直後にマジ噴いてむせそうになった。

CGは、ウォールバーグのギャラでけっこう消えたのか、『サイン』なんかと比べても途中のビデオ映像がチャチかったりして残念でしたが、風をやりすごすという発想は本当に素晴らしいと思いました。怖いものが行き過ぎるのを、息を呑んで待つシーンは色々なホラーやサスペンスで見たけれど、風が超えるのを待つって非常に珍しい。そして、冒頭の公園シーンで、娘たちの髪を撫ぜて揺らす風の量も美しい。風を部分的に操るのは本当に難しいことで、それが本作はとても魅力的でした。

そして、家と小屋に別れ別れになってしまったウォールバーグとズーイー・デシャネルが、一緒にいたいという場面は、ただ単にお互い小屋を出るだけのことなのに、凄まじくドラマティックで荒れ狂う風といい、これもミニマルなことを劇的にしていく、見事な構成に基づいた演出だと思います。

確かに今回はパンチが弱い映画ではありますが、やはりシャマランは唯一無二の創造性と、演出など映画監督として傑出した力量を持つ職人ですし、映画全体を統括する能力なども、キチンと評価されるべき監督だと思います。今回、シャマランが声しか出てないのが寂しいですが、脇役がイイ顔揃いな魅力も健在です。ズーイーの神秘的な美貌と、生意気な個性もステキでした。