真魚八重子 アヌトパンナ・アニルッダ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

11-06-23

anutpanna2011-06-23

[]シャマラン原案・製作の『デビル』、『レディ・イン・ザ・ウォーター』について

シャマランが原案を提供、製作を担当し、若手の監督が映画化するプロジェクト“ザ・ナイト・クロニクルズ”の第一弾です。監督は『REC / レック』のハリウッド版リメイク『REC:レック/ザ・クアランティン』を手がけたジョン・エリック・ドゥードル。公開は7月16日からです。

〈物語〉高層ビルで突如窓を突き破って落下する自殺者。そんな不吉な予兆が導くように、そのビルのエレベーターに5人の男女が閉じ込められた。警備員が調べても異常は発見できず、いたずらに時間が過ぎていく中、不意にエレベーター内で原因不明の停電が起こり、そのわずかの間にひとりが死んでしまう。事故なのか、ほかの4人のうちの誰かが殺害したのか・・・。

最初に起こった自殺を調べていた刑事は、事故で妻子を亡くして以来アル中となっていたのを、なんとか克服して職場復帰したばかりだが、急遽エレベーターでの死亡事件の指揮をとることになる。ところがレスキュー作業がはかどらぬうちに、再び停電が起こって、またもやひとりが死んでしまった・・・。

コレ、素晴らしいです。演出も映像も編集も秀逸。シャマランの独自な世界を会得して、それを最大限いかした面白さを湛えながら、独自のギミックも織り込みつつまったく無駄がない。オープニングのタイトルバックは、カメラを逆さにして、海上から都心へと滑空する空撮で始まります。もうこれが、本当に心臓を鷲掴みにされる視覚の愉楽に溢れてて、ドキドキしてしまいました。逆さで空撮なんて簡単に思いつきそうなのに、これほど風変わりで気持ちのいい都市の眺めは初めてです。まさにスクリーンに吸い込まれそうな魔術があって、(絶対この映画当たり!)とこの時点で思いましたよ。

作品の傾向は、シャマランの中では『レディ・イン・ザ・ウォーター』が一番近いです。シャマランの自分ルールが敷かれた物語の中で、ミクロコスモスが補完されできあがっていくあの世界。『レディ・イン・ザ・ウォーター』がアパート一棟の宇宙だったのに対し、本作はエレベーターに集まった人々で、世界の代表的な事柄を最小限に縮小して見せるというものです。

だから『レディ・イン・ザ・ウォーター』が、シャマランの俺ルールを受け入れて全肯定するわたしのような者と、「ばかばかしくて付き合ってられない」と、自己完結した勝手さに拒絶反応を示す人で評価が真っ二つだったように、本作もおそらく分かれますね。

『デビル』がどういった世界観の映画かは、いきなりオープニングのナレーションでわかります。シャマランらしく「引っ掛けかと思ったらド直球」なもの。超常的な現象を前提としながら、ミステリーとして「誰がどうやって殺したのか」というフーダニットの面白さもはらみつつ、箱庭のように小さな世界で全人類の象徴を作り上げていくのが、本当にシャマランらしいアプローチ。「なぜその5人なのか」という理由も、(それはないだろー)という埒外に置いたところから降ってくる感じなので、まあ人によっては怒ると思います。

「マンションで宇宙の縮図を語っていいじゃん」と思うか、「マンションにろくでなしを集めてそんな大仰な話を語るな」と思うか、その違いですね。でも、物語は象徴であり、寓話として人間のあるべき姿や、文明の不思議を語るならこれでいいんですよ。というより、なぜ悪いのだ?

映画はわたしたちの日常と地続きだから、映画内現実も、現実ルールに従わなければならないという枷が普通はあるのだけれど、『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、映画は「現実に仮託された神話のようなもの」として成立している映画です。ある意味たしかに、視野狭窄も甚だしい前提のうえに転がっていく話なのですが、小さい場所で壮大なホラを吹きながらも、ある人間たちの宿命を物語り、人として原初的で重要な〈利他〉の問題をつきつめているから、神話の様相を呈するのです。神話というのは「宿命」と「役割」が大事で、だから天命を告げる予言が通用する。そしてそれが普通のアパートの中で、まるでパズルのピースがビシバシはまっていうように、エモーショナルな盛り上げ方でミクロコスモスを織り成していく面白さ。

もちろん、アパートという箱庭で、現代のダメっぽい人々に仮託された神話世界が完結する異常さを、だから面白いと思うか、独りよがりでダメだと思うかは、もうたぶん相性の域に入ってくるので、苦手な人を捕まえて「シャマラン観」を変えるなんて、無理だろうなーという気もします。

(以下ネタバレです)


『デビル』もまったく同様です。これも現実からは隔たった――神話的な倫理で引き寄せられて、そこでみずからの罪を償わされたり、自分の意志で宿命を選ぶことができるという道徳の話です。神話で語られるのは象徴的な事柄であるように、『レディ・イン・ザ・ウォーター』やこの映画も同様に最小限の単位によって、純粋な、わかりやすい正義と悪を真っ向から語ります。だから泣ける。人を形成するプリミティブな倫理にまつわる物語だから、熱いしエモーショナルな動きがあり、わたしには根源的な人間の姿を描いた映画に見えます。

シャマランの唯一無二な物語世界は、強引な跳躍をしたまま現実に戻ってこないことが異様で面白いのだし、しかし現実的なハコの中でなくても、そこで〈人としてあるべき道〉が説かれ、報いがあるから満たされる温かさがある。この人道を描くという、下手をしたら時代錯誤とも思える人のありようを映画にすることも、シャマランのマジック・レアリズムならばこそ成立します。『レディ・イン・ザ・ウォーター』でシャマラン自身が、「利他の精神によって未来に引き継がれる語り部の宿命を受け入れる」役を演じたことと、これは無縁ではないはず。思いがけない虚構で善悪を引き寄せて語る、それがシャマランなのです。

シャマランがそれを映像で語るにあたって、演出や編集、音の支配という技術や天性がとても重要な要素を成すわけですが、『デビル』も非常に秀逸です。カメラが風に舞う帽子を追うショットのマジカルさ、色調の雰囲気、回想シーンの簡素さなどもとても好感がもてました。シャマランだったら、また真顔でヘンなギャグを織り込むと思いますが、さすがにそんな余裕はないものの、十分面白さをもった演出で引き込まれます。

“ザ・ナイト・クロニクルズ”は第一弾で、レベルの高い若手監督を見出せて良かったですね。お客の入りが決して芳しくないシャマランの、それも監督作じゃないせいか、東京でも規模の小さい上映なんですけど、できるかぎり見てください。この夏のオススメ!


『デビル』公式サイト http://devil-movie.jp/