第二回 エンジニアリング以前/以後

はじめましてこんにちは!
B4小塚です。


5/23にサブゼミB班の第二回発表がありました。
今回は各々が文献を調べ、アレグザンダーの『形の合成に関するノート』に通ずるものはなにか、といった具合に発表を行いました。
B4吉野→M3山内さん→B4小塚 の順で発表を行いましたので、それに沿ってご紹介いたします。

B4吉野
世界の住まいにみる 工匠たちの技と知恵』大田邦夫著 学芸出版社 2007
『集落探訪』藤井明著 建築資料研究社 2000
『世界住居誌』布野修司著 昭和堂 2005
インドネシアの原住民(サダン・トラジャ族、トバ・バタック族、カロ・バタック族)の集落を取り上げ、暮らし方や伝統、サブシステムを考察します。
各々の集落は大きな時間的スケールではつながりが見られるが、各々に発展していったと考えたほうが良いようです。
また、いずれの集落においても構法と生活様式が一体化しており、ヴァナキュラーな建築ほどこの傾向は顕著に表れるようです。
無自覚な建築における、いわゆる“ねばり”と言われるものは、こういった部分から感じられると思います。
※ねばり…他のサブシステムからの干渉の受けにくさのこと



M3山内さん
『機械化前の建設技術としくみ』ジョン・フィッチェン著 鹿島出版会 1990
『住居論� その5−西アフリカ地域集落の構造論的考察』東京大学生産技術研究所 原研究室著 鹿島出版会 2006
ニジェール、オートボルタ、コートジボワールの集落8種を取り上げ、住宅を矩形プランや円形プランに分類し、変化の途を辿ることで見えてくるものとは。
伝統的な、ヴァナキュラーなものが無自覚といわれる所以を探ります。
生活と住宅形態が密になっている点、材料がその地・その場で調達できる点、長い年月ただただ形態模写され続けていた点などが無自覚といわれる所以と言えるのではないでしょうか?



B4小塚
『現代建築の造られ方』内田祥哉著 市ヶ谷出版社 2002
日本の住宅における無自覚と自覚を考察しました。
今回は木造建築の伝統工法と在来工法を取り上げました。
・伝統工法…車知や込み栓を用いて木と木を引き寄せる工法
・在来工法…ボルトや金具を用いて木と木を引き寄せる工法
伝統工法ではひとつひとつの木のクセを読み取った加工が求められ、この加工技術は経験を通じてのみ培われるものですが、
在来工法ではジョイントの規格に合わせた加工で済むため、形式化された教育を通じて学ぶことができます。

そして無自覚と自覚の区別は教育の場が最も明確なものとなっています。
・自覚していない文化…模倣と修正を通じて学ばれる文化
・自覚している文化…学問的に教えられる文化

上記より、伝統工法を無自覚な建築のもの、在来工法は自覚された建築のもの としました。


発表後の質疑応答で
“在来工法でも量産されたものは無自覚では?”
という意見が出ました。
これは、量産化した人は“自覚”だが、コピペのごとくただただ量産している人は“無自覚”ではなかろうか!といった意見でした。
自覚を背景に持つ無自覚といったものでしょうか?

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自分以外の発表をこうしてブログにまとめることは非常に難しいものですね。
同じ班といえどこのありさまです。。。
サブゼミ以外のことにも言えることではありますが、発表後ただちに考えをまとめること、今以上に発表の場に集中することを徹底し、そこで得たものを自分のものにしていきたいです。というか、していきます!!!!!


以上、いつの日か議論で先生をきりきり舞いさせようと企んでいるB4小塚でした。笑