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教育基本法の改正についての最終報告が自民・公明両党の検討会で合意されたことを受けて、同法改正案に関する議論が活発化している。特に「愛国心」の涵養を盛り込むことに対しては賛否両論がある。
いまのところ議論の焦点が「愛国心」ばかりに絞られていて、全体の構成や他の部分についての言及があまり見られないのは少々もの足りない気がする。与党の側は新しく盛り込んだ理念や項目について強調するだろうが、むしろ注目すべきは削除された部分かもしれない。現在見られる法案についての第一印象としては、現行法が基本的な骨格のみを示した「基本法」らしいものであるのに対して、改正案の方は妙に細々としていて個々の条文の主従関係が曖昧になっているように見える。
教育基本法の改正が憲法改正の前哨戦として位置づけられているのは憲法改正推進派にとっても憲法改正反対派にとっても自明のことだろう。現行の教育基本法は現行憲法の理念を色濃く反映しているために、戦後民主主義や戦後教育と呼ばれるものに対する批判や擁護の影響を直接的に被ることになっている。これは、日本の非軍事化と民主化をめざす戦後改革が戦前・戦中の軍国主義や超国家主義をはじめとする国家と国民とを戦争へと導いたとされる要因の否定の上に成り立っているものであることに起因している。つまり、戦前と戦後とをネガとポジとの関係としてとらえる見方が、戦後的なものに対する反動を強化する方向に作用しているように思える。実際の歴史はそれほど単純ではないが、大雑把なとらえ方としてはとても「分かりやすい」構図なのだろう。そのようにとらえるとしても、戦後的なものが誤っていたとするならば、どこが誤っているのかを改正推進派の人たちは明らかにし、きちんと実証的に立証する責任があるのではないかと思う。単なる思い込みや憶測だけで大衆を煽動するのはやめてもらいたい。
「愛国心」については「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」という条文が出てきている。まず内容の問題として「伝統と文化をはぐくんできた我が国と郷土」というのが何を指し示しているかと、「愛する」とはどのような行為であるかという点が挙げられる。また、国(や社会)に対して教育を受ける側がなんらかの行動や態度を示す必要が生じるようになるのではないかという危惧がある。かつて国旗国歌法が成立したときに、当初は教育現場での強制はしないということだったにもかかわらす、特に東京都で見られるような学校と教師に対する締め付けとして利用される事態が既に起こっていることは、今回の教育基本法の改正の試金石として参照しておくべき事例であると思う。
◎ 第十条(教育行政)について
【「不当な支配」とはどういうものを指すのか。】
○ 昭和22年3月14日衆議院・教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>
第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育が国民の公正な意思に応じて行はれなければならぬことは当然でありますが、従来官僚とか一部の政党とか、その他不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによつて教育の内容が随分ゆがめられたことのある。(中略)そこでそう云ふふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配に教育が服してはならないのでありましてここでは教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表わしたのであります。
教育基本法の制定に関する資料