青い森のねぷたい日記

この日記は東京都在住の教育公務員、青い森が暇なことをいいことに書き殴りのように書いている日記です。
遂に住民票を東京都に移し、現在東京の某所で教育公務員として毎日忙殺されています。

2017-01-03

 いま、ちまたでは2020年学力話題となっている。入試システムもそれに合わせて変わるのだそうだ。

 2020年学力は、自分感覚でざっくり説明すると、それまでの知識注入型、講義式、一問一答形式学力観や授業観ではなく、思考重視型、議論や発表などのアクティブラーニング型、論述形式学力観や授業観へと変化していくだろう、ということである

 新しい学習指導要領でも、知識思考だけでなく、関心の部分が「学びぬく力」へと変化し、入試のためだけではなく、生涯にわたって社会に出た時でも、学び、考えられるような能力を養っていくことが求められてくる、ということである

 まさに今回の学習指導要領は、説明だけを聞いていると、それまでの学力観をパラダイムチェンジしたような、そんな指導要領となりそうなのである

 だが、現実教えるのは現場教師たちである

 現場教師たちは(自分もそうだが)、これまで習ってきたことに対して、何の抵抗もなく、むしろ得意だったからこそ、教師になっているわけである。そもそも「自分は授業で発表することが好きだったから教師になる」っていうもの好きはまれで、だいたいは「その教科が得意だった」や「部活がやりたいから」など、自分学校という現場で受けていた教育が「よかった」から、その職に就いているわけである

 そんな人たちが、これから始まる学習指導要領を教えるのは、正直にいって無理だと考える。

 いや、正確にいうと無理というよりは、これをバカ正直にやると、教師過労死しそうになる、ということである

 例えば、小学校では英語正式に教科となり、プログラミング教育も導入される、おまけに授業時数は増加し、とてもじゃないが週5日制では消化できないほどになっている。

 そんな新しいことを学ばなきゃいけない上に、公立校であれば、多様なニーズの子どもたちに対応しなくてはならない、おまけに夏休みもない、研修行かなきゃいけない、それにプラスアルファで、家庭での子育てなど、プライベートなこともある・・・

 また、比較時間に余裕のある高等学校現場でも、大学入試が変わるため、それに対応しなくてはならない、おまけに地歴科・公民科は教科内容の変更だし、多くの科目で新しい科目が登場しているので、新しく作らなくてはならない・・・

 とりあえず今は正月休みなので、かなりインプットをすることができているけど、ひとたび現場が動き始めたら、そんな余裕がないほど、今の職場は忙しい。おまけに職場の中で、「がんばろう」という気持ちの人が少なく、その精神状態は、早く帰る人を「ずるい」とか、「あいつは仕事しないで帰りやがって」と思ってしまうほど。まさに、心を亡くしてしまうほど、忙殺されているのである

 そして、そんな忙殺状態から、ごめんなさいでは到底済まないミスに発展しやすくなる。生徒を傷つけることは当然あってはならないのだが、忙しくなると、発言や行動が、常識では考えられないことをしてしまいがちになる。

 そんな心をすり減らした人間が教えることが、果たして未来の子どもたちにとってプラスになるだろうか(反語)。





 これから求められる教育は、正直、「教師になりたい」と思う人が教えることのできないものとなる。むしろ、これまでの学校教育の枠から外れた人たちが評価される、そんな時代へと突入するのである

 最近読んでいる本を読めば読むほど、教師が教えるべきことって何だろうな、って思うことがある。受験のための知識だったら、塾の先生の方が強い。今は、ネットでも見れる時代だ。ネットの方が分かりやすい。人生を教えるんだったら、学校という小さな社会に閉じこもっている大人なんかより、社会をたくさん知り、たくさん見ている大人から、ホンモノを学んだ方が、より多くを得られるだろう。

 だから教師は、教える存在ではなく、コーディネートやプレゼンテーションをする時代になった、とよく聞くが、コーディネートが教師仕事であるならば、そこら辺の会社営業と変わらねーじゃん、って。それに、そんなんだったら自分って何なん?って思うよ、うん、思う。自分なら。





 最近、今の勤務校にいると、そんなことばかりを考えるようになった。二校目となり、自分目標がある程度達成され、新たな目標が見つかっていない。見つけようとしても、それが究極、「自分のため」になっていくような気がしなくて、ただただ受け身の日々を、今の職場では送っている。こんなんじゃダメなんだろうけど、それを克服する術を自分は今、持ち合わせていない。



 post-truthという言葉は、真実はさておいて、気持ち感情に訴えたものが、正義となっていく社会を示す言葉である。でも、それが正義となった場合、新たな独裁者正義をふりかざしても、それが真実で正解となる世の中である。そういう風にならないために、教育をしていかなくてはならない時代である

 真実や答えのある問題が大好きで、そして自分アピールしたくてしょうないけど、うまく自己表現できない自分にとって、本当に生きにくい世の中になったなあ、と最近つくづく感じるわけです。



 じゃあ、オルタナティブは?

 社会的な正解は「誰かと対話し、自分の「軸」を持つこと」。でも、ネガティブ自分の正解は・・・



 「現状維持」「情報の流れるがままに身を任せ、時々陰で愚痴を言う」



 これに尽きますな。


 とりあえず2017年自分がしたい野望を羅列。

 受験指導を頑張って、志望校にたくさんの生徒を入れること

 論考を発表し、雑誌に載せたり、学会発表すること

 深い、教養のある日本近代史の授業(必修・日本史B)をすること

 入試問題積極的活用するんだけど、その入試問題を深く教える授業を提唱すること(→ちなみにこれが、歴史の授業で新しい学力観と、現実入試、そして勤務校の現状に合わせてできる唯一の答えと確信している)

 早く帰ること(→これ重要!)。自分趣味を充実させること(→これマジで重要!)

 旅行に行くこと




 そんなことを思いながら、明日東京戦場)へ戻ります。

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2020年の大学入試問題 (講談社現代新書)

2020年の大学入試問題 (講談社現代新書)

 新しい入試形式について紹介。何かこういう問題と向き合っていると、教師になる人ができるような問題のレベルを超えているから、究極、教師いらねーじゃん、って思えてきちゃうんだよね。

 教師専門性って何なんすかね。

2017-01-02

 お正月実家に帰ってきて、パワプロやったり、紅白見たり、毎日のようにジャスコに行って、図書館で本借りて読んだり、パワプロやったり、ガキ使ようやく見終わったり、たらふくご飯を食べたり、パワプロやったりしながら過ごしています。

 最近目指していることは、入試問題を教材にして授業ができないか、ということ。受験指導もあるけど、教科の本質についてもやりたいから、それを両立させるのが入試問題なのかな、と。特に東大一橋大の難関大学。内容は難しいんだけど、歴史から現代を読み解く、という姿勢がそこに見え隠れするから

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 これから公教育をまさに考えるための一冊。オランダ教育を参考にしながら、教師知識教授するという画一的に行う教育は、これから知識基盤社会グローバル化AIの台頭などに対応できなくなるから、そうではない教育模索すべきという一冊。そこに書かれているのは、教育目標本質を見定め、「よりよい教育とは何か」を考えることが重要であること、子どもたちにも、知識を教えるのではなく、そこにある本質を教えるべきこと、そのためには異年齢集団も含めた議論対話が欠かせないことを述べている。

 正直なところ、この本を読むと、確かにこれから社会にはこうした教育必要だとワクワクする反面、現行の指導要領を逸脱することになりそうだし、何より今いる学校の生徒のニーズ真逆のことをすることになるので、そのバランスをとりながらやるには、相当な労力がいるだろうな、と。あと協力者と。

 


 そして、次の学習指導要領はある種、こんなことを目指しているんだろうな、と。小学校はいいけど、高等学校でこれやるのって、教材研究が大変なんだよね、その労力を僕にください( ノД`)シクシク…。

2017-01-01

 新年あけましておめでとうございます

 本年もよろしくお願いします。


 青い森2017

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