Hatena::ブログ(Diary)

青い鳥ブログ

2011-11-15

aoitoriblog2011-11-15

ド田舎に落ちこぼれがいない理由


■ド田舎に落ちこぼれはいない、「浮きこぼれ」だけがいた

 私が育ったド田舎に、落ちこぼれはいなかった。代わりにいたのが「浮きこぼれ」。私がいたのは1クラス16人前後の小さな学校だったのだけれど、クラスにいる16人のうち、文部科学省が定めたカリキュラムについて行けているのは2人だけ。残りの14人は、少なくとも数年の遅れをとっていたと思う。

 するとどういう風に授業が進むかっていうと、最初の10分間だけ「2人に向けた通常授業」をするのよ。カリキュラムで定められた分をサラッと終わらせるの。どうせこの2人は往復120キロかけて遠くの街の塾に通っているから、サラリと教わるだけで十分だと思われているのね。この間、14人の子供達はボーッとそれを見てるだけ。そして残りの40分間は、ここではマジョリティとなっている14人のために、中学校の教室で小学校の内容を教えるわけ。この間、2人は手を上げるだけで邪魔をするなと注意されるんだ。だから静かに、「自分の勉強」をすることになる。

 ただ普通のカリキュラムについていける、それだけの些細な優秀さで、2人はこぼれてしまっていた。こういう児童を、落ちこぼれじゃ無くて、その逆の浮きこぼれって呼ぶらしいよ。ちなみに浮きこぼれ2人のうち、1人は生徒会長や部活のキャプテンを積極的にこなす良い子な優等生男子で、もう1人は成績だけが取り得のヤンキー女子だった。まぁ、これが私だったりするのだけれども。

 というわけでヤンキー女子な私は、そんな学校の体制に反抗して、「私達を浮きこぼれとして扱うのはやめてくれない? カリキュラム通りに進めれば良いじゃない、国で決めてくれてるんだから。正直、学校ではなぞるような教え方しかしてくれないからこそ、塾に通わなきゃいけないわけでしょ? 塾に通うったって、ここらじゃ生半可なことじゃないのよ。親に週何度も往復120キロ車を走らせてもらって通うしかないんだからね!」と、至極まっとうな、けれども残酷なことを言って教師に噛み付いていた。それに対して教師は、「こんなド田舎じゃな、綺麗事言ってられないんだよ!」とキレていたっけ。そしてますます私は反体制派なヤンキー女子となっていったわけなんだけど。

■田舎で“都会で闘える学力の子”を育てるということ

 きっと別に、私ともうひとりの優等生男子が特別に優秀だったわけじゃない。私達の両親にはある程度の経済力と並々ならぬ教育熱心さがあった、というだけのことなのだと思う。正直、こんなド田舎で、都会でも通用するような学力を子供につけさせるのは、生半可なことじゃないんだ。週に何度も、親が5時間くらいかけて送り迎え&待機してあげなければ進学塾にも通えないし、高校からはせめて進学校に通わせようと思ったところで、下宿させられる経済力と越境入学をクリアできる学力がなければそれも叶わないし。どんどんふるいにかけられて、結局クラスに1人か2人くらいしか、「都会で闘える学力の子」が育たないわけ。

 ちなみに、どうしても「都会で闘える学力の子」に育てなきゃいけない理由は、別にないんだ。いわゆる“田舎の子”として田舎で暮らし続けるのであれば、普通に義務教育を終えて、隣町の高校にでも行けば十分。それで地元の零細企業には十分就職できるはず。子供にこの手の人生パスを与えたい両親は、子供が少しでも「習い事がしたい」「塾に行きたい」という意志を発しただけで「そんなモン必要ないっ!」と怒るらしいね。けれどそれは愛ゆえなのだと思う。中途半端に頑張らせても、親の協力や本人の努力が続かなければ、夢を見ただけ苦しい未来が待っているかもしれないわけだから。

 一方で、子供に少しでも大きな可能性を与えたいと思う両親は、子供と共に苦難の道を歩むことになる。お金も時間も労力も使って、子供にも孤独と努力を背負わせて、「田舎らしくない」教育方針を貫くんだ。そんな子供は「都会の子供」という見えない仮想敵を与えられて、全国模試の結果だけを頼りに、ひたすら彼らに追いつき追い越すための日々を過ごすのよ。いつか大学で、もしくは社会で、彼らと実戦を交える時が来るのだと信じて。

 私ももう20代後半で、教育を「受ける」側の気持ちよりも、教育を「受けさせる」側の気持ちが気になるようになってきた。周囲の友人もそれは同じらしくて、「都会で子供を育てるのは大変だから、田舎で子育てしたいな」なんて声が聞こえてくることがある。インターネット上でも、「これからは地方の時代。田舎でコストを抑えた豊かな子育てを」みたいな記事を見たりする。たいてい都会育ちである彼らがそんなことを口にする度に、ド田舎出身の私はこんなことを思うんだ。「子供を“田舎の子”にする勇気があるなら、そうすればいいよ」と。

田舎で“都会で闘える子供”を育てるのは生半可じゃない。その道を辿ってきた人間であれば、まず自分の子供に同じ道は辿らせたくないと思うほどに。ま、倉本聰作品のような生活に憧れる人は、「北の国から」’89〜‘92の純くんの苦悩を見てからにしてってこった、ね。

兎に角野朗兎に角野朗 2011/11/21 10:19 この記事飛ばしていました。すごい興味深いですね〜。何故なら、神戸育ち、学生時代は京都、社会人になってからは大半が東京。にも関わらず田舎が大好きで、引退後は自然溢れたところで住みたいと思っているからです。ただ、長い間田舎にいた事は無い。子供の教育、そして歳を取ってからは医療。この2点がどうしても、今後も整いそうにないネックですね。

aoitoriblogaoitoriblog 2011/11/21 13:18 ウチのダンナもシンガポール生まれのシンガポール育ちで、都会っ子にありがちな「いつか田舎で農場をやりたい。ポニーを飼うんだ…!」みたいな夢を持っていますが、ド田舎育ちの私は苦笑しています。お子さんの教育を思うと、断然都会の方が都合が良いでしょうね……。医療も本当にそうだと思います。「一番近くの総合病院まで百キロ」とかの世界なので……。でもこんなことは言ってますが、私も田舎は完全にキライというわけではなくてですね、雪の地平線やそれを眺めながら飲むホットココアを愛してはいるのです。難しい関係です。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/aoitoriblog/20111115/1321330814