Hatena::ブログ(Diary)

VIデザイン=解釈の創造性

2013-08-20

美とは、何か?、ココ・シャネルのデザイン革命。


「美」の役割とは何か?、
それは、生命のなかに仕組まれて、
あるべき状態へのナビゲーション、水先案内として働きます。

「水先案内」とは、船の針路の案内をすること。転じて、
「未知の分野においてガイド的な役割をはたす」こと、です。
はてなキーワードより)

そこから導きだされるものは「美とは人の急所だ」ということです。
「急所」とは「命(体と心)にかかわる大切なもの」のことをいいます。

この文章は「美とは、何か?、それは人の急所です」の続編になっています。
ここでの文章を読んでも意味が通じてこない場合は、こちらをお読みください。



「常に、真実は、新しい」といわれるように、
いつの時代にも、人々が、今、輝くための「美」があります。
そして、それを、いつの時代にも、発見する水先案内人がいます。
それが、20世紀のファッション・デザイナーココ・シャネル(1888-1971)です。
彼女は、新しい女性の生き方さえもデザイン(水先案内)をしました。

彼女の顧客は、本来、富裕層上流階級であり、
「美の消費」とは彼女たちのものでした。
後に、こうした富裕層上流階級の「美の消費」が大衆化しますが、
ここでも、つまり、巨大なアメリカ市場においても、
彼女は名声を得て、自らのブランドを確かなものにしています。
美の本質をものにした彼女の仕事が正しかった証左です。



20世紀の初頭、上流階級の女性たちのファッションは、
羽根や花飾りのある大仰な帽子、胸ははだけて豊満なバストの強調、
ウェストはコルセットで蜂の腰というほど絞り、
ピップは詰め物で後方へせり出され、
スカートは、地面につくほどの長さと大きく膨らんだものでした。

それらは、前世紀からの流れを汲んだ装飾過剰の
息苦しく動きにくいものでしたが、
とても豪華で贅沢なもので、エレガンス(美)とはそういう解釈でした。

しかし、彼女たちが飾っているのは、
自分自身(の能力や魅力の表出)ではないといわれています。
彼女たちが従属する男性の財力や階級を、分かりやすく示すものであり、
女は大人しくしていればいい、という男性の考え方の中で生きていました。

シャネルのシンプルなデザインは、
こうした従来の女性に与えられていた定義、解釈、常識を、
新しい定義を孕(はら)んだエレガンス(美)で書き変えてしまいます。
そして、女性の自由を、女性の心を、解放しました。

ゆえに、シャネルはいいます
「わたしは今、贅沢さの死、19世紀の喪に立ち会っているのだ。」と。

つまり、時代の趨勢はもうすでに違っていました。

18世紀末期のフランス革命によって、
王や貴族たちは特権を失い、大衆は階級から解放され、
産業革命によるブルジョワジー(成金)の台頭もあり、
可能性の時代が到来していました。

ゆえに、富や権力を誇示する時代、
デコラティブ、装飾の時代は終わっていました。

権威と富が世界を動かしていた時代、装飾は輝くように美しかったのです。
フランス王・ルイ14世(1638 - 1715)の肖像画を見てください。
特に注目してほしいのは、日々ハイヒールで鍛えた63歳の王が誇る
白タイツでの脚線美です。ここには、女性以上の美の誇示があります。
実はそれは本来男性のものだといいます。

装飾(美)とは、権力と富の誇示であり、
英語「Decoration(装飾)」は勲章という意味があります。

この装飾の原型、根源的意味は、穀物であるといいます。
貯えておけ、必要に応じて使うことができるもの。つまり装飾が示すものは富です。
王冠や宮殿を飾るオーナメントパターン(装飾図案)は、
すべて、植物(富)が繁茂することをイメージしたデザインです。
そして、蓄えられた冨の強奪が、集団による殺戮、戦争の起源だといわれています。
貴族とは、本来ナイト、ヨーロッパの騎士であり、戦争は彼らの仕事です。

モダニズム建築の先駆者アドルフ・ロース(1870-1933)は、
「人間が自分や生活空間を装飾したいという欲求は野蛮なものであり、
 理性でこれをおさえることが文明の進化にほかならない」と主張しています。
彼は装飾を意外にもすべて否定しているわけではなかったようですが、
言葉通りとっても、的外れといいがたいものがあります。

このように貴族社会から近代市民社会へと移行するなかで、
つまり、権威と富を誇示する装飾という美が没落しつつある時に、
過渡期として登場するのがシンプルの先駆け「ダンディズム」です。

その立役者がイギリスボー・ブランメル(1778-1840)です。
華やかな宮廷服から、装飾を排除したシンプルなジャケット、ズボン、
糊がきいた真っ白なシャツは、さりげない洗練の極致を示し、
男性服の美的価値基準をゴージャスからシックへとその流れを逆転させました。
現代の目で見ると、それでも装飾的ですが、
これが現代の紳士服(スーツ)の起点だとされています。

貴族階級でなく、平民出身の彼だからこそ、成し得たことでしょう。

「常識のある人は、自分を世間に合わせようとする。
 非常識な人は、世間を自分に合わせようとする。
 ゆえに非常識な人がいなければ、この世に進歩はありえない。」
劇作家のジョージ・バーナード・ショーのことばです。

これはシャネルにも当てはまります。
ダンディズム(伊達気質)はイズムというだけに、
服飾においての主張や行動指針を孕(はら)んでおり、
シャネルのモードと通底するものがあります。

しかし、彼の服飾革命は、着道楽で知られた
時の摂政公(後のジョージ4世)の庇護にあったことが大きいのですが、
新たな時代の新たな美が、確かに提示・浸透し、後の展開へと時代を進めています。

つまり、男性服は、女性服よりも、
先駆けてシンプルなデザインになっていたのです。
シャネルが活躍し始める20世紀初頭では、
男性服は、現代的なシンプルなテーラードスーツで、
女性だけが、一人では着れない不自由な装飾過剰なものでした。

それは、男性の方が、先に可能性が開けていたからです。

装飾には、富と権力の誇示という意味以外に、
もう1つの意味があります。

「働かない」ということです。

支配階級や上流階級は、労働は、賤しいもの、
つまり貧困と結びつき、「働かないこと」は富める証拠でした。
ゆえに装飾には、「働くこと」を卑下する解釈が暗に漂っています。

しかし、産業革命によって、「働くこと」は、
富を得ること、独力での成功を意味するようになります。

ゆえに、廃れた「装飾」は拘束衣と化し、
合理的で動きやすい「シンプル」は、
能力の発揮、隷属からの解放、自由を意味します。

この「働く」ということの本質的な意味は、
英語の「Work」のコアイメージを知ると理解できます。
そのものの持っている力、本来の力を発揮する、
あるいは発揮させるという根源的な意味です。

Workの意味を発展させると、愛の定義になります。
愛の定義は様々ですが、この定義にはシャネルの仕事を
うまく要約しています。

「愛」とは、対象がもつ働きを、
もっとも美しく生かす働きかけのことである。(作者不明)

これが、単なる20世紀モード革命で総括できない
ココ・シャネルの根本的意図(コンセプト)であり、高い評価は
そこからきています。そして彼女が示した仕事(シンプル)の正体です。



美の役割の大きさを暗示するのは、
エステティック(美)の
反対語であるアニステティック(麻痺)が、
"無感覚"---生きながら死んでいる状態----を意味するということである。
(感覚の世界/イー・フー・トゥアン著より)

さらに、この美の役割の定義をもってすると、
シャネルは、女性たちの有史以前からの麻痺を解毒する美だ、といえます。
ゆえに、彼女の存在、そのもの自体が極めて刺激的です。

既成のモラルをものとせず、ハンサムなロシア貴公子、英国公爵、
一流芸術家たちとの誰もが羨む華麗な恋愛遍歴。
自らが、人々を魅了するシャネル・ブランドを体現する一流のモデル。
鼻持ちならない支配者階級の19世紀美学の息の根を止めた皆殺しの天使。
捨て子同然の身で、富を築いた男性顔負けの辣腕経営者
15年のブランクから、齢、71歳での奇跡の復活劇。

女性のうちにある火種(野心)を、彼女のエレガンス(美)が発火させ、
当時のモラルから考えれば、男性にしか許されていない禁断のフィールドにさえも、
女性を、不法越境させた触媒だったのかもしれません。

美という刺激は、人の生きる力(能力・意欲)を目覚めさせます。

つまり、シャネルのデザインの凄さは、
従来の女性に与えられていた定義、解釈、常識を、
新しい定義を孕(はら)んだエレガンス(美)で書き変え、
女性たちに新しい意識を開かせたことにあります。

では、シャネルのモードとは
具体的にどんなものだったのでしょうか?
リストアップしてみます。

1908年 (25歳)「シンプルな帽子」
1910年 (27歳)「パンツスタイル」
●1916年 (33歳)「ジャージドレス」
1917年 (34歳)「ショート・カット」
1921年 (38歳)「シャネルNo.5」
1924年 (41歳)「ビジュー・ファンデジー(フェイク・ジェエリー)」
●1926年 (43歳)「リトルブラックドレス」
1956年 (73歳)「シャネル・スーツ」


1908年 (25歳)「シンプルな帽子」
 20世紀初頭のファッションは身分差が濃厚に表れたものでした。
 しかし、やがてその差異は無くなっていきますが、
 上流階級への嫌悪感からうまれたシャネルのシンプルな帽子は
 その第一歩といえます。しかし、そうした動機とは裏腹に
 過剰な装飾性を排したシンプルさが気品を感じさせ
 上流階級の女性たちの評判を得ました。
 当初はデパートで買ってきた既製品に手を加えただけのものでしたが、
 やがて店を持ち、シャネルの帽子が、その評判から舞台衣装にも
 使われると、ファッション雑誌に大々的に取り上げられるようになり、
 彼女のデザイン革命が、順調に口火をきります。
 それは「エレガンス=装飾(豪華と贅沢)」を廃絶するものです。

1910年 (27歳)「パンツスタイル」
 シャネル1910年に初めて高級リゾートビーチで
 エレガントなセーリングパンツを履き、
 その後、彼女のスタイルに心酔する女性たちの間に広まります。
 1916年には、パンツルックを発表し、
 1920年代には、まだ一部の女性だけのものでしたが、
 一般に広がる契機をシャネルがつくっています。
 女性がズボンを履くという象徴的な意味は、
 男性並みに能力を発揮することにあります。
 それは男性領域への侵略であり、激しい非難にあいました。
 しかし、第2次世界大戦(1936-1945)中には、
 男性の代わりに屋外や工場で働くため女性がスボンを履くようになります。
 女性たちは自分たちの確かな能力やスボンの実用性に気づくことで、
 本格的に、仕事にも、パーティーにも、
 パンツスタイルのエレガンスが、愛用されるようになります。
 1909年、ポール・ポワレがハーレムパンツ、
 1966年イブ・サンローランも、ル・スモーキングという
 女性らしいパンツスタイルをデザインしています。

●1916年 (33歳)「ジャージドレス」
 日常生活から解放される高級リゾート地ファッションとして
 デザインされたものです。男性下着の布地・伸縮自在のジャージで
 動きやすさ優先のエレガンスをデザインしました。
 このデザインで、シャネルは、女性にコルセットを外させた
 デザイナーといわれるようになります
 1917年、仏・英・米国の各版のヴォーグ誌にも取り上げられ、
 下着生地をオートクチュール(高級仕立服)の領域まで高めたと評価され、
「ジャージ生地の支配者」とよばれました。
「それまでジャージーは下着にしか使われたことがなかったが、
 わたしはあえて表地に使って栄光を授けた。」とシャネルはいいます。
 そこには「エレガンス=富・贅沢」を否定する意識と、
 第一次世界大戦(1914-1918)での銃後を守るため男性の仕事を代用する
 女性を働きやすくし、そこから自由と自立の気分をも
 女性にもたらしたといわれています。
 シャネルは、この成功で、自分の時代がきたと実感しています。

1917年 (34歳)「ショート・カット」
 結い上げたわずらわしい長い髪、つまり女性を束縛する
 従来からの女性美のシンボルからの解放です。
ショートカットが流行したのじゃないわ。私が流行ったのよ」
 シャネルの有名なことばです。自活できる職業を選び、自由恋愛からの結婚、
 でもその夫に失望すれば離婚を選ぶショートカット
 ヒロインのストーリーが、100万部のベストセラーになっています。 
 それが、1922年の小説「ギャルソンヌ」です。
 それはシャネルであるかのように見えるものでした。
「わたしは自分の主人であり、自分以外の誰にも依存していない」と
 シャネルはいいます、それは愛人でありパトロンであった、
 ボーイ・カペルからの借金をすべて返済し自立したことによります。
 つまり、彼の囲われ者でなく、彼と対等になったわけです。
 そしてカペルが、自分とは結婚しないと確信した時に、
 彼が気に入っている長い髪、古くさいと思っていた
 腰まであった長い髪を、ばっさりと切ったともいわれています。

1921年 (38歳)「シャネルNo.5」
 あらゆることで、他に類をみない革新的な香水でした。
 ゆえに「No.5」以前の、装飾過剰の19世紀的なロマンチックな香水
 単純な花の香りを流行遅れにした香水です。
「新しい時代の香りがする香水じゃなくちゃだめ」このシャネルのオーダーから、
 80もの成分が含まれた花の香りと画期的なフローラルアルデヒドが用いられました。
 このフローラルアルデヒドは、花の香りを強調するもので、
 自然の香りを強く出すことができ、フレッシュで生き生きした香り
 今までになく長くもつものでした。そして、男性的なスクエア(四角)でモダンな瓶、
 無機的な品名「No.5」、さらに自分の名前をつけるのもはじめてのことであり、
 パッケージも白地に黒で「No.5 CHANEL」だけの斬新なものです。
 こうした施策が見事にあたり、世界で最も売れるNo.1香水になります。
 その容器(瓶)は、傑作美術品としてニューヨーク近代美術館入りをします。

1924年 (41歳)「ビジュー・ファンデジー」
「あらわな胸元は金庫であってはいけない」のことば通り、
 シャネルは、アクセサリー(宝石)を、富や家柄の象徴でなくし、
 自由で純粋なエレガンスにデザインし直しています。
 当時のアクセサリーには、高価な宝石と、質の悪い安物、偽物の装飾品だけでした。
 本物以上に装いを引き立てる第3のアクセサリー(偽造宝石)を誕生させています。
 イミテーション・アクセサリー、フェイク・ジェエリーともいいます。
「エレガンス=富・贅沢」という旧来の公式を葬り去っています。
 他に、ポール・ポワレ、エルザ・スキャパレリも同時期にデザインしています。

●1926年 (43歳)「リトルブラックドレス」
 不朽のスタンダードで、欧米では女性の必需品とされています。
 喪服の色、あるいは、汚れが目立たぬため労働者層の女性が
 着るものだとされ、避けられていたのが黒であり、その慣習を覆しました。
 昼はミニドレス、夜はロングドレスというルールも反古にしています。
 何の飾りも無いシンプルな黒いワンピースのデザインは、
 年齢を問わず、どんな時間帯でも、ビジネスでもフォーマルから
 パーティー、お洒落着など、様々なシーンでも着ることできます。
 それは、ジャケットを羽織ったり、パールのネックレス、バッグ・靴などで
 コーディネートを変えることで、幅広いTPOに対応できる便利なものだからです。
 一度は着る制服、女性にとって欠かせない1着だといわれ、
 その革新性によって大流行しました。
シャネル製作のフォード車」とモード誌ヴォーグ米国版が書いています。
 フォードとは大量生産に成功した大衆車のことで、
 欧州では上流階級の娯楽だった自動車を大衆化し、
 その実用性の高さからアメリカ社会を大きく変えたものです。
 香水シャネルNo.5」とともに、彼女の成功を決定づけました。

1956年 (73歳)「シャネル・スーツ」
 15年のブランクを経て劇的なカムバック後のデザイン。
 ツイードの襟なしジャケットとスカートを組み合わせたもので、
 時代に左右されない、時代を超えた定番アイテムです。
 仕事にも、夜のパーティーにも着られる、合理的なスーツであり、
 上等なドレスです。リトルブラックドレスと同じように
 様々な魅力的な表情をうみだすコーディネートのひと工夫が力を発揮します。
 当時の欧州ではクリスチャン・ディオール
 ニュールックの時代でコルセットによる細いウエスト、
 膨らんだスカートなど動きづらい旧時代のロマンチックなモードが
 一世を風靡していました。それは第二次世界大戦による
 陰鬱さからの反動で、女性たちが、華やいだものを求めたからだ
 といわれています。ゆえに、再開したコレクション、
 シャネルのシンプルなモードは1930年代の亡霊などと酷評を浴びています。
 しかし、この時代は「美の消費」の中心が上流階級から、大衆へと移り、
 働かなくてもいい女性から、働くことで人生を切り開こうとする女性へと
 消費の中心が変化しています。それが、支配階層がなく合理的な国、
 アメリカンドリームウーマンリブの国、アメリカでした。
 このシャネルのモードは、このアメリカで、圧倒的な支持と売れ行きを誇りました。
 アメリカではディオールのニュールックで働くことは、現実的ではないようでした。
 シャネルは、常にアバンギャルド、時代を挑発する先導的存在でしたが、
 この時代になって彼女のような女性が多数をしめる時代が到来します。
 そして、トワル(型紙)に縫製仕様書による大量生産、安価な既製服として、
 シャネルのモードは、はじめてあらゆる社会階層の女性たちにも
 手が届くものとなります。「71歳でガブリエル・シャネルはモード以上のもの、
 つまり、革命をもたらしている」アメリカのライフ誌が書いています。


D
「National History Day 2012, Coco Chanel


シャネルが生きた20世紀は、激動の時代です。
二度にわたる世界大戦は、長期にわたる総力戦で、女性さえも動員されました。
さらに、大量生産・大量消費における豊かな大衆消費社会が幕開けした時代です。

こうしたなかで、シャネルのキャリアは、
帽子店から数えると61年もあり、たとえブランクの15年を
引いたとしても、46年にわたります。移り変わりの
激しいモードの第一線で成したとげたシャネルの仕事とは何でしょうか。

それは、「歪んだエレガンス」を廃絶し
「健やかなエレガンス」を誕生させたといえます。

そのシャネルの「健やかなエレガンス」とは、
女性たちがもつ本来の働きを、もっとも美しく(素晴らしく)生かす
働きかけだといえます。

それに反して、20世紀初頭の装飾過多で「歪んだエレガンス」は、
男性からの束縛と女性自身の依存によっても、
女性たちがもつ本来の働きを封じ込めていたといえます。

彼女たちは「無為無力」な他力の存在でした。
自ら空疎な存在が、美しいわけがありません。

一方、シャネルの健やかなエレガンスは「有為有力」であり、
働くことや、恋愛によって、人生を豊かにしようとする自力の女性です。
自らの充実を目指し、意欲的な存在が、輝かないわけがありません。

彼女が追い求めたエレガンスとは、
実用主義に徹したものであり、地に足がついたものです。
それは、使うこと(活動すること)に誠実につくられたものは、
自ずとシンプルに洗練されていて美しいというものです。

また、そのシンプルさは、大量生産、安価な既製服としても、
シャネルのモードは、はじめてあらゆる社会階層の女性たちにも
手が届くものとなり、彼女は名声を得て、自らのブランドを確かなものにしています。

ところが、「モード以上のデザイン革命」と
アメリカのライフ誌が書いたのに、シャネルは意外なことをいいます。

「自分はファッション界に
 革命をおこすのだという自覚があっただろうか?
 そんなこともまったく意識になかった。」
 
しかも、始まりはズブの素人で、
彼女は、デザイナー経験など無いただのお針子でした。
デザイン画も描けない、
裁断も出来ないクチュリエール(女性デザイナー)です。

でも、彼女は、知っていたわけです。
何が求められているのか、何をすればいいのか、を。

それを教えてくれたのは、
シャネルを動かしていた「怒り」です。

善くも悪くも、私たちはよく分からずに、
物事の価値基準が、いつの間にか刷り込まれてしまいます。
そして、その内なる意識に無自覚に動かされ、
それが、また、知らぬうちに自分の限界を形づくっています。

シャネルは、普通では染まってしまう
当時の女性定義、解釈、常識に、怒りをもって反発し、
闘いを挑み、女性定義を書き変えていきます。

その怒りは、シャネルの生い立ちに由来します。
彼女のその生い立ちは冷酷なものでした。

シャネルは、貧しい行商人の三男三女の娘として生まれ、
父はその行商のために留守が多く、常に病気がちであるのに母は、
浮気性の夫を監視するために、家事・育児を投げ出し
家をたびたび空けて追いかけたといいます。その母を12歳で失っても、
親戚には引き取りを拒否され、修道院に預けられ、
彼女は修道院孤児院で厳しく育てられます。

必ず迎えにくるといった彼女にとってハンサムで最愛の父は、
姿を一度も見せず、彼女は捨てられ、裏切りと寂しさ、
そして、貧困と不実・不信、厳しさが、強く心に刻印されたようです。

それに反して、初めての愛人、
上流階級のエチエンヌ・バルサンとの暮らしから垣間みる
上流階級の女性たちは、生まれながらにして、
すべてをもっているかのように恵まれています。

シャネルは、この不条理から、
反逆心を抱かずには、いられなかったわけです。

「翼を持たずに生まれて来たのなら、
 翼を生やすためにどんなことでもしなさい」、シャネルの名言です。

つまり、己の無力さから、
自由な世界へ飛び立つための翼(独力・独歩の力)を希求する
この「切実な飢え」が、彼女の目(美の羅針盤)であり、
彼女のエネルギッシュさの正体です。

その反動として、上流階級の装飾過剰の「歪んだエレガンス」を
あるいは、19世紀美学を皆殺しにしたといわれるわけです。

彼女の「切実な飢え」は、20世紀の女性たちが抱え始める
「切実な飢え」でもあり、ゆえに、シャネルは、
新しい時代の新しい女性自身でした。
シャネルの服は、自分が着るためのものとしてデザインされていますが、
それは、そのまま20世紀に生きる新しい女性たちの服となっていきます。

およそ半世紀にわたって、服飾史に名を残す多くの俊英たちに打ち勝ち、
打ち負かした彼女が、死ぬ前日まで、第一線で活躍できるほどカンが冴えていたのは、
シャネルの「怒りの目(切実な飢え)」が、
誰よりも、この時代の問題の本質を捉えていたからです。



美とは、何か?

美しく見えるから、美しい。
多くの人は、そう考えます。

しかし、
美とは、何を素晴らしいかと
考えるかによって、変わってしまうものです。

出来事に、予兆があるように、
何が、今、素晴らしいのかを、指し示すように、
美は、私たちの心に、喚起してきます。

喚起とは、よびかけです。
注意、自覚、良心などを、呼び起こすこと、です。(辞書より)

私たちの仕事(Workの根源的な意味)として、
私たちが、実現しなければならないのは、
自らと他者の生(体・心)を、
飢え・麻痺から救い、健やかに充実させる(輝かせる)ことです。


それが「素晴らしい(美)の正体」です。

そして「常に、真実は、新しい」というように、
社会も、人々も、変わるがゆえに、
つねに、新しい「美(覚醒)の発見」があります。

そして、その「美」は、私たちの生活を形づくる
商品・サービスの目的、あるいは、それを担う会社の目的として
必然的に、行き着くようになります。

それは、私たちの世界がそうなってしまったからです。

次に、そうなってしまった経緯、
つまり、美(覚醒)による、私たちの世界の(革命的)変化です。





このページの文章は、以下の続編になっています。興味のある方はお読みください。
「美とは、何か?、それは人の急所です。」


デザイン革命に興味のある方はこちらもお読みください。
『iMacのデザイン革命』


<特集記事>
なぜブランディング・デザインで失敗する会社が多いのか
http://www.axle.biz/vi_brand_design.html


by Axle
http://www.axle.biz


<新しいブログ始めました>
ブランドとdesigndom


ココ・アヴァン・シャネル [Blu-ray]

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名言「翼を持たずに生まれて来たのなら、

翼を生やすためにどんなことでもしなさい」までの物語です。
つまり、シャネルが、成功するまでのストーリーです。
だから、題名に「アヴァン(〜の前の)」がついています。
孤児院での預けられるシーンから、愛人ボーイ・カペルの死で終わるストーリーです。
最初の愛人、エティエンヌ・バルサンは金持ちで、働くことは恥(貧しさだ)という人であり、
二番目の愛人、ボーイ・カペルは、ある事業家の私生児であり、
自力で、ビジネス(働くことで)によって成功した人。
前者は馬や馬車に乗る人であり、後者はレース・カーに乗る人として描かれています。
三者の恋模様が主題で、シャネル・モードは脇役です。
フランス語が、素敵です。

ココ・シャネル [DVD]

ココ・シャネル [DVD]

1954年、復帰コレクションから回想が始まります。
それは、母の死から始まり、孤児院、お針子時代、
エティエンヌ・バルサン、ボーイ・カペルとの出会い、その恋模様の中で、
ポール・ポアレ、シャネル・ブランドの起点である帽子のデザイン、
最初のブティックコルセットなしのジャージドレス、シャネルNo.5、
カペルとの別離でのショートヘアー、リトル・ブラック・ドレスなど、
シャネル・モードを紹介していきます。さらに、シャネルロゴマーク
デザインをするシーン(常識を覆すように「C」をひっくり返す)もあります。
ざっくりシャネルを知ることができます。




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kagomekagome 2016/09/19 01:04 女性が働くようになったので、仕事しやすい服をつくったシャネルの功績は新しいものでしたが、歴史的に女性が抑圧されてきたという考え方はちょっと古いものだと思っています。

女性が働いて、男っぽい服を着るなら、
男性が家のことをやって、装飾的な服を着てもいいはずで、
その方が、真に平等だといえます。

個人的には、男は出産もできないし、軍服みたいな服を着て働くしか道を選べない窮屈な性別だとも思います。

鳥は飛べるから自由か?というのは、人の価値観によって決まるもので、ナマケモノやアブラムシのような極力省エネして動かないという進化をした生物もいて、それを自由だと思う人だっているはずですよね。

歴史を動かしてきた哲学者や科学者は、どっちかというと、男性的な能力とは反対のことをしてきた人たちですし、なおかつ、彼らは自由だったと思います。

彼らにしてみれば、男性社会の組織に組み込まれて歯車になることこそ、不自由だったのではないでしょうか?

それに、戦争にいって死ぬのも、剣闘士として殺し合いをさせられる奴隷も、いつも男でした。
なんで、男のほうが自由とは、とくに思いません。

自分が女だったら、戦争にも行かなくていいし、いろんなオシャレもできるし、ラクだなと思います…。

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