言葉の重みということを考えた

 一昔前までは、学者や政治家、経済人などで一流と呼ばれる人たちは、もっと言葉を大事にしていたのではないかと思う。最近、言葉が軽すぎる。多弁にして空疎とどうしても感じてしまう。情報量は多くなり、物事を考えるための材料は調べる気になれば、一国民でもそれなりに手に入るようになり、思索を重ねるのには絶好の環境があるはずなのに、なぜ、これほど空虚に感じてしまうのか。藤波孝生(元内閣官房長官)オーラルヒストリーを読み終えて尚更そのことを考えるようになった。

 なんの脈絡もないが、なぜか急に大平正芳元総理やエコノミストの下村治氏の生き様、言葉を久しぶりに読み感じたくなった。


永遠の今 (1980年)

永遠の今 (1980年)

日本経済の節度 (1981年) (東経選書)

日本経済の節度 (1981年) (東経選書)

危機の宰相

危機の宰相

思い邪なし―下村治と激動の昭和経済

思い邪なし―下村治と激動の昭和経済