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May 28, 2011

新聞は黙れずに劣化する

内田樹さんのブログの「マスメディアの凋落」(http://blog.tatsuru.com/2010/04/02_1243.php)というエントリーを再読した。内田さんがこのエントリーで論点としているのは「新聞の凋落の原因は何か」ということである。一般的にはインターネットの登場によって、安くて早い通信が可能になり、新聞の媒体としての魅力がなくなったということが、その理由とされている。しかし、内田さんは、「それは違う、新聞が知的に劣化したからだ」と言うのである。

「知的に劣化」という言い方を内田さんがしているのは、昔の新聞はもっと知的にましだったという前提があるからだ。私は新聞社に入る前はたいして新聞を読まなかったので、新聞ジャーナリズムが素晴らしかった時代についてはよく知らない。しかし、内田さんが言うように、昔の新聞はもっとましだったのは事実であると思う。なぜかというと、私が新聞社で過ごした6年間の間にも、明らかに新聞は「劣化」し続けているからである。

ではなぜ知的な劣化が起きたのか。内田さんによると、記者が「思考定型をなぞることを強制されている」ことが、その理由だという。これは私も同意見だ。記者に求められる思考定型とは、世の中の事象は「悪い人」「いい人」「かわいそうな人」によって構成されているというものだ。だから、何か事件なり災害なりが起きた時、この人は「かわいそうな人」、この人は「悪い人」というのを定義づけてしまう。例えば、大きな自然災害が起きた時は、その被災者を「かわいそう」と描く原稿を現場記者は求められる。また、罪を犯したとして誰かが「容疑者」となると、その人の知人などに取材してプライベートを暴き、その人を「悪い人」として描くのに好都合な事実を並べるというのが、新聞の伝統的スタイルである。

もちろん、こういう「レッテル貼り」にあらがう記者も現場にいることはいる。しかし、彼らを阻む大きな壁がある。新聞が「日刊」であることと「紙面をうめなくてはならない」ということだ。これは内田さんも言っていることがだ、新聞は構造的に「黙ることができない」のである。毎日、紙の新聞をうめて発行しなければならない。これがインターネットとの大きな差だ。インターネットでは紙面をうめるなどということは考えなくていい。ある程度新しい原稿が載っていればいいのである。それに対して新聞は紙面の絶対量というのが決まっている。例えば1面のトップ記事や、社会面のトップ記事というのは絶対に存在するのだ。どんなにニュースのない日でも。これをいかにしてうめるかということを、常に記者も編集者も考えている。つまり無理矢理にでも何かを書かなければならないのだ。そういうときに便利なのが、「思考定型」に沿った原稿なのだ。

何か大きな事件や事故が起きたときには、その記事を「大きく扱おう」「原稿をたくさん掲載しよう」という面積至上主義のようなものが、新聞社にはいまだに存在する。だから、大きな事件や事故が起きると、一番大事な部分は1面に載るが、残りの部分を社会面や経済面などに掲載しようとする。しかし、事件や事象が起きてから新聞の締め切りは数時間であり、ほとんど場合はその事件を取り巻く周辺状況などはわからないのだ。そこで登場するのが「思考定型」「レッテル貼り」である。例えば容疑者などの周辺を取材して、それを原稿にするのである。当然たった数時間の取材では容疑者の本当の姿など分かるはずがなく、「悪い人」というレッテルを貼った原稿に仕立て上げてしまうのである。経済記事であれば、関連業者にコメントをもらいって「困ったなぁ」と言ってもらうのである。

これは1日だけの出来事ではない、事実以外の「雰囲気」原稿を数時間で仕立てて…というのを365日やっているのだ。そしてそれを私たちは毎日読まされている。事件や事故の発生時だけではなくて、その後の続報でも同じだ。大きな事件では、とにかく朝夕刊なにか原稿を出すことを求められるから、とにかく何かを1日2回ださなくてはならない。その原稿の視点が同じ思考定型になることは想像のとおりである。そうするとどういったものが再生産されているかというと、「いい人」「悪い人」「かわいそうな人」を作り上げるだけの定型記事ばかりが紙面で幅をきかせることになるのだ。

昔は今よりも多くの記者を社内で抱えていたこともあり、深い取材と分析に富んだ記事も紙面に掲載されていたのだろう。しかし、いまは記者が減って原稿も減っているから、常に紙面がスカスカ状態で、ますます定型記事ばかりが紙面で目立っているのである。そして悲しいことに「日刊」と「紙面をうめる」という制約の中で、定型記事を毎日ひたすら書かされてきた記者は、独自の視点の記事を書く暇などなく、同じような記事しか書けなくなるの。まさ負のスパイラルだ。

実は新聞凋落の原因はこういうところにあるのである。結局のところ、内田さんの意見に大いに賛同すると言っているだけだが、新聞に関わった人間として言いたいのは、新聞社はとにかくうめなければならないという「紙」が持つ制約を解き放つことをまず最初に考えるべきだといことだ。それがなされなければ、無味乾燥な定型記事の再生産というスパイラルを脱することはできず、読者はさらに離れ、ただ座して死を待つだけだろう。

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プロフィール

aoyagis

青柳聡史。ギャップイヤー中の33歳。元毎日新聞記者、編集者。ニュースメディアの未来について考えています。