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Apes! Not Monkeys!  本館

2017-05-13

[]悪用される公文書至上主義

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「そもそも」という単語の意味さえ変えようとするなどもはや「勅令かよ!」感を滲み出しつつある安倍政権下の閣議決定ですが、今度は関東大震災時の朝鮮人虐殺にもその手が及んできました。

しかしこの閣議決定、なんとも回りくどい表現になっています。

産経の報道によれば「調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」という内容になっているのです。「調査した限りでは」「政府内に」「記録が見当たらない」と、3重に逃げ道が用意されているわけです。政府が保有しない文書に虐殺への政府の関与を示す記述があってもそんなことは知らん。今後見つかったとしても「その時は見つからなかった」のだから知らん、というわけです。

民間での調査研究の蓄積を無視するこの手法、すでに日本軍「慰安婦」問題でも使われています。そう、2007年の「同日〔=河野談話発表の日〕の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」という閣議決定です。ふつうに考えれば「政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」にせよ「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」も、虐殺への政府の関与や「強制連行」がなかったことの根拠としてはまったく不十分なものです。後に嘘がバレて責任を追求されるリスクを極力回避しつつ、歴史に対する責任を目一杯否認しようとする、実に姑息な手法と言うべきでしょう。

miyakawa_takumiyakawa_taku 2017/05/14 08:22 先刻ご承知かもしれませんが、有田議員の質問主意書で触れられている『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』自体が「政府内」の「記録」であること、同報告書が複数の公文書を引いて虐殺への官憲の関与を整理していることから、「政府内に〜記録が見当たらない」は現時点であきらかな虚偽と言い切れるかと思います。

拙ブログ記事: http://d.hatena.ne.jp/miyakawa_taku/20170512/1494619215

s3731127306s3731127306 2017/05/14 08:56  今日本は歴史認識において世界中から孤立して非常に悪い状況なわけですが、私としては、もうこんな悪い状況になったのだからいっそのこと、日本政府の異様な行動を批判しない日本の多くの有権者たちの認知構造まで徹底的に分析する必要があると考えるのですよね。もちろん、大メディアや知識人たち(なんぼのもんじゃと思うのですが)も含めて。

 私は自分のブログでは資料紹介に集中してきたので、少なくとも日本軍「慰安婦」問題における証言・資料の発掘状況についてはあるていど知識があるわけですが、その観点から言わせてもらえば、今の日本の状況は極めて異常と言い切っていいわけですよ。
 まず、1991年以降に、南北朝鮮だけで約400人、台湾・中国・フィリピン・マレーシア・インドネシアなどなど各国で性暴力被害者が1000人前後名乗り出た。そのあとすぐに日本政府が資料調査をせざるをえなくなって、数百点の公文書が見つかって、これをアジア女性基金の名前ではあっても事実上は日本政府が主体で5点のpdfにして世界中誰でも閲覧出来るようにしている。さらにそのあと20年近く、民間の調査で数百点の公文書・数百点の回想録などによる証言が収集されている。その資料収集の中で、文玉珠さん/朴永心さん/金福童さん/宋神道さん/トマサ・サリノグさんなど、特定の被害当事者の証言を裏づける”証拠”が発見されている。

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 これは本当に驚くべきことです。特に、日本政府が自身の戦争犯罪の証拠数百点を世界中誰でも閲覧出来るようにしているというのは、この日本軍「慰安婦」問題以外にないはずです。

 なのに、日本の有権者の大多数が大量の資料の存在を意識せず、それを別におかしいと判断できない。「日本政府が大罪をみとめないなら、日本政府はもともとやってないのだろう」という思考のワクに有権者ははまっているのではないでしょうか。たしかにアジア各国に対する根深い差別意識もあるのでしょうが、こんなに”事実”を軽視した態度が現在日本のあれこれの問題を解決する場合に巨大な悪影響を与えないわけがない。
「こんな連中とつきあってられん!」ぐらいのことは私は言いたくなるわけですよ。

 最後にもう一点。例の「帝国の慰安婦」に関係してですが、あの本を「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思えず、」とみなした、大江健三郎/川村湊/小森陽一/島田雅彦/高橋源一郎/西成彦/星野智幸/四方田犬彦などといった創作家・創作物研究者の「(性暴力における)事実認定の重大さにたいする認識」のガタガタぶり(はっきりこう書きます)は一体どうなっているのでしょうか? 私はあまり創作物を読まないからすごく偏見があるのかもしれませんが、もしかして「創作家の想像力は歴史学者の地味な研究作業なんてかるがると越えられる」なんて考えていたりしないかと心配でしょうがないのです。私のこのあたりの憶測があたっているとしたら、これはもう現在日本における創作物の社会的位置づけには根本的な問題があるということになります。あの人たちは大声で「自分たちは自身の創作物には責任は負えません」と宣言しているようなものだとすら私には思われます。
 以前に集英社が「戦争×文学」という全集を出したときに、私は疑問に思ったのです。なんで創作物がほとんどで、戦記/陣中日記/軍事郵便/証言(の書き起おこし)などを同格として収録しないのか?、と。児童文学者が中心になって作った「わたしたちのアジア・太平洋戦争」全3巻というのがあるのでなおのことそう思ったのですが、今考えると、「事実軽視」という点で低通するものがあるのでは、とうがった見方の一つもしたくなります。上で挙げた人たちは少し前の世代にあたる大島渚氏や森村誠一氏ほどには事実発掘・資料収集に力をいれているようにも見られないし(まちがってたらすぐ謝ります)。林博史氏が「最近は、記憶や言説の研究が多くて事実がどうだったかの研究が軽視されがちな気がする」という指摘していましたが、それが非っっっ常にわるい形であらわになったのではないでしょうか?

apesnotmonkeysapesnotmonkeys 2017/06/01 17:02 miyakawa_takuさん

ブログ記事拝見いたしました。
やることが「強制連行」の時とまったく同じですね。

s3731127306さん

最後の『帝国の慰安婦』翼賛現象と前半のお話はつながっていると思います。『帝国の慰安婦』擁護派に共通しているのは、いまの日本社会の「慰安婦」問題認識がどれだけ歴史修正主義に侵食されてしまっているかについての認識が薄すぎることじゃないかと思います。頭の中の時計の針が1997年あたりで停まってるんじゃないか、と。

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