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りんごとサイコロ

August 23 (Sat), 2014

1ヶ月分の雨量が一日で降ることはどれくらい稀か?

今年も局地的に大雨が降ることが多く、各地で被害が出ている。最近ニュースでよく聞くな、と思うのが、「平年の1ヶ月分の雨量が一日で降った」というコメント。感覚的にすごい雨が降ったことは分かるが、これはどれくらい珍しいことなのだろう。

気象庁webサイトで過去の気象データをダウンロードできる(気象庁)。決して使いやすいサイトではないが、何も公開してないよりははるかにマシだと思って、粛々とダウンロードする。

地点: 管区気象台がある6地点(札幌仙台東京大阪福岡那覇)
項目: 降水量の日合計
期間: 8月1日から8月31日までの日別値を1955年から2013年まで。

csvファイルでダウンロードできるが、すぐに容量制限に引っかかるので、期間で4回に分けてダウンロードした。データ分析はPythonのnumpy, pandas, matplotlibを使った。

(Fig.1) 早速結果を載せていく。横軸が日、縦軸が日別降水量の累積和のグラフを書いて、累積和がどのように変化するか見たい。次の手順で作った。
1. 8月の日別降水量を、平年の8月降水量で割る(%)。平年の降水量は、30年の平均。今回はそれぞれの観測地点の1981年から2010年の平均値を使用した。(下の参考1を参照)
2. 年ごとに、日別降水量(%)を降順に並べたリストを作る。
3. このリストを累積和に変換する。
4. 那覇の2001年から2013年までの結果を示す。
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横軸が日、縦軸が日別降水量の累積和を平年の8月降水量で割ったもの。平年の8月降水量で割っているので、100%を超える年もあるし、越えない年もある。黒線の2007年はよく雨が降って、平年の約250%の雨が降ったことが分かる。このうち、平年の約170%分はもっとも雨の降った一日だけで降ったことが分かる。最も雨が降った2日で、平年の1ヶ月分以上の雨量が降った年が3回あったことも分かる(2007年、2011年、2012年)。ふむふむ。

(Fig.2) 次は、平年より雨が降った年について、雨が多く降った何日で平年の8月降水量を超えたかを全国6ヶ所について点を打ったグラフ。1955年から2013年。
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横軸が年。縦軸は、平年の8月降水量を越えるのに要した日数。さっきの図で見た、横軸2007年、縦軸1日のところに那覇の点が、横軸2011年と2012年、縦軸2日のところにそれぞれ那覇の黄色い点が打たれていることが確認できる。

(Fig.3) ヒストグラムにした。
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横軸は、平年の8月降水量を越えるのに要した日数。縦軸はそれぞれのビンでの回数。まず、全国6ヶ所の59年間、すなわち354点分ある。そのうち、平年より雨が降ったのは、145点。145/354=41%。大体半分だね。145点で作られたヒストグラムを見ると、1日で平年の8月降水量を越えたのは16回。2日は36回で最頻値。 3日は22回。平年より雨が降る時、それが3日以内で降るのは、(16+36+22)/145=51%。雨が降る年の半分は、3日以内の少ない日数であっという間に降るようだ。

1日で平年の8月降水量を越えたのは16回/6地点x59年間=約5%/地点/年。ある地点を考えれば、1/5%=20年に一度、平年の1ヶ月分の雨が、1日で降る年がある可能性がある。なるほど。確かに稀だな。ただし、3日以内では4年に一度。結構ある。

1地点では20年に一度でも、全国に独立な地点は20ヶ所以上あるし、8月だけじゃなく、6-9月を考えられる。日本全国で考えると、一日で平年の1ヶ月分の雨が降ることは、そんなに珍しいことじゃないといえる。ニュースで、「平年の1ヶ月分の雨量が一日で降った」というコメントを聞くのはそんなに珍しいことじゃないものの、地元の人へのインタビューで、「こんなことは初めて」というコメントが返ってくるのは、まあそうか。1地点でみれば頻度は高くないものの、全国では毎年のように大雨被害が起こっているので、われわれ市民や行政は、その経験や教訓を蓄積し、適切な対策をするのが懸命だ。

(参考1)
平年の8月降水量(mm)。1981年から2010年の30年間の平均値を使用した。
'Sapporo', 'Sendai', 'Tokyo', 'Osaka', 'Fukuoka', 'Naha' =
123.75, 166.85, 168.2, 90.9, 172.0, 240.45

(参考2)
(Fig.4)全国6ヶ所の59年間について、8月の降水量をヒストグラムにしたもの。
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August 05 (Tue), 2014

時事雑感

脱法ドラッグ(危険ドラッグ)の取り締まりが強化されている。もちろんドラッグは適切に取り締まるべきなんだけど、ドラッグを飲用した人が車に乗れて、しかもその車が暴走することを許容していることがおかしくないか。車の規制の方も問題だよな。日常生活における車のリスクって高すぎないか。早く自動運転にしてほしい。

研究ノートがおそまつだったというニュースがあったが、果たして自分の仕事のログを取れている人がどれだけいるだろうか。閣議の議事録をとり出したのもつい最近だというのに。てか、リテラシーがなさすぎる。この春に閣議決定した、エネルギー基本計画は(こちら)、署名がない。誰が責任者で誰が作ったのか。てか日本国の文書かも分からない。数年、数十年後にこの文書を読み解く人はさぞかし苦労することだろう。こういう非効率性が、日本人の、単位労働時間あたりのGDPの低さにつながっていると思う。

メディアの叩き方の徹底ぶりには驚く。STAP細胞にしても、兵庫の県議の不正にしても、最初、この人たちは本当に悪いことしていないんじゃないか、と思ってた。自分が性善説すぎるということか。しかし自分も完璧に生きているわけではないのに、他人を叩くってなかなかできない。自分が甘いか。

ログが取られていない、情報へのアクセスができない、といったストレスが大きい。情報共有が円滑に進むことで、仕事の効率が大幅に増すと思うのだが。小さい車輪の再発明が絶えず行われている。情報共有のために、ITは強力なツールであるのに、その重要性や必要性を理解していない人が多い。あと、エクセル、ワード、パワポへの依存度が高すぎる。

原子力に限って言えば、情報公開イノベーションにつながるという意識が薄い。私の見える範囲において、規制、電力、メーカー、そして大学の連携は、情報公開、情報共有という観点で、もっと進んでよいのではないか。データを共有することで、新たな活用性が模索されるはず。データが共有されないと、その可能性を検討することすら思いつかない。例えば、プラントの運転データは電力会社が持っていて、基本的に電力会社以外がアクセスすることはできない。メーカーの人にはこのことが常識として刷り込まれていて、それを変える可能性や、まして必要性にも思い至らない。常識が思考を拘束してしまっている。

原子力では、新技術の導入への敷居が非常に高く、既に検討しつくされているが、導入されていないという技術がたくさんある。安全性を最優先する、今正しく動いているものを変えない、という理屈は分からないでもないが。この情報公開、新技術導入に対する硬直性は、長い目で見てイノベーションを阻害していると思う。そして、震災後に出された、どの事故調査報告書でも非難されていたのは、業界のこういう体質ではなかったか。

物理学を学ぶと、自然(世の中)の仕組みを理解したい、と思う。物理学は常に、より多くのことを、より少ない式で記述するという方向に向かっている。いまの自分の視点は絶対ではなく、より上位の、より包括的なフレームワークがあるのではないかという、ある種の不安が常につきまとっている。そういう考え方をする者から見ると、例えば東京都議会のやじ問題を始めとする、おっさんたちの思考には、全く驚く。彼らは、なんというか、なんでそんなに自信があるんだろう。なぜ自分のフレームワークとは違うフレームワークが存在することに考えが及ばないのだろう。

iPhoneなんてその典型で、世の中のモバイルデバイスの概念を一変させた。全く新しい概念を提案できる人は本当にすごい。私は科学が信頼に足るものだと思っているので、人の気持ちなんかの社会的な対象も数学で記述できるようになればいいし、いつかはなると思ってる。その記述方法を知った時、”あーあーあーなるほどー、そういう風に考えるのかーーーなるほどー”、みたいな、全くコロンブスの卵な思考法で記述されると思う。ゲーム理論はそういうことに挑戦した例なんだろう。もちろん人の気持ちまで数式化されることに、多少の抵抗はあるけど、それよりも数式による記述の新しい考え方を知るワクワク感の方がはるかに大きい。

あまりにも雑感すぎたか。いろいろと思うところはあるけども、斜に構えていても世の中は何も変わらないし、虚しさだけが残る。コミットするという覚悟を決めて、あとはハードワーク。おもしろきこともなき世を[に]おもしろく。

April 05 (Sat), 2014

ブラックスワンの黒い羽根

ブラックスワン

ナシーム・ニコラス・タレブ著のブラックスワンを読んだ。金融に関する本で、出版直後に起こったリーマン・ショック予言するかのような内容だったため、ベストセラーになった。著者のいうブラックスワンとは、株価暴落など、頻度が低いためにその発生を予期できないが、一度起こると甚大な影響をもたらす事象を指す。

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

上巻を読んでも、何を言いたいのかよく分からず、続きを読むのをためらわれたが、下巻では著者の主張が明確に述べられていたので良かった。著者は、金融業界に使われている数学手法がことごとくガウス分布を前提にしていることを批判している。

ガウス分布は、値が平均値から離れるに従って発生確率が急速に下がり、極端な値はまず起こり得ない。しかし、株価の変動を始めとする、金融で扱われる種々のデータはガウス分布に従わず、とくに極端な値の起こる確率が、ガウス分布のそれよりもはるかに多い。そして悪いことには、極端な値による影響こそが、金融への影響の大半を占める。例えば、過去50年間でのSP500の変化量に対し、変動の大きかった上位10日を取り除くと、その変化量は約半分に減少する。

著者は、金融業界のガウス分布信仰を徹底的に批判し、その代わりに、マンデルブロにより見出された安定分布を用いるべきだと述べている。ただ、著者が述べているのは、安定分布をもとに理論を構築しなおせばOKということではない。そうした場合でも、やはりまだ理解できていないこと、想定外のことは残る。そのため、想定外のことが起きることを前提としたリスク管理の重要性を主張し、さらには、金融工学は想定外の存在、具体的に言えば理論の適用範囲を見えにくくしてしまうだけだから、辞めてしまえという。

ウォール街物理学者

ジェイムズ・オーウェン・ウェザーオール著のウォール街物理学者を読んだ。これは2013年に出版された金融に関する本で、物理学者金融業界に乗り込んで金融現象を科学的に解明していく歴史を物語る。物理学者の視点からすると、ガウス分布仮定だって大半の現象を説明できる、何もないよりずっとマシだ、もちろん今ある金融工学が完璧だとは思っていない、より広範囲の現象をカバーできるよう常に進化させる、それが科学じゃないか、となる。

黒い羽根

どちらの著者の言うことも分かる。これは科学と技術の違いだろうか。科学は現象を究明すれば良い。しかし技術は違う。ただ究めるだけではなく、人間性や経済性を考慮して、社会に適合させなければならない。

原子力も似たようなもので、悪いブラックスワン(まれに起こる現象が、悪い結果を起こす事象。良いブラックスワンもある、宝くじとか)が存在する業界だ。どこまで安全性を高くしても、ブラックスワンはなくならない。ブラックスワンは思ったよりも頻繁に現れる。(なぜならそれがブラックスワンだから。)業界の信頼はいつまでも回復しない。

1. ブラックスワンによる被害は、我々の手に負えなくなりつつある。もう辞めよう。
2. ブラックスワンが起こるたびに、克服し続ける。それが科学であり、文明だ。

やっぱり2を取りたい。あきらめたらそこで試合終了だから。想定外が起こることを想定する。何が起こるかは分からないが、何かは起こりうることを想定する。そして、想定外が起こった時でも、最低限の安全性は確保できるシステムにする。頼もしいことに、タレブはこの手法リーマン・ショックに対しても利益を上げたそうだ。

津波対策をしたからOK、火災対策をしたからOK、航空機落下対策をしたからOK、テロ対策をしたからOK、で満足してはいけない。次のブラックスワンを迎える準備はできているか。