艦これ3話について

艦これ3話ラストで如月が轟沈したことによって、艦これのアニメがシリアス路線であることがはっきりした。如月が轟沈したことは不満だ。シリアス路線が悪だとは思わないが、どうにもクオリティが低いように思える。

原作ではクールでそれなりに知性を感じる響はアニメではハラショーとブルーベリーしか言えないアホの子になった。加賀も原作ではそんなに変ではなかったはずだがアニメではここは譲れませんロボットになってしまった。こういった不自然さがあるからといって即座に問題となるわけではない。ギャグ路線ならこういった不自然さもあまり気にならないが、シリアスな世界観と合わさるとどうにも気持ちの悪さを感じる。

艦これのアニメは原作とは全く別であるという前提を鮮明に打ち出しているように思える(二次創作の幅を狭めることを回避できるのでこれはとても良いことだと思う。この点については高く評価している)。であるならば、無理やり原作のセリフをねじ込む必要もなかっただろう。シリアス路線で行くならば、アニメはアニメでキャラにたとえ原作と矛盾してでも血の通った人格を吹き込んで欲しかった。

艦これのアニメの動画のクオリティは高いと思う。これだけ動画のクオリティが高いなら、適当に艦娘達がキャッキャうふふしててもそれなりに魅力的なアニメが仕上がったであろう。艦これはそういう良質な素材であったはずなのに、それを台無しにしたのは下策に思える。喩えるなら、軽く焼いて塩コショウをかければ美味しく食べられる霜降り肉を下手に凝った調理をしてまずい料理を作ったようなものだ。

如月を轟沈させることによって、当然如月はもう出せない。また、のどかな日常回も素直に楽しめなくなることも考えられる。アニメに轟沈を入れるデメリットが多い以上、それ以上のメリットがなくては困る。果たしてそれだけのメリットはあったのか。

アニメを最後まで見てその時に如月の轟沈の評価を決めたい。ただ、現時点では期待はあまりできない。