2008-02-05
SBM 922SHはスマートフォンの「1つの到達点」か?
携帯電話, smartphone | |
【週間ランキング】インターネットマシンが提示したスマートフォンの未来
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITbq000004022008
SBMの922SHにからめて、smartphoneの将来について論じている。
日本では2005年12月に発売されたW-ZERO3(WS003SH)が、最も早く発売されたsmartphoneと認知されていると思う。実際には、2004年12月発売の702NKが最初なのだが、通常手順でのS60ネイティブソフトのインストールが封じられていたので、WS003SHが最初としてよかろう。
周知のとおり、WS003SHはサイズが大きく、ケータイで一般的な機能が載っておらず、UIの設計思想がまるで異なる。ケータイを使い慣れたコンシュマが使い易いものではなかった。
二年を経て、サイズは実装技術で縮小できた。ここは日本企業の得意とするところだ。ところが、ケータイとの機能差、UIの違いはほとんど変わっていない。advanced[es]で、windows mobile 6に変更されたが、OSの製造元であるMicrosoftは日本のケータイとのUIの違いなど興味がないからだ。
W-ZERO3[es]Premium version(WS007SH)で、ケータイ流のホームメニューが搭載されたことがあるが、advanced[es]では搭載されなかった。現在アカデミックパックでのみ、類似の機能が入手可能である。
ウィルコム、「W-ZERO3[es]」Premium versionを16日発売
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/31768.html
ウィルコム、Advanced/W-ZERO3[es]のアカデミックパック
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/36933.html
ケータイコンシュマにとってsmartphoneが使いづらいと感じられるのは、UIが使い慣れたものと異なるというのが最大の理由である。メインメニューを出してしまえばあまり差がないNokiaのUIにすら拒否反応を示す。彼ら、彼女らは、左右のカーソルキーで着信履歴、発信履歴が出ないとそれでもう使えないと放り出す。ケータイへの過剰適応は極めて根深い。本論から少し外れるが、日本のケータイは電話として適切なUIに縛り付けられ、情報機器として適切なUIへの変化ができなくなっている。
話をもとに戻す。
コンシュマがケータイのUIを望むのならば、ケータイのソフトウェアをそのまま載せてしまうのが、一番手っ取り早い。UIの違いへの不満が簡単に解消できる。サポートの面倒を嫌ってネイティブアプリケーションの追加を推奨しないメーカーの方針とも合致する。ソフトを入れられない以上、問題は起こりえない。
こうして、ケータイコンシュマ向けのフルキー搭載端末が世に出ることになったわけだが、そもそもケータイに過剰適応したコンシュマがフルキーを必要としているのだろうか。彼ら彼女らは、テンキーでのメール打ち、縦型QVG画面でのwebアクセスに何の不自由も感じていない。
一方、これまでsmartphone搭載端末を支持してきたコンシュマは、カスタマイズが一切できない「ケータイ」を求めているのだろうか。
ターゲットとするコンシュマを煮詰めなかった結果、誰にとっても益体もない端末が仕上がってしまったように思える。これを"smartphone"と呼ぶことは、smatphoneの市場性を袋小路に追い込みかねないプロダクトだと感じる。その意味では、ひとつのターニングポイントになりうるが。
カスタマイズできてこそのsmartphone
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カスタマイズできてこそのsmartphoneという見方。
その通りだと思う。
ただ、カスタマイズしなくても使えるのが本道。カスタマイズが必要ということは、不完全さの証であり、買ったままで使えるのが本来の形、との主張がある。
確かにこれは一定の説得力がある。
しかし、ケータイのように販売時点の仕様が固定されているプロダクトでは、変わりゆく環境に対応できない。ネットのサービスひとつとっても常に変化しつづけている。それらをキャッチアップするためには、クライアント側ソフトウェアの更新は必ず必要となる。なので、自分が考えるsmartphoneの条件は、アップデート可能であることだ。もちろん、bug fixは除く。
今回、922SHを企画するに当たりSBMとシャープが採った方法、ケータイとのUIの違い、ワンセグ、ゲームなどの機能差を埋めるために、ケータイのソフトをそのまま積むというのは極めて安直だ。世に出た瞬間から陳腐化が始まるという、ケータイの欠点をそのまま引き継ぐことになる。ネットの速度についていけないことが明らかで、少なくとも、インターネットマシンと呼べるようなものではない。
さらに、こうしたプロダクトをsmartphoneと呼ぶことは、日本でも細々とながら使えるようになってきたsmartphoneの立ち位置を潰すことになりかねない。
日本市場ではPDAと携帯電話の統合がなされず、PDAがsmartphoneに発展することはなかった。この間海外でのsmartphoneの進歩を見守るしかなかった。携帯電話の世代交代ともに、日本でも海外で発展を遂げたsmartphoneが利用できるようにはなったが、あのような暗黒時代が再び訪れるのは勘弁願いたい。


