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2017-07-14

ベンヤミンの芸術理論 ペーター・ビュルガー

 周知のようにヴァルター・ベンヤミンは、その論文『複製技術時代の芸術作品*1』(文献6−b)において、芸術が20世紀最初の25年に経験した決定的変化を〈アウラの喪失( Verlust der Aura )〉という概念で表わし、この喪失をさらに複製技術の領域における変化から説明しようとした。そこで、次の点を明らかにしておかねばならない。すなわち、ベンヤミンテーゼは、本書においてここまで芸術領域(制度、および個別作品内実)の歴史的展開から導いてきた自己批判の可能性の条件を、生産諸力の領域における変化から直接説明するのに適しているのかどうか。

 ベンヤミンは、かれがアウラ的( aurtisch )とよぶ、作品と受容者とのある特定の関係タイプから思考を進めている*2ベンヤミンアウラの概念でよぶところのものは、最も単純にいうなら、近づきがたさと言いかえられるだろう。アウラとは、「ある遠さ──それがどんなに近くにあるとしても── の一回的な現われ」(『複製技術時代の芸術作品』p.53 )である。アウラの起源は礼拝儀式にある。ベンヤミンにとってはしかし、アウラ的受容のあり方は、ルネサンス以来発展してきたような、もはや宗教的ではない芸術にも特徴的なものであり続ける。ベンヤミンが芸術史の決定的な切れ目とみるのは、中世宗教芸術とルネサンスの世俗的芸術とのあいだの切れ目ではなく、アウラの喪失とともに生起する切れ目である。ベンヤミンはこの切れ目を、複製技術の変化から導き出す。アウラ的受容は、ベンヤミンによれば、一回性や真正さといったカテゴリーに依拠している。ところがまさにこれらのカテゴリーこそが、もともと複製技術にもとづいて成立する(たとえば映画といったような)芸術にたいしては、根拠のないものとなる。そこで、ベンヤミンの核心的な考え方はこうである。複製技術の変化によって知覚の仕方が変わり、だがそのことによってまた、「芸術の性格全般も変化することになった」(『複製技術時代の芸術作品』P.25 )。市民的個人に特徴的な観照的受容は、大衆に特徴的な、気を散らしていながら同時に理性的に吟味する受容にとって代わられ、芸術はその根拠を祭儀におくかわりに政治におくことになる、というのである。

 われわれはまず、芸術の発展をベンヤミンがどう構成しているかを検討し、次に、かれが提唱する唯物論的解明の構図について考察することにしよう。芸術が教会の祭儀のなかに取り込まれていた宗教芸術の時代と、宗教的祭儀からの解放により特別なタイプの知覚(美的知覚)を形成した時代、つまり市民社会とともに成立した自律的芸術の時代とを、ベンヤミンは〈アウラ的芸術〉の概念のもとに包括する。このようにして提示される芸術の歴史的時代区分には、しかしいくつかの理由で問題がある。ベンヤミンにとって、アウラ的芸術と個的受容(対象への沈潜)は、表裏一体をなしている。だがこの特徴づけは、みずからの自律性を確立してしまった芸術にのみ妥当するのであって、中世宗教芸術にはけっして当てはまらない(中世の教会の彫像も、神秘劇もともに、集団によって受容された)。ベンヤミンの歴史構成は、市民階級によって成し遂げられた宗教的なものからの芸術の解放を覆い隠してしまう。かれがそのように考える根拠は、芸術至上主義運動(ラール・プール・ラール)および唯美主義において、実際に、芸術の再宗教化(もしくは再祭儀化)といったような事態が起こっていることにある。しかし芸術のこの再宗教化は、芸術が以前にもっていた宗教的機能とはなんの関係もない。芸術至上主義や唯美主義において、芸術は教会の祭儀に適合するのではなく、逆に、教会儀式のなかからその使用価値を取り出す、というよりもむしろ、芸術は自己自身からひとつの祭儀を生み出すのである。ここでは芸術は、宗教的領域に適合するのではなく、そのかわりに、宗教にとって代わる。唯美主義において企てられた芸術の再祭儀化は、したがって。(本来の宗教的に── 訳者註)祭儀的なものからの芸術の完全な解放を前提としており、けっして中世芸術の宗教的性格と同一視されてはならない。

 ベンヤミンは受容のあり方の変化を複製技術の変化から解明しようとする。だがこの第二の問題点について判断するには、かれがそのほかにもうひとつ説明しようとしている点があることを── しかも、こちらの方がもしかするとより大きな射程距離を秘めているかもしれない──明らかにしておくのが重要である。ベンヤミンは次のように述べている。アヴァンギャルド芸術家たち、とくにダダイストたちは、すでに映画が発明される以前に、絵画の表現手段を用いて映画的効果をつくりだそうとしていた、と(『複製技術時代の芸術作品』p.42 以下)。「ダダイストたちは、芸術作品の商品としての利用価値よりも、それが観照的沈潜の対象としてもつ、実用上の無用性をはるかに重視した。(中略)かれらの詩は言葉のサラダであり、狼雑な言いまわしや、およそ想像しかできないような言語のがらくたを含んでいる。ボタンや乗車券を貼りつけてモンタージュしたかれらの絵画にしても、同じことだ。かれらがこうした手段で達成するのは、作品のアウラを容赦なく破壊し去ることであり、制作の手段そのものによって作品に複製の烙印を押しつけることである」(同書p.43 )。アウラの喪失は、ここでは、複製技術にではなく、芸術生産者志向性に帰されている。「芸術の性格全体」の変化は、こでは、もはや技術革新の直接的結果ではなく、ある芸術家世代意識的なふるまい方によって媒介されたものとなっている。ベンヤミン自身はダダイストたちに、先駆者の役割りしか認めていない。かれらは新しい技術的媒体によってはじめて充足することのできる「需要」を生み出す、というのである。しかしこれによりひとつの困難が生じる。この先駆者的性格はどのように説明すべきか? 別様に言えば、受容のあり方の変化を複製技術の変化にもとづいて説明しようとする考え方は、いまひとつ別の位置価値を獲得する。ベンヤミンのこの説明は、歴史的な事の成り行きを解明するものだとはもはや主張できず、せいぜいのところ、ダダイストたちによってはじめて志向されたある受容方法の、そのありうべき一般化についての仮説であると主張しうるにとどまる。アヴァンギャルド芸術との交わりに負う発見、つまり芸術作品アウラの喪失という発見を、ベンヤミンがあとから唯物論的に根拠づけようとしたのではないかという印象を完全には抑えがたい。しかし、この目論見には問題がないわけではない。というのも、それによって、芸術の発展における決定的な切れ目──ベンヤミンはこの切れ目のもつ歴史的意味を十全に把握したのではあるが── は、科学技術上の変化の所産ということになってしまうだろうからだ.解放、もしくは解放を志向する期待が、ここでは直接技術に結びつけらる*3。だが解放とは、生産諸力が人間的欲求の実現のためのあらたな可能性の空間を用意するという意味で、たしかに、生産諸力の発展により促進されうる出来事ではあるとしても、人間の意識と無関係に考えることはできない出来事なのである。事の自然な成り行きにまかせておいて成就される解放などというものは、解放の正反対のものでしかないだろう。

 根本においてベンヤミンが試みているのは、生産諸力の発展が生産手生産諸関係を粉砕すると考えるマルクスの理論を、全社会という普遍の場から部分領域〈芸術〉という特殊な場へ転用することである*4。この転用が、結局のところはたんなるアナロジーにとどまってはいないかと問わざるをえない。マルクスにおける生産諸力の概念は、特定の社会の科学技術上の発展レヴェルを表しており、その際この概念には、機械という姿をとって具象化される生産手段と、これらの生産手段にたいして労働者がもつ使用能力との双方が包摂されている。そこから芸術的生産諸力の概念を導き出すことができるかといえば、これは疑わしい。しかもそれは、芸術的生産にあっては、生産者の能力および熟練と、物質的な生産技術および再生産(複製)技術の発展との双方を、ひとつの概念のもとに包摂することは困難だろうからである。芸術的生産はこれまでのところ単純な商品生産のタイプに属し(後期資本主義社会に至ってもそうである)、、このタイプの商品生産において物質的生産手段は、作品の質にたいしては比較的小さな意味しかもっていない。もっとも、作品の普及と作用の可能性にとってはたしかに、物質的生産手段は少なからぬ意味をもっている。映画の発明以来、普及技術が生産に及ぼす遡及作用が疑いもなく存在している。それにより少なくともいくつかの領域において用いられている、いわば産業的といえる生産技術*5が、しかし、「粉砕する力をもったもの」とはまさに言えないことはすでに明らかである。むしろ、作品内実が利潤関心に完全に隷属させられるという事態が生じており、そこでは同時に、消費態度を習得させる(しかもそれは、人間相互の最も親密な関係にまで及ぶ)という目的のために、作品の批判的な力は消失してしまっている*6

 ブレヒトの『三文裁判』(文献10−b)には、新しい複製技術によるアウラ的芸術の破壊というベンヤミンの考え方が響き出ているように感じられるが、ブレヒトはその表現の仕方において、ベンヤミンよりもやはり用心深い。「これらの装置は、他の場合同様、古い、非技術的、反技術的な、宗教的なものと結びついた、〈光を放っている〉芸術の克服にはほとんど使用できない」(『三文裁判』、p.199)。新しい技術的な表現手段(たとえば映画)そのものに、解放志向的な質を認めたがっているベンヤミンとはちがって、ブレヒトは、技術的表現手段のなかに特定の可能性が潜んでいることを強調する。しかしかれは、この可能性の展開が使用方法に依存するものであるということを認識させる。

 生産諸力の概念を、全社会的分析の領域から芸術の領域へと転用することには、さきに述べた理由により問題がある、同様にまた、生産諸関係の概念の転用にも問題がある。たとえその理由が、マルクスにおいてこの概念は一義的に、労働と労働による生産物の分配とを規定する社会的諸関係の全体に関係づけられている、ということだけだとしても。これに対してわれわれはさきに、芸術が生産され、分配され、受容される場合の諸関係を表わす概念として、制度〈芸術〉の概念を導入した。市民社会においてこの制度をなによりも特徴づけているのは、この制度のなかで機能する生産物が、社会的使用要求には(相対的に)煩わされないでいるという点である。この脈絡上でのベンヤミンの功績は、市民社会において自律性の原理に従って機能する制度〈芸術〉の内部で形成された、作品と受容者の関係タイプを、アウラの概念で把握したことにある。そこに含まれている次の2つの本質的認識に留意しなければならない。1つは、芸術作品はたんにそれ自身から作用するのではなく、その作用はむしろ作品を機能させる制度によって決定的に規定されるという認識であり、いま1つは、受容のあり方は社会史的に── たとえばアウラ的受容方法は市民的個人に基づいているといった風に── その論拠を求めることができるという認識である。ベンヤミンが発見したのは、芸術の、(マルクスがいう意味での)形態(フォルム)によって規定されてあるあり方にほかならない。ベンヤミン論文唯物論的性格もこの点に存している。これにたいして、複製技術がアウラ的芸術を破壊するという考え方は、似非唯物論的な説明モデルにすぎない。

 最後に、芸術の発展の時代区分の問題について、もうひとこと述べておかねばならない。さきにわれわれは、ベンヤミンの時代区分の仕方を批判した。それはかれが、中世的−宗教的芸術と近代的−世俗的芸術との区切りを、あいまいにしているからであった。ベンヤミンが取り出してみせた、アウラ的芸術と非アウラ的芸術との区分から出発して、方法論的に重要な次の認識を得ることができる。芸術の発展の時代区分は、制度〈芸術〉の領域にこそ探し求めうるのであり、個別作品の内実の変化の領域においてではない。このことは、芸術史の時代区分は単純に、社会形成物やその発展段階の歴史区分に従って行なうことはできず、むしろ、芸術という対象の発展のなかから大きな変革を取り出すことが文化の学の課題でなければならない、ということを含意している。そのようにしてのみ、文化の学は市民社会の歴史の研究に真正の寄与をなしうる。ところがこれとはちがって、市民社会の歴史がすでに、前もって知られた連関システムとして、社会的部分領域の歴史的研究のために受け入れられる場合には、文化の学は、その認識価値をあまり認めることのできない分類整理作業に堕してしまうことになる。

 まとめておこう。社会的部分システム〈芸術〉の自己批判が可能となる歴史的条件は、ベンヤミンの考え方を助けとして明らかにすることはできない。この条件はむしろ、市民社会芸術の根底をなす緊張関係、つまり制度〈芸術〉(自律性ステイタス)と個別的作品内実とのあいだの緊張関係の、その止揚という観点から導きうる。そこで重要なのは、芸術と社会はたがいに排除しあう2つの領域として対立的にとらえられるものではなく、むしろ、芸術が使用要求から(相対的に)切り離され際立たされてあるあり方も、内実の発展もともに、(全社会的発展によって規定された)社会現象だという点である。

 芸術作品の技術的複製可能性が別の(非アウラ的)受容方法を強いる、というベンヤミンテーゼがここで批判されるとしても、それはけっして、複製技術の発展に私がなんの意味も認めないということではない。ただ、この点に関しては、次の2つの事項に注意する必要があると私には思われる。1つには、技術の発展は独立変数として把握されてはならない。というのは、この発展自体が全社会的発展に依存するものだからである。2つには、市民社会芸術の発展における決定的な変革の原因を、短絡的にただ、技術的複製方法の発展に帰してはならない。この2つの限定を加えるなら、造形芸術の発展にたいして技術的発展がもつ意味を次のように総括できる。つまり、写真の登場、およびこれによって与えられた器械装置による現実の正確な再現の可能性が、造形芸術の模写機能を減退させた*7、と。この説明モデルの限界は、それを文学に転用できないことを考えてみれば明らかだろう。造形芸術における写真の影響に比肩しうるほどの影響をもたらした技術的革新は、文学の領域には存在しない。ベンヤミン芸術至上主義(ラール・プール・ラール)の成立を、写真の登場にたいする反応ととらえているが*8、これは疑いもなく説明モデルの濫用である。芸術至上主義の理論は、たんに新しい複製手段にたいする反応なのではなく(この手段がたしかに、造形芸術の領域において、芸術が完全に独立しようとする傾向を促進したにはちがいないとしても)、発展した市民社会において芸術作品がその社会的機能を喪失する傾向にあるという、この事実にたいする応答なのである。(われわれはさきにこの発展の特徴を、個別作品の政治的内実の喪失ととらえた)。芸術の発展にとって複製技術の変化がもつ意味を否定することが、いまここでの問題事項であるわけではない。とはいえ、芸術の発展を複製技術の変化から演緯的に説明することはできない。芸術至上主義とともに始まり、唯美主義において成就されるに至った、部分システム〈芸術〉の完全な分離独立は、市民社会を特徴づけている分業化( Arbeitseilung )の傾向との関連において考察されねばならない。完全に分離独立した部分システム〈芸術〉とは、同時に、その個々の生産物(作品)がもはやいかなる社会的機能をも引き受けない傾向にある、そのような部分システムをいう。

 ある程度の確かさをもって一般的に言えるのは、社会的部分システム〈芸術〉がひとつの特殊なシステムとして差異化されるという事態は、市民社会の発展論理にその根拠をもっているということだけであろう。分業化が進んでいくなかで、芸術家もまた専門家スペシャリスト)になる。唯美主義において頂点に到達するこの発展を、最も的確に省察しているのはヴァレリーである。ますます特殊専門化していこうとする一般的傾向の内部で、さまざまな社会的部分領域の相互影響が考えられる。写真術の発展が絵画に及ぼした影響(模写機能の減退)も、このたぐいのものである。だが、そうした諸々の社会的部分領域の相互影響は過大に評価されてはならない。この相互影響が、とくに、諸芸術の発展の非同時性を説明するのにどれほど重要であるにせよ、この相互影響をしかし、個々の芸術がそれぞれに特殊固有なものを顕わにしていくかの過程の、その「原因」とみなしてはならない。この過程は、この過程自体を同時にひとつの部分として含む、全社会的発展によって条件づけられているのであり、原因と結果(影響)という図式に拠っては的確にとらえることができない*9

 アヴァンギャルド運動によって達成された、社会的部分システム〈芸術〉の自己批判を、われわれはここまでとくに、市民社会の発展を特徴づけている分業化の傾向との関連において見てきた。その際、機能の専門化と同時に起こる、さまざまな部分領域の分離独立(差異化)という全社会的傾向は、芸術の領域をも支配する発展法則として把握された。これにより、いま問題としている過程の客観的側面を概略説明したことになるだろう。しかしながら、また、社会的部分領域の差異化の過程は、諸々の主観によってどのように反映されるのかとも問わねばならない。この点に関しては、〈経験の減衰( Erfahrungsschwund )〉という概念が、さらに思考を進めてくれると私には思われる。経験を、生活実践の場に再び移し戻すことのできる知覚と反省が加工接合されて一体となったものと規定するなら、分業化により条件づけられた社会的部分領域の差異化が主観に及ぼす作用は、経験の減衰と言いあらわせる。経験の減衰が意味するのは、ある部分領域の専門家スペシャリスト)と化した主観はもはや知覚したり反省したりしはしない、ということではない。右に規定した意味においてこの概念が表示しているのは、専門家スペシャリスト)が自分の領域においてなす「経験」は、もはや生活実践の場に移し戻すことができないものだということである。唯美主義が純粋に発展させたような、特殊固有の経験としての美的経験は、右に定義した意味での経験の減衰が芸術の領域においてはっきりと姿を現わす、その形式であると考えられる。言いかえれば、美的経験は、社会的部分システム〈芸術〉が分離独立する過程の肯定的側面であり、この過程の否定的側面が、芸術家の社会的機能喪失なのである。

 芸術が現実解釈を与えるなり、残余欲求を観念的に充足させるかぎりにおいて、芸術は、生活実践から切り離され際立たせられてあるにせよ、まだ生活実践に関連づけられている。唯美主義においてはじめて、それまではまだ存在していた社会との結びつきが破棄される。社会との断絶(ここにいう社会とは帝国主義の社会である)が、唯美主義の作品の中心をなしている。ここに、アドルノが繰りかえし企てた試み、すなわち唯美主義の救出という試み*10根拠がある。アヴァンギャルド芸術家たちの志向は、唯美主義が形成した美的経験(生活実践対立する経験)を、その向きを変えて実践的なもののなかに移し戻す試みと規定できる。つまり、市民社会の目的合理的秩序と最も相容れないものこそが、人間の生活の新たな構成原理とされねばならないというのである。

*1ベンヤミンの諸テーゼに対する批判としては、アドルノの、1936年3月18日付のベンヤミン宛の書簡がとくに重要である(Th・W・アドルノヴァルター・ベンヤミンについて』〔文献1−k〕p.126-134 に所収)。また、R・ティーデマンの『ヴァルター・ベンヤミン哲学研究』(文献65)も、アドルノに近い立場から論じている(p. 87以下)。

*2: B・リントナー『〈自然‐史〉── ベンヤミン著作における歴史哲学と世界経験』(『テクスト+批評』31/32号所収、p.41-58 。ここに述べた点については p.49 以下)を参照のこと(文献48‐b)。

*3ベンヤミンはこの点に関して、今世紀20年代リベラル知識人においても、またロシアの革命的アヴァンギャルドにおいても特徴的であるような、技術にたいする熱狂という歴史文脈の内に立っている。(リベラル知識人の態度については、H・レーテン『新即物主義』〔文献47‐a〕に、いくつかの指摘がある。ロシア・アヴァンギャルドに関しては、その一例として、B・アルヴァトフ『芸術と生産』〔文献3〕を挙げておく)。

*4:このことから、ベンヤミンの諸テーゼ極左派の人々によって革命的芸術理論として受けとめられえた、という事態が理解できる。H・レーテン『〈唯物論的芸術理論〉に関するヴァルター・ベンヤミンテーゼ』(『新即物主義』所収〔文献47‐a〕p.127-139 )を参照のこと。

*5:周知のように大衆文学の生産物(作品)は、作家チームによって分業的に、読者グループに合わせて調整された特定の生産基準にしたがって制作されている。

*6ベンヤミンに対するアドルノ批判の端緒もこの点にある。アドルノ『音楽における物神的性格、および聴く力の退化について』(アドルノ不協和音―管理された世界の音楽』所収〔文献1‐e〕p.9-45)を参照のこと。この論文は、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』にたいする、アドルノの回答である。また、クリスタ・ビュルガー『イデオロギー批判としてのテクスト分析── 同時代の娯楽文学の受容について』(文献14)第1章第2節をも参照のこと。

*7:今日、美学理論を反映概念にもとづいて構築しようとする試みが出遭う困難は、ここに由来している。この困難は、市民社会における芸術の発展によって、より正確にいえば、アヴァンギャルドとともに始まった芸術の模写機能の「減退」によって、歴史的に条件づけられたものである。── A・ゲーレンは現代絵画社会学的に解明しようとしている(A・ゲーレン『時代−像── 現代絵画社会学美学』文献25)。ただし、ゲーレンが挙げる、現代絵画を成立させた社会的条件は、全く一般的なものにとどまっている。その条件としてかれは、写真術の発明とともに、生活空間の拡大、くわえて、絵画自然科学の結びつきの終焉を挙げている(同書 p.40 以下)。

*8:「すなわち、最初の真に革命的な複製手段、つまり写真術の登場とともに(それは社会主義の始まりと時を同じくしている)、芸術が、百年の後には見紛うべくもないものとなる危機の接近を感得したとき、芸術は、芸術の神学にほかならぬ芸術至上主義(ラール・プール・ラール)の説をもって、これに応えたのだった」(『複製技術時代の芸術作品』 p.20 )。

*9:P・フランカステルは、芸術と技術についてのその研究成果を次のように総括している。(1)「同時代芸術の特定の形式の発展と、現代社会の科学的・技術的活動の現われとのあいだには、いかなる矛盾も存在しない」。(2)「現代における諸芸術の発展は、美的なものに固有の発展原理に従っている」(『19世紀および20世紀における芸術と技術』〔文献22-a〕p.221 以下)。

*10:Th・w・アドルノゲオルゲとホーフマンスタール── 1891年-1906年の往復書簡について』(『プリズムー文化批判と社会』所収、〔文献1‐f〕p.190-231)、および、『代理者としての芸術家』(『文学ノート』所収、〔文献1−b〕p.173-193)を参照のこと。



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