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2010-09-16

「パフォーマンス」の現象学

オリジナルテクスト 

 ”パフォーマンス”という言葉が、最近、日本語の文脈のなかで好んで使われる傾向があるが、これは、管理社会の側からも、大衆自身の側からも意外性や偶然性への欲求がいや増しに昂進していることと無縁ではないだろう。

 ニューヨークにいる刀根康尚は、いささかうんざりした調子で、「ライフなどという雑誌でさえ、 80年代に最も好ましいジャンルはパフォーマンスである、と言われる御時勢ではある」(『月刊イメージフォーラム』81年8月号)と言っているように、近年アメリカでは、よきにつけあしきにつけ、パフォーマンスが活況を呈しているが、”ハプニング”や”チャンス・オペレイション”を包括する概念としての”パフォーマンス”の歴史はいまにはじまったわけではない。アメリカのパフォーマンスもこれまで全然紹介されなかったわけではなかったし、刀根康尚なども日本でかなり早くからパフォーマンスに注目してきたが、それ自体としてはむろんのこと、商業文化をささえ、刺激する”サブ・カルチャー”としてもほとんど評価されなかった。1960年代のはじめに、ジョン・ケージがデイヴィッ ド・テュードアと来日し、上野文化会館の小ホールで”作品”を発表したとき、彼は「偶然性の音楽家」として紹介され、話題をよんだ。そのうちのある”舞台”では、グランド・ピアノのうえに小野洋子(まだヨーコ・オノではなかった)がねそべり、体をくねらせたり、黛敏郎までがピーナッツか何かをポリポリ食いながら即興に参加した。こうした”舞台”は、一般に、むろんわたしも含めて、音楽の付属ないしは、音楽付のハップニング劇として受けとられた。しかし、いまにして思えば、これは、オーディオ・ヴィジュアル・パフォーマンスだったのであり、”音楽”、”演劇”、”ダンス”と いったふるいわく組みをぶちこわす新しい何かだったのだ。

 実際、アメリカのパフォーマンスは、1930年代にヨーロッパから亡命してきた芸術家が集結し たブラック・マウンテン・カレッジではじまり、ジョン・ケージもこの流れに与している。そもそも、 パフォーマンスの包括するジャンルは広く、たとえばアレクシス・スミスのパフォーマンス「物語作者シェーラサード」(1976年)では、スミス自身がペルシアじゅうたんのうえにすわり、格子づくりの衝立、キャンドルなどをしつらえた環境で毎晩10人だけの客に『アラビアン・ナイト』の物語を読 んできかせる。アラン・カプロウのパフォーマンスには、2人の人物が歯をみがく行為を示すだけというのもある。クリス・バーデンの有名なパフォーマンス「デッドマン」(1972年)は、ロサンジェルスのラ・シネガ・ブルヴァードの路上にバーデン自身がすっぽりシートをかぶってねころんでいる ということから成り立っている。

 しかし、最近耳にすることの多い”パフォーマンス”という言葉は、必ずしもこうした”正統的”な意味でのパフォーマンスを指しているわけではない。たとえば、クラリオンラジオコマーシャルには、「オーディオからサウンド・パフォーマンスヘ」というのがある。

 むろん、こうした使い方は英語の文脈にはあるわけで、ちなみに”パフォーマンス”(Performance) という言葉を最新の英和辞典でひいてみると、1、(音楽・演劇などの)催物、余興・興行物・ショー、(儀式などの)執行、(演劇などの)上演、(音楽の)演奏、2、(仕事・行為・功績などの)達成・成就・実績・成果・できばえ、3、(特定の)行動、行為、手順、4、異常な行為、はなばなしい(目ざましい)行動、5、行なうこと、遂行、履行、6、反応のしかた、(意図された目的の)遂行能力、性能、効率、とある(『小学館ランダムハウス英和大辞典』)。ただし、日本語の文脈であえて”パフォーマンス” と言う場合には、(この言葉にかぎったことではないが)英語の文脈とはややちがった社会・文化的含みがあるはずである。このことを考えるために、パフォーマンスという概念そのものについて考えてみよう。

 やっかいなことは、パフォーマンスという言葉があまりに一般的な言葉である点だ。”パフォーミング・アーツ”と言えば、それには演劇、ダンス、音楽などが含まれるので、パフォーマンスも、やはりこれらの一種であると考えられがちだ。むろんそういう面もないわけではないが、パフォーマンスといわゆる”演じられる”のとのちがいが明確にされるのでなければパフォーマンスの今日的意義はわからないだろう。 アーヴィン・ゴフマンは『日常生活における自我の呈示』(石黒毅訳『行為と演技』誠信書房)のなかで、 ”パフォーマンス”という語をキー・ワードにして日常的世界の諸々の行為を分節してみせたが、この”パフォーマンス”は、ゴフマン自身言っているように、演劇的な意味でのそれであり、従って問題のパフォーマンスとは区別される。


 「この報告で採用された視角は、演劇の演技という視角である。導出された諸原理は演出上の諸原理である。私は通常の作業状況内にある人が自己自身と他者に対する自己の挙動をどのように呈示するか、つまり他人が自己について抱く印象を彼がどのように方向づけ、統制するか、またエゴが他人の前で自分の演技を続けている間に、しても良いことは何か、して悪いことは何か、を考察しよう と思う。」(前掲書111ページ)


 従ってここでは、”自己”とは演技者であり、”他者”は観客である。日常世界は舞台であり、そこで”自己”はさまざまな”役柄”を演じるわけである。こうした見方は、今日では文化人類学の分野でもかなり一般化しているが、それは一面で、いままで気がつかなかった日常的な出来事を異化する認識論的な効果を発揮しはする反面、日常生活のなかの行為をすべて意識的なものにしてしまい、 結局は、人間関係をだます者とだまされる者、支配する者と支配される者との関係に単純化しかねない。しかし、現実の出来事は、形式的な心理劇のように単純に”演ずる者”と”観る者”とに分けることが必ずしも容易ではないから、この種の方法は、具体的現実にこの方法を適用するのではなく、 むしろこの方法にうまく合う範例をさがし出してきてあてはめるという倒錯した手続をとりかねない。

 たとえば、ゴフマンが乞食の行為について次のように言うとき、彼はなぜ乞食の”演技”が変わってきたのかについて説明することをはじめから放棄している。


 「……乞食が街頭で行なう演技ほどに社会学的に魅力のある対象はおそらくなかろう。とはいえ、西欧社会では、今世紀の初頭以来、乞食たちが演ずる状景は劇としての力を減じてきているように思われる。今日、一家族がぼろではあるが、信じがたいほどに清潔な衣服を着て、子どもたちの顔は柔かい布でみがかれ、石鹸の跡をてらてらさせて現われる〈家族ぐるみのお涙頂戴〉ということは、めったに聞かない。もはや、半裸の男が食べ物をのみ込むこともできないほどに弱り果ててひとかけらのきたないパンにむせ返るという演技とか、ぼろをまとった男がひとかけらのパンを得ようと雀を追い払って、そのパンをのろのろと袖口でぬぐい、周囲で彼を見ている人たちのことには心をとめぬふりをして、それを食べようとする、といった状景もあまり見かけない。また、繊細な感受性のためにあからさまに口にだせないことを弱々しく目で嘆願する〈萎縮した物乞い〉もまれになっている。」 (前掲書、46〜47ページ)


 ゴフマンの方法は、結局、近代劇の演技概念を使って現実を分節しているのだが、現実は、決して近代劇の世界にとどまっているわけではなく、”不条理劇”や”街頭演劇”の世界をものりこえてたえず変わってきたのだから、ゴフマンのように同じ概念で現実を総合的に分節しようとするのは無理 なのである。たとえば、彼は演技者/観客という二元論に固執するため、「エゴは自己自身のオーディエンスであることもあるし、あるいはオーディエンスが現存していると想像することもある」 (前掲書、95べージ)と言わなければならないのだが、これでは日常的世界はすべて見る者と見られる者との静的な関係になってしまい、偶然が介入するダイナミックな側面が欠落してしまうだろう。むろん、今日の社会生活の多くの部分が計算、操作、演出、仕掛といった近代主義的な論理によって構成されていることはいうまでもないが、少なくともそういうものからまぬがれた側面に注目しようとする際には――すなわち認識論的な立場を一歩こえようとするときには――これでは不十分なのである。

 ある意味ではパフォーマンスという新しい概念は、観客――つまり自分は安全地帯にいて対象を冷静に凝視しているような観客――が存在しえないような世界のためのものなのである。言いかえれば、すべての人がみな行なう人であるような現実、これこそがパフォーマンスに対応する現実なのである。

 パフォーマンスの”起源”は通常、イタリア未来派の実験に求められる。それは、マリネッティらが行なった諸々の実験が、既成の演劇、オペラ、ダンス、音楽、映画といったジャンルに収まるものではなく、「大文字で書かれた”芸術”の厳粛さ、神聖さ、真面目さ、荘重さ」(ロズリー・ゴールドバーク『パフォーマンス』)を破壊したからというだけではなく、むしろ観客との関係が既成の芸術とりわけ既成の近代主義的演劇とは根本的に異なるからである。イタリア未来派のパフォーマンスの理念は、 マリネッティが1913年に発表した宣言「ヴァラェティ・シアター」に集約されているが、マリネッティがミュージック・ホール、キャバレー、ナイトクラブ、サーカスといった”ヴァラエティ・シアター”に注目したのは、未来派が文字通りそのようなものを上演することを目ざしていたからではなくて、マイケル・カービーが言うように、それらが、「真に未来派的な精神に価する唯一の演劇的な娯楽」であり、「生まれつつある新しい感受性の諸要素がまじりあう唯一のルツボ」であるとみなされたからである。そしてその際、マリネッティは、「観客の肉体的な介入と”第4の壁”という慣習の破壊」を強調するわけだが、カービーは、『未来派のパフォーマンス』(1971年)のなかで次のように言っている。


 「ちょうどタバコの煙の充満したナイトクラブて、パフォーマーと観客とが分離されない共通の雰囲気がつくられるように、マリネッティは、観客と呈示とのあいだの分離をとりのぞくことをのぞんだ。

 ……彼がヴァラエティ・シアターを賞讃したのは、その観客が、パフォーマンスのあいだ中、賛同か軽蔑を示唆しながら能動的に反応するからであり、幕が下りるまで受動的に待って拍手するというのではないからである。彼らは、音楽といっしょに大声で寸評をさしはさみ、歌を歌う。パフォーマーと観客とのあいだで精力的な交換が行なわれる。観客は、観客がいなくてもその経験には変わりがないという風をよそおうよりも、むしろ、その演劇的経験の特定の質をつくり出す手助けをするのであ る。」(22〜23べージ)


 こうした未来派の精神は、ダダイズムの集団的マニフェスタシオンのなかにも見出される。アンリ・ペアールは、『ダダ・シュールレアリスム演劇史』(安堂信也訳、竹内書店)のなかで、「まず何よりも ダダイストたちが初めに理解したことは、観客が劇場に入ることで芝居が始まるのではなく、観客の中に芝居をとらえに行かねばならないということであった」と言っているが、このことは、俳優や演出家が観客を芝居にまきこんで舞台の効果をあげるようなやり方とは無縁である。重要なことは、俳優だけが変わるのでも、また観客だけが変えられるのでもなく、その場にいあわせる者がすべて能動的な自己変革者になるような場をつくり出すことである。だが、そのような可能性は、”劇場”と呼 ばれる場ではめったに与えられない。その意味では、未来派やダダが、そのような場をつくり出すことに成功したのは、たまたま彼らが、”反劇場”的な条件――たとえばカフェ――のなかでパフォーマンスを行なったからかもしれない。それゆえ、ベアールが言うように、「ダダは舞台と観客の間の新しい関係をつくることを求め、また俳優から観客への思想と行動の往復運動の可能性を探求」したということが事実だとしても、その可能性の実現は、大きな偶然に負っていたのであり、またそれだからこそ、”演劇”として提出されたものが、観客だけでなく俳優や演出家にもショック(自己変革の契機)を与える”反演劇”つまりはわれわれの意味でのパフォーマンスになりえたのである。

 1896年12月10日に初演されたアルフレッド・ジャリの『ユビュ王』は、ダダの先駆的事件とみなされているが、これがもしパフォーマンスの先駆的事件でもあるとすれば、それは、この上演がむしろジャリ自身や上演者たちの予想をうらぎったからだと考えるべきである。ベアールは、戯曲 『ユビュ王』がパフォーマンスに転ずる一瞬を次のように書いている。


 「次いで、歴史的な最初の言葉〔merdre=くそったれ〕が、語尾に”r”をつけ、より響き渡るようにされたあの言葉が、ジェミエ〔ユビュ王を演じたフィルマン・ジェミエ〕によって念を込めて発音された。その言葉が響くや、観客は胸もとを強烈に一撃されたような衝撃を受け、場内はまったく騒然となってしまった。もはや俳優たちが芝居をしても無駄であり、観客自体がスペクタクルであった。」(前掲書28べージ、亀甲カッコ内は引用者による)


  『ユビュ王』は、たしかに観客にショックを与えた。しかし、ジャリや俳優たちはそれをあらかじめ予想しており、計画が予定どおりはこんだにすぎないというのでは、この事件はダダにとってもパフォーマンスにとっても何ら先駆的な事件ではなくなるだろう。むろん、舞台が観客に何らかのショックを与えることは最初から予想されていたし、実際にそれをねらってつくられた面はあるわけだが、 この”パフォーマンス”の意義は、むしろ、それが生み出した混乱とスキャンダルによってパフォーマンス自身か変えらた側面にある。フランチェスコ・カンジウロほ,1914年にフローレンスのヴルディ劇場で未来派の”パフォーマンス”が行なわれた際に観客の怒りとヤジの集中攻撃にさらされたマリネッティらの対応を次のように描いている。


 「ポテト、オレンジ、ういきょうの束が大雨のように降ってきた。突然彼は、目に手をあてながら ”ちくしょう!”と叫んだ。われわれは彼を助けに走った。すると傍観していた多くの人々は、われわれが卑劣きわまりないと言って憤慨し、抗議した。われわれが舞台からどなりかえしたので、その場は、くりかえして言うことも、まして書くこともできないような言葉がとびかう貧民街の市場のようになった。」(カービーの前掲書14ぺージ)


 市川雅は、「ハップニングに特徴的なのは、役を演ずることの拒否である。何者かを演ずるのではなく、何かをするアクティヴィティが演者に課せられる」(「パフオーマンスの出自と展開」『美術手帖』1980年3月号)と言っているが、未来派やダダの”パフォーマンス”においてはからずも起こった演技の 不可能性、演技からタスクヘの転換をまさに、ハップニングや今日のパフォーマンスは意識化するのである。こうした転換のなかで、演技者はもはや観客を操作し、支配する者であることをやめ、また観客は演技者によってだまされ、扇動させられることをやめる。いまや、”演技者”の”役柄”や身ぶりは、”観客”にパラノイアや幻想を起こさせる装置ではなくて、”観客”がたとえつかのまであれ自分を変えるための媒介となるのであり、”演技者”の方も、”観客”の予想をはずれた反応によって自分を変えざるをえなくなるわけである。パフォーマンスが演劇とちがって、構成的な――つまり ”演技者”と”観客”との持続した関係を予測して構想された――”舞台装置”や”小道具”をではなく、単に出来事のきっかけをつくるにすぎないようなオブジェを用いるのもこのためで、パフォーマンスを行なうには、いわば、紙切れや木片といったごくささいなオブジェ、そして最後にはパフォ ーマーの身体、があれば十分なのであり、演劇のように大げさな舞台装置や衣装を必要とはしないのである。

 そうしたパフォーマンスの最小単位を理解するうえで、ギルバートとジョージによる”生ける彫刻”という概念はひじょうに示唆的だ。彼らの最初の”作品”「アーチの下で」(1969年)では、普通の背広を着ているが、顔に金粉をぬった2人が、1人はステッキを、他は手ぶくろをもって、小さなテーブルのうえを、かたわらのテープレコーダーから流れる歌にあわせて約6分間、人形のような機械的な身ぶりで動きまわるにすぎない。ここで彼らが行なっていることは何かの”役”を演じることではなく、もっぱら日常的なオブジェになろうとすることである。

 パフォーマンスは、アンチ・テアトルとして、見せ物や大道芸、さらには(全く”劇的”でないという意味で)日常的なルーティン・ワークと一脈通ずるものをもっているわけだが、それは、再現を拒否し、一回性を重視する点で、オーラル文化の伝統に属していると言えるだろう。パフォーマンス は、いわば現代のオーラル文化を代表するものであり、そういうものとして、今日の活字的文化に素材や活力を提供しているわけである。実際に、アメリカの演劇は、リチャード・フォアマンやロバート・ウィルソンにみられるように、パフォーマンスから多くの滋養を摂取してきた。アメリカの現代芸術は、さまざまな場所で、さまざまな人々によって行なわれる多様をパフォーマンスの蓄積なしには存在することができなかったし、これからもできないだろう。(その意味では、演劇は本来パフォーマンスであると言えるだろう。R・コールドバークは、前掲書のなかで、メイエルホリドの仕事を ”演劇”からパフォーマンスの方に奪還しているが、演劇史は、パフォーマンスの観点から洗いなおされるべきである)だが、パフォーマンスは、決して活字的文化、大文字の”芸術”の補完物としての意味しかもたないわけではない。今日、パフォーマンスはヴィデォに記録されるようになったが、パフォーマンスの本当の蓄積は、それに関与する者たちの記憶のなかにある。

 パフォーマンスがオーラル文化に属しているとすれば、それをヴィデオに記録できると考えるのは 全くの幻想である。記録できない、記録しないということがパフォーマンスの本領なのであり、今日、 パフォーマンスがしばしばテレビ・カメラやヴィデオを使って行なわれるようになってきたとしても、 パフォーマンスがそうした電子機器を使うのは、テレビ・ドラマの製作にそれらが使われるのとは全くちがった目的意識のためである。それらは、何かを記録したり、再現したりするために使われるのではなくて、人間とオブジェとの関係をとらえなおすために使われるのであり、また、そうした電子機器が今日、人間とオブジェとの関係を決定する中枢部分に存在するからこそ、パフォーマンスはそれらを無視できないのである。その意味では、パフォーマンスは、人間(主体)とオブジエ(客体)、 身体性とオブジェ化の問題をめぐる現状況と敏感にかかわらざるをえないわけで、トム・マリオー二 が最近20年間のカリフォルニアのパフォーマンス活動を回顧しながら言っているように、主体と客体との関係をたえず更新しなければならないし、さもなければ演劇との差異を失ってしまうだろう。


 「わたしは、自分のパフォーマンスの概念が古くなったことがわかった。……わたしは、スカルプチャー・アクションというこの考えに執着したが、そこでは、アクションは、劇場におけるような観客、 に対してよりも、むしろ操作されている物質に向けられる。しかし、これは、60年代後期の、ヨー ロッパ流の(クライン、ボイス、ブラスらの)パフォーマンス概念だと思う。わたしが、彫刻の専門美術館としてMOCAを創立した1970年に、わたしは自分自身のルールをつくりあげた。わたしは、コンセプチュアル・アートを”静的”なオブジェの生産に向かうのではない、観念志向の状況"と定義した。が、1979年になったいま、オブジェからの分離はもはや問題ではない。10年前には、 オブジェよりもむしろアクションをつくることによって唯物論に反対する声明を発することが重要だった。が、いまや、わたしの世代の幾人かの芸術家たちは、主体――目的それ自体としての(美学的な)ではなく、むしろある機能を説明するための素材としてのオブジェ――への回帰を行なっているようにみえる。」(カール・E・レフラー編『パフォーマンス・アンソロジー』1980年17ページ)


それゆえ、パフォーマンスは、他方において、パフォーマーやその立会人たちがそれを意識するか どうかにかかわりなく、われわれが属しているこの現状況を露呈させずにはいないはずである。テクノロジーが浸透したわれわれの日常生活は、そのディテールにいたるまで”オブジェ”化されており、 人間関係は、商品と情報の”オブジェ”の媒介によって成立している。だが、こうした媒介としての ”オブジェ”は、決してわれわれから自律した物そのものではなく、それに関わる者たちを操作し、支配する道具に頽落しており、その意味では、人問だけではなく、物たちも物そのものから疎外されているわけである。パフォーマンスは、こうした疎外から人間と物とをつかのま解放するのだが、それはきわめて逆説的な形をとる。

 パフォーマーが自分の身体を”オブジェ”化するとき、あるいは何らかの”オブジェ”を提出するとき、この”オブジェ”はまだオブジェそのものではない。それは、このパフォーマンスの立会人(”観客”)を操作する道具にもなることができる。が、この”オブジェ”を立会人が、道具としては使用不能のものとして拒絶せざるをえないとき(それは、表面的には退屈さのための場合もあれば、 衝撃のためである場合もある)、この”オブジェ”は本当のオブジェになる――その意味では、パフォ ーマンスの”観客”は、演劇の観客のように”パフォーマンス”を楽しむわけにはゆかない。現代人は、商品や情報として取り扱われながら、にもかかわらず”人間”でなければならないという矛盾のなかに存在しているわけだが、パフォーマンスは、まさにサミュエル・ベケットの世界のようにこの矛盾を人工的に昂進させ、単なる道具(人工的な”オブジェ”)でしかない人問(パフォーマー)と、それを道具としては拒否する人間(立会人)とをつかのま出現させることによって、両者をこの矛盾から解放するのである。

 しかし、コンピューターが発達し――というよりも――コンピューター文化が全般化し、なにからなにまでプログラム化されてしまい、すべてが予測可能なものとなり、意外性や偶然性がしめ出されるという風潮が支配的になると、パフォーマンスまでもプログラムされかねないし、またパフォーマンスヘの最近の期待や欲求のなかには、パフォーマンスをもプログラム化してゆこうという志向が感 じられる。すでにそういう志向は、演劇や映画や音楽演奏のなかに即興的要素を加味してゆくような やり方のなかでも見出されたが、最近の傾向はもっと逆説的なものであり、すべてがあまりに精密にプログラム化されてしまったため、どこかにそれからはずれた要素をつくらないことにはにっちもさっちもゆかなくなってきたという状況から発してもいる。

 パフォーマンスの要素をゆたかにするには、プログラミングということを中止すればよいのだが、そうでなくても全面的なプログラミングは不可能なのが現実で、子供の人生を、生まれてすぐからプログラミングし、早期教育、効率教育で名うての塾、小学校にあげたところまではよかったが、中学進学を目前にひかえてご当人が”非行”に走ってしまったといったケースにみられるように、現実は まだパフォーマンスにあふれている。また、コンピューターのパフォーマンス(性能)には、コンピューター犯罪で発揮されるコンピューターの意外な性能の方は含まれないが、コンピューターの本当のパフォーマンス性はまさにこの部分にあるのである。

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