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2010-12-15

路上画家(ダンボールハウスペインター)武盾一郎氏に聞く ──新宿駅西ロダンボールハウス村より 武盾一郎/小倉虫太郎(聞き手)

なぜ新宿西ロか

──去年(96年)冬、都庁へ通じる例の4号通路から路上生活者ダンボールハウスが強制排除されるという事件があって、私が一番始めに武さんを見たのは、武さんのグループが、都の職員によって持ち去られる最後の瞬聞までダンボールハウスに絵を描き続けていたシーンで、確かTBSによる放送だったと思うんだけど。さらに、その番組の中で、武さんは、持ち去られた自分の作品を引き取りに行くんだけど、その時「この作品は、中に人が住んでいなければ意味がない」とつぶやいていた。僕は、そこに何か腑に落ちるというか、何か普通の「芸術」、美術館に展示されているような「芸術」を超えた何かを、つまり人が生活する、生きるということにそのまま直結するような武さんたちの「芸術」活動の在り方に興味を持ったのが付き合いの始めなわけなんだけど。

 自分が、今のダンポールハウスに絵を描き始める時のことを思い出してみても、その動機は、特に自分自身でもはっきりしていたわけじゃなくて、何か後ろから押されてやり始めてしまった感じがある。何かここ(ダンボールハウス)に絵が有るべきなんじゃないか、という「予感」だけがあった。ストリートで描くというコンセプトにしても、やってて後から気がついたという感じで、今やっとこうして自分がやってきたことに関して言語化できるようになってきている。

──始まりは、やはり西口界隈をぶらぶら歩いていたことから始まっているわけですよね。

 そう、僕は、渋谷とか六本木じゃなくて、この新宿という街が好きなんです。何で好きかというと、新宿では、ピンクサロンの隣に八百屋があったりとかして、そういった風景が日常的なこととして受け止められる。それらはもしかしたらアジアっぼさということなのかも知れない。一見するとカオスっぼいんだけど、それなりの秩序が成立しているアジアのストリートでは、牛と自動車オートバイとが一緒になってガーッと走っていたりする。(笑) 僕はそういった在り方に居心地の良さを感じるんです。そして、その新宿のストリートの風景の中でも特にあそこ(ダンボールハウス村)にひきつけられてしまったということなんです。

──そして、武さんの活動は、去年の強制排除・強制撤去、「動く歩道」の設置以来、都の一連の「美化」政策に対する抵抗という意味をますます帯びるようになってきていると思うんだけど。

 でも、都が発表してしまったことは、既に覆しようがないようなものとしてみんな感じてしまっていたと思う。活動家の人たちも、おっちゃんたちも、それは、日本人特有の「あきらめ」のようなものかもしれないけど。僕は、そういうことも含めて自分に対しても、その日本的な体質のようなものにも「憤り」を感じている。でも、あの大撤去の時も、最後までねばっていたあるおっちゃんが、サンダル履きで、両手に紙袋をさげて、すたすた歩きながら「みなしごハッチになっちまったよお」と、まるで他人事のようにつぶやいていたその言葉の中に何ともいいがたいユーモアがあって、それが僕のあの経験の中では一番印象的だった。


96年夏の逮捕

──でも、あの強制撤去以降も、おっちゃんたちが流れていって、現在の西ロインフォメーション前は、今まさにダンボール村になってしまっている。そして、現在都が一挙的な排除が行えなくなっているのも、メディアが、あの時、あの強制撤去を映しまくってしまったこと、そして、武さんたちの絵が絶えることなく増殖していること、そのようなメディアによって作り出された力関係のバランスの中で現在の小康状態があるんだろうと思うんだけど。ところで、去年の夏、武さんが逮捕されるという事件があったんで、その時のことを少し話していただけませんか。

 東京都が、動く歩道を設置して、同じ通路の反対側のスペースに、それははっきりしていることなんだけど、二度と戻って来れないように斜めに切られた円柱状の突起物をズラーッと配置したわけ。東京都は、始め言いわけのように、それを「オブジェアート」と呼んでいた。それで、『東京ジャーナル』という英字雑誌が、「ダンポールの絵と、あのオブジェとどちらが芸術としてふさわしいのか」と東京都当局にインタビューしている記事があったんだけど、都は、もちろんあのオブジェの方が芸術的である、というふうな答えをしていて、ある意味では当たっているのかもしれないけど。(笑) でも、かつてナチスソ連の政治権力が、何々は芸術である、何々は芸術ではない、と決めていった歴史があるけど、それと似たようなもので、なんだか胸くそ悪いから、逆に東京都のコンセプトどおりに、あのオブジェをもっと芸術的にしてしまえと思って、(笑)夜中から朝にかけて、あのオブジェに等身大の「埴輪」をはめ込んでいたんです。そしたら、警備員が出てきて、「どかせ」と言うから、どかす前に「これ、どう思う? 」と聞いたわけです。でも彼は、それには答えないんだね。それで彼は、警察を呼んだんだけど、取り敢えず、その時は、その場を逃げたわけ。で後から聞いたら、5分後には、その「埴輪」は、すべて撤去されてしまったと。で、それで僕は、頭に来て、もう一度戻って「埴輪」がだめなら「顔」だろうと思って、そのオブジェに直接絵の具で絵を描はじめたら、もう10分後には4人くらい警察官が来て、パトカーに押し込められて、そのまま新宿署に行くことになった。で、僕は、全然悪いことをしたと思ってなくて、むしろ東京都のコンセプトどおりのことをしたんだから、逆に誉めてもらいたいとも思ったんだけど。(笑)

──逮捕の理由は、何だったんですか。

 器物損壊といって、その上には器物破損というのがあって、それは修復不可能な状態になっていること。修復可能な器物損壊の代表例は、立ち小便なんかで、だから僕の芸術を立ち小便と同じにしてくれて、本当に感謝しているんだけど、ふつう立ちションで22日間も拘留するか?(笑)

──取り調べの時、刑事とはどんなやりとりがあったのかな。

 あの空間で描いた絵がどんどん増えていくこととは、そのストリートの空気や匂い全体を変えることで、自分を誉めるようだけど、それで空間が豊かになっていく、そういうふうな僕の目論見がある。だから、それは結局、空間それ自身を描くことだと思うんだけど、キャンバスに絵を描いたり、それをギャラリーに展示することは、結局のところ空間を描いたことにならないだろうと思うんです。確か僕は、そういうことを刑事に向かってわめいていたと思うんだけど。それで刑事は、「人のシャツに勝手に絵を描いたらいけないだろう」と。また「お前は、画家だろ? だったら画家らしくキャンバスに描いてればいいんだよ」と。22日間も同じことを言われ続けたんで、最後には、僕もしんどくなってきて、そうかもしれない、と思ったりなんかして。(笑) 要するに、お互いに言ってることがぜんぜんすれ違っているんですよ。それで、そのうちドアの外で刑事たちが「あいつ、キチガイじゃねーのか」って、聴こえてんだよ。(笑) それで、何日かたって、一番印象的だったのが「なあ、武よ、あんなところに絵があると、人々の勤労意欲がうせるんだよ」と。僕は、その言葉が、刑事個人の感想なのか、職務の一貫として出てきた言葉なのかわからないんだけど、一体何語なのかさっぱりわからなかった。(笑) 向こう側からすると、多分始めっから僕の絵は、うっとうしいものだったんだろうけど。

──そこで、やはり都市空間に対する認識の違いというものが、露骨に出てるんだろうね。要するに、通路は、歩くものであって、それ以外の機能を一切認めないという。

 それで、思い出したのが、大撤去の前、地下道構内アンウンスで、「この通路を本来の道に戻すために、それを邪魔している物体をどかします」というような内容のことが聞こえてきたんだけど。でも、道って本来、道草を食うためにあったり、いろんな人がすれ違ったり、出会ったり、立ち話もするところなわけでしょう。僕は、東京都当局の使う日本語は、おかしいと思うんだよね。


様々な出会いと反応

──それで、新宿駅西口の空間をめぐる闘争の中に、都当局と路上生活者、それから支援の人や、さらに武さんがいるわけなんだけど。そこを普段歩いて通過している人たちとは、どんな出会いがあったりしますか。

 声をかけて来る人は、いいにしろ悪いにしろ、僕らの絵に何かを感じてくれたわけなんだけど、「こんなとこに絵を描きやがって」とか、「根性の腐った絵だ」とか、そういったネガティブな反応も多いです。その時に面白いのは、そんな罵声を浴びせる人やペンキカンを蹴飛ばして行く人は、たいてい僕が振り向いて「なんで? 」と言い返すころには、もう既に人込みの中に、つまり匿名になって消えていて、そんな時とても悲しいなあと思ったりするんです。ぜんぜんコミュニケーションになっていかない。また、共感を持ってくれて、声をかけてくれる人も多いんだけど、その中でも1つの典型というものがあって、例えば「ボランティアですか?しとか「学生ですか?」とか「描いてあげてるんですね」とか。(笑) それで、いいえ違います、違います、ということで、僕は、描いてあげてるんじゃなくて、ただ描いてるだけなんだから。多分、なんだか分からなくて、何々だから描いている、という具合に何らかの理由に落とし込めないと、落着かないんだろうね。でも、一番すなおに誉めてくれるのは、なぜか外国人である場合が多い。はじめに絵を見て「オゥー」とか言って(笑)、そこでは絵を描いているんだから、僕は、単純に「絵描き」なんですよ。

──さっき、罵声を浴びせて消えてしまう人も、偶然出会って、その絵に感動してしまう人も、ストリートを歩く人々の匿名性が持っている両義的な反応だとは思うけど。

 なるほど、でも、同じ言語を話す日本人じゃなくて、外国人によく誉められてしまうのは、一体どうしてなのか、と考えてしまったりする。僕は、日本に居ながら皮肉だなと思ったのは、メディアの中でも一番好意的な記事を書いてくれて、その年(96年)のベストアーティスト賞なんてのをくれたのも『東京ジャーナル』という英字雑誌だったりします。日本には、「ルール」をはずしたとたんに、それでもってその内容が面白いか、面白くないか、ということに関して判断停止してしまう傾向があると思う。

──それは、あの場所が、日本の都市空間の中でも特別な場所で、まるで日本の中でも外国のような雰囲気を持っていて、そこを通る人に、様々な意味で、あそこがどのような場所なのか、という問いを強制してしまうからなんだと思うけど。だから、外国人の方が、逆に声をかけやすいということになるんだろうね。

 それから、声をかけて来る人、何も反応しない人も含めて、この時代を生きている日本人には、何か共通した閉塞感というものがあるような気がする。僕も、以前は普通に会社勤めをしていたんだけど、そこでの閉塞感というものがあって、結局ストリートに出るということになっていった。声をかけてくれる人の話を聞いていても、僕と同じような閉塞感というものを抱いていて、僕の絵を見て「何か糸口がつかめましたよ」とか「励まされましたよ」とか、(笑) 言ってくる人もいる。やはり、この状況に疑問を抱いていない人や満足している人は、多分僕の絵なんか見向きもしないんだろうな、とは思う。

──ちょっと向きを変えて、現在のダンボールハウス村に住んでいる人々の様子は、現在どうなっているのかな。

 去年の大撤去があってから、西ロインフォメーション前にかたまって住むようになっていったんだけど、以前みたいにわりとポツポツと分散して住んでいたころよりも、住民同士のイザコザが逆に増えていって、大撤去から3ヶ月間はあまり状況としては良くなかったです。イザコザがあると、やはり通行人には、いい印象を与えないじゃないですか。以前から住民同士のトラブルがあったり、実際に人が死んでしまったり、もちろん日常的に人が野垂れ死にしてしまうことが日常になっている場所ではあるんだけど、以前のようにわりとだだっ広く分散していたころの方が平和的だったように思う。

──あそこに住んでいる人々の日常というのは、どんな感じなんですか。あそこで生活している人は、本当にいろいろな背景や理由があって、あそこにたどり着いて、そして死ぬ人もいる。「あそこで生きていること自体が、自分の人生に対して絶叫しているようなものだ」と以前武さんが話していたことを覚えているんだけど。

 あそこは、本当に人がよく死ぬ場所で、歩いていて、時々死んでいるのか、生きているのか分からない人が倒れていたりすることもよくあるんです。その時僕は、そっと心臓のあたりを触って確認したりして、それでも翌日になってみるとその人は、いなくなっちゃっていたりする。

 それから、もう1つ、あそこに住んでいることは、「世紀末経済」を自然なこととして受け止めて生活しているということがある。「世紀末経済」というのは、あそこの人々は、いろいろな残飯やダンボールであるとかタオルであるとかを街から調達してきて生活しているんで、東京という都市経済の一番最後の残りかすを、まるで原始時代の人々が獲物をとってきたり、すすきや枝を拾ってきて住居を立てるようなしかたで生活している。

 もう1つ面白いことがあって、沖縄から北海道まで日本の各地の精霊(の出そうな場所)を撮っているカメラマンの人がいて、その人が、なぜか西口に来ていて、僕が絵を描いているところを撮って、「ここには精霊がいそうな気がする」と言っていたんだけど、それは不思議なことなんだけど僕も同じように感じていたことで、日本っていうのは、どんどん精霊とか妖怪とかを追い出してしまった一方で、皮肉にも東京都のど真ん中、都庁の足元にそういうシャーマニックな空間というものを出現させている。人間が無意識的に感じていることには、極めて真実に近いものがあると思うんだけど、あそこで絵を描いている時に、「あっ、ここに精霊がいそうな気がする」と本当に感じる時があるんです。

──さっき武さんが「世紀末経済」と呼んだ屑屋的な生活経済、つまり街のあちこちを歩き回って生きていく生活文法というものと、武さんの絵の描き方というものは、どこか似ているところがあるように思えるんだけど。

 そう、あそこに独特の気があるから、僕は、ダンボールに絵を描くことが多分出来るんだろうと思うんです。絵の描き方として、今まで1回も始めからこう描こうとか思ったことはなくて、それでも、もう200件近く描いているということは、やはりそこには、何かが「いる」ということなんだろうと思う。僕も、もしかしたら、シャーマン的なことをしているのかも知れない。(笑) だから、僕は、別に僕自身の世界を出そうとしているわけじゃないんですよ。あそこの気が僕の身体を通過して、この腕から絵が出て来る、と。あそこの中では、自分というのは、意志の無い存在であったりするんです。

──具体的に制作にかかわって、ダンボールの中に住んでいる人と話したりすることは、あるんですか。

 もちろん話す時もある。でも一言しか言葉を交わさないでも、承諾が取れて描き始める時もある。描いてもいいですか? いいよっ、て。でも、ここまでやっているとみんな知っているからほとんど描かせてくれる。でも1件だけ、「あんた金持ってるだろ、持ってるなら、絵なんかかかずに、お金を置いてきな」と言われたことがある。その時、僕は、いくらか持っていたんだけど、やはり絵描きだし、絵を描くことしかできないから、「申し訳ないけど、この金は、画材を買うためのお金だから、出すことは出来ない」と正直にいったら、その人は、あっさり「じゃ、描いていいよ」って言ってくれた。

 ……あそこで、描き始める時、僕は、あそこに住む人々のいろいろな「怨念」というものを感じて描いていたんだけど、最近は、あそこは、基本的に生活の場であって、アメリカ先住民の生活の中にトーテムポールや音楽があるように、僕の作品も自然にその生活環境に溶け込んでいるような在り方になっていけばいいと思っている。生活の中にある必ずしも既成の宗教とは言えないような信仰例えば、自分は、この茶碗に愛着があるとか、そういったものになっていければいいな、と思っている。

 だから、結局「芸術」なんて言葉がなくなっていけばいいと。それで、「現代美術」っていうものも、とっくに行き詰まっていてさ、どうにもならないし、つまらないわけじゃない。だからもう、この時代の中で、この「世紀末経済」の生活の中から、ある種のシャーマニックな表現が出てきてしかるべきだろう、とそういうふうになってきている大きな流れの1人だと自分自身のことを考えている。それで、同時多発的に同じ世代の人が、同じようなベクトルを持っていて、不思議なんだけど、そういう人と出会うことが最近多くなってきているような気がする。何か、こう変わるのかな、とそんな予感めいたものがあるんですよね。そういうことが無ければ、多分『現代思想』なんて雑誌が、僕をインタビューすることなんてなかったように思うんですけど。(笑)

──時代が変わるかどうかは、分からないけれども、潜在的にあるものを顕在化する概念とか、言葉とか、表現形式とか、そういったものを若者が求めている流れは80年代と比べるとかなり強くなっているとは思う。

 だから、そこで、どこかへ1歩踏み出そうとしている人と出くわすことが不思議に多くなって来ている。それぞれ育ちもバックグラウンドも違うんだけど。それで、その後ほしいのが器というか、土壌(場)なんだよね。いろいろなものを支えて行く枠組みみたいなもの、それは作り出して行かなきゃならないものなのかな。

──それは、昔だったら現状を総含的に解釈してくれる枠組みとして何々主義みたいなものがあったかもしれないけど。今は、昔よりいろいろな選択肢があったり、また以前にあったものをリニューアルしなくちゃいけないとか、そういうことはあると思うけど。

 僕は、現状は言葉だけで理解できるようなものじゃないと思っていて、直感とか予感とか無意識とか、そういったことの方が、言葉や意識よりも多くの情報を含んで感じていたりする場合が多いと思っている。例えば、人間が行う活動の中で、自然保護というのがあるけど、自然を保護することなんかできないと思う。人間は、逆に、自然によって守られているだろう、と。音楽や絵や人間が作ったもの、人間の行為というものも自然にその中でそれなりの仕方で存在している。そういうふうになれば、現にある詩であるとか絵であるとか、パフォーマンスであるとか、そういったジャンルの違いはあまり関係ない、分けることができない、と思ったりする。今、20代後半の同世代の人は、みんなそれなりにパワフルにやっているし、世の中面白くなっていく方向にあると思っているんだけど。

──ヒップホップカルチャーについてはどのような印象を持っていますか。

 同じような流れではあると思うけど、それが、具体的にどういうものなのかは、僕は良く知らないんだけど……。

──もともと、ふだん着とか自然に身の回りにあるものを活かして、いかにカッコよく自分のスタイルをつくるか、みたいな発想ですね。それまでゴミ扱いされていたアナログ盤のレコードスクラッチすることによって生き返らせて、自分たちの音楽に作り替えてしまうとか。それがストリートっていう空間を変容させる一種の世界的なムーヴメントになってきた。落書き(グラフィティアート)もその流れだよね。

 なるほど、美術なんかでも高価な素材を使うよりも、既に身の回りにあるけど、あまり注目もされなくなった物や素材に手を加えたり、その配置に工夫が加われば、今まで以上の美しさを作り出すことが出来る。その方が、より頭を使うことになるし、それは想像力とシチュエーションしだいだと思う。僕がしてやったりと思っているのは、僕が使う画材って、それこそ単なるペンキと廃材(ダンボール)なんですよ。

──かつての街頭の芸術的・政治的な動きというのは、寺山修司でも赤瀬川原平でもいいんだけど、寺山なら寺山というビッグネームとして残っている。でもまた90年代中盤に新宿駅西口で武さんの活動というものが始まったわけだけど、かつてと違うのは、特に武さんという固有名が脚光を浴びているわけではなくて、あれっ、また絵が増えたね、そういうリアクションだと思うんだよね。だから絵を描いている武さん自身も、さっきの文脈でいうと匿名化していると思うんです。武さんは「予感」という言葉を良く使うんだけど、受け取る側もその絵が描かれた理由やそれが何を意味しているのかではなくて、何となくその場の雰囲気でその絵を享受しているように思うんだけど。

 そうだね。週末があけて月曜日通ってみたら、あれっ、また絵が増えている、という感じ。でもその時は、僕はいなくてもいい、僕は、何ていうかその空間の中に溶け込んでいればいいわけですよ。さっき60年代から70年代の話が出たけど、要するにやることはやり尽くしていて、だから80年代の現代美術作家は、タコ壼化するか、いわば今までなかったことを探し回るスキマ商法的なものを志向するしかなかったんだと思うけど、僕なんかのやっていることは、それこそ最もプリミティブでべーシックな、ずっと昔から誰もがやってきたことなんですよ。そういうものの方が僕は、楽しいと思うんです。

──そうですね。僕たちには、もうすでに八80年代の高度消費資本主義が演じていた新しいもの探し的なゲームといったものに対する退屈感、あるいはヒロイズムに対する不信感というものがあるんですよ。それで、既に使い旧して役立たずになったものを、もう一度甦らせるような試みに強く惹かれたりするわけなんだと思います。そこに物質と人間との間のかかわりの不変性と、尽きない面白さというものがあるんだと思う。


95年からの都市の「意識」と「無意識」の変容

 僕が、絵を描く場合のスタンスっていうは、今は見えなくなっているんだけど、本当はこうだったんじゃないか、という「予感」なんですよ。何か見えない粒子っていうか。(笑)

──それは、記憶ということなんですか。

 記憶なのかもしれない、僕の記憶というものも入っているかもしれないけど、その場の空気の匂いというか……。

──そういうものを「顕在化」するということ?

 そうそう「顕在化」。

──武さんの絵には、胎児であるとか、子宮であるとか、そういった身体の始源にかかわる表象が多く取り上げられていますね。

 それで面白いのがね。新宿のあの場所を真上から見ると、ちょうど子宮のような形になっていることなんですよ。地下だし、いろいろな空気とか物質がまじりあっていて。偶然なのかもしれないんだけど、それで、そこからひゅーと地上にでると都庁があるわけよ。

──男根(ファロス)があるわけね。(笑)

 時々、わけもなくビルに登って都市を眺めたくなることがあるんだけど、やはり何かくらくらっとするような感じ、どうしても都市って幻想的な側面があるんですよね。それで、ひょんな偶然であそこにいろいろな「気」が集まるようになっているんだろうね。で、僕も、ただそこに吸い寄せられてしまっただけ。それで、僕の中で、物事を統括しようとする人間の「意識」の象徴が、都庁だったりするわけで、しかし、その「意識」は、足元にある新宿駅西口という膨大な「無意識」というものを統御することなんかできないよ。そういう見え方になる。あそこに住んでいるおっちゃんたち1人1人が、本当に膨大な何か、自分1人だけじゃどうにもならないものを抱えている。

──伝統的な文化人類学的な図式からいうと、中心に秩序があって、それでカオスというか「無意識」の部分が辺境化されるという構図があったんだけど、現在の東京は、中心の秩序のそのまた中心に「無意識」がどっかりと居座っているという感じで、そこが90年代の面白さかなと思っているんだけど。それで、青島みたいな人が、都知事になってしまって無意識的なことを言うわけじゃないですか。「独特の人生観をもって、ああいう生活をなさっている方々だから……」なんて言い方をする。統御する側にもなんらかの危機に媒介された「無意識」というものの影響を被らざるを得ないのではないか。

 だから、「無意識」ってやはり何か怖いものだ、ということがあるんでしょうね。それが、ひょんと出て来るということに対してね。

──村上春樹の『アンダーグラウンド』(講談社)も、郊外に住む人々が都心の「地下」の「闇」に直面させられる悪夢の物語ですね。被害に遭った人々は事件以来どうしようもない心的外傷を抱え込まざるをえなくなって、それは抑え込もうとすればするほど身体に変調をきたしてしまう。

 僕は精神分析の知識が豊富なわけじゃないけど、その時の「無意識」の中にあるトラウマっていうんですかね、それを見つけて「そういうものがありますよ」って認めてあげることが一番大切なんじゃないかと思う。自分の中に潜在しているものを認めてもらったときに多分楽になれるんだと思うんです。だから、都市ってものを1つの人格として考えた時に、そういうものがあるんだからしょうがないじゃないか、と認めちゃうことが精神治療じゃないかと思うんですよ。もしかしたら、今の時代というのは、そういうものを認めようか、認めないか、と迷っている時期かもしれない。

──さっきボロ屑を拾うという言い方をしたんだけど、使い旧された過去を扱うということと同時に、武さんは、「予感」みたいなことに突き動かされて表現していて、過去(無意識)を眺めながら後ずさりするようにして未来に進んでいる、そんな感じがするんだけど。

 その話とリンクするのは、最近『ポジティプシィンキング』という本が流行っていて、多分それはくだらない本だと思うけど、僕は、むしろ「悲しみ」とか「憂鬱」とか「虚無感」とか、そういったものを認めてあげることの方が大事だと思うんですよ。一見後ろ向きに見えるんだけど、それでも前に進めると思うんですよ。苦しくなった時に逆に危険なのは、そういったネガティブなものを切り捨ててしまった方が楽に前に進めるんじゃないか、と思ってしまうことだと思う。そうじゃなくて、一見後ろ向きに見えることを包括していく方が前に進めるんじゃないか。そういうことを考えながら描いているんだけど。いつかそういう「予感」というものが見えなくなったら、感じとれなくなったら、その時多分描くことを止めるんだろうと思う。それって脈絡がないもので、ある日目覚めてみたら見えなくなっているものかも知れないから、そこに居てくれって頼めないものだし。僕が絵を描くのを止めるとすれば、それは、僕の感じる能力が消えるのか、あの場所からあの「何か」がいなくなるのかのどっちかだと思うね。

──今日は、本当にありがとう。身体に気をつけて。まさに「気」を付けてがんばってください。

>新宿西口地下道段ボールハウス絵画集

(たけ じゅんいちろう・画家)

(聞き手=おぐら むしたろう・著述業)

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