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2012-08-15

『ストリートの人類学』という批評的エスノグラフィーの実践と理論(『ストリートの人類学』総括) その2  関根康正

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2 「管理社会」化の中のストリートとそのエスノグラフィーに向けて

 ネオリベラリズムは,ドゥルーズの言う管理型権力の社会に対応する(ドゥルーズ 1992。ドゥルーズによれば権力には君主型,規律型,管理型の3つの形態があり,現代はフーコー的な生・政治の規律型の権力社会から管理型の権力社会に移行してきているとする。本書では加藤政洋論文がこの移行を集中的に扱っているので,参照願いたいが,ここでは樫村のコンパクトな説明を便宜上引かせていただく。「仏哲学者ドゥルーズは,社会が『規律社会(均一な労働者や主体を,国家が責任をもって育成する社会)』から 『管理社会(主体の育成を放棄し,少数のエリートのみを必要とする。その上で 「多数となるコンマ以下の主体」を,テクノロジーを駆使した警察権力によって監視して統治する社会)』へと移行していることを指摘する。……『管理型』は『コミュニケーション』を操る権力で,言語や想像力をも支配しようとする。『管理社会は監禁によって機能するのではなく,不断の管理と瞬時に成り立つコミュニケーションによって動かされている』。ドゥルーズは,瞬時しか存在しない『コミュニケーション』と,長期的時間をもつ『創造』を対立させ,管理を逃れるために『非=コミュニケーション』的な空洞や断続器を作り上げる必要があると指摘する」(樫村2007: 17–18)今は管理社会への移行の指摘が引用の主意であるが,最後のドゥルーズの達意の提言は,レジス・ドブレコミュニケーションに対立させるトランスミッションの重要性の指摘と重なり,ストリートの人類学の重要な方向付け(新たな共同体論と交差する必然)として記憶されるべきである。

 渋谷望は,5つの視点から新旧権力の対比を次のように整理する(渋谷 2003: 12–15)。新しい権力ゲームの要素:ポストフォーディズム新自由主義,ポスト規律権力,管理社会,消費社会。古いタイプの権力ゲームの要素:フォーディズム福祉国家,規律権力,監禁(規律社会),生産社会。しかし,これらの要素は固定的なものではなく,重層決定的であり,古い要素が新しい要素として接合しなおされることもあるとする。渋谷は新しい権力ゲームが始まった時を 1968 年とする。なぜなら,1968 年とは,世界の闘争サイクルの転換点だと言うのだ。(とはいえ,1968 年は「大局的に見た」転換点ではあるが,たとえば,フォーディズムからポストフォーディズムへの転換リズム,および地政学的差異を視野に入れて,第三世界先進国の転換リズム,というものは,当然違ってくるとする。)

 その上で,渋谷は管理社会の様相を,ネオリベラリズムコミュニタリアニズムの相補性から生まれるニコラス・ローズの言う「アドヴァンスト・リベラリズム」(Rose 1996)をふまえて、2つのコミュニティからなる格差社会の成り立ちの理路を示す。アクティブな行為主体の上位コミュニティアンダークラス(新しい貧困層)とされる排除されたコミュニティとの間の隔絶が進む(渋谷 2003: 60–67)。そのことは,ホームレスの増加によってもっともわかりやすく私たちの目に届くが,それだけなくワーキングプアという社会問題の顕在化,いわゆる第一世界における第四世界の出現において把握されてきている。ここでホーム維持可能な人々とストリートの近くへと排除される人々との対比は,この格差社会の事態を表現している。しかもアンダークラスはその例外化の状態が常態化する傾向がはっきりしてきている。ホームとストリートの断絶は,コミュニティ分割という形で深くなってきているというわけである。

国家が弱者を含めて国民を主体化する責任者だった可視的な主権権力の様態から,プライヴァタイゼーションによる間接的な見えにくい支配の様態への移行が起こっている。アガンベンの言う都市(国家)から収容所への移行である(アガンベン2003: 第3部)。言い替えれば,有機的に権力に布置され福祉の対象であった例外が,選別的な過程を内蔵させた複雑な間接的なメディア・コントロールを通じてアンダークラスという常態的な例外として監禁的に放置される。これはかつての異であることを前提にしたレイシズムよりも,同であった者が異として貶められる点で相対的な剥奪感において過酷レイシズムである。これは,第三者を境界に止め置く三者関係の有機的構造的支配 (かろうじて内に属する被差別者を救済の対象にする)から,第三者を外へ振り落とす遠心力で担保されるというより過酷な三者関係の内閉支配(外に配置された被差別者は搾取のみの対象になる)へ移行しているということであろう。同じ三者関係の差別であっても,前者が少なくとも一体性をもった階層社会(ハイアラーキーの原義),すなわち二元論的階層尺度という余地が言い訳(イデオロギー)の中にあったのに対して,後者では,もはや社会的一体性が保証されない分離的格差社会へと一元的閉塞性を増したもの,つまり収容所化に向かっている。

こうして,今日のストリートは分離した2つのコミュニティの無関係の関係をまさに反映している。ストリートの中央を高級車で疾走するエリートコミュニティの住人とそのストリートの縁辺に生の糧を求める都市下層が社会的に切断的に共在している。その両者が,共在による影響関係はあるけれど,それぞれの世界でのサバイバルに,それぞれのやり方で対処している。

 管理社会化の現実の様相は上記のようであるが,その転換の起点を渋谷は 1968 年とする。そして,そこからの変化が進み,誰の目にも明らかになる顕在的な転換点も指摘できよう。それが 1991 年である。

 1991 年は,実質と象徴の両方の意味を担って,世界のあり方が顕在的に転換した年であった。その転換以降の状況が,ストリートに,またローカルな場に変質をもたらした。モダンからポストモダン(あるいはスーパーモダン)への転換は,1968年を起点に 1970 年代 1980 年代を移行期間としながら1990 年代に誰の目にも明らかなほど顕在化したのである。その分水嶺の象徴になる年が,湾岸戦争勃発からソ連邦崩壊へと辿る 1991 年であった。その後,ネオリベラリズムが大手を振って世界を覆い始めたのだ。

それはまた,それへの表面的な抵抗現象としての,大小さまざまな宗教ナショナリズム・民族ナショナリズムの簇生の時でもある。ストリートはこの変化を映し出す。近代都市はストリートを追放した(Holston 2005(1999))とされるが,その単純近代化の段階では追放されたストリートはその被害者性において,まだ抵抗のサブカルチャー生産の場として意味を持っていた。再帰的近代化を体現するポスト近代都市ではストリートが追放されたことさえも追放しようとしている。消去の消去ないし喪失の喪失の時代に突入している。心理学者南博文は,研究会において都市の記憶を問題にしながら,この今日的な消去の消去の事実を先取りする事例として,広島平和公園や記念碑の造営がもたらしたこととしてreplace が displace を生んでいると適確に指摘していた。

 研究会に招いた写真家北島敬三は,1991年の転換を,こう語っていた。1991 年までストリートスナップを撮っていたが,それ以降は風景と人間を別々に撮るようになった。なぜなら,1991 年以降,街と人間との関係を中心的な主題にして写真を撮ることにリアリティを感じなくなったからだという。その意味で,1980 年代の終わり頃から東京ニューヨークも街がつまらなくなったと。これ以降,北島は風景と人物を別々に撮り始める(北島 2003)。こうした時期に符合して,野村雅一は,街・ストリートの女性化(関根は街のインテリア化と言ったことがある)を,更にヘブディジが描いたような男性中心的なサブカルチャーがストリートに存立し得なくなっていることなどを,研究会の発表(野村 2004a)で指摘していたし,それ以前からガングロなどストリート・ファッションを牽引する少女・ギャルに注目していた(野村2004b)。玉置育子も若い女性にとってのストリート空間を化粧行為から活写する。流行を流用した模倣と浸透の実践なのだろうか。このような状況があるから,小田亮が研究会の発表(小田 2004)でも本報告書論文でも指摘するように,男性中心主義的な言語や制度を攪乱する「女性的エクリチュール」の実践としての「模倣」に注目するイリガライが評価されるのだろう。システムに包摂されると同時に排除される「女性的なもの」が,その根源的受動性,攪乱的な横断性でシステムの裏をかき,錯乱によって自分たちの独自の経験や身体を語る余地を作り出す,そうした実践がやがてシステムを変える可能性を孕むというのである*1。上杉富之が私たちの研究会のために問題提起してくれたクイア理論の前線が開拓する現代社会理解のためのカテゴリー融解力は,この点に関連しても注目できる。

 以上のような時代の転換としての管理社会化を認識し,そのような統治システムにおいてストリートを考察する自覚を持たなければならない。その上で,ストリートという場所を確定していくことになる。

 先に,ローカル・ノレッジとストリート・ノレッジとを並行的に記した。また,すでに序論でも述べたことでもあるが,ローカルなものとストリートには共通点がある。どちらも主流権力から押し込まれた空間である。ローカルなものは,グローバル権力によって押し込まれ,ストリートはホーム権力によって押し込まれる。その意味でどちらもサバルタンの生きる縁辺空間となる可能性のある場所である。縁辺の場での生活は様々な主流の圧力のかかる受動的状況の中での抗争 contestation であり,不安定で持続しにくいブリコルールの生活構築サバイバルが展開する。このことは,ローカルな場やストリートが縁辺空間として切り取られ別の場所にあると言っているのではない。そういう縁辺空間は主流権力が作り出し,その力が浸透した空間として実現している。そこは,管理する主流権力がその視点からローカリティやストリート性を意味づける取り込みと排除が作動している。この上から取り込まれたローカリティやストリート性によって,取り込まれなかったローカリティやストリート性は隠されることになる。つまり,ローカルな場はグローバル権力によってローカルの意味を,ストリートはホーム権力によってストリートの意味を規定される。そして,その規定によって取り込まれたローカリティやストリート性が,そのような権力への備給を行った基盤的ローカリティやストリートに成り代わってしまうために,廃棄されたローカリティがあったこと自体を隠蔽するのだ*2。これが消去の消去である。そうであるから,私はこのことを明確にするために「勝利するローカリティ」と「敗北したローカリティ」とを区別する必要を説いた。ローカルの場,ストリートの場でのこうした喪失の喪失,消去の消去をこそ問題にしなければならない。これがネオリベラリズム下の,管理社会化するポスト近代下でのストリート問題であり,ローカリティの問題である。この点で,地方市場の急激な変容を内側から記述した鈴木晋介の論考は貴重であるし,トレス海峡民たちの海と国家や研究者たちの海との間の共犯関係と競合関係を問い直す松本博之論文の 2 つの道の相克も共通の軋轢の存在を伝えている。

 要点を先取りして述べたが,少し具体的に辿り直したい。すなわち,ストリートの人類学は,入り口としては文字通りのストリートから入るが,その出口では二重に消去された場所というローカリティにまで至る広義のストリートの発見へと,研究対象を方法化のうちに拡張・展開していくことになる。

 まず,個々の都市スケールでみた場合,しかも近代以降を考えた場合は,都市内交通と都市間交通の体系を構成するストリートが直接的な対象になる。ヨーロッパ中世都市から近代都市への転換におけるストリートの変遷を扱った本書のハラルド・クラインシュミット論文に,その具体的様相を学べる。さらに,ベルリンのようではない近代都市ミュンヘンの現在のストリートの管理化模様については山田香織が発表で描き出していた。同様に,日本の都市に関しては竹沢尚一郎論文が都市祭礼のあり方の変化に反映する博多のストリートの歴史的変遷を適確に教えてくれている(竹沢の議論は後述の広義のストリートにも連なっていくが)。

 私自身もフィールドにしているインドの都市で直接ストリートを扱って議論している。私がフィールドにしている南インド・チェンナイ市の都市ストリートをイメージした場合,その内容には,少なくともすぐに 3 つのストリートのレベルを想定できる。1)都市と後背地や他の都市とを繋げる都市から放射する幹線道路,2)都市内の環状線や都市内各所を繋ぐ表通 り,3)住宅地などに引き込まれる生活道路,裏通り,路地。道路法によって歩車道の分離すなわち歩道設置が必要なのは,1)と 2)である。1)に当たる幹線道路サーライと,規模を一段下げた 2)に当たるバス道路テルの中でも大きめのものとに歩道が設けられている。3)については道路の幅員の狭さから一般に明瞭な歩道設置は難しい。言うまでもなく,現代は自動車社会である。自動車が 3)まで入り込む場合も今日ではあるが,インドの都市では袋小路が毛細血管のように無数に存在し,そこには依然自動車など持てない層の集まる狭隘な路地も少なくない。

 村で食えずに都市に食い扶持を求めて来たが家がない者は,空き地(都心には少ない),河原,線路際,橋の下,高架道路の下,海岸縁などに向かうが,それ以外ではストリートの歩道しか留まる場所はない。公空間である川,海,線路,道の縁辺は,公私の微妙な隙間であり,たとえ不法であっても社会の縁辺にはじき出された人々が都市で生きるために集う場所になる。歩道は気づいてみれば,まさにその微妙な公私の隙間なのである。しかも,市民の安全な歩行のために設けることが法律で定められているから,近代都市で歩道空間は必ず確保される。インドでは歩道は人が歩かないから余計に自由に流用できる可能性が高い(すこし変化が見られ始めているが)。少なからぬ人が歩道でのびのびと寝ている(ときには,よく見えない夜間に車が歩道へ乗り上げてきて負傷したり亡くなる人もいる)。だから,路上生活者という言い方も実体的にそこで生活している人たちとしてイメージできる。日本の都市では人通りの多いところでは歩道でもそのまた端にしかホームレスはいられない。落ち着いて歩道に暮らせない。それだけ隙間が少ないから,都市の公園がホームレスの住処の中心となって半分形式化した「山狩り」とのおっかけっこになる。そのために東京の公園のベンチは至る所「意地悪ベンチ」(この命名に関しては(関根2007a))にすでになっている。日比谷公園で見た光景だが,2 つのベンチが比較的接近しているので,「意地悪肘掛け」で半分にされたベンチのその半分ずつを使って背を伸ばして寝ているホームレス(野宿者)がいて,感心してしまった。腰のあたりはもちろん空中であるからかわいそうであったが。それとともにインドの地床式世界を知っている私には,もちろん気候の違いは考慮しなければならないが,日本人の床上へのこだわりという文化の力(そうするのがまともな人間であるとことと密接した常識という圧力)をも思い知らされた。地べたに座り込む,寝ることは日本では強い敗北感を伴うのだろうか,横になることを拒否するホームレスもいるという。インドでは普通の家持ちの人も猛暑の 5 月,6 月など道に出て地べたに寝ることがある。だから,インドでは家持ちと野宿者との垣根が低い(今も村だけでなく都市でもベッドにではなく直接アンペラ一枚で床に寝ている人は少なくない)*3

  いずれにせよ,ストリートの人類学が対象にする場所は,都市空間の中に穴ぼこのように散在する縁辺・隙間なのである。家無し宿無しの都市民はそうした隙間を縫って生きる。その意味では,日本の大都市まんが喫茶インターネットカフェマクドナルドもまたストリートな場所と言うことができる。いわゆるホームレス(野宿者)だけではなく,ワーキングプア低賃金で働く増えるばかりの外国人労働移民など,格差社会アンダークラスに振り分けられる現代のサバルタンプレカリアート)が生を繋ぐ場所が広義のストリート(ストリートな場所)であり,文字通りのストリートだけではない。定義するとすれば,社会空間の縁辺・隙間こそがストリートなストリートということになる。ここでもう一度正確に言っておかなければならないのは,縁辺・隙間は自立した空間ではない。主流空間のすぐ脇に寄生して張り付くように存在する場であり,主流社会の強い空間の意味づけを前提にした流用の所作が見いだせる場所ということである。ストリートな場所はしたがって,主流の流れをすでにエネルギーにしているし,それ無しには成り立たない。そういう縁辺・隙間なのである(たとえば,インドヒジュラの生活を内在的に理解しようと國弘暁子は主流と縁辺との社会の反照関係を具体的に描出している)。勝利の力のネガのようにへばりつく敗北の位置を元手に生き延びる場所のことである。インドで言えば,幹線道路の中央の車道と端の歩道との両方があってはじめてストリートな場所は生成している。この抗争的な接点がなければ,道であってもここでの議論の対象としてのストリートな場所にはならない。現代日本であれば,歩道も殆ど主流の力で抑えられているから,インドの歩道に当たる接点的な流用空間(ストリートなストリート)が,公園や安いカフェ(100 円コーヒーで夜を過ごせる 24 時間営業のマクドナルド)に見えにくくずれ込むのである。

 このようにストリートが見えにくい場所にずれ込むのは,近代型第三世界貧困とポスト近代型第四世界的貧困との違いである。現代インド社会の大都市の路上と今日のニューヨークの路上との両極的対比は,程度の差になりつつあるがまだ依然可能だろう。前者の方が路上生活者と社会との関係に血が通ったところがある。日本社会の歴史を遡って考えたときの「ものもらい」ないし乞食(こつじき)を吟味する野村雅一の言い方に従えば,その伝統をわずかに背負った乞食(こじき)はなおも通りに顔を向けているが,ホームレスは通りに背を向けているという(これは,トム・ギルの英国ホームレスについての発表の際の質疑討論での野村雅一発言であるが,この発言に先立って小馬徹は,日本のホームレスには,金の貸し借りはしない,過去は聞かない等の規範があるというその社会構築性との切断を指摘する発言をしている/2006 年 2 月共同研究会)。この社会との接続性についての乞食とホームレスの対比(その間に程度差だけに還元できない質的転換が起こっている)が近代型第三世界貧困とポスト近代型第四世界的貧困との間にあるということである。だが,インドの路上も後者に向って厳しさを増している(転換の契機を増している)ことも指摘しておかねばならない。つまり,現在のインドの都市の路上生活者の現実には両者の要素が入り交じっているだろう。というのは,農村から都市スラムに流れ込んでくるあり様が,単に量的に増大したというより,経済自由化(構造調整政策)を受け入れた1990 年代以降の社会・経済的構造変化に対応して激化している点で,すでに第四世界的であるし,国内外からの移民への排斥行動の顕在化などでも新たな時代状況に入っていることの証である。たとえば,わずかな教育機会と貧困に苦しみ,クーリーまでした末に南インド映画界のスーパースターにまで上り詰めたラジニカーント1949年生まれ)のような人物(Sreekanth 2008)が出てくる可能性の余地,つまり主流社会と下層社会とが差別的であれ一定の有機的関係を保持していたのが第三世界的段階であったとしたら,今やそのような関係はより厳しく切断されて管理型社会の特徴となる新たな格差社会化がインドでも進行し固定化し始めている。

 とにかく,上述したようなストリートの定義に則れば,違和感なく,グローバリズムが席巻するグローバル社会空間の縁辺としてのローカルな場所というものに,ストリート概念を敷衍できることが理解できよう。ニューヨークロンドン,パリ,東京など世界都市ないしグローバル都市は,その縁辺に移民集団を含むアンダークラスないし第四世界を抱え込んでいる(パリのマグレブ移民については植村清加が,チリのサンチャゴの貧困層については内藤順子が,それぞれの日常的実践に注目して縁辺からの視点を提供している。またロサンジェルスカンボジア移民については朝日由実子が彼らの異国での縁辺空間での「ホーム」希求実践を報告している)。グローバル資本主義が作りだしたトランスナショナル・スペースにおいて,その政治経済中枢のメトロポールからの力にへばりつくように生きる国内下層や下層移民が縁辺空間の住人となっている。このようなグローバルスケールのサバルタンたちが住む場所は,消去の消去という同化政策(その中身は,仏的「統合」や,英国的・米国的な「多文化主義」などいくつかのヴァリエーションがある)の対象であったが,そうした福祉国家手法が限界を露呈してきて,1990 年代以降明らかに露骨な分離的管理的政策,つまり管理型社会化がかつての宗主国で目立ってきている*4。ここに立ち上がっているのがトランスナショナルな社会空間の縁辺というストリート問題である。それは,本書所収の,モンゴルウランバートル市の都市空間にみるストリート性を論じた西垣有や島村一平の論文や,パプアニューギニア華人トランスナショナルなストリート経験の蓄積をめぐる市川哲の論文などが語り出すとおりであり,そこまでもストリートの人類学は射程に入れている。本書の中でもその議論の幅撮りのスケールで群を抜くのが妹尾達彦の中国を舞台にした壮大なストリートの発展史(誌)である。妹尾は,ミクロな北京の結節に位置する小さな橋(銀錠(ぎんじょう)橋)の歴史(陸路から海路への転換の産物)の中に,「ユーラシア大陸の交通史と世界認識の変遷が凝縮されていることを論じ」,ここでの文脈で言えばストリート性に当たる,前近代,近代,後近代の重層と聖性の可能性を見る。

  具体的に描けるストリートの縁辺からこの大スケールの縁辺というストリートまで,現代社会がかかえる同じ問題が貫いているからである。この問題を解決すべき課題として据えるとき,ストリートの人類学は,ベンヤミンを当然踏まえた渋谷望の言う「敗北者の考古学」と重なる志を有するだろう。二重に消去されたとされるものを,消されたはずのその縁辺での生きられた生活世界において発掘するのである。このストリートの人類学は,まちがいなく,阿部年晴のいう,人間である為に普遍(不変)的に必要な人間再生産の揺籃,つまり「〈後背地〉としての文化」(私の一方的な理解と思い入れだが,〈後背地〉という一見ネガティヴに見える命名に二重に消去された敗北者の面目と奥行きが感じられる)を探究する研究と併走しているものと信じる。

 主流秩序からは無秩序として消去・排除の対象になった様相のなかに,不均質な雑多さを当然視するような「敗北したストリート」の生活世界にあったであろう〈都市的なるもの〉,つまりセネット的な意味での「無秩序の活用」(セネット1975)に再び光を当ててみたいのである。そのときは,主流秩序が取り込んだビオスの生が覆う世界においてもなおある穴ぼこや隙間にゾーエーの野生の生を掘りあて,そこからとって返して生活秩序を組み直すような境界的思考が求められるにちがいない。そこでは,本書所収の,森田良成のインドネシアのゴミ拾いについての内在的理解(計画,効率の価値では測れない生活感覚世界)や,あるいは丸山里美の日本の女性野宿者の生き方についての内在的理解(女性野宿者と支援者などが結果的に構築する一種の「何も共有しない者たちの連帯,共同性」(リンギス2006))などが示唆するように,活用と言えないような活用,streetwise とも言えないstreetwise まで射程に入れる必要があるに違いない。そのために,イデオロギー・レベルでの主流の価値意識・言語の単なる否定や反転ではなく,生活感覚や生活感情という身体性を基盤にした「全体的理解」に基づく根本的反省が必要に違いない。そこに,主流言語が自然化した形で実践されてしまう構造的差別(「三者関係の差別」(関根2006))を無効化するような視点転換への実在的な示唆を見いだせる。そうであるから,ストリートの本格的なエスノグラフィーの集積が待たれる。

 にもかかわらず,現実はそうした生活感覚からの反省どころか,それを蹴散らす悲惨の方向に突き進んでいる。貧困者が解決されるべき異常状態として少なくとも福祉の対象として管理されているとの希望的観測ができた時代が,いまやホモ・サケルの現実化のように殺して構わないという例外の常態化が急激に進行し始めている。今やストリートにはかつてない痛みが走っている。

 なぜ,これほど主流言語への反省は難しいのだろうか。主流言語は,超越的主体による分類によって世界を秩序化する作用を有し,固定化による安定が魅惑的なのである。フーコーを踏まえたオリエンタリズムをめぐるサイードの議論で学んだように,「差別者」と「被差別者」との間に「共犯者」を噛ました「三者関係の差別」は,差別の再生産メカニズムを備えている分,包摂力の高いディスコース空間を構成する。「共犯者」の主流の知のなぞりが権力を再生産させ続ける。流行や扇動まで含めた認識知の次元で事態が推移する。だから,私たちにできることは,この主流の認識知と権力のディスコース空間の外部に出ることではなく,それにへばりつきながら,ベルクソン的な生(命)の流れの全体性に立ち返って〈周辺〉化された空間(ストリート)の有り様を正確に把握し主流の知の差別化作用を機能不全にする空隙を穿ち繋げることである。それには,被差別者の空間と差別者の空間とに共通する基盤を掘り当て,そこに立つことが求められる。

 主流の知という世界の意識を独占する様式は,デカルト的精神―身体二元論を階層化して写し取っている。被差別者は下等な身体の位置に配置される。これに対する抗争的対応は,したがって非デカルト的立場に立脚する必要があるし,デカルト的精神の支配的安定という魅惑・誘惑を振りきって精神−身体二元論を捨て,不安定な場所に見えるが生成的な,上記の意味での共通の基盤に降り立つ努力となる。ここで,デカルトに対して明確な異議申し立てを行ったベルクソンは参照されるべき有力な原点であろう。ドゥルーズにも深い影響を与えたベルクソンである。たとえば,ベルクソンは『精神のエネルギー』(ベルクソン1992)において,個体に限界つけられない,宇宙を通して貫流している生命ないし生という了解を思想基盤にした,意識の緊張と弛緩に関わる「生への注意」あるいは「知的な努力」が必要であると主張する。ベルクソンにおいては,生命とは意識であり自由であり,物質が必然であるのに対し,生命は自由を意味している。しかも,すべての生命体に存在する意識は物質を横断しているのであり,両者は共通の源泉から出てきたとされる。この個体を超え,人間をも超える意識と生命の流れ(持続)の思想は,有力な共通基盤の場所を示唆しているし,ストリートの生に立ち向かう構えを教えていると思われる。この点は次説でドゥルーズ的転回として語られることに引き継がれる。しかしながら,この転回の困難さが,主流言語の跋扈を許してきた。無自覚で,反省が不十分どころか,むしろ隠蔽に荷担する研究が後を絶たないのは,「生の躍動」への「全体的理解」への努力不足なのである。

 一般の人が上からの政策言語に踊らされることはままあるだろう。自己責任を果たせない半人前との隔離的含意を持ったホームレスという言葉もすでにすっかり社会に定着してしまったし,さらにニートという英国から輸入された政策概念も急速に社会的実体のように通用してしまった。そうした隔離的範疇に収まってしまうと,当たり前になってしまい,実は誰もがホームレスニートの可能性のなかにある社会であることも,またそれが深い社会変化の兆候であることもきちんと吟味することがなされなくなる。だから,こうしたカテゴリーにくくられた人たちは,一方的に社会のお荷物とみなされ,ときには短絡した頭脳の若者によって,「社会のゴミ」すなわち「穢れた罪人」として処刑的な襲撃の対象にされることになる。そのとき,若者の目にはホームレスのおじさん,おばさんが殺しても構わない存在になっているのである。このような襲撃する若者を肯定するわけにはいかないし,糾弾されるべきである。だが,そのことと同時にしなければならない反省がある。それは,襲撃まではしないが,同じような例外化のまなざしを薄められた形であるにせよ一般の人が持っていないかということの問い直しである。まして研究者は,この点を徹底的に吟味する義務がある。自分の研究上の概念操作が主流言語,支配的イデオロギーに汚染されていないかどうかを,細心の注意と努力をもって。

 こう書くのは,私が専門にする南アジア社会研究の世界でも,残念ながらこの種の研究者の怠慢が蔓延しているからである。ルイ・デュモンによって強調された主流言語としてのブラーマン・イデオロギーを適切に相対化できない研究者が依然多勢を占めているし,不可触民差別をあいまいにカースト差別の一部と言い続ける研究者が大半である。

 ブラーマン・イデオロギーでは「穢れた罪人」として被差別民を排除差別する。このようなことは,考えてみればすぐに分かるとおり,南アジアにとどまらない世界各地で「穢れた罪人」として被差別民というのは,社会的差別の常套文句である。その意味で,インドにおいて認められる,ケガレを罪に置き換えるブラーマン的主流思想の言説空間で社会的弱者の不可蝕民が罪人扱いされてきた歴史は,他人事ではない。すぐに世界全体に広げなくても,少なくとも南アジアから東アジアへの広がりの中で「罪ケガレ」などいう言い方が,バラモン教ヒンドゥー教仏教という兄弟姉妹の宗教文化イデオロギーにのって,インドから日本まで存在してきたことは明記すべきである。そして,それが統治イデオロギーとして機能してきたのである。

 研究者ならば,罪ケガレがこのように支配統治者のイデオロギー言語であることを自覚するのはあまりに当然である。罪とケガレを統合で結ぶ恣意性は権力のなせる技以外の何ものでもない。にもかかわらず,このような相対化のできない研究者が適切な批判も受けずにいることが憂慮すべき事態なのである*5。私の場合は,この種の相対化を,インド研究において問題の多いデュモンのホモ・ヒラルキカスという仕事を批判する形で行ってきた。その成果『ケガレの人類学』(関根1995)において,統治イデオロギーとしてのブラーマン・イデオロギーである「浄−不浄」論を相対化のために,ケガレを「不浄」と「ケガレ」に腑分けすることの不可避の必要性を,フィールドワークを踏まえて理論的に提示した。そこで論じたとおり,支配的な言説空間で流通している罪ケガレとは,正確には罪・「不浄」と言うべき恣意性の所産である。傷つきやすい危機的状況の警鐘としての言葉であるというケガレの本来の意味(「ケガレ」への可能性)を貶めている,この「不浄」という一義的に否定的意味への還元への批判は,今はもうこれ以上繰り返さない。

 ストリート生活者は,言葉の正しい意味でケガレ状況(「不浄」ではない)の場所にある。つまり定住支配社会空間においては,その周辺,縁辺に押し出され,傷つきやすい位置にいる人々であるから(彼らの置かれている場所の関係的性質を言っているのであって,彼らのことではないことを念のために強調し注意しておく)。更に,急いで言っておくが,ケガレ状況は悪でも善でもないし,もちろん罪とは何の関係もない。ところが,自己責任社会は,ブラーマン・イデオロギーが行ったのと同じように,そこに倫理を持ち込む仕掛けを作り入れる。このアンダークラスが「罪ケガレ」を負わされる論理の回路は 『魂の労働』を著した渋谷望が,正しく整理しているとおりである*6。ストリートがケガレ状況を担う場であるとしたら,「ケガレ」と「不浄」とを区別する私のケガレ論からは,「不浄」という否定性の方向へばかりにもって行かれる理由はない。むしろ,それとは真反対の「ケガレ」で表現する創造場に向かう潜在性を社会的に有した豊穣な場であるはずである。この豊穣の場の潜在性を現動化させるには,基本的な態度変更が必要である。それは「ケガレ」の構えに入ること,すなわち,基本的にあるいは存在論的に生ある人間は皆ケガレているし,さらに社会的にも縁辺のケガレの場に置かれれば誰でもケガレの中に置かれる。繰り返すが,ケガレは人の属性ではなく,場所(ポジション)の性質なのである。このことを知れば,常に綺麗な手をもつ人間などいないのである。その認識的構えをもって研究を立ち上げることが肝要である。この存在論的連続性は次節のドゥルーズ的転回に接続される。

 綺麗な手を持っているかのような虚構に立った人類学はもう止めよう。誰の身の上にもケガレをもたらす大他者と向き合う真正性の人類学を構想することが肝要だ(真正性の水準は小田亮が長年注目している主張点である)。そこに向けて寄与するのが,ストリートの人類学の本願となる。ストリートは,ホームにまどろむ自分と切り離された対岸にあるようなロマン的で博物館的な創造場ではない。それどころか,生死のかかったサバイバル抗争の場であるストリートの現実は他人事ではなく,ケガレ現象と同様に事実傍観している気でいる自分のなかにすでに流れ込んできているものであるから,我がこととして語り出す構えを探究者に要求する*7。ストリートの民族誌的探究には,それゆえに探求者自身の身構えの転換を不可欠に求められることが明記されるべきある*8

 ストリートは主流社会の権力行使空間の縁辺に位置すること,したがってその場所の存立は主流社会との関係なしには考えられないことを述べてきた。ここで重ねて注意すべきこと,主流対縁辺という二元論は社会空間のポジションの差異を示しているのであって,それぞれの場所にいる人間の属性であると言っているのではない。すなわち人間の差異が最初からあるわけではない。そうではなくて,主流社会のあり方を突出させながら,しかもそれが裏返るようにねじれ,ずらされた空間がストリートなのである。ホーム空間は保護膜が厚いから,たとえストリート的なものが入り込んでいたとしてもその厳しさは弱められる。それとは対照的に,使える資源・資本が無に近いままストリートにいる者は,それだけ剥き出しの生に近いところで生きなければならない。その分,その生き様は人間の根源の生に接近する糸口を私たちに見せつけてくる。こここそ,開かれた門において見えにくい閉じた扉を探す所である。これは,ドゥルーズガタリが『アンチ・オイディプス』の中で語ったところの「胚種的流体」に触れるような〈分裂分析〉,言い替えると,資本家や御用経済学者とが隠している資本主義システムの貨幣の二重性(備給しているものを隠しながら増殖する消費社会シニシズム)を明るみに出すこと(ドゥルーズガタリ2006(1972): 下3章)と同値となる,私にとっての実験であると考えている*9。私はそれを繰り返し〈周辺〉を〈境界〉に読み替えると表現してきたし(関根 2006),「上からのパッケージ化」から区別されるべき「下からのパッケージ化」ないしは「脱パッケージ化」という言い方で模索もしてきた(関根2007)。

 そのようにストリートを理解する視点に立つと,私たちに豊かな刺激を与えてくれているベンヤミンのフラヌールやパサージュをめぐる議論(本書では近森高明が考察を深めている)を,エリート的とだと言って批判し退けないことが大事かもしれない(私は実際それをエリート的と批判的な眼を向けてきたが,そのようにしていても生産的ではないとも考えてきた経緯があるので自戒を込めて今述べている)なぜなら,ベンヤミンの身を挺した境界的思考の深み,彼が非人間的なものにかけた悲痛なまでの重い意図を受け取りたいからである(それは間違いなくホロコーストの重く暗い痛みにつながっているだろう)。それは,主流文化に翻弄されまどろむ群衆ではどうしようもなく,フラヌールは構想されなければならなかったということを正当に評価しなければならないからである。フラヌールは,ストリートでの引き裂かれ,ねじれた全体性を言い抜いていると解すべきだろう。その概念は遊歩者という人の姿を借りた世界の見方の方法的視座の表現なのである。だから,逆に,小田亮が的確に紹介,指摘するように,リチャード・ホガートのようにその方法的視座を大衆文化マス・カルチャーよりも伝統的な民衆文化に託したとしてもその志においては相違はないのである*10。そこに共通する研究の志は,民衆文化とエリート文化との表層の区別を超えていく。その延長上で考えれば,プロレタリアートを考えることも,プレカリアートを考えることも,実は同様の意志に貫かれているはずなのだ。都市の無意識の地層に届くとき結果的に権力構造をも飲み込み機能不全に追い込む。思考の入り口としての権力構造の生産する縁辺という亀裂は,思考の出口において権力構造の向こう側に出て無効化する地平を獲得させてくれる。これこそストリートの創造性である。もちろんそれは権力構造の下層の痛みを軽視,無視することではなく,それこそが彼らの痛みと努力を真に受け取り普遍的な形に展開していく道だと信ずるからの所為である。

 権力構造とは,ツリー状の思考の産物である。そこは思考の端緒になるかもしれないが,終着点ではあり得ない。ストリートは都市計画という条理空間の建設の産物であるのに,面白くも都市計画の意図を裏切る。なぜならストリートは繋ぐという関係樹立の流動という性質を本質的にもつゆえに平滑空間への展開を運命づけられている。都市においてストリートという縁辺空間の道筋を辿る動きは,都市の深層,都市の無意識にいたる可能性を孕んでいる。都市計画が期待するストリートは目的地に到達することだろうが,ストリートはその表だった機能に付随しながら,それを超えた過剰性を移動の過程において産出する。ストリートの縁辺性ないしストリートのストリート性とはこの過剰な脱線性のことである。時空のアレゴリーの展開するベンヤミンのフラヌールはもちろんのこと,植村清加のマグレブ移民男性のカフェ通い,磯田和孝の道草を喰うこと,南博文のふらふらした屋台ウオークから都市の精神分析まで,どれもプロセスに沈潜し,時空の無意識の層に触れて発現する個性化の営みなのだろう。これは,ベンヤミンが個物そのもののニュアンスを聴き取ると称した営みである。ドゥルーズならば,非−コミュニケーションの断絶的空隙の創出であり,そうした空隙がリゾーム的につながる平滑空間の現出と言うのだろう。小田亮は研究会の発表において,管理された条理空間を平滑空間に変容させるような人々の実践を語ることが,ストリートの人類学の役割だろうと,研究会の早い段階で鋭く,卓見を述べていたことを記しておこう。小田は,「顔のある」ことや「かけがえのなさ」を重視し,それを関係の過剰性として説明しているが(小田2007),そのことは,私が目下「弱い表象ないし表現」を聴くこと,「弱いコミュニケーション」の獲得に注目することと重なると理解している(関根 (2007b)参照)。


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*1:女性的なものがなぜに今注目されるか,ストリートの人類学にとっても重要か,を理論的に理解するために,さらに小田亮の発表での説明を参照しながら議論しておきたい。その要点はこうである。女性的なものは,女性が周辺化されることで備わった「隷属の美徳」と解すべきではなく,女性的なものはより普遍的な基盤を持つ点が重要である。それ故に,野生の思考,ブリコラージュ,他性への配慮などの可能性の基盤になりうる。男性とは,実体としての男性ではなく,ツリー状の秩序感覚のことであり,条理空間を生産するものであるが,それに対して女性も実体ではなく,リゾーム的なるものをさし,それは留まりながらの移動性を体現する。「女性的エクリチュール」の実践とは,貴方=男が私=女に割り当てた空間を隔てる壁を,浸透し流動する生者の皮膚にもどすことなのであり,それが愛撫なのである。その「模倣」ないし「憑依」の実践は,二項対立の転倒でも1への解消でもなく、2のままでただ可動性を取り戻すことなのである。そのことは,ストリートの理解に近づければ,定住という位置を模倣しながらそのなかに移動する他者の声を浸透させてしまう所作である。この事態を,小田は「1つの意味=方向に固定された二元論を,流動的な二項対立へと変容させるもの」と言う。これは私の言い方では〈周辺〉を〈境界〉に読み替えるとなる。すなわち,ここにストリートを方法として考えるべき点が描かれている。それを敷衍すれば,ストリートを歩くとともに住むこと,家に留まりながら流動性を手に入れることという作法を示唆し,それを,すでにベンヤミンは「パサージュは道であり家である」と喝破していたのである。だから,歩く者とは単に低い位置からの視点を担う者のことではない。大事なのは等身大の身体性と接触性にかかわるその浸透性が問題なのであろう。

*2:ここで言うストリートは,私の言い方では三者関係の差別において〈周辺〉が生み出される場であり,〈境界〉としての潜在性を宿す場所である。その事態は,ジョルジョ・アガンベンが『ホモ・サケル』において「剥き出しの生」「例外状態」として捉えられた場所でもあるだろう。そこは,例外という「外に捉えられている」(アガンベン2003: 29)あるいは「包含的排除」(アガンベン2003: 34)という秩序の宙づりから結果する状況のことである。たとえば,アガンベンが例外状態の説明のために言語活動と非言語的なものとの関係を持ち出す。すなわち,非言語的なものは,言語活動による包含的排除,すなわち言語活動が握るヘゲモニー空間において例外として「外に捉えられている」ものなのである。言語活動は語られなかった非言語的なものを排除したと見えるが,非言語とは言語から排除されたという関係においてのみ規定されるという意味で常に捕捉・包含されている。アガンベンはこれを「主権的締め出しの構造」と呼び,「開かれている者に入ることができない」という法や言語活動の主権と例外の相即する存立構造を明らかにする。このことは敷衍すれば,抑圧排除している事実そのものが隠蔽されるという隠蔽隠蔽という宙づり,すなわち二重の捻れた隠蔽が起きている場所の構造を説明する論理を見て取れる。南博文が研究会の発表(2007 年 2 月)において提出した事例,すなわち広島原爆記念塔の設置と存在は,多様な炸裂分散した原爆被害の記憶を,分かりやすい「平和の祈りの場」という回収された意味づけの下に先取りし, 開かれた法の実現体(カフカの開かれた門)として提示される。そうなると,どの記憶をもとりたてて排除しているわけではないという形で記念塔の思想に対抗する契機を不可能にしている,「開かれたものには入ることができない」という隠蔽隠蔽がそこで達成されている。フーコーの生政治の衣鉢を継ぐアガンベンは,こう近代を規定する。「ポリスの圏域にゾーエーが入ったということ,つまり剥き出しの生そのものが政治化されたということは,近代の決定的な出来事をなしており,古典的な思考の政治的−哲学的な諸範疇が根源的に変容したことをしるしづけている。」(アガンベン2003: 11)だから,現代社会は国家というよりゾーエーとビオスの区別が一致に近づく「収容所」と化している(アガンベン2003: 231)。近代以降の現代を問題にする私たちは,重なりを強めているゾーエーとポリス(主権的空間)との関係,ないしゾーエーとビオスとの関係を注目しその関係を正確に記述するという課題の前にいる。その課題は,主権による例外化の不分明地帯の再点検である。そのために,上から見ていては重なりの強調に終始するだけであり,そのために下からの視線,ミクロな日常的生活の次元への注視が不可欠になる。そこに重なりの綻びや隙間を発見しこじ開けている実践,言うなれば,開かれた門に本当にそこから入れる閉じた扉はないのかと。探すのである。それは民族誌的記述無しに不可能である。そこにストリートの人類学の課題と方法はある。

*3:蛇足ながら,参考に文化差と言うことで言えば,1980 年代のロンドンでは駅のホームの地べたに直接座っている人がかなりいて驚いたことを覚えている。これはインドの地床式とは違うが,家の中まで土足で生活する習慣,ベットに靴を履いたままひっくり返ることなど思うと,もう 1 つの地床式文化なのではないか思う。

*4:この点に関しては,竹沢尚一郎の今日のフランス移民問題を通じて改めて「文化」を再焦点化した意欲的な論考「パリ/マルセイユ,2005.10–11 ―文化の名による統合と排除」(竹沢 2007)が参考になる。特に同化政策の変容については,(竹沢2007: 5 節)に詳しい。

*5:この種の類型に属する小谷汪之の本『穢れと規範 賎民差別の歴史的文脈』(1999,明石書店)は,明石書店に何度も足を運び打ち合わせ的な私との長い討論の後に,何ら生産的な理解もなく勝手に出版されたものである。その無礼は置くとしても,ケガレ概念をめぐる議論への全くの初歩的な無理解に基づく批判を加えているのであるから驚くべき厚顔である。私による著者小谷と明石書店への抗議にもかかわらず,その後も同じように閉じた思考を小谷は続けている。南アジア研究において,とりわけ被差別問題において,誠に憂慮すべき不幸な事態である。

*6渋谷望は,その著書の 3 章「消費社会における恐怖の活用」で,この状況を米国研究からの報告の整理でゼロ・トレランスに向かう「貧困の犯罪化」として把握し,ジクムント・バウマンの論を援用してその状況がヨーロッパや日本にも出現してきていることを示す(渋谷 2003: 95)。

*7春日直樹が,『ポスト・ユートピア人類学』(石塚・田沼・冨山2008)の巻頭論文ユートピアの重さ,ポスト・ユートピアの心地よさ」(春日2008)で,人食い慣行を題材にして,宣教師たちが自らの身体を張って理解の限界を超えて「全体的真実」を真摯に追求した事実は重いとし,本来「全体的理解」を標榜してきた人類学者の方がむしろ生ぬるいという。「部分的真実」への反省はするが,自己自身のコミットメントをかけた「全体性」の追究には甘い人類学研究の嘘っぽさをついて語っている。私にはここでの私の主張,またかつて書いた「部分的真実」をめぐる私の批判(関根2001)と接近し共振する主張として読んだ。

*8:『路上のエスノグラフィー』という本が吉見俊哉北田暁大によって編まれている(吉見・北田 2007)。序文には,「路上のダイナミズム」は,個々の主体による空間の再解釈,領有の営みである以上,客観的に観察できるようなものではなく,都市に内在し身体的に空間へと投企するなかで感じ取られるようなものであるとされ,路上を内在的に理解することが肝要だと説かれる。それに異論はないが,エスノグラフィーと名乗るなら,本文の内容は序文に追いつかない羊頭狗肉と言わざるを得ない。ストリート・アーティスト,ちんどん屋,サウンド・デモ,グラフィティ・ライターだけをそれほど深くなく扱っているだけで,内在的に路上をメディア論的に描いたエスノグラフィーだと言われても説得力はない。結局この本は,すでに批判の多い不十分なカルチュラル・スダディー系の内容にとどまり,何よりも社会空間の境界性が浮かび上がってくるような構造的な対象への吟味もなく,問題への取り組みの深刻さも足りない。そうなるのは,社会調査実習のお勉強のレベルで,誰にとっての問題を語りたいのか,主語が不明だからである。人間よりも都市が主語の若林幹夫を批判したことがあるが(関根 2004a: 11),このどこか超越的な主語無し論は,東京大学社会学の伝統なのであろうか。ジャーナリズムに乗った編者の名を借りて実習報告書を世に公刊するのは,もう少し慎重であるべきであろう。その点からすれば同じ社会学であっても,西澤晃彦の『隠蔽された外部―都市下層のエスノグラフィー』 (西澤1995)の方が気合いが入っている。下層に生きる人間に照準がしっかりと定められているからである。そうすれば都市のエスノグラフィーの書き方も自ずと変わる。

*9資本主義システムを維持するために資本家や御用経済学者が隠していることとは,貨幣の二重性,その間で蝶番になっている銀行の役割のことである。ドゥルーズガタリは,貨幣の二重性,異なる二局面を次のように対照する。一方が,サラリーマンのポケットに入る金銭(交換価値の無力な貨幣記号,消費財や使用価値に対する支払手段の流れ,貨幣と生産物の強制された範囲の間の1対1対応関係,私はそれに権利をもっている)で,他方が,企業の収支において登記される金銭(資本の強力な記号,融資の流れ,生産の微分係数システム,将来を予測する力をつまりいまここでは実現されない長期的評価を示し抽象量の公理系として作動する)である。両者は同じものではあり得ないのに,それを変換連続される偽装こそが資本主義の内在野を表現しているという。それによって人々の欲望が全力で資本主義社会野の全体を備給するのである。(ドゥルーズガタリ2006(1972): 下 30–32)

*10:ここでの志とは,〈分裂分析〉に迫ることに相当する都市の無意識への接近といってよい。小田は,カルチュラル・スタディーズを牽引した CCCS の初代所長リチャード・ホガートによる探究に正当な再評価を行う(小田2003)。それは,エリート文化擁護を当然批判しつつ,さらに大衆文化を退ける差異化を厳密に行うための民衆文化の意義を擁護し探究する意図の中心を,「知的な性行をもっていない人びとがかれらなりの道をとおって賢くなるのを邪魔するからだ」に見るところが卓見である。それを取り出す小田も慧眼である。そのポイントと,ベンヤミンが群衆とフラヌールを区別する意図も相似しているものと私は見なす。フラヌールは,こうして,ハイカルチャー中心主義者(もちろんスノッブ)でも,文化産業に盲目に追随するマスでもない,やはり遊歩する者なのだ。



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