Hatena::ブログ(Diary)

garage sale このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-01-11

「アヴァンギャルドの失敗」をめぐる言説の意味するもの 外山紀久子

 「アヴァンギャルド」と「モダニズム」の関係の錯綜は、この2つの用語が多くの場合ほとんど同義の言葉として用いられ、しかもそれぞれの内包と外延が論者によって微妙に異なっているという事態に由来する。ところがグリーンバークやポッジョー*1のように両概念を区別しない立場がある一方で、ビュルガーやカリネスク*2のように、アヴァンギャルドをモダ二ズムの特殊な位相として(更には、むしろ反モダ二ズムとして)規定し、フォーマリスト的なモダニズム把握を相対化するとともに、アヴァンギャルドポストモダニズムとの連続性に注意を喚起しようとする動きが近年顕著になってきた。

 本論では、モダ二ズム芸術の推移の全体に、モダ二ズムとアヴァンギャルドの2つの契機──互いによく似ていながら仲の悪い双生児──の連動、相互依存性・同根性をみてとる可能性を明らかにする。その際、ビュルガーのアヴァンギャルド理論を敷術しつつ共時的文脈の導入によってこれを補完しようとするバーマン、グリーンパーク初期のモダ二ズム論の歴史的文脈を再構成するクロー、モダ二ズムを一種反動形成として論定しようとするユイッセンなどによって、しばしば「アヴァンギャルドの失敗」として記述され認知されている事態に焦点を置く。

 このようなモダ二ズムの把握をもとに、類概念としての芸術の成り立ちに当初から要請されていた抑圧の問題を考察する足場を模索したい。アヴァンギャルドによる「危機の表現」が突出してくる以前、そもそも近代における芸術の起源に、否定と抑圧・排除の構造が潜伏しているのではないかという問いが立てられる。ダントーによれば、哲学の歴史には芸術からその本来の危険な力を取り去って美的なもの(ないし大文字の Art )の領域に封じ込め隔離しようとする伝統が跡付けられる。このような芸術の隔離・無力化と芸術の自律・絶対化との間に内的な関連を見い出すことが本論の最終的な課題となる。


(1)「アヴァンギャルドの失敗」

「20世紀のほとんどのアメリカ人批評家はモダ二ズムとアヴァンギャルドとを実質的に区別しなかった」、「モダ二ズムとアヴァンギャルドをイコールとみなし、両者を〈モダニズム〉のラベルのもとに包摂する」のが「アングロアメリカ系の伝統」である*3──近年多くの論者によって指摘されているように、戦後アメリカの美術批評の主流を占めてきたのは、芸術の自律性を標榜し、主題や内容ではなく媒体そのものに意識を集中するフォーマリスト系のモダニズムであった。そこでは専ら「純粋主義」の抽象芸術が「王道」として支持を受け、ダダやシュルレアリスムの活動は二義的なもの・ 「文学」への逸脱として軽視されるという傾向が一般的であった*4。その結果、自己言及的・芸術内在的な「モダ二ズム」の契機が前景を覆い、後景に押しやられた「傍流」に本来属していた「アヴァンギャルド」という名前を簒奪する形になったのである*5

 ところが、ダダ、シュルレアリスムロシア・アヴァンギャルド未来派表現主義といった、今世紀初頭ヨーロッパを席巻した前衛芸術運動、ペーター・ビュルガーいうところの「歴史的アヴァンギャルド*6に対する認知の高まりにつれて、従来のフォーマリスト系モダニズムとは明確に区別されるアヴァンギャルドの契機が切り出されてきた。

「忘れてならないのは、すでにダダ以来いかなるときも文学あるいは絵画の創造活動がそれ独自の価値をもたず、それ自体を目的とはしていなかったということである。むしろそれは一時的な手段であり、認識の一様式であり、ひとつの指示標識であり、認識に対するそして生の解明に対する闘いのなかでの人間の表現のひとつであったのだ。問題にしなければならないのはこの生というものである。詩と芸術とはそれを高揚させるための固有の原動力的価値としてしかありえなかったのである」*7トリスタン・ツァラ1947年にソルボンヌでおこなった講演の言葉には、自己目的的自律的芸術の廃棄、イデオロギーにおける革命の伝統と詩における革命の伝統との融和、芸術と生との間に設けられた切断の解消といったアヴァンギャルドの基本理念が如実に記されている。

 ビュルガーはこのようなアヴァンギャルドの立場を、19世紀末の〈審美主義〉〈芸術のための芸術〉においてその頂点に達した、ブルジョワ社会に固有の「芸術制度」=芸術の生産・流通・受容のあり方を規定する社会的枠組みそのものの批判として解釈する。アヴァンギャルドは、モダ二ズムの芸術が自律的芸術として自己を定位する──政治を含む生の実践的連関から逃れて美的なものの〈純粋な〉展開を企図する──のを可能にしている社会的条件それ自体を攻撃し、「自律性と「社会的」無帰結性の関係を暴いてみせる」というのである。「歴史的アヴァンギャルドの運動は、自律的芸術にとっての本質的な規定条件を否定する。芸術と生活実践の離反、個人による生産、そしてこの生産から分け隔てられた形での個人による受容を否定するのである。芸術を生の実践に組み入れなければならないという意味において、アヴァンギャルドは自律的芸術の撤廃を企てる」*8

 しかしながら、このような歴史的アヴァンギャルドの試みは失敗に終わったというのが、ビュルガーのみならず、マテイ・カリネスク、アンドレアス・ユイッセン、トマス・クローらのアヴァンギャルド論に共通の認識となっている。自律的芸術は払底されず、生と芸術の切断は解消されなかった。両者の革新・再組織化の企ては挫折した──というのも、生の側にもまた芸術の側にも、おのおのの境界を維持したままでアヴァンギャルドの企てを制度内に回収する機構が具わっていたのである。

 まず、「芸術と生の二分法の止揚」「実践的な芸術」というアヴァンギャルドの理想であるが、これは所期の目的(「人間解放」「革命」)に結びついた形では実現されず、その後の文化産業の展開による「娯楽文学」「商品美学」「日常生活の美化」等々の代用物の氾濫、「自律的芸術の偽の止揚」に帰着した。一定の消費態度を促す大衆管理・ 「隷属強化」の手段、既成のシステムの安定装置の確立としてのみ実現したというのである。したがってビュルガーは「後期資本主義社会にあっては、歴史的アヴァンギャルドの運動の意図は実現されはするものの、その結果は価値否認であった」と結論する*9。そこでユイッセンがアヴァンギャルドトポスの消失として論じる事態が生起する。「歴史的アヴァンギャルドが過去のものであるというばかりでなく、それを復活させようとする試みもいかなる装いのもとであれ無益である。その芸術上の発明や技法は。西側のマス・メディア文化によって、ハリウッド映画、テレビ、広告、産業デザイン、建築から、テクノロジーの美化と商品美学にいたる、そのありとあらゆる現われのなかに、吸収され同化されてきた。かつて社会主義のもとでの解放力のある大衆文化に対するユートピア的な希望を携えていた文化的アヴァンギャルドのための正当な場所は、マス・メディア文化の勃興とそれを支える産業や制度によって、予め買い占められてしまったのである」*10

 次に、個人による生産/個人による受容に基づく芸術および芸術作品というカテゴリーが、アヴァンギャルドによる挑戦の後も尚存続しているという「歴史的事実」がある*11アヴァンギャルドによる反芸術、反作品の活動が、「芸術という社会的制度」の抵抗力・可塑性によって、すべからくその枠の内部に取り込まれ、当初の破壊性・越境性を奪われた形骸のまま流通する。60年代初頭のネオ・ダダに対するデュシャンの懐疑にはこの経過が端的に伺えよう。「私が〈レディ・メイド〉を発見したときに意図したのは、美的な大騒ぎに水をさすことだった。しかしネオ・ダダの場合は〈美的価値〉を発見するためにレディ・メイドを使っている! 私は瓶立てや便器を挑戦として連中の顔に投げつけたのに、いまやかれらはそういったものを美的に美しいものとして賞賛するのだ」*12。これをビュルガーはアヴァンギャルドが原理的に不可能な「ポスト・アヴァンギャルドの段階」と呼ぶ。「ポスト・アヴァンギャルドの段階を特徴付けるのは、それが作品というカテゴリーを復活したという点、アヴァンギャルドによって反芸術の意図をもって創出された手続きが、芸術的目的に用いられるという点である」、「アヴァンギャルド芸術家が芸術の止揚をもたらすことを望んで用いた手段の数々が芸術作品というステータスを獲得してしまっている限りにおいて、生の実践を更新しようとする欲求がもはやそのような手段の採用と真正な形で結び付くことはありえないのである」*13


(2)モダニズムの自己形成における抑圧の構造

 ビュルガーの論述では、19世紀末までに芸術の自律性というモダ二ズムのプログラムが完了し、ついでこれを攻撃するアヴァンギャルドが登場、その後すべての美的規範が普遍妥当性を失う「ポスト・アヴァンギャルドの段階」を迎えたという図式がその骨子として描き出される*14。しかしこのような通時的・段階論的な発展図式には、世紀の変わり目における経済・政治状況の変化といった共時的コンテキストとの連関が脱け落ちてしまう嫌いがあるであろう。ラッセル・バーマンがビュルガーの研究を評価しつつその方法に「一種の拡大された内在批評」としての限界を見るのもこの点である*15

 バーマンは、「近代の高級文化、自律性の美学」がそもそも自己を定立し制度化しえたのは、「大衆文化や自然の経験」との対比においてであり、「この制度の危機を、自律化過程の完了という言い方で記述するよりも、資本主義による近代化の一帰結として否定的資源──大衆の伝統と自然──が侵食されたということの方を銘記しなければならない。(中略)かつての自然的なものという地位を失い、人為的操作の舞台に変じた大衆文化という次元は、もはや芸術の外に在るものとはみなされない。ちょうどブルジョワ社会の初期段階にあっては文化の対立項であった自然が、産業開発の普遍的対象に化してしまったのと同様である」、「高級芸術と低級芸術との対照も、文化と自然の差異も維持できない以上、ブルジョワの芸術制度の構築はもはや説得力をもたないのである」*16と論じる。伝統的な大衆文化や自然との差異を前提として成立した自律的芸術は、産業社会の進展に伴うそれら対立諸項の変化によって、旧体制に依存する自らの存在様態からの脱却を迫られていた。このような状況を受けて「芸術の領域にそれまでは除外されていた領域を統合すること」──大衆文化や自然を高級文化の領域に導入すること──による文化の再編成を試みたのがアヴァンギャルドであった。したがって、モダ二ズムの完了によってではなく、むしろその基盤の失効と共にアヴァンギャルドが出現したということになる。

 ところが、ここにひとつの逆説が入り込む。自律性の文化はその存立基盤の動揺にもかかわらず、あるいはむしろその動揺によってこそ、モダ二ズムという、自律性を護持し「先決条件」との差異を貫こうとする運動を形成した。「モダニズムからアヴァンギャルドへ」という段階的な移りゆきではなく、両者が同一の社会的コンテキストから同時に産み落とされたのである。この経緯を明らかにするために、次に、バーマンの指摘した「自然」と「大衆文化」というふたつの「先決条件」のうち、「大衆文化」との関係性に注目してモダ二ズム芸術の発生史を解読するクローおよびユイッセンの分析をみていこう。

 クローは、1939年の段階におけるグリーンパークの歴史観に基づいて、「大衆文化こそ高級文化が採るべき形態を決定してきた。大衆文化が先行し、決定をくだす。モダ二ズムはその結果である」という論点を導き出す。まず最初に「キッチュ」のめざましい展開があり、その脅威から逃れるために「高級文化」の陣営は「モダニズムの内向性、自己反射性、〈媒体への忠誠〉」という形態を自己に強いたというのである。ただし、グリーンパークの立場では。「ロウから逃れるハイ」(モダ二ズム)のアポロギアに終始する一方で、「ロウヘの傾斜」(アヴァンギャルド)の存在は語られない。「ハイとロウの相互依存がその理論の核心にある。グリーンパークの分析では、大衆文化がモダ二ズムの活動から切り離されて考えられることは決してなく、創造面での〈自由〉を厳しく制限するものとして芸術家に対する不断の圧迫となっている。しかし、この圧迫はもちろん一方的──ひたすらな嫌悪、魅力はゼロ──である。そこでアヴァンギャルドがくりかえしおこなった通俗的な素材への帰順は説明されないまま残る」*17

 ユイッセンも同じく、高級文化としてのモダ二ズムの成立に、19世紀半ば以降の大衆文化の台頭に対する、旧文化の担い手の側の自己防衛の身振りを読み取ろうとする。「モダニズムは、意識的な排除の戦略を通じて、その他者、つまりいやましにあらゆるものを呑み尽くし消尽しようとする大衆文化による汚染への不安を通じて自らを構成した」、「同化吸収によって、商品化によって、〈間違った〉種類の成功によって大衆文化に食らい尽くされるという悪夢が、モダ二ストの芸術家の絶えざる恐怖である。彼は純粋な芸術といかさまの大衆文化のあいだの境界を強固にすることによって、その縄張りを守ろうとする。このような大衆文化とマスに対する偏執狂的な見方との関連からすると、モダ二ズム美学それ自体が──少なくともその基本的な目録の1つにおいて──更に一段と反動形成のように見えてくる」*18。その純粋性・自律性の堅持も、娯楽や大衆文化の表現モードに対する価値論的差異の主張も、実際にはそれらがすでに保ち難い状況にあるということを自他から隠蔽するためのグループ・イデオロギーとなる。「モダ二ストの芸術作品の自律性は、常にある抵抗。自制、抑圧の結果である──大衆文化の誘惑的な魅力に対する抵抗、より多くの受容者に気に入られようとする快楽からの自制、モダンであるための、時代の先端をいくための厳正な要求を脅かしかねないあらゆるものの抑圧の結果である」*19

 宗教や国家の直接的制御を離れた近代の芸術が、大衆文化や自然から自己を区別することによってその自律的自己目的的存在様態に根拠を与えることが出来たとすれば、そのような差別化が実質的には不可能となりつつある19世紀後半以後の状況のなかで、あえて「高級芸術」「自律的芸術」としての同一性を守り抜こうとしたのがモダ二ズムの芸術であった。このように、大衆文化からの逃走をモダ二ズムの自己形成の主要な動因として認めるとき、モダ二ズムとアヴァンギャルド相互連関、さらには前の章で概観した「アヴァンギャルドの失敗」についても、以下のような視点が可能となるであろう。即ち、モダ二ズム芸術の自己規定から排除される「他者」=ロウの領域は、嫌悪されると同時に欲望される対象であり、このモダユズムが否認したものをアヴァンギャルドは救済しようとした。しかも、アヴァンギャルドの試み、モダニスト的な「自己」と「他者」の分離を克服しようとする試みが挫折に終わったという「歴史的事実」は、一旦否認され排除されたものとの再統合が「偽りの止揚」 ・解放ではなく隷属を強化する結果しかうみださないということを示してきた。アドルノベンヤミンに宛てた手紙のなかで述べているように、「それら[モダニストの芸術と大衆文化]は自由の引き裂かれた半身であるが、それらをひとつにあわせてもその自由にはいたらない」*20──分裂以前の/起源における「自由」の回復、「全体」の回復というアヴァンギャルドユートピアは否定される。

 マイク・フェダーストーンは、バフチンに依拠したステイリーブラス、ホワイトらの研究を援用しながら、歴史的アヴァンギャルドによる「その芸術と生活様式における境界侵犯の戦略の採用」に、中世カーニヴァルと相似の構造を当てはめる。そこでは日常の価値序列が転覆され、ハイとロウの区別が取り払われ、情動のコントロールが放棄される。「古典的身体」の対極にある「グロテスクな身体」の祝祭である。「グロテスクな身体とカーニヴァルとは、中流階級がその同一性と文化を形成する過程で排除した他者性を表示している。(中略)同一性形成過程の一部として排除される他者が、実は欲望の対象となる」*21。モダ二ズムとアヴァンギャルドの示した大衆文化に対する対極的な態度──嫌悪と欲望への分極化は、そもそもモダ二ズムの自己形成時に「切り離し得ないものを切り離した」ことに由来する動揺を証ししているのではないか。フェダーストーンの指摘するように、グロテスクな身体の祝祭におけるコントロールの解除、嫌悪の極から欲望の極への転換は、つねにより高次のコントロール、「情動のコントロールされたコントロール解除」に奉仕する*22。クローのいうところの「挑発」と「退却」の交替、即ち、境界侵犯大衆文化への逸脱の後に高級文化の自律性が常に回帰してくるという「アヴァンギャルドの失敗」の構図*23は、はからずも、ひとつのシステムが秩序維持・自己再建のために編み出した、〈制御された反秩序〉の運命を重ね書きしている。アヴァンギャルドアナーキーはモダ二ズムの延命に奉仕するのである。


(3)去勢された芸術/撹乱の芸術

 こうして、モダ二ズムとアヴァンギャルドは、近代の自律性の文化がその基盤の崩壊期に産出した双生児であり、おのおのにその生みの親の「他者」に対する両義的関係が印付けられているという仮説が提起された。このような視点から眺め直すとき、アヴァンギャルドは今やほぼ共通認識として語られるその「失敗」の素因をモダニズムとの共生関係のうちに予め抱え込んでおり、自律的芸術という社会内秩序を維持する方向に機能したということになる。ただしそれがモダ二ズムの強化に荷担した一方で、近代の芸術の存在様態を相対化し、芸術の機能について、芸術がもっている力についてのドクサの根底に一撃を加える活動であったという側面もまた見落とされてはならないであろう。

 アーサー・ダントーによれば、芸術の力の問題に関してはふたつの矛盾した認識が平行して存在する。「芸術は危険なものである」/「芸術は非力である」。これは、哲学がなんらかの理由によって最初に芸術のなかに潜む危険性を感知し、その毒を中和化しようとする共同の営みに携わってきた結果とされる。「危険と無力との組み合わせは、後者が前者への哲学の応答であるということに気付くまでは、矛盾したものに思える。というのも、もし芸術を、存在論上二義的・派生的な実体──影、幻、錯覚、夢、単なる見かけ、まったくの反映──の圏域へと体よく移しかえることができれば、それこそ芸術を禍から遠ざけておくのに絶好の方法であろう。もし芸術の場所がその外側にあるような世界像を人々に受け入れさせることができるならば」*24。芸術は哲学による「去勢」( neutralization )・「権能剥奪」( disenfranchisement ) ・ 「非実体化」( insubstantiation )の結果として、「危険なもの」から「非力なもの」に変じたというのである。

 ダントーは、哲学による芸術無害化の営みが、芸術を短命なもの・はかないものと規定することによってその力を拡散するか、あるいは、芸術は哲学と同じことを、ただしより劣った仕方で行うとして限定的に有効性を認めるか、カント型の短命/弱体化( ephemeralization )とヘーゲル型の引継ぎ/乗っ取り( takeover )との2つの極の間を揺れ動いてきたと論じるが、とりわけ前者から帰結する美的な態度と実践的態度の区別によって「芸術は実践の世界・政治の世界では力をもたない」という規定が一般化したと主張する*25。女性を「 fair sex 」美しい性と呼んで、実生活から美的距離を置いた台座に縛りつけておく制度的手法と同様に、芸術とそれ以外の実際的な技術との慣例的区別を示す用語法は、芸術を称揚するという見かけのもとにこれを生から分離するのに貢献しているというのである。「これらの平行する美化[芸術の美化と女の美化]は、それぞれのなかに暗い危険として察知されたものに対する本質的に政治的な応答と見なされなければならない(中略)。芸術がその上に載せられた形而上学的台座──美術館を迷路として考えてみよ──は、女性を婦人に変えるそれと同じほどに野蛮な政治的置き換えである」*26。芸術の弱体化は芸術の美化( aestheticization )の見かけのもとに、美的なものの領域への隔離によって遂行された。手足を縛りつけ去勢しておいて、その頭に冠を載せる。これは、モダにズムの芸術が、自律性と高級文化の台座に自己を置くと同時に生の実践との分離・「社会的無帰結性」に甘んじたという事態に、そのままあてはまる表現ではあるまいか。

 ダントーは、芸術にこのような地位を定めるにあたって哲学が示してきた圧倒的な意見の一致それ自体のうちに、哲学と芸術の逆転的な関係性の潜伏を想定する。「芸術は哲学者が最後に、体系的完全性の名のもとで、その完全性のために扱うなにものか──学問体系の仕上げの一刷毛──というよりも、むしろ芸術こそ哲学が発明された理由であって、哲学の諸体系は結局監獄用の建築物、ある深い形而上学的危険から私たちを守るべくそこに怪物を閉じ込めておくための迷路ではないか」*27

 哲学という迷路によって本来の危険な力を封印されたミノタウロス──それが私たちの知る「芸術」であるという一方でダントーは、その檻から自らを解放しようとする試みに注意を向け、これを disturbation ( disturbance + masturbation )の芸術と命名する。そこでは、イメージやファンタジーが現実のオーガズムをもたらす自慰行為と同様に、イメージを生のさなかに介入させることによって実存的な痙撃をうみだすこと──芸術と生、イメージと実在の境界を跨いだ魔術的な存在様態──が求められる*28。「それは芸術を再びあの暗い衝動に結合しようとする。芸術がそこから発生し、次第にそれを抑えつけてきたと信じられている衝動に。それは後退的な姿勢である。芸術自体がほとんど魔術であった段階──ここでいう魔術とは、実際にはなにも起こらないのに何かが起こったかのように見せる、つまり私たちが占める場所以外のどこかから異質の諸力を呼び起こすかわりに、様々な仕掛けのレパートリーを備えている浅い魔術、幻覚による魔術ではなく、暗い可能性の数々を現実のものにする深い魔術/広大な深みから精霊を召喚する魔術である──を取り戻そうとする」*29。聖像(イコン)や故人の肖像には、イメージでありながら実在の側に働きかける力が想定されてきた。古代の祭祀においては、神霊がこれを演ずる俳優によって「再現」されるのではなく、彼等の身体に自ら「示現」した。イメージの制作者にはこうした超自然的な力との連結という特権が認められていたわけである。「ひとたび像がその似ているものを指示するだけのものとして知覚されるや──その場合似ているということはその形を説明しているのであって、形の内含を通じて実在を内含するといったことではない──この時ある力が芸術から失われる。従来この喪失によって芸術を定義する傾きがあったとすれば。もっともこの種の定義は、芸術の歴史によって暴き出されている、哲学による権能剥奪の一形態にすぎないのかもしれない。(中略)この力、あるいは、芸術家がそれを所有しているという信仰こそ、哲学者が理論の問題として芸術の弱体化に乗り出した時に畏怖していたものの1つであったかもしれない」*30

 美的なものへの隔離によって馴化され無害になった芸術という規定がモダ二ズムのそれに合致したように、この「芸術が芸術になった時点で洗い落とされてしまった魔術的なもののいくばくかを芸術に回復しようとする企て」*31は、自律性の文化によって否定された生との連続を芸術に奪還しようとするアヴァンギャルドの規定に合致する。「去勢された芸術」と「撹乱の芸術」の対比は、モダ二ズムとアヴァンギャルドの対比のもう1つの表現にほかならないのである。ダントーにとっても「撹乱の芸術」は本来不可能な起源の回復、先祖返りであって、哲学によって監視され制御された芸術の歴史の進展に逆行する不毛な企ての域を出ない。「危険なもの」を「非力なもの」に転換し美的な台座に縛り付けようとする中和化のシステムは──芸術が哲学の古い戦場であったという認識に与するか否かによらず──尚健在なのである。「おそらくそのゆえに、ディスターベーションの芸術に対するとっさの反応は、取り込みによってそれを武装解除すること、芸術界の冷たい諸制度のなかへ即座に組み入れ、そのなかでそれがもともと打破しようとした生の諸形式から距離をとらせ無害なものにしてしまうことなのである」*32

 以上、モダ二ズムとアヴァンギャルドの両契機の連関を探る試みを通じて、類概念としての芸術・大文字の、Art の成立時に遡り、そこに1つの抑圧の胚芽を把える可能性を考察した。芸術が、高級文化の担い手という価値付けに支えられてその自律性・自己同一性を確立しようとする時、このような自己像と相容れない要素は排除され抑圧される。これは「諸芸術」が「芸術」となる以前にもっていた潜勢力が脱落する瞬間でもある。あるいは芸術からその前芸術的権能が奪われたと同時に、これを補償するかのように象徴的な特権付与と神話化の要請が出現したのかもしれない。「美化」と「去勢」が同時に生起するこの過程は「セイレーンの歌が芸術の歌となる」過程にほかならない。死へ誘う破壊的な力の危険から身を隔てた上で、私たちは今やその安全無害な魅力を楽しむのである*33

 「高級文化対低級文化」、「ブルジョワの支配者対これを支えるクーリー」というヒエラルキーがいよいよ不安定に、いよいよ空虚なものになりつつあるさなかで、モダ二ズムは一層抑圧を強固にしこの自律化過程を続行する。と共に一時的な抑圧解除としてのアヴァンギャルドによる反乱をも抱え込む。反乱はこの過程の矢印を逆転するにはいたらず、かえってその強化巧妙化に寄与してきた。それはアヴァンギャルドの失敗によってというよりは、アヴァンギャルドを元々モダ二ズムという芸術の病の癒しではなく症候と考えることによって理解される事態ではないか*34。この時、アヴァンギャルドは、ブルジョワ社会における芸術制度の批判モダンの時代における反モダンというのみならず、芸術の自己擁立の過程で否認され、排除されるにいたった要素の強迫的な回帰(自己同一性の定位に必然的に随伴する自己疎外の症候)として解釈され、モダ二ズムとアヴァンギャルドの関係性は美的コントロールと美的アナーキーの拮抗として把え直されるであろう。

*1:Clement Greenberg, "Avant-Garde snd Kitsch," 1939, Clement Greenberg: The Collective Essays and Criticism, vol.1, ed. John O'Brian, The U. of Chicago Press, 1988. Renato Poggioli, The Theory of the Avant-Garde, trans. Gerald Fitzgerald, The Belknap Press of Harvard U.P., 1988 (原典は teoria dell'arte d'avanguardia,Societa editrice il Mulino, 1962)。

*2:Peter Burger, Theory of the Avant-Garde,trans, Michael Shaw, U. of Minnesota Press, 1989 (原典は Theorie dell'arte d'avantgarde, Suhrkamp,1974 )。

*3:Calinescu, p.137, Andreas Huyssen, After the Great Didide, Indiana U.P., 1986, p.162. Jochen Schulte-Sasse, "Theory of Modenism versus Theory of the Avant-Garde," in Burger, p.xiv.

*4:T.J. Clark, "Arguments sbout Modernism: A Aeply to Michael Fried,"1983, in Pollock and After, ed. Frascina, Harper & Row, 1985, p,83, Schulte-Sasse, p.xxxv, Huyssen, pp. 166-167. Serge Guibaut, How New York Stole the Idea of Modern Art, transl. Arther Goldhammer, Art of the 1960s, Haper & Row, 1988, pp.55-59 を併せて参照。

*5第二次大戦中のアメリカにおけるモダ二ズムの受容と偏向(脱アヴァンギャルド・脱政治化)については Guilbaut, p.55, p.70, p.218 に詳しい。

*6:Burger, p.109, Hyussen,pp.vii-viii.

*7トリスタン・ツァラ、『ダダ、シュルレアリスム』、浜田明訳、思潮社、1985 p.36。p.19, p.21, pp.28-29 も併せて参照。ツァラブルトンアラゴンの場合と異なり、文学と政治の融和を一貫して追求する立場をとった点で「歴史的アヴァンギャルド」の正統であった。

*8:Burger, p.22, pp.53-54. ユイッセンはビュルガーの規定を踏襲してモダ二ズムとアヴァンギャルドを同様に区別している( Huyssen, p.163 )。もっとも自律性を軸としてモダ二ズムとアヴァンギャルドを対置する見方が近年の論者の間で確定しているというわけではない(例えば Frederick R. Karl, Modern and Modernism, Atheneum, 1988, p.xvii のビュルガー批判を見よ)。しかし本論のように、実体としてというより契機としてのモダ二ズムとアヴァンギャルドの対比によって、芸術史上の個々の運動の解釈(その場合には、チューリツヒ・ダダ、ペルリン・ダダ、パリ・ダダを等しくダダ・アヴァンギャルドとして括ることの問題点、自律性の撤廃ではなく獲得を目指した「青騎士」の扱いなど、無数の障害があろう)ではなく近代と共に成立した芸術の病理一般を考察しようとする場合には、この規定は有効な出発点となる。

*9:Burger, p.54. 同様の観察は Thomas E. Crow, "Modernism and Mass Culture in the Visual Arts," 1983, in Pollock and After, p.257 にも見られる。

*10:Huyssen, p.13.「アヴァンギャルドではなく、文化産業が、20世紀の日常生活の変容を達成するのに成功した」( huyssen, p.13. )。ユイッセンは更にアヴァンギャルドの論理自体のなかにもその変節・失敗の遠因を示唆しており、この点でラッセル・バーマンの見解に接近する( huyssen, p.173. Russel Berman, Modern Culture and Critical Theory, the U. of Wisconsin Press, 1989. p.200 )。無論歴史的アヴァンギャルドの終息を第二次大戦前後の政治状況の変化と切り離して論じることは不可能であるし( Huyssen, p.13. )「世界を変える力を芸術がもっているということに対する信仰の存在しない国」といわれる合衆国に戦後芸術の中心が移動したことも、アヴァンギャルドの(モダ二ズムへの)変節・保守化の運命に拍車をかけたといってよい。

*11:Burger, p.56-57.

*12:Sandlre, p.52 に引用。Huyssen, p.147 も併せて参照のこと。

*13:Burger, p.57, p.58.

*14:Burger, p.22-23,p.87.

*15:Berman, pp.46-47.

*16:Berman,pp.49-50, p51.

*17Crow,p.238.

*18:Huyssen, p.vii, p.53

*19:Huyssen, p.55. ユイッセンは、モダ二ズムの「他者」であるところの大衆ないし大衆文化に対して「女」の隠喩が頻々と用いられていたことを指摘している( pp.47-53 )。「後退する自由主義の時代における大衆への恐れは、常にまた女への恐れであり、コントロール不能の自然への恐れ、無意識、性、大衆のなかでのアイデンティティ消失・安定した自我境界消失の恐れである」( p.52 )。現実には、一方で女性の地位の上昇とその社会進出、他方では商品経済と結び付いた大衆文化の活力がともに無視し得ないものとなり、「男対女/高級文化対大衆文化」という二分法がその基盤を失いつつある時に、あたかも既得権を手放すまいとする「男」の側のイデオロギーとしてこの価値論的区別が強化されているようにみえる。

*20:Huyssen, p.58. に引用。アドルノは、1963年のラジオ講演の際も、「文化産業はその消費者の上からの意図的統合である。それはまた、何千年もの間分離されてきた高級芸術と低級芸術との間の調停を強いる。両者を駄目にする調停である。高級芸術はその効果がプログラムされるためその真剣さを奪われる。低級芸術のほうは鎖につながれ、社会の規制が未だ全面的なものではなかった時にそこに内在していた統御を越えた抵抗を奪われる」と述べ、操作された偽の統合に対する懐疑を明らかにしている( Huyssen, pp.144-145 に引用)。

*21:Mike Fetherstone, "Postmodernism and the Aestheticizatioin of Everyday Ligf," in Modernnity & Identity, eds. Scott Lash & Jonathan Friedman, Blackwell, 1992, p. 283.

*22:Fetherstone, p286.

*23Crow, pp.253-255. 同様の見解は Berman, p.51 にもみられる。

*24:Arther C. Danto, The Philosophical Disenfranchisement of Art, Columbia U.P., 1986, pp.6-7.

*25:Danto, p.7, p.9 pp.10-11.

*26:Danto, pp12-13. 今世紀の芸術が美的・感性的なものから意図的に背を向けようとしてきたことの理由も、このような「美化による無力化」への抵抗として解釈されている。「芸術にとって美学は危険である、なぜなら哲学にとっては芸術が危険なものであり、美学はこれに対処するための機関なのである」( p.13 )。ところがこの反美学は、芸術を哲学の一形態とする「哲学による芸術の権能剥奪」のもう1つの極(ヘーゲルの芸術終焉論、プラトンの芸術・弁論術改造論)へと直結し( p.16, pp.33-35 )、別の箇所では、芸術はそれ自身の知、それ自身の哲学に変貌することによってその歴史の最終段階( the post-historical period of art )に入ったとも論じられる( pp.107-111 )。芸術の位置と女性の位置とのアナロジーについては Huyssen, p.45 参照。

*27:Danto, p. 12. も併せて参照。

*28:Danto, p. 119.

*29:Danto, pp.129-127.

*30:Danto, p.128 。この「力」──芸術の成立に際して失われた力のもう1つの例として、神霊との魔術的合一による脱自を伴うディオニュソス祭祀の撹乱性があげられており( p.129 )、appearance という語の両義性そのままに、儀式・祭祀においては神の「出現・顕現」であったものが芸術としての演劇においては「仮象・見かけ」になるという。

*31:Danto, p.131.

*32:Danto, p.119.

*33ホルクハイマーアドルノの『啓蒙の弁証法』第1章において、オデュッセウスセイレーンの物語が「ブルジョワ美的文化誕生の瞬間」として解釈されていることの解説として、バーマンは以下のように述べる。「それは、未だ原始宗教の儀式(カルト)に根差している地方神話が啓蒙という世俗化の力に服せられ、その厄払いの力を奪われるという限りにおいて、自律化過程のひとつなのである。セイレーンの歌が芸術の歌となる。(中略)その耳を蠟でふさがれた奴隷には芸術は端的に否定され、他方ブルジョワの冒険者はただ両手をマストに縛りつけるという代価さえ払えば美的表現に参加することができるのである」( Berman, p.116 )。

*34ロザリンド・クラウスは通常の美術史の「歴史的因果関係」による記述に対し、一種の「病原学」による記述の可能性に言及している( Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths, The MIT Press, 1985, p.22)。モダ二ズム の言説を〈神話〉と見、アヴァンギャルドをその抑圧の症候であるとする本論の見通し──モダニズムアヴァンギャルドの連関を、ラカン的な「自我」の形成、バフチン的な「構造−反構造」のシステムとのアナロジーによって把えるやりかたは、過度な図式化の非難を免れないであろうが、芸術史の解釈にこのような「病の論理」を導入することの意義は今後一層の検討に値するものと考えられる。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/araiken/20150111/1420937847
リンク元


目次へ