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2016-04-30

ワールドアートと美学── <芸術>の多元的状況をめぐって 室井尚

(口頭発表原稿於美学会関西大学13.Oct.96 )

1.アートという「場所」の消滅

 90年代に入って、文化やアートを取りまく状況はますます混沌とし始めてきた。冷戦構造の解体と、メディアグローバル化ネットワーク化に伴うコミュニケーション構造の根源的な変容は、地球上の至るところでいわば文明論的と言っていいほどの大きな文化的地殻変動を引き起こしつつある。

 もちろん、20世紀に入ってからあらゆる芸術はずっと混沌の中にあったと言えるかもしれない。いや、それどころか何千年も前から芸術を作り出そうという行為はいつだってそうした混沌の中にあったという声さえ聞こえてくるかもしれない。 優れた芸術は常に混沌という名の母から生まれてくるというわけだ。だが、ここで言っている混沌とは、個々の芸術作品を制作することに伴うさまざまな困難のことを言っているのではない。そうではなく、現在混沌とし、曖昧なものとなり始めているのはまさしくその「アートという場所(トポス)」そのものなのである。つまり、アートという枠組が曖昧となり、もはや何をアートと名指していいのかがわからなくなってしまっているのである。そればかりではない。アートをめぐる様々な言説、たとえば美学美術史学、芸術学、芸術批評、レヴュー、またそれらの言説を支える諸制度 ── たとえば大学のカリキュラム、美術館、博物館、芸術ジャーナリズム、文化行政等々 ── もまた、巨大な混沌の中で方向を見失いつつあるのだ。

 かと言ってここで「芸術とは何か」というこれまでうんざりするほど何度も繰り返されてきた問いをまた口にしたいわけではない。むしろ「芸術とは何か」という問いは「永遠に解明されることのない謎」としての芸術を逆説的な仕方で枠づけ、そのような問い方を通して問われるべき「意味のうろ」としてのみ存在しうる「アートという場所」を規定してきたのである。したがって、私が「アートという場所の消滅」というのは、まさしく「芸術とは何か」という本質主義的な問いが無効になってしまってしまうような地点を指しているのだ。つまり、謎であり、パラドクスであり、矛盾そのものでありながらもあらゆる矛盾を媒介するクリティカルで特権的な文化装置=制度としての芸術が、大規模な文化的変容の中でその「場所」を失いつつあるということが言いたいのだ。

 別な言い方をすれば、これまでの「芸術の危機」はいずれも「芸術」という近代の西ヨーロッパに発生し、ロシア革命以降の約70年間にわたっては主にいわゆる「西側陣営」によって維持されてきた支配的な文化制度の枠組みを前提としての話にすぎなかった。そのような文化制度のネットワーク全体は、もちろん固定したものとして捉えることはできないし、また必ずしも単一の構造でもないのだが、とりあえずそれを「文化的近代」と言う名前で呼んでおくことにしよう。私たちは、ちょうど西洋式の建築技術や軍事技術を身につけたようにして、「近代芸術」という特殊な「技術」とそれを対象化して語る特殊な言説構成を身につけてきたのだ。言い換えれば「芸術」とは徹頭徹尾「西洋近代」が生み出した人工的な理念であり、文化の植民地的制度であったわけである。

 だが、言うまでもなく「アート」をそれ自体として語ることなどできないし、また無意味である。芸術とは単にひとつの理念や制度であるのではなく、複数の理念や制度の結節点であり、情報の組織化の形態としての「近代」という全体の中の一部であった。つまり、それは「人間」「精神」「文化」「自然」「国家」「自由」「認識」「超越性」等々といった数々の近代的理念と独特の形でリンクしており、また美術館、博物館、学校、ジャーナリズムなどといった社会的制度やさまざまな物質的基盤とも密接に結びついていたのである。

 ここで改めて強調しておいても無駄ではないと思われるのは、これらの理念、制度、物質的基盤を抜きにした「芸術」について語っても無意味だということである。「アートとはヨーロッパ近代が生み出した特異な文化型の切り離し得ない一部にすぎない」という余りに単純すぎる事実がもう一度確認されなくてはならないのだ。そして、さらに繰り返し確認されなくてはならないのは、それが日本をも含むヨーロッパ以外の各地域に伝播したのは、ひとえにこの数百年の歴史がヨーロッパ近代の文化的ヘゲモニーの拡大の結果であった限りにおいてなのだという、ごく当たり前の事実である。

 なぜなら、現在私たちが直面している新たな混沌とは、これまでの数百年の間地球上で圧倒的な覇権を握っていたヨーロッパ近代がその単一支配的な力を弱め始めている時代がもたらした混沌だからだ。と言ってもそれは必ずしも「近代」の世界史的な影響力が弱まったことを意味しているのではない。むしろ、その逆にそれが生み出した経済的、政治的、軍事的、文化的、技術的システムが余りにも成功したために、その文化的近代それ自体の内部からもたらされた拡散と自己解体の効果であると言えるだろう。

 まず第一に、近代のシステムが生み出したメディアテクノロジーと知識の広範な分配システムは、地球レベルでの情報と知識の共有を生み出し、いわば地球全体の諸地域が密接に結びついた単一の地球社会を形成する ── いわゆる地球社会化グローバリゼーションの動きを作り出すことになった。また、その副産物としていわゆる地球環境問題への注目が高まり、運命共同体としての地球という意識がますます高まった。

 他方において、今世紀の中頃以降に生じたアジアアフリカ中南米、その他の地域における植民地支配からの独立と新国家の樹立は、普遍主義的な西洋近代の支配に抵抗し対抗する、地域や伝統の固有性に根ざした文化的ローカリズムの立場を強めてきた。そして、ひんぱんに生じる文化間の衝突や対立を避けるために異文化の多元的共存が求められるようになると同時に、それぞれの文化の固有性と価値の相対性を認める文化相対主義の立場がますます影響力を強めることになった。

 だが、これらの動きが決定的になったのは冷戦構造の終焉以降である。それ以前は東/西という枠組みとその内部で分節されている南/北という枠組みが、2つの陣営対立という形ではあるが、かろうじて世界に統一的な枠組みを与えてきた。たとえば日本は極東にあるが、「西側」文化圏の一員としての自己規定に安住することができたのである。だが、それらの枠組みが消滅したいま、地球社会の単一化と地域や集団の多様化/多元化のという相矛盾するプロセスは歯止めを失って加速度的に進行し始めている。

2.ワールドアート

 このような状況において、アートの領域においても大きな変化が起こりつつある。その最も大きなものは、これまで西洋芸術のカテゴリーには含まれてこなかったさまざまな文化に属するさまざまな文化的活動がアートという場所に雪崩のように入り込んでくるようになったということである。

 「芸術と人類学の再構成」という副題をもつ論集『The Traffic in Culture: 文化における交通』(1995, University of California Press)の中で、編者のジョージ・E・マーカスとフレッド・R・マイヤーズは、従来の芸術研究と人類学的研究の領域が相互に混じり合い、区別がつけられなくなっているという状況を指摘している。

 従来の西洋美術において、非西洋の各地域における工芸、装飾、画像等々(とりあえず非西洋的アートと呼んでおこう)は民族学的研究の対象として芸術の領域の外側に置かれていた。それらは近代に成立した文化表象の殿堂であるミュージアムの中でも歴史博物館民俗博物館に展示されるべきものであって、美術館に並べられることはけっしてなかった。ミュージアムは近代の国民国家の自己イメージを作り出す鏡であると同時に、その外部にある他の文明を他者として規定する役割を果たしてきたのであり、美術館が西欧の偉大な芸術の伝統に属するものである以上、そこに「野蛮な」民族芸術が配置されたりすることはなかったわけである。また、民俗博物館とは基本的に帝国が支配する地域から収奪したコレクションによって成り立っているものであり、それは、ヤン・ニーダーフェーン・ピータースが指摘しているように、「帝国のヒエラルキーが展示される権力のパノラマを提示していた」のである。

 それに対して美術館、とりわけ「近代美術館」は自律的な芸術を展示するという独特の役割をもっていた。それは、ビクトリア朝的な文化の定義 ── すなわち、「歴史においてこれまで思考され言表され表象されたもののうち最良のもの」 ── にしたがって、(当然のことながら)西ヨーロッパの諸国の巨匠たちの作品が展示されるべき場所であり、そこに他の「文化的に遅れた地域」のものが展示されたりすることはけっしてなかった。それらはジャポニズムやプリミティヴィズム、あるいはサイードの言うような一般化された「オリエンタリズム」の形で他者化されることなしに、文化的近代の内部に入り込んでくることはなかったのである。

 ところが、ごく近年になってこうした状況は大きく変化してきた。つまり、民俗博物館人類学博物館が単なるエグゾチックな他者の文明を、支配者の立場から分類し整理し、表象するための場所でなくなったと同じように、美術館もまた西ヨーロッパの伝統に所属する美術作品だけを展示する場所ではなくなってきているのである。そこでは非ヨーロッパ圏のアートにますます照明が当てられるようになってきており、アートにおける西洋中心主義に対する批判的な視点が現れるようになってきた。そればかりではなく、文化研究者や美術研究者美術史学者、キューレータ、人類学者たちの間で、非西洋的アートの意味と表象に関する関心は急速に高まってきている。

 目につく大きな展覧会だけを見ても、89年にポンピドーセンターで開かれた「大地の魔術師展les magicians de la terre」に代表されるような、従来は「芸術」の主流から排除されていたようなエスニックアートや素人の絵画を異なる視点から扱った展覧会や、アジアアフリカ美術を扱う展覧会はますます増大しているし、ヴェネチア・ビエンナーレなどの国際展においても、そのような周辺的でローカルアートへの注目がますます高まってきている。日本においても例えば水戸芸術館の「アナザーワールド」展や世田谷美術館での「パラレルヴィジョン」展を初めいくつかの展覧会がそうした傾向を受けとめたものとして上げられる。また、九州を中心とするさまざまなアジア美術展や芸術祭の企画も枚挙にいとまない。

 こうした動きはおそらく直接的にはポストコロニアリズムマルチカルチュラリズムという時代を画する2つの潮流に影響を受けてきたものである。ポストコロニアリズム以降、西洋の勝利を示す進歩の達成の生き生きとした証明を提示するというミュージアムの機能は縮小されるようになり、人類学民族学といった他者を超越的な立場から対象化する言説自体の危機をもたらした。また、マルチカルチュラリズムは、ピータースも指摘しているように、「国民史博物館モダニズム美術館といった古い市民的礼拝所の蝶番を外し」、「征服された知の反乱とインターカルチャー的な翻訳や文化混交といった、文化の流れの新しい領域を開いた」のである。

 また、こうした流れはは西ヨーロッパアメリカを除外した新たな国際的アートワールドの形成という形でも現れている。たとえば、オーストラリアアジアパシフィック文化圏という構想から、93年から大規模な現代美術トリエンナーレを開催しており、現在第二回目が開催中である。そこでは、東アジア東南アジア南アジアオセアニア各地域からなる巨大な国際的、あるいは超文化的ブロックが構想されており、西欧的伝統からアートを切り離し、文化的混交や解釈の闘争の中から新たな文化の対話的流動を作り出すことが企てられている。

 さらに、そこにはポップカルチャーとの混交も含まれている。なぜなら、西洋芸術に関する教育から疎外されている文化圏においては、身近なポップカルチャーこそが手近な表現ジャンルとなるからである。それはジャンルとしての「ポップアート」とは違った形で、ポップな対象を変形し、新たな制作物を提示している。

 こうした状況を、音楽の世界におけるワールドミュージックという概念から借用したワールドアートという言葉で説明してみたい。ワールドミュージックという概念は単に世界各地の民族音楽(これまでフォークミュージックエスニックミュージックという名前で呼ばれていたもの)を指しているのではない。それは音楽メディアの拡大と音楽産業のグローバル化と表裏一体の現象であり、それらに媒介されることによって本来の場所から切り離されて流通するリソースとなった音楽の新しい現象形態を指している。たとえば、レゲエ・ミュージックは一地域のローカルな音楽ではなく、むしろ脱ロケーション化されたグローバルな世界音楽なのであり、それは日本人によるバリ音楽や、中国人フラメンコダンサーや、ブルガリア人の美空ひばりフリークがそうであるように、グローバルな音楽メディアの上に成り立つ文化混交や文化の移動を前提としなければ説明できない現象である。さらにワールドミュージックはその本来の文脈から離れてウィルスのように他の音楽形式や別の文化的伝統と組み合わせられ、全く予想もつかない新しい音楽ジャンルを形成することもある。

 したがってワールドミュージックやワールドアートは、これまで非西洋的アートを分類する時に用いられてきた主導的な2つの態度によっては説明することはできない。その二つとはロマン主義的態度と近代主義的態度であり、すなわち様々な文化の他に還元できない「ネイティヴ」で固有な精神や美を見いだそうとする態度(たとえばプリミティヴィズムやジャポニズム)と、未成熟な文化が近代化の過程にある途上のものとして扱う態度(たとえば19世紀のアメリカ絵画や日本の洋画に対してヨーロッパ人が取る指導者的態度)の2つのことである。

 もちろんこの2つの態度は相互に混じり合いながら実際の展覧会や批評の言説においては未だに根強い力を保持している。たとえば、日本人のアーティストに禅や水墨画の伝統とのつながりを求めるように、民族文化的固有性をなるべく損なわないで表しているとみなされるものが過剰に尊重されたり、あるいは油絵の伝統のない地域の作家が油絵を展示すればそれを近代化の途上にあるものと見なしたりする解釈の視点は根強く存在している。

 個人的な経験を話せば、昨年フィンランドで知り合ったネパール人の現代美術作家たちの展覧会には、古い仏像仏具が配置され、ネパール特有の手漉き紙に描かれた絵画仏教伝承マンダラをイメージしたものがほとんどであった。現実のネパールでは仏教徒の人口に占める割合はそれほど高くないにも関わらず、それはカトマンドゥヒッピー達の聖地であった時代の西洋によるネパールのイメージを忠実に再現していたのである。

 あるいはマオリと白人とのマルチカルチュラルな共存を模索するニュージーランドでは、すべての表示を二カ国語表記にするなど多文化国家への道を歩んでおり、たとえばウェリントン国立ミュージアムでは、1階をマオリポリネシア美術に、2階をヨーロッパ美術と白人の美術とに振り分けている。だが、それぞれのフロアはそれぞれの文化の固有性を損なわないようけっして交わらない。そして、1階では彫刻を施されたカヌーやマオリの住居が実物大で再現されているが、2階にはもちろん白人のリヴィングルームが再現されたりしているわけではなく、絵画や彫刻といった自律的な「西洋美術」が展示されているだけなのである。国立美術館とも国立博物館とも呼ばずに国立ミュージアムと言ったのはそういう訳なのだ。

3.アートワールド

 さて、それではどのような視点によってこれらのワールドアート化の現象説明することができるだろうか。そのためには、少し紛らわしいかもしれないが「アートワールド」というよく知られた概念を用いるのが便利であるように思われる。

 「アートワールド」という用語はアーサー・ダントーやジョージ・ディッキーのような分析哲学系の美学者が用いた用語であるが、近年そうした文脈とは無関係にさまざまな場所で多種多様な意味あいで使われるようになってきた。だが、強い意味で用いられるにしろ、弱い意味で用いられるにせよ、それがある事物が「アートとして認定される」ための文化的、歴史的な環境およびそれを支えるギャラリーや美術館、批評家やジャーナリズムといった社会的制度を指していることは共通している。

 ワールドミュージックレコード産業やラジオ、テレビ業界を含む音楽産業のグローバルな拡大、音楽を娯楽として熱心に消費する大衆の存在、世界中を移動するミュージシャン、音楽ジャーナリズムといった環境を前提として成立していたのと同じように、ワールドアートもそれを成り立たせているグローバルな芸術的環境、さまざまな文化装置や制度、物質的基盤の上に成り立っている。言い換えればそれは、インターナショナルアートワールドを前提として成り立っているのだ。

 だが、従来のインターナショナルアートワールドとは、「西欧人がその中であるものをアートと見ることを学び、身につけた一定のアートの環境」、すなわち単一支配的な文化的近代によって成り立っており、ギャラリーや美術館、批評家やジャーナリズムといった社会的制度によって成り立っていた。そして、非西洋地域におけるリージョナルなアートワールドもそうしたインターナショナルアートワールドに従属し、それを模倣することで成り立っていた。たとえば、再び音楽の話に戻すなら、クラシック音楽なら西洋のコンクールで入賞することによって、ポビュラー音楽ならビルボード誌のランキングに乗ることやグラミー賞を取ることによって、「国際的」という評価を初めて受けることができたのである。国際的な映画祭や文学賞でも同じことであって、普遍的で最も進んだ西欧人の鑑賞眼だけが、優れた芸術作品を判定できるということが前提とされていた。つまり、ここでのインターナショナルとは、普遍的規範としての西洋近代を座標軸として非西洋的文化を配置するということを意味していたのである。

 だが、ポストコロニアリズムマルチカルチュラリズムはこうした単一で非歴史的なアートワールドという虚構を鋭く批判する。そして、アートワールドの複数性と可変性を主張するのだ。それは「本物のアート」「主流のアート」という西洋のアートワールドが押しつけてきた視点に反抗し、別の可能性を作り出そうとする。だが、それでは単純にアートが多元化し地域や民族の数だけのローカル相互翻訳不能なアートが出現するのかというとそうではない。なぜなら、「アート」も「アートワールド」も西洋の文化的近代のグローバル化と切り離された場所には存在し得ないからである。すなわち、美術学校や文学全集や美術館・博物館、権威のある展覧会、美術ジャーナリズム等々が── たとえ規模は小さくても── 存在しない限り「アートワールド」は存立しえないのだ。さらに言えば、こうしたアートワールドを意識したマルチカルチュラルな視点そのものが、内部に過剰な異質性を抱え込んだ西洋の巨大なアートワールドの内部から出現したものであり、それに依存する他の地域の小規模でローカルアートワールドからは到底生み出されなかったものであることも明らかである。

 したがって、このようなアートワールドの多元化は、元々西洋の現代芸術の展開の中に含まれていたものであることは確かであるように思える。

 今世紀のアートメインストリームはあえて単純化して言うならばモダニズムとアヴァンギャルディズムであった。モダニズムが「形式」にこだわり、芸術から自然の鏡像という役割をはぎ取り、自らを1つの何物にも還元されない「強度に満ちた存在」として提示しようとしたのに対して、アヴァンギャルディズムは、西洋芸術の制度的虚構性を暴き立て、それを破壊することによって新たな想像力の空間を開こうとした。

 「アートワールド」という概念は言うまでもなく、芸術をたとえば「美」のような普遍的な概念によって規定するのではなく、文化的な制度として捉える見方を示している。そして芸術を制度として捉えるという視点が正面から提起されたのは、言うまでもなくマルセル・デュシャンの「泉」以降のアヴァンギャルディズムによってであった。

 ダダイズムやシュールレアリズムにはスラブ南米を初めとする多くの周縁的な地域から集まった外国人アーティストが参加していた。また、60年代のニューヨークアヴァンギャルドにおいてもまた、アフリカ系、アジア系を含む多くの外国人、あるいは外国からの移民がその中心にいた。すでにこうした流れの中にワールドアート化の芽生えを見いだすことができるだろう。実際のところ、移民難民を初めとする20世紀における人口の大規模な移動と先進国大都市における民族集団分布の多様化は、ワールドアートの発生に欠かせない条件であったように思われる。マイノリティとしてアイデンティティや言葉を奪われ、西洋=白人=男性という支配的な視線の抑圧に晒される故郷喪失者たちこそが、現代芸術における最もラディカルな表現者だったのだ。

 この頃から現代芸術にはもはやメインストリームと見なすことのできる流れは見いだせなくなってくる。さまざまな水脈がクモの巣状に張り巡らされたデルタ地帯のような多元的な芸術状況に入り、アートワールドはますます複数で雑種的なものになった。デュシャンの「泉」が逆さまにした男性用の洋式小便器であり、そこには未だに「西洋=男性」という地理的ジェンダー的に区別された芸術の特権的主体の影が残存していたのに対して、ウォーホル以降のアートにはもはやそのような西洋的伝統のヘゲモニーは消滅している。何でもアートになりうるし、誰でもアーティストになりうるのだ。

 だが、もちろん実際には「何でもアートになる」わけではない。グローバル化されたアートワールドがその作品に場所を与えることに変わりはない。だが、「何でもアートになるうる」とは同時に「どれも部分的にしかアートではない」ことを意味している。そして、この場合のアートとはそれ自体は空虚であって、さまざまな解釈の闘争がそこに入り込んでは、別のものに矢継ぎ早に入れ替わっていくようなハイブリッドでテンポラルな場所にほかならない。ワールドアートの氾濫は西洋芸術の規範的な地位を宙づりにし、見ることの身体性の中に文化の闘争と混血を作り出す。それは必ず不純で雑種的なものを含んだものであり、複数性に貫かれ様々な方向へとはみ出していくベクトルを含んだ混血のアートなのだ。

結び

 冷戦後の世界におけるグローバリゼーションは、従来の芸術の枠組みを崩壊させつつあり、ひとつではなくさまざまなローカルな状況を包含した複数でそれぞれが異質な「ワールドアート」を氾濫させつつある。真正の本物のアートとか、主流ということを忘れれば、いわばこれはモダンアートが死んだ後にゾンビとして復活した── 雑種的で、それぞれが異質な文脈や状況をはらんだ── 多数多様な「アート」が蠢いていると言えるかもしれない。そして、皮肉なことにそれを可能にしているのは、かつては真の芸術の殿堂・礼拝所と考えられてきた美術館や画廊を初めとするアートワールドを支える制度なのだ。

 こうした状況はメディアの発展やインターネットの普及に伴う知識の提供者の量的増大と多極化の現象にも似ているように思われる。すなわち、このようなメディアは工学のエキスパートによって作られ、支えられているものだが、それを用いることによって、誰でもがこれまでは大学や研究所に所属する特権的な知識人階級に独占されてきた情報にアクセスできるようになると同時に、これまた一部の人々に独占されていた情報発信メディアも手にするようになっている。いずれの場合にも、知識の組織化と発信の機会が爆発的に増大したわけである。

 さて、こうした状況は展覧会の企画者、アーティスト、批評家や美学者といった従来のアートワールドの住人に対して何をもたらすだろうか。

 言うまでもなく、これは芸術の世界に住み着く専門家にとってははなはだ都合が悪い状況である。単に住んでいる地域や文化的伝統が違うからといって、本物のアートとはほど遠い稚拙な絵画であるとか、それどころかどう見てもガラクタとしか思えない物を展示したり、その隣に並べられたり、あるいは批評したりしなくてはならないだろう。また、実際にそうした現象も少なからず存在している。政治的マイノリティであるだけの理由でもてはやされる作品も少なくはない。

 だが、私には「本当のアート」や「主流となる時代様式」以外のものを美術の外部として排除するよりも、この状況の方が健康で気楽な状況のような気がする。つまり、単数定冠詞付きのアートを誰も信じなくなったからこそ、複数で多元的なアートが元気で面白いのだ。この状況を政治的に利用しようともくろむ人々が現れたり、にわかに現代美術アーティストになって一儲けを企てる第三世界の山師が現れたりするのは面白いではないか。むしろこのグローバル・アートワールドの有効利用をこそ前向きに考えるべきなのである。そこでの芸術はある制作物が作られる根拠としての理念ではなく、他者とのコミュニケーションを開き、思考の枠組みの変化をもたらすための、いわば「口実」としてのアート、。あるいは、出会いをもたらす劇場としてのアートと言ってもいいかもしれない。そこは、異質な言説が衝突し、共鳴し、混交し、離反する闘いのプレイグラウンドとなるだろう。そして、もちろんそこにはこれまでとは別の法則や基準が生み出されてくるに違いない。このように考えてみる時、アートの多元化はインターネットの普及がそうであるように、必ずしも嘆くべき状況とばかりは言えないだろう。従来の知識階級やアートワールドの住人にとってこれほど挑戦的なことはあるまい。文化の理論としての美学にとっても、従来の枠組みや概念が通用しなくなった時ほど面白い時代はないはずだからだ。

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