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2017-03-22

ポストモダンの到来(フレドリック・ジェイムソン) 田辺秋守


a ポストモダンの諸傾向

 アヴァンギャルドの運動は、ファシズムスターリニズムとに阻まれ挫折した(もっとも、ダリなどを典型として自ら進んで伝統的慣習へ復帰した者も多いが)。その後に起こったことはモダニズムの衝撃が薄まり、モダニズムの作品自体が戦後社会に受け入れられ、商品社会のなかに拡散していったことである。『ユリシーズ』は大学の講義内容のうちに加わり、『ゴドーを侍ちながら』は一般に上演されるようになり、シェーンベルクの曲はコンサート・ホールで普通に演奏され、シュルレアリスムは回顧展の対象となった。モダニズムは確実に老化し、制度化した。戦後社会にとってはモダニズムのエリート主義的な抵抗とアヴァンギャルドの戦闘的な挑発の違いは、ほとんど濃淡の違いでしかないように見えてくる。アヴァンギャルドが叛旗をひるがえした市民社会の秩序が急速に変貌を遂げたのである。もはやそれはボードレールが敵意を抱き、唯美主義者が距離を取ろうとし、アヴァンギャルドが廃棄しようとした単なる功利性と目的合理性の社会ではない。もっとも大きな変化は資本主義の質的な変化であ右。先進社会の資本主義が消費資本主義の傾向を強めるにしたがって、社会も「倒錯的な美学化」(イーグルトン)をこうむることになる。また、アドルノ亡命アメリカで目にしか「文化産業」*1という、文化の資本への収奪が戦後社会のなかでいよいよ本格化する。その社会の特徴としては、高度情報化、技術崇拝、様式と表層の物神化、快楽主義、大衆の非政治化といったことが挙げられる(Eagleton 1990 p.373/515頁)。そして70年代以降その傾向を一層強めるなかで人々は「ポストモダン」という時代の到来を感ずるようになる。これをまず、モダニズムという美学概念との関連で考えるとどういうことになるだろうか。美学的な規定としてのポストモダン、つまり[ポストモダニズム](postmodernism)とはどのようなものか。

 まず様式上の特徴としては、一見モダニズム以前の諸傾向に回帰しているという面が顕著である。絵画における具象性の復帰、文学における物語の伝統的な話法への回帰。音楽における調性の重視。また建築に見られるモダニズムの国際様式への反発、そこから生ずる地域性の重視、そしてなかんずく歴史的な諦様式の混淆。まさにポストモダン建築典型的に示しているように、ポストモダニズムの最大の特徴とは、その「折衷主義」にある。原則的にすべての様式共存可能であり、すべての様式、すべての時代、すべての地域が「差異への権利」(Ferry 1990 p.317/344頁)をもっているのである。そして最後に、ポストモダンのあらゆる分野で見られるのは、モダニズムが拠り所としていた高級文化と大衆文化との区別が完全に、解消されていることである。これらはいわばポストモダニズムの表層をなぞっただけだが、このような表層は社会の深層の何らかの変化と対応しているのだろうか。

ポストモダンの社会の深層ではいったい何か進行しているのか。


b パスティシュの手法

 フレドリック・ジェイムソン(1934-)はアメリカでいちはやくこの問題に取り組んだ代表的論者である。けだしポストモダンの諸特徴がもっとも顕著に現れたのはアメリカであった。ジェイムソンは「ポストモダニズム消費社会」(1983)*2のなかで、まず、偉大なモダニズムが衰退するにつれ、芸術家たちがその袋小路からどんな逃げ道を捜し求めたかを分析する。すでに半ば伝統と化したモダニズムの重圧は重くのしかかり、〈新しさ〉はどこにも求めようがない。なぜなら「新しいスタイルや新しい世界はもうすでに発明されてしまった。ご’く限られた組み合わせだけが可能であり、その中でももっともユニークないくつかの組み今わせは、すでに考え出されてしまった」(Jameson 1983 0.115/208頁)からである。スタイルの革新がもはや不可能になったところで得られた解決は、意識的に過去を再生させる手法の発見だった。芸術家や作家、建築家は一様に、前の世代のあらゆる様式パロディ化しつつ再生させるという課題に直面する。ここにポストモダンに常套的な手法であるパスティシュ(pastiche)が登場する。パスティシュがパロディと違うところは、引用の対象になる規範的な作品や人物に対する距離の取り方である。パスティシュの態度にはパロディがもつような諧謔的な風刺や嘲笑、痛烈な批判は見当たらない。パスティシュは中立的にあるいは単なる愛好からオリジナルなスタイルを模倣するのである。ここには自ずと遊びと偏愛と批評性がないまぜになったシニカルな態度が生まれる。パスティシュの独特な実践現代文学現代音楽のようなどちらかというと高級文化寄りのジャンルよりも、大衆文化ジャンルにこそ頻繁に見られる(とはいえウンベルト・エーコの小説やマイケル・ナイマンの音楽には一目でそれとわかるパスティシュが存在する)ジェイムソンが頻繁に引き合いに出すのは映画である。様式上の混淆や引用、リメイクによる換骨奪胎、ジャンルの横断は、映画史をみれば一目瞭然である。そもそも映画という芸術メディア自体が、モンタージュという根本的な技法抜きには成立しない。ところで、モンタージュやパスティシュのようなポストモダンに多用される于法は、実はすべてモダニズムのなかに存在していた。 しかしモダニズムにおいては二次的で周禄に位置したものが、ことごとく文化生産の中心となっているところに、ジェイムソンは時代の「新しさ」を見るのである。

 

C「歴史の終わり」の意識

 時代的な断絶とは、ある時代の内容が完全に変化してしまうからではなく、むしろ既存の諸要素のいくつかが再編成されることによって生ずる(この説明自体が革新ではなく漸進性を重んずる点でポストモダン的である。またこれはフーコーが用いる歴史的な説明にも近い。本書第4章参照)。 しかし、ここから引き出される美学的な結論はかなり重大なものである。ポストモダンがあきらかにするのは「芸術ならびに美的なものは必ず失敗し、新しさは成功せず、過去に幽閉されるということである」(ibid. p. 116/208頁)。つまり〈新しさ〉というカテゴリーが失われたのである。ここにポストモダンは公然と歴史感覚を放棄しようとしていることがあきらかとなる。少なくともボードレールの現在性への情熱には、過去の伝統と現代性との解決しがたい矛盾の意識があった。またアヴァンギャルドには顕著な革新の意識と「未来信仰」(コンパニョン)があった。ところが、ポストモダンにはそうしたことを気にするそぶりはまったくない。ポストモダンは「歴史の終わり」の意識をもたらす。ジェイムソンは、90年代に書いた『時間の種子』(1994)ではアレクサンドル・コジェーヴの名前を挙げて、「歴史の終わり」という概念が、いかにポストモダニズムにとって本質的な特徴であるかを再説している。

 したがって、今、われわれが感じはじめていること── そしてポストモダンそのもののより深層の、より根本的な体制として、少なくとも時間の次元において現れはじめていること── は、すべてが、ファッションやメデイアによるイメージの絶え間ない変化を甘受している一方で、もうこれ以上何も変わりえないということである。これがアレクサンドル・コジェーヴヘーゲルマルクスに見出すことができたと考えた[歴史の終わり]、すなわちアメリカ資本主義でもソビエト共産主義でも、ある意味での民主的平等(個々の経済的・法的主体の価値的等価性)が最終的に成就されたことを言うために使った[歴史の終わり]という言葉が復活したことの意味である。その重要な変種を、コジェーヴが日本の「スノビズム*3と呼んだもののなかに認めるのは後になってであるが、われわれは今日、それをポストモダンそのもの(内容や実質のない、仮面や役割の自由な演技)と同定することができるのである(Jameson 1994 p.!アf./37頁以下)。

 ポストモダンのこのような特徴は、現在の社会が自分自身の過去を保持する能力を失い始め、「永遠の現在」、現在の「恒久的な変化」に人々が順応できるようになったことと密接に関連している。これはおもに速度を増してゆくメディアの情報機能が、歴史の記憶にではなく、忘却の方に多く加担しているからである。したがってジェイムソンが指摘するポストモダニズムの二つの特徴は(I)現実をイメージへと変容させること、および(2)時間を永続的な現在の連鎖へと断片化することである。これは決して新しい発見ではない。別の’いい方では「メディア社会」といったり、「スペクタクル社会」といったりするものと重なる特質である。


d 消費資本主義の論理としてのポストモダン

 ただし、ジェイムソン論点を多少なりとも説得力のあるものとしているのは、ポストモダニズムの出現を現代の資本主義の特有な形態と結びつけている点である。モダニズム自由主義的な資本主義に次いで、だいたい資本主義の第二段階、帝国主義的段階(あるいは独占段階)に対応し、体制化された中産階級の秩序にとっては、危険で破壊的な要素をはらんでいたのに対して、ポストモダニズムの出現は、資本主義の第三段階、「消費資本主義」(consumer capitalism)あるいは「多国籍資本主義」(multinational capitalism)という新しい契機の出現と密接に結びついている。そして、ポストモダニズムの形式的特徴は、この独特の社会システムの「深層の論理」(ibid. p. 125/229百)を反映し、強化さえしているとジェイムソンは見るのだ。この現行社会との親和的な関係は盛期モダニズムには想像すらできなかったものである。ポストモダンは社会のもっとも強力なシステムと親和的な関係にあるのだから、現代社会のあらゆる場面に浸透するのは当然である(ジェイムソンは現代の広告とポストモダニズムはほとんど同しものと見ている)。ポストモダニズムが、モダニズムの転覆的で批判的な側面を放棄していることはあきらかだが、ジェイムソンポストモダニズムのなかに消費資本主義の論理に抵抗するような側面があるのかどうか自問し、今日にいたるまでその抵抗の論理を模索している。

*1アドルノホルクハイマーとの共著『啓蒙の弁証法』以来、「文化産業」を「大衆文化」と対立させて考えていた。「われわれは大衆文化という表現を〈文化産業〉によって置き換えることにした。主題となっている事柄の弁護者にとって好ましい解釈をあらかじめ閉め出すためである。すなわち、問題となっているのは、自然に大衆自身の中から生まれた文化とか、民衆芸術の現代的形態といったものではない。文化産業はそのようなものとは最も厳しく区別される。それは古くから慣れ親しんできたものをつなぎ合わせて新しい質のものとする。どんな部門であろうと、生産されたものは多かれ少なかれ計画にしたがって製作されたものである。それらは大衆による消費に応じてこま切れにされており、この消費の大部分を自ら規定している」(Adorno 1963p.337)。

*2:この論文1982年のホイットニー美術館での講演がもとになっている。その後新たに改稿するたびに分量を増し、最後には大著『ポストモダニズム、あるいは後期資本主義の文化の論理』(1991)(未邦訳)の第一章に変容している。

*3:アレクサンドル・コジェーヴは、1933年から1939年にいたるフランス「高等研究院」での講義録『へ−ゲル読解入門』の第2版(1962)の長大な注のなかで次のように記している。[おそらく、日本にはもはや語の「ヨーロッパ的」あるいは「歴史的」な意味での宗教道徳も政洽もないであろう。だが、生のままのスノビズムがそこでは「自然的」あるいは「動物的」な所与を否定する規律を創り出していた。これは、その効力において、日本や他の国において「歴史的」行動から生まれたそれ、すなわち戦争と'革命の闘争や強制労働から生まれた規律をはるかに凌駕していた。なるほど、能楽茶道などの日本特有のスノビズムの頂点は上層富裕階層の専有物だったし今もなおそうである.だが、執拗な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値に基づき.現に生きている。「……」ところで、どのような動物もスノッブではありえない以上、「日本化された」ポスト歴史の後の時代はどれも特有な仕方で人間的であろう。」(Koiev 1947=1962 p.435/247 頁)。なお、コジェーヴ哲学的な意図についての簡潔な解説は、Dcscombes (1979)の「歴史の終末」の節を参照のこと。また、コジェーヴの「歴史の終わり」を社会主義に対するリベラル民主主義の最終的な勝利に読みかえたフランシス・フクヤマの『歴史の終わりと最後の人間』〔邦訳『 歴史の終わり』〕(1992)を参照のこと。

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