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2018-02-04

モダニズムと形式からの後退 マーティン・ジェイ


 美的モダニズムの歴史は往々にして、内容に対する形式の勝利、芸術作品の外部にある何かの表象もしくは表現に対する自己言及性の神格化として描かれてきた*1モダニズムに対する批判的言説は、ロジャー・フライやクライヴ・ベルやロシア・フォルマリストたちのようにモダ二ズムを肯定的に受け止めるにせよ、また大部分のマルクス主義批評家たちのようにそうでないにせよ、いずれももっぱら形式の問題にかかわってきた。周知のように、後者にとって「形式主義者」という用語は濫用するのにもってこいの言葉で。ジェルジ・ルカーチベルトルト・ブレヒトのように対立し合う者同士が、巧みにでっちあげ互いになすりつけ合うための言葉になった*2。さらに、少なくともジンメルにまで遡る議論として、近代生活全般の形式的抽象化美的モダニズムとのあいだにあると考えられるつながりについても、同様に白熱した議論が戦わされてきた。要するに、近代性とは内容からの形式の差異化そのものであり、さらには、意味と価値との特権的なありかとしての自己充足的形式の物神化とほとんど変わるところがない、としばしば考えられてきたのである。

 以下で私は通説化したこの考え方を覆すというよりも、むしろ美的モダニズムにおける副次的傾向とでも呼びうるものの軌跡を追うことで、この考え方に疑問を投げかけてみたいと思う。その副次的傾向とは、形式の神格化や純化に挑戦してきたものにほかならない。すなわち、私が探ってみたいのは、モダンアートにおける強力な反形式主義的衝動と呼ばれうるものである。その衝動の代表としては、ジョルジュ・バタイユによる〈無形( informe )〉の熱烈な擁護*3をあげておくのがもっともふさわしいだろう。私はまたそれを探ることで、一方のモダニズム、すなわち形式の覇権争いと、他方の、私が別の場所で視覚中心主義の危機と呼んだもの、すなわち、とりわけ20世紀フランス思想で沸き起こった視覚に対する誹誘中傷とのあいだの、入り組んだ関係についていくつかの考察を加えたいと思う*4

 〈無形〉という暗い迷路のような土地に足を踏み入れる前に、少し立ち止まって、形式という概念について、あるいはむしろ、形式に関する様々な概念について見ておこう。というのも、〈無形〉という概念はそれらの形式概念に対して意図的に対置されたものだからである。ここでは形式という用語にまつにれる多様な意味をその全域にわたって調べてみることはできないが、美学の歴史において強力なインパクトを持ってきた五つの異なった意味を思い起こしておくことが有益だろう*5。第一に、形式は異なった部分や要素の構成上の配列ないし秩序であると見なされてきた。例えば絵画における形状や。旋律における音符の配置がそれである。この意味では、よい形式とは一般に、プロポーション、ハーモニー、それに構成部分間の比を意味している。第二に、形式は感覚に直接りえられるものを意味し、形式によってもたらされる内容と対立させられてきた。例えば詩の場合、形式とはそれが実質的に意味しているものではなく、むしろそれが音としてどのように響くかにある。この意味での形式的価値とは感覚的な喜びを意味し、言い換えうる意味の核に対立する。第三に、形式は対象の輪郭や形状を意味し、対象の重さや肌理や色に対立するものとされた。この意味では通常、明晰さと優雅さが最高の賞賛を受けることになる。第四に、形式は、プラトンイデアと呼び、アリストテレスがエンテレケイアと呼んだもの。すなわち、事物の単なる現れではなく、むしろそのもっとも根本的な本質と同義であった。ここでは、形式的価値は形而上学的意味を担っており、日常的な知覚でとらえられるありきたりの真理よりも、より高い真理の啓示を示唆している。第五として最後に、形式は、感覚経験の世界に構造を押しつける精神の構成的能力を意味してきた。この形式観念の典拠( locus classicus )はカントの第一批判であり、そこでは、人間知性にはアプリオリな認知的カテゴリーがあるとされる。カント自身は認知的カテゴリーに比しうる超越論的カテゴリー美的判断には与えなかったが、コンラート・フィードラー、アロイス・リーグル、ハインリヒ・ヴェルフリンのような後の批評家たちは、認識論的経験と同様に美的経験をも支配している並‥遍的な形式的諸規則を探し求めた。

 その時々によって力点は異なるが、モダニズムにおける形式の神格化はこれらすべての意味に関係してきた。例えば、アドルフ・ロースル・コルビュジエ、そしてバウハウス建築における装飾に対する誹誘中傷が意味していたのは、構成部分の一部を切り離してそれを崇めたてるよりも、構造的なプロポーションや比といった全体のほうが優っている、ということであった。同様に、〈雄弁をとらえ、縦り殺せ〉というヴェルレーヌの有名な詩句に典型的に表現されているような詩の音楽的響きの強調は、媒介された内容に対する感覚的直接性としての形式の神格化を示すものであった。同様にモンドリアンマレーヴィチ抽象絵画における線と形態との自律化は、肌理や色に対する輪郭の勝利を示すとともに、言うまでもなく模倣的・物語的・挿話的な対象指示よりも輪郭が優っていることを示すものでもあった。カンディンスキーのような画家の場合には、抽象的形式の解放が、実体形相というプラトンアリストテレス形而上学的観念を喚起させる宗教的本質主義の名において擁護された。そして最後に、あげるに事欠かないほど多くのモダニズム芸術家たちが、自らの外部にあるカオスに対して、またおそらくは内部にもある力オスに対して、意図的に形式を押しつけるものとして自分たちの作品を特徴づけてきた。

 とはいえ、形式という意味の多くないしすべてにおいて、モダニズムの大部分が形式の異常な肥大化として解釈されうるとしても、モダンアートにはその初めからそれに逆らう対抗衝動があった。つまりそこには、モダニズム美学全体を特徴づける差異化と純化との奨励に対する拒否があったのである。しかし重要なのは、この抵抗が、内容、主題、要素といった典型的な形式の反意語の名においてなされたのではない、ということである。この抵抗は、ルカーチのようなマルクス主義者が熱心に求めた、自己言及性に対する唯物論的解毒剤を提供するものではなかった。むしろ、この抵抗があえて自身を定義しようとしたならば、変形や、あるいはもっと徹底的に、無形性( formlessness )といった否定的な言葉で自身を定義するのを好んだであろう。それは理想的な形式美を特権化する代わりに、低劣さや無知に価値を与えようとした。純粋さと明晰さの代わりに、不純さと曖昧さを好んだ。

 ここにはもちろん、美学概念としてのグロテスクの歴史が証示しているように、いくつかの先駆形態があった*6。しかし、形式に背いたモダニズムの転回に特別な力を授けているものは、その転回が、視覚優位に対する批判、すなわち、そのもっともギリシャ的傾向における西洋的伝統の視覚中心的偏向に対する大がかりな批判とつながっていることである。もちろん、ラテン語の forma が、ともに視覚を表す言葉から派生した語であるギリシャ語の morphe と eidos の訳語に当てられたということが認知されて以来、形式と視覚とのつながりは再三にわたって強調されてきた。例えばジャック・デリダは、フッサールにおける形式と意味を批判して次のように言っている。「形式概念の形而上学的支配は、視覚へのある種の従属をおのずともたらす。〈感覚意味〉一般はあらゆる現象学的領野の概念そのものなのだから、この従属は常に視覚への〈感覚=意味〉の従属であり、視−〈感覚=意味〉に対する〈感覚=意味〉の従属であった*7」。さらにまた、言語学的観念としての形式でさえ、視覚のある特権化を含意している。アメリカディコンストラクション主義者デイヴィド・キャロルによれば、ジャン・リカルドゥーとロシア・フォルマリストたちの構造主義は、「小説の形式の定義において、言語的働きの可視性を強調している。形式は小説のなかで働いている言語の視覚的働きによって構成される──それはあらゆる枠組みの枠組みなのである*8」。

 形式と視覚優位とのつながりがもっとも明らかなのは、形式という語が輪郭の明晰さや光輝く現れを意味する場合である。とはいえ、このつながりはまた、先にあげた形式の他の意味の背後にも潜んでいる。例えば、形式を離散的な要素間のプロポーションと同一視することは。しばしば、対称的な釣合いに関する視覚経験と結びついている。また、形式が本質的真理を意味するという信念は、イデアが「精神の眼」のなかにあるというプラトンの主張と結びついている。形式はもちろんソナタやシンフォニーのような聴覚的な時間的現象に適応されうるとはいえ、秩序づけられた規則性を持つ静態的で同時的な領野を遠方から記録する眼の能力は、眼が形式についてのわれわれの経験の第一の源であることを意味しているのである*9

 もしそうならば、形式主義を特権化した美的モダニズムもまた、眼の支配を好む傾向があると予想されるだろう。この予想が間違っていないことを、アメリカの芸術批評家クレメントーグリーンバーグに代表される有力な批評学派が証明している。というのも、グリーンバークは、モダニズムの視覚芸術、さらには彫刻を決定づける特徴として、光学的なものの「純粋さ」について熱を込めて語っていたからである*10文学に関してはこう言えるだろう。近代文学は、レッシングが設けた無時間的な芸術と時間的な芸術との区別をなくそうとしたが、近代文学におけるそうした空間的形式の考え方に対するジョーゼフ・フランクの有名な擁護のうちには、グリーンバーグたちと同じ衝動を見ることができる、と*11。そして同様に思い起こしておくべきこととして、ロシア・フォルマリズム的批評が抱いた希望の一つは、ジェイムソンが指摘しているように、まさに「知覚の刷新、新たな光のうちで、前代未聞の仕方で突然に世界を見ること*12」だったのである。

 支配的傾向に関するこうした特徴づけがどれほど妥当であるとしても、また、それはけっして的はずれなものではなかったのだが、こうした特徴づけでは無形性という副次的伝統を十分に評価することはできない。その副次的伝統もまた、モダニズムの展開のうちに位置を占めるものとして認められるべきである。無形性へのこの衝動が登場してくる一つの道筋は、モダニズム美学の初期の展開における、いわゆるプリミティヴ・アートの役割のうちに見出すことができる。プリミティヴ・アートは、それの持つ抽象的な形式的特性が再認識されたために高い地位が与えられるのだ、とたいていは説明される*13。実際、ヴィルヘルム・ヴォリンガー、ロジャー・フライ、レオ・フロベニウスのような批評家たちは、プリミティヴな工芸品のなかにリーグル的意味での普遍的な「形式への意志」を発見したのであり、まさにその発見によって、それら工芸品は美学的に価値あるものの領域へ高められることになったのである。

 しかしながらこうした動きには、これらの作品をコンテクストから切り離してしまうという代償が伴い、文化的実践の対象としての民俗誌的価値をこれらの作品からすっかり奪ってしまうことになった。同様に、後の西洋帝国主義コンテクストにおいて、これらの作品がイデオロギー的に流用されたことも一般には忘れられてしまった*14。そして、それらの純粋に形式的な性質が、コンテクストないし起源と、その受容とのもつれ合いから差異化され、普遍的美学と考えられるものの実例の地位に高められることになった。こうしてそれらの形式的性質は、そのコンテクスト的不純さにまるで無関心だったモダニズム形式主義インスピレーションを与えることができたのである。

 批評家たちの仕事によって、われわれがモダンアートの起源におけるプリミティヴィズムの両義的な役割に気づくようになったのは、ごく最近のことである。とはいえ、彼らの批判は、われわれがモダニズムの無形性と呼んだ対抗潮流のうちですでに先取りされていた。特にその批判は、フランスシュールレアリストたちが異国趣味をまったく異なった仕方で流用したことのうちにすでに伏在していた。彼らは、美学的意義において価値のある諸対象が、同時に民俗誌的な次元を持っていることをけっして見逃しはしなかった*15。雑誌『ドキュマン』の周囲に集まった人たちは、工芸品の聖的、儀式的、神話的機能を強調することを忘れなかった。彼らはそうした考えを、デュルケムやモースを読むことによって、またアルフレッド・メトローのようなフィールドワー力ーたちとの交流から吸収したのである。

 彼らのなかでもっとも中心的な位置を占めていたのは、ジョルジュ・バタイユである。彼はプリミティヴな文化の聖的局面への関心を、ニーチェサドに由来するディオニュソス的な狂乱と暴力的性についての評価と結びつけ、侵犯、異質性、過剰、浪費といった諸価値を断固として擁護するにいたった。バタイユによれば、侵犯されるべき価値の最たるものは、あらゆる偽装をまとって現れる〈形式〉の物神崇拝であった。1929年バタイユが「ドキュマン」の「批判的辞典」にはじめて〈無形〉という言葉を登場させたとき、彼はそこでこう主張した。すなわち、辞書は語に固定した意味を与えるのをやめ、それに代えて語の無制限な働きを示唆するときに真に始まるのである、と。彼は続ける。「かくして、無形的とは、単に所与の意味を持つ形容詞であるだけでなく、各事物に形式を持つよう全般的に命じることによって、それらの事物を世界のなかにおいておとしめるのに役立つ言葉なのである。この語が指し示すものはいかなる意味においても権利を持たず、蜘蛛やみみずのように、至るところで踏みつけにされるのである*16」。通常の哲学者たちはすべてのものに固有の形式を割り当て、世界を常にカテゴリーという拘束衣に押し込めようとするが、その際に、事実確認的な意味と行為遂行的な機能との葛藤を忘れてしまう傾向がある。バタイユはこう結論する。「宇宙は何ものにも似ておらず、ただ無形であると認めることは、つまるところ、宇宙が蜘蛛や唾液のような何かであると言うことに等しい*17」。このように乱暴に何かを「言うこと」は、それ自身の真理を主張することではなく、世界を形式的真理に還元しようとする主張すべてを攻撃することなのである。

 バタイユが問題とした概念的・美学的形式の支配は、彼によれば、明らかに西洋形而上学の視覚中心的偏向と結びつくものであった*18。彼は太陽の照明に関する二つの伝統を区別する。第一の伝統は、本質的真理に光を投げかける、理性と秩序という上昇させるプラトン的太陽であり、第二の伝統は、あまりにも直接にそれを見たときには視覚を破壊してしまうまばゆく輝く太陽である。彼の主張によれば、イカロス神話は並はずれた説得力を持ってこの二元性を表現したのであった。「それは太陽を真っ二つに裂く── 一つはイカロスの上昇の瞬間に輝いていた太陽であり、もう一つは、イカロスが近づきすぎたとき、蠟を溶かし、絶叫とともにイカロスの失墜を招いた太陽である*19」。伝統的絵画が理想的形式に向かうプラトン的探求を反映していたのに対し、近代絵画はピカソファンゴッホにもっとも明らかなように、それとはひどく異なった目標を持っていた。「アカデミックな絵画は、多かれ少なかれ、精神の── 度を越すことのない── 上昇に対応していた。しかし現代絵画においては、上昇を断絶させる最たるものの探求、そしてまばゆい輝きの探求が、形式の仕上げ、あるいは解体に関与しているのである*20」。

 伝統的形而上学マルクス弁証法に見られる唯物論とは非常に異なっているものの、形式を解体しようというバタイユの願望は、唯物論に対する彼の肯定的態度にも表れていた*21。彼の唯物論は、対象( object )の唯物論というよりも、打ち捨てられたもの( abject )の唯物論であった。ロザリンド・クラウスが指摘しているように、「〈無形〉とは、変質が生み出すもの。つまり、意味や価値の還元を指し示しているが、変質がそれを生み出すのは、矛盾── それは弁証法的なものだろう── によってではなく、腐敗によってなのである。その語を取り巻く諸限界に穴を開けること、死体の同一性への還元──それは侵犯的なのである*22」。バタイユは、物質を精神や心の代理となる肯定的なものに変えてしまうことを拒否し、代わりに、グノーシスによる原初の闇の評価のうちに働いていると彼が見る低落の原理に物質を結びつけた*23。その結果、いわばシラーがより高次の総合を生み出すために「遊戯衝動」という概念を提起することで希望したような、物質と形式との媒介は不可能となった。〈無形〉の唯物論は、そうしたいかなる上昇的衝動にも抵抗したのである。

 同様に、形式の高貴さに対する物質の低劣さは、バタイユによって、冷たい精神的眼を賞賛することによって抑圧されていた身体の回復に結びつけられた。しかしながら、彼がもっとも価値あるものとしたのは、グロテスクな、手足をもぎ取られた無頭の身体、境界を侵された穴だらけの身体であった。身体の排泄物は、通常、汚いものや淫らなものとして隠され卑しめられるが、バタイユにとっては、それはプリミティヴな宗教で行われる聖なる過剰、エクスタシー的消費( expenditure )の経験にもっとも近いものであった。そこには要素間の均衡のとれたプロポーションも、暴力的な苦痛によって汚されない官能的な快楽も、くっきりと引かれた輪郭も、前方を照し出す本質的観念の啓示もない。反対に形式美は、彼がその派手な富の蕩尽を称え上げたアメリカインディアンポトラッチ儀礼の炎のような、象徴的な大火災の炎に焼き尽くされることになったのである*24

 またバタイユの理論のなかには、構成的主観が世界のカオスに構造を押しつけるというカント的意味での形式もまるでなかった。彼独特の主権〔至高性〕概念は、同質的な代理者の意志による制御の喪失を意味し、代わりに、その統合性を作裂させる異質な諸力への服従を意味した*25。彼が求めた「無頭の」共同体は、個人であれ集団であれ、主観性のエクスタシー的犠牲に基づいているのであって、意識的な選択行為に基づいたものではなかった*26。それはまた、政治的自由という不毛で活力のないシミュラークルを生み出すにすぎない単なる形式的民主主義には対立するものでもあった。

 さらに、バタイユ自身の著作は、主観による形式の押しつけに対して断固たる抵抗を示すものとしても読むことができる。ドゥニ・オリエは次のように主張している。「おそらくバタイユの作品は、形式の誘惑に対する拒絶において最大の強みを発揮する。この拒絶は、彼の作品が『完結したもの』であることを予め不可能にする禁止であり、彼の本が単なる本であることを不可能にし、彼の死が彼の言葉をとだえさせてしまうことを不可能にする禁止なのである。侵犯とは形式の侵犯であり……、言説が自身を立ち止まらせ、自身の上に固着し、自身の目的を産出しわがものにすることによって自身を完了させようとする誘惑の侵犯なのである。バタイユの著作は、反言説的である(果てしなく自身を変形し、変装し、果てしなく自身から形式を奪い去る)*27」。

 バタイユの形式批判から別の例をあげ、それを西洋文化の視覚中心的偏向に対する彼の同様に厳しい攻撃に結びつけることは容易だろう。しかしながら、もっと重要なのは、他の重要なモダ二ストたちのなかにバタイユと同様の傾向を持つ人物がいたことを明確にしておくことである。そのための手段をわれわれに提供してくれたのは、バタイユの〈無形〉擁護を評価するいく人かの最近の批評家たちである。例えば、クリスティン・ロスは、ランボーパリ・コミューンに関する1988年の研究で、彼の詩に見られる階級の性格を検討し、それを、ランボーが高踏派詩人たちの模倣的な眼への依存をきっぱりとはねつけ、諸感覚の攪乱への有名な呼びかけを行ったことに結びつけた。彼女の読み方によると、ランボーにあっては、「資本主義的発展が人間的な普通の知覚として定義する(限界を設けるという意味で)ものに対抗して、すぐさまグロテスクで、高慢で、異常で、超人間的な知覚が唱道されるのである*28」。彼の詩に予示される空間は、幾何学的に秩序づけられた空間や透明な明るい空問、つまり党や官僚組織のような形式的集団化によってまとめあげられた人々の空間ではない。そうではなく、それは視覚空間というよりは、むしろより触覚的な空間であり不規則な領野であって、そこを通してエネルギーと力が、視覚的に認知しうる構造のうちに癒合することなく奔流していく領野なのである。

 ランボーの階級観念を表すためにロスが選んだのは「群れ」という言葉である*29。彼女はこの言葉を、訓練されたプロレタリアートという、より伝統的な観念と積極的に対比させている。伝統的な観念のほうが表現しているのは、前衛党の指導に従ういわゆる成熟した階級意識にほかならない。彼女は言う。「もし、『成熟した』階級意識が、党や国家のような系列的集団化という性質を帯びるとすれば、ランボーの群れの運動は、それよりもはるかに〈無形〉の運動に近いものである(「詩人は、形なきものにはその形なさを与える」)。すなわちその運動とは、集団の自発的な、沸騰する要素なのである*30」。詩人を見者の役割へと高めるという有名な言葉にもかかわらず、ランボー自身の作品は、精神の眼に対して性的身体の重要性を強調し、日常生活からの詩的形式の差異化に抵抗するものであった。ランボーは。自らがブルジョア的形成を通して社会化されることを拒んだのと同様に、芸術のための芸術を美的形式のうちへ社会化することも退けた。したがって、危険に生きるために詩を完全に放棄するという彼の有名な決意は、すでに詩そのものにおいて先取りされていたのであり、ロスはそれを、マラルメが純粋な語を物神化したことに表れているような、生活を拒否した審美主義に対するアンチテーゼとして解釈している。

 同様に、大戦間にシュールレアリストたちによって行われた写真における注目すべき実験は、形式的純粋さに対するモダニズム的転回を典型的に示すものであった。これは最近になって、ロザリンド・クラウスによってバタイユとの関連で解釈されている。彼女はジャック=アンドレ・ボワッファール、ブラッサイマン・レイのような写真家たちを研究し、彼らの作品に痕跡を残しているのがアンドレ・ブルトンの考えというよりは、むしろバタイユの考えであることを発見した。彼女は言う。「シュールレアリズムの写真家たちは〈無形〉の巨匠たちであった。〈無形〉は、マン・レイが見たように、身体の単純な同転と、その結果生じる方向攪乱によって生み出されうるものであった*31」。彼女によれば、マッソンやダリのようなシュールレアリズムの画家たちでさえバタイユに負うところがあった。「ダリは特殊な歪んだスピンという言葉とともに、〈無形〉という言葉をブルトンにではく、バタイユに負っているのである*32」。

 クラウスによれば、エドワード・ウェストンやジョン・シャーコフスキーのようないわゆる「ストレート・フォトグラフィー」の代表的人物に典型的に見られるように、支配的モダニズムは厳密に形式主義的観点から写真の美学的身分を擁護したが、シュールレアリズムが純粋なイメージのなかヘテクスト的で時間的な中断を導入したことによって、その擁護は挑戦にさらされることになった。彼女は言う。「ウェストンとストレート・フォトグラフィーが主張する権威とは、その本性上、明確に焦点を絞られたイメージに根拠を置くものである。それは、観察者が見るものに統一された形態を与え、他方、観察者自身を統一された主体として見出す全体性を与えようとする決意なのである。現実のなかに深く分け入ることができる視覚を備えた主体、写真という代理物を通して現実を支配しているという幻影を与えられた主体は、カテゴリーをかき消し、代わりに物神崇拝、〈無形〉、不可解さをもたらす写真を耐えがたいものと見なすように思われる*33」。

 純粋な視覚的形式の正体を暴こうとする別のモダ二ズム的伝統から、さらにもう一つの例をあげよう。それは、崇高の美学の受容のうちに見ることができる・崇高はしばしば、ハイ・モダニズムよりもロマン主義ポストモダニズムにより近いものとされるが、崇高の重要性を次のように賞賛しているのは、ほかならぬシャン=フランソワ・リオタールその人である。「モダンアート文学も含めて)がその起動力を見出し、アヴァンギャルドの論理がその公理を見出すのは、まさに崇高の美学においてである*34」。彼によると、マレーヴィチからバーネットーニューマンにいたる画家たちは、バークやカント、そして他の崇高の理論家たちが、現前しえないものを現前させようとする衝動、刻み込まれた像に対するヘブライ的禁令への忠誠を強調したときに言わんとしていたことを、例示しているのである*35。リオタールは言う。「考えることはできるが、見ることも見えるようにすることもできない何かがあるということを、見えるようにすること。このことが近代絵画において問題となっていることなのである。しかし、見ることができない何かがあるということを、どうやって見えるようにするのか。その方法は、カントが「無形性、形式の不在」を現前しえないものの可能な指標としてあげる際に、彼自身が示してくれている*36」。リオタールが好むポストモダニズムに対して、モダニズムは現前しうる形式になおも郷愁を抱きつづける。にもかかわらず、彼にとってモダニズムとは、芸術が形式美の明晰さと純粋さを壊しうる方法を例示するものなのである。モダニズムはそうすることで、形態的表象と言説的表象双方の穏やかさを装う表面を通して作裂する、混乱したりビドー的欲望の働きを暴き出す。

 モダニズムにおける形式からの後退の最後の例は、音楽のうちに見ることができる。シェーンベルクによる無調音楽とシュプレヒシュティンメ( Sprechstimme )の大胆な実験は、単なる伝統的諸価値への挑戦ではなかった。いわゆる音楽上の〈無形〉の最も極端な例は、おそらく騒音音楽( bruitismo )の創始者の一人ルイジ・ルッソロのような未来派作家のうちに見ることかできるだろう*37。そこでは騒音、しばしば近代テクノロジーのきしむ音に満ちた世界のあの騒音が、明確に楽音よりも重視された。いかなる音高も聞き分けられない音響現象が、伝統的な音階に則り、目に見えるかたちで譜面に書き写すことのできた音響現象に取って代わった。未来派の作曲は、その成果としては比較的に慎ましいものであったが、近代音楽のなかに騒音を注入しようとする傾向は。イゴールストラヴィンスキーの『兵士の物語』(1918年)やエドガー・ヴァレーズの『イオニザシオン』(1931年)のような作品に、しだいに明確なかたちをとって現れてきた。そこではシェーンベルクベルクのいわゆる「音色旋律」( Klangfarben )においてそうであったように、音色とコロルが、音高に通常与えられていた役割を奪ってしまった。コロルの新たな重要性は、その語が音楽用語としてどんなに比喩的であるにしても、われわれが論じてきた他の諸現象とのある一致を示している。というのも、それは一般に視覚的形式に対置されてきたからである。

 モダニズム芸術のうちにある〈無形〉を再評価しようという動きは、ほかにもベルやフライやグリーンバーグたちの伝統的な考え方がしだいに激しい攻撃を受けるようになってきたことのうちに見てとることができるだろう*38。しかしいま行うべきことは、この新しい評価の含意をもっとくわしく調べてみることである。われわれは出発点として、モダニズムを内容や素材等からの形式の抽象として捉えたが、その抽象は様々な装いのもとに現れるものであった。けれども次に、われわれは、モダニズムをそこにおいて反対の衝動もまた働いている戦いの領野としてとらえた。そこでこう問おう。そこで問題となっているのは何なのか、と。少なくとも、モダ二ズム芸術のうちにある一つの重要な対抗潮流として無形性の重要性を認識することで、いったい何が得られたのか。

 まず第一に明確にしておかなくてはならないのは。〈無形〉とは単に形式の否定を意味するのではない、ということである。〈無形〉とは、形式をカオスや空虚で完全に置き換えてしまうことを意味するのではない。バタイユが主張しているように、〈無形〉とは積極的な定義ではなく、分裂と無秩序によって機能する作業用語なのである。すなわち、〈無形〉はまず先に形式の存在を必要とし、その上ではじめて、〈無形〉が形式を侵犯するということが意味をなす。グロテスクが形式上対立しているように見えるものどもをでたらめに並置したり統合したりすることによって働くのとまさに同様に*39、また、崇高が現前化と現前不可能性との緊張を保持するのとまさに同様に、〈無形〉もまた、その魔法を効かせるためには対立者を必要とするのである。実に多くの批評家たちが正当にも見て取ったように、モダニズムのうちには形式主義的衝動が強力に働いていたのであって、もしそうでなければ、〈無形〉がこれほど執拗にそれを侵食しようと奮い立つこともなかったであろう。

 われわれが跡づけてきた形式と無形性とのあいだの緊張を概念化し説明するには、いくつかの方法がありうる。一つは、その緊張を、構造とエネルギー、静止と運動、不変的なものとかりそめのものとのあいだで戦われる、より無時間的な闘争になぞらえてみることである。ここでわれわれは、マルクス主義者になる前のルカーチの著作『魂と形式*40』によって、おそらくは古典的な仕方で探究された領域に戻っていく。ルカーチは形式を「生の最高の裁判官*41」と呼び、カオスエネルギーに満ちた生の無能力に打ち勝とうと苦闘した。彼は、形式の苛酷な裁きの前に立とうとしたのである。しかし、われわれがこの論稿で調べてきた伝統は、それとは反対の動きを伴っていた。物質的不純さを清め低次の衝動を追放することで形式的パターンのうちに氷浸けになっている状態は、形式を擁護する人たちには賞賛に値するものでも、〈無形〉を賞賛する人たちにとってはまさに生の失敗にほかならないのである。

 もう一つ、こうした傾向にさらに深い関わりを持っている精神分析の観点からの実りある考察を加えておこう。それは『精神分析の4つの基本概念*42』における、眼と眼差しとの交差配列的な絡み合いに関するラカンの有名な分析である。そこで彼は、眼と眼差しとのあいたに引き裂かれた視覚野のうちに主体が位置する仕方について、込み入った説明を行っている。眼は自らの前にある幾何学的に秩序づけられた空間を見るが、他方、眼差しにおいては、諸対象が、見ている眼を備えた身体を「見返す」。モダニズム形式主義は、デカルト主義に典型的な、眼と同一視される遠近法主義的視覚体制を乗り越えようとした。とはいえ、それに取って代わったのは純粋な光学性であり、そこでは眼と眼差しとの緊張は抑圧されてしまうことになった*43。かくして、グリーンパークのような批評家たちによって賞賛されたモダニズム形式主義は、〈無形〉に敏感な批評家たちが思い起こさせてくれたもの、すなわち、視覚野は純粋な形式が常にその他者によって引き裂かれる戦いの場であることを忘れてしまったのである。その他者とは、言語学的用語でいえば、象徴界想像界との衝突として、あるいは、視覚の領域自体のうちでの闘争として解釈されるかもしれない。しかし最終的にどう理解されようと、それが意味していたのは、モダニズムにしても、またどんな芸術にしても、純粋な形式の勝利に終わることなどありえないということなのである。

 ラカン自身の分析がバタイユのものと同じ母型から発していたこと*44スラヴォイ・ジジェクが最近思い起こさせてくれたように*45彼自身が崇高に魅せられていたこと、ユルギス・バルトルシヤイティスのような*46批評家たちによる歪曲像の再発見から興ってきた純粋な光学性に対する攻撃を彼が十分に承知していたこと、こうしたことは、ラカンの考え方そのものが、われわれがいま説明しようとしている無形性の再評価に負っていたことを意味している。論者の一人ホアン・コプヘクは、次のようにさえ主張している。「形式を存在の原因とする観念論的立場とは反対に、ラカンは存在の原因を〈無形〉のうちに位置づける。すなわち、未形成のもの(視覚野のうちにシニフィエとしての姿も、シニフィアンとしての姿も持たないもの)、探求(表象のいわゆる沈黙に向けられた問い)のうちに*47」。したがって、ラカンの分析でモダニズムにおける形式と無形性の特殊な弁証法が十分に説明されたと考えるには問題があるだろう。というのも、眼と眼差しに関する彼の分析は、時もところもかまわずに、視覚の働きを暴き出すことに向けられていたからである。

 より歴史的に特殊なアプローチをとるには、ペーター・ビュルガーによるモダニズムアヴァンギャルドとのよく知られた区別を手がかりにするのが有益だろう*48モダニズムが芸術制度のうちにとどまり、美的自己言及性の限界を探求しようとしたのに対し、アヴァンギャルドは芸術を生と結び直そうとし、そして芸術の解放的エネルギーをもって生を再活性化させた。ハイ・モダニズムにおける純粋な形式の神格化

は、これらのカテゴリーのうち第一のカテゴリーに適合すると言えるかもしれない。すなわち、われわれが形式主義の背後にある中心的衝動の一つとして指摘してきた他の諸感覚からの可視的形式の差異化は、生活世界からの芸術制度の差異化に対応しているのである。他方、われわれが〈無形〉に認めた対抗衝動は、おそらく、ビュルガーが用いている意味でのアヴァンギャルドの企てにかかわるものとしてよりよく理解される。すなわち、それは美的領域の純粋さを疑問視し、高い芸術と低い生存との区別を壊し、視覚と他の諸感覚とを結び直すのである。バタイユや他の〈無形〉の擁護者たちが、しばしば未形成の大衆の革命的潜在力を現実化する方法として、〈無形〉の政治的価値を主張していたとしても驚くにはあたらない。ランボーの群れとしての階級観念に対するクリスティン・ロスの賞賛は、この衝動の一例であろう。それは形式を与える前衛党の代表者たちからプロレタリアートを守ろうとするのである。

 こうした説明のすべては、美的モダニズムにおける形式と無形性との闘争をわれわれに理解させてくれる。しかし、私か先に論じたように、ここから最大の示唆を引き出すことができるのは、この闘争を西洋文化における視覚中心主義の危機というコンテクストのうちに位置づけることによってである。すなわち諸感覚のなかでもっとも高貴なものとしての眼を玉座から追放することで、また、その境界が世界と交じり合った「無頭の」身体を再評価することで、そしてまた、明晰さと輪郭に対してノイズと力を賞賛することで、リーグルのような批評家たちが美学の根拠と見た「形式への意志」は、それとは反対の「無形性への意志」に取って代わられてきた、あるいは少なくとも、それによって強力に補完されてきたのである。

 ある観点から見れば、これらの変化はすべて、危険な反啓蒙的非合理主義やリビドー政治学と結託するものとして非難されるかもしれない。そしてある点では、つまり、少なくとも形式と無形性との複雑な弁証法が忘れられ、その代わりに単純な反形式主義が標榜されるならば、こうした非難は有効であるだろう。しかし、別の観点からすると、それほど警戒するにはおよばない。というのも、生と形式が調和的に結びつけられえないということについて、われわれがもはやジンメルルカーチのようにおびえていないということは、おそらく一種の文化的成熟を印づけるものであろうから。

 実際、こう結論してよいだろうか。形式と〈無形〉とのモダニズム的拮抗は、可知性と不可知性との混交、境界づけられた全体性と侵犯的力との混交、精神化された視覚性と身体の残余の混乱との混交に耐える心構えをわれわれに与えてくれたのだ、と。そしてこのことは、不安のより少ない世代の到来を告げるものである、と。われわれは、形式を与える構成的主観の限界を受け入れることを学び、満ち溢れる束の間の現れのただなかに無時間的な本質を探求することを放棄したのであり、エルゴンとパレルゴン、テクストとコンテクストとの区別が見かけほど固定的なものでないことを理解してきたのではないだろうか。もしそうならば、「宇宙が蜘蛛や唾液のような何かである」と言うことの行為遂行的な力は、実際にその仕事のいくらかを果たしたのであり、生を解放する(贖うのではない)ために、モダニズム芸術の── あるいはビュルガーの言葉では、アヴァンギャルド芸術の──エネルギーを利用するという希望は、つまるところ、それほど空しいものではないだろう。

*1:例えば,Peter Blirger, Theory of the Avant-Garde,trans, Michael Shaw (Mineapolis,1984),p.l9〔『アヴァンギャルドの理論』浅井健二郎訳、ありな書房.1987年〕,あるいは,Suzi Gablik,Progress in Art (New York,1976),p.85を参照.

*2:Aesthetics and Politics: Debates Between Bloch、Lukdcs. Brecht,Benjantin, Adorno,ed.New Left Review, afterword Krcdric Jameson (London,1977)に収められた諸論文を参照.

*3:Bataille, "Formless," in Visions of Excess; Selected Writings,1927-1939,ed. Allan Stockl. trans. Allan Stockl et al. (Minneapolis, 1985) 〔「不定形」片山正樹訳,『ドキュマン』(ジョルジュ・バタイユ著作集11)二見書房,1974年〕.この項目の初出は.「ドキュマン」7号(1927年I2月)の『批判事典』である.

*4:Martin Jay. “In the Empire of the Kaze: Koucault and the Denigration of Vision in 20th-century French Thought,' in Foucault: A CriticalReader.ed. David Couzens Hoy (London,l986)〔「まなざしの帝国にて── フーコーと20世紀フランス思想における視覚の名誉剥奪」椎名正博・椎名美智 訳,『フーコー── 批判的読解』(抄訳)国文社,1990年〕.また本書第8章も参照.

*5:こで私は.W.タタルキェヴィチの優れた論稿“Form in the History of Aesthetics" in Dictionary of the’History・of Ideas,vol. II, ed. Philip P・Weinor (New York. 1973)[「形式(美学史における)」片山美紀訳,「西洋思想大辞典」平凡社.1990年〕に依拠している.

*6:この含意についての行き届いた説明としては,Geoffrey Gall liarphatn. On the Grotesque: Strategies of Contradiction in Art and Literature(Princeton. 1982)を参照.

*7:Jacques Denrida, “Form and Meaning: A Note on Phenomenology of Language," Margins of Philosophy.trans.Alan Bass (Chicago,1972),p.158.

*8:David Carrol, The Subject in Question: The Languages of Theory and the strategies of Fiction (Chicago,1982),p.191.

*9:視覚と形式との関係については、 Hans Jonas,"The Nobility of Sight,”The Phenomenon of Life: Towards a Philosophical Biology(Chicago,1982)を参照.

*10:Clement Greenberg, Art and Culture: Critical Essays (Boston,1965),p.171〔「近代芸術と文化」瀬木慎一訳,紀伊国屋書店1965年〕.

*11:例えば, Frank,"Spatial Form in Modem Literature," in The Avant-Garde Tradition in Literature, ed. Richard Kostelanetz (Buffalo, N.Y.,(1982)を参照.

*12:Fredric Jameson. The Prison-House of Language・ A Critical Accountof Structuralism and Russian Formalism (Princeton. 1972),p.52〔『言語の牢獄』川口喬‐訳,法政大学出版局,1988年〕.

*13:えば,Robert Goldwater, Primitivism in Modem Art (Cambridge.Mass.,1986)〔「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」 日向あき子訳,岩崎美術社,1971年」を参照.

*14: この問題に関する最近の議論としては,Fial Foster. “The 'Primitive' Unconscious of Modem Art," October 34 (Fall,1985),pp.45-70.および,James Clifford, The Predicament of Culture: Twentieth-Century Ethnogra-phy,Literature and Art (CambriclKe,Mass., 1988)を参照.

*15:Clifford,The Predicament of Culture,chapter 4 を参照.次の点もまた指摘しておかなくてはならない.シュールレアリストたちは.1920年代フランス帝国主義のもっとも激しい批判者たちであったのだから,プリミティヴ・アート受容のコンテクストには鋭く気づいていた.

*16:Bataille,"Formless,”p,31.

*17:Ibid.

*18:ここでは視覚性と概念性との関係を追求することはできないが,すべての理論家たちが両者を同義的と見ていたわけではないということを言っておかなくてはならない.例えばテオドール・アドルノは視覚性を官能性の側に置き.芸術の概念的次元と並11£している. Aesthetic Theory,ed. Gretel Adorno andRolf Tiedemann, trans. C.Lenhardt (Lndon, 1984),p.139f.における彼の議論を参照.彼は,「視覚性」という用語は.形成された内容を意味するために認識論において用いられたのだと記している

*19:Bataille, "Rotten Sun," in.Visions of Excess p.58 (「腐った太陽」片山正樹訳,『ドキュマン』(ジョルジュ・バタイユ著作集11)二見書房,1974年〕.

*20:20 Ibid.こうした観点からのファンゴッホに対するバタイユの評価については,"Sacrificial Mutilation and the Severed Ear of Vincent Van Gogh,”in Visions of Excess〔「供犠的身体毀損とヴァンゴッホの切られた耳」片山正樹訳.『ドキュマン』 (ジョルジュ・バタイユ著作集11)二見書房,1974年〕を参照.

*21ロザリンドクラウスによれば,〈無形〉とは.形相と質料とのアリストテレス的区別の解消を意味しているのであり,どちらかの特権化を意味しているのではない. 彼女のThe Originality of the Avant-Garde and OtherModernist Myths (Cambridge,Mass.,1985), p.53を参照.しかしながら,この解消は.弁証法的止揚というよりむしろディコンストラクションの本性のうちにあるものであった.

*22:Ibid.,p.64.

*23:Bataille,“Base Materialism and Gnosticism,”in Visions of Excess p.47〔「低俗唯物論グノーシス派」片山正樹訳,『ドキュマン』(ジョルジュ・バタイユ著作集11)二見書房.1974年〕.

*24:Bataille,The Accursed Share,vol. I,Consumption,trans. Robert Hurley (New York, 1988),p.63f〔『呪われた部分』(ジョルジュ・バタイユ著作集6)生田耕作訳.二見書房1973年〕.

*25バタイユにおける主権── 性的,詩的,政治的── の多様性についての説明として役立つものとしては,Michele H. Richman, Reading Georges Bataille: Beyond the Gift (Baltimore,1982),chapter 3 を参照.

*26:〈アセファル〉は,1930年代後半に,バタイユの肝入りでコレージュ・ド・ソシオロジーに作られたグループの名称であり、同名の雑誌を発行した.〈アセファル〉とは,バタイユを魅了した無頭の身体を指す.共同体に関するバタイユの考え方について好意的な分析を行ったのものとしては,Maurice Blanchot,The Unavowable Community,trans. Pierre Joris (Barrytown,N.Y.. 1988)〔「明かしえぬ共同体西谷修訳.朝日出版社,1984 年〕を参照.

*27:Denis Hollier, Against A rchitecture: The Wrin tings of Georges Bataille, trans. Bielsy Wing (Cambridge, Mass.,1989), p.24.

*28:Kristin Ross, Tlie Emergence of Social space: Rimbaud and the ParisCommune (Minneapolis, 1988), p.102.

*29:ロスは形式に対して力を称賛するが,ここにはジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの影響が明らかであり.このことははっきりと認められる(p.67).

*30:Ibid.,p.123.

*31:Rosalind Krauss, “Corpus Delicti,”October 33 (Summer,1985),p.34.

*32:Ibid., p.37.

*33:Ibid.p.72.

*34:Jean-Frangois Lyotard.The Postmodern Condition: A Report on Knowledge,trans. Geoff Bennington and Brian Massumi (Minneapolis,1984),p77〔『ポスト・モダンの条件』小林康夫訳,風の薔薇,1986年〕.

*35:ニューマンと崇高に関するリオタールの見解については.彼の“Newman: The Instant," in The Lyotard Reader,ed. Andrew Benjamin (Oxford.1989)を参照.

*36Lyotard,The Postmodern Condition, p.78.

*37:簡単な説明としては,H.H. Sluckenschmidt,Twentieth-CenturyMusic, trans. Richard Deveson (New York, 1970),chapter 3 を参照.

*38:例えば,Victor Burgin, Tlie End of Art Tfieory: Criticism andPoshnodemity (London,1986)〔『現代美術の迷路』室井尚・洒片信雄訳,勁草書房1994年〕を参照.あるいはArt After Modernism: Rethinking Represeniation, ed. Brian Wallis (New York. 1984)所収の諸論文を参照.後者に収録された論文“Reviewing Modernist Criticismでマリー・ケリーは.バタイユを思い起こさせる言葉でパフォーマンス芸術の重要性を論じている.『「現実の身体』の芸術は,視覚的形式の真理に付随的に関係するのではなく.遡って身体の本質的内容を指し示すのである.すなわち.還元しえない,論駁しえない苦痛の経験を.」(p.96).

*39:ハーファムによれば.「もっともグロテスクなものとは.こうした親和/敵対によって.すなわち.規範的な.完全に形式を与えられた「高いものないし理想的なものと,異常で.形式を与えられていない.堕落した.『低いもの』ないし物質的なものとの共一現前によって印づけられる」(On the Grotesque, p.9).

*40: Georg Lacan, Soul and Form,trans.Anna Bostock (Cambridge.Mass.,1971)〔「魂と形式」川村二郎他訳.『ルカーチ著作集1』白水社1969年〕.

*41:Ibid,p.172.

*42:Jacques Lacan. The Four Fundamental Concepts of Psycho-Anaiysts,ed.JacquesΛlain Miller, trans.Λllan Sheridan (New York. 1981

*43哲学でいうと.おそらくこの立場の擁護者としてもっとも重要な人物は."Cezanne's Doubt." Sens and Non-Sens.trans. Hubert L. Dreyfus andPatricia N,Dreyfus (Evanston,1964)〔「セザンヌの疑惑」粟津則雄訳,『意味と無意味』みすず書房,1983年〕のような諸論稿におけるモーリスメルロ=ポンティであった.純枠な視覚性のハイ・モダニズムフェティッシュに敵意を抱くリオタールのような人たちによって彼が繰り返し批判されfたことは驚くにあたらない.

*44ラカン1930年代シュールレアリスム連動に負っているものを研究したものとしては,Uavid Macey, Lacan in ht Contexts (London. 1988)を参照.

*45:Slavoj Zizek. The Sublime Object of Ideology (London,1989).

*46:Jurgis Baltmsaitis, A namorphoses ou mofiie artificielle des effects mervelleux (Paris. 1969)〔「アナモルフォーズ」(バルトルシャイティス著作集2)高山宏訳.国書刊行会,1992年〕.ラカンはThe Four Fundamental Concepts of psyscho-Analysis, p.79f.でこの著作に言及している.

*47:Joan Copjec. “The Orthopsychic Subject: Film Theory and theReception of Lacan,”October 49 (Summer. 1989),p.69.

*48:Burger, Theory of the Avant-Girde.

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