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2018-06-06

フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化 序論―問題の設定 その1

 世界の文学のあらゆる大作家たちのうちで、ラブレーはわが国において知られること最も少なく、研究も最も少なければ、理解も評価も最も低い。

 しかし実際はヨーロッパ文学の偉大な創始者たちの中で、ラブレー第一人者としての位置を占めている。ベリンスキーの言によれば、ラブレーは天才であり、《16世紀のヴォルテール》であり、その小説は過去の最もすぐれた小説の1つである。西欧の文学研究者と作家たちはラブレーを──その芸術的思想的な力とその歴史的意義によって──シェイクスピアのすぐ後に位置させるのが常であり、シェイクスピアと相並ぷ者とすることすらある。フランスロマン派、特にシャトーブリアンユーゴーは、彼をあらゆる時代、民族のうちで最も偉大な《人類の天才》の一人と見なした。ラブレーは昔も今も、通常の意味で大作家と考えられているだけではなく、賢人あるいは予言者とみなされている。歴史家ミシュレーのきわめて典型的なラブレー論をここであげて見よう──

 「ラブレーは、昔からの方言、慣用句、ことわざ、学生の笑劇(ファルス)の民衆的潮流の智恵を、単純素朴な人々、道化役者のせりふから集めることさえした。しかし時代の精神とその予言的な力はこの道化によって屈折させられつつ、その壮大さをすべて保ちつつ自己の姿を現わす。いたるところで時代の精神は、もしまだ発見できないとしても、予見し、約束し、方向を示すのである。この夢の森の中では、葉の一枚一枚の下に未来が収穫する果実が隠されている。この本全体が《金の枝》なのである 。*1

 このような種類の判断や評価はもちろん相対的なものである。この際、ラブレーシェイクスピアと相並ぷ所に位置づけることができるかとか、セルバンテスにくらべて上か下か、等々の問題に答えるつもりはない。しかしラブレーの歴史的位置がこのような一連の近代ヨーロッパ文学創始者たち──つまりダンテ、ボッカッチォ、シェイクスピアセルバンテスなど──の間にあることは、いずれにせよいささかも疑う余地のないところである。ラブレーは本質的にフランス文学フランス文語の運命を決定しただけではなく、世界の文学の運命をも決定したのである。(おそらくセルバンテスにおとらず)またラブレーがこれら新文学創始者たちの中にあって最も民衆的(デモクラチック)であることも疑いのないととろだ。だがわれわれにとって最も大切なことは、彼が他の人々よりもより密接により本質的に民衆(ナロード)的源泉──それに加わえて特徴的ないくつかの源泉と結びついているということである。(ミシュレーは十分とはとても言えないが、かなり正確にそれらを列挙している。)これらの源泉が彼のイメージの全体系や、彼の芸術的世界像の基となったのである。

 ラブレーのイメージは、未来を並はずれてたっぷりとはらんでいるが、それはまさにラブレーのイメージすべてにある特殊な、いわば根源的な民衆性のためなのであって、これは先に引用したミシュレーの見解でも正しく強調されているところである。またこの民衆性によってこそ、ラブレーの特殊な《非文学性》の説明がつく──この非文学性とはつまり、内容が時代によって変ってはいるが常に支配的であった文学性の規範や規準と、ラブレーのイメージが合致しないということなのである。ラブレーシェイクスピアセルバンテスとはくらべものにならないほど、文学規範からはずれてしまって いる。この二人の作家がはずれているとしても、それは単に比較的偏狭な古典主義規範からのずれなのである。ラブレーのイメージに固有なものは、ある特殊な、根本的な、打ち破り難い(非公式性》である。どんな独断論も、どんな権威のおしつけも、一方に偏した生真面目な厳粛ぶりも、ラブレー的イメージとは共存し得ない。それはすべて不変なるもの、完成せるもの、すべての偏狭な生真面目さに敵対し、思想や世界観の領域で、出来合いのものに満足し物事を決めてかかるあらゆる態度に敵対するのである。

 次に訪れる各時代におけるラブレーの特異な孤立はこのためなのである。われわれとラブレーをへだてている4世紀の年月の間、ブルジョワヨーロッパの芸術創造やイデオロギー的思考が歩んだ、広い踏みならされた道のうち、どれ1つとしてラブレーに接近しているものはない。それに、もしこの四世紀の間にラブレーの熱狂的な愛好者を、見出すことがあるにしても、ラブレーを十分に理解した例はどこにも見出せないのである。ロマン派シェイクスピアセルバンテスを発見したように、ラブレーも発見したのであるが、本質を明かすことはできず、熱狂的な驚嘆の域を出ることはない。昔も今も、ラブレーに嫌悪を感ずる人は多い。しかし、ほとんど大部分の人にとっては、まったく理解できないだけなのだ。事実、ラブレーのイメージの多くは、今日にいたるもなお、謎のままである。

 この謎はラブレー民衆的源泉の深い研究によってのみ解き得る。「ラブレーが過去四世紀の歴史の《大文学》の代表者たちの中にあってきわめて孤独で、相似たものが一人としていないように見えるとしても、民間伝承の背景が正しく解明されてくれば、反対に、むしろ過去四世紀の文学発展の方が何か特殊で、他に似たものがないもののように見えてくるだろう。そしてラブレーのイメージは千年の民衆文化の発展史の中でくつろいだ姿を見せるであろう。

 ラブレーは世界の文学のあらゆる文豪の中で最も難解である。彼を理解するためには、すべての芸術的イデオロギー的感得力を本 質的に再構築せねばならないし、文学的趣味が要求するもの(それは深く根を張っているものだが)の多くを棄て去ることができなけ ればならず、多くの概念を再検討しなければならないからである。 しかし最も大切なことは、ラブレーを理解するには民衆の笑いの伝 承という、わずかに表面的にしか研究されていない領域に深くはいりこまねばならぬということである。 ラブレーは難かしい。しかしその代り、正しく解明されれば、彼の作品は民衆の笑いの文化の一千年の発展史の過去に解明の光を投げかけることになり、彼は文学の分野でこの笑いの文化の最も偉大な代表者として立ち現われる。ラブレーのこの解明的意義は極めて大きい。彼の小説は、あまり研究されておらず、ほとんどまったく理解されていない民衆の笑いの芸術の広大な宝をさがす鍵となるにちがいない。だが何よりも先に、この手がかりとなる鍵を手に入れねばならぬ。

 本序論の課題は、中世およびルネッサンスの民衆の笑いの文化の問題を設定すること、そしてその範囲を定め、あらかじめその独自性について特徴づけを行なうことである。

 民衆の笑いとその形式は、既述の通り民衆の創り出したものの中で最も研究されていない領域である。プレ・ロマンティズムの時代に生まれ、主にヘルダーとロマン派の人々によって完成された狭い民衆性(ナロードノスチ)とかフォークロアという概念は、特異な民衆的、《広場的》文化や、あらゆる豊かさを発揮する民衆の笑いをその枠の中に入れることができなかった。そしてその後の民俗学や文芸学の進展に際しても、広場で笑う民衆がいささかなりとも、視点を据えた、深い文化史的・民俗学的・文芸学的研究の対象になったことはない。儀式、神話、民間伝承の抒情詩的および叙事詩的作品に捧げられたおびただしい研究文献の中で、笑いの要素に割かれている部分はきわめてつつましいものである。しかし加うるに、大変不幸なことには、民衆の笑いの特性がまったく歪曲されて理解されているのである。それというのも、近代ブルジョワ社会の文化・美学という条件下で成立した笑いの観念や概念がまったく異質なものであるのに、それが民衆の笑いに対して適用されているからである。それゆえに、過去の民衆の笑いの文化の奥深い独自性は現在にいたるまでまったく解明されていないと言っても誇張ではなかろう。

 ところで、中世およびルネッサンス期におけるこの笑いの文化の 占めた範囲、意義は巨大なものであった。笑いの諸形式と、表現された笑いの限りなく広い世界は、一体となって公式の生真面目な(調子の)教会的・封建的中世文化と対立していたのである。これらの形式や表現はきわめて多様ではあるが、カーニバル・タイプの、広場の祝祭、個々の笑いの様式や祭典、道化役者や道化師、大男、侏儒(こびと)、片輪、様々な種類と階層の大道芸人(スコモローフ)、厖大な多種多様なパロディ文学、等々すべてこれらのものは、これらの諸形式は、単一のスタイルを持っており、単一の統一せる民衆的笑いの文化・カーニバル文化の一部分、いや一小部分をなしているのである。

 この民衆的な笑いの文化のあらゆる多様な表現や発現は、その性格によって3つの基本的な形式に区分できる。

 1 儀式的・見世物的形式カーニバル・タイプの祝祭、様々の 広場の笑劇等々。)

 2 滑稽な文学的作品パロディ的作品も含まれる)これには様々な種類がある──口承文学文学に定着されたもの、ラテン語のもの、俗語のものがある。

 3 様々の形式やジャンルの無遠慮で粗野な広場の言葉。(罵言、誓詞、呪い、民衆的な誇示宣揚(ブラゾン=blasons あるいは livres d'embles、〈賦〉は文芸ジャンルの一つでいろいろと数えあげて 歌う形式で16世紀に大変流行した。)

 これらの3つの形式はいずれも──種を異にしてはいるが──世界に対する統一された滑稽像、笑いの立場を反映しており、緊密に結びつき、様々に交互にからみ合っているのである。

 これらの笑いの形式の各々についてあらかじめ特徴づけを行なっておこう。

*

 カーニバル型の祝祭や、それと結びついた滑稽な劇や儀式は中世の人々の生活に大きな場所を占めていた。本来のカーニバルには何日も続く錯綜した広場や往来での見世物や行列があるが、その他に特別な《愚者(フール)の祭り》(《festa stultorum》)(フールにはもちろん道化の意もある)や《ろばの祭り》が催おされ、特殊な、伝統的となった、自由な《復活祭の笑い》(《risus paschalis》) があった。さらに、ほとんどすべての教会祝日はそれ自身の、やはり伝統的となっている民衆的・広場的笑いの側面を持っていたのである。そのようなものとしていわゆる《寺院の例大祭》があり、通例、豊富で多様な一連の《広場的》娯楽のある市がつきものであった。(これには大男、侏儒(こびと)、片輪、《芸を仕込んだ》動物が加わるのだった。)聖史劇(ミステール)や茶番劇上演の日にはカーニバル的雰囲気が強まった。ぶどう収穫祭( vendange )のような農業祭も都会にはいりこんで来て、そのような時にもこの雰囲気があたりを支配するのであった。市民の日常の儀式や礼式にも笑いが通例つきものとなっていた。道化師、道化役者がこれらの儀式にはいつも加わり、厳粛な式次第の様々な要素(競技の勝者の称讃、封土権下賜の儀式、騎士叙任等々)をパロディ的に模倣して見せた。それに、日頃行われるささやかな祝祭にも、たとえば祝祭の間だけ《笑いのための》王様や女王 (《roi pour rire》)を選び出すというように、笑いを組織するものが必ずあった。

 笑いの原理によって組織され、伝統となった儀式的・見世物的諸形式の名を私は挙げたが、これらすべてはヨーロッパ中世のすべての国に広まっていたものであった。しかし特に豊富で複雑な形式を際立って持っていたのは、フランスを含めてロマンス語諸国であった。これからラブレーのイメージ体系を分析しつつ、儀式的・見世物的形式についてより十分で詳細な検討を加わえよう。

 笑いの原理によって組織された、この儀式的・見世物的諸形式は すべて、きわめて鋭く根本的とも言えるほど生真面目で、公式的な──教会、封建領主、国家の礼拝や儀式の形式と区別される。これらのものは世界、人間、人間関係について、まったく別種の、アンダーラインつきの非公式、教会外、国家外的見地を提供する。言わば、すべて公式的なるものの向こう側に第二の世界、第二の生活を 打ち立てていたのであって、中世のすべての人々はその世界に多かれ少かれ加わり、その中で、ある一定の期間は生活をしたのである。 これは特殊な世界の二重性であって、このことを考慮にいれなけれ ば中世の文化意識も、ルネッサンスの文化も正当に理解することはできない。中世の笑う民衆を無視し、あるいは過小評価をすれば、ヨーロッパ文化の、次に来るすべての時代の歴史的発展をゆがめることになる。 世界や人間生活に対する知覚の二重の様態(アスペクト)は文化発展の初期の段階にもすでに存在した。原始的民族のフォークロアの中にも生真面目な(その組立てと調子が)祭式と並んで、神を嘲笑し、卑猥な言葉で罵しる笑いの 祭式(《儀式の笑い》)が存在し、生真面目な神話と並んで滑稽で、嘲罵的な神話があり、英雄と並んでそのパロディたる分身的代役(ドゥプリエール)(もじり)が存在する。最近になって、これらの笑いの儀式や神話民俗学者の注意をひき始めている*2

 しかし初期の、階級以前・国家以前の社会機構にあっては、神・世界・人間に対する生真面目な見地も、笑いの見地も等しく聖なるものものであり、等しくいわば《公式》のものであったであろう。これは後の時代になっても個々の儀式に関しては保たれていることである。それで例えばローマにおいて、ローマがまだ一国家であった時には、凱旋の式次第の中にほとんど同等の資格を持って、勝利者の栄誉の称讃と愚弄とが含まれていたし、葬式には、死者への哀悼(賞讃)と愚弄が含まれていたのである。しかし成熟した階級・国家構造の下では、この二つの見地がまったく同等の権利を持つことは不可能となり、すべての笑いの形式は──遅かれ早かれ──非公式的見地の立場へと移行し、一定の意味附け、錯雑化、深化の作用を受けて、民衆の気分・感覚、民衆の文化を表現する本質的形式となる。このようなものとして古代世界のカーニバル・タイプの祝祭があって、特にローマの農神祭(サートゥルナーリア)があり、中世カーニバルもこのようなものであった。もちろん、原始共同体の儀式形式の笑いからはすでにずっと離れたものである。

 中世の笑いの儀式的・見世物的形式の特異性はどのようなものであろうか? それにまずその本質はどうか? その在り方はどのようなものか?

 もちろんこれは宗教的儀式たとえばキリスト教礼拝式のようなものではない。遠く離れた起源でつながっているだけである。笑いの原理は、カーニバルの儀式を組織しつつ、一切の宗教的教会的独断主義神秘主義、敬虔主義から解き放つ。これらの儀式は完全に魔術的・祈禱的性格を失うのである(何も強制せず、何も求めない)。そればかりではなくカーニバルの形式の中には教会の祭式をそのままパロディ化したものがある。

 すべてのカーニバル形式は首尾一貫して教会外的・宗教外的なものである。これらのものはまったく別の次元の在り方に属している。 すべてのカーニバル形式は、その明瞭で具象的・感覚的性質と強い遊びの要素において、ある芸術的・形象的形式、つまり演劇的・ 見世物的形式と接近する。また実際に、中世の演劇的・見世物的形式はその著しい部分において、民衆的・広場的なカーニバル文化に引きつけられており、ある程度までカーニバル文化の構成要素となっていた。しかしこの文化のカーニバル的核心は、決して純粋に芸術的演劇的・見世物的形式ではなく、芸術の領域には全然はいっていない。それは芸術と実生活そのものとの間の境界線上にある。本質的にそれは生活そのものなのであるが、特殊の<遊び>の型によって形作られた生活なのである。

 実際にカーニバルは演技者と観客の間の区別を知らない。その形が未発達な場合にすら、フットライトというものを知らない。フットライトをあてれば、カーニバルを破壊してしまうだろう(これとは反対にフットライトがなければ、演劇・見世物はめちゃめちゃになってしまうだろう、カーニバルはただじっと観ているものではない。 ──その中で生活をするのである。すべての人生活するのである。なぜならそのイデーにおいてカーニバル全民衆的なものだからである。カーニバルの行なわれている間は、誰にとってもカーニバル生活以外の生活はないのである。カーニバルは空間的境界を知らぬがゆえに、そこを離れてどこに行くこともできない。カーニバルが行なわれている時には、カーニバル法律、つまりカーニバル自由の法によってのみ生活できるのである。カーニバルは、全世界的性格を有する。全世界の特殊な状態、世界の復活と更新であって、すべての人がそれに加わるのである。このようなものがカーニバルのイデーであり、本質であって、それに加わる者すべてにこのことが生き生きと感じられていたのである。このカーニバルのイデーが最もはっきりと現われ、意識されたのはローマの農神祭(サートゥルナーリア)であって、(一時的ではあるが)実際の完全なサートゥルヌスの黄金時代の地上への回帰であると考えられた。農神祭(サートゥルナーリア)の伝統は中世カーニバルでも途切れることなく生き続けた。中世カーニバル中世の他の祝祭よりもより完全に純粋に、全世界的な再生というこのイデーを体現していたのである。中世の他のカーニバル・タイプの祝祭は何らかの点で限界があり、カーニバルのイデーの体現もより不完全であって、純粋ではない。しかし、これらのものの中にもカーニバルのイデーは存在していたし普通の(公式の)生活体系の限界を一時的に越えて出て行くのだという感じが強かった。

 したがってこの点では、カーニバル芸術的な演劇・見世物形式ではない。あたかも生活そのものの(一時のものではあるが)現実の形式となるのであって、単に真似事ではなく(カーニバルのある時期には)ほとんど実際にその形式に従って生活をしたのである。このことは次のようにも言い表わすことができよう。カーニバルにおいては生活そのものが演ずるのである。舞台も、フットライトも役者も観客もなく、つまり芸術的・演劇的特質を持つもの一切を使わずに、自己実現のための別の自由な(気ままな)形式を演じつつ、より良き原理に基づく自己の再生・改新を演技しつつ、生活そのものが演ずるのである。生活の現実の形式がここでは同時によみがえった生活の理想の形式なのである。

 道化師や道化役者のような人物は、中世の笑いにとって特徴的な人物である。彼らは通常の(つまり非カーニバル的)生活においても、カーニバル的原理をいわば絶えずしっかりと保持していた。このような道化師や道化役者は、たとえばフランソワ一世治世の時代 のトリブーレ(彼はラブレーの小説にも姿を現わしている)のように、舞台で道化師や道化役者の役を演じた俳優ではなかった。(後代になって喜劇俳優が舞台でアルレッキーノやハンスヴルスト等々の役を演ずるようになったが、彼らは生活のどの場面に現われようとも、常にいたる所で道化師、道化役者のままだったのである。彼らは道化師、道化役者のように、同時に現実的で理想的である、 特殊な生の形式を保持していた。彼らは生活と芸術の境界線上にいる(いわば特殊な中間帯にいる)。単に変人とか愚鈍な人間(日常的な味で)ではないし、さりとて喜劇俳優でもないのである。

  かくしてカーニバルにおいては生活それ自体が演ずるのであるが、演技が一時期、生活それ自身となるのである。カーニバルのこの特有な性質の中に、カーニバルの営みの特性がある。

 カーニバルは笑いの原理によって組織された民衆の第二の生活である。民衆の祝祭の生活である。このお祭り気分は、中世のすべての滑稽な儀式的・見世物的形式の本質的な特性である。

 これらすべての形式は外面的には教会の祝祭とつながっている。聖書に記された歴史上のいかなる出来事とも、いかなる聖者とも合致しないカーニバルまでが復活祭前の精進の大斎節の終りに附け加わえられることになった。(このためフランスでは、《Mardi gras(マルディ・グラ)》〔肥った、あるいは肉食の火曜日の意〕とか、《Careme-prenant(カレーム・プルナン)》〔肉断ちを破る・飽飲飽食の日の意〕とか呼ばれ、ドイツ語圏諸国では《Fastnacht(ファストナハト)》 〔ざんげの火曜日のこと〕と呼ばれている。これらカーニバルの諸形式と、その式典の中に笑いの要素を含んでいる農耕タイプの異教的祝祭との発生の源におけるつながりは、より一層本質的である。

 祝祭(すべての)は、人類文化のきわめて重要な第一次的な形式である。これについては共同の労働の実利的な条件・目的から結論を出したり説明をしたりしてはならないし、定期的に休息をとるという生物学的(生理学的)要求から説明するのはさらにもっと卑俗な説明方法である。祝祭は常に本質的な意味深い、世界観的内容を持っていた。共同の労働過程の組織・改善のいかなる《実演》も、かなる《労働の遊戯》も、労働におけるいかなる休息も息継ぎのための休みも、それ自体としては祝祭となることはできない。これらが、祝祭となるためには、別の次元、精神的・イデオロギー的次元から何物かが加わえられねばならない。これらのものは、手段や日常必須の諸条件から出来ている世界ではなく、人間存在の最も高い目的の世界から裁可を得なければならない。つまり理想の世界から得なければならない。これなくしては、いかなる祝祭的なものもないし、あり得ない。

 祝祭は常に、〈時〉と本質的な関連を持っている。その根底にはいつでも、自然の(宇宙的な)、あるいは生物学的な、あるいは歴史的な、〈時〉についての明白な具体的な概念がある。その上、祝祭は、その歴史的発展のすべての段階で、自然、社会、人間の生活における危機的な、変革の時機(モメント)と結びついている。死や再生、交替と改新の時機(モメント)は常に祝祭的世界観へと導いたのである。正にこれらの時機(モメント)が──特定の祝祭に具体的な形式で──祝祭特有のお祭りらしさを創り出したのであった。

 中世の階級的、封建国家的機構の条件下では、祝祭の祝祭らしさ、 つまり人間存在の最も高き目的や再生・改新と祝祭とのつながりは、カーニバルにおいてか、他の祝祭の民衆的・広場的側面においてだけ、少しもゆがめられることなく、純粋な形で実現されることができた。この際祝祭性は民衆の第二の生活の形式となったのであり、民衆は全体性、自由、平等、豊饒のユートピア国に一時的に入るのであった。

 中世の公式な祭日──教会の祭りも封建国家の祭りも──は現存する世界秩序から外へは導かず、いささかも第二の生活を創り出すことはなかった。反対に、現存する機構を聖なるものとして裁可し、機構を強化したのである。(時〉とのつながりも形式的なものとなり、交替や危機は過去へ運び去られてしまった。公式の祝祭は実際は後ろの過去のみを見ており、この過去を使って、現に存在する機構を神聖なものとしたのである。公式の祝祭は、時には祝祭自身のイデーに反して、すべての現存する世界秩序──現在の階層秩序、現存の宗教的・政治的・道徳的規範、禁止(タブー)──の安定性、不変性、永遠性を確認することさえあった。祝祭は、永遠で不変の、論議の余地なきものとして立ち現われた、既成の支配的な真理の勝利であった。そのため、公式の祝祭のトーンは一枚の岩からできているような厳粛でしかなかった。笑いの原理はその本性には異質のものなのであった。正にこのために、公式の祝祭は、人間の祝祭性の真の本性に背きそれをゆがめたのである。しかし、この正真正銘の祝祭性は根絶やしにはできなかった。それゆえに真の祝祭性は容認され、祝祭の公式な面以外の場所では部分的に合法とされ、この真の祝祭に民衆の広場が譲り渡されることとなった。

 公式の祝祭に対立しつつ、カーニバルは広く世を支配している真理と現存社会機構からの一時的解放や、階層秩序・関係、特権、規範、禁止などの一時的破棄を祝うものであると言えよう。カーニバルは<時>の真の祝祭であり、生成、交替、改新の祭りであったそれはあらゆる恒久化され、完成されたもの、終ったものに敵対した。カーニバルは完成されることのない未来をうかがい見ていたのである。

 カーニバルが行われている時の、すべての階層秩序的関係の廃棄は、特に重要な意味を持っていた。公式の祝祭では、階層秩序的差別が特に強調して示された。その際には、自分の称号、官位、功績を表象するすべての飾りを身につけて出席し、自分の階級にふさわしい位置につくことが要請された。祝祭は不平等を神聖化した。これと反対に、カーニバルでは一切が平等とみなされた。人々は、通常の生活、つまりカーニバル外の生活では、階級、財産、職務、家 族、年令の状況のさからい難い障壁によって分け離たれているのだが、このカーニバルの広場では、その人々の間に特別の、自由な打ち解けた触れ合いの形が支配したのであった。通常の生活のもとでは、中世封建制度の階級秩序は強固で、人々は階級や団体によって極端に分離されていたが、このような背景のもとで、すべての人々のこの自由な打ち解けた触れ合いは、とても鋭敏に感得され、カーニバル一般的な世界感覚の本質的要素を形作った。人間はいわば新しい、純粋に人間的関係を求めて生れ変ったのである。疎外は一時的に消滅するのだった。人間は自分自身に立ちもどり、人々の中で人間である自分を感得するのだった。それにこの真に人間的な関係は、想像や抽象的思考の対象にすぎないのではなくて、生き生きとした実質的・人間的触れ合いの中で真に実現され体験されたのである。理念的・ユートピア的なるものと現実的なるものが、このユニークなカーニバルの気分の中で一時的に一つに合流したのである。 人々の階層秩序的関係が、理念においても現実的にも、一時的に廃止されて、カーニバルの広場には、通常の生活では不可能な特殊な交際の型が創造された。ここで広場の言葉(レーチ)、広場の身振り(ジェスチュア)といった特別の形式が出来上ったのであるが、それはあからさまで自由であり、共に関わりを持つ人々の間にいかなる分けへだても認めず、通常の(カーニバル外の)礼儀や作法規範から自由である。特異なカーニバルの広場の話し方のスタイルが出来上るのだが、その見本はラブレーの小説にふんだんに見出すことができる。

 中世カーニバルは何世紀にもわたって発展したが、それはそれ以前の何千年にもわたって発展した古代の笑いの儀式(古代的形式における農神祭(サートゥルナーリア)をも含めて)によってあらかじめ用意されていたのである。その過程においていわば特異なカーニバル的形式と象徴の 言語、民衆の単一にして複雑なカーニバルの世界感覚を表現し得る、極めて豊かな言語が出来上ったのである。この世界感覚は、すべて既成の完成されたものに反対し、不動性や永遠性をてらうことに敵対的であって、自分の気分を表現するためのダイナミックで変り易い(《プローテウス的な》)形式、ゆらゆらと揺れ動く遊戯的な形式を求めたのであった。カーニバルの言語のすべての形式・象徴には 、変化・交替と改新の感激(パトス)がみなぎり、あまねく支配している真理や権威がおかしく相対的なものであるとの認識がある。この言語に極めて特徴的なのは、独持の《裏側》( a l'envers ) 《あべこべ》、《裏返し》の論理、上と下 (《車の輪》のように)、正面と背面の間の絶えざる変転の論理であり、さまざまな形のパロディ、もじり、そして、冒潰、道化的な戴冠や奪冠(《奪冠》の原語は「ラズヴェンチャーニエ」であるが、これは戴冠(ウヴェンチャーニエ)にたいする言葉で文字通りの意味は、王冠、王位を剥奪することである。本書では、 きわめて頻繁に使用されている言語でもあるので冗長な表現をさけて、奪冠という新語をあてた。)である。民衆文化の第二の生活、第二の世界はある程度まで、通常の、つまりカーニバル外の生活パロディとして、《裏返し》の世界として作られている。しかし強調しておかねばならないが、カーニバルパロディは、近代の否定的・形式的パロディとは大変異なったものである。否定しながらも、カーニバルパロディは同時によみがえらせ、改新させるのである。むき出しの否定は一般に民衆文化とはまったく無縁である。

 この序論においては、もっぱらカーニバルの形式、象徴の持つ豊かで独特な言語についてざっと触れて見ただけである。このなかば忘れ去られ、多くの点でぼんやりとしている言語は、本研究の主要課題である。それはラブレーがまさにこの言語を利用したからである。この言語を知らずして、ラブレーのイメージの体系を真に理解することはできない。しかしこのカーニバルの言語を、エラスムス も、シェイクスピアも、セルバンテスも、ローペ・デ・ベーガも、ティルソ・デ・モリーナも、アントニオ・デ・ゲバラもケベードも利用した。その利用の仕方は多種多様であり、利用の程度にも差はあったのであるが。またこの言語を利用した人々にはドイツの《阿呆文学》(《Narrenliteratur》)、ハンス・ザックス、フィッシュアルト、グリンメルスハウゼンなどがいる。この言語を知らずしては、ルネッサンスおよびバロック全面的な、完全な理解は不可能である。純文学作品だけではなく、ルネッサンスユートピアも、それにルネッサンスの世界観自体も、このカーニバル的世界感覚によって深く浸透されており、しばしばその形式や象徴を身にまとっている。

 カーニバルの笑いの複雑な性質について、あらかじめいくつかの点を指摘しておく。それはまず何よりも、祝祭の笑いである。従って何らかの個々ばらばらの(おたがいに切り離された)《笑うべき》 現象に対する個人的反応ではない。カーニバルの笑いはまず第一全民衆的である。(この全民衆性は既述したごとく、カーニバルの本性そのものの一部である。すべての人が笑うのだ──これは、《俗世界》の笑いである。第二に、この笑いは普遍的である。万物、万人が対象となる。(カーニバルの参加者もやはり対象となる。)全世界がおかしな姿になり、その滑稽な様相アスペクト)において、その陽気な相対性において全世界が感得され理解されるのである。第三に、そして最後にこの笑いは両面的価値(アンビヴァレンスのこと。相反する感情・価値観が共存すること。)を持つ。陽気で心躍るものであるが、同時に嘲笑し笑殺する。否定し確認し、埋葬し再生させる。これがカーニバルの笑いである。

 民衆的な祝祭の笑いの重要な特性について注意しておこう。それは笑っている者自身もこの笑いの対象となる、ということである。民衆は生成する全的世界の除外例ではない。民衆も未完成であり、やはり死に、再生し、改新されるのである。これが、民衆の祝祭の笑いと、近代の純粋に調刺的な笑いを区別する本質的な点である。純粋な意味での調刺作家は、否定的な笑いしか知らず、自分自身を笑われる現象の外に置き、笑われるものに自分を対置する──そのため、世界の滑稽な様相アスペクト)の全体性は崩壊し、滑稽な(否定的な)ものは個的なものになってしまう。これに対し民衆の両面価値的(アンビバレント)な笑いは、生成する全的世界の観点を表現しており、笑う者自身がこの世界の一員なのである。

 ここでこの祝祭の笑いの特殊な世界観的、ユートピア的性格、より高きものを目指す動きを強調しておこう。そこには──本質的に新たな意義を与えられた形で──依然として古代の笑いの儀式における儀式形式の、神への嘲笑が生きていたのである。祭式的礼拝的なもの、局限されたものはすべて消えてしまったが、全人間的、普遍的ユートピア的なものは残っていた。

 この民衆的カーニバル的笑いを完成させ、それを世界文学にもたらした最大の作家がラブレーである。彼の作品のおかげでわれわれはこの笑いの複雑で奥深い性質の中に入って行くことができるので ある。

 民衆の笑いについての正しい問題設定がきわめて重要である。この点を論じた文献においては今日にいたるまで、乱暴な近代化解釈が行われている。近代の滑稽文学の立場から、純粋に否定的な諷刺の笑いとして解釈されたり(ラブレーはこの場合、純粋な諷刺作家 ということになる)、あるいは、あらゆる世界観的深味や力を失なった、純粋に娯楽的で、無思索的でただ陽気なだけの笑いと解釈されたりしている。この笑いの両面的価値(アンビヴァレンス)・二重意識性は通例まったく理解されていないのである。

>その2へ

*1ジュールミシュレー 『フランス史』、第10巻355ページ、金の枝――アイネイアースが女予言者より手渡された予言的な金の枝のこと。

*2:E・M・メレティンスキーの著『英雄叙事詩の起源』(モスクワ、1963年刊)の滑稽な役を演ずる分身の極めて興味ある分析と、この問題に関する考察を見よ。(特に55−58ページ。)この著書にはまた 文献目録ものっている。



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