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2018-06-22

フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化 序論―問題の設定 その2

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中世の笑いの民衆文化の第二の形式滑稽な文学的作品(ラテン語のものと俗語のもの)へ目を転じよう。

 もちろん、これはもはやカーニバルではない(俗語で書かれたこれらの作品のある部分はフォークロアと関連があるにしても)。しかしこの滑稽文学にはカーニバル的世界感覚がすっかり浸透しており、この文学カーニバルの形式や様式で使われている言語形態を大いに活用し、カーニバル自由奔放さが正当化されていることにかこつけて力をのばす──そして多くの場合に見られるが──カーニバル・タイプの祝祭と組織的に結びつき、時としてはまさにカーニバルの祭りの文学的一部分を形成することもあった*1。この文学における笑いは両面価値的な祝祭の笑いなのである。それはすべて、中世のお祭りの、気晴らしの文学だったのである。

 カーニバル・タイプの祝祭は、すでに述べた通り、中世の人々の生活において極めて大きな位置を占めていたが、それは時間的な面でもそうであった。中世大都会は、総括的に言えば年に3ヵ月位、カーニバル的な生活をしていたのである。人々の見方や考えに与えたカーニバル的世界感覚の影響力にさからうことはできなかった。そのため人々はまるで自分の公式の地位(修道士、僧侶、学者というような)を棄て去ることを余儀なくされたようになり、カーニバル的な笑いの側面(アスペクト)から世界を見ることとなる。学校の生徒たちや下っぱの僧侶だけではなく、高位の僧や学者然とした神学者も心をゆるして陽気な娯楽にふけった。それはつまり敬虔な厳粛さからの休息を意味していた。そして『修道士の戯れ』( Joca monacorum )という題の、中世で最もよく知られた作品があったほどである。自分たちの僧房でパロディ的あるいは半パロディ的な、学問めかした論文や、その他の滑稽な作品をラテン語で物していたのである。

 中世の滑稽文学は丸々千年あるいはそれ以上もの間発展を続けた。というのは、この文学の起源は古代キリスト教の時代ともつながりを持っているからである。この文学はかくも長い期間にわたって生き続けたから、もちろんかなりの質の変化を蒙った。(ラテン語による作品は最も変化が少かった。)様々なジャンル様式文体的ヴ アリエーションが生み出された。しかし、歴史的にも、ジャンルの面から見ても色々と差異はあるにしても、この文学は、多かれ少かれ民衆的・カーニバル的世界感覚の表現であることには変りなく、 カーニバル象徴や形式を利用している。

 非常に広く流布されていたものとして、ラテン語で書かれた半パロディ風の作品と、純粋にパロディ的な文学作品があった。この種の文学のうち、今日まで残っている原稿の量は、厖大なものである。 公式の教会のイデオロギー儀礼的慣習がこれらの作品では笑いの 側面において示されている。この場合にも笑いは宗教的思索や勤行の最高の領域にまで滲透しているのである。

 この種の文学の最も古く、最も有名な作品に『キュプリアヌスの 晩餐』( Coena Cypriani )がある。これは全経典(聖典福音書も)の特異な、カーニバル・饗宴風のもじり(トラヴェステイ)である。この作品は自由な《復活祭の笑い》( risus paschalis )の伝統と深いつながりがあった。さらにこの作品はローマの農神祭の遠いこだまを響かせてもいる。(笑いの文学〉のもう一つの古い作品は『文法学者ウェルギリウスマロ』( Vergilius Maro Grammaticus )であって、ラテン文法に対する半パロディ風の学問めかした論文であると同時に、中世初期の学校の知識や学問方法に関するパロディである。この2つの作品は、ほとんど中世と古代の境界に位置する時代に作られたが、 中世ラテン滑稽文学の道を開き、その伝統に決定的影響を及ぼすことになる。これらの作品の流行はほとんどルネッサンス期まで続いたのである。

 その後のラテン滑稽文学の発展史においては、教会の礼拝や教理の文字通りすべての要素(モメント)についてパロディ的模写が作られることとなる。これがいわゆる 《parodia Sacra》(聖なるパロディ)と呼ばれるもので、中世文学の最も特異で、今日でもよく理解されているとは言えない事柄である。今日まで残っているものが、かなり大量にあって、典礼パロディ(《酒飲みの典礼》、《賭博者典礼》等々)、福音書講読、祈禱文(その中には最も神聖な《主の祈り》、《アヴェ・マリア》まで含まれていた)、連禱、讃美歌、聖歌のパロディがあり、福音書中の格言のもじりなどもあった。同様にパロディ的遺言も作られた。(《豚の遺言書》、《ろばの遺言書》)墓碑銘のパロディカトリック公会議決定のパロディ等もあった。この種の文学はほとんどその限界を知らない。それにこの文学は伝統に支えられており、ある程度まで教会によって大目に見られていた。そのあるものは《復活祭の笑い》や《クリスマスの笑い》の庇護を受けつつ作られ生き続けたし、あるものは(典礼儀式文や祈臓文のパロディは)《愚者(フール)の祭り》と直接結びついていて、この祭りの時に演じられたようである。

 今挙げたもの以外にも、他の様々なラテン語の滑稽文学があった。たとえば論争、対話年代記等のパロディがそれである。ラテン語で書かれたこの文学を書くためにはいずれも、著者がある程度の(時としてはかなり高度の)学識を持っている必要があった。これらはいずれも、広場のカーニバル的笑いが、僧院や、大学、学校の内部にまで反響し、鳴り響いた結果であった。

 中世ラテン語の〈笑いの文学〉が最後の完成した形を見せるのは、ルネッサンスがその頂点に達した段階であって、エラスムスの 『痴愚神礼讃』(世界文学におけるカーニバル的笑いの最も偉大な 所産である)と『無名の人々の書簡』( Epistole Obscurorum Virorum )(この後半はドイツのユマニスト、ウルリッヒ・フォン・フッテンの作とされているが、確かではない。)にそれが見られる。

 これに劣らず豊富で更に多様性のあるのが、俗語で書かれた中世期の、〈笑いの文学〉であった。ここでも《 parodia sacra 》と相似た形も見出される。つまり祈禱文のパロディや説教のパロディフランスで《 sermons joyeux 》[陽気な説教]と呼ばれているもの)、クリスマスの歌、聖者伝説のパロディ等である。しかしこの場合により優勢なのは、封建制の仕組みや封建時代の誇張されたますらおぶりのおかしな側面(アスペクト)を提示する世俗的なパロディやもじりである。その一例が中世パロディ叙事詩であって、動物、道化、詐欺師、愚者(フール)が主人公となる。吟遊詩人によって英雄叙事詩の要素がパロディとして使われ、叙事詩のヒーローを滑稽にもじった役柄が現われる(喜劇的ローラン)等である。騎士物語のパロディが作られる(『手綱をつけないらば』、『オーカッサンとニコレット』)。滑稽なレトリックを使った様々なジャンルが発展する。カーニバル風のありとあらゆる (弁論討論や対話喜劇的な《讃辞》(あるいは《賛美》等。カーニバル的笑いはファブリオーの中にも、また放浪詩人 ( vaguand, wakerant-AF )(放浪する学生)の独特な滑稽詩の中にも響いている。

 このような笑いの文学のジャンル、作品はいずれもカーニバルの広場と結びついているのであるが、もちろん、ラテン語の笑いの文学よりもより広汎にカーニバル的形式や象徴を利用している。しかしカーニバルの広場と最も密接に直接的に結びついているのは、中世の笑劇である。今日残っているうちで最初の喜劇作品、アダン・ド・ラ・アルの『葉陰の劇』は、生活と世界について純粋にカーニバル風の観点、理解を示した顕著な実例である。この作品には萌芽的な形で、この後のラブレーの世界の諸要素が含まれている。奇跡劇や教訓劇(モラリテ)も多かれ少かれカーニバル化された。笑いは聖史劇(ミステール)の中にも浸透した。聖史劇の中の悪魔狂言(ディヤブルリー) (劇の幕間に、悪魔が観客をからかいに出てくるのである。)には、はっきりとカーニバル的性格が現われている。カーニバル化がより進んでいるジャンルは、中世後期の sotie (茶番劇)である。

 この際、著者は、〈笑いの文学〉の中でも、特別の注釈なしでも論及できる、最もよく知られたいくつかの現象について触れただけである。問題の設定のためにはこれで十分であろう。これより先は、ラブレーの作品の分析を進めるにつれて、中世の滑稽文学のこれらの作品を、他の多くの知名度の低いジャンルや作品と同じく、より詳細に検討することが必要となるであろう。

*

 民衆の笑いの文化の第三の形式──中世およびルネッサンスの無遠慮で粗野な(広場の)言葉の、ある特殊な現象、ジャンルに目を転じよう。

 カーニバルの広場では、人々の間の階層的な差別や障壁が一時的に撤廃され、通常の、つまりカーニバル外の活の規範や禁止がいくつか破棄され、この状況の下で人々の間の、通常の生活では不可能な理想的であると同時に現実的な、特殊な型のつきあい(コミュニケーション)が生まれる。このことについては前にも述べた。これは人々の間のいかなる分けへだても知らない、自由で打ち解けた粗野な(広場の)触れあいである。

 新しい型のつきあいは常に新しい形式の言語生活を生む──新しい言葉のジャンルを生み出すか、あるいは古い形式に新しい意義を附加したり、古い形式を廃棄する等のことをする。これと似たようなことで誰でも知っていることとしては今日の言葉によるコミュニケーションの場合がある。たとえば、二人の人が親密な友人関係に入ると、二人の間の距離はせばまり(二人はロシア語流に言えば《親しい足の上にいる》こととなる)、それと共に言葉によるコミュニケーションの形が鋭く変化する。打ち解けた《君》という言葉が現われ、呼びかけや名の呼び方の形が変る。(ロシア語ではイワン・イワーノヴィチがワーニャとかワーニカに変る。)時としては本当の名に代ってあだ名が使われ、罵言的表現が愛情のこもった意味合いで使われ、おたがいに嘲笑し合うことが可能となる。(親密な間柄にない時は、嘲笑の対象になり得るのは、《第三人者》の誰かである。)おたがいに肩を叩き合うことができ、腹を叩くことすらできるようになる。(これは典型的なカーニバルのジェスチュアである) 言葉の作法や、言葉に関する禁止の規制は弱まり、不作法な単語や表現も使われる等々のことがある。しかし、言うまでもなく、現代の生活慣習におけるこのような打ち解けた交際というものは、民衆的なカーニバルの広場の自由な打ち解けた交渉とはかなり異っている。現代の場合には主要なもの──全民衆性、祝祭の気分、ユートピア的意義、世界観的な深さというものが欠けている。一般的に言って、ある種のカーニバル形式の近代における生活風俗化は、外見は保っていても、その内面的な意味を失ってしまっている。古代の義兄弟の誓いの儀式の諸要素がカーニバルにおいて、新しい意味を加えられ深化された形で保存されていたということを、ついでながら指摘しておこう。カーニバルを通して、これらの要素のいくつかが近代の風俗にも入って来ているが、ほとんど完全にそのカーニバル的な意味内容を失ってしまっている。

 かくして、新しい型のカーニバルの広場での、遠慮のない呼びかけは、言語生活の一連の現象の中に反映されることとなる。そのうちのいくつかについて詳述しよう。

 無遠慮な広場の言葉の特徴は、かなり頻繁に罵言が使われることである。つまり嘲罵的な語や、きっちりした嘲罵的表現で、その中にはかなり長いものや複雑なものもある。罵言(悪口)は通例、話の文脈コンテクスト)の中では、文法的にも意味論的にも孤立していて、諺のように総体として完結したものとして感得される。そのため、罵言については、無遠慮な広場の言葉の特殊なジャンルの言葉として論ずることができる。罵言は起源的に同質ではない。原始時代の人と人との結びつきにおいても様々な機能を持っていたが、主に魔法的、呪術的性格のものであった。しかし特に我々の興味を引くのは、古代の笑いの祭式において必須の構成要素となっていた、神に対する罵言・卑猥な悪口である。この罵言・卑猥な悪口は両面価値的である。はずかしめ、おし殺しつつ、同時によみがえらせ、改新させるのである。まさにこの両面価値的な悪口雑言が、カーニバルの広場の人の結びつきにおける、罵言の言語ジャンルの性格を決定したのである。カーニバルにおいて、これは本質的な意味上の変化を受けた。完全にその魔術的な、そして一般的に言って実利的性格を失ない、固有性、普遍性、深味を獲得した。このように面目一新した形で、罵言は自由カーニバルの雰囲気と、世界の第二の様態(アスペクト)、おかしな側面を創り出すのに寄与したのである。

 多くの面で罵言に類似しているのが、神の名を口にするののしりや呪い ( jurons )である。これらも、無遠慮な広場の言葉の中に流れこみあふれた。この〈ののしり〉も、前の罵言と同様の原理(孤立性自己完結性、固有性)を持つ特殊な言語ジャンルとみなすべきである。ののしりや呪いは、初めは笑いと結びついてはいなかったが、公式的な世界の言語規範を破壊するものとして、言葉の公式的な範囲から追い出されてしまったのである。そのために無遠慮な広 場の言葉の自由な領域に移って来たのである。このカーニバルの雰囲気の中で、これらのもの、笑いの原理が浸透し、二重意識性が獲得されたのである。

 たとえば様々な不作法な言い廻しのような、他の形の言語も同様の運命を持った。無遠慮な広場の言葉は、公式的な言語的コミュニケ ーションにおいて禁止され、追放された様々な形の言葉が貯わえら れるいわば貯水池のようなものとなった。発生起源においてはみな異なってはいても、これらのものには同じようにカーニバル的世界感覚が浸透した。古代の言語的機能は変化し、あまねく笑いの調子(トーン)が身についた。これらのものは、いわば世界を改新する唯一つのカーニバルの火から出る火花となったのである。

 無遠慮な広場の言葉の他の独特な現象については後に詳述しよう。結論として強調しておきたいのは、この種の言葉のあらゆるジャンル、形式がラブレー文学スタイルの上に強力な影響を与えたということである。

*

 以上が中世の民衆の笑いの文化を表現する三つの基本的な形式である。著者が今検討したすべての事柄は、もちろん研究者たちには知られており、研究もされて来た(特に俗語で書かれた滑稽文学が)。しかしこれらの研究は個々別々に、その母の懐から ──カーニバルの儀式的見世物的形式から、完全に切り離されてなされていた。つまり中世の民衆の笑いの文化の統一性を無視して研究が行なわれたのである。民衆文化の問題は一度も提起されたことはない。そのため、これらの現象多様性、異質性のかなたに、単一の奥深い独自性を持ったこの世界の笑いの側面(アスペクト)が解明されぬままで残された。これらの現象はこの世界の笑いの側面の相異った断片として現われることになる。そのため、これらすべての現象の本質は徹底的に解明されなかったのである。これらの現象は近代の文化的・美学的・文学規範の見地から研究された。つまり、それ自身の尺度によってではなく、対象とは無縁の近代の尺度で計られたのである。これらは近代的に解釈された。そのための不正確な解釈、評価が与えられた。多様性を持ちつつも統一性のある笑いのイメージ表現・構成の特殊な型は不可解のまま残された。この特殊な型は中世の民衆文化に固有のものであって、一般的に言って近代(ことに19世紀) にとっては異質のものである。次にあらかじめこの型の、笑いのイメージ構成の特色を挙げておかねばなるまい。

*1: (3) 古代ローマでも同様の状況があって、農神祭(サートゥルナーリア)の自由奔放さが滑稽文学にも及んでいた。滑稽文学はこの祭りと組織的に結びついていたのである。



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