Hatena::ブログ(Diary)

garage sale このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-04-06

芸術の終焉 ── ダントー 小田部胤久

 1820年代にヘーゲル(1770−1831年)は「芸術終焉論」として知られる理論を提起したが、それから1世紀半以上たった1986年に、ヘーゲル主義者を自称するアメリカ哲学者ダントー1924年―)はそれを新たに現代に甦らせた。

 「芸術の終焉」という主題がその終末論的響きを伴いつつ、さまざまの「終焉」論の中でも人々の関心をとりわけ惹きつけてきたのは、20世紀前半のいわゆるアヴァンギャルド運動による伝統的芸術観の否定ないし破壊との関連において、いやむしろ、1960年代以降のアヴァンギャルド運動の失速ないし終息以後の混沌とした芸術状況との関連において、「芸術の終焉」が多くの人々に切迫感をもって受け入れられたからであろう。だが、ダントー議論はこうした終末論的な傾向とは無縁であり、むしろ現代の多元主義的状況をそのまま肯定するものである。ダントーのこのような議論はいかなる歴史観に支えられているのか、この点を明らかにしつつ、彼の歴史観との対比において本書の基本的な立場を明確にすることにしよう。


芸術史の3つのモデル

 彼の「芸術終焉」論は、彼固有の「歴史」概念を前提としている。ダントーによれば、「芸術史」記述に関して3つの「モデル」が存在する。

 第一のモデルはヴァザーリ(1511ー74年)によって提起されたものであり、それは「再現(representation)」すなわち「〔実際の〕知覚的経験に等価なものを芸術の目標とする。このモデルが妥当するのは再現芸術、とりわけ絵画と彫刻であるが、映画の技術の展開とともに、再現を行うという「芸術の任務」は19世紀末から20世紀にかけて、絵画と彫刻の活動から映画の活動へと移行した」。その意味において19世紀末から20世紀初頭にかけて「芸術史、少なくとも〔再現するものと〕みなされた限りにおける絵画の歴史は実際に終焉を迎えた」。

「再現」としての芸術が「終焉」を迎えたとき、芸術家は「自分たちにまだなしうるものは何かという問い」と立ち向かうことになる。換言すれば、「自己定義(self-definition)という巨大な問題が、絵画に突きつけられ」て、「芸術は自己同一性危機に直面」する。20世紀初めのことである。ここに新たな芸術史のモデルが要請されるが、ダントーによれば、2つの応答が認められる。

 第一の応答、それは芸術の本質を「表現」のうちに見るものであって、具体的にはフォーヴィスム期のマティス(1869-1964年)の描いた《緑の縞模様》(1906年)のうちに、理論的にはクローチェ(1866−1952年)が1902年に公刊した『表現の学および一般言語学としての美学』のうちに認められる。このモデルは、音楽のような非再現的芸術をも含む点において、先の「再現」モデルよりも包括的である。だが、「表現」とは基本的に個人的なものであって相互に「通約不可能」であるゆえに、芸術の本質が「表現」のうちに求められる限り、「芸術史は、進歩のパラダイムによって測りうるような種類の将来を持たず、むしろ個々の継起的な営みの連続に分断される」。それゆえに、このモデルに従うならば、芸術には「進歩」も「終焉」もありえない。そして、そのような立場から芸術史を通約不可能な「諸パラダイムの継起」として捉え返しだのが、パノフスキ(1892−1986年)の1927年の著書『象徴形式としての遠近法』である。

 それに対し、2つ目の応答は「歴史についてのヘーゲル的モデル」── すなわち「歴史とは自己意識とともに、より適切にいえば自己認識の到来とともに終焉する」、という『精神現象学』(1807年)に見られる歴史観── に依拠する。この歴史観は「教養小説」のうちに典型的に認められる「物語」の構造を有する。「自己同一性危機」に直面した「近代芸術〔モダンアート〕」は、「その偉大なる哲学的段階、すなわち1905年ごろから1964年ごろまでの段階において、自己自身の本性と本質についての大規模な探求を試みた」のであり、かつ「ポップ・アート」がこの「芸術の本性への哲学的問いへの応答」である。というのも、ポップ・アートは、「なぜこれが芸術であり、それと全く似たもの── 普通のブリロ・ボックスやありふれたスープの缶── が芸術ではないのか」という「哲学的問い」をまさに芸術をとおして提起したからである。

ウォーホール〔1928-87年〕とともに芸術は哲学のうちに吸収された、というのも、〔ウォーホールの〕芸術が提起した問いも、またこの問いが提起された際の形式も、芸術がこの方向において進みうる限りまで進んでおり、その答えは哲学の側から生じなければならなかったからである。そして、芸術は哲学へと変わることによってある種の本性的終焉に達した、ということができよう。

すなわち、「教養小説」が主人公の「自己認識」をその「頂点」としつつその終わりを迎えるように、自己の定義ないし本質を哲学的に探求した20世紀の芸術は、60年代に芸術としての「任務」を果たし、それゆえに「終焉」した、とダントーは主張する。

 ところでダントーによれば、20世紀の芸術は1960年代中葉にいたるまで、芸術それ自体の「自己定義(self-definition)」を目指していた、とされるが、この self-definition という語はダントーグリーンバーグ(1909-94年)の論考「モダニズム絵画」(1960年)から援用したものであろう。ただし、2人の用法は異なっている。グリーンバーグはこの語を、「個々の芸術〔ジャンル〕に固有の効果から、その他の芸術〔ジャンル〕の媒体から借りてきた、ないしそうした媒体によって作り出されたとみなされるようなありとあらゆる効果を排除する」という意味におけるモダニズムの芸術に固有の「純粋性」 ── すなわち個々のジャンルの「自己限定」性── を指し示すために用いていた。グリーンバーグにとって、1950年代の抽象表現主義絵画は、モダニズムの傾向を推し進めるものにほかならなかった。それに対し、20世紀の芸術は「芸術の本性への哲学的問い」へと立ち向かった、と捉えるダントーは、この self-definition という

語を哲学的な定義の意味に理解している。このようにしてダントーは、1960年代のポップ・アートという、グリーンバーグの求める「純粋性」とは全く異質な芸術のうちに、20世紀の芸術運動の1つの頂点を見出す。

 こうした両者の差異に着目するならば、self-definition という語を「自己限定」から「自己定義」へと読み替えるダントーの意図が明らかとなろう。すなわち彼は、20世紀の芸術が目指していた芸術の(「自己限定」ではなく)「自己定義」をポップ・アートのうちに見出すことによって、グリーンバーグモダニズム史観それ自体を過去のものにしようとしたのである。


芸術の終焉以後の芸術

 だが、1960年代に芸術はその終焉を迎えた、という考えに対しては、70年代以降にも芸術は存在するのではないか、という反論が生じよう。この反論に対してダントーは次のように答える。「無論、芸術制作は今後も存在するであろう。だが、芸術制作者は、私が芸術の歴史以後的(post-historical)と呼びたい段階に生きており、その制作者が生み出す作品は、われわれが〔芸術に対して〕長らく期待してきたような歴史的重要性ないし意味を欠いている」。すなわち、「芸術の終焉」とは、芸術をめぐる「ある1つの物語の終焉」であり、それゆえに、「芸術」はその「終焉」の後にも存続するとはいえ、「芸術の終焉」以後の芸術は「歴史的重要性」をもはや持たない。それはちょうど、「物語」が終焉した後にも「登場人物」は「永遠に幸せに暮らす」が、そのこと自体は「物語」にとっては何ら重要性を持だないのと同様である。「芸術の終焉」とは、それゆえに、「歴史」的意味を担った「芸術」の終焉、すなわち「芸術史の終焉」ではあるが、しかし「芸術の死」ではない。ダントー議論終末論的に理解するならば、それは端的に誤りである。

 そしてダントーヘーゲルの『美学』に依拠しつつ、「芸術の終焉」以後の芸術、すなわち「歴史以後的」段階の芸術を論じる。

ヘーゲルは彼の『芸術哲学』において次のように述べている。「芸術は単なる気晴らしや娯楽としても、つまり、われわれの環境を装飾して、生の外的状況を心地よいものとしたり、あるいは装飾品としてその他の対象を引き立てるものとしても用いることができる」。コジェーヴが、芸術とは歴史以後の時代に人間を幸せにするものの1つである、と語るときに念頭に置いていたのは、こうした芸術の機能に違いない。それは一種の遊びである。だが、この種の芸術は「それは他の諸目的に奉仕している(subservient)」ゆえに、真に自由な芸術ではない、とヘーゲルは主張する。彼はさらに続けて、芸術が真に自由であるのは、「それが宗教哲学と同じ領野に属するものとして確立する」場合のみである、と述べる。……その上でヘーゲルは、「芸術はわれわれにとって過去のものであり、また過去のものであり続ける」と語る。「芸術はその最高の可能性という点では、その真の真理と生命を失い、むしろわれわれの観念の世界のうちに置き入れられた」。……こうして「芸術についての学問、ないし芸術の学がわれわれの時代において、かつて芸術がそれだけで十分な満足を喚起していた時代におけるよりもはるかに必要とされる」。……多元主義(pluralism)の時代が到来している。あなたが何をしようともそれは問題ではない、というのが多元主義の意味するところである。もしもある方向が他の方向とともによいものであるならば、もはや方向の概念は適用できない。装飾、自己表現、娯楽といった人間の欲求はなるほど存続する。芸術が仕えるべき職務は、常に存在するであろう、もしも芸術家がそれに満足するならば。…… 実際、奉仕的芸術(subsetvient art)は今までもわれわれのもとに存在してきたのである。

 ダントーによるヘーゲル解釈はコジェーヴ(1902-68年)によるヘーゲル解釈を介在させているために多少論旨が複雑であるが、われわれの議論にとって重要なことは、ダントーが自己の理論を二重の仕方でヘーゲルと関連づけていることである。第一にダントーは、「芸術」は「過去」のものとなることによってむしろ「芸術の学」の対象となる、というヘーゲルの見解を受け入れつつ、芸術からその学問への展開を20世紀の芸術の展開に重ね合わせる。ヘーゲルの要請する「芸術の学」とは、まさにダントー自身の芸術哲学にほかならない、ということになろう。

 さらにダントーは、「芸術の終焉以後の芸術」のあり方をもヘーゲルの理論に即して捉えている。

このことは、芸術が再び人間的諸目的に仕えるようになる、ということを意味する。……人間の生活を高めることは、芸術にとってけっして些細なことではない。ヘーゲルに従えば、芸術がその終焉にいたった後も存続するのは、まさにこのような〔生活を〕高める能力においてである。

 ヘーゲルは芸術の終焉以後の芸術を「奉仕的」なものとはけっして考えていないのであるから、ダントーの主張はヘーゲル解釈としては誤りであるが、この点については措いておこう。ここで重要な点は、ダントーが、「歴史」的意義をもはや持たない「歴史以後的」芸術ないし「芸術の終焉以後の芸術」を、「人間的諸目的」に仕える多様な芸術の共存する「多元主義」的状況によって特徴づけていることである。

それゆえに、ダントーの「芸術終焉論」は「芸術の死」をめぐる従来の議論から端的に区別されることになる。「芸術の死」とは、ダントーによれば、「宣言マニフェスト)」と結びつくモダニズムに固有の観念である。それぞれの「宣言」はそれ固有の仕方で、「Xこそが芸術の本質であり、X以外は芸術ではない、あるいは芸術の本質に属さない」、と主張し、その「宣言」に先立つ芸術のあり方を否定する。個々の芸術運動(あるいはその「宣言」)によって提起される「個々の定義」は、次に生じる芸術運動(あるいはその「宣言」)によって「芸術ならざるものとして厳しく非難され」て、失効させられる。それゆえに、モダニズムの芸術運動は本質的に

「……の死」という宣言と結びつく。ここにはまさに「様式戦争」ともいうべき事態が認められよう。

 ところが、ダントーにとって「芸術の終焉」とはこの「様式戦争」の終焉なのであり、これ以降、多様な様式は互いに共存することになる。この「多元主義の時代」にあっては、「あなたが何をしようともそれは問題ではない」、「お気に召すまま(do as you like) 」、「あなたは何をしてもよい」、という原則が成り立つ。それゆえに、ダントーによれば、彼の「芸術終焉論」は「いかなる点においてもイデオロギー的なものではなく」、むしろ、従来の「様式戦争」を支えてきたイデオロギーを否定する点において「反イデオロギー的なもの」である。ダントーはさらに、「現在の多元主義的芸術世界は、これから来る政治的事態の予告である、と信じることは何とすばらしいことであろうか」と述べて、「芸術の終焉」以後の芸術に認められる「多元主義」を現実の政治的世界において求められるべき「多文化主義」にとってのモデルとみなしている。

 ダントーに従えば、この「多元主義」の立場こそ、プラトン(前427-347年)以来の哲学的伝統── すなわち、「芸術」とは「実践的―政治的領域」にとって危険なものであるゆえに、「実践的一政治的領域から芸術を防疫隔離する(quarantine)」必要がある、という信念に基づいて「芸術の公民権剥奪(disenfranchise) 」を追求してきた伝統── に対して、芸術に「再び公民権を与えること(reenfranchisement)」を可能にする。換言するならば、「芸術」を「抑圧」ないし「政治的に統制」しようとするプラトン以来の「哲学」の「政治的努力」に対抗して「抑圧されてきたものの解放」を成し遂げること、それがダントーの(政治的)意図である。


歴史の森の中へ

 最後に、20世紀末の芸術状況を反映したこのダントーの立場に応答しつつ、本書を閉じることにしよう。

 プラトンの呪縛がその後の西洋美学史を支配してきたかのように捉えるダントーによる歴史的展望は、はたして妥当であろうか。本書が示してきたのは、プラトン以後の美学ないし芸術論の多くが、プラトンによる芸術批判から芸術を救い出すことを目指していた、ということである。ダントーによる西洋美学史の歴史的展望は、従来の美学ないし芸術論の実際の姿から逸脱しているといわざるをえない。そしてこのことは、1960年代以後に生じた「多元主義」に即して芸術に「公民権を与え」ようとするダントーの企てが的を射ていないのではないか、という疑問を生じさせよう。

 ここで、ダントーが自らの「多元主義」をヴェルフリン(1864-1945年)の美術史観と対置している一節に注目したい。

よく知られているように、ハインリヒ・ヴェルフリンは『美術史の基礎概念』の後の〔1922年〕版への序文を終えるに当たって、あらゆることがあらゆる時代に可能なのではない、と述べている。〔これに対し〕私が芸術の歴史以後的段階と呼んだものの特色は、あらゆることがこの時代には可能である、というものである。

第16章で触れたように、ヴェルフリンはルネサンスからバロックまでの西洋美術の展開の検討をとおして、「美術はアルカイックな、〔物と物とを〕分離し、綴り字を読むような視覚から、〔物と物とを〕まとめて見る視覚にいたる」という視覚の発展法則を打ち立てた。芸術家はいかに自由に表現するようにみえても、「ある一定の『視覚的』可能性と結びついており、かつこの『視覚的』可能性は発展史的に拘束されている」。具体的に述べるならば、個々のものを独立のものとして見るようなアルカイック期の芸術家には、物と物とをまとめて見るようないわゆるバロック的視覚の可能性はそもそも閉ざされている。このことこそ、「あらゆることがあらゆる時代に可能なのではない」という命題の意味するところである。

 このヴェルフリン説に対してダントーは、「芸術の歴史以後的段階」においては「あらゆることが可能である」と主張する。たしかに、1950年代にはグリーンパークの意味における「純粋」な絵画こそが「ただ一つの真実なる歴史的可能性」を体現していた、というダントーの回想は、1950年代において抽象表現主義がその全盛期を迎えていたことを想起するならば、歴史の一面の真理を言い当てているといってよい。そして、抽象表現主義がその歴史的牽引力を失った1970年代以後の芸術状況は、「その他の歴史的可能性よりも真実であるような歴史的可能性は存在しない」というダントーの主張によって的確に特徴づけられているように思われる。しかし、このことは「あらゆることが可能である」ということと等価ではない。どの時代もその時代に固有の時代的制約を受けており、かつそのことを意識していない。そして、時代的制約を受けている点では現代もその他の時代と異なるところはないであろう。現代においては「あらゆることが可能である」と語るとき、ダントーは一方で、現代もまた時代的制約を受けていることを捨象するオプティミストとなり、それゆえにまた同時に、現代においてもなお「予見不可能な新しさ」(すなわち、その可能性が現在において予見されないような事柄)が可能であることを否定し、また今や何も「歴史的重要性ないし意味」を持つものはないと主張するニヒリストともなる。だが、もしも現代もまた時代的制約を受けており、まさにそのゆえに、現代においてもなお「予見不可能な新しさ」が可能であるとするならば、ダントーのように現代を「歴史以後的」と特徴づけることによってそれを1960年代までの「歴史的」段階と対立的に捉えることはできないはずである。

 先に見たように、そもそもダントーにとって「歴史」とは一定の目標を目指していわば目的論的に「進歩」する過程にほかならない。だが、この前提は正しいのであろうか。ダントーの前提に従うとき、ルネサンス以後の芸術は、より完全な「再現」を目指した段階(すなわち15世紀から19世紀末ないし20世紀初頭までの芸術)と、「自己自身の本性と本質についての大規模な探求を試みた」段階(すなわち。1960年代までの20世紀の芸術)とに分けられることになるが、重要な点は、この二種の芸術は異なる目標を目指すゆえに相互に独立であって通約不可能なものとみなされなくてはならない、ということである。すなわち、ダントーによるならば、この二種の芸術の展開を1つの歴史として捉えることは不可能とならざるをえない。だが、まさにこの点において、芸術の本質を「表現」のうちに求める二〇世紀初頭の立場に対するダントー批判── すなわち、この種の「芸術史は、進歩のパラダイムによって測りうるような種類の将来を持たず、むしろ個々の継起的な営みの連続に分断される」、という批判── が、ダントー自身の歴史観にも妥当するはずである。換言するならば、たしかに、15世紀から19世紀末ないし20世紀初頭までの芸術、および1905年ごろから1960年代中葉までの芸術は、それぞれ明確な歴史をなすにしても、しかし、これらの歴史を含む芸術史全体は複数の相互通約不可能な営みに分断されることになる。ダントーは「進歩」の歴史に固執するあまり、かえって歴史全体の流れを見失っているのではないか。

 ここでヴェルフリンの見解を参照することにしよう。ヴェルフリンは「18世紀から19世紀の変わり目」に美術史上の1つの断絶を見て取っている。そのことは、ダントーが20世紀初頭の芸術のうちに1つの断絶を見出したことと、時代こそ異なるとはいえ、類比的であるともいえる。だが、この断絶に関してヴェルフリンは次のように指摘している。 ’

おそらくはここ〔18世紀から19世紀の変わり目〕に切れ目がある。だがそのことは、古いものが全く消え去った、ということを意味しない。むしろ、古いものは対立物としてある一定の期間なお作用し続ける。いやそれどころか、新たな原始人〔すなわち、19世紀初頭のアルカイックな様式を用いた新古典主義者〕は無意識のうちに古い遺産をなお多く利用している。

歴史とは断絶を含みっつも相互に連関した1つの過程である、というヴェルフリンの洞察は、ダントー歴史観よりもおそらく歴史の実態に近い。さらにヴェルフリンは次のように述べている。

歴史はけっしてそれ自体において閉じた展開をもたらすものではない。美術という植物は1本の木よりもむしろ森に喩えられるべきものであろう。そこでは古い植物の傍らに若い植物も育っており、より強い個体がより弱い個体の発育に介入してそれを阻止することもありうる。

ヴェルフリンはここにおいて、歴史を(複数の断絶した)単線として捉える代わりに複線として捉える可能性を提起している。その都度の時代における支配的な動向をもってその時代の全特徴とみなす単線型の人はこうした歴史の複数性を見落としてしまうであろうが、支配的な動向(すなわち「より強い個体」)の脇にはさまざまの動向(すなわち「より弱い個体」)が潜在的にではあれ存在し、また異なる時代において支配的な動向となるもの(すなわちかつて支配的であった「古いもの」と現在支配的なもの、あるいは現在支配的なものと将来支配的となるであろうもの)も実際には目立たない仕方においてではあれ共存することがある。もしも芸術の歴史がこのように重層的に織りなされたものであるとするならば、そこにおいて芸術は単一の「目標」を目指して「進歩」することもなければ、あらゆる歴史的意味を欠いた単なる「多元主義」的状況を呈することもありえない、といえよう。すなわち、ダントーのように「歴史的」段階と「歴史以後的」段階とを峻別する立場は成り立たないはずである。

 本書において私か試みたのは、歴史のこうした複数性ないし重層性を美学史のうちに明るみに出し、美学史を新たに織り直すことであった。本書の横糸をなす各章において、私はそれぞれの主題に即した小さな美学史を縦糸として織り込んだが、この作業をとおして、美学史は単なる過去の遺産であることをやめ、美学の現在的営みの1つとして生き返ることになろう。そのための一歩を踏み出したところで、本書を閉じることにしたい。



目次へ