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2017-06-30

モダニズムの絵画 クレメント・グリーンバーグ

 モダニズムは、単に芸術と文学だけでなくそれ以上のものを含んでいる。今のところそれは、我々の文化において本当に活きているものの殆ど全てを含んでいるのである。それはまた、偶然に起きた歴史上きわめて目新しいものである。西洋文明は、自己自身の基盤を顧みて問い直した最初のものではないが、そうすることを最も突き詰めていった文明である。私は、モダニズム哲学者カントによって始められたこの自己批判的傾向の強化、いや殆ど激化ともいうべきものと同一視している。彼が批判の方法それ自体を批判した最初の人物だったがゆえに、私はカントを最初の真のモダニストだと考えているのである。

 私の見るところ、モダニズムの本質は、ある規律そのものを批判するために ── それを破壊するためにではなく、その権能の及ぶ領域内で、それをより強固に確立するために── その規律に独自の方法を用いることにある。カントは論理の限界を立証するために論理を用い、その旧来の支配圏から多くのものを撤回したが、論理は、そこに残されたものをかえっていっそう安泰に保持するようにされたのである。

 モダニズムの自己−批判は啓蒙運動の批判から生じたが、それと同じものではない。啓蒙運動は外側から、つまりより一般的に受け入れられている意味での批判が取る方法で批判したのだった。だが、モダニズムは内側から、つまり批判されていくものの手順それ自体を通して批判するのである。この新しい種類の批判が、定義からして批判的なものである哲学において最初に現れたのは、当然なことと思われる。しかし、19世紀が経過するにつれて、それは他の多くの分野でも自覚されるようになった。より合理的正当化が、あらゆる正式な社会活動に要求され始め、ついに、「カント的な」自己ー批判は、哲学とはかけ離れた領域においてこの要求に直面し、また解釈するよう求められたのである。

 宗教のような活動は、自らを正当化するために「カント的な」内在批判を利用できずにいたが、そこに何か起こったかを我々は知っている。一見、芸術は宗教に似た状況にあったかに思われるかもしれない。芸術が真剣に取り組み得る仕事の全ては、啓蒙運動によって否定されてしまい、芸術はあたかも純然たる娯楽に同化されていくかに見えたし、また娯楽それ自体は、あたかも宗教と同様に心理療法同化していくかに見えた。芸術がこうした水準の低下から自己を救い出せたのは、それらが与える類の経験が本来的に価値あるものであって、他のいかなる活動からも得られないことを実証できたからこそである。

 結局、各々の芸術は、自らの責任でこの実証を成し遂げなければならなかった。提示され明らかにされねばならないことは、芸術一般においてのみならず各々の個別な芸術において、何が独自のものであり削減し得ないものか、であった。各々の芸術は、それ自身に特有の営為を通じて、それ自身に特有であり独占的である効果を限定しなければならなかった。こうすることによって、各々の芸術は、その権能の及ぶ領域を狭めることになったのは確かだろうが、しかし同時にかえっていっそう安泰にこの領域を所有することになったのであろう。

 各々の芸術の権能にとって独自のまた固有の領域は、その芸術のミディアムの本性に独自なもののみと一致するということがすぐに明らかになった。別の芸術のミディアムから借用されているとおぼしき、または別の芸術のミディアムが借用しているとおぼしきどんな効果でも、各々の芸術の効果からことごとく除去することが自己−批判の仕事となった。それによって各々の芸術は「純粋」になり、その「純粋さ」の中に、その芸術の自立の保証と同様、その質の基準の保証が存在したであろう。「純粋さ」とは自己−限定のことを意味し、また芸術における自己−批判の企てとは徹底的な自己−限定のそれとなったのである。

 リアリズム的でイリュージョニスム的な芸術は、技巧を隠蔽するために技巧を用いてミディアムを隠してきた。モダニズムは、技巧を用いて芸術に注意を向けさせたのである。絵画のミディアムを構成している諸々の制限 ── 平面的な表面、支持体の形体、顔料特性── は、古大家たちによっては潜在的もしくは間接的にしか認識され得ない消極的な要因として取り扱われていた。モダニズム絵画は、これら同じ制限を隠さずに認識されるべき積極的な要因だと見なすようになってきた。マネの絵画が最初のモダ二スムの絵画になったのは、絵画がその上に描かれる表面を率直に宣言する、その効力によってであった。印象主義はマネに倣って、使用されている色彩がポットやチューブから出てきた現実の絵具でできているという事実に対して眼に疑念を抱かせないようにするために、下塗りや上塗りを公然と放棄したのだった。セザンヌは、ドローイングとデザインをキャンバスの矩形の形体により明確に合わせるために、真実らしさと正確さを犠牲にしたのだった。

しかしながら、絵画芸術がモダニズムの下で自らを批判し限定づけていく過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体に不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。支持体を囲む形体は、演劇という芸術と分かち合う制限的条件もしくは規範であった。また色彩は、演劇と同じくらいに、彫刻とも分かち持っている規範もしくは手段であった。平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち合っていない唯一の条件だったので、それゆえモダニズム絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かったのである。

古大家たちは、いわゆる絵画平面の完全さを保っておく必要があると感じていた。すなわち、三次元空間の最も生き生きとしたイリュージョンの下にあっても、平面性がそこにあり続けているのを示す必要があると感じていたのである。そこに含まれている明らかな矛盾── 流行語ではあるが的を射た言い回しを使うなら、弁証法的緊張── は、彼らの芸術の成功にとって不可欠なものであった。実際は全ての絵画芸術の成功にとってそうなのだが。モダニストたちは、決してこの矛盾を避けてもこなかったし、解決してもこなかった。むしろ、彼らはその関係を逆転させてきた。平面性の中に何が在るかに気づく前に、その絵の平面性に気づくのである。古大家の作品は一点の絵として見える以前に、その中に存在するものが見られる傾向にあるのだが、一方モダニズム絵画は、まず最初に一点の絵として見えるのである。もちろんこれは、古大家のものであれモダニストのものであれ、どんな種類の絵画でも最高の見方なのだが、モダニズムはそれを唯一の必須の見方として強いるのであり、モダニズムがそうするのに成功することは自己−批判に成功することなのである。

 モダニズム絵画はその最近の段階では、それと分かるような対象の再現を放棄してきたが、それは原則としてのことではない。モダニズム原則として放棄してきたのは、それと分かる三次元の対象がその中に存在し得る類の空間の再現なのである。抽象性もしくは非具象性は、たとえカンディンスキーモンドリアンのような卓越した芸術家がそのように考えていたとしても、今なお本質的には絵画芸術の自己ー批判の中で完全に必須の契機であることは立証されていない。再現つまり図解することそれ自体が、絵画芸術の独自性を減ずるのではない。そうするのは、再現されている事物についての連想である。それと分かる実在物は全て(絵画自身をも含めて)三次元空間の中に存在しており、それと分かる実在物のほんのわずかの示唆でも、その種の空問の連想を呼び起こすには充分なのである。人物像のもしくは茶碗の断片的なシルエットでもそうであろうし、そうであるせいで、絵画空間を芸術としての絵画の自立を保証する二次元性から引き離してしまうだろう。三次元性は彫刻の本分であり、絵画はそれ自身の自律性のために、何よりも彫刻と分かち持っているかもしれないものは全て取り除かなければならなかった。そして、絵画が自らを抽象的なものにしていったのは、これを行うための努力の過程においてであって、── 繰り返して言えば── 再現的なものや「文学的な」ものを除去するのは大したことではない。

 同時にモダニズム絵画は、正確には彫刻的なものへの反抗において、外見上は全て逆に見えようとも、伝統と伝統的なテーマを存続させていることを正に示している。というのも彫刻的なものへの反抗は、モダ二ズムの到来よりはるか以前から始まっているのである。西洋の絵画は、それがリアリズム的なイリュージョンを目指して努力する限り、きわめて多くの恩義を彫刻に負っている。そもそも彫刻が、絵画レリーフ状のイリュージョンへ向かうための陰影法や肉付法を教えたのであり、またそのイリュージョンを、それと相補関係にある深奥空間のイリュージョンの中にいかに配置するかさえも教えたのである。だが、いくつかの西洋絵画の最も偉大な至芸は、過去4世紀の間、彫刻的なものを抑圧し拭いさるための努力の一端として現れてきたのである。その努力は、16世紀のヴェネチアに始まり、17世紀スペインベルギーオランダで引き継がれながら、最初は色彩の名において続けられていた。18世紀になって、ダヴィッドが彫刻的な絵画を復活させようと努めた時、それは色彩の強調が引き起こすように思える装飾的な平板化から絵画芸術を救い出すためであった。にも拘らず、ダヴィッド自身の最良の絵画(それがひときわ目立つのは肖像画だが)の強さはしばしば、他の何よりもその色彩に在る。そして彼の弟子であるアングルは、より一層一貫して色彩を軽視し続けたものの、14世紀以来、西洋の洗練された芸術家の手になる最も平面的で最も非彫刻的なものに属する絵画を制作したのであった。こうして19世紀の半ばまでには、絵画における覇気に満ちた傾向の全てが、反彫刻的な方向に(それぞれに差異はあるが)集中していったのである。

 モダニズムはこの方向を継続していくにつれて、その自覚をも強めることになった。マネと印象主義によって、問題はドローイング対色彩の問題として定義されるものではなくなり、代わって触覚的な連想によって修正されたり変容されたりした視覚的経験に対抗するものとしての、純粋に視覚的な経験の問題になった。印象主義者が彫刻的なものを暗示する陰影法や肉付法を始めその他あらゆるものを徐々に取り去っていくことに向かったのは、純粋で文字通りの視覚的なものの名においてであって、色彩の名においてではなかった。そして、ダヴィッドが彫刻的なものの名においてフラゴナールに対抗したのと同じ仕方で、セザンヌとその後継者であるキュビストたちは印象主義に反発した。しかし再び、ちょうどダヴィッドとアングルの反抗がついに以前にもましてさらに非彫刻的類の絵画になったのと同じように、キュビスムの反−革命は結局、チマブーエ以降に見られたどの西洋美術よりも平面的な類の絵画になった── 実際、それは余りに平面的なのでそれと分かる図像を殆ど内容として持つことができなかったのである。

 ところで、絵画芸術にとって基本となるその他の規範にも同様に綿密な探究が続けられていったが、それと同じくらい顕著な結果は出なかったようである。何代にもわたって続いたモダニズムの画家たちによって、絵画を囲い込む形体つまり枠の基準は、緩められたかと思うとまた締めつけられ、また再び緩められ、さらにもう一度特別視され締めつけられたのだが、それがいかになされたのかを語ることは私の自由になる紙幅を越えてしまう。あるいはまた、仕上げの基準、絵具のテクスチュアの基準、明暗と色彩の対比の基準も検証されまた再検証されたが、それがいかになされたのかも同様である。これら全てはさまざまな危険に晒されてはきたが、それは新しい表現のためだけではなく、それらを、基準としてより明らかに提示するためでもあった。提示され明確にされることで、それらが不可欠なものかどうかが検証されるのである。この検証は決して終わってはいない。それが続行されるにつれてより綿密になっていくという事実は、ごく最近の抽象芸術に多く見られる徹底的な複雑化と同様に、徹底的な単純化の説明にもなるのである。

 単純化も複雑化も好き放題にできるものではない。逆にある分野の規範がより厳密で本質的に規定されるようになればなるほど、自由を許容しなくなりがちである(「解放」という言葉が、アヴァンギャルドモダニズム芸術に関して余りに乱用されるようになってきた)。絵画の本質的な規範もしくは因襲もまた制限的条件であり、描き上げられた表面が一点の絵画として経験されるためには従わなければならないものである。モダニズムは、絵画絵画であることをやめて任意の物体になってしまう手前ぎりぎりまで際限なくこれらの制限的条件を押し退け得ることに気づいてきた。

 しかしまた、これらの制限はより遠くへ押し退けられれば、ますますはっきりと遵守されねばならなくなることにも気づいてきた。モンドリアンの交差する黒い線と彩色された矩形は、それから絵画を作るのに充分とはとても思えないかもしれないが、しかし絵画を囲い込む形体をきわめて自明なものとして反響させて、その形体を新しい力と新しい完全さを有する規定的な基準として課するのである。自然の中にモデルが無いからといって恣意的なものになる危険を招くどころか、モンドリアンの芸術は時を経ると、ある点では余りに規範に準じ、余りに因襲に縛られていると言ってもいいことが分かってくる。その完全な抽象性に我々がひとたび慣れてしまうと、その枠への従属と同様、その色彩においても、晩年のモネ絵画群よりも伝統的だということが分かるのである。

 モダニズムの芸術の原理を大筋で示すにあたって、単純化したり誇張したりしなければならなかったことは理解されたい。モダニズム絵画が自己の立場を見定めた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ない。絵画平面における感性の高まりは、彫刻的なイリュージョンもトロンプ・ルイユももはや許容しないかもしれないが、視覚的なイリュージョンは許容するし許容しなければならない。表面につけられる最初の一筆がその物理的な平面性を破壊するのであり、モンドリアンの形状も依然としてある種の三次元のイリュージョンを示唆している。ただ今にして見れば、それは厳密に絵画としての、つまり厳密に視覚的な三次元性なのである。古大家たちは、人がその中へと歩いて入っていく自分自身を想像し得るような空間のイリュージョンを作り出したが、一方モダニストが作り出すイリュージョンは、人がその中を覗き見ることしかできない、つまり、眼によってのみ通過することができるような空間のイリュージョンなのである。

 新印象主義者たちが科学に手出しした時、彼らはまんざら見当違いの方向へ導かれていたわけではなかったことは、理解され始めている。カント的な自己−批判はその完全な表現を哲学の中によりむしろ科学の中に見出しており、この種の自己−批判が芸術に適用された時、それは精神的にはかつて無かったほどに科学的方法に近づいた── 初期ルネサンスにもまして近づいたのである。視覚芸術は視覚的経験においてもたらされるものだけに専ら自己を局限すべきであり、それ以外の経験の仕方でもたらされるものとは関わるべきではないという考え方の正当性は、観念的には、専ら科学的一貫性の内に見出される。科学的方法だけが、ある事態が解決されるのは、その事態が生じている専門領域と全く同じ種類の領域内であるべきだ、と要求する── つまり、生理学における問題は生理学の領域内で解決されるのであって心理学の領域内ではない。心理学の領域内で解決されるためには、まず第一心理学の領域内で生じているか、もしくはそこに移し換えられていなければならない。これと類似して、モダニズム絵画は、文学的なテーマが絵画芸術の主題になるより先に、厳密に視覚的な二次元の領域に移し換えられているべきだ、と要求する── つまり、その文学的な性格が完全に失われるような仕方に、それが移し換えられることである。実際にはそうした一貫性は、美的な質もしくは美的な成果に関しては何も約束するものではないし、過去70年か80年の間の最良の芸術がますますそういった一貫性に接近してきているという事実があっても、やはりそれに変わりはない。以前と同様、今も芸術において重きを成す唯一の一貫性とは美的一貫性であり、それは結果の中でのみ現れてくるものであって、決して方法や手段の中からではない。芸術それ自体の観点からすれば、それが科学に近づいていったのは、たまたま起こった単なる偶然の出来事であって、芸術も科学もかつて以上に他方に何物かを与えたり保証したりはしない。しかしながらそれらの収束が示すものは、モダニズムの芸術が近代科学と同じ歴史的、文化的傾向に属している、その度合いである。

 モダニズムの芸術の自己−批判が続行されてきたのは、何よりも自然発生的に、潜在意識的にであったということもまた理解されるべきである。それは徹底して実践の問題であり、実践に内在するものであって、決して理論をめぐる論題ではなかっ。た。モダニズムの芸術に関連して綱領といったようなことがよく言われてきたが、しかし実のところ、ルネサンスの芸術やアカデミックな芸術に比べれば、モダニズムの芸術が綱領に依拠することははるかに少なかったのである。わずかの非典型的な例を除いて、コローと同様にモダニズムの大家たちも、芸術に関する固定観念を欲する気持ちを露わにすることはなかった。特定の性向や強調、特定の拒絶や禁欲が避けがたく思えるのは、ただこれらを通して、より強力でより表現力に富む芸術への道が広がるように見えるからである。

 モダニズム芸術家たちの直接の目的は、何よりもまず個人的なものに留まっており、彼らの作品にとっての真実もしくは成功も、何よりもまず個人的なものである。モダニズムの芸術は、芸術として存続している限り示威運動(デモンストレーション)を提起するものではないことを、私は繰り返し述べたい。むしろあらゆる理論上の可能性を経験的な可能性に転換させ、そうすることで無意識のうちに、 という性質を少しも持ち合わせてはいない。モダニズム絵画の自己−批判的傾向が露わになるには、幾多の個人的な業績の数十年にわたる積み重ねが必要だったのである。この傾向にはっきり気づき意識していた芸術家は一人もいなかったし、今もいないのであり、またいかなる芸術家もそれに気づいたからといって首尾よく制作できるものでもなかった。この範囲内で── それが断然、最大限度だが── 芸術は以前と同じ仕方で、モダニズムの下でも続行されているのである。

 さらに、モダニズムが過去との断絶といったことを決して意図してこなかったことは、どんなに強調してもしすぎることはない。モダニズムはそれ以前の伝統を継承すること、解きほぐすことを意図しているかもしれないが、それはまた伝統の持続をも意味しているのである。モダニズムの芸術は、間隙も断絶も無く過去から発展しているのであり、どこで終わろうとも、常に必ず芸術の連続性という点から理解されよう。絵画制作は、絵画が最初に作られ始めた時以来、先述した全ての基準に支配されてきた。旧石器時代絵師もしくは彫師は、枠という基準を無視して、表面を文字通りにも現実的にも彫刻的な仕方で扱うことができたが、それは絵画というよりもむしろ画像を作っていたからであり、自然が(骨や角のような小さな物体の場合は除いて)芸術家に意のままにならない制約を与えたため、それを無視できるような支持体によって制作したからである。しかし、平面の画像とちかって、絵画制作は熟慮して制限を選択し、またそれらを創出することを意味している。この熟慮とは、モダニズムが繰り返し行っていることである。すなわち、芸術を制限する条件はとりもなおさず人間にとっての制限と見なされねばならないという事実をはっきりと示しているのである。

 モダニズムの芸術が理論的な論証(デモンストレーション)を提起するものではないことを、私は繰り返し述べたい。むしろあらゆる理論上の可能性を経験的な可能性に転換させ、そうすることで無意識のうちに、芸術についてのあらゆる理論を、芸術の現実的な実践と経験への妥当性に関して検証しているのだ、と言えるであろう。モダニズムはこの点においてのみ破壊的である。芸術を制作することと経験することにとって本質的だと考えられている多くの要因が、実はそうではないということは、モダニズムの芸術がそれなしで済ませているにも拘らず、本質的に芸術の経験を与え続けることができたという事実に示されてきたのである。この「論証」が我々の古い価値判断の殆どのものをそのままの形で残してきたということが、それを唯一にしてより決定的にしているのである。モダニズムはウッチェルロ、ピエロ・デルラ・フランチェスカ、エル・グレコ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールらの名声、そしてフェルメールの名声さえもの復活に何らかの関係があったようだし、ジョットの名声のような他の画家たちの復活にしても、それを開始したわけではないにせよ、確実なものにしたのは明らかである。しかし、モダニズムはそのことによってレオナルドラファエルロ、ティツィアーノ、リユーベンス、レンブラント、あるいはワトーの地位を貶めたりはしなかった。モダニズムが明らかにしたのは、過去も当然これらの大家たちを評価こそしたが、それがしばしば誤ったもしくは不適切な理由からだということなのである。

 今なお、この状況は何らかの点で殆ど変わっていない。かつて美術批評はモダニズム以前の芸術の後から遅れてついていったように、モダニズムの後をついていく。現代芸術に関して書かれたものの殆どは、正確に言えば批評というよりむしろジャーナリズムに属している。モダニズムの各々の新局面が、過去のあらゆる慣習や因襲と決定的に断絶する全く新しい芸術の時代の幕開けとして歓迎されるなどということは、ジャーナリズムに── 我々の時代にあって余りに多くのジャーナリストたちが背負っている一千年来のコンプレックスに── 属している。いつも、先行する類の芸術とは異なり、実践や趣味の基準から大いに「解放されて」いるために、知識の有無に拘らず誰でもがそれに関してものが言えるような、そういった類の芸術が待望されている。しかしいつもこの期待は、問題のモダニズム局面が、ついには趣味と伝統の連続性として理解されるような位置を占め、かつてと同じような諸々の要求芸術家と観衆になされることが明らかになるにつれて裏切られるのである。

 連続性の断絶という概念ほど、我々の時代の真正な芸術からかけ離れてしまうものはあるまい。芸術とは、他のさまざまなものにもまして連続性なのである。芸術の過去がなければ、そしてまた過去の卓越した水準を維持していくことの必要性と強制とがなければ、モダニズムの芸術といったものはあり得ないであろう。(1965年


[追記]

 上記の一文は、ヴォイス・オブ・アメリカが刊行したシリーズ中の小冊子として、1960年に初めて発表したものである。これは、それに先立つ同年春に、その機関のラジオで放送された。その後、若干細かい言い回しを変え、パリの『アート・アンド・リテラチュア』誌。1963年春号に、次いでグレゴリー・バトコック編のアンソロジー『ザ・ニュー・アート1966年)」に再録されたが、その時、この初出が「アート・アンド・リテラチュア」誌で1965年だと誤記されてしまった…。

 私は今この機会にもう一つの誤り、事実のではなく解釈の誤りを正したいと思う。多くの読者は、その全てでは決してないにせよ、ここに概括したモダニズムの芸術の「原理」を、筆者自身が採る立場の表明として捉えてきたように思われる。つまり、筆者が記述していることは、筆者が唱導することでもある、と。これは、記述あるいはレトリックが持つ短所と言えよう。とはいえ、書いてあることを精読すれば、筆者は、自分が概略を示している事柄について、決して賛同したり信奉したりしているのではない、ということが分かるであろう(純粋や純粋性に引用符号をつけたのは、そのことを十分に示していたはずである)。筆者は、まさに最良の芸術が、ここ数百年間にいかにして興ったのかを幾らか説明しようとしているのだが、それがどのように興らねばならなかったかとか、ましてや最良の芸術が今もどのように興らねばならないかなどということは仄めかしてもいないのである。「純粋な」芸術は有用だったが、これもやはりイリュージョンである。また、その有用性が続く可能性があっても、イリュージョンであることに変わりはない。

 私が書いたものについて、荒唐無稽なほうへと度を越してしまうような解釈がさらに幾つかあった。例えば、私が、平面性や平面を囲うものを、単に絵画芸術の制限的条件と見なすのではなく、絵画芸術における美的な質の基準として見なしている、あるいはまた、作品が芸術の自己‘限定を押し進めれば進めるほど、ますますその作品は良いものになるに違いない、というものである。このように私── いや、そもそも他の誰かでもいいわけだが── が、美的判断に到達するなどと予想できる哲学者美術史家は、私の文章にあるよりも、ずっと衝撃的に沢山のものを、彼または彼女自身のうちに読み取っているのである。



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