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2017-12-28

解放された観客 ジャック・ランシエール

 この書物を書くきっかけとなったのは、数年前に受けたある依頼だった。その依頼は、私の著書『無知な教師』のなかで展開された思想に基づいて、芸術家を集めたアカデミーで行われる観客をめぐる会議の開会のスピーチをしてほしいというものだった(1)。この提案は、最初はいくらか困惑させるものだった。『無知な教師』は、ジョゼフ・ジャコトの奇抜な理論と特異な生涯を描いていた。ジャコトは、無知な者は無知な者に自分の知らないことを教えることができると主張し、知性の平等を宣言して、人民の教育に知性の解放を対立させたために、19世紀初めに物議を醸したのだった。彼の思想は、その世紀のなかばにはすでに忘れ去られてしまった。私は、この思想を1980年代に蘇らせることが、公立学校の目指すべき目的をめぐる議論の淀みのなかに知的平等の一石を投じるために有効であると考えたのだった。だが、ジャコトの芸術世界は、デモステネス、ラシーヌ、そしてプッサンといった名によって象徴されうるものである以上、彼の思考を現代の芸術的思索のなかでどう用いたらよいというのだろう。

 だがよく考えてみると、知性の解放と今日における観客の問いとの間に明白な関係が全くないということは、好機でもあるように思われた。それは、演劇、パフォーマンス、そして観客をめぐる議論の大半に、ポストモダンの装いを纏ってさえ今なお通底している理論的かつ政治的な前提に対して、根本的に距離を取るためのいい機会となるかもしれない。だが、その関係を現われさせ、それに意味を与えるためには、芸術と政治の関係をめぐる議論の中心に観客の問いを据えている諸前提の網の目を復元しなければならなかった。つまり、演劇的なスペクタクルが含みもつ政治的な意味を判断することにわれわれが慣れてしまったことの根底にある、合理性の包括的なモデルを描いておく必要があった。私はここで演劇的なスペクタクルという表現を、寄り集まった公衆の前で身体に行為をさせるあらゆる形式のスペクタクル──劇行為、ダンス、パフォーマンス、パントマイム等々──を含めて用いている。

 実のところ、演劇がその歴史を通じてさらされてきた数多くの批判は、1つの主要な公式に帰着させることができる。その公式を観客のパラドックスと呼ぶことにしよう。このパラドックスは、おそらく有名な役者のパラドックスよりも根源的なものであるだろう。それはごく単純に次のように言い表される。観客なしには演劇はない(たとえ、ディドロの『〔私生児をめぐる〕対話』のきっかけとなっている、『私生児』の架空の上演においてのように、ただひとりの隠れた観客であるとしても)。ところが、告発者たちが言うには、観客であることは2つの理由で悪しきことである。第一に、じっと見ることは知ることとは反対のことである。観客はある仮象の前に、それが生み出される過程、あるいはそれが覆い隠している現実を知ることのないままたたずんでいるのだ。第二に、じっと見ることは行動することとは反対のことである。観客は自分の場所から動くことがなく、受動的である。観客であること、それは同時に知る能力と行動する能力から切り離されていることなのだ。

 この診断は、2つの異なる結論へと開かれている。最初の結論によれば、演劇は完全に悪しきものとされる。それは幻想と受動性の舞台なのであり、それが禁じているもの、すなわち認識と行為、認識するという行為と知によって導かれた行為のために、除去されなければならないのだ。これはかつてプラトンが下した結論である。演劇とは、無知な者たちが苦しむ人間たちを見るようにいざなわれる場である。演劇の舞台が提示するのは、1つのパトスのスペクタクルであり、1つの病の発現、欲望と苦痛の発現である。つまり、無知ゆえに生じる自己の分裂の発現である。演劇に固有の効果は、この病をもう1つの病、幻影に魅了された眼差しの病を介して伝達することにある。演劇は、登場人物を苦しめる無知の病を、無知の装置によって、つまり眼差しを幻想を受け取ることと受動的であることに慣れさせる視覚装置によって伝達する。正義に適った共同体とは、したがって、演劇的な媒介を容認しない共同体であり、共同体を律する節度が、その構成員たちの実地の態度のなかで直接具現化されている共同体なのである。

 この上なく論理的な推論ではある。とはいえ、それは演劇的ミメーシスの批判者たちが好んで用いた推論というわけではない。ほとんどの場合、彼らは前提の方はそのままにして結論だけを変更する。演劇と言えば観客の話になることが悪なのだ、と彼らは言う。彼らによれば、これがわれわれの知っている演劇、そしてわれわれの社会が自らの姿に似せて形作った演劇の堂々巡りである。だからわれわれには別の演劇、観客なき演劇が必要だということになる。誰もいない客席の前で行われる演劇ということではなく、演劇という語それ自体に含まれている受動的な視覚の関係が、ある別の関係に従属しているような演劇である。この別の関係は、舞台上で生じることを指し示すもう1つの語、すなわち「ドラマ」という語に含まれている。ドラマは行為を意味する。演劇とは、ひとつの行為が、動員すべき生きた身体たちと向き合った運動する身体たちによって成し遂げられる場である。動員される身体たちが自分たちの能力を放棄してしまったということもありえるだろう。だがこの能力は、運動する身体たちのパフォーマンス、このパフォーマンスを作り上げる知性、そしてそれが生み出すエネルギーのなかで取り戻され、再活性化されるのである。この能動的な能力に基づいてこそ、新たな演劇、というよりはむしろその根源的な効力、その真の本質を取り戻した演劇を構築しなければならない。演劇の名を借りているスペクタクルは、この本質の堕落した姿を示しているに過ぎないからだ。観客なき演劇、立ち会う者たちがイメージによって魅了されるのではなく何かを学ぶ演劇、彼らが受動的な見物人ではなく能動的な参加者となる演劇が必要なのである。

 この方向転換には2つの主要な形式があった。それらは、改革された演劇の実践と理論のなかでしばしば混ざり合っているとはいえ、その原理においては敵対するものである。最初の形式によると、仮象に魅惑され、共感──それが観客を舞台の登場人物に同一化させる──にとらえられた野次馬の愚鈍さから、観客を抜けだざせなければならない。したがって、観客に提示されることになるのは、奇妙で突飛なスペクタクルであり、観客がその意味を探らなければならないような謎である。こうして、観客は受動的な観客としての立場を捨て、現象を観察しその原因を探る科学的調査官ないしは実験者の立場に取り替えるように強いられる。あるいはまた、ひとつの模範的なジレンマ、行為の決断に踏み切る人間が直面する類のジレンマが、観客に差し出される。こうして観客は、理由を検討し、それについて議論し、果断に選択を行うための自分自身の感覚を研ぎ澄ますようになるのである。

 第二の形式においては、推論のためにとられたこ距離こそが消去されなければならないとされる。観客は、差し出されるスペクタクルを平穏に検討する観察者の立場から引き抜かれなければならない。そして、スペクタクルを統御するという幻想を失って、演劇行為の魔法の円のなかに引き込まれなければならない。こうして、観客は理性的な観察者の特権と引き換えに、自らの完全な生命力を手中に収める存在の特権を得るのである。

 以上が、それぞれブレヒト叙事詩的演劇とアルトーの残酷演劇によって端的に示されている根本的な態度である。一方によれば、観客は距離をとらなければならず、他方によれば、観客はあらゆる距離を失わなければならない。一方によれば、観客はその眼差しを洗練させねばならず、他方によれば、じっと見る者の立場そのものを放棄しなければならない。現代における演劇改革の試みは、距離を置いた調査と生気にあふれた参加というこの2つの極の間で、それらの原理や効果を混ぜ合わせながらも、常に揺れ動いてきた。そして、演劇を消滅すべきものとしていた件の診断に基づいて、演劇を変容させるのだと主張した。したがって、そこでプラトンによる批判のモティーフのみならず、プラトンが演劇的悪に対立させた肯定的な処方までもが踏襲されているのを見ても、驚くにはあたらない。プラトンは、演劇の民主主義的で無知な共同体を、演劇とは異なる身体のパフォーマンスのうちに凝縮される、もうひとつの共同体によって置き換えようとした。そして演劇に舞踏術の共同体対立させたのである。この共同体においては、何者も不動な観客にとどまることなく、各自が数学的な比率によって定められた共同体のリズムに応じて動かなければならない。そしてそのためには、集団舞踏に加わろうとしない老人を酔わせることさえしなければならないだろう。

 演劇の改革者たちは、プラトンにおける舞踏と演劇の対立を、演劇の真理とスペクタクルの見せかけ(シミュラークル)との対立として言い直した。そして演劇を、受動的な公衆が正反対のものへと変容を遂げなければならない場としたのである。正反対のものとはすなわち、自らの生命原理を活動させる一民衆の能動的身体のことである。私を招いてくれたサマーアカデミーの紹介文は、次のような言葉でそれを表現している。「演劇は、公衆が集団としての自分自身と対面する唯一の場であり続けている」。狭い意味では、この文章は演劇の集団的観衆を展覧会の個々ばらばらの訪問者たち、あるいは映画館の入場客のような単なる寄せ集めから区別しようとしているに過ぎない。しかし、そこでは明らかにそれ以上のことが言われている。この文章が意味しているのは、「演劇」が共同体の模範的な形式であるということだ。そこには、再現‐代理ルプレザンタシオン)の距離対立する、自己への現前(プレザンス)としての共同体という観念が含意されている。ドイツロマン主義以来、演劇の思考は生き生きとした集団という観念に結びついてきた。演劇は、集団の感性論的(エステティック)構成──感覚可能な形に構成すること──の一形式となって現われた。感性論的構成とは、場と時間を占める様態としての共同体ということである。つまり、単なる法的機構に対立する、現に活動する身体としての共同体、法や政治制度に先立ってそれらをあらかじめ形作っている、知覚、身振り、態度の集合としての共同体である。演劇は他のどんな芸術にもまして、もはや国家や法の機構ではなく人間の経験の感性的な形式を変革するのだという、感性論的〔美的〕革命のロマン主義的な観念に結びついてきた。そこで演劇改革とは、共同体における集会ないし式典としての演劇の本性を復興させることを意味していた。演劇は、民衆が自分たちの置かれた立場を意識し、自分たちの利害について議論する集会であると、ピスカトールに続いてブレヒトは言った。演劇は、ある集団が固有の活力を手に入れるための浄化の儀式であると、アルトーは表明した。このように演劇がミメーシスの幻想に対立する生き生きとした集団を体現するとすれば、演劇にその本質を取り戻させようとする意志がほかならぬスペククルの批判を拠り所とすることができたとしても、なんら不思議ではないだろう。

 実際、ギー・ドゥボールの考えているスペクタクルの本質とはどのようなものだろうか。それは外在性である。スペクタクルとはヴィジョンによる支配であり、ヴィジョンとは外在性、すなわち自己の喪失である。観客としての人間の病は次の簡潔な言い回しに要約されうる。「見入れば見入るほど〔観照すれば観照するほど〕、観客の存在は薄くなる〔邦訳スペクタクルの社会』木下誠訳、ちくま学芸文庫、2003年、28頁。ランシェールの引用には誤りがあり、正しくは「見入れば見入るほど、観客の生は貧しくなる」である〕」。この言い回しは、反プラトン的であるように見える。実際、スペクタクル批判の理論的な基盤は、マルクス経由で、フォイェルバッハの宗教批判から借りてこられたものである。どちらの批判原則も、非分離としての真理というロマン主義的な見方を受け継いでいる。しかし、この考えそのものはミメーシスのプラトン的な理解に依存している。ドゥボールが断罪している「見入ること」とは、真理から分離された仮象に見入ることであり、この分離が作り出す、苦痛のスペクタクルなのである。「分離はスペクタクルの始まりであり終わりである」。人間がスペクタクルのうちに見入るのは、自分からかすめ取られた能動性であり、そこでは人間の本質が異質なものとなって、向きを転じて歯向かってくる。つまり人間の本質が、この本質喪失を実質とするような世界を組織するようになるのである。

 このように、スペクタクル批判することと根源的本質を取り戻す演劇を探究することとの間に矛盾はない。「善き」演劇とは、自らの分離された現実を消去するためにそれを用いる演劇である。観客のパラドックスは、演劇のプラトン主義的な禁止の諸原則を演劇のために援用するという、この奇妙な措置に由来する。したがって、今日再検討したほうがよいものがあるとすれば、それはこれらの原則である。あるいはむしろ、これらの原則を可能としている諸前提の網の目、同等関係と対立関係の絡み合いと言ってもいい。つまり、演劇の公衆と共同体、眼差しと受動性、外在性と分離、媒介と見せかけといった同等関係と、集団と個人、イメージと生きた現実、能動性と受動性、自己所有と疎外といった対立関係の絡み合いである。

 というのも、同等関係と対立関係のこの絡み合いが、過ちと償いをめぐるかなり回りくどいドラマツルギーを組み上げているからである。演劇は、観客を受動的にし、そのことによって共同体的行為としての自らの本質に背いているとして、自分自身を告発する。その結果、演劇は観客たちに彼らの自己意識能動性を取り戻させてやることによってその効果を逆転させ、過ちを償うという任務を自らに与えるのである。こうして演劇の舞台およびパフォーマンスは、スペクタクルの悪と真の演劇の間の媒介となって消え去る。それらは観客たちに、観客であることをやめ、集団による実践の行為主体となるにはどうしたらよいのかを教えることを目的とする。ブレヒト的なモデルによれば、演劇の媒介によって、そのきっかけとなった社会的状況に観客は自覚的となり、それを変革するために行動することを欲求するようになる。アルトーの論理によれば、演劇の媒介によって、観客は観客の立場から抜け出る。観客はスペクタクルと向かい合うのではなく、パフォーマンスに取り囲まれ、行為の領域に引きずり込まれることで、集団的活力を取り戻すのだ。いずれの場合にも、演劇は自らを消し去ることを目指す媒介として現われるのである。

 この地点においてこそ、知性の解放にまつわる様々な記述および命題が介入し、われわれが問題をより明確に表現し直すのに役立つ。というのも、自らを消し去るこの媒介は、われわれにとって未知なものではないからだ。それは教育的関係の論理そのものである.教師に割り当てられた役割は、自らの知と無知な者の無知との距離を消し去ることにある。教師の講義と彼が行わせる訓練は、教師と無知な者とを隔てている溝を徐々に縮めることを目的とする。不幸なことに、隔たりを縮めることができるのは、それを絶えず作り直すという条件のもとでのみである。無知を知によって置き換えるために、教師は常に一歩先を歩み、生徒と自分の間に新たな無知を置き直さなければならない。その理由は単純だ.教育学の論理において、無知な者とは単に教師が知っていることをまだ知らないでいる者のことではない。無知な者は彼が知らないでいるものが何なのか、そしてそれをどのように知ったらよいのかを知らない者なのである。そして教師は、単に無知な者が知らないでいる知を所有している者であるだけではない。教師は、そのような知をどのように知の対象としたらよいのか、いつ、どのような要綱に従ってそうしたらよいのかを知る者でもあるのだ。というのも、実のところ、どんな無知な者でもすでに多くのことを知っており、自分の周りにあるものを見、聞き、観察し、繰り返し、間違えては自分の誤りを訂正することで、自分自身でそれを学んできたからである。だが、教師にとってこのような知は無知な者の知でしかない。つまり、より単純な事柄からより複雑な事柄へと前進するように自らを秩序だてることのできない知である。無知な者は彼が見出したことを彼がすでに知っていることと比較することで前進する。この前進は出会いの偶然に従っているが、しかしまた、算術の規則、無知はより少ない知であるとする民主主義的規則に従ってもいる。彼が気にかけているのは、ただより多くを知ること、自分がまだ知らないでいることを知ることだけである。そして彼に欠けているもの、自分自身が教師になるのでない限り生徒には常に欠け続けるであろうもの、それは無知の知、すなわち、知と無知を隔てる正確な距離の認識である。

 この測定こそ、まさしく無知な者たちの算術には不可能なことである。教師が知っていること、知の伝達の要綱が初めに生徒に教えることは、無知とはより少ない知なのではなく、知とは反対のものであるということだ。つまり、知とは知識の集合なのではなく、ひとつの位置〔地位〕なのである。正確な距離とは、どんな物差しによっても測られず、ただ占められる位置〔地位〕の駆け引きによってのみ確かめられる距離であり、教師教師が自分に追いつかせるべく訓練しているはずの者とを隔てる「前への一歩」の、果てしのない実践によって示される距離である。それは、教師手法と無知な者の手法とを隔てる根源的な溝の隠喩なのである。というのも、この溝は二つの知性、無知が何に存しているのかを知る知性と、それを知らない知性とを隔てているからだ。この根源的な隔たりこそ、秩序だって前進する教育が生徒にまず教えるものである。つまり、まず生徒に彼が無能力であることを教えるのである。こうして、この教育はその〔教育するという〕行為のなかで、それが前提にしている事柄、すなわち知性の不平等を絶えず確かめる。この絶えざる確認こそ、ジャコトが愚鈍化と呼んでいるものである。

 この愚鈍化の実践に、ジャコトは知性の解放の実践を対立させた。知性の解放は知性の平等の確認である。知性の平等とは、知性のあらゆる発現が同等の価値を持つということではなく、そのあらゆる発現において知性は自分自身に平等である〔常に一様であるということだ。底知れぬ溝によって隔てられているような二種類の知性があるわけではない。人間という動物は、初めに母国語を学んだのと同じように、そして人類の一員となるために自分を取り巻く事物と記号の森に踏み込んでいくことを学んだのと同じように、すべてのことを学ぶのである。つまり、ある事柄と他の事柄、ある記号とある事象、ある記号と他の記号を観察し比較することによって。読み書きのできない者でも祈りの文句をひとつ暗記してさえいれば、この知を彼がまだ知らないでいること、つまりこの祈りの文句が紙に書き付けられたものと比較することができる。彼は記号を一つ一つ辿って、彼が知らないことと彼が知っていることの関係を学ぶことができる。一歩一歩、自分の目の前にあるものを観察し、自分か見たものを口に出し、自分が言ったことを確認していけば、それは可能なのである。このように記号をたどたどしく読んでいく無知な者と、様々な仮説を組みあげる学者の問には、常に同じ知性が働いている。自らの知的冒険を伝達するために、そしてもう一人の知性が自分に伝達しようとしていることを理解するために、記号を他の記号に翻訳し、比較や比喩形象を用いる知性である。

 翻訳というこの詩的な作業が、すべての習得の核心にある。そしてまた無知な教師による解放の実践の核心にある。無知な教師が知らないでいるのは、愚鈍化する距離である。つまり、エキスパートだけが「埋める」ことのできる根源的な溝に成り変わった距離である。距離撤廃すべき悪なのではなく、あらゆる伝達の正常な条件なのだ。人間という動物は、記号の森を通じて伝達を行う隔たり合う動物である。無知な者が越えていかなければならない隔たりは、自らの無知と教師の知との間にある溝なのではない。それは、彼がすでに知っているものから、今のところまだ知らないがほかのことを学んだように学びうるものへの道のりにすぎない。彼がそれを学びうるのは、学者の地位を占めるためではなく、翻訳し、自分の経験を言葉にし、自分の言葉を試すための技法、自分の知的冒険を他人たちに向けて翻訳し、他人たちが彼ら自身の冒険を翻訳して彼に示すものを翻訳し返すための技法を、よりよく実践するためである。無知な者がこの道のりを踏破するのを助けることのできる者が無知な教師と呼ばれるのは、彼が何も知らないからではなく、彼が「無知の知」を放棄し、そうすることによって自分の教職と自分の知とを切り離したからである。彼は生徒に自分の知を教えるのではなく、事物と記号の森に踏み込み、見たものを語り、見たものについて考えたことを語るように、そしてそれを確かめ、ほかの人にも確かめてもらうように命じる。無知な教師が知らないのは、知性の不平等である。すべての距離は事実上の距離である。そして、知的行為のそれぞれは、ひとつの無知とひとつの知の間に引かれた道のりであり、位置〔地位〕のあらゆる固定的性格と階層を、その境界もろとも撤廃し続けていく道のりなのである。

 こうした事柄と今日の観客の問いとの問にどんな関係があるのだろうか。劇作家が観客に社会的関係の真理を説明しようとしたり、資本主義の支配に抗して闘争する手段を説明しようとしたりするような時代ではもはやない。だが、抱いていた幻想を捨て去るからといって、必ずしも前提としていたことまで捨て去るわけではないし、目的の地平を失うからといって、必ずしも手段の体系を失うわけでもない。それどころか、幻想を失ったことで、芸術家が観客に対する圧力を強めるということだってありえる。観客は、パフォーマンスによってその受動的な態度から引きずり出され、ひとつの共同世界の能動的な参加者に成り変わるならば、何をしなければならないのか分かってくれるかもしれない、という具合だ。これが、演劇の改革者が愚鈍化する教育者と共有している第一の確信なのである。つまり二つの位置〔地位〕を隔てる溝があるという確信である。たとえ劇作家演出家が観客に何をしてほしいのか自分で分かっていない場合でも、少なくとも一つのことは分かっている。観客が一つのことを行わねばならないということ、つまり能動性と受動性を隔てる溝を越えなければならないということは分かっているのである。

 しかしながら、距離を消そうとする意志こそがまさに距離を作り出しているのではないのかと問うことによって、問題を構成している諸項目をひっくり返すことができるのではないだろうか。能動的であることと受動的であることの間にあらかじめ設定された根源的な対立以外に、何が座席に座った観客を能動的ではないと宣告することを許すというのか。じっと見ることは、イメージと仮象に満足して、イメージの背後にある真理や演劇の外にある現実を知らないでいることだという前提によるのでなければ、どうして眼差しと受動性を同一視できるだろう。そして、話すことは行為とは反対のものであるという先入観によるのでなければ、どうして聴取を受動性と同一視できるだろう。こうした対立──じっと見ること/知ること、仮象/現実、能動性/受動性── は、明確に定義された諸項目の間にある論理的な対立とは全く異なるものである。それらはまさしく一つの感性的なものの分割‐共有(パルタージュ)、すなわち位置〔地位〕、そしてそれぞれの位置〔地位〕に結びついた能力と無能力のアプリオリな分配を定めているのである。これらの対立は不平等の具現化したアレゴリーである。それゆえ、それぞれの項目の価値を変えることもできるし、対立それ自体の機能の仕方は変えることなく、「良い」項目を悪い項目、あるいは逆に悪い項目を「良い」項目にすることもできる。例えば、舞台上の役者たち、劇場の外の労働者たちはその身体を活動させているのに、観客は何もしていないという理由で低められる。だが、目先のものや卑近なものにはまり込んでいる肉体労働者や経験まかせの実務家の盲目さと、イデア観照し、未来を予見したりわれわれの世界の全体像を把握したりする者たちの広い視野との対立が問題になるや否や、見ることと行為することの対立は逆転する。少し前まで、地代で暮らす地主たちは、選挙権被選挙権のある者として能動的市民と呼ばれ、生活のために労働する者たちは、こうした役割にはふさわしくない者として受動的市民と呼ばれていた。それぞれの項目は意味を変え、位置〔地位〕は入れ替わりうる。ただ重要なのは、ある能力を有する者と有しない者という二つのカテゴリー対立させる構造はそのままであるということだ。

 解放の方はどうかというと、それが始まるのは見ることと行動することの対立が問い直される時であり、言うこと、見ること、行為することの関係を上述のように構造化している明証性それ自体が、支配と服従の構造に属していることが理解される時である。解放は、じっと見ることが位置〔地位〕のこのような分配を確証したり、あるいはそれを変容したりする行為でもあることが理解される時に始まるのである。観客もまた、生徒や学者と同様に行動する。観客は観察し、選択し、比較し、解釈する。自分が見ているものを、違う舞台のうえで、あるいは別種の場ですでに目にした数々のものに結びつける。そして自分の目の前にある詩を構成する要素を使って、自分自身の詩を組み立てる。パフォーマンスを自分なりにやり直すことで、それに参加するのである。例えば、パフォーマンスが伝達するとみなされている生の活力を逃れ、むしろパフォーマンスを単なるイメージにし、この単なるイメージを自分が読んだり夢見たりした物語、自分が体験したり作り出したりした物語に結びつけるという具合だ。こうして、観客は距離をとった観客であると同時に、提示されたスペクタクル能動的な解釈者ともなるのである。

 これこそが最も重要な点なのだ。役者や劇作家演出家やダンサー、あるいはパフォーマーがそれぞれのやり方で行っているように自分自身の詩を作り出す限りで、観客は何かを見、感じ、そして理解しているのである。アッバス・キアロスタミのカメラにとらえられた、導師フセインの死を悼む伝統的なシーア派宗教劇に立ち会う観客たちの、眼差しや表情が移り変わる様を観察すれば十分だろう(『タジエ』〔Tazieh〕)。劇作家演出家は、観客が何か決まったものを見、何か決まったものを感じ取り、これこれのことを理解し、そこからしかしかの帰結を引き出すことを望む。それは愚鈍化する教育者の論理、物事を同一なまま直線的に伝達する論理である。一方に── 身体ある何か、例えば一つの知、一つの能力、一つの活力があり、それらが他方に移らなければならないというわけだ。生徒が学ば〔apparendre〕なければならないのは、教師が彼に教える〔apparendre 〕ことである。観客が見なければならないのは、演出家が彼に見せるものであり、観客が感じ取らなければならないのは、演出家が彼に伝える活力である。原因と結果のこのような同一性が愚鈍化の論理の核心にあるのに対し、解放はそれらを分離する。それが無知な教師パラドックスが意味するところである。生徒は教師から、教師自身が知らない何かを学ぶ。彼がそれを学ぶのは、探究し、この探究を確かめることを強いる教師による支配の結果である。しかし、生徒は教師の知を学ぶわけではないのだ。

 芸術家は観客を教育しようとしてなどいないと言う人もいるだろう。今日、芸術家はなんらかの教訓を押しつけたり、なんらかのメッセージを伝えたりするために舞台を用いることを拒んでいる。彼が望んでいるのはただ、ひとつの意識のあり方、ひとつの感情の強度、そして行動のためのひとつの活力を生み出すことだけである、と。だが芸術家は、知覚され、感じ取られ、理解されることになるのは、自分がドラマツルギーやパフォーマンスに込めたものであると常に想定している。彼は原因と結果の同一性を常に前提としているのだ。ところが原因と結果の間に想定されたこの等しさ〔平等〕それ自体は、ひとつの不平等な原則に基づいている。それは教師が自らに授けている特権、つまり「適切な」距離とそれを消去するための手段の認識に基づいているのである。だが、ここでは二つのはっきりと異なる距離混同されている。芸術家と観客の間には距離がある。しかし、パフォーマンスが一つのスペクタクル、一つの自律したモノとして、芸術家の抱いた観念と観客の感覚ないし理解の間に介在している限りにおいて、パフォーマンスそのものに内在する距離もあるのだ。解放の論理においては、無知な教師と解放された見習いの間に、常に第三のモノ──1つの書物あるいは全く別の書き物の断片── がある。この第三のモノは教師と生徒双方にとって未知のものであり、双方がそれを参照することで、生徒が見たもの、それについて生徒が言っていること、そして考えることを、一緒に確かめることができるのである。パフォーマンスについても同様である。パフォーマンスは芸術家の知や息吹を観客に伝達することなのではない。それは、誰が持ち主なのでもなく、誰が意味を所有しているのでもない第三のモノであり、芸術家と観客の間にあって、物事の同一なままの伝達、原因と結果の同一性を、ことごとく退けるのである。

 この解放の観念は、このようにはっきりと、演劇とその改革の政治がしばしば依拠してきた解放の観念に対立する。つまり、分離のプロセスのなかで失われた自己への関係を再び自分のものとするという解放の観念に対立するのである。分離とその消去についてのこのような観念こそが、ドゥボールによるスペクタクル批判を、マルクス主義的な疎外の批判を経由して、フォイェルバッハによる宗教批判に結びつける。この論理のなかでは、第三項による媒介は、自己喪失とその隠蔽の論理にとらえられた、不可避の自律幻想でしかありえない。舞台と客席の分離は一つの止揚すべき状態である。この外在性を様々な仕方で消し去ることが、パフォーマンスの目的そのものである。そのために、観客を舞台に乗せたり、演者を客席に入らせたりすることもあれば、舞台と客席の差異をなくしたり、パフォーマンスをほかの場所に移したりすることもある。あるいはまた、道や町を占拠することや、生の活力を獲得することをパフォーマンスとしてしまうこともある。場の分配を一変させるためのこの努力は、演劇におけるパフォーマンスを大いに豊かなものにした。だが、場を分配し直すことは、演劇がひとつの共同体を集結させ、スペクタクルによる分離に終止符を打つことを自らの目的とするという要求とは別のものである。前者は新たな知的冒険の発明を伴うが、後者は身体をそれぞれにふさわしい場、この場合では、共同体への参与におけるそれぞれの場に割り当てる新たな形式を伴うのである。

 というのも、媒介の拒絶、第三者の拒絶は、演劇がそれ自体として共同体的本質を持っていることを肯定するものだからである。劇作家は、自分が観客の集団にしてほしいことを知らなければ知らないほど、観客がいずれにせよ一つの集団として行動しなければならないということ、そして彼らがただの寄せ集めから一つの共同体へと変容しなければならないということを、いっそうよく知るようになる。しかしながら、演劇がそれ自体として一つの共同体をなす場であるというこの考えを問いただすべき時なのかもしれない。舞台上で活動する身体が同じ場に集結した身体に訴えかけているというただそれだけの理由で、演劇が媒介している共同体的意味を、テレビの前に座る個人たちや投影された幻影の前に座っている映画館の観客たちのいる状況とは根本的に異なるものとするには十分であるように見える。奇妙なことに、演劇の演出において映像やその他あらゆる類いの映写の使用が一般化しても、この思い込みは全く変わるところがないようだ。映し出された映像は生身の身体に加わったり、それに取って代わったりしうる。にもかかわらず、劇場空間に観客が集結している限りは、演劇の活動的で共同体的な本質は守られ、正確なところ演劇の観客に他所では生じえないどのようなことが起きるのかという問いは避けることができるかのようだ。しかし、どうして演劇の観客たちが、同じ時間に同じテレビのショー番組を見ている幾多の個人以上に、双方向的で共同的であるというのだろう。

 私か思うに、その理由は、演劇がそれ自体で共同体的なものであるという前提であるに過ぎない。この前提が絶えず演劇のパフォーマンスに先行し、その効果を前もって定めているのである。しかし、劇場のなかでパフォーマンスの前にいるのは、美術館や学校、あるいは街頭においてとまったく同様、結局個人たちでしかない。そこで彼らは、自分たちに向けられ、自分たちを取り囲んでいる事物、行為、そして記号からなる森のなかで、それぞれ自分の道を進んでいくのである。観客たちに共通の能力は、彼らがある集団の構成員であるという資格からくるのでもなければ、何か特別な形の双方向性からくるのでもない。それは、各々が各々のやり方で自分の感じ取るものを翻訳し、それを特異な知的冒険に結びつける、誰もが持っている能力である。この知的冒険は、それが他のどんな知的冒険とも似通っていないかぎりで、各々を他のあらゆる者と同類にする。知性の平等に基づくこの共通の能力が個人たちを結びっけ、彼らが互いの知的冒険を交換し合うようにするのである。しかし、それはこの能力が、自分自身の道を進んでいくための誰でもが持つ能力を等しく用いることのできる個人たちを、互いに隔てておく限りにおいてである。われわれがそれぞれ行うパフォーマンス──それが教えることであれ、演じることであれ、話すことであれ、書くことであれ、芸術作品を制作することであれ、はたまたじっと見ることであれ──が確認しているのは、共同体のなかで具現化するなんらかの能力に参与するということではない。それは無名の者たちの能力、それぞれの者を他のすべての者と平等にする能力なのである。この能力は還元不可能な距離を通じて行使される。それは予見不可能な連結ー分離作用を通じて行使されるのである。

 連結し分離するこの能力にこそ、観客の解放、すなわち観客としてのわれわれひとりひとりの解放が存している。観客であることは、能動性へと変えられなければならないような受動的な状態なのではない。それはわれわれにとって正常な状況なのである。われわれは、自分が見ているものを自分か見たもの、言ったこと、行ったこと、そして夢見たことに絶えず結びつける観客として学び、教え、行動し、そしてまた認識するのである。特権的な形式もなければ、特権的な出発点もない。いたるところに出発点、交差点、結節点があり、われわれが何か新しいことを学ぶことを可能にしてくれる。ただし、それが可能となるのは、第一に根源的な距離、第二に役割の分担、そして第三に領域間の境界を拒絶するという条件においてである。観客を役者に、無知な者を学識ある者に変える必要などない。無知な者のなかに働いている知、観客に固有な能動性〔活動〕を認めればよいのである。すべての観客はすでに自分が見ている物語の役者であり、すべての役者、すべての活動的人間は、自らが演じる物語の観客なのである。

 少し回り道することになるが、この点を私自身の政治的かつ知的な経験によって説明したいと思う。私は、二つの対立する要請によって引き裂かれた世代に属している。一方の要請に従えば、社会システムについて知的な理解を有する者たちは、このシステムに苦しむ者たちにそれを教示し、彼らを闘争に向けて武装させなければならない。しかしもう一方の要請に従えば、学識があると想定されている者たちは、実のところ搾取と反逆が何を意味するのか全く分かっていない無知な者たちであり、彼らが無知な者扱いしている労働者たちのもとでそれを学ばなければならない。この二重の要請に応えるために、私はまず新たな革命運動を武装させるためにマルクス主義の真理を見つけ出し、それから工場で働き闘争している者たちから搾取と反逆の意味を学ほうと思った。だが、私の世代の者たちにとってそうであったように、私にとっても、この二つの試みはいずれも十分に説得力のあるものではなかった。このような現状に直面して、私は労働者運動の歴史のなかに、労働者たちと、労働者を教育し労働者によって教育されるために彼らを訪ねてきた知識人たちとの、意味合いのはっきりしない出会い、あるいは失敗に終わった出会いの根拠を探ることへと向かった。こうして、事の次第は知と無知の間で決められるのでもなければ能動性と受動性、個人共同体の間で決められるのでもないことを理解する機会が与えられた。五月のある日、私は1830年代の二人の労働者の文通を閲覧していた。当時の労働者たちが置かれていた状況や彼らの意識のあり方について情報を得ようとしてのことだった。だが、私は思いがけずまったく別の事柄に出くわした。145年前のやはり5月の日々に、二人の訪問者が行っていた冒険である。二人の労働者のうちのひとりは、メニルモンタンのサン=シモン主義共同体に入会したところで、自分の友人にユートピアのなかでどのように日々の時間を過ごしているのか1日中の勉強や稽古、晩に行っている遊び、コーラス、そして朗唱―を伝えていた。文通の相手の方は、その返信のなかで、ある春の日曜を満喫しようと二人の仲間としてきたばかりのピクニックを語っていた。だが彼の語っていることは、来週の仕事に備えて心身の英気を回復しようとする労働者の休日とは似ても似つかぬものだった。彼はまったく別種の余暇のなかに闖入していた。それは、風景が示す形、その光と影を楽しむ耽美主義者の余暇であり、田舎宿に身を寄せて、形而上学的な仮説について思索を繰り広げる哲学者余暇であり、自分の信ずるところを、道すがらあるいは宿で偶然出会ったすべての仲間たちに伝えようと努力している伝道師の余暇だったのである。

 労働条件階級意識のあり方について情報を提供してくれるはずだったこ労働者たちは、私にまったく別のものをもたらした。類似の感情であり、平等の証明である。彼らもまた、彼ら自身の階級のなかで観客であり訪問者なのだった。プロパガンダを行う者としての彼らの活動は、散歩者であり瞑想家としての彼らの閑居から切り離すことはできなかった。彼らの余暇の記録にすぎないものが、見ること、行為すること、そして語ることの既成の関係を新たに言い表すことを余儀なくしたのである。労働に勤しむ者に当てもなく歩を進め、眼差しを彷徨わせる時間はなく、集団の構成員に個性を様々な形に磨きあげ、それを人とは異なる記章にして示すための時間はないと断じる感性的なものの分割=共有(パルタージュ)を、彼らは自らを観客にも訪問者にもすることで転覆しているのである。それこそ解放という言葉が意味していることだ。解放とは、行動する者とじっと見る者、個人であることと集団の構成員であることの間にある境界を、混乱させることなのである。あのような日々が手紙をやりとりする二人の労働者やその同胞たちにもたらしているのは、彼らの置かれた状況についての知識や、明日の労働と来るべき闘争のための活力ではなかった。それは、時間と空間の分割=共有、労働と余暇の分割=共有を、今ここにおいて再編成することだったのである。

 時間のまさにその内部に生じたこの切断を理解することは、縮めようのない隔たりを縮めようとする果てしのない試みを通じて自らの支配力を確かなものとする代わりに、類似性と平等がもたらす帰結を発展させることであった。この二人の労働者は、誰もがそうであるように、知識人でもあった。彼らは、一世紀半後に彼らの手紙を図書館で読む研究者と同様に、そして工場の入口にマルクス主義の理論を持って訪問してくる者やビラを配りにくる者と同様に、訪問者であり観客であった。知識人労働者の間にも、役者と観客の間にも、埋めなければならないような隔たりはまったくなかった。ここから、この経験を説明するのに適した言説のために、いくつかの帰結が引き出される。彼らの日中の出来事や夜の出来事の物語を語ることは、ほかにも様々な境界を乱すことを強いるものだった。時間について、時間を失うことと取り戻すことについて語っているこの物語は、ほかの場所で、別の時代に、まったく異なる類の書き物のなかで語られた、それに類似するある物語に関係づけられることで初めて意味を持ち、その効力を発揮する。それは、プラトンの『国家』第二巻のなかで語られている物語であり、そこでプラトンは、演劇における偽りの幻影を非難するに先立って、よく秩序だった共同体においては、各人はただ一つだけのことしか行ってはならず、職人には自分の職場以外の場所にいる時間はなく、自然が彼らに授けた(無)能力に見合った仕事以外のことをする時間はないと説明しているのである。

 したがって、あの二人の訪問者の物語を聞き取るためには、経験に基づく物語と純粋な哲学との境界、諸分野間の境界、そして言説レヴェルの階層を攪乱する必要があった。一方に事実を語るお話しがあり、他方に物語の道理や背後に隠された真理を明るみにする哲学的ないし科学的な説明があるのではない。一方に事実があり、他方にその解釈があるのではない。一つの物語を語る二つの様式があるのだ。だから私のすべきことは一つの翻訳作業であり、春の日曜の日々を語るあの物語と哲学者対話篇がどのように互いを翻訳し合うのかを示すことであった。そしてこの翻訳と翻訳の仕返しに適した固有語法を発明しなければならなかった。ただしこの固有語法は、この物語の意味、それを説明する現実、それが行動のために与える教訓を求めるような者には理解不可能なままにとどまるかもしれない。実際この固有語法は、自分自身の知的冒険に基づいてそれを翻訳しようとする者によってしか、読み解かれはしないからだ。

 この伝記的な回り道が、私か話そうと思っていることの核心へと導いてくれる。というのも、横断すべき境界と攪乱すべき役割分担をめぐるこれらの物語は、コンテンポラリーアートの現状に逢着するからだ。コンテンポラリーアートにおいては、個々の芸術に特有のあらゆる能力が、それぞれの固有な領域を離れ、互いの場、互いの権限を交換し合う傾向にある。今日では、台詞のない演劇もあれば語られるダンスもある。造形芸術のなりをしたインスタレーションやパフォーマンスもある。大壁画の連作に成り変わったビデオ影像の映写もある。写真が引き延ばされ活人画や歴史画となり、彫刻がマルチメディアーショーに姿を変える。そのほかにも様々な芸術が組み合わされている。ところで、こうしたジャンルの混交を理解し実践するには三つの方法がある。まず、全体芸術作品の形式を蘇らせるという方法だ。全体芸術作品は生となった芸術の極致であると考えられていた。だが今日にあっては、それはむしろ過剰に肥大した若干の芸術家的エゴの作品となるか、コンシューマリズムの過激な直接行動主義の一形式の作品となるか、さもなければ同時にその二つの作品となるという傾向にある。次いで、芸術手法の交雑は、役割や身分〔同一性〕が絶え間なく入れ替わり、現実的なものと潜在的なもの、有機的なものと機械的情報科学的人口器官とが絶え間なく交換される、ポストモダンの現実に固有のものであるという考え方がある。この二つ目の考え力は、その帰結においては最初のものとさして変わるところがなく、しばしば別の形態の愚鈍化へと行き着く。つまり、境界の攬乱と役割の混乱がパフォーマンスの効果を増大させるために用いられており、その原理が問いただされてはいないのである。

 残るは三つ目の方法である。それはもはや効果を増大させることではなく、原因と結果の関係そのもの、そして愚鈍化の論理を支えている前提一式を問い直すことを目指すものである。再現前化=上演を現前に、受動性を能動性に変えようとする超(ハイパー)ー演劇とは反対に、それは演劇の舞台に付与された、生命力共同体的力の担い手としての特権を廃止し、演劇の舞台を、物語を語る行為、書物の朗読、あるいはイメージに向けられた眼差しと同列に置くことを提案する。要するに、演劇の舞台を、多種多様なパフォーマンスが互いに互いを翻訳し合う、平等の新たな舞台として考えることを提案するのである。というのも、これらすべてのパフォーマンスにおいて問題となるのは、知っていることと知らないことを結びつけることであり、自らの能力を発揮するパフォーマーであると同時に、この能力が新たなコンテクストのなかで、ほかの観客たちに対して何を生み出すことができるのかを観察する観客でもあることだからだ。芸術家研究者同様、自分たちの能力の発現と効果が示され、それらが新たな知的冒険を翻訳する新たな固有語法の言い回しのなかで不確かなものとなるような舞台を構築する。固有語法の効果をあらかじめ見越すことはできない。それは観客が能動的な解釈者の役割を演じ、彼ら自身の翻訳を練り上げることで「物語」を自分のものとし、そこから彼ら自身の物語を紡ぐことを要請する。解放された共同体は、語り部翻訳家共同体なのである。

 こうしたことが、そんなのは言葉のうえでのこと、相も変わらず言葉のうえでだけのことだ、と言われかねないなどということは十分承知している。だが、それが嘲りだとは思わない。われわれは、数多くの演説家たちが彼らの言葉を言葉以上のもの、新たな生へ入り込むための文句とするのを聞いてきた。われわれは、数多くの演劇公演がもはやスペクタクルではなく共同体の儀式であると主張するのを目の当たりにしてきた。今日でさえ、生を変えるという欲望に対するあらゆる「ポストモダン的な」懐疑主義にもかかわらず、数多くのインスタレーションスペクタクル宗教的密儀に成り変わるのが見られる。そうである以上、言葉は単に言葉に過ぎないと言われるのを聞くことは、必ずしも憤慨させるものではない。受肉する御言葉能動的となる観客といったファンタスムを退け、言葉は単に言葉であり、スペクタクルは単にスペクタクルであると知ることによって、どのようにして言葉やイメージ、物語やパフォーマンスがわれわれの生きる世界の何かを変えることができるのかを、よりよく理解しえるようになるのである。



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