Hatena::ブログ(Diary)

garage sale このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-01-15

ペーター・ビュルガー「現代美学にとってのアヴァン・ギャルドの意義──ユルゲン・ハーバーマスに答える」 小田部胤久 

 J.ハーバーマス1980年アドルノ賞受賞に際して「近代──未完のプロジェクト」(三島憲一訳,『思想』82年6月号所収)という記念講演を行った。本稿の著者P.ビュルガーは,ポスト・モデルネの保守性を批判しつつ近代(モデルネ)の企てを遂行し続けるというハーバーマスの提題に基本的には賛同しつつも,ハーバーマス歴史認識に対して殊に美学の側から反論する。

 ビュルガーがまとめるように,ハーバーマスの捉えるモデルネの企ては,(i)科学,道徳,芸術という3つの価値領域が分化し,それぞれが自らに固有の志向を展開するという契機とともに,(ii)三者がそれぞれに日常生活を理性的に形成するという契機を含む。芸術の領域に即するならば,両契機は, (i)芸術の自律化, (ii)歴史的状況を照射するために美的経験を用いる芸術受容,に対応する(前掲邦訳96-97頁参照)。この考えに対し,ビュルガーは次の3点から批判を加える。

 第一に,ハーバーマスは,科学,道徳,芸術の三領域の並行性を語るのみで,三者それぞれの固有性を捉えそこなっている。道徳,芸術に対する科学の優位に近代化の特色が存在するからである。

 第二に, ハーバーマスは,(i)芸術の自律的展開と(ii)日常生活の理性的形成のために芸術を用いることとを,同一の企ての2つの側面として捉えているが,しかし両者は時代的に異なる2つの企てである。後者は娯楽的宮廷文化を批判する啓蒙主義の運動によって生じたが,前者は,宗教的世界観の妥当性の喪失,人間活動の細分化といった新たな歴史的状況の下で18世紀末に生じたものである。そして,この美的領域の自律化は,芸術は日常生活の実践的要求を満たすべきであるという啓蒙主義の主張を拒否しつつ,それ以降制度化されてきた。そのため,生活のための芸術は商業芸術,通俗芸術として卑下される。このように,高度に発達した市民社会では芸術の自律性と効用性は対立しており,両者をハーバーマスのモデルネのように容易に宥和させることはできない。

 第三に,ハーバ―マスはアドルノに従ってモデルネとアヴァンギャルドを同義に用いているが,この語法はアヴァンギャルドの意義を見失わせるものである。ハーバーマスの述べるように,19世紀後半の美的モデルネとしての唯美主義市民社会における芸術の展開を理解する鍵であるが,唯美主義は芸術における自律性の契機を押し進めたものであって,ここには──ハーバーマスが見落している点であるが──芸術作品の意味内包が発育不能を示す危険がある。アヴァンギャルド運動は,この危険を察知することにより,芸術の自律化に対して根源的な反乱を起し,芸術を日常生活の実践の内に再統合しようとする試みなのである。

 無論,アヴァンギャルドも芸術の自律性と効用性の二元性を温存しつつ後者を選択しているにすぎず,唯美主義と同一の矛盾を,ただし正反対の方向において含んでいる。とはいえ,美的経験を歴史的生活状況の照射のために用いようとするハーバーマスの前−自律主義美学の試みにとって,アヴァンギャルドの意義は看過できない

 ビュルガーが芸術の自律性と効用性をいかに媒介しようとしているかについては,近著 P. Burger, Zur Kritik der idealistischen Ästhetik. Frankfurt am Main 1983 が詳しい。



目次へ