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2016-04-04

不気味なもの── ハイデガー 小田部胤久

 ヘーゲル(1770−1831年19世紀初めに〈人間的芸術〉の誕生という新たな事態を理論化したが、この〈人間的芸術〉はその後いかなる経緯をたどったのであろうか。本章ではこの点を主としてハイデガー(1889−1976年)の芸術論に即して考察する。

芸術の脱人間化

 ハイデガー議論の歴史的背景を明らかにするために、彼とほぼ同時代に活躍したオルテガ・イ・ガセット(1883−1955年)の論考『芸術の脱人間化』(1925年)をまず取り上げることにしよう。

彼がこの論考において主題とするのは、ドビュッシー以後の音楽、マラルメ以後の詩、表現主義キュビスム以後の絵画、すなわちいわゆる「新芸術」である。オルテガ・イ・ガセットによれば、「新芸術」は「ロマン主義自然主義の作品に支配的であった人間的要素、あのあまりにも人間的な要素を徐々に排除していく」ことによって「純粋化への傾向」を示している。こうした過程は、芸術から「人間的な内容」を捨象する方向に進む。その結果、ついには「芸術的感受性という特殊な能力を持つ人のみが知覚しうる芸術作品」が生まれる。これはただ純粋に芸術であろうとする「芸術的な芸術」であって、「人間的なもの」という芸術外的なものとの「境界線が判然としていないことに反発」を示す。オルテガ・イ・ガセットが「芸術の脱人間化」と呼ぶのは、新芸術のこうした純粋化の傾向である。

 「新芸術」による19世紀の「人間的」な芸術に対する「攻撃」は力強く、一見するとそこには「芸術に対する憎しみが隠されているのではないか、という疑問が生じる」ほどである。だが、「芸術そのものに向かってゆくことは、芸術を笑劇(farasa)とみなすことである。…… 新芸術は、特定の誰かと特定の何かとを嘲笑する代わりに、芸術そのものを嘲笑する」と考えるオルテガ・イ・ガセットは、新芸術を「イロニー」というロマン主義的概念によって特徴づけている。一種の自己反省性(ないし自己言及性)を前提とするという意味において、この「新芸術」── すなわち、オルテガ・イ・ガセットが19世紀末から20世記初めにかけて成立したとみなす芸術── は18世紀末から19世紀初めにかけて成立した近代的芸術観の正当な後継者であるといってよい。

 この非人間的な芸術は「本質的、宿命的に不評〔非大衆的〕(impopuler)」である。なぜなら、それは芸術作品の向こう側に「人間的なもの」を見て取ろうとする大衆には理解できないものであって、ただ「芸術的感受性という特殊な能力を持つ人」にのみ開かれているからである。だが、オルテガ・イ・ガセットによれば、ここには重要な「兆候」が見て取れる。

 約1世紀半にわたって、〈民衆〉、すなわち大衆は、自分が社会そのものたらんとしてきた。……〔だが〕新芸術は〈選良(mejores)〉に、…… 自分の使命は少数者たるところにあると同時に、多数者と戦うところにある、と自覚させることに貢献する。…… 政治から芸術の分野にいたるまで、社会は、当然そうあるべき2つの階層ないし階級、つまり、すぐれた人間の層(hombres egregios)と凡俗な人間の層(hombres vulgares)に再構成されるときが近づいている。

「大衆」と「選良」をエリート主義的に対比させる議論は、後の『大衆の反逆』(1929年新聞紙上に発表の上、30年公刊)を予想させるものであり、ここにはオルテガ・イ・ガセットの「大衆」論の本質が読み取られなくてはならない。「旧芸術」を支持する「大衆」に対して、「新芸術」を支持する人々の内にこそ、彼は大衆を指導することとなる「新たな真の貴族」の誕生の兆候を見ているように思われる。

 だが、オルテガ・イ・ガセットの大衆論の集大成ともいうべき『大衆ρ反逆』を絡くとき、「新芸術」の評価が低いことに気づかされる。

ヨーロッパ全土に、すべての人々を例外なく巻き込んでしまう笑劇の大嵐が吹きまくっている。…… 人聞が余すところなく完全に自己を投げ出すことをせず、中途半端な態度で生きる限り、それは常に笑劇となる。大衆人は、自己の運命という確固不動の大地に足を踏まえようとはせず、どちらかといえば、宙に浮いた虚構の生を営んでいる。…… 世界はすべて暫定的な生に身を投じている。……スポーツに対する熱狂から……政治的暴力にいたるまで、〈新芸術〉から今流行の海岸でのばかげた日光浴にいたるまで、万事が万事そうである。……それらは生の本質的な根底から湧き出た創造物でもなく、真の熱望でも必然性でもない。要するに、そうしたものすべては、生の本質からみた場合、虚偽である。

ここでオルテガ・イ・ガセットは、大衆化社会が「虚構の生」を営んでおり、そうした生が「笑劇」となっていることを指摘しているが、こうした指摘は、『芸術の脱人間化』に見られる先に引用した次の一節との比較の内に解されなくてはならない。「芸術そのものに向かってゆくことは、芸術を笑劇とみなすことである。…… 新芸術は、特定の誰かと特定の何かとを嘲笑する代わりに、芸術そのものを嘲笑する」。この限りでは、脱人間化する芸術は、その笑劇性のゆえに、大衆化社会と同じあり方を呈していることになろう。とするならば、『芸術の脱人間化』の冒頭において「新芸術」に見られる現象に即してオルテガ・イ・ガセットが語った希望、すなわち「政治から芸術の分野にいたるまで、社会は、当然そうあるべき2つの階層ないし階級、つまり、すぐれた人間の層と凡俗な人間の層に再構成されるときが近づいている」という希望は虚しいものとならざるをえないのではないか。

 オルテガ・イ・ガセットが「新芸術」の内に見て取ろうとした現象(すなわち、「すぐれた人間」によって支配される芸術の成立)は「前衛ー後衛」の比喩によって捉えることのできる事態であり、いわゆる「前衛アヴァンギャルド)運動」の時代にふさわしいものであった。だが、彼は同時に、こうした前衛運動を支えている精神が、とりわけその否定性ないし暫定性という点において、当時の大衆化社会の精神と符合することをも洞察していた。その点では、「新芸術」は何ら新たな生の創出に対して有効に作用することはありえないはずである。このように、オルテガ・イ・ガセットの理論は、「大衆」にあえて背を向けて「選良」に対してのみ語りかける「新芸術」を前にして、〈非人間的〉な前衛芸術が同時に〈人間的〉な大衆化社会に解消されていく過程をも視野に収めていた、といいうるであろう。


「衝撃」としての芸術作品

 大衆世界の人間性の内に埋没しかねない芸術をそこから救い出そうと試みたのが、ハイデガーの『芸術作品の根源』(1935/36年)である。その第3部において、ハイデガーは次のように語っている。

作品が形態の内に確立されてそれ自体の内により孤独に立てば立つほど、そして作品が人間へのあらゆる連関をより純粋に解消するように見えれば見えるほど、ますます単純な仕方で、そのような作品が存在するという衝撃が開けたところに歩み、そしてますます本質的な仕方で、途方もないもの(das Ungeheure)が打ち開かれ、これまで安心できると思われてきたもの(das bisher geheuer Scheinende)が打ち倒される。

一体芸術作品は「人間へのあらゆる連関」を「解消」することによっていかなる「衝撃」をもたらすのか、この点について立ち入って考察するには、『存在と時間』(1927年)にいったん立ち戻る必要がある。

 『存在と時間』第40節「現存在の際立った開示性としての不安という根本状態性」は、「世人の日常的な公共性」「平均的日常性」── すなわち、人間がいわば〈大衆〉として世間に没入ないし埋没し、その本来的なあり方から頽落している状態── を「居心地のよさ〔=我が家にあること〕(Zuhause-sein)」と規定するとともに、それを打ち破る「不安」に着目する。「不安は、現存在が世界の内に頚落しつつ没入していることから現存在を 取り戻す。日常的な親密さはそれ自体において崩壊する。現存在は個別化〔単独化〕されるが、しかしそれは世界ー内ー存在としてのことである。内−存在は居心地の悪さ〔=我が家にいないこと〕(Un-zuhause)という実存論的様態となる。〈不気味さ(Unheimlichkeit)〉について語る場合も別のことが理解されているのではない」。ここでハイデガーは「家」を意味する Haus および Heim という語の派生形を操りつつ語っているが、その内容は次のように言い換えることができる。「不安」とは、慣れ親しんだ世界がその親しみを示さないときに感じられる。そのとき人間は「居心地のよさ〔=我が家にあること〕」を失い、「居心地の悪さ〔=我が家にいないこと〕」を実感せざるをえない。だが、ハイデガーによれば、不安は慣れ親しんだ世界から人間を自己自身へと振り向かせ、人間が非本来的なあり方── すなわち、存在それ自体を忘却し、存在者の内に埋没しているあり方── から本来的な自己を「取り戻す」ための契機である。この意味において、「居心地の悪さ〔=我が家にいないこと〕」は「実存論的様態」と規定される。

 『存在と時間』において「居心地のよさ〔=我が家にあること〕(Zuhause-sein)」と「居心地の悪さ〔=我が家にいないこと〕(Un-zuhause) 」という対概念によって主題化されていた事態、それを講演『芸術作品の根源』は、「安心できるもの(geheuser)」と「安心できないもの(nicht gehuser)」(ないし「途方もないもの〔不気味なもの〕(un-geheuer)」)という対概念によって指し示している(ちなみに geheuer という語も「家」を意味する Heim と語源的に連関するので、「居心地のよい」と訳すこともできる)。「存在者の最も身近な境域にあって、われわれは我が家にいるように感じる。存在者は親しいものであり、信頼できるものであり、安心できるもの(das Geheure)である」、とわれわれは通常思いなしているが、芸術作品はわれわれに、「安心できるものは、根本においては、安心できないもの(nicht geheuer)であり、それは途方もないもの〔不気味なもの〕(un-geheuer)である」ことを示す。『存在と時間』において「不安」が果たしていた役割をここでは芸術作品が引き受けていることが明らかとなろう。「途方もないもの〔不気味なもの〕 への衝撃)」こそが芸術作品芸術作品たらしめる。


原初」の開く「歴史」

 それでは、「不安」が人間にとってその非本来的なあり方から本来的なあり方を「取り戻す」ための契機であるとするならば、芸術作品はその「衝撃」によってわれわれに何をもたらすのであろうか。ハイデガーはそれを「原初(Anfang)」と呼ぶ。。

 この「原初」という語はハイデガーによってきわめて特別な意味において用いられている。

真の原初とは跳躍(Sprung)として、常に先んじての跳躍(Vorsprung)であり、この先んじての跳躍においては〔将来において〕到来するあらゆるものが、仮に覆い隠されたものとしてであれ、すでに飛び越えられて(ubersprungen)いる。原初はすでに隠された仕方で終焉(Ende)を含んでいる。

つまり、原初とは、単に時間的に初めにあるものなのではなく、ありうべきものとしての終焉をあらかじめ先取りするものである。ただし、原初終焉をなお潜在的な仕方において、あるいは隠れた仕方において先取りしているにすぎない。つまり、原初において人間はなお終焉を自らに固有なものとして獲得してはいない。原初において先取りされてはいるがその先取りがなお潜在的であるために獲得されてはいない終焉を、顕在化しつつ自らに固有なものとして獲得する過程、これが「歴史」である。この意味において「原初」は「歴史」を開く、といわれる。

 ここではこのハイデガーの命題をハイデガー自身に即してではなく、メルロ=ポンティ(1908-61年)の次の言葉に即して考察したい。メルロ=ポンティは遺稿「間接的言語」において次のように述べている。

洞窟の壁に描かれた最初の素描は、さまざまの探求の限りない領野を決定し、世界を絵画としてあるいは素描として描かれるべきものとして定立し、絵画の限りない未来を呼び求めていた。

「最初の素描」はハイデガー的な意味における「原初」の一つである。それでは、この最初の素描の開く「歴史」とはいかなるものなのか。それは一方で、個々の新たな作品がその都度新たな探求を可能にするという点において、断続性をその特徴とする。「それぞれの作品がさまざまの探求の地平を開くとは、その作品がそれ以前には可能でなかったことを可能にする、ということを意味する」。メルロ=ポンティはおそらくベルクソンの「予見不可能な新しさ」の理論を踏まえているのであろう。最初の素描によって決定された「探求の限りない領野」は、その都度の新たな探求をとおして、常に新たな姿を現し、新たな可能性を現実化する。しかし、他方でこの歴史が実現するのは、原初潜在的にではあれ先取りしていたものでもある。この意味において、原初は歴史をとおして自己自身に還帰する。「自己展開をするということ、つまり変化すると同時に── ヘーゲルの言うように── 『自己自身に還帰する』こと、すなわち歴史という形をとって自己を示すということは、芸術にとって本質的なことである」。

 ここでより具体的に、個々の画家の営みと歴史とのかかわりについて考察しよう。メルロ=ポンティは次のように述べている。

画家はけっして空虚の中で無から創造するのではない。画家にとっては、自分の見ているがままの世界や、自分のかつての作品や〔先行する画家の描いた〕過去のさまざまな作品のうちにすでに下書きされている溝をさらに推し進め、以前の画面の片隅に現れたアクセントを再び取り上げて一般化することだけが問題である。…… 超出しながら継承し、破壊しながら保存し、変形しながら解釈する、つまり新しい意味を呼び求め予期していたものにこうした新しい意味を注ぎ込む、というこの三重の捉え直しは、単におとぎ話の意味での変身、奇跡や魔法、暴力や侵略、絶対的孤独における絶対的創造なのではなく、それはまた世界や過去、先行の諸作品がこの画家に求めていたものへの応答、つまり成就、友情でもある。

個々の画家の営みは、それがいかに孤立したものであるように見えようとも、けっして「絶対的孤独における絶対的創造」ではない。画家は、過去の画家の営みのうちに(潜在的な)呼びかけを聞き取りつつ、それに応答することによって、自ら新たな作品を作り出す。この意味において、個々人の創作はすでに過去の芸術家との── そして、将来の芸術家へと(潜在的に)呼びかける点において、さらには将来の芸術家との── 共同制作である。芸術家独創性とは、先行する芸術家の営みのうちに、通常は見過ごされるような(潜在的な)呼びかけを聞き取る能力である、といっても過言ではない。独創的な芸術家はこうした呼びかけに応答するゆえに、その人の生み出す作品には、これこそが暁行する芸術家の求めていたものである、と人々を事後的に納得させるようなある種の必然性が備わる。だが、こうした「呼びかけ」と「応答」からなる歴史はけっして連続的な過程ではない。「保存され伝えられた作品は、少しでも歴史がそれに応じさえすれば、その相続者の内に、描かれた画布としてのその作品とは不釣り合いな帰結を展開する」。

 メルロ=ポンティによれば、原初潜在的な仕方で終焉を先取りする、という歴史の特質は、個々の芸術家の人生という歴史においても見て取れる。メルロ=ポンティは初期の論考「セザンヌの懐疑」(1945年)において、「われわれがそもそも将来のある目標である、ということは、われわれの企て(project)がわれわれの最初のあり方とともにすでに定められている、ということである」、と述べる。だが、もしもわれわれの「企て」があらかじめ定められているとするならば、ここにはもはや個人の自由は存在しないのではないか。この問いに対して、メルロ=ポンティは、「自由」に関して次の二律背反的な事態を認めることこそが重要である、と応じる。「われわれはけっして決定されていない、だが同時に、われわれはけっして変化せず、後から回顧するならば、過去の内にわれわれがそうなったところのもの〔=現在の姿〕が告知されているのを見出すことができるであろう」メルロ=ポンティがこのように語るとき、具体的に念頭に置いているのは、セザンヌ(1839-1906 年)の人生と作品とのかかわりである。われわれはある芸術家を論じる際に、あたかも人生が原因であり、作品が結果であるかのように、人生から作品を説明しようとする。だが、こうした説明は芸術家の「企て」に迫るものではない。

作られるべき作品がこうした生を要求した、というのが正しいであろう。セザンヌの生はその初めから、いまだ将来のものである作品に支えられることによってのみ、均衡を見出していた。彼の生はこうした将来の作品の企てであり、作品は予兆として彼の生の内に示されていた。

芸術家の「生」は、予感された将来へと向けられているゆえに、将来において実現されるべき「作品」に支えられることによって、初めて「均衡」を見出すことができる。現在の(主観的な)生は将来へと差し向けられ、将来の(客観的な)作品はその予兆をとおして現在において予感される、という仕方で主客の交叉が現在と将来との交叉と重なり合う。この重なり合いを一つ一つ解き明かすところに、メルロ=ポンティの芸術論の特色がある。


人間にとっての土台としての「非人間的な自然」

 最後に、メルロ=ポンティが芸術の非人間性をいかに捉えていたのか、同じく彼の論考「セザンヌの懐疑」に即して考察することにしよう。

 メルロ=ポンティは、セザンヌ絵画に関してその「非人間的な性格」が指摘されてきた、という事実に着目する。通常この性格は、セザンヌの特異な生涯や性格に由来するものとされるが、メルロ=ポンティによれば、こうした説明は、作品の意味を生涯によって決定しようとする誤りを犯している。それでは、セザンヌ絵画の「非人間的性格」は何に由来するのであろうか。

 メルロ=ポンティにとってセザンヌとは、「自らに形〔形式〕を与えようとしている素材〔質料〕、自発的に秩序を形成しながら生まれようとしている秩序」を描こうとした画家である。すなわち、セザンヌが目指すのは、「感覚と思考」の、あるいは「混沌と秩序」の二元論を追認せずに、むしろ両者が交叉しつつ誕生する過程を主題化することである。これがセザンヌ絵画の「非人間的な性格」を生み出す、とメルロ=ポンティは論じる。ここで彼の議論を多少詳しく検討することにしよう。

 セザンヌのこうした芸術を支えているのは、メルロ=ポンティの言葉を用いるならば、「知覚された事物の自発的な秩序」が「人間の観念と科学の秩序」の土台をなす、という確信である。後者、すなわち「人間の観念」あるいは「科学」の生み出した世界はさまざまの「知覚」をとおして形成されたものであるが、それは一旦生じると、その生成過程が忘却されるために、あたかもそれ自体で存在するものであるかのように思いなされる。つまり、ア・ポステリオリに生じたものがかえってア・プリオリにあるかのように思いなされる。かつ、こうした思いなしは行動の有用性および科学の客観性という名の下に疑われることもない。こうして「観念」の世界(すなわち科学的・客観的世界)と「知覚」された世界との二元論が生じ、前者こそが真の世界である、とみなされるようになる。この意味で、こうした思いなしのうちに生きるわれわれは誰も皆多かれ少なかれプラトン主義者である。だが、これは顛倒した見方であって、本来は「観念」の世界(すなわち科学的・客観的世界)は「知覚」された世界という「土台(socle)」の上にあり、この土台から生じたものである。そして、メルロ=ポンティによれば、セザンヌが描こうとしたのはこの「『自然』の土台」、換言すればわれわれの観念の作り上げた世界に先立つという意味においてア・プリオリにあるところの「原初的な世界」にほかならない。

 メルロ=ポンティは次のように述べる。「われわれは、作り出された事物からなる環境のうちに、道具に囲まれ、家々、街路、都市のうちに生きている。そしてほとんどの間、われわれはこれらを人間の活動をとおしてしか見ない。…… われわれは、これらすべてが必然的に存在し揺るぎないものである、と考えることに慣れている」。これは、ハイデガーであれば、「存在者の最も身近な境域にあって、われわれは我が家にいるように感じる。存在者は親しいものであり、信頼できるものであり、安心できるものである」、と述べる事態に相当する。だが、ちょうどハイデガーにとって「芸術」とは「途方もないもの〔不気味なもの〕 への衝撃」をわれわれに与えるものであるのと同様に、メルロ=ポンティにとっても、セザンヌの絵はこうした習慣を揺るがす。

セザンヌの絵はこの習慣を宙づりにして、人間がその上に居を定めている非人間的な自然の土台をあらわにする。セザンヌが描く人物がよそよそしく、人間とは異なる種の生物によって見られた人物のようであるのはそのためである。

「人間的」な思いなしの世界を追認するのではなく、むしろその根底へと遡り、世界がまさに立ち上るところへと迫るところに、セザンヌ絵画の特徴がある、とメルロ=ポンティは考える。セザンヌの絵はわれわれに、こうした「構成された人間性の手前」へと向かう視線を可能にする。

 この世界は「人間的」な思いなしの世界を追認するような芸術に満ちている。それは、「すでにできている観念を、別の形で結合する」ところに成り立つ。すなわち、そうした芸術において描写されているものは、われわれがすでに見慣れたもの、すでに知っているものであって、芸術はこうしたすでに知られている観念を単に別の形に翻訳するにすぎない。表現に対する観念の先行性を認める点において、こうした芸術は世俗化したプラトン主義の体現者である。だが、こうした「娯楽のための芸術」は、メルロ=ポンティにとって、本来の芸術ではない。

 これに対して、真のありうべき芸術に関してメルロ=ポンティは次のように述べる。「芸術家はその初めから文化を引き受け、これを新たに打ち立てる。芸術家は、最初の人間が話したかのように話し、いまだかつて誰も描いたことがないかのよかに描く。この場合には、表現はすでに明晰になっている思想の翻訳ではありえない」。先にメルロ=ポンティが「原初的世界」という言葉によって語ろうとしたのは、この表現されたことのない世界、あるいは表現を待ち望んでいる世界のことである。

 メルロ=ポンティは、「私は風景の意識である」というセザンヌの言葉を引用するが、それが意味するのは、描かれる対象がセザンヌの描くという行為において初めてその形を現す、ということである。つまり、「『構想』が『実行』に先立つ」のではなく(実際、そのように考える限りわれわれはプラトン主義者である)、むしろ逆に実行(表現す藻という行為)のうちに初めて構想が実現する。表現という行為は、われわれがこの「『自然』の土台」に降り立つために不可欠の営みである。

 芸術はそれぞれの媒体に固有の仕方で、「事物の間に錨を下ろして〔繋ぎ止められて〕いる」われわれのあり方を描き出す。そして、こうした表現は「非人間的な自然の土台」をあらわにしつつも、人間を真に人間たらしめるものを明らかにする。そもそも、メルロ=ポンティ自身が認めているように、構成された世界の「手前」へと、すなわち「根の部分」へと向かう「視覚を持ちうるのは、まさに人間のみである」。この意味において、芸術は〈人間的〉営みにほかならない。ヘーゲルがその成立を目の当たりにしていた〈人間的芸術〉は、このように形を変えつつも、20世紀の芸術観を規定することとなる。



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