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2014-06-08

社会に介入するアート ──シチュアシオ二ストの実験とボイスの「社会彫刻」 小倉利丸


意識および意味の危機

 社会とアートの関わりを、ファイン・アートコンテクストを踏みはずすことなく実践してきた希有な存在として、ヨーゼフ・ボイスの名を挙げることができる。

 ボイスは「ハニー・ポンプ」という有名な作品に関連して、「現にあるところから始めなければならない」ということを強調した*1。この作品が発表された翌年1978年の暮れに、彼は、「オルタナティブ実現へのアピール」という文章を発表している。このなかでも現にある社会の諸矛盾から、将来、どのような社会をつくっていくべきかという点に至るまでさまざまなことが述べられているが、なかでも彼が、現代社会の危機を軍事的な脅威、エコロジー的危機、失業などの経済的危機、そして「意識および意味の危機」の4つの点で押えているのは、的を射た認識であるといえる。「ハニー・ポンプ」のモチーフも、一方で使われることなく堆積したあり余るほどの富、他方で貧困にあえいで生活せざるを得ない若者、そうした対比にあったが、とりわけここで重要なのは「意識および意味の危機」という指摘である。というのも、ある意味で、それ以外の3つの危機はこの最後の危機に集約できるからである。私なりの言い方をすれば、現代社会における意味の搾取が戦争・環境・経済の危機を危機とは認識されない「快楽」の環境へとずらしたのだ、ということである。

 軍事、環境、経済という即物的に自分たちが五感で感じられるところでの危機とは違って、この意識や意味の危機は、危機としての意識や意味が感じとられたり理解されないという危機としてあり、ここにボイスが注目し、彼の作品は、こうした危機を喚起する仕掛けを常にはらんでいるのである。ボイスは、「オルタナティブ実現へのアピール」のなかで、この点について、次のように述べている。

 「ほとんどの人間は、自分が取り囲む諸状況のなかに手のほどこしようもなく身を任せていると感じている。こうしたことはまた内面性の破壊へと通じている。人々は自らのさらされている諸々の破壊的プロセスのただ中で、国家および経済的権力の見通し難い錯綜のなかで、軽佻浮薄な娯楽産業の画策する気晴らしや暇っぶしの最中で、もはやいかなる生の意味も見出しえない。とりわけ若者たちはますますアルコールと麻薬にひたり、自殺をおかしつつある。何十万人もの人間が疑似宗教的狂信の犠牲となる。世界からの逃避がブームとなっているのである。こうした人格的アイデンティティの喪失と対をなすのが、あとは野となれ山となれ式の解決法、つまり快楽原則の思慮なき追求であり、要領のよい適用である。それは意味の喪失を感じながらも、少なくとも自分のためだけには生の続く限り、いただけるものはいただいておこうという態度である。そこではそうしたことの代償として何か支払われているかは全く考察されていないのだ*2

 この「野となれ山となれ式」の態度や、自分だけがいい目をみれば他はどうなってもよいという「内面性の破壊」「世界からの逃避」、それらを覆い隠すようにして成立している娯楽産業や権力による快楽の産出、これこそが現代の危機であるとボイスはみる。これに対して、その代償を払うのが自分たちを取り巻いている環境世界だったり同時代の人々であったり子孫であったりするというわけである。ボイスのオルタナティブな道は、こうした現在の延長に未来を予想することを現にいまここで生きている私たちの怠慢として批判する。しかし、その批判は、他者への糾弾ではなく、自分史へのこだわりと自分自身の行動と表現としてまず現れる。ボイスにとって、アートは自立した美的表現ではない。むしろこうした近代社会のなかのアートカテゴリーを捉え返し、再び社会への介入を試みるのである。


芸術の拡張

 その際、ボイスの重要な概念、「芸術の拡張」に触れておかなければならないだろう。彼は、現代芸術の社会的な機能に対して、非常に批判的である。たとえば、ボイスは、「パブロ・ピカソが芸術とは不正や不義や人間の権利の侵害、更には戦争などを阻止するための鋭利な刃物のような武器たらねばならないと言ったけれども、現代芸術はそうした要請を満たしていない」と批判する。つまり、いまある芸術が人間の必要性から極めてかけ離れた活動になっていることが最大の芸術の問題であるというわけである。こうした現代芸術の没批判性に対して、「拡張された芸術の概念」を提起する。つまり、人間の活動を「生と労働のあらゆる場で、社会のあらゆる力の場で造形しうる活動にしてゆく」というふうに人間の活動の意味を再定義する。労働とか生きることそのもの、生活すること、そうした日常的な営みと密接に関わるところで再度芸術という概念を構築しようとする。あるいは、そうした日常的な行為そのものを芸術と呼ぼうとする。若江が指摘しているように*3、近代が生み出した芸術という概念そのものを実体的に意味のないものにする、つまり、自分たちが生きたり働いたりすること自体がアートであるということ、そこにボイスは重要な、従来とは異なった芸術のあり方を根拠づけようとした。それは、いい換えれば、定義づけ可能なようでいてそうではない、限定不可能な活動それ自体を芸術としていくということを主張しているともいえる。

 しかし、ボイスがいまある社会が意味の喪失に見舞われた社会であるということ、あるいは内面性の危機を伴う社会であるといったときに、実は、この危機の根源にあるのは、まさに生活とか労働などと呼ばれて、これらに何らかの意味があるかのように私たちに感じさせている仕掛けそのものなのである。労働や日常生活における意味の搾取は同時に資本主義的な行為規範に基づく意味生成の仕掛けでもある。アートが社会性や政治性を希薄化され、そうした表現の手段とはみなされなくなることの対極には、政治的・社会的な言説、すなわち合理主義的な言説の空間=社会諸科学や法的・行政的な言説と行為の規範の成立がある。芸術の拡張は、当然のこととして、こうした近代的な表現と行為の棲み分け構造に対する侵犯行為である。それは、通常のアートに対する理解からは、「アートではない」表現、行為とみなされかねないものである。

 「ハニー・ポンプ」の後に制作された「経済の価値」(1980年)は大量消費社会の西側の空間に東ドイツの商品をもち込み、同時に「名画」といわれている作品を壁面に展示することによって、経済的価値の東西での格差や差異、日常生活での価値と芸術的価値の多元的な確執を表現した。同じ時代に、空間を隔てて共存するさまざまな価値のなかで、見るものは自分の位置についての価値判断を迫られる。「名画」とそのための空間としてのギャラリーに味方すれば、目の前に並べられた日常生活品は違和感の塊であり、西側の人間として、みすぼらしい東側のパッケージと製品は、もしかしたら優越感を喚起されるものであるかもしれないし、逆に豊かさの格差による後ろめたさに襲われるかもしれない。そして、こうした日常生活品のなかで「名画」はひどく居心地がわるい存在である。しかも、この作品には発電機とバターが棚の上に置かれていることによって、「エネルギーのシンボル」が表現され、「棚の上の製品自体が、文化的な現実の一部になっている*4」。しかも、棚という収集したり、陳列したりする機能をもつものが用いられることによって、「棚が日常世界と美術館的現実との間に橋を架けている*5」ともいえる。こうして、ボイスのこの作品でも美術館の空間の内部に日常生活や政治的な確執の表現をもち込むことによって、芸術の拡張を試みたといえる。現代社会のなかで、アートが「人間の始源的な基本欲求の上に、ただ単に付け加えられたものにすぎない」という批判を、彼は美術館という空間の内部へ日常性を引きいれることによって表現した。

 そしてまた、彼の作品に常に現れる蜂蜜やバター、ラードなどの変質したり保存の困難な物質が用いられるところにも彼の物質観と歴史観、そして芸術への批判がある。芸術が美術館のなかで保管される際の基本的な姿勢は、原状の維持である。それは、美的なものの普遍性という観念に支えられており、普遍的である以上変化や変質は否定されねばならないものとみなされる。しかし、私たちの社会は、歴史を抜きにしては成り立だない。歴史は繰り返さないし、決して昨日と同じ今日、今日と同じ明日はあり得ない。芸術作品がその例外として同一性を保つということは、こうした歴史の否定か歴史を超越するものという観念のためである。ボイスは、こうした芸術の普遍的な存在を否定しようとした。しかも、彼にとって自分の表現の素材は、常に自分自身の歴史──とりわけ、その戦争体験──からとられており、彼自身の生と分かち難い。

 ボイスは、ある意味で非常に不幸なアーティストであった。なぜならば、彼は常にアーティストとみられてきたからだ。彼がどのような行為をしても、それはアートの文脈でしか解釈されず、ギャラリーアートイベントでは十分な活動の余地を与えられはしても、それは芸術作品なのであり、それ以外のものではないとみなされてきた。たとえば、先の「経済の価値」のインスタレーションも、それが多元的で矛盾を含んだ諸価値のなかにみるものを投げ込むことによって、鑑賞者を取り巻く社会環境の矛盾への問題提起を意図したものだった。しかし、こうしたインスタレーション自体がボイスの作品として、これらの諸価値に対するメタ・レベルの価値を付与されてしまうと、インスタレーション自体がはらむ矛盾のダイナミクスは、ボイスの芸術という単一の価値に解消されてしまう。こうして、インスタレーションそのものがボイスの作品として、芸術的価値をまとってしまっているために、ボイスの趣旨は実感しづらくなっている。彼は、そうした作品の扱いに苛立ちをおぼえていたことはたしかなようだ。たとえば、彼は次のようにいう。

 「私はじっさい、芸術とは関わりがない──で、これこそがほんとうに、芸術に何らかの貢献をする唯一の方法なんだ。私はいつも、この芸術という概念から逃れようとしてきた。そんなものにはなりたくないんでね。私が求めるのは、それ自体の内的な法則に基づいて生きられるもの。それが出発点。だから、芸術に限られるわけではない。私がいう芸術とは、ブルジョワ芸術の概念以上のもの──1つの科学的なプロセスなんだ*6

 ボイスは、結局、解釈の権力に対抗しきれなかった。彼が、芸術の概念から逃れようとすればするほど、彼の行為は芸術の領域に囲い込まれてしまった。「社会彫刻」という彼のモチーフは、彼個人の行為を離れてぱなかなか成立しなかった。実は、ここに、彼の限界があった。ベンヤミンが「社会彫刻」やオルタナティブな社会の構想は、たとえボイスの発想であったとしても、社会の人々が共有しなければ社会的な意味を紡ぎ出せない。自由国際大学などの試みはあるにしても、ボイスにはメディアの戦略が明確ではなかった。それが、一回性という彼の基本的な行為と裏腹であることはたしかである。ただし、このことは、ボイスにのみ責任があるということではないかもしれない。むしろ、ボイスを希有の芸術家として区別し、ギャラリーのなかに囲い込む制度を問題にすべきであるともいえるのである。


シチュアシオニストの実験──早すぎたポストモダンアヴァンギャルド

 ボイスやフルクサス前衛運動に比べて、Internationale Situationniste(IS)の運動──シチュアシオニストあるいは状況主義者の運動とよばれている──は、アートの領域ではほとんど顧みられることはなかったように思う。標準的な現代美術のテキストにはシチュアシオニストの運動はまず出てこない。しかし、50年代、60年代の主としてヨーロッパの芸術による社会への介入を考えるとき、そしてまた、70年代以降のカウンターカルチャーへのその影響を考えるとき、シチュアシオニストの運動は無視できないものだといえる。

 ISは、1957年イタリア北部のコシオ・ダロシアで le Mouvement International pour un Bauhaus(MIBI)と le Lettrist International(LI)の2つのアヴァンギャルド・グループを母体として結成された。MIBIにはアスガー・ヨルン、ジョゼッペ・ピノット=ガリツィオなどが参加しており、LIにはISの最も有名な理論家、ギー・ドゥボールがいた。MIBIの前身は、第二次大戦中にレジスタンス運動に関わっていたシュールレアリストが戦後結成したアヴァンギャルド芸術運動COBRAであった。

 ISの運動は、理論的な方向でいえば大きく2つの時期に分かれる。第1期が1957−62年で、この年を境に組織分裂があり、第2期がISの解散する1972年まで続く。ただし、運動全体の盛衰に即せば、ISの絶頂期、68年のパリ5月革命を境と考えることができ、この68年以降の時期を解体期として第3期としていいかもしれない。

 ISの理論というとただちに思い浮かべられるのは、ドゥボールの『スペクタクルの社会』(1967年)だが、このテクストはISの1つの側面しか代表していない。というのも、先に述べた62年の分裂によって、ISは、芸術運動と政治・社会運動の溝を埋めきれなかったことが露呈し、62年以降のISは、政治的な運動目標──たとえば、「社会主義か野蛮か」のグループの影響もあって提起された労働者評議会の構想など──に文化・芸術運動を従属させる傾向をもった。そして、プロフェッショナルのアーティストではない政治志向の活動家が増えてくる*7。こうしたなかで書かれたのがドゥボールの『スペクタクルの社会』なのであり、それは、初期マルクス疎外論ルカーチの『歴史と階級意識』、ルフェーブルの『日常生活批判』、「社会主義か野蛮か」のグループ、とりわけカストリアデスの影響をベースにして書かれたものといえる。こうした理論的な背景をもったテクストであるというだげでも意味のあるものであったが、しかし逆に、アヴァンギャルドの文化運動としての戦略は背景に退いてしまうことになる。

 ところで、第1期のISは、LIやMIBIに起源をもつ理念継承し、芸術運動による社会変革というある種の文化革命の路線をとっていた時期である。この時期、アルジェリアベルギーイングランドフランスドイツオランダイタリアスウェーデンなどヨーロッパの多くの国からアーティストがこの運動に参加した。1962年、ちょうど分裂が表面化する時期のISの年次大会(スウェーデンゲーテボルグでの第5回大会)で、ヴァネイジェムは次のように述べている。

 「拒否のスペクタクルを洗練することではなくスペクタクルを拒否することが問題なのだ。ISによって定義された新たな真の意味での芸術的であることに努力を傾げるためには、スペクタクルの破壊の諸要素はまさにアートの諸作品であることをやめねばならない。シチュアシオニズムやシチュアシオニスト芸術作品といったものはあり得ない。これを最後に今後はあり得ない。……我々の位置は2つの世界──我々が認識していない世界と未だに存在していないもう1つの世界の間の戦闘的なものである*8

 ここには、アートというカテゴリーへの拒否がみられる。シチュアシオニストアートなどというものはないという主張は、真のシチュアシオニストアートとは、アンチ・シチュアシオニスト的なものだという逆説とも本気ともつかない考え方へと結びついてゆく。この時期多くのアーティストがISから離れた原因もこのあたりにあるのかもしれない。

 この分裂の時期までに、いくつかのISの特徴ともいえるキーワードが定着したことは見逃せない。そのなかで最も重要なのは、統一的アーバニズム、サイコジオグラフィ、漂泊 drift 、ずらし détourement などいずれもLIやMIBIに起源をもつ概念であろう。

 統一的アーバニズムとは、そもそも資本主義にはアーバニズム(都市計画)は存在していなかったのであり、あるのは、コカコーラの広告のような虚偽のアーバニズム、「純粋にスペクタクルイデオロギーにすぎない」という理解から発している*9。たしかに都市計画といわれるものはあっても、それは、住民の権利としてでぱなく、頭の上には屋根が必要である式の発想であり、それは、人々が情報や娯楽を必要としているからテレビを受け入れるべきだというのと同様の意味の強制でしかない。これに対して、統一的アーバ二ズムは、コタンニィ、ヴァネイジェムによれば次のようなことを指す。

 「日常生活のあらゆる緊張によってエネルギーを補給されることによって、都市とその住人たちのこの操作に対する生きた批判。生きた批判とは実験的な生活の諸基礎をつくりあげること、その目的にあった地形で彼ら自身の生活を共同で創造すること*10」である。サイコジオグラフィもこうした資本主義的な都市空間への批判を人間の意識や心理の側面からいい表したものであり、「意識的に組織されているかどうかにかかわらず、諸個人の感情や行動に対する地理環境の特殊な効果についての研究」であると定義されている*11

 これに対して、「ずらし」や「漂泊」といった概念は、都市で生活する人々のスペクタクルに支配された日常生活への批判としての生活規範を示したものといえるかもしれない。「ずらし」とは、「ペインティング、建築文学、フィルム、都市空間、音、振舞い、言葉、サインなどをそのオリジナルなコンテクストから暴力的に引き剥がし、不和や再配置を通して不均衡化や再コンテクスト化をもたらすこと」であるし、あるいはまた、次のようなこともあるという。

「人間性の文学的・芸術的遺産は、パルチザンプロパガンダの目的に用いられるべきである。それはもちろん何らかのスキャンダル的な考え方を乗り越えねばならない。芸術や芸術的純粋さといったブルジョワ的な概念を否定するということは、もはや古い話になりつつあり、デュシャンモナリザの顔に髭を描いたということも、そのオリジナルの絵ほども関心をもたれなくなっている。われわれは、この過程を否定の否定の地点にまで推し進めねばならない*12

 モナリザと髭というまったく別のものが同一平面に組み合わされることによる異化効果から、彼らは、さらにそれを越える異化効果への展開を模索する。言語にせよ、非言語的な表現にせよ、その意味をまったく逆のものに転倒してしまうことが可能であるということを彼らは非常にはっきりと自覚していた。したがって、スペクタクルの社会や政治的な言語がやってきたことを逆用して、支配的なカテゴリーを別の文脈のなかに組み込むことによって、支配的な秩序の揺らぎを招き寄せることを彼らは1つの戦略として立てた。これは、コラージュカットアップといった手法をあらゆる場面で展開しようとしたともいえるのであり、この点で彼らの発想は芸術にみられる異化効果を日常生活に拡張するものだとみてもいいかもしれない。そして、そうした日常的な領域での異化効果なしには、もはやデュシャンの試みは乗り越えられないとも理解されていたといえる。

 「漂泊」は、ある種のノマド的な生活様式の擁護である。

 「漂泊においては、彼らのいつもの行動のモチーフや関係、仕事、余暇を一定期間捨てて、彼らがそこで見いだす環境や出会いに自らを引きいれる。(略)漂泊という観点からみた場合、都市は一定の流れと固定したポイント、そして特定の区域への出入りを強力にさまたげる渦とともに、サイコジオグラフィ的な気晴らしを有している*13

 大衆消費とスペクタクルの社会として日常生活が成り立たせられ、人々の行動や仕事、余暇が一定の資本主義的な生産と消費のサイクルに組み込まれているなかで、そうしたサイクルからの離脱の経験を都市の空間のなかに組み込もうという発想である。ドゥボールは、こうした漂泊のモデルとして、ダダ的な逸脱を念頭に置いていた。

 ISのこうしたいくつかのキーワードは、都市という空間と日常生活という時間のサイクルの両方を資本主義的な支配の構造的な土台として理解し、その異議申し立ての方法をアヴァンギャルドアートに見いだそうとした。それを通常いわれるような意味での政治的運動として展開しなかったのはなぜなのか。彼らの表現は政治的なメッセージを含むが、それにとどまらず、また、政治に従属するアートという位置づけではなく、あくまでもアートのもつ解放の要素に最大の意義を与えようとしている。この疑問は、2つの側面から考えることができるかもしれない。1つは、ISの担い手となったアーティストの多くは、第二次大戦中のレジスタンスに関わっていた。シュールレアリスムの中心的な存在であったアンドレ・ブルトン合衆国におり、戦後46年に帰国する。帰国ブルトン反共的な立場をとることになるのに対して、レジスタンスに関わったアー・ティストはそのなかで関わりができた共産党との関係を清算できる位置にはいなかった。しかし、また、共産党シュールレアリスムに対して決して好意的ではなかったし、スターリン主義的なドグマティズムのなかで、アーティストの自由な表現は必ずしも歓迎されなかった。アーティストたちにとって、戦争とシュールレアリスムの与えた影響が大きかったばかりでなく、社会的な課題を放棄せず、しかもアーティストとしての表現が政治に従属しない方法を確立するという課題にも答えねばならなかった。

 こうしたアーティストをめぐる社会的・政治的状況のなかで、1947年に出版されたアンリ・ルフェーブルの『日常生活批判』は大きな衝撃であった。これが第2の点である。正統派マルクス主義からは冷やかな迎えられ方しかしなかった本書は、逆にアーティストたちにさまざまなインパクトを与えた。資本主義の諸矛盾を単純な経済的な土台における労働者階級搾取に絞り込むのではなく、日常生活それ自体、すなわち消費生活や文化領域そのものが資本主義的な支配の重要な領域であることをルフェーブルは強調し、そうした、日常生活の領域の空間的な場として都市の重要性を強調した。そして、スペクタクルのもつ受動的な支配を強調したのも、ルフェーブルだった。しかもルフェーブル自身、シチュアシオニストからさまざまに影響を受ける。ISの源流の1つであるCOBRAのメソバーたちもルフェーブルから大きな影響を受ける。たとえば彼は、『現代への序説』で次のように述べている。

 「《シチュアシオニスト》が作品を考える場合、彼らの考える作品とは都市のことである。それは、参加を要求する生き方の場、そして見世物を包括しながら、自分が見世物に還元され得ないことを知っている生き方の場としての都市である。1つの都市はさまざまな状況を創造する。状況をつくりだす創造的活動力、したがって、生きる型や生きる方法をつくりだす創造的活動力が活動できる場は、都会的な枠のなかでありそうした環境の中なのである。それ故このグループは、都市の描写、そして、都市空間とその遊戯的な使用について、そしてそれから由来する参加のあらゆる形式について、注意力を集中した。要約すれば、このグループのもっとも輝かしい代表者たちは、《モダニティ》の中で数を増して行く疎外された諸構造や人間を疎外する状況と対立する脱疎外的な建設的活動力を求めつつ、実験という名のもとに、一種の体験されるユートピアを探検するのだ*14

 アーティストにとって、この戦争をはさんだ時期は、否応なく政治に向き合うことを強いられた時代であった。レジスタンスと戦後の「解放」のなかで、彼らを見舞った社会状況は、資本主義の支配的文化にも公式のマルクス主義共産党文化にも与することができないアヴァンギャルド・アーティストに第三の道への模索を強いた。ISを生み出した文脈は、まさにこの意味で、戦後の枠組みを最初から逸脱する要素によって形成されていたのである。「ずらし」「漂泊」といった戦略や、都市空間のイマジナティブで心理学的な側面の重視は、すでにポストモダンといっていい要素を含んでいた。とりわけ心理学的なアプローチやイメージを重視する立場は、精神分析バシュラールの影響を感じさせるものでもある。事実、COBRAの運動は、ルフェーブルとバシュラールに大きく影響されたアヴァンギャルドの芸術運動であった*15

 しかし、ISはやはり、政治と文化の溝を運動の内部の課題としても解決できなかった。それは、62年という比較的早い時期に分裂を引き起こしていることによく現れている。たぶん、62年以降のISは、マルクス主義の影響をより大きく受けるなかで、マルクス主義の重大な限界でもある文化的なアヴァンギャルドに対する政治の優位という発想を克服できなかった。初期のISがもっていたサイコジオグラフィ、ずらし、漂泊、統一的アーバニズムといった理念は、結局、労働者評議会の思想やルカーチの物象化論とは十分に融合されなかった。とはいえ、68年のパリ5月革命、とりわけナンテールの学生運動のなかでISの影響は大きかったといわれている。5月革命における表現活動の重要な特徴の1つとして、海老坂武は次のように指摘している。

 「第一に確認しておきたいのは、表現活動の〈共鳴〉(モラン)が異議申し立ての運動を雪だるまのように拡大していったことである。(略)状況主義インターナショナルパンフレットがナンテール分校で配布され、そこから心理学社会学の講義に対する批判活動が始まり、この批判が女子寮の自治の要求その他と結びついてナンテール分校に〈擾乱(アジタシオン)〉の気配を生み出した*16

 そして、この時期出現した多くのスローガン、たとえば「オブジェよ、消えてなくなれ」「見世物的、商品的社会打倒」「自動車=オモチャ」「マルクスを消費するな」など*17は、明らかにシチュアシオニストスペクタクル社会批判と連動したものだった。こうして、ISの表現は、現実の運動に無視し得ない影響を与え、「文化がどこまで社会の更新力となりうるか*18」、文化の変革における可能性を具体的に実践する重要な意味をもった。だが、それは、必ずしもISの目指すところのものではなかった。ISは、5月革命のなかで、学生運動からさらに労働運動へ、そして労働者評議会の構想の実現へという自らのプロジェクトをもっており、文化よりも政治的な変革をむしろ重視するようになっていた。こうしてISは、運動としても最高潮を迎えながらも、パリ5月革命のなかでISに対して期待された役割は、そうした政治的なものではなく、むしろある種の文化的表現の革命とでもいうべきものだった。「スペクタクルの社会」を批判するオルタナティブな文化表現が彼らに期待され、ドゥボールの著書はそのタイトルだけが一人歩きし、スローガン的に利用されるようになった。しかし、それは、ISにも大きな責任があった。ISが60年代初期までもち続けていた文化・芸術と社会変革という課題が未整理なまま、マルクス主義を大幅に受け入れてしまったために、まさにマルクス主義の最も弱い環である文化に関して状況を十分に自分のものにする機会を逸してしまったのである。


ポストISにおけるシチュアシオニズム

 1967年にドゥボールの『スペクタクルの社会』が出版されて以降のシチュアシオニストの運動について、ロバート・ヒューイソソは、次のように端的な要約を与えている。

 「ドゥボールの本『スペクタクルの社会』が1967年に出版されたときには、シチュアシオニストの機能はプロパガンダの機能に縮小してしまっていた。アートの活動と文化的生産は、資本主義が支配と搾取の現実を覆い隠すためのスペクタクルの一部として、捨て去られていた。スペクタクルの壮大な幻影を通じて、資本主義においても共産主義においても、世界の統治者は、労働者の労働ばかりでなく、余暇の活動での創造性をも、お金をとって労働者自身に返すようになっていた。とはいえ、この余暇活動は、彼らを静かにさせておくための社会的な退屈事であり、彼らが疎外された奴隷状態を続けざるを得ない程度に、満たされない感覚を残すものなのだが。文化は、大衆のアヘンとなった。〈商品〉と化した文化はまた、スペクタクル社会のスター商品ともならざるを得ない*19

 そして、ISもまた、ある意味ではボイスと同様の罠に陥った。すでに、69年にシチュアシオニズムは「アート」として、パリ、ロンドン、そしてボストンのインスティチュート・オブ・モダンアートを巡回した。「その営業スポンサーには、銀行やビール会社が含まれていた*20」。しかも、ポンピドー・センターというパリのモダンアートの1つの拠点そのものが、シチュアシオニストの戦略を簒奪するカウンター・レボリューションでもあった。そして、1988年に、68年の20周年ということで、さまざまなイベントが催されるなかで、68年5月の革命はスペクタクル的な消費のサイクルに囲い込まれてしまった。それは、日本におけるブームとしての全共闘運動がもたらした無意味なスペクタクルと同様なものだったといってよいだろう。そして、ドゥボールもまた、ボイスがそうであったように、こうした状況を苛立ちながら迎えた。当時彼は次のように語った。

スペクタクルの支配がもつ第一の優越性は、最近の出来事に関するほとんどすべての理性的な情報や解説をはじめとして、(略)歴史に関するあらゆる知識を抹殺するという(略)ことにある。完成された巧みさで、スペクタクルはいまにも起こりそうなことについての無知を組織し、さらに理解されたことをすべて、その後即座に忘れさせようとする。それが重要であればあるほど、それだけ隠されることになるのだ。ここ20年のなかで、1968年5月の歴史ほど、体のいい嘘にくるまれてしまったものは、他にない*21

 こうして、シチュアシオニストの運動は、組織としては72年に終りを告げるが、しかし、そのことが同時にシチュアシオニズムの終焉ではなかった。たしかにその後、ISは、アートカテゴリーのなかで幾重もの安全装置を装着された爆弾のように厳重に保管されてきたが、同時に、ISを固有に担ったアーティストや活動家とは関係なくその影響を受けたアーティストたちが独自にシチュアシオユスト的な問題意識を育んでもきた。これは、ISが活動していた当時からの1つの特徴であった。ISと直接関係ないにもかかわらず、明らかにISの影響を感じさせる動きがみられたのだ。ここに、ボイスを離れることができない「社会彫刻」「拡張された芸術」といった理念とは異なるシチュアシオニズムの匿名性がある。

 IS以降のシチュアシオニズムの影響としてよく知られている例として、ジェイミー・ライドのセックス・ピストルズに関わる仕事をはじめとするパンク・ロックの文化がある。また、シチュアシオニズムの運動は、70年代に、非常に小さなグループだが合衆国におけるラディカルな運動として展開された時期がある。ISの解体前には、ニューヨークにも公式の支部があったとされているが、サンフランシスコでは、そうした公式主義に反対するシチュアシオ二ストたちがグループを形成しはじめ、70年代始めに、5つのグループがあったといわれている。こうしたグループの1つであるポイント・ブランクは、73年にポスターというメディアによる都市への介入を試みる。ボスの頭にライフルの照準器のスケールが重ねられた絵のある「あなたは上司を殺したいと思ったことぱないか?」、スーパーマーケットの風景をあしらった「あなたぱなにもかも盗んでしまいたいと思ったことぱないか?」、崩壊するマンハッタンをイラストした「死後の人生はあるか?」といった極めて挑発的なポスターを制作し、これらを手分けして、全市に貼りまくった。あるいは、市長への電話の洪水作戦を展開するなど、彼らはある種のメディアを媒介とした運動ならざる運動を展開した。それは「既存のコミュニケイションの手段を自分たちに有利なように利用するという単純な課題」に沿ったものだった*22

 しかし、こうした直接的な影響よりも間接的な影響の方が大きかったともいえる。たとえば、エリザベス・サスマンは、70年代のゴードン・マッタ・クラーク建築の干渉、ダン・グラハムズのパビリオンや映画におけるスペクタクルの表現、ロバート・ロンゴのパフォーマンス、以前にも紹介したジェニー・ホルツァーのメッセージ・マシン、ポスターなど、クシュシトフ・ウディチコの建物やモニュメントとの不協和音的イメージなどを挙げ、さらに、バーバラ・クルーガー、リチャード・プリンス、シンディー・シャーマンたちも同様の主題をもっているといえると指摘している*23。こうした作家は、いずれも、大衆文化表現様式を踏まえつつ、その様式をその支配的な文化のコンテクストから切断し、ひっくり返すことによって、逆に大衆文化のなかに潜む支配的なイデオロギーへの批判をラディカルに展開している。たとえば、ゴードン・マッタ・クラークは、自らの建築を「アナーキテクチュア」と呼び、機械主義時代の機能主義的側面への拒絶を「切り裂かれた建物」という形式で提示した。「進歩に対するアメリカの夢と、それに伴って起こる故意の破壊とのパラドキシカルな関係」の表現をそこにみることができる*24。また、ウディチコは、スライド・プロジェクターで、ロンドン南アフリカ会館の建物に鉤十字を映じ出すなど、建築物モニュメントのもつ政治的・社会的背景を批判するパフォーマティブな作品を制作している。あるいは、4章で前述したSRLによるまともに作動しない、あるいは自己解体的な機械によるパフォーマンスなども機械に象徴される現代文明スペクタクルへのシチュアシオニスト的批判という文脈でみることができるかもしれない。これらは、シチュアシオ二ストの展開した「ずらし」の方法であり、ここでの作家の多くがギャラリーの外部の空間を表現の場として選択しているということも、都市を戦略的な拠点に置いたシチュアシオニスト理念に連なる。また、バーバラ・クルーガーのように、建築家だちとの共同作業によってオルタナティブ都市計画を試みるなどの方向も、シチュアシオ二ズムの文脈や流れから解釈できることかもしれない*25

 しかし他方で、資本主義の脱工業化とスペクタクルの社会様相が単純なマスメディアと大量消費といった管理社会的な支配システムから、大衆の快楽を喚起し、積極的に快楽の産出と大衆の参与によるアシッド・キャピタリズムヘと転換することによって、シチュアシオニストの戦略と都市空間とはある種の文化的な戦場になりつつある。シチュアシオニストは、都市を地理的経済的なファクターとしてだけではなく、「イメージ」によっても規定されるということを非常に重視した。そして、まさにそうしたイメージをめぐる争いが日常生活そのもののなかで展開されるようになっている。この意味でもシチュアシオニストの問題提起は決して古くはなっていない。

*1:この点については、若江漢字「社会改革としての芸術=ヨーゼフーボイス」『クリティーク』11号、1988年、参照。

*2:『社会彫刻』(人智学出版社、1986年)。

*3:若江、前掲論文参照。

*4:ヤン・フート、バート・デ・バールヨーゼフ・ボイスの”経済の価値”──経済と美術:映りゆく価値と未来をめぐって」『ヨーゼフ・ボイス、国境を越え、ユーラシアヘ』(ワタリウム1991年)所収、98ページ。

*5:同前。

*6:『美術手帖』1983年4月号、63−64ページ。

*7:「広い意味でのアーティストと政治理論家(あるいは革命家)との分裂である。主要な対立点はアートはそれ自身の正統化された特殊性をもって独自に活動するということを認めず、革命的な実践との統一へとアートを解消しようとするパリのドゥボールを中心とする理論グループの主張にあった。分裂後のISは、パリの本部を中心に組織を改変した」Peter Wollen,"Bitter Victory : The Art and Politics of the Situationist International, "ON THE PASSAGE OF A FEW PEOPLE THROUGH A RATHER BRIEF MOMENT IN TIME : THE SITUATIONIST INTERNATIONAL 1957-72, MIT Press, Cambridge, Massachusetts and London, England, 1991.

*8:"The Fifth S.I. Conference in Göteborg(excerpt)," in Knabb de. , SITUATIONIST INTERNATIONAL ANTHOLOGY, Bureau of Public secrets, barkeley, 1981,p.88.

*9:Attila Koanyi, Raoul Vaneigem, "Elementary Program of the Bureau of the Bureau of Unitary Urbanism", International Situationiste #6, August 1961, in Knabb, ANTHOLOGY, op.cit., p.65.

*10:Ibid., Knabb., ANTHOLOGY, p.67.

*11:Ibid., p. 45.

*12:Guy Debord, Gil J. Wolman, "Methods of Detounment", Knabb, ANTHOLOGY, op.cit., p.9.

*13:Guy Debord, "Theory of the Dérive , "Inetrnationale Situationiste #2, December 1958, Knabb, ANTHOLOGY, op.cit., p.50.

*14アンリ・ルフェーブル『現代への序説』下巻、宗左近古田幸男監・訳(法政大学出版局1973年)439ページ。

*15:Jean-Clarence Lambert, COBRA, Abbeville Press, New York, 1983, pp.17-21.

*16:海老坂武「〈五月革命〉における表現の問題」『講座20世紀の芸術6 政治と芸術』(岩波書店、1989年)所収、279ページ。

*17:同前、264ページ。

*18:同前、297ページ。

*19:Robert Hewison, FUTURE TENSE, A New Art For the Nineties, Methuen, 1990, pp.27-28. 本書は、浅見克彦訳で青弓社から刊行される。訳者のご厚意により訳稿を引用させていただいた。

*20:Hewison, ibid., p.30.

*21:Hewison, ibid., p.30.より再引用。

*22:"Situationism", RE/SEARCH, #11, 1987, p.176.

*23:Elisabeth Sussman, "Introduction," ON THE PASSABE OF A FEW PEOPLE THROUGH A RATHER BRIEF MOMENT IN TIME : THE SITUATIONIST INTERNATIONAL UGH A RATHER BRIEF MOMENT IN TIME : THE SITUATIONIST INTERNATIONAL 1957-72, pp.10-13.

*24:J・ワインズ『デ・アーキテクチュア──脱建築としての建築大島哲蔵/三好庸隆訳(鹿島出版会、1992年)236ページ。

*25:Haukinson, Kruger, Quennell, Smith-Miller,"Imperfect Utopia/Un-Occupied Territory, "assemblage, no.10, 1989.



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