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2014-01-17

シケイロスと現代美術評論 岡本太郎

 メキシコ、私は仕事のためにしばしば訪ねるが、何度行っても眩惑的な世界だ。すべてが、この風土でひらいている。いのちが平気でふくらみ、脈うっているという感じがする。貧しくとも精神は気高く、豊かだ。いわゆる先進国よりも、はるかに人間的魅力を感じるのである。

 そのような民衆のふくらみに対して、メキシコの現代絵画は意外にも何か暗く、重い。泥くさいともいえる。それが私のは何か不思議に思えた。西欧19世紀風の手法のせいもあるだろうが、革命の影か。

 シケイロスの作品も、幾つかは見て知っていた。激しい、押しつけてくるような叫び。すれらはいわゆる楽しくて好きになるというようなものではない。しかし、けわしさに抵抗を感じながらも、独自さは認めざるをえないし、そしてヨーロッパ美術などよりも何かこちらにこたえるものがあると思っていた。

 芸術は好きとか嫌いだとかいう、そんな条件をこえてあるのだというのは私のかねての主張だし、彼の作品の民族的なヴァイタリティー、人間的激しさには底の方で熱く共感するものがあった。しかし、芸術家はあまり他の作家に近づこうという気はないものだ。だから特に会おうと思っていなかったのだが、1967年、メキシコに行ったとき、彼と親しい人が案内して、クエルナワカに老シケイロスを訪ねることになった。

 アトリエではポリフォルムの仕事がもうさかんに進められているときで、鉄を使ったレリーフの巨大な部分が、あっちこっちに立てかけられていた。世界の各地からメキシコ、そしてシケイロスに憧れて、無条件ではせ参じてこの仕事を手伝っている若者たちがいる。中年の親方のような男の指導のもとに、行ったり来たりして働いている。たのしい組織だった。

 シケイロスはかなり大きな写真を貼りあわせたポリフォルムの模型の内部に私をつれ込んで説明した。モチーフの実現していく過程を得意になって見せたりする。

 彼はパリでも生活しているので、かなり流暢なフランス語を話す。雄弁家で、話に熱中してしまい、永い時間しゃべりつづける。互いに情熱的に問題をぶつけあった。

 意外に話があう。メキシコ革命生のこり、そして厖大な仕事をなしとげてしまった老巨匠だと思っていたのに。

 彼は商品化したパリやアメリカの美術に対する軽蔑をズケズケと語り、ピカソだってもう金で買われる芸術になってしまっている。あんなものは駄目だと、はっきりしている。金持ちに買ってもらうために描かれた絵、銀行預金のようにしまっておくための芸術なんて、なんの意味があるか。-まったく私が昔から常に発言している通りのことだ。

 彼の生涯をかけた闘いと、私の闘いと、状況もちがい、やり方もちがう、しかし芸術家としてとっている立場には相通ずるものがあるのだ。

 私も自分のことを話した。もう20年も前に、「芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、心地よくあってはならない」という3原則をたてた。それを宣言した本は日本の若者にアッピールして、ベストセラーになった、という話などすると、相好をくずして笑った。

 私は日本でそれを実践しつづけてきた。好かれようとしない仕事ばかりしているし、応接間に飾られる小さな商品的な絵より、パブリックの場所に作るモニュメント壁画に情熱をかけてきた。ちょうどそのときは万国博のテーマ・プロデューサーを引き受けた直後だったので、いまエキスポ'70の中心になる、テーマ館の構想をたてている。そういうひらかれた場所でこそ、芸術はピープルに素っ裸でふれあうことが出来る。誰も金を払う必要もないし、何気なく通りすぎてもいい。「芸術作品」だなどと立ちどまって見る必要もない。それでいて、何かをぐんとつきつけられ、無意識的に心性を変貌させる。それが芸術の呪術的役割だ。

 彼はとても喜んで、「そういうことが出来るなんて、やっぱり日本はすばらしい。一度是非日本に行きますよ。君の仕事も、じかにこの目で見たいものだ」と情熱的に語った。

 以来、親しくなった。ところが、偶然というのは面白い。その後私はオテル・デ・メヒコのオーナー、マニュエル・スワレスに頼まれて、そのメインロビーに幅32メートルの大壁画を描くことになった。メキシコで外国人がこんな大仕事をするのははじめてだという。そのスワレスが、シケイロスに「ポリフォルム」を作らせているのだ。そのために大統領にかけあって、投獄されていたシケイロスを牢から出したのだという話もきいた 。

 メキシコ市を貫く大通りインスルヘンテスに面して、パルケ・デ・ラ・ラマという巨木の生いった庭園がある。そこには中南米一という超高層ビルのホテルを建て、庭にシケイロスの個人美術館を作ろうというのだ。ポリフォルムに対するスワレスの打ち込みようも大変なもので、私がメキシコに行ってホテルの現場に顔を出すと、必ずいそいそとポリフォルムの現場に案内する。

 初めて見たのはもう4年ほど前になるだろうか。特徴ある楕円形の建物はすでに出来上がって、内部のレリーフはほとんど取りつけを終わっていた。中に入ると、激しくダイナミックに構成されたシケイロスの宇宙。うなりをあげているような凄まじさだ。

 圧倒される。こんなると、もう、いい悪いを超えてる。シケイロスの作品に賛成であろうがなかろうが、とにかくそこに1つの宇宙があり、それがシケイロスなのだ。

 案内したスワレスは、私が感動しているのを見てひどく嬉しそう。「どうだ凄いだろう。これだけのことがやれれば、芸術家として本望じゃないか。ピカソだって誰だって、こんな美術館をもっているかね。まだまだ、建物の外側にも全部レリーフがつくんだよ。この床は電機仕掛けでゆっくり廻るんだ」と得意になって説明する。そして、シケイロスが館内を大股で歩き回り、高い足場の上にあがった助手たちに大声で指図し、位置や角度をきめたりしているのを眺めながら、「これが終わったら、庭の向こう側に、もう1つ、オカモト美術館を作るつもりだ。どうだ、もう日本にいるのをやめて、メキシコに来なさい。」

 今度の展覧会にも、このポリフォルムの下絵がかなり出品されている。それに写真構成で全容を伝えようとつとめているが、その圧倒的な全体像はとうてい表出できない。まことに残念だ。

 しかし、東京の会場のようなおさまったところでシケイロスの断片を見ても、彼のさまざまな闘いのあとが、いわばとじ込められていて、不つりあいだが、それだけ逆に強烈な表情として浮かびあがってくる。さまざまに切りとられ、吊り下げられて、それらは悲劇的に荒々しく身もだえし、叫び、拳をつきだし、うめき、躍りあがってくる。よかろうが悪かろうが、新しかろうが古かろうが、他人の基準にわずらわされていない。独自に昂然とうち出されたエキスプレッション。私としては美術の鑑賞というような問題ではなく、すでに言ったように運命的な共感をおぼえて嬉しいのである。

 この展覧会が日本の若い世代にどのようなメッセージをもたらすだろうか。日本人に、いわゆる好かれるタイプではないだろう。それに、いつも画壇の基準になる西欧のトップモード的なパターンともまったく無縁である。

「みずえ」1972年8月号Vol.811



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