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2015-03-22

エイズ・デモ・グラフィックス, あるいは芸術の死? 熊倉敬聡


1)芸術をめぐる近代の2つのディスクール

 芸術とは,メディアの脱記号的変形である。この変形・逸脱としての芸術をめぐる西洋近代の「言説」──宮川淳的意味での──は大きく分けて2種類あるように思われる。1つは,このようなメディアの/からの逸脱を没社会的・没コミュニケーション的〈閉鎖系〉として捉える言説*1。そのような言説は,いわゆる「ロマン主義」から「象徴主義」へといたる美学イデオロギーの流れのなかで頂点に達する。単一メディアの中で作品の内的・自己参照的強度を限りなく高めること──「純粋詩」,「純粋小説」。「純粋音楽」,「純粋絵画」等々が唱えられる所以である。この〈閉鎖系〉的流れは, 20世紀に入って理論的にさらに複雑な展開をみせ,たとえばアドルノの音楽批評,ブランショ文学批評,グリーンパークの美術批評などの成果をもたらし*2、さらには記号論形式主義として1つの「科学」にまでいたる。しかしながら,このような言説に導かれて生産される作品先細り的に貧困になり(絶えざる形式的革新の不可能)、また、そのような作品を語る言説自体も制度的に硬直してしまった結果,(この第一の言説に従うかぎりは)芸術は永遠に「老化」し,死んでゆくものとなった*3

 これに対し,芸術に関する近代の第二の言説は(逆説的だが)「反芸術」的言説ともいえるもので,芸術をメディアの社会的・コミュニケーション的変形=<開放系>として捉えるものである。この傾向は,「象徴主義」への反動として20世紀に入ってから,未来派ダダイスムロシア・アヴァンギャルドシュールレアリスム等々として爆発し,複数のメディアの雑交を通して芸術の「外在的」力,すなわち社会との「遭遇」の力の産出をめざした。その後も,フルクサスなどの貴重な経験をへながら,80年代には(特にアメリカで)新たなパブリックアートの動向として自らを具現した。しかし今や,この第二の言説も──われわれが以下に示すように──ある種の限界を露呈しはじめている*4


2)シミュレーショニズムの/からの脱走?

 このような文脈に立つとき,80年代の言説としてのシミュレーショニズム*5は,ある意味で<閉鎖系〉の言説の最終形態とみなすことができるように思われる。それ以前の<閉鎖系>の言説がすべて「形式」あるいは「意味生成性」(クリステヴァ)の内的厚み=横断としての自己言及性として自らを規定していたのに対し,この<閉鎖系>の最終形態としてのシミュレーショニズムは,もちろんボードリヤールの「シミュラークル」と「バイパーリアリティ」の理論に依拠しながら,非形式的,非意味生成的「表面」の反復として自己言及性を解釈した。当時の評論・ジャーナリズムが前者に「モダン」,後者に「ポストモダン」という呼称を与えたことはまだ記憶に新しい。

 ところで,この言説としてのシミュレーショニズムのイデオロギー的影に隠れて当時は判然としなかったが,いわゆる「新表現主義」あるいは「シミュレーショニズム」とみなされていたアーティストの中には<閉鎖系>とは別な傾向,すなわち〈開放系〉のヴェクトルを示す者たちがいた。

 たとえば,シャン=ミッシェル・バスキアとキース・ヘリング。 70年代のアメリカ大都市,特にニューヨークの街路,公共交通機関はいわゆるグラフィティ・アーティストたちにとっての巨大なキャンヴァスと化していた。大都市の掃き溜め的無名性に抗するかのように,彼らは手近にある壁という壁に落書きという自らの署名=痕跡を刻み込んだ(写真1)。── 「公共」へのゲリラ的侵犯。バスキアとヘリングもまた,このグラフィティのゲリラ性の中で活動していたアーティストである。しかし,彼らが他の無数のグラフィティ・アーティストたちと異なっていた点は,彼らが80年代初頭を境として,美術というインスティテューション──画廊,美術館,ジャーナリズム,市場等の共働が織りなす一大産業システム──に参入していく点である。当初は,美術制度への落書きの暴力の殴り込みと見えたその参入も,瞬く間に制度そのものに飼い馴らされ,「回収」されて,美術産業の錬金術に利用された。そして,美術界の道化でありつづけることに疲れたかのように,バスキアは88年,ヘリングは90年──前者は麻薬,後者はエイズによって──死んでいった。

 あるいは,ジェニー・ホルツァー。彼女は,しばしば女性のシミュレーショニストの代表のようにジャーナリズムによって分類されるが,その出自はむしろ上記のグラフィティアートにごく近いといっても過言ではない。 70年代後半,彼女はニューヨークのソーホー界隈の壁に彼女自身「トゥルーイズム(自明の理)」と名付けるシリーズのポスターを貼りつづける。「カネは趣味をつくる」,「殺人には性的側面がある」といった短いテキストがアルファペット順に並べられた無署名のポスターは,落書きのペイント,チョークに代わって,壁に自らの痕跡を残していく。その後,ポスターからTシャツ,野球帽,金属プレート(建物の入口で医者や弁護士の所在を告げるプレートのシミュレーション),あるいはステッカー(公衆電話機やパーキング・メーターに貼った)といった媒体に移行していく一方で,82年のタイムズ・スクエアでのスペクタカラー・ボードを使ったインスタレーション(写真2)以降,彼女のトレードマークともなる電光サイン・ボードあるいはLED(発光ダイオード)ボードで公共空間にステイトメントを流すようになる。しかし,80年代後半になると,いわゆる「展覧会」での展示が多くなり,極めつけは89年12月から90年2月にかけてソロモン・R・グッゲンハイム美術館で行われた展覧会で,そこではかの有名なフランク・ロイド・ライト設計による螺旋状の回廊の手すりに全長161メートルに及ぶLEDボードを設置するが,それはもはやかつてのゲリラ性をすっかり失って単なる収まりのいい「装飾」へと堕してしまっている*6

 あるいは,バーバラ・クルーガー。ポスター広告の形式を流用しながらも,そこに可視的イメージと言表との意味論的ずれ・軋みを執拗に追求した彼女は,屋内での多くのインスタレーションをこなしながらも,同時に町なかのポスター・スペースに侵入し,都市の広告的空間を異化していた(写真3)。しかし,その彼女の作品も最近の(91年)メアリー・ブーン・ギャラリーでの展示を見るかぎり、「プロパガンダ」──上記の意味論的ずれの喪失──に変質してしまっていて,そこにはもはやいかなる異化効果も感じられない。

 こういったすべての事態はいったい何を意味しているのだろうか。これらシミュレーショニストたちのゲリラ性の喪失はいったいわれわれをどこへ導こうとしているのだろうか。われわれはそこに単に,芸術の終焉とうたわれたシミュレーショニズムそのものの死を確認すればよいだけなのだろうか。


3)エイズ・デモ・グラフィックス,あるいは「芸術の死」?

 1987年3月ニューヨークで, ACT UP ( the AIDS Coalition to Unleash power )という団体が結成された*7。この団体は,一言でいえば,エイズへの社会的差別・偏見を正すためにインフォメーション活動,デモンストレーション活動を組織的に実践する集団である。当然のことながら,このような活動においては手段の1つとしてグラフィックが重要となる。そこで88年1月, ACT UP の非公式プロパガンダ部門として11名のアーティストからなる「グラン・フュアリGran Fury」というグループが結成される(彼らを中心とするACT UPのグラフィック活動をベイ・プレスから出た本にちなんで「エイズ・デモ・グラフィックス」と呼ぶことにしよう*8)。彼らの活動はおもにグラフィックを通じて一般大衆エイズに関する正しい情報を伝え,あるいはマスコミによって歪曲された情報を正し,または潜在的犠牲者たる貧困層を啓蒙することにある。もちろん,このような活動自体は倫理的に見て何ら非難されるものではない。ここでわれわれが問題としたいのはしたがってそういうことではなく,彼らのグラフィックの美学的──というよりむしろ反美学的といったほうがよいか──方法そのものである。

 彼らは一貫して,シミュレーショニズムの方法的原理の1つであるアプロプリェーション(盗用=流用)を使用する,というかそれを再盗用する。その(再)盗用の対象は,商業広告から同時代のアートにいたるが,とくにベネトンの広告を模して,「キスが殺すのではない,貪欲と無関心が殺すのだ」というメッセージを載せた横長のポスター(ニューヨークその他の都市の市バスの側面に貼りだされた)は有名である(写真4)。あるいは。「キス・イン」というデモンストレーションのためにつくられたポスターは,視覚的イメージと言表の関係に明らかにバーバラ・クルーガーの方法が流用されている。

 いったい,これらのアプロプリエーションの(さらなる)アプロプリエーションは何を意味しているのだろうか。たとえば美術評論家でACT UPのメンバーでもあるダグラス・クリンプは,そこにアプロプリエーションというポストモダンな手法の社会化,つまり「美術」という閉域からその外部すなわち社会への開放をみる。エイズ──疾病としてのそして社会問題としての──との闘争に打ち勝つためには,アート──たとえ美術という制度をその内部で「脱構築」するとされるシミュレーショニズムといえども──は美術界の閉鎖性から外に出て社会的なアンガージュマンに身を開いていかなくてはならない*9。たしかに,アメリカでのこの病の尋常ならざる広がりを考えるとき──美術界にしたところでヘリング,メイプルソープ,あるいはクリンプとともにシミュレーショニズムを理論的に推進したクレイグ・オーウェンスなど名だたる人びとを失ってきたー,この切迫さは(少なくとも倫理的には)理解しがたいことではない。しかしここで問題なのは,むしろアートを相も変わらず<閉鎖系>と<開放系>のディスクールでしか定義しようとしない思考のある種の貧困さなのではないだろうか。閉鎖的な芸術を社会的に開放すること,それは反芸術あるいはアヴァンギャルドの論理であった。だが,このエイズ・デモ・グラフィックスによるアプロプリエーションの反復・増殖で問題となっているのは,じつはまったく別な事柄なのではないだろうか。つまり,もはや〈閉鎖系〉/〈開放系〉という思考の二分法──近代のディスクール──では語りえない,掴みえないある事態が問題となっているのではないだろうか。

 バーバラ・クルーガーの「プロパガンダ」への転向。上記のメアリー・ブーン画廊でのインスタレーション以降も,たとえば91年2月から3月にかけて,非営利団体パブリックアートファンドがガネット交通の協力を得て企画したプロジェクトで,なんと彼女はグラン・フュアリと並んでニューヨーク市内百ヵ所のバス待合室にポスターを貼りだしている*10。このときいったい彼女の作品はアートなのだろうか,それとも広告ないしプロパガンダなのだろうか。あるいは,クルーガーのポスターの方はアートで,グラン・フュアリのポスターの方はプロパガンダなのだろうか。それとも両者ともプロパガンダ,それとも両者ともアート,それとも・・・? おそらく,クルーガーのこうした振る舞いを「アートから広告ないしプロパガンダへの転向」という言い方で解釈してはいけないのだ(そして,グラン・フュアリの再アプロプリエーションの戦術をアートとしてのアプロプリエーションから政治的行為としてのアプロプリエーションとクリンプのように理解してはいけないのだ)。そうしているかぎり,事の真相は十分に掴めないだろう。ここでは──このクルーガーとグラン・フュアリの並列においては,むしろそれがアートなのか広告なのか,芸術なのか政治なのか,という判断がもはやつかないこと,そこでは両者の境界線がかぎりなく曖昧になり,したがってもはやそれを芸術というのか広告というのかということ自体が意味をなさないこと,そうしたことこそ重要なのではないだろうか。芸術とその「外部」(とみなされていたもの)との境目がぼやけていく,互いが互いに透明になっていく──そうした事態こそがまさに問題となっているのではないだろうか。

 その極めつけは,クルーガーが雑誌『エスクァイア』日本版(1992年12月号)のために制作した表紙である(写真5)。この,「Hiroshima」と「Nagasaki」の名が見られる地図を背景に「This is not America」という言表をフィーチャーした表紙を,われわれはもはや芸術とも広告とも名付けることができない。ここではただ,両者の相互浸透が,互いに透明になった芸術と広告が虚ろに瞬きあっているにすぎない。

 このような状況において,たとえば椎木野衣の指摘「芸術が消滅しないことの不可能性」*11は重要である。それは決して──近代のディスクールにしたがって──芸術が反芸術へと反転し爆発して空中分解を起こすことを意味しない。ましてや,〈閉鎖系〉の中で老化し,枯渇していくことを意味するわけでもない。それはまさに,開放するにしても閉鎖するにしてももはやその対象たる芸術そのものの輪郭がぼやけてしまって,周囲に紛れ込んでしまう事態,もはや「芸術の死」といった荘厳な結末なのではなく,逆に情けないほどに芸術が生き延びようと無残な姿をさらしながら腐敗しつづけ周りに溶け込んでいく状態なのではないだろうか。


4)芸術のたそがれ?

 イタリアの「弱い思想」の代表者の1人,ジャンニ・ヴァッティモは,20世紀の「芸術の死」に三種類のものがあるとする*12。1つは,アドルノ的「芸術の老化」としての死(われわれの言葉では<閉鎖系>の極限としての死)。次に,芸術の制度の外への芸術の作裂としての死(われわれの<開放系>としての死)。そして最後に,マスメディアによる生活・社会の全般的美化としての芸術の死である。ヴァッティモによれば,現在の状況はこの三種類の死がない混ぜになった──むしろ芸術の死ではなく──いわば芸術の「たそがれ」とでも呼ぶべき状況である。ヴァッティモ自身,この「芸術のたそがれ」が永遠につづくものなのか,あるいはこのたそがれにもやがて「終わり」が来るのか,はっきりした結論を出してはいない。しかしいずれにしても,彼にしたところで,「芸術」が衰え,薄明の空間に入りつつあると認めていることに変わりはない。芸術の限りなく透明に近い薄明,われわれにはもはやそれしか残されていないのだろうか。

 ところで,われわれは本論の冒頭で「芸術とは,メディアの脱記号的変形である」と述べた。ここまで見てきたように,<閉鎖系>的変形はすでにしばらく前から限界を露呈し,また<開放系>的変形にしたところで,たとえば近年隆盛をほこったアメリカ式「パブリックアート」も(今ホルツァー,クルーガー,エイズ・デモ・グラフィックスなどの例で見たように)いわば上記のヴァッティモの第二と第三の死が混ざり合ったようなかたちで或る不可能性に入り込んでいるようにみえる。

 20世紀は──他のいくつかの呼称とともに──よく「メディアの時代」と言われる。科学と産業の複合体が生み出したさまざまな新しいテクノロジーは,社会的に応用され,コミュニケーションの新たな形式を多様につくりあげた。たしかに,今世紀のアートも──アートメディアの脱記号的変形であるかぎり──新たなメディアの可能性をさまざまに模索してきたことにまちがいはない。しかし,われわれは同時に,アートは非常にしばしば(テクノロジーコミュニケーション的応用形たる)「メディア」ではなく,「テクノロジー」そのものの方により強く魅惑されることも知っている。コンピューター・グラフィックスを筆頭とした「ハイテクアート」の多くはまさにこの種の魅惑の圏内にいる。それは非常にしばしば,新しいテクノロジー潜在的可能性の探究においてはある種の豊かさをみせるが,それに引き換えそれが依って立つ美学的構造はアナクロニックなほどに旧態依然たることが多い。

 たとえば,80年代の「パブリックアート」の強力なヴェクトルの1つであったホルツァーにしたところで──いわゆる「ハイテクアート」とは言えないが──紙や布への「印刷」,金属への刻印等から, LEDボードの使用へとテクニックの「洗練」をみせた。だが,そのテクニックあるいはテクノロジーの層を取り除いてみると,彼女の使用するメディアは不思議なほどに一貫している。すなわち「ポスター」である。彼女のアーティストとしての歩みは,ポスターというメディアをめぐっての技術的横滑りだと言っても決して過言ではない。

 ところで,メディアを単なるテクノロジーと分けるもの,それは言うまでもなくそのコミュニケーション性である。そして,人類の歴史はメディアの「脱領土性」──ドゥルーズ=ガタリ的意味での──の拡張,高度化に努めてきた。そのようなメディアの歴史を鑑みるとき,現代芸術は──メディアの変形でありながら──非常に多くの場合脱領土性の低いメディアへの執着を捨てきれないようにみえる。たとえば,ホルツァーにとっての──あるいは他の多くの現代アーティストにとっての──ポスター。メディアとしてのポスターの脱領土性の低さは(単体としてとった場合)言わずもがなである。それは単体としての脱領土性の貧困を,その貧困そのものの(印刷術による)無限の増殖によってかろうじて補うのである。ポスター,グラフィティ,彫刻といったパブリックアートにおけるメジャーなメディア──それらはことごとく脱領土性が低い──はたしかにそのアートとしての変形の可能性を汲み尽くしたにちがいない。ところが,それとは対照的なはずのハイテクアートも,しばしばメディアとして非常に潜在的脱領土性の高いもの(たとえばコンピューター)を使用しているにもかかわらず,そのメディアとしての多様な可能性にほとんど無関心なまま,単に新しいテクノロジーとしてそれを古典的な美学の反復に利用するだけであることが多い。いずれにしても,こう見てみると,芸術というものは物理的な外延ないしはそのリプリゼンテイションという領土性の呪縛からなかなか抜け出られないものらしい。しかし,世界にはまだまだ潜在力,芸術的変形への潜在力を秘めたメディアが多数存在しているのではなかろうか。そして,すでにそのような方向性アートを考えはじめている人々も実際少ないながら存在している*13。おそらくアートは──これからもそれをそう名付けるかどうかは別問題として──メディアが存在するかぎり,そして新しいメディアが生まれてくるかぎり,決定的に消滅することも,また死することもないだろう。「芸術の死」を信じる者は,単に自らの芸術的想像力の貧困を露呈しているにすぎない。

*1:しかしこの種の言説は,このような「閉鎖」の極限に或る種の「開放」,他者との「コミュニケーション」の糸口がある,と逆説的に説くことは説く。

*2:われわれは,この3人の「名」を,各芸術ジャンルにおける〈閉鎖系〉的 言説の「兆候」として用いているにすぎない。なお,この3人の批評のディスクールイデオロギー性の詳細な分析は,本誌本号掲載の拙論「アドルノブランショグリーンバーグ──批評におけるモダ二ズムというイデオロギー──」で試みられている。

*3:上記拙論参照。

*4:ところでここで注意しなければならないのは,この2つの「系」はあくまでも近代芸術を扱う「言説」の2つのタイプであり,決して「実践」としての芸術がこの分類にきれいにおさまりきるわけではない,ということである。むしろ,現実の芸術実践は,このような言説に媒介されながらもその「外部」をめざす,つまりこのような二種類の言説が交錯し,ショートをおこすような場で営まれていることが多い。

*5:われわれは,椎木野衣(『シミュレーショニズム』,洋泉社,1991)あるいは篠田達美(『現代美術の感情』,美術出版社,1990)等にしたがって,ジュリアン・シュナーベルらのいわゆる「新表現主義」をもこの言説としてのシミュレーショニズムに加えることにする。

*6:上田高弘「ジェニー・ホルツァー──俗物たちの劇場」(『美術手帖』,第621号,1990年3月,126-135ページ)参照。

*7:以下のエイズおよびエイズ・デモ・グラフィックスに関する記述は,そ多くの情報を『美術手帖』の「エイズ特集」(第638号, 1991年6月)に負っている。

*8:Douglas Crimp, Adam Rolston, Aids Demo Graphics, Seattle, Bay Press.

*9:友成陽一「エイズ・デモ・グラフィックスとそのアプロプリエーション戦 術」(『美術手帖』,第638号, 59-71ページ).および Douglas Crimp, “ The Boys in My Bedroom ” (Art in America, February 1990, pp. 47-49)参照。

*10:Alan Finkel “Public Art in Transition” (『フレーム』,第3号,1991年10月, 42-47ページ)参照。

*11:「朽ち果てる身体としてのシミュレーショニズム」(『美術手帖』,第638号,76-89ページ),あるいはrヘルタースケルター』,トレヴィル,1992, 23ぺージ。

*12:La fin de la modemite, traduit de l'italien par Charles Alunni, Paris,Seuil,1987, pp. 55-68・

*13:ここでは兆候的に以下の名前をあげるにとどめよう。日本のアーティスト 集団アイデアル・コピー,フランスのアーティスト集団IFP,そして筒井康隆,など。



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