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2018-01-16

音の氾濫、反乱の音 ── 大衆音楽の両義性


アシッド・キャピタリズム

 文化という領域が、経済や政治とは区別された独自の領域を形成しているという見方が、もはや成り立ちようもないことは明らかなことだが、しかし文化的な諸現象や諸活動が経済や政治とどのような関わりにあるのかということになると、十分に議論されてきたとはいえない。

 文化についての理解には、二つの典型的な捉え方がある。すなわち、社会の全体構造から理解する方法と、個別の文化的な対象や個人の感性・意識から理解する方法の二つである。前者の代表的な考え方ともいえるオーソドックスなマルクス主義が伝統的に維持してきた土台−上部構造論に基づく社会理解では、文化的諸関係は上部構造に分類されて土台の経済的諸関係から切り離され、経済の文化に対する決定関係を優先させてきた。グラムシアルチュセールイデオロギー論は、こうした伝統に対するラディカルな挑戦であったが、マスメディア文化資本によって形成される大衆文化や、その大衆文化マージナルな領域で接するさまざまなサブ/カウソターカルチャーもある種の「土台」と理解することができるとは考えられてこなかった。「土台」とはあくまで鉄や‐油の問題であり、鉄が姿を変えて自動車となったときに、この自動車がテレビのモニターから映し出されて消費者に与えるであろう「イメージ」や、石油が電気エネルギーとなって、都市の夜をライトアップするときに、ホテルの最上階のレストランで食事をとる力とフルがその夜景に抱くであろう自分たちを包み込む都市の「イメージ」は、「土台」からはずされている。なぜならば、それは、生産の問題ではなく、消費の問題だとみなされたからである。しかし、消費の問題が同時に〈労働力〉再生産というもう一つの生産の問題であるとみたとき、こうした生産−消費のカテゴリー区分は、再審に付されざるを得ない*1。そして、文化を問題にするということは、資本内部の労働組織の文化的な契機(たとえば。”日本的”経営といわれる場合の”日本”に含意されるようなもの)にとどまらず、〈労働力〉再生産をめぐる意識やイメージの生産の問題でもあるのである。

 他方、もう一つの理解として、ベンヤミンボードリヤールのような批判的文化論や芸術論の側からは、人々が最終的に受け取る物のイメージが人々の価値観やイデオロギーにどのように関わるのかが主要な関心であった。そうすることによって、個々の消費対象に内在してそのモノのもつイメージ生産機能を解き明かすことに成功した多くの例を生み出してきた。しかし、このアプローチでは、往々にして個々の消費対象が資本主義という社会の大きな枠組みや、資本の価値増殖という味もそっけもない金勘定の世界とどのように関わるのかについての分析は後景に退いてしまったように思われる。

 オーソドックスなマルクス主義アプローチと批判的文化論アプローチに共通していえる問題点は、批判の軸に文化の商品化を設定し、多くの文化的な諸現象が商品経済の市場システムとは相対的に分離されつつ資本の価値増殖に接合されているという特異な生産と消費の構造── それをパラマーケット(「パラ」とは、寄生とか付随を意味する接頭語)と呼んでおく──を有している点を軽視し、また、文化的諸関係が社会構造に対してもつかもしれないダイナミックな関係を軽視するか、十分に説明しきれないままに放置してしまう可能性があるということである。マルクス主義の前提条件からすれば、文化的諸関係が「土台」を揺るがしたり、「土台」に対して決定的な影響を及ぼすことはあり得ないし、逆に文化論的アプローチでは文化的諸関係が最も重要なファクターであるとしても、それはまず第一に個々人の意識やイメージを対象にする──その意味で文学の テクスト分析と共通する──ものであり、それが社会的な集合意識にとっても大きな影響力をもつ ことがあるとしても、結果としての社会的影響について言及できるだけであり、その結果を生み出す社会的な構造そのものを扱うことができない。なぜならば、そうした社会構造の分析は文化論の守備範囲を逸脱するからである*2。そしてまた、両者とも商品化を免れることのなかに、自立的な(ないしは解放された)文化の実現をみようとした。その結果、非(準)商品化的領域で文化が果たすイデオロギー機能と資本の価値増殖への寄与が正当な批判にさらされず、のっぺりとした商品化批判に還元されてしまった。

 このことは、文化的な課題を常に、経済的・政治的・社会的プロジェクトに対して従属的な位置に置く近代社会に特有の社会認識と無関係ではない。資本や行政にとってであれ、社会主義を掲げる政治党派にとってであれ、文化は大衆操作、大衆動員の道具でしかなかったという点については変るところはない。私は、これに対して文化の自立を要求しようというのではない。むしろ逆であり、文化が社会構造に対して非自立的であり、より密接に組み込まれてきたために、文化的な諸関係における矛盾や対立、社会的な批判の表出は無視し得ない社会変動―場合によっては社会変革―の要因となりつつある、ということを強調したいのである。道具としての文化は、もはや取り換え可能な「道具」ではなく、それなくしては資本の価値増殖すら危うくなる資本の有機的な身体の一部なのである。他方、社会主義の政治は、文化をステレオタイプの道具としてしか遇しなかったために、道具としては錆び付き、役たたずになってしまい、欧米の「大衆文化」にあっけなく敗北してしまった。

 脱工業化のなかで、資本はますます文化との接点を内在化させてきた。文化は〈労働力〉再生産という生活世界に関わる資本の環境であるばかりでなく、積極的に資本がそこにおいて価値増殖を試みる一投資領域になった。それは、バブル経済の破綻によって破綻するような性質のものではない。直接的な物の生産の大半が人間の肉体から機械に移され、大多数の人々がオフィスや店舗で人と接し、パソコンの情報を操作するような仕事に従事し、たとえ物を扱っていてもそれはむしろイメージを付着させる媒体としての物となっている以上、人々は価値観、好み、イデオロギー、習慣などの文化的な生産に関与しているのである。こうした資本主義のあり方は、人々の社会への統合を大衆消費社会のように物を媒介として実現する社会から、メディアによる文化的なアウラの生産によって直接人々の感性や意識に働きかける社会へと転換していったことを示している。それは、資本の構造からいえば、情報資本主義であり、人々の意識の構造からいえば、アシッド・キャピタリズム(ACID CAPITALISM)である。

 情報資本主義は、情報の特殊な流通回路を独立させることによって、情報を独自の産業構造と官僚制や企業組織に組み込んできた。こうした情報回路をパラマーケットと呼ぶが、これによって、大衆消費社会が単なる物質的な豊かさの社会であるだけでなく、この「物質」として供給される商品の使用価値の機能的な意義に加えて、社会的な価値やこの物質的な豊かさを保障してくれる社会そのものと自らの地位についての神話を形成することに成功した。では、この情報資本主義が提供し続けてきた「豊かさ」とは何なのか「それは、快楽の付与と剥奪である。フーコーを引き合いに出すまでもなく、権力は抑圧と苦痛の源泉であるという、そのぬぐい去ることのできない性格の一端を自覚しはじめるに伴って、権力はむしろ大衆に対していかに快楽を与え得る存在になれるかに腐心するようになってきた。

 消費社会と呼ばれてきたこの「先進国」のなかで、私たちは、常に何かを消費することによる満足を経験するように仕向けられ、訓練させられてきたし、自ら率先してそうした欲求充足のための消費を「豊かさ」の証しとして実践してきた。しかし、当然のこととして、私たちは、モノの消背によって満たされる自らの欲望はごくわずかの期間しかもちこたえられないことを知っている。私たちは、定期的に訪れる欲求不満や新たな欲望にさらされ続けている。こうした私たちの日常生活は、あたかも麻薬中毒者が麻薬に依存することによって自らの欲求を一時的に癒すのとほとんど同質のものである。私たちは、情報資本主義のなかで、マスメディアや文化産業が与える情報のなかで、慢性的で緩慢な麻薬中毒症状に置かれ、常に繰り返し「消費」行為による一時的な欲求充足に駆り立てられるのである。このように、資本を麻薬の売人とせざるを得ない従属的なジャンキーとなることを強いられる私たちの実感を表現するものとして、私はアシッド・キャピタリズムという表現を用いようと思う。ただし、私は、これによって禁欲主義を主張しようというのではない。むしろ逆である。私たちは、資本から自立した、自らの欲望を自己コントロールできる自立したジャンキーになるべきなのだということをいいたいのである。本書でこれから述べるさまざまな事例は、私たちの欲望がそれに向かって開放されるべき新たな領域についての一つの羅針盤である。

 大衆文化のなかでも最も現実の社会との関わりをもち続けてきた音楽は、以上の点をさらに検討するための重要な主題である。60年代のロックとベトナム反戦運動、70年代の失業とパンク・ロック、80年代のペレストロイカとロック*3、それらは、同時代の現象として、さまざまにその相関関係がとりざたされてきた。他方で、音楽は、文化産業のなかでも巨大なものであり、エレクトロニクス産業、映画産業、レジャー産業などの関連産業を含めればその規模は極めて大きい。しかも、アメリカ合衆国の圧倒的な影響力──エンターテインメント産業は合衆国第二の純輸出産業ともいわれている──のもとで、多国籍化と寡占化を繰り返しており、日本の場合も大手家電メーヵーと結びつき、その年間売り上げは1兆円となっている*4。そして、こうした資本の巨大な影響力とは相対的に自立した大きなサブカルチャー領域を抱え、麻薬、暴力、殺人、差別から左右のラディカルな政治的メッセージまでほとんどあらゆるものが音楽を取り巻く文化には揃っている。しかも、テクノロジーの「進歩」に極めて敏感で、ビデオ・アートやコンピュータ・ミュージックが第三世界のアルカイックな楽器と共存する。少なくども、そのエネルギーと無秩序な可能性は他のどのような大衆文化よりも大きい。それは、資本の操作可能な領域とも反抗する若者の武器とも断定できない両義性に満ちている。


 商品化される文化と複製芸術の可能性

 アドルノは、最も早い時期に大衆音楽のもつ意識操作の側面に注目して、その危険性を指摘した社会学者である。アドルノの「軽音楽」批判は、相互に関係し合う五つの論点からなる。第一に、資本主義とそこでの商品経済批判を基礎とした音楽の商品化、音楽の文化産業による支配への批判である。第二に、この音楽の商品化と文化産業がもたらす制作側と聴取側双方に引き起こされる「規格化」に対する批判である。第三に、心理学的な問題として、「軽音楽」がもたらす大衆の権威主義への従属やサド・マソヒズム的なパーソナリティに対する批判である。第四に、テクノロジー批判としてのレコード批判である。そして最後に、彼の音楽美学の立場からする「低級音楽」としての「軽音楽」批判である。

 アドルノ大衆音楽拒絶の根底には、音楽の商品化、物化が最も進展しているところに大衆音楽が位置しているという理解がある。しかし、彼のいう「純音楽」、いわゆるクラシック音楽── 彼はそれを批判の対象とはしても拒絶の対象とはしていないわけだが── であっても資本主義のなかではその商品化は免れようがないのであり、単なる音楽の商品化だけがアドルノの批判の核心だと理解することはできない。アドルノ大衆音楽批判は、単なる商品化の進展度合の大小といった量的な問題なのではない。商品化が制作側と聴取側双方に対する許し難い影響と結びつくとき、アドルノはそうした音楽──彼の場合、それは彼の頭の中の固定観念として植え付けられた類のジャズや「軽音楽」なのだが──を拒否したのである。彼の大衆音楽に対する生理的嫌悪とでもいうべき拒絶の意志は、ファシズムに関わる。そこには、二つの対極的な要素」が含まれている。一つは、大衆音楽が「無軌道な熱狂状態*5」を伴うということであり、もう一つは、それが極めて狭い自由しか許さない「規格化」の音楽であるということ、この二点である。

 大衆音楽、とりわけそれが流行曲として成功することになれば、「無軌道な熱狂状態」といっていい状況が生み出されることになる。すべての大衆音楽は、そうした成功に恵まれるとは限らないが、大衆音楽が流行曲としての成功を目的として制作されるということもまた事実である。アドルノは、非合理性と大衆の「無知」とが結びついた「低級な芸術」に「無軌道な熱狂状態」が付着すると考えた。

 「経済的、心的重圧のため既存の文化から締め出しをくい、文明への不満から野蛮な自然状態を拡大再生産している人々がいるが、かれらはすでに古代において、遅くともローマ時代の笑劇(ミームス)以来、とくに彼らのために調合された刺戟によって満足させられている。彼らの低級な芸術には、自然の支配の進展と合理性を旗印に掲げる高級な芸術なら排除し去っている無軌道な熱狂状態の残滓が加わっているのだ*6

 規格化は、こうした「無軌道な熱狂状態」を文字通りの「無軌道」ではなく、むしろ一定の枠のなかに押え込むための不可欠の条件とみられている。たとえば、アドルノジャズの歴史が「大衆文化に受け入れられた異端児のたどった歴史に一致する」という微妙な言い回しをしている。異端児としてのジャズには「文化の享受を許されない人びとや、そのでたらめさに怒りをおぼえる人びとのための、文化そのものからの音楽による脱出の可能性が秘められてはいる」ということをアドルノは否定しない。他方で彼は「しかしジャズはこれまで何度も文化産業の手に、従ってまた音楽上の画一主義、社会的画一主義の手にとらえられてきた*7」と批判することによって、音楽の批判的な性格が文化産業によって無化される点を強調し、この無化が規格化と密接に関わると考えるのである。規格化といっても、制作の側のそれと聴取の側のそれに分けて考えなければならない。制作側では、決まりきったコード進行と歌詞、そしてレコードや放送時間を考慮した曲の長さなどが規格化の内容を規定し、聴取の側では、日々の退屈で苦痛な労働を維持するための気ばらしとして、娯楽としての聴取というスタイルが作り出され、それが規格化された労働力の再生産を支えるということになる。この規格化についての彼の理解は、具体的な大衆音楽の分析から導かれたものではなく、彼の資本主義についての理論的な理解──それは主としてマルクスの商品の物神性論なのだが── から導き出されたものである。だから、現実の大衆音楽がどのように規格化からはずれた姿をとろうとも、それは見かけ上のことでしかないのである。たとえば、次のような一般的なきめつけがそれである。

「どんな流行曲でも、リズムと和声の接ぎ目、つまり各部分の始めと終りは規格どおりになっている必要がある。中間ではどのような逸脱が起こるにせよ、とにかくこれで基本的な構造がごく単純なことが証明されたが、たとえ複雑化したところで、必然性は伴わない。つまり流行曲は耳に飽きるほど繰り返されたいくつかの基本種に帰することになり、本当に新しいものは入り込むことを許されず、計算し尽くされた効果だけが陳腐さを侵害しない程度に味つけし、自らもまた図式に順応するのである*8

 ここで「流行曲」として特に念頭に置かれているのはジャズである*9ジャズインプロビゼーションの構造では、テーマにあたるフレーズ── それはほんの数小節からなる単純なメロデずであったり、既成の曲のサワリを借用することが多いわけだが──が曲の最初と最後を占め、中問部分がプレイヤーによる「逸脱」=即興領域になっている。しかしその「逸脱」はごく限られているというのがアドルノの判断である。こうした判断は他の箇所でも繰り返し指摘されるが、「逸脱」についての具体的な規準は示されない。誤解を恐れずにいえば、シェーンベルク不協和音ならば「逸脱」の名に値し、コルトレーンオーネット・コールマンではその名に値しないといいかねないものなのである。アドルノは、ジャズは軽音楽であり、軽音楽とは「規格化、音楽の物化、むき出しの商品化の根源的現象*10」であるから、ジャズは規格化され不自由である、という三段論法ジャズを切り捨てることになる。これは、なんともアドルノらしからざる展開である。

 規格化という概念は、「様式」に関わる芸術一般に対するアドルノの考え方に遡って理解することができる。アドルノは、19世紀の市民的芸術が、自律的な芸術を希求する限りにおいて、前市民的時代の様式理念とは相容れないものでありながら、現実の市民的芸術はこうした自律的自由を獲得できなかったのであり、様式の喪失のなかでかえって自らのよってたつ基盤を見失い、逆に前近代的な様式を呼び戻す結果になったと指摘している。したがって、市民的芸術をその理念に沿って展開するとすれば、様式への徹底した批判に行き着く。たとえば、アドルノシェーンベルクに見いだしたのがこうした意味でのラディカリズムであった。彼は『美の理論』のなかで次のように述べている。

 「〔近代における様式の荒廃に対する批判は〕芸術外的なものによって生み出された、つまり利益によって動かされている産業の偽りの合理性によって生み出された産物にほかならない。資本は自らの目的のために、芸術の非合理的契機と自らが見なすものを動員し、動員することによってこうした非合理的契機を破壊する。美的合理性も非合理性も一様に社会によって呪われ、切断されることになる。様式に対して批判を加えることは、理想的な様式像を求める論争的でロマン主義的な願望によって抑圧されている。様式に対する批判がもし深められるなら、こうした批判はおそらく伝統的芸術の全体にまで及ぶものとなるであろう。シェーンベルクのような真正の芸術家は様式概念に対して激しく抵抗した。様式概念に廃棄を通告するか否かということが、急進的モダニズムの標識となる*11

 私は、クラシシックの様式に対するラディカルな批判をシェーンベルクに見いだすことに異存があるわけではないが、もしそうであるならば、ジャズポピュラー音楽にも様式に激しく抵抗するアーティストの動きはあるとみるべきであり、このことはクラシックか、ポピュラーか、というジャンル分けに関わらない両者に共通する問題として重要なことである。ジャズのなかのモダン・ジャズからフリー・ジャズへの流れ、ポップスにおけるティン・パン・アリーからロック、ロックからパンクパンクからラップヘの流れはいずれも様式からの逸脱であった。そして、シェーンベルクがそうであったように、こうした逸脱もまたふたたび規格化と様式化への誘惑に取り囲まれ、多くの場合はこうした道を歩むことになるが、同時にそうした流れから逸脱する部分を必ず生み出していく。この点で、私はシェーンベルグを特権化するアドルノの議論には与することはできない*12

 以上の議論とは別に聴き手の側の問題を考えておかねばならない。アドルノによれば、。「軽音楽」の規格化の最終的な目標は聴き手の規格化であり、しかも、ここで念頭に置かれている聴き手とは、主として日々の労働に疲れ、その疲れを癒すための手段として音楽を楽しむプロレタリアートである。アドルノは、こうした聴き手が気散じとしての音楽を享受することによって、〈労働力〉の再生産の潤滑油的な機能を果たすとみるわけである。「軽音楽」は「苛酷な労働からの息抜き」のために「自発性も集中も要求しない*13」ことが必要であり、こうして、アドルノによれば衆愚化を推進する文化産業の全組織は、このような強制された受動性を自己のなかに組み入れ労働者階級向けに文化産業が押しつけた文化であり、そこでは個性的な外観をまといながらも、音楽との大衆的な自己同一化が促される*14

 こうして、アドルノによれば大衆音楽は、規格化によって大衆としての人々の感性や世界についての感じ方を資本と商品化の諸関係に適合的なように鋳造するイデオロギー装置であるということになる。激しいビートと繰り返されるコード進行、決まり文句の歌詞、かっこいいアーティストとの自己同一化マゾヒスティックな自己放棄、アドルノにはこうした大衆音楽にまつわる熱狂がファシズム的熱狂と重ね合わされてみえたに違いないし、事実彼の理解はそうしたものであった。


大衆音楽の可能性の根拠

 アドルノ大衆音楽事実認識で決定的な誤りを犯したことはいままでも繰り返し指摘されてきた。彼が主として批判の対象としていたジャズは、彼が考えていたような意味での全体主義との親和性をもっていなかったし、フランシス・ニュートンがすでに50年代に指摘していたように、規格化に従属し続けたわけでもなかった*15。また、レコードが音楽の過去の記録を絶対化し、その物神的性格をおしすすめたというアドルノの批判がたしかに正鵠を射たものであったとしても、それが直ちに音楽産業による支配や操作の絶対的優位を意味したわけではなかった。レコードは、コンサートホールから聴衆を解放し、聴衆が自由に設定した空間で音楽を聴くことも可能にし、聴き方の多様性は飛躍的にひろがり、音楽再生テクノロジーの進歩は、音楽の生活世界への浸透=音楽産業の浸透という側面と聴き手による聴き方の自己決定という対抗関係を著しく進展させた*16。そして、コンピュータテクノロジーサンプリングマシンの発展はオリジナルー複製概念を無化し、ハウス・ミュージックにおけるDJに典型的にみられるように、リスナーはプロシューマー(トフラー*17)的な立場をとるようになった。

 レコードがもたらした気ままな聴取をめぐる議論で当然思い起こされるのは、ベンヤミンによる「複製技術の時代における芸術作品」における複製芸術擁護論である*18ベンヤミンは複製芸術批判に対して、「これは、結局のところ、精神の集中を要求する芸術にたいして、人衆は散漫な気ばらししか求めない、というむかしながらの嘆きぶしである*19」と述べ、むしろ気ばらしとしての芸術には「自己の内部へ芸術作品を沈潜させる」という独自の性格があることを強調する。芸術の鑑賞者が作品の側に自己を沈潜させるのとちょうど正反対の機能が大衆文化や気ばらしの芸術にはみられるというわけである。

 ベンヤミンのこの見解は、芸術が大衆化し、写真や映画のような複製技術に基づく芸術が普及することによって芸術に対する鑑賞者の自立した批評家的立場が可能となるということを含んでいる。この理解は、文化産業の成立によってますます大衆が規格化され、操作される受動的な位置に追いやられるとしたアドルノと真っ向から対立する理解である。ベンヤミンは、複製芸術によって芸術が大衆という新たな受容者を獲得するにつれて、それが以前にもっていた一回性に伴う神聖性や儀礼的性格、アウラを徐々に喪失しはじめたことを強調する。

 「芸術作品のこのアウラ的性格がどうしても儀式の道具という機能から徹底的に解放されえない事実には、きわめて重大な意味がある。ことばを換えていえば、〈ほんもの〉の芸術作品が比類のない価値をもつ根拠は、ほかならぬ儀式性にあり、芸術作品の本源的な第一の利用価値もそこにあった*20

 中世から近代への転換のなかで、宗教的儀式は大きく後退するとはいえ、儀式それ自体は世俗化されて存続し、世俗的儀式のなかで以前と同様に一回性としての芸術は重要な機能を果たしてきた。こうした儀式を支える芸術の機能が複製技術の発達のなかではじめて危機を迎えるようになる。こうしてベンヤミンによれば、「芸術作品の技術的複製の可能性が芸術作品を世界史上はじめて儀式への寄生から解放する、という決定的な認識を用意することになる*21」。しかし、同時に「最初の真に革命的な複製手段である写真技術の登場によって(同時に社会主義の拾頭によって)芸術の危機が迫り、さらに百年後にそれがだれの眼にもはっきり映るような事態に立ちいたったとき、芸術は〈芸術のための芸術(ラアール・プール・ラアール)〉という芸術の神学の教義のなかに逃げこんだのである*22

 こうして、芸術は「自立」したのだが、それは、芸術が社会や政治、通俗的な庶民の生活に関与することを否定するという近代の芸術カテゴリーを生み出した。ここには、複製芸術としての大衆文化と一回性によりかかる芸術としてのファイン・アートの間の対立がみてとれる*23ベンヤミンは、こうしたなかで前者を評価することによって、芸術による儀式と聖性の再生産── それはファシズムに結びついてゆく要素であるが──を否定しようとした。このベンヤミンの理解は、大衆文化が大衆を動員し、儀礼的な様式へと型をはめる機能を果たすことを強調したアドルノと明確な対立点をなすといえる。

 ベンヤミンの複製芸術擁護は、アドルノと比べて文化領域における大衆の民衆的な創造の可能性を認めたという点で、大衆音楽の意義を確認するうえで心強い論点であることは間違いないが、しかし逆に、ベンヤミンが期待したほどに複製芸術がアウラの解体に寄与したともいえないだろう。むしろマスメディアによって、複製文化はアウラ的な性格をもち続け、人々の世界や自己に対するイメージをより巧妙に生み出した。しかし、それも一方的ではない。アウラを形成するアーティストは全面的に資本に支配された操り人形ではないし、そうはなれない。彼らは人々のコミュニティに基盤を置き、人々の意識や欲求を象徴してこそアウラをまとえるのであり、また、資本によって利用できるのであって、ここにアウラの両義性と文化資本の限界があるのだ。

 文化産業や独占資本による聴き手の操作を強調するアドルノへの批判が、ポピュラー音楽研究の枕詞のようになっているにもかかわらず、ポピュラー音楽が音楽・文化産業の大きな影響力のもとで展開してきたことを否定する論者はいない。また他方で、いかに音楽・文化産業が大きな影響力を行使しようとも聴き手やアーティストを完全に支配できるものではなく、さまざまな逸脱や思いもかけない形での流行が音楽産業の外側で生み出されてくるものであることも事実であり、現実の大衆音楽大衆文化は、資本の支配とその支配のマージナルな部分との一義的には決定できない関係の理解抜きには明らかにし得ない。イアン・チェンバースの表現を借りれば大衆音楽では「社会的行為のもつ矛盾した意味合いを考えること」が必要であり、「客観的諸力の動きは、主観的通路を通ってのみ効果をもつ*24」ということを無視できず、この通路を通って形成される多様な意味をめぐるある種の権力関係を描くことが必要なのである。たしかに、時代によっては、音楽産業が絶大な力をもつこともある。たとえば、ちょうどアドルノアメリカ合衆国に亡命してきた時代のティン・パン・アリーの影響力はそれにあたるといえるが、それすらも1940年代にかげりがみえ、戦後はむしろティン・パン・アリー の影響力の外側でポピュラー音楽の重要な流れが形成され、それが戦後の大衆音楽の基礎を築いたのだ。

 さて、右に述べた客観的諸力と主観的通路の話をもう少し続けよう。この問題を考える格好の例がいくつかある。たとえば、60年代後半のロックンロールと社会変革の関係。この時代のロックの社会や政治との関わりについては、かなり明瞭ないくつかの立場を見分けることができる。たとえば、ピーター・スタッフォードは次のように述べている。

 「レコーディングのための機械装置をロックの革命家たちが必要にして十分なだけ飼いならしておとなしくしてしまったいま、彼らは、生存というものに対して非暴力的で哲学的な変化をあたえることが実際にできるのだ。(略)非暴力的で哲学的な変化は、聴く人がそれをサイケデリックな心でうけとめたとき、さらに強固なものとなる。ロックの革命家たちと、ロックを聴く人たちとがこのように組み合わされたとき、ものごとを改革していく力は、途方もなく大きくなる*25

 このエッセイで引き合いに出されているミュージシャンたちの一人、ミックージャガーの言葉。

 「僕は何にも反抗していない。僕はこのシステムに属したくないんだ。反抗しても何にもならないよ」

 そして最後に、音楽資本の聴衆へのメッセージとして、エレクトラのジャック・ホルツマンが『ローリング・ストーン』誌に語った言葉。

 「エレクトラは、ある種の革命の貧しいカモではない。革命はポリティクスではなくポエトリーによって勝利するだろう、つまり、詩が世界の仕組みを変えるであろうと我々は考えている」

 また、当時、CBSコロンビアは、販売促進プログラムとして「レボリューショナリー・オブーロック」キャンペーンを展開した。ジャニス・ジョプリソ、サンタナ、ブラッド・スウェット・アソド・ティアーズ、シカゴ、レオナード・コーヘン、ボブ・ディランなどがキャンペーンの対象ミュージシャンだった。とりわけディランは、重要な位置を占めた。なぜならば、ディランの歌は、当時のベトナム反戦運動、ティーチ・イン、シット・インなどの運動のなかで最もよく歌われ、最も有望な商品だったからだ。このラインナップでもわかるように、音楽産業が望んだのは、「ロックの革命」という名の新たなマーケットだったし、「詩が世界を変える」という表現はレコードが売れることが世界を変えることとおなじことなのだ、という意味のレトリック以上であることは期待されていなかった。しかしこのことは、決してロックを軽蔑することにはならない。こうした商品化やコンセプトからいえば玉石混淆のラインナップにもかかわらず、やはり、ジャニスを越える白人のブルース、ロックシンガーはいまに至るまで極めて稀だし、ディランの「風に吹かれて」はやはり反戦の歌としての社会的力をもったのである。

 ロックが世界を変えられるかもしれないという期待が本当なのか、そんな期待は重荷で、せいぜいシステムから個人的にドロップアウトできればいいというのが本当なのか、儲かる限りにおいて革命であれ戦争であれなんでもアリ、という資本のアナキズムこそが時代の色を支配したのだろうか。もちろん答えは一つではない。しかし、いえることが一つある。それは、ロックや大衆音楽が時と場合によっては「音楽」というジャンルを越えた力をもつということだ。音楽が芸術としてコンサートホールの会場という日常生活とは明確に区切られた空間のなかで演奏され、聴衆は音楽を鑑賞するということ以上でも以下でもない立場を強制されるという芸術の自立は、大衆音楽には無縁である。そもそもが、大衆音楽は「高級芸術」や美学の伝統とはまったく別の規範のなかで形成されてきた*26コンサートホールはストリートの延長であり、だから、酒場も野球場も空き地も地下鉄の駅も路上もコンサートの空間として成り立つ。スタジアム級のコンサートが行えるのは、音響装置のレベルアップと音楽産業の資本力を無視しては考えられない。大衆音楽が「大衆」的であればあるほど音楽の「商品化」と呼ばれる現象は顕著になる。しかし、音楽産業にこの商品が象徴する意味の専一的な決定権はない。ミュージシャンにも聴衆にも意味の決定権の余地が残されている。ミュージシャンは、自分の感性を媒介として、聴衆の欲求や希望や感じていることを受け止め、表現する。ミュージシャンは、「彼らのコミュニティの一員として留まり、そのコミュニティの価値と需要に服するのであるが、レコーディング・アーティストとしては市場の圧力を体験することになる*27」のだ。聴衆にとって、ミュージシャンは自己同一化の可能な存在でなければならない。そこに資本が介入し、いかに虚像としてのミュージシャンを作り出し、聴衆を欺こうとも、資本は舞台の主役にはなれない。ソニーウォークマンだから買われることはあっても、CBSソニー所属のアーティストだからレコードを買うとか、ファンになるというのは、資本がメジャーになればなるほど成り立だない。逆にインディーズは、レーベルとしての個性化によって音楽を革新する試みであり、だから、メジャーの音楽資本は、これに対抗してレーベルの差異化によって、ファンを組織化しようとしてきた。それは、ファッションにおけるブランド志向とちょうど対応する傾向でもある。こうして、「ロックは商業主義の策謀と若者の熱望の葛藤から〈絞り出された〉もの」であり、「文化の生産において資本主義的な組織に完全な決定力がないとすれば、アーティストと聴衆の双方は文化的象徴の意味を支配するために闘うことができる*28」という余地が残されざるを得ない領域なのである。この意味で、音楽生産における資本の位置は、いくらそのテクノロジーが発達したとしても、生産過程を外側から包摂するという域を出られないのだ。ストリートから出てきたミュージシャンが世界的な規模で「成功」する例がワールド・ミュージ″クーブームのなかで目立つようになったが、資本の世界市場での販売戦略とミュージシャンの関係は常に親和的というわけではない。たとえば、パリの地下鉄からデビューしたマノ・ネグラは、イギリスアメリカ合衆国のツアーを拒否して、南米を旅芸人の一座とともに回るというあえて儲からない道を選択した*29。またフェア・グランド・アトラクションは、全英ナンバー・ワンのアルバムをリリースした直後に解散し、リード・ボーカルのエディー・リーダーは、あえて無名のバンドを組織して自分の音楽の世界を守ろうとした(私にはそう思えてならない)。彼らが、音楽産業との関係にどれほど自覚的であるかとか、政治的であるかということはここではあまり問題にはならない。むしろ彼らの選択はコミュニティの根っこを彼らなりに確保するという正しい選択であったのであり、資本との関係ではっきりと一線を画したつき合い方を示したのだといえる。


 パラマーケットの仕掛け

 音楽産業に限らず、文化産業を単純に文化の商品化とみなす理解では資本の専一的な支配という発想に陥りがちだ。商品化されながらも資本が抱え込まざるを得ない矛盾は、この領域が商品化されざる部分を不可避的に抱え込んでいるということと無関係ではない。それは、音楽という形式をとった情報の回路の問題、あるいはパラマーケットの問題であり、この回路は、ストリートやコミュニティにおけるコミュニケイションの回路からマスメディアが流す音楽番組まで、音楽が人々の生活に関わる非商品的な側面であり、なおかつ音楽産業の成立を支える重要な土壌、音楽産業にとっての「文化闘争」の戦場なのだ。

 ロックがマスメディアによって大衆化した最初の音楽だということはよくいわれることである。とりわけラジオは、音楽を特定の文化的背景から引き離すことに大きく貢献した。ブラック・ミュージックが白人に大きな影響を与えたのもラジオというコミュニティの壁を越えたメディアの影響であり、労働者の音楽としてのロックンロール中産階級に影響を与え、この階層から多くのミュージシャンを生み出したのも、逆に労働倫理を拒否する「ルンペンプロレタリアート」に影響を与え、パンク・ロックというスタイルが生み出されたのもラジオメディア抜きには考えられない。ここで重要なのは、ラジオをはじめとする多くのメディア産業が、情報を商品として提供したのではない、ということだ。電波のメディアはほとんどただ同然でこれらの音楽を散布した。こうした情報の非商品的な回路の形成によって、「大衆」が形成され、大衆文化大衆音楽が成立した。文化産業、音楽産業はこうした非商品的な情報の縦横に張り巡らされた回路に寄生せざるを得ないのだ*30コミュニティに固有の文化的な表現様式がさまざまな形で市場と接するとき、それはパラマーケットに変容する。資本が圧倒的な影響力を行使できるようになると、このパラマーケットは構造化され市場に従属する。ブルースアンダーグラウンドシーンのロックもこうした道を歩みながら大衆化した。しかし、文化産業は繰り返し市場の周縁にある新たな表現形態を捜し出し、パラマーケットとして構造化しなければ生きてはいけない。文化産業自体には内在的な創造性がないのだ。最近のワールド・ミュージック・ブームはその顕著な例である。

 こうした事態に最も早く気づいたのは、エンツェンスベルガーであった。彼は「意識産業」というエッセイのなかで、「もっと進んだ部門では、意識産業は、もはや商品とは何の関係もない」、たとえぽ放送事業が供給するのは。「商品ではなく、あらゆる種類の意識内容── つまり意見、判断、偏見といったもの── である」と指摘し、問題は物質的な搾取だけでなく「意識の搾取」だとはっきりと指摘していた。こうした意識産業が産業構造の中核を担うアシッド・キャピタリズムのなかで、人々は、現実と幻影の区別もメディアの情報と直接的な経験による情報の区別も意味をなさない環境を生きることになる。ベンヤミンの複製概念は、それらがどこかで「オリジナル」を想定している限りで、このアシッド・キャピタリズムでは成り立だない。私たちにとって、最初に接した経験が「オリジナル」なのである。ライヴコンサートは、CDの下手くそなコピーであるだけでなく、ライヴとCDは等価に日常生活の一部をなす。人工的な意識操作を逃れることはできないが、少なくとも侵略されてはいても私の「脳」は、さしあたり「私」の領域であるがゆえに、最後の資本との戦場となりつつあるのである。この点で、ボードリヤールシミュラークルの概念の方がアシッド・キャピタリズムの状況をよく表現しているが、彼は、そうした快楽をめぐる生産と流通と消費を資本の社会的な生産と自立的なジャンキーとの対抗関係として理解する手前で、「記号」というあまりにも整理され、理性的で合理的なカテゴリーで説明してしまったように思う。

 エンツェンスベルガーの議論で注目すべきなのは、意識産業に根源的なエネルギーを与えられるのは、古いものの適用やオポチュニストの知識人ではなく、大衆の意識操作の手先となることを期待する政治的な委託とは一致しないアクチュアルな仕事をする知識人だと指摘している点である。「根源的エネルギーは、意識産業が除去することを委託された、ほかならぬあの少数者たちにおっている。この産業がバイプレーヤーとして軽蔑するか、あるいは、スターとして石化してしまう作者たちに。しかも、作者そのものを搾取してこそ、はじめて、消費者の搾取は可能になるのだ。この産業の受け手にあてはまることは、まさしく、その作り手にもあてはまる。かれらは、意識産業のパートナーであると同時に敵なのだ。意識の大量生産にたずさわることによって、意識産業は、自分自身の矛盾を大量生産する。そして自分に委託されたものと、自分が達成するものとの距離を拡大するのである*31

 この知識人の位置づけは、音楽産業におけるミュージシャンの位置づけと対応する。60年代の政治的なメッセージソング、70年代のパンク、80年代の政治的なラップや東欧のロック、それらを担ったミュージシャンは、音楽産業を支えたと同時に時代のなかの支配を異化する大衆意識の形成にも少なからぬ寄与を果たしたのである。

 アドルノ大衆音楽を批判した背景には、全体主義を招きかねない個人の解体への危惧があった。「大衆現象としての軽音楽が、自律の精神と独立の判断力── それらは一個の社会が自由な人間に要求する性質である── を掘り崩している*32」という場合に明らかなように、彼にとっては自立の精神と独立した判断力をもつ個人を擁護することが重要な課題だった。皮肉なことに、ロックミュージシャンが変化のメッセージを聴衆に送るとき、彼らは社会を変えることよりも社会の支配的な価値観や流れに押し流されないように、自分を変えることをずっと大切な事柄だと訴えることが多かった。このことは、一昔前の左翼の社会変革のプロジェクトに照らしてみれば否定的な傾向でしかなかった*33。しかし、資本と国家がパーソナルな領域にますます介入し、社会運動が集団的な階級闘争を異化して、フェミニズムスローガンとして掲げたように personal is political といい得る状況に直面して、むしろ個人の精神的な自立や独立した判断力の獲得は、意識産業に対する不可欠な抵抗の砦なのであり、ロックが資本との対抗のなかで手放すことなく訴え統けたメッセージと一致する。アドルノ大衆音楽批判はもはや生き延びられないだろうが、アドルノが強調した価値は口ックの大衆音楽のなかで生き延びたのである。そして、実はこのことが結果として社会変革の重要なエネルギーを構成したのだ。階級や党といった抽象的なカテゴリーへの同一化ではなく「私」にこだわる人々が「私」を越える連帯を獲得できたのも自律的な個人の意志にこだわったからである。もちろん、それが全能の解決策ではない。ロックをはじめとする大衆文化は性や民族の差別、暴力、麻薬、金儲けと無関係ではない。しかし、そのことのために「高級文化」に身を売るくらいなら、大衆文化の「悪」に身を売った方がマシだというくらいには「意味」があるのだ。アシッド・キャピタリズムのなかで、私たちは、自己の欲望をコントロールできるジャンキーの意志力を要求され

ている。

*1:この生産−消費問題については、拙著『搾取される身体性』(青弓社、1990年)参照。

*2:こうした二つのアプローチとは別に、ここでは直接扱わない第三の立場がある。それは、文化的な諸要素を社会のなかの重要な要素として位置づける見方であるダニエル・ベルアルビン・トフラー、あるいは日本の新京都学派などがそれであり、彼らは主として文明論的なアプローチをとり、どちらかといえば資本主義の将来を肯定する。どのような文化を肯定するにせよ、彼らにとって現にある繁栄や今後あり得る繁栄は常に資本主義と親和的な文化のおかげだということになっている。

*3:「ソ連」、「東欧」のロックは、文化が80年代の世界に与えたインパクトのなかで、最大級のものであった。この点については、アルテーミー・トロイッキー『ゴルバチョフはロックが好き?』菅野彰子訳(晶文社、1991年)。および、『ミュージック・マガジン』 1991年11月号の特集「激動のなか、ソ連のロックはどうなっているか」を参照。

*4:河端茂は、『レコード業界』(教育社、1990年)で、1984年のデータをもとに、音楽をパッケージ化するレコード業界とカラオケ、レンタルなどその関連業界の売り上げの総計として1兆円という数字を挙げている。同書、47−50ページ参照。ただし、これにはラジオ・テレビ業界、オーディオ業界の売り上げは含まれていないので、これらを含めてさらに80年代後半の音楽ブームを考慮に入れるとこの数字はかなり大きくなるはずである。

*5アドルノ音楽社会学序説』渡部健/高辻知義訳(音楽之友社1970年)42ページ。

*6:同前、傍点は小倉。

*7:同前、61ページ。

*8:同前、49ページ、傍点は小倉。

*9:他の箇所での同様の指摘をいくつか引用しておく。「外見上は大胆な不協和音まで含めてみても、新しさは頑固に伝統的な音楽語法を飾ったり意識的に汚したりするために添加されるだけだから、その効果は失せ、自由な展開は望めない」(同前、47ページ)「それ自体は規格化の要求に従っているのに、大量生産文化のさなかで自由意志が造った商品の放つ後光を、市場で必要に応じて選べる商品の放つ後光をわたしたちに想い起こさせるが、この偽の個性主義はあらかじめ咀嚼してあるものを、そうでないかのようにいるわるのであり、その極端ともいうべきものが商業ジャズの中の即興演奏インプロビゼーション)であり、ジャズジャーナリズムはこれを食い物にしているのである。ジャズプレイヤーたちは瞬間の思いつきを誇示して見せるのに精を出しているが、それはリズムの点でも和声の点でも非常に狭い図式の内部に拘束されているため、即興演奏は最小限の基本形式に制限されてしまう」(同、58ページ)

*10:同前、50ページ。

*11アドルノ『美の理論』大久保健治訳(河出書房新社、1988年)352ページ。

*12:龍村あや子は、シェーンベルクについてのアドルノ問題意識を次のように整理している。「強い歴史的主体である作曲家シェーンベルク(略)は、それまでの素材── 物象化し、”第二の自然”と化した調性── を否定し、無調性の音楽を作り始める。彼の内なる合理性の働きはやがて無調性を体系化することのできる十二【音】技法を発明する。この発明により客観的規範を得た主体は、内的自然の衝動の重荷からまずは解放される。しかし、いったん外化され客観的規範となった十二音技法は、やがて主体から疎外された素材となり、逆に主体の自然を抑圧する、という構図の中に、アドルノ啓蒙の弁証法の歴史そのものを見ようとしたのである」(徳永恂編『フランクフルト学派再考』〔弘文堂、1989年〕 191ページ)たぶん、龍村の解釈を踏まえて、アドルノに好意的に解釈すれば、ジャズへのアドルノの拒否はジャズが「内的自然の衝動」から解放されるどころか、むしろそれに自らの主体をゆだねるという非合理的な形式をもって、第二の自然を否定しようとしたというところに関わるといえるかもしれない。

*13:『音楽社会学序説』55ページ。

*14:「基本となる流行が操作を受けているのは事実だが、しかしそれは一般聴衆の反応によって急変する傾向ももっている。彼らは操作によって押し付けられたものを速やかに、いわば自由意志から出たかのように、自分の反応と比較するが、それは自ら流行の基準となることを要求している彼らが、意志決定の自由をまだもっていると空想しているためかもしれない」(同前、64ページ)文化産業一般については、アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法』徳永恂訳(岩波書店、1990年)第四章「文化産業── 大衆欺瞞としての啓蒙」参照。

*15アドルノは、ジャズオーケストラと軍楽隊のあいだに同一性を見いだそうとし、ジャズがマーチ音楽として全体主義と親和的だとみたが、こうした傾向はほとんどみられなかったといっていい。また、規格化からの逸脱を試みるジャズの実験は、60年代のモダンージャズのミュージシャンを特徴づけたものであり、それはアドルノが高く評価するマーラーにおける引用による脱構築的作業と比較しても遜色のあるものではない。アドルノが、さかんに規格化の典型としてジャズを批判していた1950年代に、次のようなジャズへの擁護論があったことは注目すべきことである。「ジャズの真髄とは、それが規格品化された、あるいは大量生産された音楽(ジャズの影響を受けているポピュラー・ミュージックはそういう音楽だが)ではないということ」であり、また、機械化とは何の関係もなく、機械化の象徴とみなされがちな鉄道をモチーフとした曲が多いのは、「多様の象徴」「個人の自由をあらわす運動の象徴なのだ」(フラソンシス・ニュートン『抗議としてのジャズ』山田進一訳〔合同出版社〕上巻、14ページ)。フランシス・ニュートンは、イギリスマルクス主義歴史家、E・J・ホブズボームの別名である。原著は1959年に出版された。

*16:「コンサートでは集中的な聴取がモデルとされたが(略)レコードは(もちろんラジオなどの複製技術一般も含めて)あらゆる聴き方に道を開き、聴取のモデルという概念自体を無効にした。〔レコードの〕物象性のおかげで我々はその他の文化的消費財(例えば書籍やスポーツ用品)を扱うのと同じように、我々の恣意に任された音楽聴取を行える」ようになった。もちろん一定の制限内であるが、レコードによる聴取の恣意性は、コンサートと違ってと適ってプレイのたびに同一の音響的現実を生むが差異性を主張する」のである。「レコードの反復性は回帰する時間の中での差異に基づき、(略)回帰のたびに差異を生む」のである。細川周平レコードの美学』(勁草書房、1982年)190−193ページ。

*17アルビン・トフラーは、『第三の波』(徳岡孝夫訳、中公文庫、1982年)のなかで、生産者 producter と消費者 consumer を兼ね備えたような活動をする人々のことを両方の単語を合成して「プロシューマー」と呼んだ。

*18ベンヤミンがここで批判したのは、デュアメルの映画批判への反論である。デュアメルは、映画に関してアドルノの軽音楽批判とほぼ同様の趣旨を述べた。すなわち、映画とは「奴隷のためのひまつぶし」であり、「はたらきつかれ、日々の心労に蝕まれている悲惨な無教養な人びとのための散漫な気ばらし……いかなる種類の精神の集中をも必要とせず、なんらの思考力をも前提としないみせもの」だと批判した(ベンヤミン『複製技術時代の芸術』〔晶文社、1970 年〕からの再引用、42-42 ページ)。

*19:同前、42 ページ。

*20:同前、18 ページ。

*21:同前。

*22:同前。

*23高橋順一は、こうしたベンヤミンの立場を「芸術が現実社会に対して持っている批判的対抗性と自立性に近代に対する批判的潜勢力をみようとした近代ドイツにおける〈美的救済の思想〉に対する最もラディカルなアンチーテーゼとしての意味を持つ」(『ヴァルター・ベンヤミン』〔講談社現代新書、1991年〕187ページ)と指摘している。

*24:イアン・チェンバース「ホップ音楽の批評方法」三井徹編・訳『ポピュラー音楽の研究』(音楽之友社、1990年)所収、65ページ。

*25片岡義男編・訳『ロックの時代』(晶文社、1971年)407ー408ページ。

*26片岡義男編・訳『ロックの時代』(晶文社、1971年)407ー408ページ。

*27:サイモン・フリス『サウンドの力』細川周平/竹田賢一訳(晶文社、1991年)71ページ。

*28:同前、66ページ。ここでのフリスの指摘は、デイヴ・レインの議論に基づいている。

*29マノ・ネグラのマヌー・チャオは、『ロッキング・オン』1992年1月号のインタヴューのなかで、「自分達の音楽の扱われ方にしてもかなり不満は残るし、九割九分嘘とマーケティングだからな」と音楽産業への批判を語り、さらに次のように語っている。「俺達はヨーロッパ、日本、南米などは精力的に展開しできているけどアメリカイギリスは一旦やめて無視することにしたんだ。っていうのはどうも抑圧的なものがあるからなんだな。つまり、連中のやり方に従わないと何の存在価値も認められないんだよ。(略)だって国際的なキャリアなんてもんは普通は北米とイギリスで決定されるようなもんだからね。北米で当れば即座に世界規模で大きくなれる。アメリカ抜きにして国際的に有名になるのはまず難しいことなんだよね。でも、それを俺達はやってみようかと思うんだ」

*30:パラマーケットと音楽の関係については、次章および第7章参照。

*31エンツェンスベルガー『意識産業』石黒英男訳(晶文社、1970年)19ページ。

*32:『音楽社会学序説』68ページ。

*33:たとえば、ビートルズの「レボリューション」は、社会変革よりも個人の変革を優先させた。ヴィッケはこれをネガティブに評価するが、そうとはいえない。



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