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2013-12-01

芸術による批判は可能か?──アドルノの文化批判論をめぐって──石田圭子

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 アヴァンギャルドという言葉は今日の私たちを何となく落ち着かない気分にさせる。この響きが私たちにもたらす居心地の悪さは、とりもなおさず、その試みが不成功の裡にいつしかなし崩し的に消滅してしまったという実感に基づくものだと思う。確かに、今なお政治や文化一般としての社会に対する批判を暗に陽に行っている芸術作品は多く存在する*1。しかしながら、そうした批判が社会に吸収され、消費されていくという事実*2に私たちはいまや日々慣れつつあり、それを冷めた態度で眺めているというのが今の実情であるだろう。

 1950年代バルトはすでに論文アヴァンギャルドはどの舞台にいるのか」の中でアヴァンギャルドの緩慢な「死」を看取していたが、今日私たちが目にしている状況は、そこでバルトアヴァンギャルドの本質について述べていたことの正しさを裏付けるものかもしれない*3バルトアヴァンギャルド芸術家とはもともと「仮面を剥がされたブルジョワジー」に過ぎないのであり、彼らの過激な、「常軌を逸した振る舞い」は、実はブルジョワジーが密かに抱いている欲望を代弁するものだと論じている。アヴァンギャルド芸術家とは市民社会のなかにおける「呪術師」であり、その振る舞いは社会の混乱と市民の欲望を「浄化する」ため、その社会のより安定した存続に奉仕するものとなる。バルトにとってアヴァンギャルドとはつまるところ市民社会の安全弁でしかない。それはあらかじめその社会体制と密やかな癒合関係にあるのであり、それゆえその運動は、いつか必ず既存の社会体制に再び組み入れられることによって終息するのだ、とバルトは言う。バルトによって暴かれたこのような社会とアヴァンギャルドの関係は、それを逆手にとったホップアートのようなメタ・アートの批判によっても解消されることなく、その後も一層あからさまなものとなって行き、結果、アヴァンギャルドという態度そのものが次第に疑問視されるに至った。そして今日では、アーティスト個人の反逆という態度を越えて、それに代わる芸術と社会との新たな関係性を模索しなくてはならない、という意識が「進歩的」な芸術の一般の趨勢となっているように思われる*4

 しかし、バルトの言うように、はたしてアヴァンギャルドによる批判とは、もともと失敗を運命づけられていたものなのだろうか。彼らの批判は始めからカタルシスを越え出ることのない無力なものだったのか。私たちはバルトの主張を肯う前に、まずこのことを改めて十分に問うてみなければならないだろう。そこで、私はここでモデルネの批判力に対してより肯定的な評価をしていたアドルノの主張に耳を傾け、それについて考えてみようと思う。そもそもアヴァンギャルドによる「批判」とは批判でありうるのかと問うバルトに対して、アドルノは文化内在的な批判の困難さを痛切に意識しつつもなお、モデルネの作品の批判に、より良き社会へと向かわせる弁証法を発動させる潜勢力を見ていた。なお、ここで私かアヴァンギャルドとして意味しているのは、機械論的・効率的・画一的なモダンの世界観と、そこから生み出される虚偽的で通俗的な意識に反発した、19世紀後半以降に見られる芸術運動全般のことである。また、モデルネという言葉によって指し示すのは、アヴァンギャルドのなかでも特に形式の問題を重視し、自律的な傾向を示す文学・造形芸術・音楽等の諸ジャンルに渡る作品のことである*5。本論考ではまず、文化批判の可能性について論じたアドルノの「文化批判と社会」を吟味し、文化批判の問題点を浮き彫りにすると同時に、文化批判の条件としてアドルノがいかなるものを要求するのか明らかにしたい。(第1章)さらに、アドルノが最終的に批判の根拠を「身体的感覚」に求めていることを述べ、(第2章)今日の状況に照らして、その可能性と限界について考えてみようと思う(第3章)。


第1章 アドルノの文化批判論

 アドルノ1949年のエッセイ、「文化批判と社会」には「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という有名な一節が含まれている。(KG30)この言葉によく示されるように、ここで文化一般および文化批判に向けられるアドルノの批判は容赦なく手厳しい。戦後間もない頃に書かれたこのエッセイには、全体主義の前に無力だったかつての文化、そしてそれに対する反省も虚しく、今まさに死につつある現代の文化に対する最後通告のような悲壮さが感じられる。自ら文化に関与するものとして、その批判の矛先は己自身に対しても向けられているかのようでもある。アドルノにとって文化とは「潜在的に批判的なものとしてのみ真である」。(KG15)しかし、文化はその批判力を失い、「絶対的物象化」(die absolute Vcrdinglichung)*6に飲み込まれようとしている。ここでのアドルノの文化に対する展望は悲観的なものであるが、それでもなおアドルノは「絶対的物象化」に文化が全面的に譲り渡される1歩手前で、文化のポテンシャルを救出する可能性をも述べている。その方法とはいかなるものであるのか。

 ここでアドルノの批判対象とされているのは、具体的には市民社会に属する職業的批評家らによる「内在的文化批判」、そして「超越的文化批判」である。ここでアドルノが超越批判の典型として念頭においているのは、おそらく、アヴァンギャルドを退廃的文化と決めつけ、彼らがより建設的であるとみなす文化を押しつけたソ連の教条的文化政策、あるいはナチスによるプロパガンダ文化政策であると思われる*7

 アドルノは前者について次のように論じている。市民社会の批評家は自分が文化から超越していると思いこんで優越を誇り、文化の状況を嘆くが、自己が立脚する基準がそもそも当の文化によって培養されているという事実を忘れている。彼らは「情報と立場の特権によって自分の見解をあたかも客観性であるかのように語ることができる。しかし、それはもっぱら支配的な精神の客観性なのである」。(KG13)したがって、文化批判者が、自分が帰属する文化の呪縛圏のなかに依然としてとどまっていることに対して無自覚で、「自由の仮象」に妨げられて自らの不自由を意識することがないならば、批判の対象である文化の中にますます深く嵌り込んでいくだけである。その結果、より深いところでは、文化批判は文化の物象化と共犯関係を結ぶこととなる。(KG13)

 一方、後者、すなわちイデオロギー的な超越批判は、批判する文化から超越している点で有利であり、それは「文化および社会的な幻惑連関から解放された立場」(KG26)を持つことができる。しかし、その批判は「客体の経験から切り離されたパラノイア的な妄想体系」(KG28)に近いものとなりうる。というのも、超越批判は「自らが批判する当のものの経験を欠いている」のであり、そのため虚構的なものとなるからである。その結果、超越批判において対象は「思うがままに操作され、支配の目的に利用される」こととなる。(KG26)

 ここでは超越批判も内在批判も結果的に全体性の支配に甘んじるという点では同じであるとされ、文化批判に関して出口はほとんどないように思われる。今日では少し古びた観のある超越批判に対し、内在批判の問題は今なお私たちにとって切実な問題であるのだが、内在批判が自由の仮象に幻惑されて現実に対して盲目になり、かえってそれに囚われることになるというアドルノの分析は、アヴァンギャルドの反逆が市民社会の欲望を糊塗するものだとするバルトの冷徹な分析にも通ずるものだろう。

 しかし、バルトと異なり、アドルノは内在批判においてなお弁証法は可能だという。なぜそのように言えるのか。アドルノ自身も認めているように、弁証法の前提は文化外部の、ある立脚点に立っていることでなければならないはずだ。どのようにして内在批判はその「アルキメデスの点」(KG26)を手に入れることができるのだろうか。

 アドルノによれば、「文化批判の弁証法的転回」にとって必要なのは、「文化の尺度を実体的なものと受け取らない」という態度である。(KG23)さらに弁証法的批判には「文化の概念そのものが廃棄されるまでに文化批判を高めること」(KG23)が要求される。それはどういうことか。弁証法的な内在批判について、さらに次のように述べられている。

 「それ[内在批判]は、真でないのはイデオロギーそのものではなく、現実と一致しているというそれの思い上がりだという原則を真摯に受け止める。精神的な諸形象を内在的に批判するというのは、すなわち、それらの形態と意味を分析して、それらの客観的理念とその思い上がりとの間の矛盾を把握すること、そして、それらの形象それ自体の一致と不一致が現存在について表しているものを名指すことを意味する。」(KG27)

 ここでアドルノが実際に問題とする「イデオロギー」とは、市民社会のなかではるかに広い範囲にわたり、抽象的になったイデオロギー、つまり物象化された文化全般である。アドルノは私たちがその物象化全般を振り切れるとは考えていない。ただ、支配的な物象化のなかに矛盾や不整合として現れる部分に着目し、それを通して、私たちが現実であると受け止めている文化の状態が非真であることを認識することはできると言っているのだ。そうした認識は我々の目には閉ざされている現在の文化の置かれた状況を知らせ、ゆえに、それによって通念となった文化の概念は廃棄される。弁証法的な内在批判とはこうした矛盾を弁証法の起点にしようとするのである。したがってそのような批判は超越批判のように始めから超越的な、ある固定された基準をとるのではなく、あくまでも諸経験と対峙する中で把梶される矛盾に可動的な「アルキメデスの点」を求めようとするのであり、それによって内在批判は虚構と支配に傾くという超越批判の陥穿を逃れているとアドルノは考えるのである。

 ここで想起されるのは、当初「ミクロロギー」と呼ばれ、後に「限定的否定」を中核とする「否定弁証法」へと発展していく、アドルノ独白の解釈の方法である。それは現実のうちにすでにある「意味」から距離をとり、現実を構成している個々の要素に没入することによって、それが作り上げる意味を破壊すると同時に矛盾を露呈させ、そこに弁証法の足掛かりを掴み出そうとするものである*8しかし、「否定の否定は肯定である」というヘーゲルの方法を批判し、矛盾を止揚することを厳しく斥けているアドルノの場合、それはあくまで理想的な状態をネガとして映し出す矛盾を意識化することによって、その磁場を拡人し、全体性に亀裂を生じさせ崩壊させることを目指すものとなる。ここでアドルノが内在批判の可能な方法として念頭においているのは、そのような方法であろう。

 ここからアドルノがモデルネの芸術を支持する理由も理解されよう。モデルネの芸術作品はそれ自身がここで内在批判にとって成功した形象とされている、「客観的矛盾を偽りの調和へと和解させるのではなく、それら矛盾を純粋に、頑なに、自身の最も内にある構造に刻み込むことによって、調和理念否定的に表現するような形象」(KG27)としての対象であるばかりではなく、アドルノにとって、それ自体1つの「批判」とされるものである。アドルノが成功したモデルネの芸術家としてしばしば取りあげるのは、文学ではボードレールジョイスカフカ、べケット、音楽ではシェーンベルクヴェーベルンなどである。彼らはいずれもそれまでの美的形式の伝統を破壊し、彼ら自身の新しい形式を通して、近現代の社会における矛盾、損なわれた生の状況を鋭い感覚で表現した。アドルノによれば、カフカの作品は、「全体主義的で社会的な呪縛のもとで人間に何が起こるか」をリアリズム小説以上に我々に正確かつ強力に認識させる。(AT342)

 アドルノはアンガジュマンを批判し*9、モデルネの自律的芸術を支持するが、その理由は、すでに見たアドルノの文化批判論から理解することができるだろう。アンガジュマンの作者が社会批判を試みて社会的問題をその作品のなかで扱っても、それは多くの場合市民的イデオロギーに従属するものでしかないだろう。ブレヒトが演劇を通じて教えようとしたマルクス主義教義がごく平凡なものに留まったように。そうした作品はアドルノが批判する自己満足的な内在批判、ないしは経験を欠いた教条主義的批判でしかないのである。それに対し、ベケットのような作品は、一見形式を偏重して社会から背を向けているように思われるが、実際は、己が社会の外側にいることを仮定して、そこから社会を裁断するのではなく、社会の内側の経験に曝されつつ無意識的に社会を「告発」する点で、より内在的であるのだ。そして、調和の理想を追放し、形式の上での歪みとして矛盾そのものを表現する点で、それらは弁証法的でありうるだろう。アドルノの、「より分かりやすい社会批判をするために形式上の妥協をしたり、至る所で開花しているコミュニケーション業を無言のうちに是認したりするような形象よりも、閉鎖的な芸術のほうが現実に存在しているものをよりよく批判することができるのだ。」(AT218)といった確信はそのような考えから導かれていると思われる。

 ここまでアドルノの文化批判論を省みて、アドルノ弁証法的批判の条件とすることを明らかにし、モデルネがその要件にかなう方法とされていることを見た。まとめると次のようになるだろう。アドルノにとっての最大の問題は市民社会のなかにありながら、いかにしてその物象化という全体性の呪縛に足を掬われずに、かつ虚構的になることなく批判を行使することが可能になるかということであった。そして、アドルノは矛盾のなかに踏み止まり、それを内在的に批判する方法を唯一、可とした。ゆえに、アドルノは全体性から自由であると楽観的に信じることもなく、かえってその中に沈潜し呪縛され、そこで経験される苦悩を矛盾として無意識的に表現するモデルネの芸術を優れた批判の方途として認めることができたのである。

 しかし、ここで1つ問題がある。アドルノは内在批判の立脚点は固定されず、全体性のなかに現れる矛盾にのみ求められると言う。しかしながら、確固たる立脚点がない以上、確かにそれゆえに可動性は保たれうるかもしれないが、同時に、認識される矛盾は主観的なものに止まるのではないか。アドルノの理論では矛盾が客観的に把握されうるという暗黙の了解があるようだが、矛盾を意識するその意識ですら、すでに全体に媒介されたものなのではないか。矛盾が矛盾として名指されるための何らかの根拠が、やはり前提されなければならないのではないだろうか。何によって矛盾はそれと知られるのであろうか。また、それとも関わるさらに大きな問題であると思われるのが(これは現実から引き離された仮象でしかありえない芸術の場合特にあてはまることであるが)、仮に形式の上に矛盾が表れていたとしても、そもそもそれが一般には矛盾としで意識されないまま、単に無視されるのではないかということである。そうであるならば、芸術が真に弁証法の発動起点となることは到底不可能なのではないだろうか。

 こうした問題についてアドルノはもちろん無関心ではない。1つ目の問題は「主観と客観」というアドルノの認識理論の中枢に関わる問題であるが、アドルノは主観による十全な客観認識はどのようにして可能になるかというこの問題について『否定弁証法』で徹底的に考え抜こうとしている。また、2つ目の問題に関していえば、アドルノは芸術の可能性を論じる一方で、今日ではあらゆる文化的形象が無害なものとして消費される可能性について至る所で述べている*10。これらの問題を解決するうえで、その糸口として共通して浮上するのがアドルノにおける「身体的なもの」という概念であると思われる。次にそのことを見ていきたいと思う。


第2章 モデルネ芸術と「身体的なもの」

 まずアドルノが『否定弁証法』のなかでアウシュヴイツツと文化の関係について述べているくだりに注目したい。ここでアドルノは再び「アウシュヴイツツ以降の全ての文化は、それに対する差し迫った批判も含めて、ゴミである」と述べ、文化に対して厳しい診断を下している。ここでアドルノの文化に対する批判は、「それが肉体的な死」(physischen Tode)の持つ「悪臭」を忌み嫌い、「屍」のもつ肉体的な苦痛を抽象化隠蔽しようとする点に向けられている。(ND359)しかし、アドルノによれば、アウシュヴイツツを再び繰り返してはならないという掟はただ、そこでの犠牲者達の肉体的苦痛(physischer Schmerz)に対する嫌悪が身体的(leibhaft)に感じ取られるかぎりにおいて「定言命法」としての効力をもつのである。(ND358)したがって、ここからは、アドルノにとって虚偽的でない文化とは、そうした屍の苦悩の経験を意識自身のうちにとりこむことを可能にするようなものであること、そして、彼が文化の復活には「身体」という要素が必須であると考えていることが窺われるだろう。

 この箇所は改めて「身体的なもの」(das Leibliche)という契機に対するアドルノの関心に着目させる。この「身体的なもの」はアドルノ客観の優位を説くなかでとりわけ重要な意義をもつ概念である*11アドルノはこれまでの認識理論が「身体的なもの」をおしなべて主観化し、抽象化してきたことを批判している。そして、身体的契機は非還元的なものとして、主観構成主義に対峙させられ、認識との関連で論じられることになる。このことは以下に確認される。

 「身体的(somatische)契機を欠いたいかなる感覚(Empfindung)もない。…全ての感覚は、それ自体が身体感覚(Korpergefuhl)でもある。感覚が身体感覚を「伴う」のではない。…事物的世界の主観的・内在的再構成は、そのヒエラルキーの基底であるところのまさに感覚を、自然(Physis)なくして手に入れることができないのに、自足的認識理論はその自然を感覚の上にはじめて築き上げようとする。…認識主観の認知的機能が、もともとの意味からすれば身体的なものであるということは、主観と客観の基礎付け連関に影響を与えるのみならず、肉体的なものに対する尊厳をも触発する。肉体的なものは、認識の核として、主観的認識の存在上の対極に登場してくることになる。」(ND193-194)

 ここで、アドルノは感覚や認識と「身体的なもの」を不可分のものと捉える。つまり、「身体的なもの」は限定された生理的な領域としての身体のみを指すのではなく、感覚全般を包括するものとされている。従来の認識理論は感覚を基盤として自然を構成しようとする。しかし、そこでの感覚からは「身体的なもの」が排除されている。アドルノはそうした認識理論を批判し、精神と肉体、概念と直覚の二元論を解消した状態に、客観を知るという本来の認識のあり方を示唆する*12

 こうして身体的感覚という契機は認識のなかに組み入れられ、さらには社会批判のうえでも重要な役割を与えられている。

 「身体的契機は認識の中に認識の不安定さとして生き残り、これが認識を動かし、そして認識の進展のうちで不安定に再生産される。」「身体的契機は、認識に対して苦悩はあってはならない。事態は変えられねばならないと申したてる。『痛みは言う。終わってくれ、と』」ゆえに、[身体という]このとりわけて唯物論的なものは批判的なもの、社会変革的な実践に収斂していく。」(ND203)

 この箇所から分かるように、アドルノにおいて「身体的なもの」は最終的に「苦痛」と結びつけられ、社会批判のモメントとされる。その「すべての苦痛、すべての否定性」は「弁証法的の思考の原動力」をなすと言われている。(ND202)アドルノが「身体的なもの」をとりわけて批判の信頼しうるオルガノンとして捉えるのは、それによって「認識」されるのが主観に還元された客観ではなく、「非同一なるもの」として否定的にのみ知られる客観そのものだからである。アドルノにとって「身体的なもの」とは私たちが置かれた現状を知るうえで重要な審級なのである。「アウシュヴィツツを繰り返すな」という命法の正しさはただ肉体によって知られるとされるのと同様、「身体的なもの」は批判における1つの立脚点であり、それによって感じ取られる苦痛は、全体的支配が我々に押しつける偽りの状態を知らせるものだとアドルノは考える。

 そして、こうした苦痛を感覚するものとしての芸術のみがアドルノにとっては真である。弁証法的批判としてのそれは、全体的社会の矛盾を単にネガティヴな発言や主題としてではなく、苦痛という感覚として表現しなければならない。

「芸術作品は表現によって自らを社会の傷痕として露わにする。…芸術作品における社会批判的な部分とはそれが痛みを感じる(wehtun)ところにある。つまり、歴史に規定されている表現によって社会状態の虚偽が明るみに出されているところにあるのだ。」(AT353)

 アドルノにとってそれは、とりもなおさず彼が評価するモデルネの芸術作品である。アドルノカフカボードレールシェーンベルクを論じる際にしばしば「苦痛」「戦慄」「衝撃」といった言葉を使う。この苦痛は主題を通して概念的となった、「〜としての」「〜ゆえの」といった名指される苦痛ではなく、形式によるミメーシスによって表現される得体の知れない、未知なる衝撃である。「モデルネは硬化したものや疎外されたもののミメーシスによる芸術なのだ。」(AT39)モデルネの芸術家は新しさの追求のなかで全体性の押しつける歪みを、そのハビトゥスを断ち切った、曝け出された感性において身体的な苦痛、「衝撃」として経験し、そを模倣するのである。アドルノにとってその典型の1人がボードレールである。ボードレールは物象化に対して抵抗するが、それに対して「熱心に反対するのでもなければ、それを描写するのでもない」。彼はそうした経験から身を引き離してそれを客体として語るのではない。彼はそれを自分の方へ引きつけるのではなく、自らを「社会の否定的現実」と「同化」させることによって、つまり「詩的形式」を媒体に模倣(ミメーシス)することによって表現し、それに抵抗するのである。(AT39)

 モデルネの「未知なるもの」「震憾させるもの」における、概念によって緩和されない苦痛の直接性は、アドルノにおいて、物象化された娯楽音楽の常套手段である「鈍磨し、周知の紋切り型」となった感覚刺激(DN18)と対比させられるものである。確かにそうした音楽を始めとする、サブ・カルチャーの作品によって与えられる刺激もまた、1つの「ショック」ではある。しかし、それらが与える衝撃はしばしば、ゆめ苦痛にはならないように用意周到に計算されている。それらはショックではあっでも結局のところ享楽に属し、消費されてゆく類のものである。それに対し、カフカの作品における「拒否」として現れる「はっとするような衝撃」「身震いするような嫌悪感」は享楽とは無縁のものである。(AT26)そうした苦痛として感じられる衝撃は私たちが否応なく受ける「傷」であり、経験のうちに傷痕として刻まれるものだろう。そのような芸術作品は無害なものとして自我に抵抗なく受け入れられ、消費されてゆく「体験」(Erlebnis)*13ではない。したがって、アドルノにおいて「身体的なもの」は矛盾の客観性だけでなく、その矛盾を切実なものとして私たちに痛切に感じさせることを保証するものでもあり、それゆえ文化批判の可能性を考える上で重要な契機なのである。


第3章 アドルノの文化批判論の可能性と限界

 アドルノは「身体的なもの」によって感じ取られる矛盾を現実が非真であることを知る手だてとし、それ以外の立脚点を築くことは虚構的であるとした。自らの批判が既存のイデオロギーに囚われていることに対する自覚を持たず、自らはその外に立って文化の批判が可能だとナイーヴに信じるような態度もまた、そうした虚構的な立脚点に立つものでしかない。芸術に求められるのは、ただ全体性の抑圧によって痛みとして感じ取られるものを通じて、現実の彼方にある「否定的ユートピア」の存在を知ることであって、現実の社会の外側へとラディカルに踏み出ていくことではない。また、芸術が直接的に社会変革へと結びつく可能性に対してもアドルノ否定的である。(AT359)では、アドルノの論はバルトの考察、すなわち、アヴァンギャルドによる批判は所与の社会体制を越え出ることのない自己満足的なものであるという考察を最終的に肯うものでしかないのだろうか。しかし、アドルノの批判理論は、あくまで全体性のなかにある矛盾の存在を露わにし、それに亀裂を生じさせるという「崩壊の論理」としての「否定弁証法」なのであり(ND148)、「あれか、これか」という選択をあらかじめ拒否するものである。そうした方法は結局のところ、アドルノにとって別の全体性を構築するか、己が囚われている全体性のなかに再び落ち込んでいくものでしかない。こうしたこれまでの内在批判や超越批判が陥った方法上の失敗を越えて別の道を模索することこそアドルノの目指す方向性であり、そこにアドルノの文化批判、そして彼がモデルネに見出した批判の可能性はある。私たちの社会を支配し、それを構成している抑圧的全体性のうちの矛盾を「身体的なるもの」による苦痛を通じて知ることによって、その支配から抜け出すこと。そうした運動はあくまで内部から生じるものであるが、再び同じ内部に閉塞するものではないだろう。芸術は内部から既存の社会の構成的イデオロギーを徐々に浸食し、全体の崩壊へと導くことができるかもしれない。この可能性の提示において、モデルネはアドルノにとって単なる市民社会の安全弁以上の存在となるのである。

 以上のような、再び既存のものへと収束しないという点においてアドルノが真の批判であるとみなしたモデルネの「身体的」認識による批判の可能性について考察するために、ここでスーザン・ソンタグが写真について指摘する両義性の問題に目を向けてみよう。写真のもつ両義性とは、すなわち「衝撃としての映像と常套手段としての映像」という両面性である*14写真は「衝撃」として批判の手段になると同時に消費されるスペクタクルにもなりうる。(戦争写真はその惨禍の告発であると同時に、新聞報道のなかで私たちの日常の一部となる。)ソンタグは、衝撃的な写真も習慣化することによってそのショックが失われると述べながらも、私たちが慣れることのできない写真の存在をあげる。その例は戦争によって「廃墟のように崩れた顔の写真」といった残酷な種類のものである*15。しかし、批判としての写真の分岐点は単純にそうした残酷さの度合いといったものにあるのだろうか。残酷な写真もまた我々の嗜好の対象となりうることはソンタグ自身認めているところでもある*16ソンタグの言うように、確かに写真には消費の余剰となりうるような部分があると思われるのだが、それが、単なる残酷さに求められないとするならば、それはどこにあるのだろうか。

 この問題について、ベンヤミンの「アウラ」と「アウラの崩壊」に関する考察が手がかりを与えてくれるように思われる。「アウラ」とは事物の「ある遠さが一回的に現れているもの」と規定されている*17。.ベンヤミンはこの「アウラ」の崩壊が「ショック」を生み出すのだと述べ、そのアウラの崩壊を写真一般の特性とした*18。しかし、ベンヤミンアウラの崩壊という事態を「対象をごく近くに像で、いやむしろ模像で所有したい」という「現代人の熱烈な傾向」の現れとして理解し、このような「模像においては一時性と反復可能性が結びついている」と述べている。

 人々はそこで「一回的なものからも同種性を見て取るのである」*19。もし写真の与えるイメージがこのように、特殊な出来事が還元された「反復可能」な「模像」であり、それが一回的な出来事そのものへの見る者の想起を停止させるならば、そこに生じるショックとは消費に飲み込まれざるをえないものに過ぎないのではないだろうか。ベンヤミンが写真に関して言うアウラの崩壊とは、むしろ、ベンヤミンが都市の群衆の振る舞い方一般に認めるような、「出来事の完全性を犠牲にして、その出来事に、それが意識のなかで占めるべき正確な時間的位置を指定すること」と規定する「ショック防御」*20の方に近いと思われる。そうすると、ベンヤミンによる写真に対する一般的規定に反して、写真は「アウラの崩壊」に反抗する限りにおいてのみ衝撃となりうるということになるのではないだろうか。むしろ、それは出来事が概念や定型的イメージへと置き換えられることのない、出来事そのものと対峙するようなアウラ的経験においてのみ可能なのではないか。

 圧倒的な映像──例えば原子爆弾のきのこ雲──のアウラはほとんど剥奪され、今やソンタグが述べるように「代表的映像の文書保管所」に入れられ、「予想可能な思いや感情を誘い出す」文字通りの道具となった*21「核の脅威」、「核時代の到来」ないし「アメリカの勝利の瞬間」という言葉と置き換えられるとき、この写真は単なる記録として記憶のなかに整理される。それは「片づけられて」しまうのだ。この写真が当初持っていたであろう衝撃の力を失うのはまさにこの瞬間である。狙撃され、のけぞりながら崩れ落ちる兵士の姿が「戦争に送り込まれ、絶命する若者」や「ファシズムに立ち向かう勇敢な共和国軍兵士」の典型的な姿として記憶の中のしかるべき場所に納められたとしても、確かにそれは戦争そのものに対する、あるいは反民主的な政治に対する批判となりうるかもしれない。しかし、抽象的なものとなり、所有されうるものと化したイメージは多くの場合、安易な同情を誘うものとなるか、現にそうであるように、ある政治的立場に利用されるものとなる。そうした批判は、既存の支配に対する補償としての市民的道徳感情を反復するに過ぎないものになるか(つまり安全弁になるか)、場合によってはイデオロギーに奉仕するものになる。もし、そうした二者択一しか許されないのであれば、そうした批判は既存の社会の中に再び組み入れられるしかないだろう。写真によるイメージが全体性に吸収されない1つの矛盾となりうる可能性は、そこに映し出された出来事に含まれる、既存の理念をはみ出した部分を感じ取るまなざしの中にしかないのではないだろうか。

 むろん、写真の衝撃性は事実性の証明という写真特有のイデオロギーによって支えられており、それを単純に芸術一般の批判の問題と引き比べることはできないかもしれない。しかし、経験が既知の理念に従順なものとして私たちによって表象されるとき、批判もまた社会に既に存在するイデオロギーに飲み込まれうるという上の具体例から、モデルネの批判としての可能性を肯定的に受け止めることができるだろう。

 アドルノがモデルネにその理想を見出した「身体的なもの」による認識とは、アドルノにおいて経験の特殊性、「非同一性」を既知の概念に縮小しないような認識であり、したがって、事物のアウラの経験と言っても良いだろう。また、アドルノは事実、芸術をアウラの領域として受け止めており、さらにモデルネにおいてアウラは究極にまで高められたと考えている*22。このことは確かにモデルネ一般の美学として認めうるだろう。ヴァレリーは「美は否定的」という断章のなかで芸術の美について次のように語っていた。「〈美〉は〈表現不能性〉──(及びこの効果を再体験したい欲求)を意味する。従って、この用語の〈定義〉は、しかじかの諸特殊場合の又しかじかの種類の、表現し得ざる状態の描写と発出条件と以外のものではあり得まい。」*23現実を「身体的なもの」を通じて冷徹に写し取ろうとするモデルネの作品は、アウラそのものになることによって写真において典型的なイメージの両義性をも振り切り、既存のものに搾取されることのない出来事そのものとなろうとする。芸術は経験をけっして用済みにしないという態度を取ることによって、既存の社会に回収されることのないものとなり、そこに亀裂を形成する。それは小さな亀裂かもしれないが、その存在の認識を通じて私たちが慣習として受け入れている既成の文化的な価値付けはたとえ僅かずつであったとしても、徐々に綻んでいくかもしれない。もちろん、アドルノが批判を向ける全体性とは主に、当時の東側の全体主義的国家機構、及び西側の、文化産業によって意識が画一化される資本主義社会であり、その意味で時代の制約を受けるものであるかもしれない。しかし、今日の社会においても、客観の意味を主体にとって理解可能なものとなるまで縮小しようとする認識方式が支配的である以上は、「身体的なもの」による認識を重視し、それによって全体性を志向する意識を越えようとするアドルノの方法は今なお意義あるものとして認められるのではないだろうか。

 また、今日のアートの問題を振り返ってみても、こうしたアドルノの文化批判のアクチュアリティーを認めることができるように思う。人種差別問題、人権の問題、暴力の問題、ホームレスの問題、環境問題など様々な社会的テーマが、いわゆるポリティカル・アートの作品の中で取りあげられている。しかし、そうした作品は大抵、同じ主題を扱う報道写真のもつ力に及ばないというのが我々の多くが経験する、偽りのない実感であるだろう。世界貿易センターから落下する人間をかたどったエリック・フィッシェルの彫刻作品は憤激を呼び、議論を巻き起こしたかもしれないが、実際は現実の映像の方がはるかに衝撃的である。にうした映像も政治的文脈に組み入れられることによって次第に当初の衝撃を失いつつあるが。)そうしたアート貧困さは、むしろ、そこで扱われている問題を然るべき活字メディアで論じた方がよほど効果的ではないかと思うくらいである。そのような実感は、おそらく、写真が持つ事実性イデオロギーの問題を差し引いたとしてもなお、始めから出来事のアウラを切り捨てて、ある事象を対象化し、例えば、「暴力や人種差別は悲惨で不条理だ」という1つの安易な「メッセージ」へ翻訳しているということに基づくのではないだろうか*24そのようなメッセージには既に用意され、与えられた場所が社会の中にあるのであって、そこに何の矛盾もなく納まることによって容易に消費されるものとなる。それらは既存の社会的、歴史的認識を表面的になぞるものでしかなく、そうした作品は批判であったとしても、批判としての力を持たない。それらにおいては暗黙の裡に自らは批判する当の対象から自由であるということが前提されているように思われるのだが、結局のところ、アドルノが述べていたように、市民的イデオロギーを反復するという結果に終わっているのである。

 しかし、モデルネの挫折という客観的事実を受け止めつつ、ここで私たちがさらに考えなくてはならないのは、矛盾を矛盾として受け止める、当の身体的感覚もまた馴化されうる、ということである。私たちが今日目の当たりにしている、シェーンベルク不協和音ベケットの不条理はもとより、芸術によるあらゆる種類の批判がもはや批判として通用しないという現状は、アドルノの考察を越えて、この問題がより深刻なものとして扱われなければならないということを示している。

 そうした現状についてはもちろん、アドルノも認識している。彼はその原因を社会の側に求め、それを克服しようとした。アドルノによれば、作品の与える衝撃を衝撃として受け止めるためには、それを物象化されない1つの「経験」(Erfahrung)*25としうるような感受性ないし態度が要求される。しかし、社会全体の物象化か進めばこうした「経験」を可能にするような基盤はそこから失われるだろう。アドルノの言うように、大量のイメージや情報に日々曝され、1つ1つの事物を吟味することなく「処理する」ことを要求される今日では、そのような「経験」の領域がますます狭められていることは疑いえない事実である。したがって、そうした経験の領域を取り戻すためには、アドルノが試みたように、そうした物象化に甘んじる、あるいはそれを促す社会の諸要素を意識化する努力が必要だろう。

 しかし、そのような事態がすでに厳然たる社会の現実であるとしたら、そもそもアドルノが考えるようなモデルネによる批判の可能性もあらかじめ限られているということではないだろうか。身体的感覚という足場さえも社会によってすでに拉致されて堀り崩されているのならば、問題は振り出しに戻ってしまうのである。アドルは、自己へと閉塞していく享受、受動的な感覚の経験としての芸術を認めない。アドルノにとって真正な芸術経験とは、あくまで対象を自我に引きつけ、自己に併合させるような経験ではなく、白我が震憾させられ、その対象の内に消滅するような経験なのである。(AT27)そのような衝撃の経験は、モデルネのような作品にあってはなおさら、単に受動的なものではなくむしろ鋭敏な感覚の能動要求するものだろう。しかし、初めから身体的感覚が苦痛と同時に享受の快楽に開かれていて、自己防御的な享受の受動に甘んじる傾向が支配的であるのであれば、そのような衝撃に力を得ようとする芸術の批判は、社会のなかで批判として受け止められる可能性は乏しいものにならざるをえない。そのことは何よりもモデルネの挫折が証明している。

 そうした現状認識が今日のアートを、分かりやすい政治批判にしたり、アーティストが「専門外」の人々に能動的に働きかけ、鑑賞者ではなく参加者としての態度を要求するという「参加型」アート*26へと促している1つの要因であると思われる。そうした傾向の根本にあるのは、ほとんど失われたかのように思われる批判的な身体感覚の生息しうる領域を社会のなかに開発しなければならないという切羽詰った衝動であるのかもしれない。しかし、そうした試みも、一般の人々をアーティストが「教化する」というアンガジュマンの古い形式を越えるものにならない限りは、文化批判の失敗を繰り返すものにしかならないのではないだろうか。

 自律した芸術本来の語法を突き詰めることによって限られた可能性に賭けるのか、それとも、既存の文化に絡め取られる危険を冒しながら可能性の拡大に努めるのか。今日、多くの芸術はこのジレンマに苦しめられているように思われる。このジレンマを解消し、芸術による批判を可能とする方法はあるのか? この問いはいまだ開かれたままである。批判という問題は、芸術がいっそサブ・カルチャーと自らの境界を打ち消し、カタルシスの装置になろうと開き直らない限りは今後もあらゆる芸術につきまとうものである以上、私たちはこの問題についてさらに考え続けていかなければならないだろう。

 本論では以下のアドルノの著作からの引用を示すために略号を用いた。いずれもズールカンプ社の全集を用いている。なお、訳出に当たっては、それぞれの邦訳を参照させて頂いた。訳者各位にお礼申し上げる。

ÄT一Asthetische Theorie, GS Bd.7

DN −Dissonanzen, GS Bd.14

NY) −Negative Dialektik, GS Bd.6

KG一Kulturkri・tik und Gesellschaft I, GS Bd.10-1

*1:最近開催された2005年ヴェネツィアビエンナーレでもいわゆる「ポリティカル・アート」と呼びうる作品が数多く見られた。参加作品については『美術手帖美術出版社、2005年9月号の特集を参照のこと。

*2:例えば、ハーケの1993年ビエンナーレの作品『ゲルマニア』は祖国ドイツの文化とともに、そもそも各国美術の競合という性格を根強く持つビエンナーレという場を批判するものだった。しかし、結果としてその作品もビエンナーレの枠組みの中に行儀よくおさまるものとなり、ドイツの国家的文化政治的戦略へと消化されてしまった感がある。また、マイケル・ムーア監督の近年の作品『華氏911』も「アメリカにおける言論の自由」という側面のみが強調されるような結果に終わったように思われる。

*3Roland Bartlies, A l'avant-garde de quel theatre? Essais critiques, editions du seuil, 1964, pp.80-83この論文1956年にTheatre populaireで発表された。

*4マレーヴィチ剽窃したカヴァコフの作品にみられるようなポストモダンの日常性への回帰の次に現れたのが、こうした趨勢である。こうした趨勢の大きな一翼となっているのが「参加型」アートで、それは鑑賞者という少数の美術愛好家ではなく、より広い文化的背景をもった人々へ作品への能動的な参加を呼びかけるものである。こうした参加型アートの形式は現在では個人の作家作品への協力からアート・イン・レジデンス、アートによる「町興し」まで多岐に渡っている。「批判」としての参加型アートの例の1つが2004年の光州ビエンナーレである。そこでは、「一般の人々」や「同時代の問題と論争に応答する文化的活動家」がアーティストの制作に参加し、作品の共同制作者になるというViewer Participants (参加観客)という制度が取られた。これは作家の政治的活動への同路を開いて、アヴァンギャルドの否定とは異なる、新たな建設的批判の形態への可能性を模索する試みの1つといえるだろう。Cf.稲本竜太郎「光州ビエンナーレ2002 2004」『カリスタ』2004年、東京芸術大学美術学部美学研究室、pp.94-118

*5アヴァンギャルドという語を近代芸術のどのような側面について用いるかに関してはいまだに少なからぬ混乱があるように思われる。その理論の草分けである『アヴァンギャルドの理論』の中でポッジョーリは1870年代−1930年代頃の「非社会性・反社会性をもつイデオロギー的行動によって最もよく規定しうる」ような芸術運動を一括りにしてアヴァンギャルドと呼んでいた。(レナート・ポッジョーリ『アヴァンギャルドの理論』晶文社、1988年)それに対し、ビュルガー以降、特にダダイスムシュルレアリスムロシアアヴァンギャルド等、実生活の上で芸術の理想を実現し、芸術を止揚することを求めたとされる諸芸術をアヴァンギャルドと呼び、それを純粋に美学上のレヴェルで変革を求めたモダニズムと対置する場合が多い。(例えば、禹 朋子は「モダンアヴァンギャルドの差異」『アヴァンギャルドの世紀』宇佐美斉編著、京都大学学術出版会、2001年、pp.320-349]の中で、モダニズムプルーストアヴァンギャルドブルトンの差異をまさにこの観点において見出している)しかし、例えばランボーの芸術制作をその政治的態度から切り離すことなどできるだろうか。後期ロマン主義に位置づけらると同時に、すでに「アヴァンギャルド」的態度をも身につけていたランボーをどちらかに振り分けることは困難であるだろう。また、「モダニズム」「アヴァンギャルド」という言葉を冠する著作のなかで論じられる対象が、実際には、狭義のモダニズムアヴァンギャルドに一般に含められるもの双方を含んでいることは、両者の使用が事実上曖昧であることを小すと同時に、明確な区別が難しいことを示唆しているだろう。したがって、ここでは、アヴァンギャルドをポッジョーリのように広義のものとして捉えることにする。また、アドルノは『美学理論』のなかで、音楽・文学・美術と多岐に渡るジャンルの作品を論じているが、彼はその対象を「モデルネ(die Moderne)」と呼んでいる。それが「モダニズム」と訳される場合も多い。しかし、事実上アドルノがモデルネの芸術作品として言及するのはボードレール以降の現代芸術全般であり、狭義のモダニズムにはあてはまらない。にの点に関してはペーター・ビュルガー『アヴァンギャルドの理論』[浅井健二郎訳、ありな書房、1987年]p.161の第3章の註6を参照のこと)また、アドルノの芸術論において社会批判は芸術に関する第一義的な問題として取りあげられており、モデルネ全般にみられる社会批判の内在的ポテンシャルアドルノは強調する。したがって、その対象をアヴァンギャルドと呼ぶことができるかもしれない。しかしながらアドルノがこうしたモデルネの作品のなかでとりわけ重視し、擁護するものの多くは、ベケットカフカシェーンベルクといった、「形式偏重主義」として、社会主義リアリズムの立場から非難されたような種類のものである。したがってその対象にアヴァンギャルドという広範な概念をあてるのも難しい。したがって、本論ではアドルノの論ずる対象を、アヴァンギャルド一般のうちの一区画を示す概念として、「モデルネ」という言葉を採用することにする。

*6:物象化とは、認識主体合理的認識によって、ある事象が類例化され同一化された結果、もともと個別的であったその事象独自性が失われて単なる「モノ」と化す事態を指し、アドルノはこの事態を現代社会の最も深刻な病根として見ていた。この物象化によって損なわれるのが、アドルノによって「体験」(Erlebnis)と対置させられる「経験」(Erfahrung)である。「経験」とは概念によって切りつめられ、同一化されることのない「非同一な」、事象へのミメーシスを通じてのみ知られる交換不可能な唯一の出来事のことを言う。

*7:ここで超越批判と言われているのは、ある特定のイデオロギーを立て、その基準によって文化を批判するようなあり方である。アドルノはその様態について一般的に述べているのであって、もちろんそれは具体的事例にのみ特定化されるものではない。しかし以下のような超越批判に関する叙述からは、アドルノがある特殊な具体例をその典型として論じていることが窺われる。「…今日ソヴィエト領域で「客観主義」の追放として冷笑的な恐怖政治のための口実にされているようなやり方でイデオロギーを手短に片づけるなら、またもや、あの全体性に多大な敬意を払うことになる。そうした手短な処理は社会から文化をひとまとめにして買い上げる。今やそれをどう扱おうと自由なのだ。社会にとって必要不可欠な仮象であるイデオロギーは、その統合された力や不可避性、その圧倒的な現存在そのものが、その現存在が根絶させる意識にとって代わる限りにおいて、今日では現実の社会そのものとなっている。こうした呪縛を逃れた立場を選択するということは、抽象的なユートピアの建設と同じくらい虚構的である。そのため、超越的文化批判は市民的文化批判とまったく同様に、自ら立ち戻る義務を感じて、市民的イデオロギーの核ともなっている、あの自然なものという理想を呼び出す。超越的な文化攻撃は、きまって偽りの脱出の言葉、野性的な若者の言葉を語る。それは精神を軽蔑している。」(KG26)ここで超越批判に関して直接「ナチス」に言及されてはいないものの、超越批判が「自然なものという理想を呼び出す」という論述からは、ナチスの上からの文化政策が「血と土地」というイデオロギーに基づいていたことが思い出される。Cf.斎藤秀夫『ナチス・ドイツの文化統制』日本評論社、1941年、PP.4-8

*8アドルノのこのような解釈学の方法についてはDie Aktualitiit der Philosouhie, GS Bd。1, Suhrkamp(邦訳『哲学のアクチュアリティー』大貫敦子訳、『現代思想』青上社1987年11月号)を参照。

*9アドルノは『美学理論』の中で「絶対的な抗議は芸術を制限して芸術そのものの存在理由を危うくする。イデオロギーは自らを希薄化し、自身を現実の貧弱かつ権威主義的なコピーとする」と述べている。(AT347)アドルノのアンガジュマンに対する姿勢はEngagement, GS Bd. ll(邦訳「アンガージュマン」船戸満之訳、『文学ノート』イザラ書房、1978年)を参照。

*10アドルノのこうした批判については以下を参照。Über den Fetischcharacter in der Musik und die Regression des Hdrens, GS Bd. 14 (邦訳「音楽における物神的性格と聴衆の退化」『不協和音』三光長治・高辻知義訳、平凡社、1998年、Kulturindustrie, GS Bd. 3(邦訳「文化産業──大衆欺瞞としての啓蒙」『啓蒙の弁証法』徳永恂訳、岩波書店1990年

*11:この問題については河原理氏の以下の論文を参照した。「『客観の優位』についてーアドルノ哲学における『身体的なもの』──」『年報人間科学』第20号第1分冊。大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室、1999年、pp. 188-234

*12:こうした二元論の解消がアドルノの理性批判、認識批判の最終的な目的であるということをJ.M.Bernsteinが論じている。Cf. Adorno: Disenchantment and Ethics, Cambridge University Press, 2001 pp.188-234また、彼は本著でこのようなアドルノの理性批判が、ある「倫理」を構成するという興味深い考察を行っているが、彼はそこでの「身体性」の重要性を指摘している。

*13:「体験」概念については註6を参照のこと。

*14:スーザン・ソンタグ他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、2003年、p.22

*15:同上、pp.79-81

*16:同上、pp.94-102

*17:Benjamin, Das Kunstwerk im Zcitalter seiner lechnischen Reproduzierbarkeit, GS 1-2. Suhrkamp, p.440(邦訳「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクションI』浅井健二郎・久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1995年、p。592)

*18Cf. Benjamin, tlber einige Motive bei Baudelaire, GSBrf. 7-2, pp,652-653(邦訳「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(ベンヤミン・コレクションI j pp.479-480)、Kleine Geschichte der Photographie, GS Bd. -1, pp.375-379(邦訳「写真小史」『ベンヤミン・コレクション1 j pp.565-571』ベンヤミンは初期の肖像写真には美術作品が持つようなアウラがあったと「写真小史」のなかで述べている。しかし、後の商業主義の伸展によってアウラは写真から抹殺されたと言う。

*19:Benjamin, Heine Gesc.hichte der Photographic. GSM//-i,pp.378-379(邦訳「写真小史」『べンヤミン・コレクションI 』、pp.570-571)

*20:Benjamin, Ubcr cinige Motive bei Baudelaire, GS Bd. 1-2. p。.615 (邦訳「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(ベンヤミン・コレクションI j』p.430)

*21:『他者の苦痛へのまなざし』p.84

*22アドルノは『美学理論』のなかで次のように述べている。「ベンヤミンによって解釈された、後光を失った男についてのボードレール寓話は、アウラの最後を描いたものではなく、アウラそのものを描いたものである。芸術作品が光り輝くなら、芸術作品による客観化は芸術自身を通して没落する」(AT132)ベンヤミンボードレールが語る(アウラを失った男し芸術のもつ叙情性を失った現代の詩人)」の話(Benianiin,U)er einige Motive bei Baudelaire, GS Bd. /-2. pp.651-652、邦訳「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(ベンヤミン・コレクションI 』 p.477-479)をボードレール自身の芸術における「アウラの崩壊」に結びつけるが、アドルノはこれに反対し、叙情性を失ったボードレールの芸術そのものを「アウラ」であるとする。なお、ボードレールアドルノがモデルネの傾向を考える上で常に1つの規範とされている。

*23:ポール・ヴァレリー「芸術についての断章」吉川逸治訳、『ヴァレリー全集10』筑摩書房、1967年、p.415

*24:最近開催された横浜トリエンナーレでもこのような作品が見られた。「フライング・サーカス・プロジェクト」による『ザ・スクール・オブ・ポリティクス』の作品群など。例えば、その中の『死者の叫び』と題れた作品では、身をよじる粘土人形と虐殺された人々の写真、さらに社会の悲惨と矛盾を悼む詩がCD-bookのなかで重ねられる。それはミャンマーと現代社会の状況のメタファーであるとされる。しかしながら、そこでメタファーは直接的な告発である。イメージはむしろ作者達の用意した文脈のなかでやせ細っている。

*25:「経験」概念については註6を参照のこと。

*26:参加型アートについては註4を参照のこと。



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