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2014-01-20

セザンヌ空間の構造 「サント・ヴィクトワル山」連作を中心に 末永照和

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 絵画における空間は、すべて視覚的イメージとして表象される非現実的、想像的な広がりである。その意味で。自然再現的な絵画であると否とにかかわらず、タブローの物理的二次元性を超脱する空間のイメージは、われわれにたいして深遠感、拡大感、包囲感などさまざまな心理的反応を喚起しながら、絵画世界の有機的な要素を構成する。

 しかしわれわれは、絵画から空間のみを分離し、独立的に把握することはできない。絵画空間は、色彩や線の働きなしに存在しないし、それら以前にあらわれることもない。たしかに制作に先立って、画家の内部には、描くべき空間のイメージが表象されることはあるが、それはまだ可視的な絵画空間として存在してはいない。だが絵画空間そのものは、たとえ自律しえないものだとしても、色彩や線にまったく従属した要素にすぎないとはいえないだろう。色彩や線がその固有の絵画的効果をもつためには、つねにぬきさしならぬ空間との関係を要求する。いわば絵画の作用構造上、色彩や線や形体などの実在性は、空間イメージの非実在性との、緊密な共在を必要としているのである。その共在の仕方は、空間が色彩や線や形体などの表現の「可能性」であり、色彩や線や形体の表現は空間の「現実性」である、というような関係のうちに、確実に体験される。

 空間の表現は、描写の過程に副次的に生れてくるものではない。たとえばセザンヌのような画家にとって、空間がなによりも、表出的価値としての伝達機能を有するものと意識されたように、それは「派生するもの」ではなく、能動的に「表現されるもの」である。この表出的価値の可能性をささえるものは、色彩などの外在的なものの出現に先立ち、あるいは描写の過程に、あたかも本能的生命から力学的感覚のようにあらわれる、画家の空間衝動であろう。それはやがて、明確な空間意識という美的態度のうちに、絵画空間の形成をうながすものとなる。空間は描写とともに形成されるが、しかし画面に描写されたものは、空間ではない。空間は時間と同様、それ自身存在者ではなく、存在者の秩序、あるいは存在者の存在の仕方である。それはたんに再現的絵画のように、形体をつつむ暗示的空気や雰囲気によって、現実感をもたらす幻覚的機能にのみとどまるものではない。絵画におけるいっさいの造形表現が必然的に要求する、諸作用、諸現象の、多様の統一としての価値を、空間に与えてもよいだろう。すくなくともセザンヌは、空間の意識的な探索と困難な表現の作業のうちに、空間を、構成された世界の量としてではなく、表出された世界の質としてとらえることを願ったように思われる。

 セザンヌは「感覚」 sensation とか「実現」 réalisation という言葉に、制作と思考の相剋を悲痛なまでに表明しているが、「空間」 espace という言葉はそれほど彼によって頻発されたものではなかった。しかしうたがいもなく、空間は、彼の感覚の実現を破綻なきまでにささえているものである。しかも、彼以前のヨーロッパ絵画に支配的な空間の概念を、内的な、世界空間ともいうべき生の次元に変容させることを、彼はたえず念頭においていた。ただセザンヌが、その絵画の出発以来、遠近法的空間と変則的に関係していたのは事実だが、その変則的な関り方こそ注意すべきものだろう。つまり遠近法を次第に彼独自のものにしていくというよりも、厳密にいえば、彼の自然との対決から生まれる特異な空間感覚のなまなましさが、伝統的な人工的体系としての遠近法に先行し、それを無力化していく不断の過程においてとらえられる。

 遠近法的空間がなんらかのかたちで、物体をそのなかに持ち込むべき空っぽの殼として形成されるのにたいし、セザンヌにおいては、空虚な空間、あるいは、なにかがそのなかで動きまわれる空間はない。そこではすべての物体が、たがいに他から際立ってはならず、他の物体と緊密な調和関係のもとに共存し、空気さえこのような物体のような性格をもち、流動しやすいものであってはならなかった。諸物体が自然のなかの、なにものかではなく、絵画的空間の充実体の一部となることによって、科学的遠近法の根本的な破綻を見るにいたるのである。しかしその彼も、クルト・バットのいうように。「誤れる」遠近法を援用せざるをえなかったのは理解できないことではない*1。重要なのは、この「誤れる」遠近法、すなわちセザンヌが難渋をきわめた変則的な遠近法との関係において、遠近法そのものの効果的便法が、絵画構成の基本としてはまったく使われなかったということであろう。

 すくなくとも、コルネリウス的な空間価値の概念はその意味を失いかけ、明暗法や短縮法によらない、深さや広がりの認識と技法が、セザンヌ絵画に新しい美的価値を可能にした。彼の空間意識が、存在凝視の変化をかすかにひめながら、作品のなかに徐々に投影されていくのは、プロヴァンスでの内省的な風景画にいたってからと思われる。その特有な筆触は、もはや感覚のふるえや形体を表現するより、空間そのもののためにあった。彼の空間意識は、彼の美的自然対象としての、いわゆるモチーフの選択や、熟視や、実現のなかにみなぎりわたり、それにもまして世界にたいする画家の強い関心を、世界のなかに投げだされた孤独な美的人間として対決するという省察を誘いつつあった。そこには、より以上の実現の渋滞をもたらす不敵な寄り道がひらける。セザンヌには、その思考の果てまでゆくか、あるいは絵画の方を実現させるかしかない。おそらくセザンヌ的空間の究明にあたって、われわれはセザンヌ自身の存在をも含まれる絵画空間以上の空間、〈空間=実存〉の把握が要請されるであろう。

 絵画空間そのものは、画家の美的体験として、彼の視線のあらわれ方を示している。セザンヌ視線は、自然空間をさえ自己とモチーフとの不安な心的関係と化する存在論的な凝視であった。視線の機能は、時に能動的なものとしてあらわれ、時には受動的なものとして作用する。前者は、画家の内部から外的対象に向って投ぜられるダイナミックな機能、後者は、対象によって発せられた映像を執拗に吸収する反省的機能である。ジャン・パリはこれがいわば「内から外へ」と、「外から内へ」という、視線の2つの基本的な運動として体験されるものであるとの前提のもとに、セザンヌ絵画の形成過程を、3つの空間視の形成から解釈することを試みた。すなわち初期の作品は投射的で、「内からの空間」 l'espace du dedans が諸形体を支配し、それらを概して性的な幻想に抱束している。これにたいし円熟期の作品は受容的で、「外からの空間」 l'espace du dehors が、その秩序、リズム、幾何学を諸形体に従わせている。そして晩年期においては、この2つの空間がある普遍的なリズムのなかに融合されている、と見るのである*2。この重要な視覚形式の変化にともなう、外的世界と遠近法的空間の変貌は、現実や存在とのセザンヌ的交流の仕方が。もはや感情移入的なものではなく、絶対的な空間価値を所有しようという態度のあらわれである。

 われわれは主としてこのような空間体験の内的な意味や、空間形成の面から、セザンヌ美学を考察してみたい。彼の空間意識は、およそ次の3つの問題に集中するように思われる。〈空間=存在〉 espace-être すなわち空間と物体との関係をどのように統一してゆくか、いわば彼の根源的な存在体験にもとづく問題。〈空間=深さ〉 espace-profondeur すなわち自然の深さを、心理的な深奥感としての絵画空間に、どのように表現するかという問題。〈空間=均衡〉 espace-équilibre すなわち自然の不動性や持続の感覚を、絵画空間の安定・不安定性、静・動性としてとらえること、いわば空間にたいする彼の平衡感覚の問題である。これらの空間把握の概念、「存在」「深さ」「均衡」は三者択一なものではなく、芸術の不安を見かけの安定に服従させる厳密な造形的決定のために、相関的な空間の構造たらしめているものであった。


 セザンヌ美学技法が、風景画においてその独自性を示す端緒は、1872年以後カミーユピサロとの接触であった。それに先立つ、セザンヌの初期バロックと呼ばれる時代の作品には、三次元の幻覚が不安定な曲線的構図に暗示される切迫した空間があった。空間は現実的でありながら、そのなかに包囲される形象は、主題文学性に助長され、非現実的で、偏執的な、想像力に内発するものである。空間と物体とがこのように相矛盾し、パリのいう「内からの空間」が、不安定な世界を露呈していた。やがてピサロのすすめで、自然を前にする印象派的方法を遅まきながら学んだ。セザンヌにとって〈 sur le motif 〉の制作は、戸外に出るという物理的事実ではなく、視覚の方式を変えること、ひいては空間の意識を質的に変えることである。しかし遅筆の彼は戸外で制作を完了しがたく、アトリエにおいてふたたびタブローと対決しなければならない。ここで外的モチーフは、一度外界を遮断したところで、内的な再構成や綜合のおこなわれる機会を与えられる。いわゆる「外から内へ」の空間がすでに選択されているのである。

 このような初期の段階をふまえて、彼のいくつかの連作がはじまるが、南仏の陽光が不変の露出を彼のモチーフにあらわす風景のなかでも、その執着と偏愛から、エスタック、ガルダンヌ、サント・ヴィクトワル山などの連作へと絞られていく。たとえ実現の不満や悔悟が、さらに同主題を繰返し追求する連作形式を生んだとしても、そのような繰返しのうちに、自然の感覚的、具体的条件が次第に概念化、一般化、非個性化され、空間の意識はまさに空間性の意識となるように思われる。本稿ではこの傾向の典型であり、心理的、様式的発展の顕著な「サント・ヴィクトワル山」連作に焦点を当ててみる。試みにこの連作を、空間形成の点でほぼ明確に時代順に応じると思われる、3つの作品群に区分した。彼の作品年代の決定には種々問題はあるが、便宜上ヴェントゥーリのセザンヌ目録*3に準拠している(作品番号はV−と略記する)。

 サント・ヴィクトワル山 La Montagne Sainte-victoire は、 セザンヌの故郷エークス・アン・プロヴァンスの東にそびえる、標高1011米、石灰質の聖山である。幼い頃から彼の視野のなかに、そして深い精神的な結びつきのなかにあるこの山を、「彼はあらゆる方向から知っていたし、それをエークスの美の守護神として愛した」*4のであった。それが風景画のなかにあらわれる早い時期のものとしては、V50( 1867-70 )はじめいくつかあるが、いずれも絵の重要な主題とはなっていない。

 この連作の第1期は、彼の絵画の構築的空間を独異の様式で意識しはじめる 1885-87 年頃と見るべきであろう。V452-455 などの代表作が、自然体験と表現との古典的均衡のうちに空間を追求している。いずれもアルク川流域に浮かびあがる、円錐形の壮麗なサント・ヴィクトワル山の姿に、前景の丘や高い松の樹などを配したものである。ただ V452,453 の構図の中心は高い松の樹で、サント・ヴィクトワル山は左寄りに小点景となっているにすぎない。松は中央に画面を二分する明確な垂直線として立ち、V 452 では、これに水平線として長い水道橋が交錯している。垂直線が深さを、水平線が広がりを与える*5、と考えた空間表現の原理的技法を明示しているが、これは従来指摘されてきたように、現実空間の喚起を目的に理解された遠近法ではない。風景の現実的な奥行きは、むしろ暖色と寒色の推移によってかろうじて表現されているにすぎないのである。

 V 454 になると、松の樹は画面両端に移動し、またその枝々は画面の枠となるように広げられ、構図の中心ははじめてサント・ヴィクトワル山となった。しかしこの山は後景に存在するはずなのに、観者へ向って突出しはじめている。構図の安定によって絵画空間の安定を得ることと、深奥幻覚を描くこととの矛盾に気がついたのか、遠い山の形象は前景におとらぬ明確さと堅固さを大胆にとる。画家は視覚の条件を変えながら、眼に見えなかった空間の統一を、画面のうえに現前させるのだ。V 456,457 において松の樹はモチーフから除去された。すくなからず遠近感の効果を期待していた、この松の明瞭な垂直線を取り去ることにより、結果的には可測的な現実空間は否定され、風景画が「自然に向って開かれた窓」としての幻覚機能を失おうとしている。とくにV 457 では、視覚は現実を離れ、前景も後景もない。山の形姿は画面のなかで、広さを独占し、前面に浮かびあがる。同時にこの山以外の、風景的事物の簡略化が目立っている。

 このように前景と後景の区別が曖味となり、遠いサント・ヴィクトワル山が前面に押しだされるのは、V 454 などにはまだ見られた広角レンズ的、パノラマ的幻覚による空間性が、画面の実在的二次元性に還元されようとする傾向を強める。その徹底的な帰結は、自然再現的な努力の完全な放棄の時まで待たねばならないとしても、われわれはこのような視覚的変化の要因を探らねばならない。おそらく、セザンヌのこうした遅々たる空間衝動の変質は、外的世界にたいする特殊な美的態度と、内発的な造形的意思との両契機を鮮明に反映しているであろう。ここから世界空間と絵画空間との、克服しがたい弁証法的統一の過程を経て、あらたに空間形成へいたる転機が可能となるにちがいない。

 第一の契機は、セザンヌの意識において、形骸化しつつある遠近法的認識を、より内的な存在体験によって、みずから批判しはじめるところに生れる。戸外モチーフによる制作をはじめて以来、かなりの年月を経たこの時期に、いっそうその存在凝視の態度が深まったと見られる。後景にあるサント・ヴィクトワル山が、前景的明瞭性をもちはじめるのは、遠くにあるもの、近くにあるものの決定が、量的、物理的距離によっておこなわれるのではなく、まさに彼の関心の強さ、弱さの度合からくるという、質的、存在論的空間感覚を示してにいる。

 彼の注視を浴び愛顧を受けた対象は、物理的にいかに遠くても、彼の意識の前面へ強引におびき寄せられるのだ。外から内への内省的な空間把握が、ある対象への多大な関心によって、すなわちハイデッガー的空間概念を援用すれば、なにものかへと向けられる配慮 Besorgen によって左右されているからである。サント・ヴィクトワル山がセザンヌからどれほどの距離をもって離れているか、ではなく、セザンヌにどれほど近づいているか、であり、セザンヌが自分自身の方からこの山と出会おうとする配慮的交渉のうちに、空間視が成り立つ。つまりセザンヌは、空間的に積極的に出会う存在にたいして、つねに距離を無くそうという作用において関っているのである*6。V 454,455 についてヴェントゥーリは、遠いものをあたかも近くにあるように、しかも遠いという意識を失わずに表現することは、芸術の奇蹟のひとつだと評している*7。自然存在や物体にたいするセザンヌ特有の凝視が、物体の可測的位置に拘束されない自己の根源的尺度において、深められているのであろうか。ほかならぬ〈空間=存在〉の体験が、空間と物体との分離不可能な状態のまま、物理的存在を、凝視されたもの、主観的に見られたもの、想像されたもの、として画面にもたらすのである。

 ここに第二の契機、絵画空間に放たれた視覚の問題が生れる。画家にとって、意識すると否とにかかわらず、現実空間と絵画空間との違和は、それゆえにこそ、満たされざるものへの歯がゆい努力のように、絵画空間への特殊な感情表出の仕方を運命づけるものとなった。たとえば外的現実における「深さ」の感覚を、絵画二次元的な限界のなかにどう表現するかが、よりはげしく求められるのである。現実の空間においては、確実な肉体的体験を経て得られた「深さ」が、おそらくこのように不確実な世界のものである平面上の「深さ」へ移されようとする以上、「深さ」は肉眼を超える内的視点の象徴でしかありえない。

 彼は「われわれ人間にとって、自然は表面よりも深さのなかにある」*8と書いている。それは直観的な深奥感覚を示す言葉だろう。彼の作品がまだ、再現的機能を分有しているために、現実空間とのアナロジーは避けえないものだが、絵画空間としての深さを、できるだけ遠近法的幻覚に委ねずして求めようとした。むしろセザンヌにあっては、描写された世界の諸物体は等質的で、それぞれが同じ明確性を主張したものであるために、現実示唆的な凹面的奥行きはおのずから消え、空間はそれら物体と緊密な充実体をかたちづくる。彼にとってまず、画面の統一と安定化が急務であり、深さとか奥行きの前後関係は、画面の左右上下の広がりの関係へ、そして破綻のない平面化へと置き換えられようとしているのだ。こうして、前景は後景との距たりをなくしてしまう。この時代は、綜合、あるいは構成の時代とも呼ばれているように、この期の「サント・ヴィクトワル山」諸作品も、静的、安定的で、古典的な空間構成を示している。そこには、とくに〈空間=均衡〉の関心が強まる。そのため、技法的に見て、現実再現的でない〈空間=深さ〉の追求は、思慮深く晩年期の課題として持ち越されていくように思われる。この時期の作品のなかには、筆触の乱れに不安な感情がこめられたものがないではない。しかし全体として、形象の描写や筆触にはなんら誇張はなく、とくに諸形象は空間的統一のなかに組みいれられようとしており、均衡保持の古典的ともいえる形式美的効果はあった。これは筆触そのものにあらわれる、技術的統制に原因することもたしかだが、ゲリー女史がセザンヌの空間表現の分析において提示した概念、le contenant (包括者。すなわち空間や大気)と le contenu (被包括者。すなわち物体や形象)*9という絵画構成上の二要素が、調和共存を得ているからでもあった。構図にある自由と、生の自由そのもののようなゆとりとを与える、完全な空間的調和と静性に達すべく、立体的な突出はなによりも減じられることになった。


 このような空間的均衡が破れる最初の例を、われわれはV 663 や 664 に見ることができる。「サント・ヴイクトワル山」連作が第二期( 1890-1900 年頃)に入ったと考えられるだろう。セザンヌはこれまでに、自然の物体の再現的描写と、それを離脱しようという新しい要求とのあいたで、微妙な不決断の態度をとっていた。しかしV 663 にあらわれる森や丘や道の簡略な表現には、もはや形体をその諸特徴において再現することではなく、むしろ曲線的リズムや不安な動勢など、抽象化された感覚的刺激を強調しようという意志があらわれる。

 優美さを失い、起伏が目立ち、左右斜面も非対称的なものとなったサント・ヴィクトワル山、盛りあがる道、円い焔状の松林などの、大掴みな曲線的把握が、〈空間=均衡〉関係をゆるがそうとする。反対にV 664 では、鋭角線が支配的である。山は円錐形、道は険しく屈曲し、岩々は鋭く切断されている。このような相違はあっても2つの作品はともにセザンヌ独自の切り子面のように分割される筆触群が、それぞれ震動し、いくつかの方向性を所有しているので、空間的均衡は破られ、彼の心理的動勢がはげしく空間視覚をゆさぶるのを見る。形象を包む空間と、空間に包まれる形象との、突如あらわれる効果的な破調であった。いわば物体の存在は、空間との関連において、古典的なものからマニエリスム的不安へと体験されていく。しかしこれは、セザンヌの初期に見られたいわゆる内から外への空間視覚にもとづく感情表出が、美的歪曲の衝動のままに再燃したものだ、ということはできないし、また空間と形象との微妙な不調和が、この期の一種造形的低迷のあらわれである、と解釈すべき根拠はなにもない。

 むしろ、不動の画面にひらける絵画空間の世界に、みなぎりわたる画家の視線の潜在的動性を、持続する時間の観念や、形象の運動には求めず、画面においてもっとも画家の生的、肉体的身振りを直接に航跡と化しうる筆触に求め、晩年の絶望的な実験のかずかずに、異種の空間的充実の基礎づけをおこなおうとするのであった。セザンヌ絵画世界が、客観的で不動なものであるという一般的規定は、たとえばこのように「サント・ヴィクトワル山」連作のマニエリスム的な諸作品、および後述する晩年期バロックの諸作品のような、主観的で動的とも見ることのできる絵画世界をどう当てはめることができるだろうか。おそらくそれは大胆な実験をも、実験者みずから外側に身をひして静観しうる知的態度の客観性、不動性にまで敷衍しなければならないだろう。

 ところでV 665 は、画面全体に山がクローズ・アップされ、しかも前景である山麓の極度の簡略さが、山の堅い量塊を前面に押しだすという、珍しく不安定な表現主義的動性を与える。興味あるのは、前景は色彩が薄く、後景が濃いという転倒せる色彩遠近法、上方が重厚で下方が軽快であるという力学無視の不安感が、誇張的なまでに非現実的、想像的な空間を生んだことである。この空間表現の転化を可能にしたものは、すでに述べたように筆触の方法であった。サント・ヴィクトワル山の斜面の複雑な変化を、明暗法によらず、すべての面に光が等価である何気ない筆触の推移によって、たえず計算されたかに見える色彩処理である。しかしこのような色彩手法では、もはや補色の関係も幻覚的な空間効果には役立たない。したがって色斑の並列のみに還元された画面は、色彩みずからのもつ感覚的起伏を強調することでも、複雑な非現実空間を構成することができる。こうして色彩の非伝統的な使い方からも、自然のイメージを、抽象的次元で再構成することの可能性を察知していたのであろう。そして彼が自然を離れるためにのみ、なおも自然の与件をモチーフとし、自然の物体を無視するためにのみ、その存在の構造を見きわめるという可逆的な視覚の方法も可能であった。

 V 663 において粗く震動する草木の描写、V 665 のバロック的ともいえるディナミスムには、表現主義的効果さえあらわれている。しかし同じプロヴァンスの風景を描きながら、ゴッホのような表現主義にいたらないのは、現実世界の形象が、知的な空間統一のなかに不動化されようとするからである。それについて述べたルネ・ユイグの言葉を借りれば、セザンヌは「もはや攬乱する力をではなく、組織する力をそこに感じ取る」*10からである。彼の視覚のうちに、なおも直観的、魔術的空間への衝動と、分析的、明晰的な空間への要求との併存が晩年期へかけてもたらされる。

 V 666 のように単純な原形的世界は、現実のものではない。この斬新なアングルは、すでにこれまで多くのサント・ヴィクトワル山体験を通して得られた、たえざる視覚修正の結果であろう。おそらくこの絵は、V 663 と同じモチーフを多少立脚点を変えたものにすぎないが、絵の左隅から上部を暗雲のように這っている松の枝葉は、前景のものであるのに、後景の山の真上に覆いかぶるように見える。そのことが、この絵画空間を凝縮し、緊迫した不安な心理空間を現出させた。この心理的不安の空間を、さらに内的な深みから表現した好例を、ブリヂストン美術館所蔵の「サント・ヴィクトワル山とシャトオ・ノワル」(V 765 )に見ることができる。ここにあらわれる空間のイメージは。サント・ヴィクトワル山の安定した構図の取り方にもかかわらず、入念かつ生動的な筆触と、緑や青のほか、若干の色に絞っている色調とによって、強い心理的動揺を暗示している。画面上部からのしかかる樹の繁みに挾まれ、山は圧縮して見える。しかも空の部分も山肌も、樹の繁みと同一の筆触、色調で塗りつぶそうとしているので、空と山との明確な区別はできず、遠近法的深部効果はない。空間は現実的だりえず象徴的であり、深さはここではじめて非現実的な、内的な深さ、つまり現実空間の物理的構造としてではなく、人間的な生の表出の役目を果すべき、絵画空間そのものの深さとしてあらわれているのである。

 彼は晩年の書簡のなかで(前章で引用の箇所と一部重複するが)、「われわれ人間にとって、自然は表面よりも深さのなかにある。そこから、赤や黄色で表わされた光の振動のなかに、空気を感じさせるに十分な量の青味を入れる必要が生れる。」*11と述べた。画面において空間と物体の相対関係は、もはや現実的脈絡のうちにはないが、なおも空気を感じさせねばならないと考える。そして遠近法的奥行きを失っている画面にたいし、おびただしい青色を使用したことにより、まったく魔術的ともいえる空気圏を生みだし、心理的な深奥感を可能にする願いは、ブリヂストン作品においてある程度成功したように思われる。「深さ」は一般に、内在的な生の次元を体験することなしには得られない。対象への無関心、対象からの離脱には深さの体験はない。このような深さが、たんなる印象から区別されるのは、深さを体験しうるかどうかによってである。

 ただセザンヌが青味 bleutés に、ある内的意味の象徴を執念深く求めたのは、青は遠ざかり、黄色は接近する、という人間の色彩幻覚か、「青──空──透明──深さ」という心理的な連想を援用したにすぎないかも知れない。イヴ・クラインやサム・フラソシスが画面全体を青一色で埋め尽くした時、心理的な内面性はかなり表現された。しかし画家は〈青=深さ〉という概念をひとつの常套的技巧として定式化することはない。青という感覚の一形式が内的な生を反映するものであっても、すべての青は、アプリオリに画家の内的な生によって浸透され、体験されてはいない。セザンヌは対象の存在から独立した、装飾的効果にすぎない色彩を信じてはいなかった。彼は存在体験にともなう深部直観を、その感覚のなまなましさのまま実現するために、どれほど色彩の選択に迷い、色調に留意したであろうか。彼の青は、空気遠近法のために青を乱用した印象派の場合と違い、生存の深い次元において認識されたものと見なければならない*12。物体の固有色を保持することに固執したセザンヌにとって、青はその感情表出の刺激的要素として、構成の基本的契機に参与している。絵画の深さは、すべて空間構成からくるもので、そのための美的手段は、青色さえも、感情表出の確かさを体験した空間的機能として把握され、空間と共在するものであった。

 ところでブリヂストンの作品、および次番号に登録される異質の作品「石切場とサント・ヴィクトワル山」と呼ばれるもの(V 766 )は、一見きわめて古典的な堅固さを保っていながら、やはり筆触の変化、形象の不確定に起因する流動的空間が、不安定な平衡感覚を印象づける。総じてこの第二期の諸作品においては、基本的なものに還元された構図が、安定的、静的、構築的、綜合的、集中的なものを志向しているのに、色彩処理が不安定、動的、絵画的、分解的、拡散的なものを暗示するという矛盾が見られる。しかしこの矛盾はもちろん挫折や低迷ではなく、それ自体の様式的特徴を示すものである。いわばこの古典的空間性と、バロック的空間性との、外観上未解決のままの共存は、そのままマニエリスム的な価値感情を表明するものであろうか。これら二要素による重層的な空間価値が、超越不能な実存の瞬間として、セザンヌにおいて体験されてしる。そして、重層的なものとして観照されるのは、セザンヌ芸術の重大なテーマ、感覚の実現が、得られた感覚と、その感覚の拒否、あるいは、行われた実現と、その実現への抵抗、という不決断な意識の往復運動として確認されるからである。


 セザンヌ絵画空間が、ある知的な安定性を求めていたのは明らかである。しかし「サント・ヴィクトワル山」連作の第二期のように、それがやがて感情的な空間衝動との抗争のうちにあらわれるのは、空間の内部構造が、青年期とは異質の、晩年にひめられる欲望や執念や妄想や焦慮など、生の部分の排出を余儀なく体験されはじめているからである。われわれは彼の〈空間=均衡〉の命題が、第一期において、きわめて肯定的要求のもとにとらえられて安定した静的、古典的空間を生み、第二期においては、否定的要求の胚胎とともに不安定な動的、バロック的空間の可能性を生みつつあるマニエリスム様相を見た。この意識的な空間視覚のたゆみない変質は、最終期( 1900 年頃− 1906 年)に徹底化されでバロック的空間性は定着することになった。この明確な内的、外的変化によって終結する連作は、その他の連作からとくに際立ったものであるといえよう。

 いま仮に、危険を覚悟しながら、バロック的と規定したが、もともとバロックにはデカダンス的な意味にであろうと、革新的な意味にであろうと、文明の一般的概念としてルネサンス的均衡の世界を破壊するという性格を与えられている。「サント・ヴィクトワル山」連作の最終期における鬼気迫る想像的空間価値の表現は、近代美術史にとって最初の革新的な実験であろうし、印象派以前の絵画にとっては、これはまったく異端的なデカダンスたりえたのである。いずれにしても、20世紀のはじめにセザンヌによって試みられた偉大な実験は、正しく見れば、キュービストたちが高く評価したガルダンヌ風景の諸作品ではなく、サント・ヴィクトワル山の晩年期諸作品であった。そこには、微分された色面が、全体へ向っておびただしく拡散され、コスミックともいえる流動と生成のうちに古典的均衡を破る、新しいバロック的空間表出があった。

 この時期の作品、すなわち V 798-804 は、美的純化と技術的知性化において斬新なものである。これらは、ほとんどが同じ地点よりの眺望、同じ構図、ほぼ類似した技法に貫かれていることから、死の前の数年間にサント・ヴィクトワル山にたいする理解が、彼の内部にようやくかたまったことを示すだろう。構図は空とアルク川流域の広がりとの面積比を、地平線を境に上下2対2に区分し、その地平線上に底辺の長い不等辺三角形のサント・ヴイクトワル山を配置した。いわば矩形上に三角形を置くだけの原形的なもので、その他の風景的与件はかなり黙殺された。ただ V 804 だけは、海景用の横長のトワールを使っているため、下半分の矩形部はこの期のいずれの作品よりも横に長く、より安定的なものを意図していると見られる。

 この期の第二の特色は、すでに彼の印象派時代からその徴候を見た色斑群の並列が、空間の質的なものの象徴として、そのすべての魅力ある有機的効果を発揮することである。彼の点描主義は、印象派の色調分割のような科学的理論にもとづいたものではない。混色は自由であるが、筆触の分割そのものに、さらに大きな意味を表現すべき役割をみずから見いだしている。その凝集する力と、拡散する力を与える色面構成は、断片的であると同時に有機的な、空間の世界を創造した。この世界にあって、色彩はわずかながら形象を表現しているとともに、記号そのものとしても作用している。しかしセザンスの場合、色彩が記号としてまったく自律し、現実離脱と抽象化の過程をもちうることは、晩年の「サント・ヴィクトワル山」にいたってそのすべての条件を与えられていながら、原理的には回避されているのである。ただこのような厳格主義にもかかわらず、「サント・ヴィクトワル山」最終期の作品は、ガルダンヌ風景の諸作品がその形体的特徴からキュビスム的方向を可能にしたのにたいし、むしろ色彩的特徴から、ある種のタッシスム絵画の、コスミツクな空間世界を表出しているように思われる。

 観者の視線を、さまざまの方向に誘導するかのように画面を埋めつくす色斑群の、いわゆる〈 all-over 〉の色彩手法は、画家の無数の視点や、無限に持続する意識の運動を示す。この拡散する空間は、持続するものを内的次元のなかにひろげ、画家の意識に経過する時間を空間化したものである。その動勢のなかに、空間的価値としての内的な深さが体験される。絵画空間のなかに置かれるもの、あるいは、空間そのものとなるものは、創造的機能の磁力をおびた視線の持続である。セザンヌ直観や感覚の純粋性、生動性が、分析や不動化の結果である実現の段階でも失われてはならないと信じたが、この期の作品が持続の色斑群によって、多様に、微細に、震動するはげしい感覚的特徴のうちに実現されるのを見る時、われわれは〈感覚→実現〉よりも、〈感覚→実現→感覚〉という執拗な公式を、色彩と空間の有機的関係に仮定すべきかも知れない*13

 もともとそれは、明晰な知的操作を志向するとともに、現実体験を離れえないセザンヌのある種のレアリスムが、直観の視点と分析の視点を混同することに起因する。たとえば律動的にふるえるような色斑の配列において、彼は内延的な運動感覚と、外延的な空間表象、つまり感覚のもつ異質性と、空間のもつ等質性とを同時に表現しようとする。しかしそのような論理的矛盾は、あくまでも論理上の矛盾であって、そのまま絵画の挫折を意味するわけではない。彼の内的、外的視線を含んだいわば複眼が、その直観と分析の機能をたがいに排除するものとしてではなく、緊密な関係として空間のなかにあらわれる。自然にたいする長い忍耐の観察とともに、視点を無限に移動させ、その結果、対象を解体し、記号化し、再構成するが、分析的に存在へ投射された視線は、実際には分析不能の内的生の深みや感情の次元は歯がたたず、彼はふたたび直観的視覚に頼らざるをえないのだ。彼の視線が一方で現実空間へ。もう一方で非現実の絵画空間へ向けられる往復の繰返しのうちに、この現実と非現実の接点にある現存在としての、セザンヌ自身の空間的自覚がなされるのである。

 セザンヌは「見ること」を絵画体験のいっさいの根源に置いた。事象そのものへ、の現象学的態度を捨てなかった。その世界凝視は、造形上、現実否定の方向をとりながらも。空間的存在への認識の深さが、現存在の緊密な空間性をも表現してしまうように思われる。

 すでに述べたように、直観視線と分析的視線は十分なほどの必然性をもって、セザンヌ絵画空間を構成する。存在対象にたいし、一方は深く、一方は広く投射される。空間にたいする深奥感覚と平衡感覚がそこに生れる。セザンヌの空間構造はこのような存在(物体)、深さ、均衡などの表象的価値のうちにとらえられるであろう。そして視覚的に表象される空間のイメージは、同時に、彼の空間衝動が向けられている反省的な内面空間をそのなかに仮構することができる*14

*1:Badt, K.: Die Kunst Cézannes, eng, transl, Art of Cézanne. 1965, pp. 161-162.

*2Paris, J.: Espace de Cézanne, dans "Cézanne". Coll. Génies et Réalités. 1966. pp. 217-218.

*3:Venturi, L.: Cézanne, son art, son oeuvre. 1936. Tom. ?. 右目録によると、この連作は油彩、水彩、デッサンを含めて70点にも達する。本稿では主として、サント・ヴィクトワル山が円錐形の姿であらわれる、プロヴァンス側よりの油彩のみを取りあげる。

*4:ibid. Tom. I. p. 47.

*5:Cézanne, Correspondance. éditée par J. Rewald. 1937. p. 259.

*6:Heidegger, M.: Sein und Zeit. 桑木訳「存在と時間」上、207ページを援用。

*7:Venturi, ibid. Tom.?. p. 55.

*8:Cézanne, Correspondance. éditée par J. Rewald. 1937. p. 259.

*9:Guerry, L.: Cézanne et l'expression de l'espace. 1950. p. 9, 78.

*10:Huyghe, R.: Dialogue avec le visible. 1955. p. 9, 78.

*11:Cézanne, Correspondance. éditée par J. Rewald. 1937. p. 259.

*12セザンヌの「青」については、Badt. ibid. pp. 57-72, 79-82. に興味ある論評がある。

*13:拙稿「セザンヌ美学の基礎概念」(桜美林紀要・7号)参照。

*14:以上のような考察は、他の連作においても必ず妥当するものとは思わない。「サント・ヴィクトワル山」連作と他の諸作品との関連、またはそれらがセザンヌにおいて、どのように統一されているかについては、稿を改めたい。



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